☆ 安政二年
◯『古今墨跡鑒定便覧』「画家之部」〔人名録〕④207(川喜多真一郎編・安政二年春刊)
〝英一嶂 一蝶ノ門人タリ 宝暦十年四月廿八没ス 年七十〟
〈一嶂は一峰の誤記。下掲『扶桑名画伝』参照〉
◯『扶桑名画伝』写本 堀直格著 嘉永七年(1854)序
(国立国会図書館デジタルコレクション)( [31]77/108コマ)
〝鑑定便覧に一嶂とあるは誤りなめり さるは同書また別に一蜂の伝を載て それには一蝶男 名は信勝
通称長八とし その没せし年月日及び年齢 みな一蝶信勝に同じく また一嶂と挙げたる方は上件に記
せるがごとし こはまたく一蜂としたる方は一蝶信勝を混じ 一嶂の方は蜂字を嶂に誤りたるなるべし〟
〈『古今墨跡鑒定便覧』誤記が二つあり。一つは一蝶信勝を一峰と記したこと。もう一つは一蜂を一嶂としたこと〉
☆ 明治二十七年(1894)
◯『本朝古今書画名家詳伝』大阪版(筧有隣著 大谷仁兵衛 明治二十七年二月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝一嶂 姓氏ヲ知ラズ 一蝶ノ門人。宝暦年間ノ人ナリ〟
☆ 明治三十二年(1899)
◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年三月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)21/218コマ
〝英一嶂 一蝶の門人なり 宝暦十年四月廿八日没す 年七十(鑑定便覧)〟