Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ かいげつどうは 懐月堂派浮世絵事典
 ◯『浮世絵』第四号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)九月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「懐月堂に就いて」第六高等学校教授 原栄(7/24コマ)   〝懐月堂一派の人々で明らかに懐月堂末葉と落款に記するものは、度秀・度繁・度辰・度種、及び長陽堂    安治で、この外懐月堂の流れを汲んだであらうと思はるゝ人は、空明堂信之・東川堂里風・梅祐軒勝信    ・梅翁軒永春・西川照信・松野親信などである〟  ◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇懐月堂派 上(21/110コマ)   〝系伝不明の懐月堂安度といふ画家がある。門人も数名あるが皆同じ様な画風で、紙中一ぱいに肥痩甚だ    しき描線で、美人一人立などをかいてある。飯島虚心氏はこれを額面画法といはれて居る。鳥居清信・    宮川長春・奥村政信等は、皆この懐月堂の感化を受けた人と思はれる〟   ◇懐月堂派 上(61/110コマ)   〝懐月堂の画法が、美人の立姿を紙中一パイに画いて、上下を明けず、衣紋の描線極めて太いのは、額面    画の画法と思はれる。随て当時販途需要の広大な絵馬類を業として、世々浅草に住し、観音堂や駒形堂    奉納の絵馬を売つた人ではあるまいか、『府内備考』には古くより浅草に絵馬屋があつて、梶原景時の    画いた割板の絵馬画を蔵せる由記してあるが、懐月堂は或はその絵馬屋ではあるないかというて居られ    る〟〈梶原の絵馬画の件は『府内備考』巻16浅草4「並木町」絵馬屋清七の記事。浅草には〉   ◇懐月堂派 上(62/110コマ)   〝始祖安度から以下、自ら末葉と名のる人々、及び私淑した人々が、多く一人立美人を画いたのであるが、    始祖安度の筆には、『浮世絵派画集』に載つて居る貴人治髪図、男女看書図の如き一人立の美人画でな    いものもあるし、髪髪の生際の線描きになつて居る辺から考へても、師宣よりは少し後れ、一蝶とは同    時代で鳥居清信、西川祐信等より少し先輩であつたと思ふ。彼の鳥居派一派の画法は、この懐月堂に負    ふところ多く、其の他宮川長春、羽川珍重、奥村政信等は皆懐月堂の影響感化を受けたものであらう。    懐月堂一派の人々で懐月堂末葉と落款に記すものは度秀・度繁・度辰・度種及び長陽堂安知である。い    づれも伝統は解らないが画風から推しても、正徳享保頃の人で、多分懐月堂の始祖安度の門人であるだ    らう。この外懐月堂の流を汲んだであらうと思はるゝ人は、空明堂信之、東川堂里風、梅祐軒勝信、梅    翁軒永春、西川照信、松野親信などである〟    〈『浮世絵派画集』とは、明治44年(1911)開催「徳川時代婦人風俗」展の目録〉    懐月堂-鳥居派系図(『浮世絵の諸派』上 所収)  △『増訂浮世絵』p61(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝懐月堂龍の人々    さて懐月堂流に属する人々は少くない。従つてその筆に成つた遊女の肉筆絵が可なり多く現存してゐる    ことは注意すべきである。此の流の始祖は誰であらうか、その遺作の落款には「懐月堂安度図之」とあ    り、又懐月堂末葉には、度繁、度秀、度種、度辰、安知などがあつて、安度とあるものゝみは、単に懐    月堂と書してゐることから推すと、安度が、此の派の開祖であつて、他の度繁以下はその門人だといふ    ことが分かる。絵の筆法から考へても、皆安度の風を追ふてゐながら、安度に比べると、描線にはだい    ぶ弱い点が見られる。    然し懐月堂流が衰へても、殆んど同様なる図様を屡繰りかへして、画いて居るのは注意すべきことであ    る。それ等の人々の内には、懐月堂を名乗らないものもある。例へば東川堂里風、拍笑軒松野親信、梅    祐軒勝信、空明堂信之、梅翁軒永春、西川照信、墨流軒、滝沢重信、書感堂等(後略)〟