Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ けいしゅう たけうち 武内 桂舟浮世絵師名一覧
〔文久1年(1861)10月11日(一説3年)~ 昭和18年(1843)〕
(月岡芳年門人 年甫(としすけ)参照)
 ※「近代書誌・近代画像データベース」国文学研究資料館    ☆ 明治初年(1868~)    ◯『増補 私の見た明治文壇1』「明治初期の新聞小説」1p88   (野崎左文著・原本1927年刊・底本2007年〔平凡社・東洋文庫本〕)   「(八)新聞挿画の沿革」   〝明治初年の新聞さし絵の画家といへば、前記の落合芳幾、月岡芳年、小林永濯、山崎年信、新井芳宗、    歌川国松、稲野年恒、橋本周延(ハシモトチカノブ)、歌川国峰(ウタガワクニミネ)、筒井年峰(ツツヰトシミネ)、後藤芳景    (ゴトウヨシカゲ)の諸氏に止(トド)まり、後年名を揚げた右田年英(ミギタトシヒデ)、水野年方(ミズホトシカタ)、    富岡永洗(トミオカエイセン)、武内桂舟(タケウチケイシウ)、梶田半古(カジタハンコ)の諸氏は挿画の沿革から云へば第二    期に属すべき人々で、久保田米僊(クボタベイセン)氏が国民新聞を画き始めたのも亦此の後期の時代であ    る〟    ☆ 明治十八年(1885)    ◯『【明治前期】戯作本書目』(山口武美著・日本書誌学大系10)   ◇開化滑稽風刺(明治十八年刊)    桂舟画『滑稽へその茶わかし』一号一冊 桂舟画 旭亭笑眉他著 仁閤堂     ◯『こしかたの記』(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)   ◇「口絵華やかなりし頃(一)」p182   〝 明治初年の挿絵は、前の時代からそれを専門の職にしていた芳年一派が、ほとんど独占の形になって    いたのだが、新しい時世につれて読物も追々変ってくると、その挿絵もまた新風を求めるようになるの    は自然の進化で、既成の型に縛られていないものが次第に頭を擡げて来た。若い日の武内桂舟はその中    でも先ず第一に指を折る人であった。私のいつも云うことであるが、明治の挿絵の根蔕には容斎がある。    もっと端的に云えばその著「前賢故実」があると云った方がよかろう。一流の挿絵画家で、直接あるい    は間接にその影響を受けていないものは一人もなかったとまで云えるのである。先輩がそうなのだから    二流三流の末輩がこれに倣うのはあたりまえなのであった。     桂舟の場合には、容斎よりもむしろ楓湖を手本にしたのではないかと思われる。楓湖は水戸藩の出で、    維新には勤王の大義を唱え、白い袴に朱鞘の太刀を横たえた志士であった。宮内省出版の「女鑑」「幼    学綱要」に挿絵を画いてから、「風俗画報」「都の花」にも筆を執った。この人の挿絵にはなかなか格    調の高いものがあって白描の佳品に通う味がある〟  ◯『【一読三歎】当世書生気質』春のやおぼろ(坪内逍遥)著 晩青社     6月刊 第 1号 挿絵 署名「梅蝶楼国峯画」        第 2号 挿絵 署名「梅蝶国峯画」    7月刊 第 3号 挿絵 署名「国峯画」        第 4号 挿絵 署名「葛飾筆」    8月刊 第 5号 挿絵 署名「長」〈長原止水〉      ? 第 6号 挿絵 署名「多気桂舟画」    9月刊 第 7号 挿絵 署名「桂舟画」        第 8号 挿絵 署名「」   10月刊 第 9号 口絵 署名「梅蝶楼国峰画」挿絵「桂舟画」        第10号 挿絵 署名「多気桂舟画」        第11号 挿絵 署名「桂舟画」        第12号 挿絵 署名「多気桂舟画」   11月刊 第13号 挿絵 署名「多気桂舟画」   12月刊 第14号 挿絵 署名「多気桂舟画」      ? 