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☆ かそん すずき 鈴木 華邨浮世絵師名一覧
〔万延1年(1860)~大正8年(1919)1月3日没・60歳〕
 ☆ 明治十年(1877)  ◯ 内国勧業博覧会(明治10年(1877)8月21日~11月30日・於上野公園)   ◇『明治十年内国勧業博覧会出品目録』1 内国勧業博覧会事務局   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝第二区(製造物)第五類(造家並ニ居家需用ノ什器)     箪笥 古代錦模様 着図 木挽町 鈴木華村 蒔絵 本所北番場町 鈴木古巌 金物 神津喜平次     花瓶 銅鉛七宝蒔絵唐草図 着図 鈴木華村 銅工 竹川町 鈴木長吉 蒔絵 岩崎巳之助    (出品者)木挽町 起立工商会社   ◇『明治十年内国勧業博覧会審査評語』(2)内国勧業博覧会事務局 明治十年刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝第三区 第二類 美術 東京府     花紋 金髹図案 内山下町二丁目 起立工商会社出品工人 鈴木華村     紋様ヲ描ク最モ巧ミナリ。諸器ノ製形亦稍完整ニシテ絹本ノ画額モ取ル可キアリ。年少能ク此ノ如シ。     勉励ノ効ヲ観ルニ足ル〟    〈第一回内国勧業博覧会 八月、上野公園において開催。起立工商会社は日本の美術工芸品を製造して輸出する半官半民の     貿易会社。明治七年の設立、社長松尾儀助・副社長若井兼三郎。華村はこの会社で漆器の図案を担当していたのである。     なお、この時同門(菊池容斎門)の渡辺省亭も、起立工商会社出品工人として同じく金髹図案で花紋賞牌を受賞している〉  ☆ 明治十四年(1881)第二回 内国勧業博覧会(明治14年3月1日~6月30日・於上野公園)  ◯『第二回 内国勧業博覧会報告書 第1-4区』農商務省博覧会掛 明治十六年五月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   (「第三区 美術 第三類 各種書画」の報告。鈴木華村 褒状の評)   〝蕉葉群鶏図ハ鈴木花(ママ)村画ナリ。群鶏雛ヲ将(ヒキ)ヒテ細雨ヲ碧蕉葉下ニ避遊スルノ図意新美ニシテ、    着色清妍ナリ。意匠ノ奇巧々ニ過ギ、些ノ洋画法ヲ帯ルガ如キヲ見ルモ、他ニ比スベキナキノ艶筆ナリ    ト雖ドモ、画致頗ル友禅染ノ想ヲ寓シ、美人ノ疾アルガ如ク薄弱ニシテ、卓犖ノ気魄ニ乏シク作家ノ域    キニ遠シ。尚ホ一層ノ精熟ヲ期スベシ。然レドモ器品ノ彩装ニ供シ、席上ノ玩覧トナルモノアラン。聞    ク処ニヨレバ、未ダ青年ナルカ故ニ小成ニ安ジ勉技驕怠ヲ生センコトヲ注意シ賞ノ褒状ニ止マル。審査    ノ婆心ニ出ルモノナランカ〟  ☆ 明治十五年(1882)  ◯『絵画出品目録』初版 農商務省編 国文社第一支店 明治十五年十月刊    (内国絵画共進会 明治十五年十月開催 於上野公園)   〝第五区(円山・四條派等)    東京府    鈴木宗太郎 円山派 号華邨 猿舞し・月ニ梟〟  ☆ 明治十六年(1883)  ◯『明治画家略伝』渡辺祥霞編 美術新報鴻盟社 明治十六年十一月版権免許   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝現今略伝 第五区 円山四條派ノ類    鈴木華邨 円山 人物 京橋区築地二丁目三番地         名ハ宗太郎 万延元年二月十七日生ル 画ヲ中嶌亨斎ニ学ブ          第一博覧会ニ花紋賞牌ヲ賜ヒ 第二博覧会褒状ヲ賜フ〟  ☆ 明治十七年(1884)  ◯ 第二回 内国絵画共進会 絵画出品目録(明治十七年四月開催 於上野公園)   (『近代日本アート・カタログ・コレクション』「内国絵画共進会」第三巻 ゆまに書房 2001年5月刊)   〝第七区(独立)    東京府    名鏡正之助 号月耕 人物・花鳥  小林清親  号清親 永禄以降婦人図・山水    三島雄之助 号蕉窓 人物・花鳥  鈴木宗太郎 号華邨 人物・花鳥〟  ◯ 第二回 内国絵画共進会(四月開催・於上野公園)   (『第二回内国絵画共進会/出品人略譜』農商務省博覧会掛編・国文社・五月刊)   ◯第七区(諸派)東京府   〝鈴木宗太郎 華村ト号ス。