※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」
〔狂歌書目〕:『狂歌書目集成』
☆ 文化十三年(1816)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化十三年刊)
磯野文斎画『狂歌御国ふり』一冊 北渓 磯野文斎画 東夷菴古渡序
◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(文化十三刊)
文斎万侘伎画『狂歌御園ぶり』一冊 北渓・文斎画 穂光堯楽撰 文斎万侘伎板
☆ 文政四年(1821)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政四年刊)
磯野文斎画『狂歌長贏集』狂歌 北渓 文斎画 六樹園・芍薬亭判
◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(文政四年刊)
文斎万陀伎画
『狂歌長嬴集』一冊 北渓・文斎画 六樹園・芍薬亭撰 反故堆板
☆ 弘化元年(天保十五年・1844)
◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年序)
(「渓斎英泉」の項)
〝渓斎英泉門人 文斎 礒野氏 名信春 長崎住〟
☆ 弘化四年(1847)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(弘化四年刊)
磯野文斎画『長崎土産』一冊 江戸渓斎英泉義信門人文斎磯野信春著並画 大和屋由平
☆ 没後資料(下記『浮世絵師伝』の作画期を参考にして、以下の資料を没後とした)
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪185(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立)
「菊川英山系譜」(渓斎英泉門人)
〝文斎 磯野氏、名信春、肥前長崎ニ住ス。長崎土産一冊アリ。画作〟
◯『浮世絵師便覧』p226(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝文斎(サイ) 磯野氏、名は信春、英泉門人、自画作あり、長崎の人、◯嘉永〟
◯『浮世絵備考』梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(73/103コマ)
〝文斎【天保元~十四年 1830-1843】
磯野氏、名は信春、肥前長崎の人、英泉の門弟にて、自画作の冊子に『長崎土産』ありと云ふ〟
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝文斎 英泉門人、磯名(ママ)氏、名は信春、俗称大和屋由平、元長崎人、故に後年長崎に帰り、書肆を営
む、大由と略称す〟
◯『狂歌人名辞書』p216(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)
〝文斎万陀伎、姓磯野氏、名は信春、通称大和屋由平、画を渓斎英泉に学び、傍ら狂歌を詠ず、後ち長崎
に移りて書肆を営み、文彩堂と号す、天保頃〟
◯『浮世絵師伝』p165(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝文斎
【生】 【歿】 【画系】英泉門人 【作画期】文政~安政
磯野氏、名は信春、俗称由平、長崎今鍛治屋町角に住し、家を大和屋(俗称と併せて大由と略称す)と
いひ、文彩堂と号して、画工兼版元を営みし者なり。画く所の版画は所謂長崎絵の類にして、其の数甚
だ多く、出版年代は概ね弘化以後安政年間に止まれり(但し、大和屋と云ふ版元の家號は既に享和元年
版の『肥州長崎の図』に見ゆ、或は彼の先代か)。然るに、文政四年江戸版の『狂歌長贏集』に彼は北
渓と共に挿画し、且つ「はしゐしてながむる地の水すまし足ふみ出して凉みとらばや」と自詠の狂歌を
入れたり、これに拠れば、当時彼は江戸に住し、稍後に英泉(右の狂歌本の挿画には英泉の特徴無し)
の門人となりしものゝ如し。
彼の長崎に於ける作品中、弘化四年正月発行の『長崎土産』一冊は、彼に関する最も重要のものたり、
即ち其の奥附を見るに
江戸渓斎池田英泉義信門人 文斎磯野信春著併画
浄書赤松霍洲、剞劂江戸石上松五郎刀
唐紅毛小間物御土産之品数品、長崎画図異国人物錦絵類下
直ニ奉指上候 長崎今鍛冶屋町角
弘化四丁未年春正月發先 大和屋由平寿桜
とあり、以て其の画系を明かにし、彼が経営ぶりの一端を察すべし。
彼は元来長崎の人なりしや否やは姑く別問題とするも、曾て江戸に在りし事は前記の狂歌本によつて立
証し得べく、また英泉門人たりしは明かなる事実なり、是を以て彼の版画は、同じく長崎絵中にありて
も著しく江戸風の特徴を示し、一見同地他店の出版物と区別し得る程の異彩を放ちたり、こは単に技巧
上に於て彼が江戸風に感化せられしと見るよりも、彼れ自身が既に江戸ッ子肌なりしに由ると解するの
妥当なるを覚ゆ。
彼の夥しき版画のうち、弘化年間の出版らしき小形横絵の「長崎八景」(八校)、及び嘉永六年版の
「【魯西整儀】写真鑑」(七枚)等は、種々の意味に於て注目に価すべきものなり〟
◯『浮世絵年表』p226(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「弘化四年 丁未」(1847)
〝正月、磯野文斎の画ける『長崎土産』〟
△『増訂浮世絵』p217(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝文斎名は信春、通称は由平、長崎今鍛冶屋町角に住し、文彩堂と号した。画を善くし、長崎版画の版元
大和屋を経営した人である。妻の整恩女史も亦画をよくし、共に筆を執つて版元となつたので、大和屋
は文錦堂と共に名高く、且つ出版物の数も夥しい。その出版年代は弘化から安政の間である。文斎はも
と江戸にあつて、渓斎英泉の門に学んだのである。文斎が長崎で出版した弘化四年正月版の長崎土産に
は、江戸渓斎池田英泉義信門人、文斎磯野信春著併画と明記してゐる。その広告文中に、唐紅毛小間物
御土産之品数品、長崎画図異国人物錦絵類下直に奉指上候とある。かやうに文斎は江戸で学んだだけあ
つて、その絵も江戸風であり、長崎に異彩を放つたのである〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔磯野文斎画版本〕
作品数:4点
画号他:文斎万陀伎・磯野・信春・磯野信春・文斎
分 類:狂歌3・地誌1
成立年:文化13年跋(1点)
文政1・4年(2点)
弘化4年 (1点)
〈狂歌本三点のうち二点は魚屋北渓と合作、一点は文斎編・北渓画。北渓とは狂歌を通して親密な関係にあるようだ〉
(文斎名の作品)
作品数:3点
画号他:文斎・文斎万陀伎
分 類:狂歌3
成立年:文化13年跋(1点)
文政1・4年(2点)
〈文化十三年(1816)の跋をもつ『狂歌御国ふり』と文政四年(1821)刊の『狂歌長嬴集』は文斎の署名で作画。文政元
年(1818)の『狂歌鄙鴬集』は文斎万陀伎名で編者、作画は北渓が担当した〉
(信春名の作品)
作品数:1点
画号他:磯野信春
分 類:地誌1
成立年:弘化4年
〈地誌は『長崎土産』で磯野信春著・画とある〉