第15号 挿絵 署名「多気桂舟画」   〈「多気」のよみは「たけ」明治22年刊『新著百種』3号「風雅娘」の挿絵に「たけ桂舟」とあり〉  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」明治十八年刊(国立国会図書館)    武内桂舟画『擬紫西洋天一坊』口絵・挿絵 多気桂舟 早川智静 真盛堂(10月)  ☆ 明治十九年(1886)  ◯『【一読三歎】当世書生気質』春のやおぼろ(坪内逍遥)著 晩青社     1月刊 第16号 挿絵 署名「桂舟画」        第17号 挿絵 署名「桂舟画〈大尾〉  ☆ 明治二十年(1887)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治年二十年刊)    武内桂舟画『才子佳人流離奇談』口絵・挿絵 多気桂舟 熊谷確資 栄泉堂(1月)  ☆ 明治二十二年(1889)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十二年刊)    桂舟画『初時雨』挿絵 桂舟 紅葉山人 昌盛堂(12月)(「小説群芳」第1)    ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十二年刊)    桂舟画『いさ子』ウード女史 挿絵 桂舟 阪上半七(1巻 10月)③  ◯『都の花』2-8 金港堂(2月)(本HP「挿絵年表(明治 雑誌・シリーズ)」明治22年参照)   〝此等小説の為め挿画を引受尽力せられし絵かきの隊長連は左の通り。亦た以て此等絵ばかりを諸君が御    覧になるも我国絵画美術の一端を知らることあるべし     惺々暁斎  鮮斎永濯 渡辺省亭 松本楓湖 河辺御楯 鈴木華邨 月岡芳年     五姓田芳柳 松岡緑芽 尾形月耕 武内桂舟 後藤魚洲 小林清親〟  ☆ 明治二十三年(1890)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十三年刊)    桂舟画    『紅葉叢書』1「南無阿弥陀仏」挿絵 桂舟 紅葉山人 駸々堂(1月)(年四回発行)    『紅鹿子』          挿絵 桂舟 尾崎紅葉 春陽堂(10月)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十三年刊)    桂舟画『いさ子』ウード女史 挿絵 桂舟 阪上半七(巻2-3 1・6月)  ☆ 明治二十四年(1891)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十四年刊)    桂舟画    『花のいろいろ』 挿絵 勝月 桂舟・◎湖 江見水蔭  金港堂(10月)〈書誌より。画像なし〉    『相思画譜』   挿絵 楓湖 勝月 桂舟 武田仰天子 金港堂(10月)    『伽羅枕』    口絵 桂舟 素岳    紅葉山人  春陽堂(10月)    『絵姿』上下   口絵・挿絵・表紙 桂舟 山口重次  中央新聞社(10月)    『藤花繋春日錦瀾』挿絵 桂舟 楓湖 永興 蜃気楼主人 金港堂(11月)    『無花果草紙』  挿絵 鮮斎 良信 華邨 桂舟 芳年・表紙 未詳 如電居士 金港堂(11月)    『後の月かげ』  口絵のみ  桂舟 永洗 和田篤太郎 春陽堂(12月)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治年刊)     桂舟画    『ちくさ』「野末の菊」挿絵 鮮斎永濯  桂舟    嵯峨の屋主人   金港堂(10月)    『花守』       挿絵 楓湖 芳年 永洗 勝月 桂舟 江見水蔭  金港堂(10月)    『政党美談淑女の操』 挿絵 鮮斎永濯  省亭 桂舟 依田学海     金港堂(11月)    『残憾写真俤』    挿絵 勝月 桂舟 永濯・表紙 未詳 立花かをる 金港堂(11月)    『三都の花』     挿絵 華邨? 多気桂舟 省亭 武田仰天子    金港堂(12月)    『竹間善文』     挿絵 花陵御楯 桂舟 勝月 米仙 依田学海   金港堂(12月)    『閨秀六家撰』「孝子の一心」挿絵 桂舟 椰園女史  金港堂(12月)      ☆ 明治二十五年(1892)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十五年刊)    桂舟画    『いちご姫』挿絵 桂舟・永濯・楓湖・勝月・米僊・緑芽 美妙斎主人 金港堂(2月)    『二人女』 口絵のみ 桂舟    尾崎紅葉    春陽堂(2月)    『木枯』  口絵 桂舟      市川新蔵    春陽堂(5月)②〈2ページ大の折込口絵〉    『綾にしき』挿絵   楓湖 桂舟 江見水蔭等   金港堂(8月)    『蔦紅葉』 口絵・表紙 桂舟   眉山人     春陽堂(11月)〈2ページ大の折込口絵〉    〈初出は同年の読売新聞。