東京府京橋区築地二丁目ニ住ス。鈴木清二郎ノ男ニシテ、万延元年二月十七    日生ナリ。画ヲ中島亨斎ニ学ビ、明治八年米国博覧会事務局書画係傭ヲ勤メ、明治九年勧業寮編輯掛ヲ    務メ、後絵事ヲ専ラトシ、明治十年内国勧業博覧会ニ於テ花紋賞牌ヲ領受シ、同十四年第二回内国勧業    博覧会ニ於テ褒状ヲ領受ス〟  ☆ 明治十八年(1885)  ◯『現今日本画家人名録』赤志忠七 大阪 赤志忠雅堂 明治十八年三月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝円山派     東京 人物 渡辺省亭 良助    東京 人物 新井芳宗 周二郎     東京 人物 三島蕉窓 雄之助   東京 山水 柴田是真 順蔵     東京 人物 鈴木華邨 宗太郎〟    〈凡例によると、この人名録が収録するのは明治15年・同17年に開催された内国絵画共進会に出品した絵師〉  ◯『東京高名鑑』加藤新編 滝沢次郎吉出版 明治十八年十一月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝生田芳春 早川松山 橋本周延 長谷川雪光 長谷川周春 蜂須賀国明 梅素薫  豊原国周    大村一蜻 大竹国房 恩田幹延 尾形月耕  落合芳幾  渡辺省亭  河鍋暁斎 金木年景    竹内国政 月岡芳年 永島孟斎 村井房種  歌川芳藤  歌川国松  歌川国久 野坂年晴    松本楓湖 松本豊宣 松本芳延 小林清親  小林永濯  安藤広近  安藤広重 安達吟光    新井年雪 荒川国周 柴田是真 鳥居清満  守川国重  鈴木華邨〟  ☆ 明治十九年(1886)  ◯『東洋絵画共進会出品目録』滝川守朗編 今古堂 明治19年4月刊   (東洋絵画共進会 上野竹の台 4月1日~5月20日)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝第六区 無派    号 華村 無派 山水 鈴木宗太郎 京橋区築地            鶴  二十七年  二丁目三番地〟〈27歳〉  ◯『東洋絵画共進会論評』(清水市兵衛編・絵画堂刊・七月刊)   (東洋絵画共進会 明治十九年四月開催・於上野公園)    一等賞 鈴木華邨   〝鈴木華村は能筆なり。無宗派とあれど容斎の家風は免れざるものと存ず。風雨野景前村茅屋の傍はら、    雲霧濛暗の中に隠然山の如きものあり。山とも見へず、先づ◎樹成山とも云ふべきものなり。去れど屋    宇に比すれば甚だ高か過ぎる様なり〟  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『明治廿一年美術展覧会出品目録』1-5号 松井忠兵衛・志村政則編 明治21年4~6月刊   (日本美術協会美術展覧会 上野公園列品館 4月10日~5月31日)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   「新製品 第五号」   〝鈴木華村 桜花双猿図 一幀〟  ☆ 明治二十二年(1889)    ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十二年刊)    華邨画『お八重』挿絵 芳年 華邨 忍月居士 金港堂(4月)  ◯『都の花』2-8 金港堂(2月)(本HP「挿絵年表(明治 雑誌・シリーズ)」明治22年参照)   〝此等小説の為め挿画を引受尽力せられし絵かきの隊長連は左の通り。亦た以て此等絵ばかりを諸君が御    覧になるも我国絵画美術の一端を知らることあるべし     惺々暁斎  鮮斎永濯 渡辺省亭 松本楓湖 河辺御楯 鈴木華邨 月岡芳年     五姓田芳柳 松岡緑芽 尾形月耕 武内桂舟 後藤魚洲 小林清親〟  ◯『東京大画家派分一覧表』東京 児玉友三郎編輯・出版 明治二十二年十二月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝容斎派     松本楓湖 浅艸栄久丁  三島蕉窓 北新堀丁  鈴木華村 築ヂ一丁メ     渡辺省亭 ヤケンボリ〟  ☆ 明治二十四年(1891)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十四年刊)    華邨画    『無花果草紙』挿絵 鮮斎 良信 華邨 桂舟 芳年・表紙 未詳 如電居士 金港堂(11月)    『三都の花』 挿絵 華邨? 