※『黄表紙總覧』(棚橋正博著・日本書誌学大系48) 角書は省略
☆ 寛政十年(1798)
◯『黄表紙總覧』中編(寛政十年刊)※
可候画『化物和本草』署名「画工可候」「京伝戯作」山口屋板
◯「日本古典籍総合目録」(寛政十年刊)
◇黄表紙
可候画『化物和本草』京伝作〈この可候を葛飾北斎とする〉
☆ 享和三年(1803)
◯『黄表紙總覧』後編(享和三年刊)
可候画『和漢蘭雑話』署名「可候画」「曼亭鬼武作」山口屋板
☆ 天保五年(1834)
△『近世物之本江戸作者部類』p61(曲亭馬琴著・天保五年成立)
(「赤本作者部」「可候」)
〝文化中の臭草紙にこの作名見えたるが、久からずして身まかりしといふ。何人なるをしらず、没年月は
墓所一覧に見えたり、この作者編者と親しければ也、さらずば彼一覧に芝全交、唐来三和をすら漏せし
に独可候の載らるべくもあらずかし〟
〈この「可候」、文化中「久からずして見まかりし」とあれば、時太郎可候(北斎)でも一筆庵可候(英泉)でもない。
「墓所一覧」に歿年月が見えるとあるが、これは文化十五年刊の『江都名家墓所一覧』(岡田老樗軒編)のことか。
管見では見あたらない〉
△『戯作者撰集』p152(石塚豊芥子編・天保~弘化年間成立)
〝可候 画前北斎 白山人と号す〟
〈『戯作者撰集』を原本としている『戯作者小伝』にこの記述はない。また国文学研究資料館の「国書基本データーベ
ース」には「白山人可候」の作として、天明六年刊の草双紙『大仏左捻』が一点あがるのみである〉
〈前記『近世物之本江戸作者部類』の馬琴はこの可候を北斎の仮名だと全く考えていない。『戯作者撰集』の石塚豊芥子
は白山人可候を北斎と見ている。豊芥子は何に拠ったのであろうか〉
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p214(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝可候(コウ)北斎の戯作名、又画名〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
(可候名の作品)
作品数:1点
画号他:可候
分 野:黄表紙1
成立年:寛政10年
〈「時太郎可候」でもなく「白山人可候」でもなく「一筆庵可候」(渓斎英泉)でもない単なる「可候」作としてある
のはこの一点(山東京伝作『化物和本草』)のみである。また「国書基本DB」はこの可候を葛飾北斎としている〉