画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による〉    『萩桔梗』 口絵のみ 桂舟    漣山人 眉山人 春陽堂(12月)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十五年刊)    桂舟画    『紙きぬた』口絵・挿絵 桂舟   尾崎紅葉 春陽堂(5月)    『花相撲』「錦の袈裟」扉絵 桂舟 天彦子  春陽堂(10月)    『鬼奴』  口絵・表紙 桂舟 ちぬの浦浪六 春陽堂(10月)〈2ページ大色摺折込口絵〉    『三人妻』 口絵のみ  桂舟   こうゑふ 春陽堂(上下 12月)〈初出は同年の読売新聞。2ページ大の折込口絵〉  ☆ 明治二十六年(1893)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十六年刊)    桂舟画    『谷中の恋塚』  口絵のみ  桂舟 旭松山人  磊磊堂(5月)〈2ページ大色摺折込口絵〉    『錦の舞衣』   口絵・表紙 桂舟 三遊亭円朝 春陽堂(5月)〈2ページ大の折込口絵〉    『大久保彦左衛門』口絵のみ  桂舟 桜痴居士  博文館(10月)〈2ページ大の折込口絵〉  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十六年刊)    桂舟画    『恋の病』 口絵・表紙 桂舟 紅葉山人   春陽堂(5月)〈2ページ大の折込口絵〉     〈画工名は明治31年刊『金色夜叉』前編の巻末広告による〉    『隣の女』 口絵のみ  桂舟 紅葉山人   春陽堂(6月)〈2ページ大の折込口絵〉    『夜嵐』  口絵・表紙 桂舟 ちぬの浦浪六 春陽堂(7月)〈2ページ大の折込口絵〉    『こぼれ萩』口絵のみ  桂舟 赤村花痩   春陽堂(10月)〈2ページ大の折込口絵〉    『二枚袷』 口絵・表紙 桂舟 眉山人    春陽堂(10月)〈2ページ大の折込口絵〉    『桜痴新編』口絵のみ  桂舟 桜痴居士   春陽堂(11月)〈2ページ大の折込口絵〉    『浪六漫筆』口絵のみ  桂舟 ちぬの浦浪六 春陽堂(11月)〈2ページ大の折込口絵〉  ☆ 明治二十七年(1894)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十七年刊)    桂舟画    『山中源左衛門』口絵・表紙 桂舟   渋柿園主人 春陽堂(1月)〈2ページ大折込口絵〉    『幼年立志編』 挿絵 秀湖 桂舟 華仙 藻斎永洗 洗耳 丹陵 花舟 坂下亀太郎 博文館(2月)    『深見笠』   口絵のみ  桂舟   ちぬの浪六 春陽堂(2月)    『明治節用大全』「伝家宝典」     坪谷善四郎 博文館(4月)            口絵 寺崎広業・富岡永洗・武内桂舟・蕉窓    『見切物』   口絵のみ  桂舟   緑雨    春陽堂(8月)    〈画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による〉    『日蓮記』   口絵のみ  武内桂舟 桜痴居士  博文館  (9月)〈2ページ大折込口絵〉    〈画工名は明治28年刊『珍本全集』上の巻末広告による〉  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十七年刊)    桂舟画    『柴車』  口絵・表紙 桂舟 眉山人  春陽堂(2月)    『隣の女』 口絵のみ  桂舟 紅葉山人 春陽堂(6月)〈2ページ大折込口絵〉    〈画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による。