◯『吉原傾城新美人合自筆鏡』(北尾政演画・蔦屋重三郎板・天明四年(1784)刊)
(朱楽館主人(朱楽菅江)の跋)
〝先に北尾重政、勝川春章互に筆を下して、往々美人の容貌を戦(タタカハ)しむ。今又北尾政演、再び毛延寿
に倣て花柳(クルハ)の名妓を画く、誠に眉は今戸の煙に似て淡く、髪は隋堤の柳に准(ナゾラヘ)て長し。其
(ソノ)神(シン)を写するに至ては、見る人いかでか心を動さざらんや〟
『吉原傾城新美人合自筆鏡』 北尾葎斎政演画 (国立国会図書館・貴重書画像データベース)
△『本町文酔』(腹唐秋人著・天明六年(1786)刊)
〝錦画に題す(原漢文)
筆を揮ふ燈篭鬢 傾城当世の身 心を動す東(アヅマ)錦画 北尾写して神の如し〟
〈燈籠鬢の遊女を写して人の心を動かすこと神の如しと称えられたこの北尾、重政、政美、政演(山東京伝)のいづれ
であろうか。天明四年、板元蔦屋重三郎は、北尾政演の画で『吉原傾城新美人合自筆鏡』を刊行している。これは当
時全盛を誇っていた遊女のうつし絵に遊女自筆の詩・歌・発句を配した彩色画帖で、天明期の豪華絢爛たる吉原文化
を今に伝える恰好の作品である。四方山人(四方赤良・後蜀山人)は序に「あづま錦絵」「時勢(イマヤフ)の粧(ヨソヲ)ひ
をつくせり」「かくうつくしきうつし絵には僧正遍昭もいたづらに心を動かしつべく」と記し、また朱楽館主人(朱
楽菅江)は「花柳(クルハ)の名妓を画く、其(ソノ)神(シン)を写するに至ては見る人いかでか心を動さゞらんや」なる跋文
を認めている。腹唐秋人が狂詩にいう「北尾」の「東錦絵」とはまさに北尾政演の『吉原傾城新美人合自筆鏡』のこ
とをいうのではあるまいか。『本町文酔』とは『本朝文粋』のもじったものだが、ここでは江戸八百八町の内、土一
升金一升の日本橋本町、そこに居住する腹唐秋人の詩文を指している。天明五年の四方山人の序と同六年の宿屋飯盛
の跋が添えてある。いずれも天明狂歌壇の大立て者である。『本町文酔』は『近世文学未刊本叢書』「狂詩狂文編」
(天理図書館司書研究部編・養徳社・昭和二十四年刊)の所収〉
◯『諸画家系普鑑及年代図形高評品』東京(吉田竹次郎編 前羽商店 明治二十九年(1896)十二月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(浮世絵之部 北尾重政ノ系)
北尾重政
同 政演 山東庵京伝
同 政美 鍬形紹真蕙斎
鍬形赤子
同 勝永〈鍬形蕙林〉
窪 俊満 享和〟
◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇北尾派 上(22/110コマ)
〝北尾派の祖重政は、各種の絵本によつて独習した人で、画風も色々に変化して居る、即ち鈴木春信や奥
村政信の画風を描き、終には自分より弱輩だけれども、当時流行した歌川や喜多川にかぶれたこともあ
る。この重政には政演・政美・俊満などゝいふ門人がある。政演は即ち小説家京伝のことである。政美
は晩年略画式を創めて世に行はれた。浮世絵師でこの略画式の三幅対は一蝶と政美と北斎とであろう〟
◇北尾重政 下(31/110)
〝文化の末頃は、当時の碩儒で書をもよく書いた亀田鵬斎の隣に住んで、根岸石稲荷の幟をかき、鵬斎の
向ふを張つたといふ話もある〟※出典は『古画備考』
〝実子も養子もなかつたから、門人政美の世話で、文政の始めの頃、歌川美丸が二代目北尾重政を名のつ
た。門人としては政演・政美・窪田俊満などが有名である〟
◇北尾政美 下(65/110コマ)
〝門人には美丸・美国といふのがあるが、いづれも余り世に知られない〟
歌川-北尾派系図(『浮世絵の諸派』上 所収)