〈清朗の読みは井上和雄の『浮世絵師伝』に従った。明治19年の読売新聞は「せいろう」とする〉
◯「第七回 観古美術会」〔5月1日~5月31日 築地本願寺〕
『第七回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治19年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)
鳥居清朗 美人 一幅 (出品者)若井兼三郎
◯「読売新聞」(明治19年5月16日付)
〝第七回観古美術会品評
鳥居清朗(せいらう) 遊女の図 着色
清信門人なるべけれども未だ其伝をしらず〟
〈上掲「目録」参照〉
◯『浮世絵師便覧』p231(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝清朗(ルビ無し) 清信門人、◯享保〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(25/103コマ)
〝鳥居清朗【正徳元~五年 1711-1715】清信の門弟にて、俳優の似顔絵を善く画けり〟
◯『浮世絵』第弐拾(20)号「浮世絵漫録(三)」(大正六年(1917)刊)
「小林文七氏の浮世絵」桑原羊次郎著(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝鳥居清朗(きよあき)とせし者あり〟
〈小林文七所蔵の肉筆落款。下掲『罹災美術品目録』「遊女図」の落款か〉
◯『罹災美術品目録』(大正十二年(1923)九月一日の関東大地震に滅亡したる美術品の記録)
(国華倶楽部遍 吉川忠志 昭和八年八月刊)
◇小林亮一所蔵 鳥居清朗「遊女図」〈小林文七嗣子〉
◯『浮世絵師伝』p30(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝清朗(アキ)
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】
諸書に初代清信門人として、此の名を伝へたれども、恐らくは清朝の「朝」を「朗」と誤りたるものな
らむ。(清朝の項参照)〟