初出は明治26年の読売新聞〉    『蓮の露』 口絵のみ  桂舟 忍月居士 春陽堂(6月)〈2ページ大折込口絵〉    〈画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による〉  ☆ 明治二十八年(1895)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十八年刊)    桂舟画    『世継の歌』口絵のみ  桂舟   物集高見 国学院(1月)    『水車』  口絵・表紙 武内桂舟 江見水蔭 春陽堂(8月)    『鬼一口』 口絵・表紙 桂舟   三昧居士 春陽堂(9月)〈2ページ大折込口絵〉    〈以上『水車』と『鬼一口』の画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による〉  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十八年刊)    桂舟画『惨風悲雨世路日記』口絵のみ 桂舟 佐藤菊亭 偉業館(11月)〈2ページ大折込口絵〉  ☆ 明治二十九年(1896)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十九年刊)    桂舟画『四谷怪談』口絵のみ 桂舟 春錦亭柳桜 一二三館(2月)〈2ページ大折込口絵〉  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十九年刊)    桂舟画    『浮木丸』 口絵・表紙 桂舟    紅葉   春陽堂(9月)〈2ページ大色摺折込口絵。初出は同29年読売新聞〉    『籠まくら』口絵 桂舟       紅葉散人 春陽堂(9月)〈2ページ大色摺口絵〉    『網代木』 口絵・挿絵・表紙 桂舟 眉山人  春陽堂(12月)〈2ページ大色摺口絵〉  ☆ 明治二十年代(1887~)    ◯『こしかたの記』(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)   ◇「横寺町の先生」p169   〝 小説家と挿絵画家の関係を、私は嘗て太夫と三味線弾きに譬えて見た。連載する場合によくそう思っ    たものである。私の知るところでは、紅葉と桂舟ほど息の合う例は、ちょっと類がなかったと云っても    よい〟     ◇「口絵華やかなりし頃(一)」p185   〝「都の花」(明治二十一年創刊)の挿絵には、楓湖、華邨、省亭、永濯、芳年、桂舟、永洗、勝月な    どが見える。桂舟、永洗の名を見出すのもその頃からで、華邨、年方は割に夙く世に出ているので、既    に確(シツカ)りした挿絵を作っているのに比して、桂舟のものには試作時代の初々しさがそのまま窺える。    盛時には世間から挿画家の筆頭に推されると見られて来たのは、桂舟その人の努力にあるのは勿論とし    ても、他の儕輩はあらかた伝統の画法を師伝で学んだ経歴を有っているが、桂舟にはそれがあまり認め    られない。幼にして狩野派に、若年で薩摩焼の陶画も画いたというが、型に嵌まり易い訓練のなかった    のが、この人の新鮮味を助けたと云えるようである〟     ◇「口絵華やかなりし頃(一)」p189   〝 武内桂舟は前にもしばしば述べたように、明治の新興挿絵の旗手と目される地位に在ったから、口絵    にも挿絵にも多数の作を遺している。今思い当る佳品として、紅葉の「隣の女」「浮木丸」、「文芸倶    楽部」創刊号の眉山作「大さかづき」を挙げる。「浮木丸」にはほとんど画面一杯の山賊を「大さかづ    き」では一升入の酒樽を枕に眠る裸の青年を画いたのが他人(ヒト)の意表に出て好評を博した。私見に過    ぎないが、この作家は口絵より挿絵の方に多く興味を注いだのではなからろうか。ごく初期にあって    「小文学」の挿絵などに見る精緻を極めたものに始まって、二十七、八年頃博文館ものの「少年文学」    「少年世界」に示した童話小説の挿絵を見ていると比喩に少し飛躍の気味はあるが、波斯(ペルシヤ)、印    度の小品画に感じるあの赫燿(カガヤキ)を私には聯想されるのであった。「少年文学」は二十四年に小波    の「こがね丸」から始まって十二冊に及び続いたもので、四六判和綴の表紙口絵に美しい木版画を用い、    全巻多数の挿絵を収めたのもある。桂舟は「こがね丸」、紅葉の「二人むく助」、眉山の「宝の山」、    水蔭の「今弁慶」にいずれ劣らぬ精力を尽している。「少年世界」には小波の創始した少年読物に独特    の挿絵で協力しているのだが、この読物の場合では、挿絵と称するより、小波、桂舟の合作と見るのが    むしろ適していたのである。     紅葉と結んで出ただけにその多趣味な嗜好にも通ずるものがあったようで、中でも嵯峨人形作りは当    時有名であった。