Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ いっしゅう はなぶさ 英 一舟浮世絵師名一覧
〔元禄11年(1698) ~ 明和5年(1768)1月27日・71歳〕
 別称 東窓翁 英信種 通称 弥三郎  ☆ 明和五年(1768)    ◯『増訂武江年表』1p179(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝正月二十七日、英一蝶が養子一舟卒す(称弥三郎、名信種、号東窓翁。二本榎承教寺中顕乗院に葬す)〟    ☆ 没後資料  ☆ 明和六年(1768)    ◯『古今諸家人物志』「英画」〔人名録〕③47(奥村意語編・明和六年十一月)   (「英画」の項)  〝英一蝶【英北窗翁/名信賀字暁雲/長八嗣維跡】── 一蝶【長男長八楼後号一蝶】── 男一舟    姓英 名信種 字(空白) 号一舟 又号潮窓    東都人。画を以て行る。一蝶先生の維跡を嗣ぐ。義子と為る。元禄十二年己卯に生る。明和五年戊子正    月二十三日病没す。寿七十一。墓は東都二本榎 常教寺中顕乗院に在り〟  ☆ 享和二年(1802)  ◯『浮世絵類考追考』(山東京伝編・享和二年(1802)十月記・文政元年六月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)
   「英氏系図之略」  ☆ 文化元年(1814)  ◯『近世奇跡考』〔大成Ⅱ〕⑪356(山東京伝著・文化元年刊) (「英一蝶の伝」)  〝英一蝶 ──┬── 門人養子師家を続く 一舟【名信種、号東窓翁、俗称弥三郎。明和五年正月廿七     ┌────┘       日歿】 ├─ 男二世 一蝶【名信勝、俗称長八】     └─ 次男  一蜩【俗称百松、又源内、一説ニ号孤雲】〟    ◯『十方庵遊歴雑記』二編(釈敬順著・文化十一年(1814)記)   (麻布二本榎承教寺地中顕乗院、英一蝶の墓)   〝英量院一舟日達  明和五年正月廿七日    英徳院一川日長  安永七年正月廿八日    量仙院妙寿日栄  安永六年三月上六日〟  ☆ 文政元年(文化十五年・1818)  ◯『江都名家墓所一覧』(岡田 老樗軒著・文化十五年刊)   (新日本古典籍総合データベース)   〝白銀并二本榎    英一舟墓 名信種 号潮窓 明和五年正月廿三日 承教寺中顕乗院〟     ☆ 天保三年(1832)  ◯『画乗要略』(白井華陽著・天保三年刊・『日本画論大観』中)   〝一蝶〔一峯、一舟、一川、嵩谷附〕    一蝶の子を一峯と為す。一峯の義子を一舟と為す、一舟の子を一川と為す。皆家学を能くす〟  ☆ 天保四年(1833)  ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③284(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
   「英一蝶系譜」(初代一蝶門人)     〝【一舟ハ門人ナリ、養子トナリテ師家ヲ継、名信種、号東窓翁、俗称弥三郎、明和五年(月ヲ脱ス)廿    七日歿ス、顕乗院ニ葬ル】〟    〈山東京伝の「浮世絵類考追考」には〝名信種、號東窓翁、俗称弥三郎、明和五年正月廿七日歿、顯乗院に葬〟とある〉  ☆ 天保八年(1837)   ◯『一蝶流謫考』〔続燕石〕①345(涼仙老樵(山東京山)編・天保八年八月成立)  (「一蝶家譜之略」の項)  〝一蜩門人一舟【養子、続師家、名信種、等窓翁と号す、俗称弥三郎、明和五年正月廿五日没、二本榎顕 乗院に葬】〟  ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)  ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年序)
   「英一蝶系譜」「高嵩谷所蔵 英氏系図之略」      〝一舟ハ門人ナリ、養子トナリテ師家ヲ継 名信種 号東窓翁    俗称弥三郎 明和五年正月廿七日歿ス 顕乗院ニ葬ス〟    〈『総校日本浮世絵類考』には〔種彦本〕は廿三日卒すとある由〉    ☆ 嘉永年間(1848-53)  ◯『古画備考』四十四「英流」(朝岡興禎編・嘉永年間)   ◇「英流」系譜 下p1931   〝(一蝶)門人養子 相続 一蝶 弥三郎信種、号東窓翁、遺跡志ニ号潮窓、    明和五年正月廿七日(添え書き「イニ廿三日」)歿、葬于顕乗院、    (補)嵩月子話、名信景〟
