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☆ いっしょう はなぶさ 英 一笑浮世絵師名一覧
〔文化 ~ 安政5年(1858)8月12日没・55歳〕
 ☆ 天保十五年(1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年序)
   「英一蝶系譜」「高嵩谷所蔵 英氏系図之略」〝(英一桂(珪)門人)嵩翏一笑〟    ☆ 安政五年(1858
 ◯『古画備考』四十四「英流」(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   ◇「英流」系譜 下p1934   〝(一圭)養子 一笑、嵩渓四男〟
  ◇「英流」系譜 下p1935   〝一笑 嵩谷ノ孫ニテ相続、嵩嵺弟、安政五年八月十二日歿、五十五〟
   「英流」(英一蝶系譜)    ◯「【十方世界三仏乗主/菩提手向三服追善】冥途旅蓮台道連(よみぢのたびのみちづれ)」    (番付・安政五年九月刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)     (安政の疫病(コレラ)で亡くなった著名人を追悼する摺物〉>   〝書家 さかぬ   大竹蒋塘  〈享年58歳〉    画家 うちに   英一笑   〈享年55歳〉    狂歌 ちりました 六朶園二葉〟〈狂歌師・栴檀二葉、享年未詳〉    〈才能開花せぬうちに亡くなってしまった〉       (参考 安政五年のコレラで亡くなった著名人を追悼する錦絵)
     「蓮台高名大一座」画工・版元不明〈日本芸術振興会「文化デジタルライブラリー」〉    ◯『【江戸時代】落書集聚』中p359(鈴木棠三、岡田哲校訂・東京堂出版・昭和五九年刊)   (安政五年七月中旬より流行した疫病コロリにて死亡した各界著名人の追悼文)   「【十方世界三仏乗主/菩提手向三服対善】冥途旅蓮台道連(ヨミヂノタビノミチヅレ)」   〝画家【さからぬうちにちりました】 英一笑〟    〈周囲の見るところ、一笑は盛期を迎える前に無念の最期を遂げたという印象のようである〉    ☆ 没後資料    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪182(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立)
   「英一蝶系譜」〝二男【名可主信俊、或ハ養子ナリト云フ。後英一笑ト改ム。始嵩深】〟    ◯『浮世絵師便覧』p203(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝一笑(セウ)宮川氏、高崇渓の次子、名は、可主信俊、後に英一笑〟〈「宮川氏」は誤り〉    ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)   〝一笑 高嵩渓の次子、英一珪の養子、名は信俊可主と号す、後に英一笑と改む〟    ◯『狂歌人名辞書』p107(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝高嵩深、名は可主、字は信俊、後ち一珪の養子となり、英一笑と号す、安政五年八月十二日歿す、年五    十五〟    ◯『浮世絵師伝』p6(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝一笑    【生】         【歿】安政五年(1858)八月十二日-五十五    【画系】初代嵩谷門人  【作画期】天保~安政    高氏、名は信俊、字は可主、初代嵩谷の次男にして初め嵩深と号し、後、英一珪の義子となりて英一笑    と改む〟