私も一度それを所望したのを長く憶えていられて、清方君との約束がなかなか果たさ    れぬと他に洩らされたのを聞いたこともある。硯友社同人の中では独り長寿を保たれたが、嘗つて、金    鈴社の展覧会が、浜町の日本橋倶楽部にあった時、観覧者のなかにたまたま先生を見出した。別室に案    内して茶菓をすすめなどしているうちに、その時の私の出品「雨月物語」の一図に、駄馬の嘶(イナナク)    くところを画いたのに就いて、細々(コマゴマ)と教示されるところがあった。先生は動物を画くに長じ、    分けても馬は最も得意だったのである。先生の逝去されたのは、昭和十八年一月三日で、享年かぞえど    しで八十三になる。この、没年まぢかな時であった、太平洋戦に入ってからと覚えるが、里見弴さんが、    何かの席で先生と一緒になり、連れ立ってそこを出たのは、大分時間も遅くなっていたが、「自分の家    はじきそこだから寄ってゆくように」と強(タ)って誘われるままに、靖国神社うらの武内邸へ同行した    が、老体の疲れを気遣って、早く辞去しようとしてもなかなかその隙を与えなかったと、その頃里見さ    んに聴いたことがある。     中野区昭和通、真宗、正見寺にある墓碑に、本間久雄氏の撰文があって、それに依って、文久元年十    月十一日、紀州藩士、武内半助の男として、江戸赤坂、紀州邸に生れ、狩野立信の養子になって敬信と    云ったが、後に生家の跡を継いで旧姓に復したことが判った。本名は銀平、戒名は硯精院釈桂舟居士と    ある。なお、桂舟は一時芳年に就き、年甫と云ったとの説もあるので記して置く〟  ☆ 明治三十年(1897)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十年刊)    桂舟画    『北条早雲』口絵 桂舟    渋柿    春陽堂(3月)    『大策士』 挿絵 桂舟    桜痴居士  春陽堂(6月)     〈画工名は明治32年刊『小萩集』の巻末広告による〉    『奥様』  口絵 桂舟    眉山人   博文館(6月)〈2ページ大折込口絵〉    『旅俳優』 口絵・表紙 桂舟 松蔭舎稽照 一心堂(12月)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十年刊)    桂舟画    『ふたごゝろ』口絵 桂舟     春の屋主人 春陽堂(3月)    『多情多恨』 挿絵 武内桂舟三葉 尾崎紅葉  春陽堂(7月)〈初出は明治29年読売新聞〉  ◯『くされ縁』巻末広告 駸々堂 大阪 明治三十年十月刊   (近代書誌・近代画像データベース)〈作品未見。口絵・挿絵・表紙の区別不明。作者名と書名のみあげる〉    武内桂舟画『南無阿弥陀仏』紅葉山人  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十一年刊)    桂舟画    『日の出島 住之江の巻』口絵 桂舟 村井弦斎 春陽堂(1月)〈見開き色摺口絵〉    〈画工名は明治32年刊『小萩集』の巻末広告による〉    『金色夜叉』口絵 桂舟 紅葉 春陽堂(前編 7月)〈2ページ大色摺折込口絵〉   (〝石版が口絵に使われた初期に「金色夜叉」前編の桂舟筆、熱海の海岸の画があるが三十一年出版のこの本の口絵は(云々)〟)   〈『こしかたの記』鏑木清方著「口絵華やななりし頃(一)」清方は石版とし③は木版多色とする〉    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕   「明治少年双六」「武内桂舟画」巖谷小波案 博文館 明治31年1月  ⑤⑩  ◯「月岡芳年翁之碑」明治三十一年五月 芳年七回忌 向島百花園に建立   〝芳年門人 武内桂舟(現存)〟  ☆ 明治三十二年(1899)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十二年刊)    桂舟画    『鬘下地』 口絵・表紙 桂舟    小栗風葉 春陽堂(9月)〈2ページ大色摺折込口絵〉    『花鳥集』 口絵 雅邦・扉絵 桂舟 乙羽   博文館(5月)    『魔法医者』口絵・表紙 桂舟    南陽外史 文武堂(10月)〈2ページ大色摺折込口絵〉  