   「英流」(英一蝶系譜)     ◇「英流」下p1945   〝一蝶肖像二幅あり、    一は英一蜂【初代】画、賛無し、    一は英一舟画、賛あり、辞世と書て、世に伝る所の     まぎらかす浮世のわざの色どりもありとや月のうす墨の空     像はあとにて、紙を継て、一舟が画添しなり、       此二像年月隔りし故か不似、只目の大なると、鼻の大きくて丸き処ばかりは同じ、一舟書たる像は一     圭まで伝りしが、典物に入たるか、売たるか、一蝶の印も不残伝りしを、質に入候て、今は三河町な     る、三文字屋と云へる酒屋い伝へたり〟     〈この記事の直前に「観嵩月老話 文政十年十月廿五日聞之」とあり、一蝶肖像画のことを聞いた日付か〉  ☆ 安政元年(嘉永七年・1854)  ◯『扶桑名画伝』写本(堀直格著 嘉永七年序)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇英一舟([31]巻十之五 雑家 89/108コマ)   〝信種    姓詳ならず 英氏 名は信種 一舟或は東窓翁また潮窓翁(ミセケチまた孤雲)と号す 通種(ママ称)弥三郎    一蜂の義子にて 一蝶【或は一蜩】門人 後年師家を継ぐといへり 明和五年正月【或五月】廿七日    【或は廿三日】死す 年七十一    「画事備考」【四十七右】云 英一舟 一蝶跡    (以下『浮世絵類考追考』『一蝶流謫考』『江都名家墓所一覧』『古今墨跡鑒定便覧』記事省略 上掲示参照)    「増補近世逸人画史 巻上」云 信勝 一蜂と号 多賀長八郎と称す 門人信種一舟と号す 子となす    「掌中書画年契」云 明和五年正月廿三日 英一舟没 年七十一    按ふに 信種の没せし月日異同あれど 姑く墓所一覧に従ふ 五月とあるは正と五と字体近ければ 誤    写せしなるべし またこの信種を或人の説には 一蝶信香の男一蝶信勝故ありて代々の数にくはへず     信種師家をつぎて二代目になるといへり そは嫡子信勝を除き 信種を養子として嫡子に立しに 信香    没後 父の家をば継がず号のみをつぎて 私に二代目一蝶といへるにてもあるべし されどこは推考の    さたにて 明証なければおぼつかなし(中略)    二代目は信勝にて 信種は三代目と思はるれば二代といへる説はいかがあらむ また一舟は一蜂の義子    といへるも たしかには信け(ママ)かたし 逸人画史及び鑑定便覧など信勝と一蜂を一人に混じ誤れり    【一蜂の條対照すべし】猶一舟の二代三代のけぢめは他日よく考ふべし〟  ☆ 安政二年(1855)  ◯『古今墨跡鑒定便覧』「画家書家医家之部」〔人名録〕④208(川喜多真一郎編・安政二年春刊)   〝同(英)一舟【一峰ノ義子、名ハ信種、東窓翁ト号ス、通称弥三郎】〟  ☆ 文久二年(1862)    ◯『本朝古今新増書画便覧』「イ之部」〔人名録〕④307(河津山白原他編・文化十五年原刻、文久二年増補)   〝一舟【英氏、一峰ノ義子、名ハ信種、号ハ東窓、家風ヲ善ス】〟  ☆ 刊年未詳  ◯「本朝近世画工鑑」(番付 刊年未詳)〔番付集成 上〕   (三段目 東)   〝前頭 英一舟  同 英一川(ほか略)〟  ☆ 明治元年(慶応四年・1868)   ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪182(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
   「英一蝶系譜」     〝(英一蝶)養子 一舟    【始メ門人、後師家ヲ継グ。名信種、号東窓翁、俗称弥三郎、明和五年正月廿三日歿ス。二本榎承教寺    中顕乗院ニ葬ス】〟  ☆ 明治十五年(1882)  ◯『新撰書画一覧 続』(伴源平編 赤志忠雅堂 明治十五年五月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝英一舟 名ハ信種、通称弥三郎、東窓翁ト号ス、一蝶門人一蜂ノ義子ト成ル、画善ス、男一川家風ヲ能ス〟    ☆ 明治十七年(1884)  ◯『(第二回)内国絵画共進会会場独案内』(村上奉一編 明治十七年四月刊)   (第二回 内国絵画共進会 4月11日~5月30日 上野公園)     〝英一舟 一蜂ノ義子ニテ、名ハ信種ト云フ。