☆ 文化二年(1805)
◯『山東京伝一代記』〔続燕石〕②422(山東京山著・成立年未詳)
〝文化元甲子の冬に、「近世奇跡考」五巻を著せしに、英一蝶が伝の事により、一蜂といふ者障りければ、
其板を毀ける〟
〈次項『近世物之本江戸作者部類』参照〉
△『近世物之本江戸作者部類』p162(曲亭馬琴著・天保五年成立)
(「山東京伝」の項目)
〝近世奇跡考【五巻】印行の比、雅俗倶に賞鑒して多く売るべき勢ひなりしに、英一蝶が作の土手ふしな
どいふ小歌の事を載たるを、英一蜂怒咎めてむつかしくいひしかば、京伝驚きて異議もなくよしを板元
大和田安兵衛に告知らしてその板を摧せけり〟
〈『山東京伝年譜稿』(水野稔著・1991年刊・ぺりかん社)によれば、京伝の『近世奇跡考』(喜多武清画)は文
化元年十二月刊。この英一蜂との紛糾は文化二年春の由〉
☆ 没後資料(没年未詳により確証はないが、以下の資料を没後と推定した)
◯『江戸見草』〔鼠璞〕下65(小寺玉晁・天保十二年(1841)記)
〝七月十六日、三囲稲荷参詣
何やらの図【ふつに忘れしなり】三世英一蜂と云画みえたり。一蝶の末にや〟
◯『古画備考』四十四「英流」(朝岡興禎編)
◇「英流」系譜 下p1932
「英流」(英一蝶系譜)〝(嵩谷門人)一蜂 始嵩林〟