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十二年刊)    桂舟画    『ふところ子』「きみ子」挿絵 桂舟 眉山人  春陽堂(1月)    『中山大納言』     口絵 桂舟 松林伯円 文武堂(12月)〈2ページ大折込口絵〉  ◯『東京専門書画大家一覧表』番付 東京(市橋安吉編集・出版 明治三十二年六月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝南北画大家 武内桂舟 糀丁区四番丁ノ一〟  ☆ 明治三十三年(1900)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十三年刊)    桂舟画『金色夜叉』口絵のみ 桂舟 紅葉 春陽堂(後編 1月)〈2ページ大色摺折込口絵〉    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕   「日本お伽双六」「桂舟」小波案 大橋新太郎 明治33月1月  ⑦  ☆ 明治三十四年(1901)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十四年刊)    桂舟画    『元禄時勢粧』口絵「桂舟補 葦舟画」笹川臨風 博文館(5月)〈2ページ大折込口絵〉    『己が罪』  口絵・表紙 桂舟   菊池幽芳 春陽堂(後編 7月)〈2ページ大色摺口絵〉    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕   「支那戦争双六」「武内桂舟画」版元未詳 明治34年1月  ⑦  ☆ 明治三十五年(1902)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十五年刊)    桂舟画    『肱まくら』口絵 桂舟 玉桂女史 山中古洞 沖舟 小杉天外 春陽堂(7月)〈2ページ大折込口絵〉    『霜くづれ』口絵 桂舟 沖舟 暁舟 古洞     魯庵   春陽堂(7月)〈2ページ大折込口絵〉  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十五年刊)    桂舟画『めぐる泡』口絵 桂舟 後藤宙外 春陽堂(5月)〈2ページ大色摺口絵〉    〈画工名は明治40年刊『深川染』後編末広告による〉  ☆ 明治三十六年(1903)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十六年刊)    桂舟画『芝肴』口絵・表紙 桂舟 紅葉山人 エツクス倶楽部(1月)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十六年刊)    桂舟画『草もみぢ』口絵 清方 桂舟 半古他 尾崎紅葉 富山房(11月)〈紅葉遺文集〉    ◯『明治東京逸聞史』②p124「紅葉の遺文」明治三十六年(1903)(森銑三著・昭和44年(1969)刊)      〝紅葉の遺文 〈草もみぢ(尾崎紅葉著)〉     今年十月三十日に、尾崎紅葉が歿し、ついてその小品を集めた「草もみぢ」一冊が、遺著として刊行    せられた。その中に「洒落図解心の心」という、山東京伝でも書きそうな戯文がある。武内桂舟の画に    短文を添えたので、第一図から第十図まである。(以下、第八図「大きくなる」の本文あり。略)〟    〈尾崎紅葉の没年は明治三十六年(1903)〉    ◯『古今書画名家全伝』続編(川瀬鴎西 東雲堂 明治三十六年十月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)59/149コマ   〝武内桂舟 通称銀平、和歌山藩士武内藤介の二子、文久元年江戸藩邸に生る、初め狩野永悳に養はれ画    を学ぶ、研鑽数年遂に一家を成す、門人に秀才多し、曽て薩摩焼の陶器画に従事し新機軸を出せりとい    ふ〟  ☆ 明治三十七年(1904)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十七年刊)    武内桂舟画    『写真画報』博文館(『日露戦争実記』の定期増刊号・毎月一回)〈画工名は目次から〉     第1巻 石版口絵 渡部審也・表紙 武内桂舟(4月)〈2ページ大色摺折込口絵〉   