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☆ いちが おき 沖 一峨浮世絵師名一覧
〔寛政8年(1796)~ 安政2年(1855)・60歳〕
   ☆ 文政四年(1821)    ◯「絵本年表」(漆山又四郎著『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政四年刊)    一峨画『新曲撰狂歌集』初編 千春 北渓 英山 山川白酒画 春青斎画 素羅園写 勢砂筆                  狂蝶子文丸画 清澄画 六樹園序〔漆山年表〕               二編 信亮筆 北渓 塵外楼 一峨画 静斎 岳亭 三◎画 徳成画                  雅楽◎堂 六樹園序〔漆山年表〕    ☆ 天保七年(1836)    ◯『滝沢家訪問往来人名録』 下128(天保七年八月七日)   〝同(丙申(天保七年)八月七日)両国薬研堀 画工 一峨    ◯『馬琴書翰集成』④221 天保七年(1836)八月十四日 馬琴、古稀の賀会、於両国万八楼   (絵師の参加者のみ。天保七年十月二十六日、殿村篠斎宛(第四巻・書翰番号-65)④221参照)   〝◯画工 本画ハ     長谷川雪旦  有坂蹄斎【今ハ本画師になれり】  鈴木有年【病臥ニ付名代】     一蛾  武清  谷文晁【老衰ニ付、幼年の孫女を出せり】  谷文一  南溟     南嶺  渡辺花山    ◯浮世画工ハ     歌川国貞【貞秀等弟子八九人を将て出席ス】  同国直  同国芳  英泉  広重  北渓      柳川重信      此外、高名ならざるものハ略之〟        ◯『馬琴書翰集成』④225 天保七年(1836)十月二十六日 殿村篠斎宛(第四巻・書翰番号-65)   〝一蛾の事、御尋被成候。御答申候。此画工ハ、抱一門人ニ御座候。只今ハ、両国薬研堀ニ居宅いたし、    相応ニ被行候。野生ハ是迄面識ならず、董斎懇意ニて、賀会ニ付、はじめてちかづきニ成候。年三十余    の男子也〟    〈八月十四日の馬琴古稀の賀会、沖一蛾は配り物の袱紗の絵を担当した。董斎は書家松本董斎。この人も配り物の扇子     〝三千本ばかりに候まゝ、私一筆にてハ手廻りかね候間、半分ハ書家董斎にかゝせ候〟とあり、書を担当した(十一     月五日付、林宇太夫宛(書簡番号68))〉    ◯『馬琴書翰集成』④239 天保七年(1836)十一月五日 林宇太夫宛(第四巻・書翰番号-68)   (八月十四日、馬琴、古稀の書画会に配られた「画賛ふくさ一幅」について)   〝ふくさの画工一峨と申ハ、抱一門人にて、両国薬研ぼりに居宅いたし、相応に行ハれ候ものに御座候〟    〈林宇太夫は長州藩中老藤浦刀自の兄で、馬琴作の愛読者〉    ☆ 没後資料    ◯『名人忌辰録』上巻p19(関根只誠著・明治二十七年(1894)刊)   〝沖淵泉 一峨    字子仰、号靖斎、後静斎、鳥取藩士、安政二卯年八月十一日歿す。麻布六本木光専寺に葬る〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文政四年 辛巳」(1821) p196   〝此年、北渓・英山・沖一峨・岳亭・千春等の画ける『新曲撰狂歌集』出版〟    ◯「安政二年 乙卯」(1855) p235   〝八月十一日、沖一峨歿す。行年五十八〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    収録なし      <鳥取県立博物館 山下 真由美「沖一峨における画風の多様性について」〝江戸時代後期に江戸の地で活躍した沖一峨    (1796~1861)は、鳥取藩の御抱え絵師として知られる。一峨は鍛冶橋狩野家の門人でありながら、狩野派のみならず、     琳派・やまと絵・写生派・文人画など多様な画風を示す作品を多く遺している〟>
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