※〔 ~ 〕は立命館大学アート・リサーチセンター「歌舞伎・浄瑠璃興行年表」の上演年月日等のデータ
☆ 明和元年(宝暦十四年(1754))
◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十四年刊)
◇黒本
鳥居清秀画『仇討武道物語』(画像あり) 『車塚曾我物語』
☆ 安永元年(明和九年・1772)
◯『俗曲挿絵本目録』(漆山又四郎著)
鳥居清秀画
『めりやす色見艸』(長唄)鳥居清秀画 金井板 〔明和09/07/21〕
『羅浮梅恋円』 (長唄)鳥居清秀画 金井板 〔明和09/11/01〕
『雪花縁狩衣』 (長唄)鳥居清秀画 金井板 安永元年十一月〔明和09/11/01〕
『白たえ』 (長唄) 安永元年十一月〔明和09/11/01〕
〈『俗曲挿絵本目録』に刊年のないものは、立命館大学アート・リサーチセンター「歌舞伎・浄瑠璃興行年表」の上
演データに拠った〉
☆ 安永二年(1773)
◯『俗曲挿絵本目録』(漆山又四郎著)
鳥居清秀画
『春の雨』 (長唄) 鳥居清秀画 金井板 〔安永02/01/15〕
『初恋ひめこまつ』(長唄) 鳥居清秀画 金井板 安永二年正月 〔安永02/01/15〕
『英風流石橋』 (長唄) 鳥居清秀画 金井板 安永二年正月 〔安永02ウ03/23〕
『車引秋野錦』 (唄浄瑠璃)鳥居清秀画 金井板 安永二 〔安永02/08/04〕「売所 鳥居清秀」
『挹知月汐衣』 (長唄) 鳥居清秀画 金井板 安永二年三月 〔安永02/08/04〕「売所 芝口 鳥居清秀」
『乱菊稚釣狐』 (長唄) 鳥居清秀画 金井板 安永二年十一月〔安永02/11/01〕
『色見草相生丹前』(長唄) 鳥居清秀画 金井板 〔安永02/11/01〕
〈『俗曲挿絵本目録』に刊年のないものは、立命館大学アート・リサーチセンター「歌舞伎・浄瑠璃興行年表」の上
演データに拠った〉
☆ 安永三年(1774)
◯『俗曲挿絵本目録』(漆山又四郎(天童)著)
鳥居清秀画
『景清朧鎌倉』 (唄浄瑠璃)鳥居清秀画 金井板 安永三、正月〔安永03/01/ 〕
『対面かけ合つらね』(つらね)鳥居清秀画 金井板 〔安永03/01/ 〕「売所上村吉右衛門」
〈『俗曲挿絵本目録』に刊年のないものは、立命館大学アート・リサーチセンター「歌舞伎・浄瑠璃興行年表」の上
演データに拠った〉
☆ 安永四年(1775)
◯『俗曲挿絵本目録』(漆山又四郎(天童)著)
鳥居清秀画
『其彩色七折扇子』(富本)鳥居清秀画 増山金八作 和泉屋板 安永四年春〔安永04/01/13〕
☆ 刊年未詳
◯『俗曲挿絵本目録』(漆山又四郎(天童)著)
鳥居清秀画
『うゐらう売つらね』(つらね)鳥居清秀画 金井板
『かけ合つらね』 (つらね)鳥居清秀画 売所 上村吉右衛門
『対面のつらね』 (つらね)鳥居清秀画 金井板
『◎の雪』 (長唄) 鳥居清秀画 金井板
☆ 天明七年(1787)
◯『秀鶴随筆』〔新燕石〕(中村仲蔵著・天明七年(1787)五月下旬記)
◇五月下旬 ⑧36
〝何事も心に候へば、土人形三番叟、大小の舞、小原木三つ、京伏見細工の小原木、大坂細工三番叟、
大小の舞人形、張立彩色いたし申候、鳥居清秀居申に付頼申候、
彩色に其いにしへも若葉して人目を願ふ森の今様〟
〈この『秀鶴随筆』は天明七年、江戸の役者中村仲蔵が大坂滞在中に書いたもの。この清秀、中村仲蔵等に同道して
いたのか、既に滞在していたのかよくわかないが、看板絵や古画を摸写して人の求めに応じていたようである〉
◇六月上旬 ⑧39
〝鳥居清秀どの看板持参被致申候、人参髪生薬と御座候、右下にふすい書被申候也、右筆は中山文七殿筆
にて候、一人にて候、人の世を見定被申候て、一世一代仕引被引申、人参髪生薬、と自筆にて被成候、
見事なり、此度勤被申候はゞ、誠に/\おしきいにしへとぞんじ、
看板は今はふすひや命毛も見事成りけりたけきもののふ〟
◇六月下旬 ⑧44
〝大坂島の内御前町浜屋市兵衛迚(とて)出入肴屋、此度伊勢参宮仕(つかまつり)、土産に蕎麦袋入参申候、
服紗に、橘保年の昔、白拍子扇の舞納の画、古き筆にて右にかゝり参り申候、大坂にて白拍子、古き画
にて候へば、先々今日は一礼申上候て返し、右服紗借受申候也、清秀どのに頼写申候〟
◇八月上旬 ⑧53
〝浜や市兵衛殿より、白拍子画、服沙申請候て中尊に致、左右に大小の舞、三番叟、小原木、右三幅対に
仕、鳥居清秀の画頼申候、右服沙礼に、烏帽子鈴と末広、縫を服沙に表に取替、一礼仕申候、互に祝ひ
申候〟
