◯「日本小説作家人名辞書」p754(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)
〝時雨庵主人
松下虎之助、後奥田賀久助と云ふ。時雨庵空言、画賛人、絵馬屋額輔の号がある。画号を嵩濤、英一翠
と称す。江戸赤坂の人、後浅草新堀に住み、質屋を営む。狂歌を節松嫁々に学ぶ。安政元年(1854)正
月二十七日歿、年七十四、赤坂一ツ木浄土寺に葬る。「百安楚飛」(安永八年(1779)刊)「風流仙婦
伝」(安永九年(1780)刊)
の作者〟
〈『洒落本大成』第八巻所収の『百安楚飛』(安永八年刊)、同第九巻所収の『風流仙婦伝』(安永九年刊)は、とも
に時雨庵主人作の洒落本で、挿絵も同一人物で義明なる人とされる。しかし、第八巻の解題によると、この時雨庵主
人は吉原の娥眉庵文祇という人の戯作名であるという。絵馬屋の没年から考えても、これら安永の洒落本の作者・時
雨庵主人が絵馬屋と同人であるはずがない〉
◯『浮世絵師伝』p107(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝嵩涛
【生】天明元年 【歿】嘉永七年正月廿七日-七十四
【画系】初代嵩谷門人か 【作画期】文化~嘉永
奥田氏、本姓松下氏、俗称虎之助、後ち賀久輔と改む、一蝶の画風を慕ひて、自ら英一翠と号せり、又
別に拳々斎・虎風堂・画賛人等の号あり、狂歌を朱樂菅江に学び、初め狂名を時雨庵空言といひ、後ち
絵馬屋額輔と称す。
赤坂一つ木の商家に生れしが、後年奥田氏を冒して、浅草米廩書替役人の株を購ひ、浅草新堀端に住せ
り。墓は芝伊皿子証城寺にあり〟