多気桂舟 省亭 武田仰天子 金港堂(12月)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(国文学研究資料館・明治二十四年刊)    華邨画    『藤の一本』挿絵 華邨・省亭・楓湖・永濯 藤本藤陰 金港堂(11月)  ◯『古今博識一覧』番付 大坂 樋口正三朗編集・出版 明治二十四年六月   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝方今現存画人円山派人名一覧     円山派       東京 渡辺省亭 新井芳宗 三島蕉窓 柴田是真 鈴木華邨〟  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯ 第五回 日本絵画協会展(明治三十一年十月開催 谷中初音町日本美術院)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    鈴木華邨 棕櫚に小禽 二等褒状  ☆ 明治三十二年(1899)  ◯ 第七回 日本絵画協会展(明治三十二年三月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    鈴木華邨 月下野牛   ◯『東京専門書画大家一覧表』番付 東京 市橋安吉編集・出版 明治三十二年六月刊    (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝画家 鈴木華村 京橋木挽丁九ノ廿三〟  ☆ 明治三十三年(1900)  ◯ 第九回 絵画共進会日本美術院展覧会(明治三十三年十-十一月開催)   (『第九回絵画共進会日本美術院展覧会/出品目録』高木源四郎編・日本美術院・十一月刊)    鈴木華邨 水村夜景 35,00 ・秋景山水 40,00    〈数字は「売値」35,00は35円〉  ☆ 明治四十一年(1908)  ◯『日本書画名覧』番付 東京 樋口傳編集 書画骨董雑誌社出版 明治四十一年三月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)    〈「古人浮世絵各派」以外は主な画家のみ収録。都県名は省略〉   〝近代国画各派名家   (一段目)竹内栖鳳 川端玉泉 渡辺省亭 鈴木華邨 梶田半古 松本楓湖 尾形月耕   (二段目)荒木寛畝 鈴木松年 佐竹永湖    (三段目)熊谷直彦 今尾景年 野村文挙 三島蕉窓 竹(ママ)内桂舟   (四段目)寺崎広業 望月玉泉 村瀬玉田 荒井寛方   (五~十段目)鏑木清方 阪巻耕漁 竹田敬方 歌川若菜〟   (欄外)〝水野年方 高橋玉淵〟  ☆ 大正二年(1913)  ◯『大日本絵画著名大見立』番付 名古屋 仙田半助編集・出版 大正二年十一月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   (張出)   〝関脇 鈴木華邨 東京旅籠町一ノ一九〟  ☆ 昭和以降(1926~)    ◯『明治百話』「明治のいろ/\話」上p235(篠田鉱造著・原本昭和六年刊・底本1996年〔岩波文庫本〕)   〝 待合オタコに絵具皿     (上略)     三浦屋の女将(オカミ)片桐さくさんが、モトはお女郎でしたが、大阪の呉服屋さんの世話となって、芸    妓屋(ゲイシャヤ)を新橋に開き、三浦屋と名乗って出ましたが、芝琴平町の煙草屋の囮娘(オトリムスメ)を貰い、    養女としたのが大当たりで、養女として日清戦争から思付き『勝利』と名乗らして、芸妓に仕立てたの    が、今の六代目菊五郎の妻女とあった仕合者(シアワセモノ)です。ソノ頃源太という、小造りの色の黒い妓    (コ)があって、絵師連中から可愛がられていましたが、どうなりましたか、華村、永陵、広業その他の    連中が、大騒ぎをしていたものでした。