明和五年卒ス〟  ☆ 明治二十五年(1892)  ◯『日本美術画家人名詳伝』上p37(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年刊)   〝英一舟    二世一蝶ノ養子ナリ【一ニ初代一蝶ノ義子ニ作ル】名ハ信種弥三郎ト称ス、一舟ハ其号又東窓翁湖窓ノ    号アリ、父ノ画法ヲ継デ同ク戯画ニ長ズ、明和五年正月廿三日歿ス【一ニ廿七日ニ作ル】年七十一、江    戸二本榎承教寺中顕乗院ニ葬ル〟   ☆ 明治二十七年(1894)    ◯『名人忌辰録』上巻p8(関根只誠著・明治二十七年刊)   〝英一舟 東窓翁    英一蝶養子長八の嗣、又号潮窓。通称弥三郎、名信種。明和五子年正月廿三日歿す、歳七十二、二本榎    承教寺中顕乗院に葬る〟  ☆ 明治三十年(1897)  ◯『古今名家印譜古今美術家鑑書画名家一覧』番付 京都   (木村重三郎著・清水幾之助出版 明治三十年六月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝近代国画名家〈故人と現存とを分けている〉    ※Ⅰ~Ⅳは字が大きさの順。(絵師名)は同一グループ内の別格絵師。    〈故人の部は字の大きさでⅠ~Ⅳに分類。(絵師名)はそのグループ内の別格絵師〉    Ⅰ(狩野探幽・土佐光起・円山応挙)酒井抱一 渡辺崋山  伊藤若沖    Ⅱ(谷文晁 ・英一蝶 ・葛飾北斎)田中訥言 長谷川雪旦    Ⅲ(尾形光琳・菊池容斎・曽我蕭白)岡田玉山 司馬江漢  浮田一蕙 月岡雪鼎 高嵩谷      蔀関月    Ⅳ 大石真虎 河辺暁斎 上田公長 柴田是真 長山孔寅 英一蜻  英一蜂 佐脇嵩之      高田敬甫 西川祐信 橘守国  嵩渓宣信 英一舟  葛飾為斎〟    〈江戸時代を代表する絵師としての格付けである〉  ☆ 明治三十二年(1899)    ◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年三月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)20/218コマ   〝英一舟    名は信種 通称弥三郞といふ 又東窓翁潮窓等の別号あり 一蜂の門人にして 後其の義子と為る 画    法を父に受けて戯画に長ぜり 明和五年正月廿三日没す 年七十一 江戸日本榎承教寺中顕乗院に葬る    (扶桑画人伝 文鳳堂雅簒 鑑定便覧 江戸名家墓所一覧 名家全書)〟  ◯『浮世画人伝』p17(関根黙庵著・明治三十二年五月刊)   (「英一蝶系譜」より)   〝一舟    初代一蝶門人、名信種、号東窓翁、俗称弥三郎、後ニ一蜩ノ養子ト成テ師家を相続ス、明和五年正月十    七日歿、二本榎顕乗院ニ葬〟
   「英一蝶系譜」  ☆ 大正以降    ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)   〝一舟 初代一蝶の次男一蜩の後名、英家の二代目なり    一舟 一世一蝶門、一蜩の養子となり師家を嗣ぐ、名は信種、一説に信景又湖窓、東窓翁と号す、俗称       弥三郎、明和五年正月廿七日没、七十二、英家三代目なり    一舟 浅田氏、明治〟    ◯『狂歌人名辞書』p12(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝英一舟、名は信種、通称弥三郎、別に潮窓、東窓翁等の別号・あり、初代一蝶門人にして後ち一蜩の養    子となる、明和五年正月廿七日歿す、年七十二〟    ◯『浮世絵師伝』p6(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝一舟    【生】元禄十一年(1698) 【歿】明和五年(1768)正月廿三日-七十一    【画系】初代一蝶門人   【作画期】享保~寛延    初代一蝶の養子、名は信種、俗称弥三郎、初め一蜂二代と号し、後一舟と改む、東窓翁・潮窓翁等の別    号あり、師家の後を継いで英氏二代となる、芝二本榎永教寺中顕乗院に墓あり〟    ◯『浮世絵年表』p123(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   「明和五年 戊子」(1768)   〝正月二十七日、英一蝶の養子一舟歿す〟