第2巻 時局画譜 武内桂舟 山中古洞 渡部審也 木村光太郎 中沢弘光 福原霞外 小峰大羽(5月)     第3巻〈未見〉      第4巻 石版口絵 武内桂舟・表紙 未詳  (7月)〈2ページ大色摺折込口絵〉  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十七年刊)    桂舟画『日本男児』挿絵・表紙 武内桂舟 弦外 金桜堂(6月)(戦事小説)    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕   「支那戦争双六」「武内桂舟画」版元未詳 明治34年1月  ⑦  ☆ 明治三十九年(1906)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十九年刊)    桂舟画『ゑはがき帖』口絵・表紙 武内桂舟 小林蹴月 宝永館書店(3月)  ☆ 明治四十年(1907)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治四十年刊)    桂舟画『寒潮暖潮』口絵・表紙 武内桂舟 春陽堂 江見水蔭(10月)〈2ページ大色摺折込口絵〉  ☆ 明治四十一年(1908)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治四十一年刊)    桂舟画    『華籠』  口絵・表紙 桂舟 長谷川濤涯 宮本武林堂(2月)    『乳人政岡』口絵    桂舟 碧瑠璃園  梁江堂  (前編 7月)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十一年刊)    桂舟画『熱血』挿絵 桂舟 田家松軒 皆兵舎(10月)  ◯『日本書画名覧』番付 東京(樋口傳編集 書画骨董雑誌社出版 明治四十一年三月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)    〈「古人浮世絵各派」以外は主な画家のみ収録。都県名は省略〉   〝近代国画各派名家   (一段目)竹内栖鳳 川端玉泉 渡辺省亭 鈴木華邨 梶田半古 松本楓湖 尾形月耕   (二段目)荒木寛畝 鈴木松年 佐竹永湖    (三段目)熊谷直彦 今尾景年 野村文挙 三島蕉窓 竹(ママ)内桂舟   (四段目)寺崎広業 望月玉泉 村瀬玉田 荒井寛方   (五~十段目)鏑木清方 阪巻耕漁 竹田敬方 歌川若菜〟   (欄外)〝水野年方 高橋玉淵〟  ☆ 明治四十二年(1909)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治四十二年刊)    桂舟画『乳人政岡』口絵のみ 桂舟 碧瑠璃園 梁江堂(1月)後編〈刊年月は再版(明治43年刊)の書誌による〉  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十二年刊)    桂舟画『お伽テーブル』口絵 桂舟・挿絵 古崖 永年 非水他 木村小舟編 博文館(4月)  ☆ 明治四十四年(1911)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治四十四年刊)    桂舟画『名人譚』口絵 桂舟 田辺南龍他 博文館(2月)〈2ページ大色摺折込口絵〉  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十四年刊)    桂舟画『幼年絵話百番』「次郞の巻」挿絵 桂舟 竹貫佳水 博文館(8月)  ◯『現代全国画家録』(平田三兎編 丹青書房 明治四十四年四月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝梅 竹内桂舟  東京 浮世派 風俗〟   〝潤筆価格標準(価格 原文は漢数字)     類別   区分 価格    区分 価格     梅之部  精  20円以上 疎  10円以上    右潤筆価格ハ絹本尺五(幅壹尺五寸/丈四尺)ヲ度トシ精疎二様ノ概価ヲ表示シタ    ルモノニシテ、額面屏風其他極彩色ノ密画ハ此ノ限リニアラズ〟    〈本HP「浮世絵事典」【う】「浮世絵師人名録 明治編」参照〉  ☆ 大正三年(1914)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正三年刊)    