三浦屋も絵師連の贔屓を受けていて、おさくさんが築地へ『オ    タコ』という待合を出したころには、絵具皿がチャンと揃っていて、酔画伯をつかまいては「サア描い    て頂戴イ」といって、金屏風を持出す。白羽二重の帯を持出す騒ぎでした。酔うと興に乗じて、描いた    ものの中に、傑作が残っていました。広業さんの絵は大したものになっていたでしょう。     (中略)     永濯一門は申すまでもない。永洗洗耳といった連中で、都新聞の挿画画家でした。永濯画伯はことに    絵馬の妙手で、堀の内に『加藤清正』と『日蓮虚空像』が献(アガ)っています。その門下の永洗君が洒    脱の人でした。市松模様が好きでした。この人は華村さんに道楽を仕込まれて、よく遊んだ人ですが、    芸妓は物を言わぬ妓(コ)という注文で、待合の女将(オカミ)もこれには閉口して、「唖の芸妓はありませ    んよ」とよく言っていました。芸妓に饒舌(シヤベ)られると、口が聞けない、世間話をしらないから、相    槌が打てない。世辞気のない、ムッツリの芸妓がいいという注文でした。性来酒を呑まない、シラフの    芸妓買い、コレには一番困るでしょう。鈴木華村君は道楽の大家で、梯子上戸ですから、ソレからソレ    と酔い廻る。飲み廻るんでなくって、酔い廻るという人でした。妻女は常磐津のお師匠さんで、先生の    酒には弱っていました〟    ◯『こしかたの記』p183(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)   「口絵華やかなりし頃(一)」   〝 鈴木華邨は容斎派から出て、挿絵の方でも古顔に属するが、私の知ったのは、二十二年の「新小説」    で、表紙のことは前にも記したが、須藤南翠の「朧月夜」に挿絵を見たのに始まる。華邨が世に出たの    も多分その時期と推される。しかしその画は相当の熟練を見せて少しも危(アブ)なげがなく、後に至っ    ても格別変化がなかったようである。江戸時代の挿絵には、画面に余白を残すことを避けた傾向があっ    て、草双紙などは、更に本文と一緒なので少しの空白も見られない。それかあらぬか華邨の画は他と較    べて画き詰める癖があった。殊に容斎派には筆先きを止めるのにチョット刎ね上げるふうがあるので、    時に繁縟(ハンジョク)感を覚えることもあった。だが一面そういう癖が画面に一風の調子を持たせて、華邨    画の滋味となっていたのを忘れてはならぬ。口絵の代表的なのを挙げると、単行本では紅葉の「不言不    語」、逍遙の「桐一葉」、鏡花の「照葉狂言」「錦帯記」、雑誌には柳浪の「黒蜥蜴」がある。「黒蜥    蜴」は柳浪の作中でも、「河内屋」「返目伝(ヘメデン)」「今戸心中」「雨」と共に愛読したものである    が、これもかなり深刻で陰惨な場面が多く、貧しい裏長屋と、松皮疱瘡で二た目と見られない醜婦が登    場するのを、華邨は丹念に描きながら、見た目にはいかにも美しく、醜いものが凡べて美化されている。    原作に従うのを挿絵画家の勤めだとすればこれは謬(アヤマ)ったことになるが、しばらくそれを問わなけ    れば、まことにみごとな口絵である。華邨に傑作を覓(モト)めれば、私はいつでもこれを推すに躊躇しな    い。「不言不語」では全く原作に忠実で、著者の指定か、画者の選択か知らぬが、口絵にした場景、仮    に私がこれに当るとしても、作中もっとも食指を動かさずにいられなかったろうと思われる。     鈴木華邨、本名惣次郎、万延元年二月江戸下谷に生れ、大正八年一月三日に歿した。中島亨斎の門人〟    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p86(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝華邨(かそん)    鈴木茂雄、通称惣太郎、別号を忍青といふ。江戸の人、中島享斎に学ぶ。明治中期に、風景画、歴史画    家として活動し、また新小説その他の雑誌の口絵を描く。万延元年生れ。大正八年、六十才で歿してい    る〟