※〔早稲田〕 :『早稲田大学所蔵合巻収覧稿』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」
〔書目年表〕:『改訂日本小説書目年表』)
☆ 享和元年(1801)
◯『洒落本大成』第二十二巻(享和元年刊)
葛飾北斎画『【仕懸幕莫】仇手本』署名「画狂人北斎筆」小金あつ丸作
口絵に「風雅でもしやれもなくせう事なしの山の手に画狂人北斎筆」
『【仇手本後編】通神蔵』署名「画狂人北斎筆」小金あつ丸作
〈解題は両本の享和元年の刊年について、確証がないとしている〉
☆ 享和元~二年(1801~02)
◯『一筆斎文調』(「早稲田大学演劇博物館所蔵 芝居絵図録1」1991年刊)
〈一筆斎文調の七回忌が六月十二日、柳橋の万八楼で行われた。その時の摺物に、当日席書に参加したと思われる絵師
たちの絵が添えられている。絵師は次の通り〉
「豊廣画・堤孫二筆・豊国画・春秀蝶・寿香亭目吉筆・画狂人北斎画・歌麿筆・雪旦・春英画」
〈この摺物には刊年がない。ただ北斎が「画狂人」を名乗っていることから、ある程度推定が可能のようで、『浮世絵
大事典』の項目「一筆斎文調」は「享和元年~二年(1801~02)頃のもの」としている。それに従った。なお摺物の
本文は本HPの「一筆斎文調」か「窪俊満」の項を参照のこと〉
☆ 文化二年(1805)
◯『洒落本大成』第二十三巻(文化二年刊)
画狂人画『野圃の玉子』増井山人作
☆ 文化五年(1808)
◯「合巻年表」(文化五年刊)
葛飾北斎画
『敵討身代利名号』表紙「葛飾北斎画」絵題簽「北斎画」曲亭馬琴作・鶴屋板〔早稲田〕
〈補注は「北斎が馬琴の合巻に挿画した唯一のもの」とする〉
『狂訓己が津衛』 画狂人北斎画 十返舎一九作〔書目年表〕
〈備考に「表紙は貞重画」とあり〉
『北畠女教訓』 狂人北斎画 十返舎一九作〔目録DB〕
『勇略女教訓』 葛飾北斎画 十返舎一九作〔目録DB〕
『仇討報蛇柳』 葛飾北斎画 松下井三和(唐来三和)作〔目録DB〕
☆ 天保四年(1833)
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③311(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
(「葛飾為一」の項)
〝画狂人ノ号ハ、門人北黄ニ譲ル、北黄ハ板下ヲカゝズ、専ら画狂人葛飾北斎と画名して雷鳴す、画風、
錦画、草双紙等の尋常にあらず、繍像、読本の插絵を多くかきて世に行れ、絵入読本此人より大いにひ
らけり〟
☆ 天保十三年(1842)
◯『【江戸現在】公益諸家人名録』二編 「ナ部」〔人名録〕②78(天保十三年夏)
〝画 画狂【名為一、一以前北斎行、号画狂老人、又卍】居所不定 中島鐵蔵〟
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p2314(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝画狂人(グワキヤウジン)北斎の一名〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
(画狂名の作品)
作品数:4
画号他:画狂人・画狂老人・画狂人北斎
分 類:絵本1・洒落本1・狂歌1・合巻1
成立年:享和1年 (1点)
文化2・5年(2点)
天保7年 (1点)
〈「画狂老人」の署名は、天保七年(1836)の絵本『【諸職絵本】新鄙形』に使用されている〉