☆ 没後資料
△『稗史億説年代記』(式亭三馬作・享和二年(1802))〔「日本名著全集」『黄表紙二十五種』所収〕
〝草双紙の画工に限らず、一枚絵の名ある画工、新古共に載する。尤も当時の人は直弟(ヂキデシ)又一流あ
るを出して末流(マタデシ)の分はこゝに省く。但、次第不同なり。但し西川祐信は京都の部故、追て後編
に委しくすべし
倭絵巧(やまとゑしの)名尽(なづくし)
昔絵は奥村鈴木富川や湖龍石川鳥居絵まで 清長に北尾勝川歌川と麿に北斎これは当世
鳥居庄兵衛清信 清倍 清重 清満 清秀 清経 清広
とりゐ清長 関 (他派の絵師は省略)〟
『稗史億説年代記』 式亭三馬自画作 (早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)
〝青本 白紙又は赤紙の画外題に、黄表紙をかけたる本をはじめて製す。是を青本といふ
同 絵師の名を草紙の終りへばかり出さずして、上中下の分ちなく、ゆきなりに名を誌す
画工 鳥居清秀、清重、富川吟雪、富川房信、田中益信、江戸絵と号して諸国のはやる
〈『式亭雑記』に「富川房信改め吟雪」とあり〉
同 奥(ママ)村重長、石川豊信の絵はやる。田中益信は草双紙の画作を著す
〈西村重長の誤記であろう。石川豊信は巻末の「昔より青本の画をかゝざる人の名」にあるから、この「画工」とは当
時評判の絵師という意味であろうか〉
作者 文字、通幸、和祥、丈阿、専ら双紙を作る。終に作者の名を出す事は此和祥より始まる〟
☆ 明治二十八年(1895)
◯『鑑定必携日本画人伝』一~十三 京都版(北村佳逸編 細川清助 明治二十八年四月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(巻之二【ト】ノ部)
〝鳥居清秀 清満ノ門人ナリ、師ノ風見ルベシ。《印章アリ》〟
〈この清秀が上掲清秀と同人かどうかは不明〉
◯『浮世絵』第弐拾(20)号「浮世絵漫録(三)」(大正六年(1917)刊)
「小林文七氏の浮世絵」桑原羊次郎著〈小林文七所蔵の肉筆落款〉
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝鳥居清近 鳥居清秀 鳥居忠春 鳥居清久等と落款せる者四幅あり〟
◯「日本小説作家人名辞書」p799(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)
〝江戸の浮世絵家、鳥居清倍門人か。「車塚曾我物語」(明和元年(1764)刊)の作者〟
◯『浮世絵師伝』p41(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝清秀
【生】宝暦七年(1757)頃 【歿】安永初め頃
【画系】初代清満の長男? 【作画期】明和~安永
鳥居氏、明和末頃出版の青木『潤色心化粧』・『猫また又々珍説』及び、明和九(安永元)年春出版の
めりやす稽古本の表紙絵等を画く〟
◯『浮世絵年表』p119(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「明和元年(六月十三日改元)甲申」(1764)
〝正月、鳥居清秀の画に成れる黒本『車塚曽我物語』出版〟
◯「鳥居清秀」(木村捨三著『集古』所収 昭和十七年一月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション『集古』辛巳(3)2-3/13コマ)
〝(清秀の安永元年死亡説について、中村仲蔵の『秀鶴随筆』(天明七~八年の大坂滞在見聞記)に鳥居
清秀の記事(本HP「清秀」の項参照)がみえることから、疑問を呈し、再検討を要するとして次ぎのよう
に続ける)初代清満の長男にして安永元年に死んだといふのは、法成過去帳に「浄光童子 安永元年六
月朔日 鳥居亀次郎」とあるのがそれであろう。ただこゝには清秀は天明年間に存生し、且つ画業を廃
してゐないこと、従つて義岳院は清秀の法名では無からうといふ事を明記しておく〟
◯『草双紙事典』
鳥居清秀画・刊年未詳作品 『仇討武道物語』・『心けしやう』
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:6点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
画号他:鳥居清秀
分 類:黒本4・黄表紙2
成立年: 明和1年(2点)
〈明和元年刊の作品は二点。残り四点は刊年を記さず〉