桂舟画『大正七変人』口絵 桂舟・装幀 非水 江見水蔭 九十九書房(7月)〈2ページ大折込口絵〉  ☆ 大正四年(1915)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正四年刊)    桂舟画    『気のきいた唄』口絵 桂舟 清方・表紙 素明 中川愛氷 山陽堂(5月)    『鉄道旅行案内』口絵・表紙 桂舟       鉄道院編 鉄道院(6月)  ☆ 大正五年(1916)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正五年刊)    桂舟画『心と心』口絵 桂舟・装幀「甫」徳田秋声 朝野書店(1月)〈2ページ大折込口絵〉  ◯『浮世絵』第十五号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正五年(1916)八月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「大蘇社中順序録(月岡芳年門人)」(雅名の下に記入せる姓氏は本誌編輯者の追加せるものなり)   〝年甫 竹内氏(桂舟)〟  ☆ 大正六年(1917)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(大正六年刊)    桂舟画『母の血』口絵 桂舟・表紙 未詳 秋声 成光館(2月)〈3版。初版未見〉  ◯『日本絵画名家詳伝』下(竹内楓橋著 春潮書院 大正六年(1917)二月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝武内桂舟    鋠(ママ)平 旧和歌山藩士武内藤介の第二子なり 文久元年江戸の紀州邸に生る 幼より画を好み 夙に    其の天稟を発す 年少にして狩野永悳に養はれ 其の家の画風を学修す 後ち兄の早く没するに遇ひ     帰つて家を継ぐ 絵画を研鑽すること益々精苦 遂に能く一家を成す 亦夙に浮世絵派を修め 風俗画    を能くす 現に東京市麹町区四番町に住す〟  ☆ 大正七年(1918)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正七年刊)    桂舟画『怒濤の月』口絵のみ 武内桂舟 小林蹴月 樋口隆文館(前後終編 3月)  ☆ 大正十二年(1923)    ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)   〝桂舟 芳年門人、竹内氏、初名年甫、明治〟  ☆ 大正十四年(1925)  ◯「集古会」第百四十九回 大正十四年一月(『集古』乙丑第二号 大正14年2月刊)   〝武田信賢(出品者)桂舟画 癸丑 牛色紙 一葉〟  ☆ 昭和以降(1926~)  ◯「集古会」第二百四回 昭和十一年一月(『集古』丙子第二号 昭和11年3月刊)   〝中沢澄男(出品者)竹内桂舟画 美人に鼠灯台の図 一枚 雑誌口絵〟    ☆ 没後資料    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p88(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝竹内銀平、紀州藩士竹内藤介の次男。初め狩野永悳に学び、のち松本楓湖の門に入り、また月岡芳年よ    りも学んだ。明治二、三十年代の新聞雑誌の挿絵を描き、尾崎紅葉と深く相許し硯友社の同人であつた。    薩摩焼の陶器画にも新機軸を出した。長く九段に住し、晩年は肉筆画を描いた。文久三年生れ、昭和十    八年、八十才で没した〟  ◯『こしかたの記』(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)   「口絵華やかなりし頃(一)」p189(武内桂舟記事)   〝 中野区昭和通、真宗、正見寺にある墓碑に、本間久雄氏の撰文があって、それに依って、文久元年十    月十一日、紀州藩士、武内半助の男として、江戸赤坂、紀州邸に生れ、狩野立信の養子になって敬信と    云ったが、後に生家の跡を継いで旧姓に復したことが判った。本名は銀平、戒名は硯精院釈桂舟居士と    ある。なお、桂舟は一時芳年に就き、年甫と云ったとの説もあるので記して置く〟