Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ほくすう らんさい 蘭斎 北嵩浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
   ☆ 享和年間(1801~1803)    ◯「享和年間記事」2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝江戸浮世絵師は、葛飾北斎辰政(始め春朗、宗理、群馬亭、後北斎戴斗、又為一と改む)、歌川豊国、    同豊広、蹄斎北馬、雷洲(蘭画をよくす)、盈斎北岱、閑閑楼北嵩(後柳居)、北寿(浮絵上手)、葵    岡北渓〟    ☆ 文化四年(1807)    ◯『続道聴塗説』〔鼠璞〕中334(大郷信斎著・文政十二年記)   (「己丑漫録 第一編」)   〝白雨滑稽    此程途中俄に白雨に遇ければ、爰こそ古歌の場所よと、急ぎ路傍なる陋居に立入て、しばし茶煙を喫し    ける内に、青天となりぬ。其床に掛たる一幅を見れば、北嵩といふ画士が、英一蝶の図を模写せし雨や    どりの上に「いそがずばぬれまじ物を夕立の跡より晴るゝ堪忍の虹、東都滑稽作者六十五翁立川談州楼    焉馬」と題せり。余が今日の心境と符号せし事、一奇といふべし〟    〈北嵩の一蝶模写絵に立川焉馬が賛をした掛幅である。焉馬の六十五才は文化四年に当たる〉    ☆ 文化五年(1808)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(文化五年刊)    葛飾北嵩画『長門本忠臣蔵』一冊 葛飾北嵩画 石川清澄作 角丸屋甚助他板〔目録DB〕    ◯「読本年表」〔中本型読本〕は「中本型読本書目年表稿」   ◇読本(文化五年刊)    蘭斎北嵩画『於牟女粂介傳高野薙髪刀』蘭齋北嵩画 歠醨間士作〔中本型読本〕      ◯「青陽舎寿暁話会之摺物」   (『落話会刷画帖』式亭三馬収集・文化十二年八月序・『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝文化五年戊辰四月催〟    〈青陽舎寿暁の落語会、摺物の絵を担当したのが北嵩、以下は三馬のコメント〉   〝蘭斎北嵩ハ北斎辰政の門人、当時神田佐久間町藤堂和泉守殿門前に住す〟    ◯『柳亭種彦日記』p114 文化五年(1808)六月廿八日    〝蘭斎主人ぇ画ハリ二丁遣ス〟    〈蘭斎は北斎門人北嵩。この当時、種彦作の読本『浅間嶽面影草紙』(文化六年刊)の画工を担当していた。文政元年     (1818)の『【諸家人名】江戸方角分』には、神田住、合い印は画家〝島 【明神前/伊勢屋佐兵衛内】〟とある〉    ☆ 文化六年(1809)    ◯「読本年表」〔江戸読本〕は「江戸読本書目年表稿(文化期)」   ◇読本(文化六年刊)    蘭斎北嵩画    『唐金藻右衞門金花夕映』蘭齋北嵩画 梅暮里谷峨作〔江戸読本〕    『淺間嶽面影草紙』   蘭齋北嵩画 柳亭種彦作 〔江戸読本〕〈後編は文化九年刊〉    ◯『柳亭種彦日記』 文化六年(1809)   ◇十二月十日 p131   〝昨夜亭に集る人、金星 桃川 玉豕 北嵩四人、けふは曇て寒し〟    〈金星は未詳。桃川は種彦作の読本『総角物語』(文化五年刊)の画工・優遊斎桃川。玉豕は読本『霜夜星』(種彦作・     かつしか北斎画・文化三年成、文化五年刊)に序を寄せた柏菴玉豕。文政元年(1818)の『【諸家人名】江戸方角分』     に、下谷住〝柏庵(一号)玉豕(御徒町)宮村永琢〟とある。但し合い印はなし。蘭斎北嵩は『【諸家人名】江戸方     角分』によると合い印は画家で神田明神前に居住。この年出板された種彦作の読本『浅間嶽面影草紙』の画工を担当     した〉     ◇十二月廿一日 p131   〝縄人許一寸訪ひ、夫より明神の市へゆき、北嵩子に八ッすぎより夜五ッすぎまで咄し、谷峨子にあふ、    又帰路玉豕許とひ、笠原とゝもにかへり、かさわら燈袋(テウチン)かり来る〟    〈縄人は水酔亭縄人。文政元年(1818)の『【諸家人名】江戸方角分』に、書家、下谷住〝縄人(号)酔水亭。三枚橋     (在越後)。関戸甚左エ門〟とある人か。この「明神」は神田明神か。谷峨は洒落本作家・梅暮里谷峨。『【諸家人     名】江戸方角分』には戯作者として本所と目白の二カ所に出ている。本所の方には〝(号)梅暮里。埋掘、黒田(豊前     公)藩。友〔反〕町与左衛門〟。目白には〝(全(ママ)梅堀住暫白馬台住、同号 山人 号梅暮里。台、黒田豊(前公)     〔州〕藩、本所梅堀。反町与左エ門〟。黒田侯久留里藩士。谷峨は本所梅堀から目白白馬台に移ったが、この当時は     どちらであろうか。笠原は未詳〉    ☆ 文化七年(1810)    ◯「合巻年表」(〔書目年表〕は『改訂日本小説書目年表』)   ◇合巻(文化七年刊)※角書は省略    蘭斎北嵩画    『復讐大山二筋道』蘭斎北嵩画 梅暮里谷峨作〔書目年表〕    『勧善近江八景』 蘭斎北嵩画 関亭伝笑作 〔書目年表〕    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(文化七年刊)    葛飾北嵩画『伊吾物語』一冊 酔醒楼北嵩画 梅暮里谷峨作 鶴屋金助他板    ◯『柳亭種彦日記』文化七年(1810)   ◇正月五日 p135   〝北嵩子へ下絵遣ス、暮頃まで北嵩子に咄し、皈路山忠へより、歌舞名物同異鈔三冊、谷峨子之作伊吾物    語りかりかへる。山上弥五右エ門殿中道来ル、ひし川の絵本一さつ北嵩子へかす、近江八景同人へかへ    す、風流無尽之帳来ル〟    〈北嵩の許に遣った下絵とは『鱸庖丁青砥切味』(文化八年刊)のものか。山忠より借りた『歌舞名物同異抄』は竹田     広貞の著作で正徳三年(1715)刊。滑稽本『伊吾物語』は谷峨作・酔醒楼北嵩画で文化六年の刊行。「ひし川絵本」は     未詳。「近江八景」は合巻『勧善近江八景』(関亭伝笑作・蘭斎北嵩画・文化七年刊)〉     ◇正月十日 p136   〝北斎年初ニきたる。種彦道ニてあふ、来年の大小もらふ、北嵩子晴山子夜五ッ半時迄物語ル〟
  ◇正月十五日 p138   〝高さこ町へ釣鐘線香求ニゆく、芝居両座看板を見ル、皈路北嵩子を訪ひ谷峨子ニあふ、夜ニいり暗山子    の許へよる〟    〈芝居両座とは堺町中村座、葺屋町市村座。暗山は未詳〉     ◇正月廿一日 p135   〝談州楼咄し初メ、北嵩子と同道、三馬子・京伝子・京山子・豊国・月まろ、夢楽談笑子等にあふ、玉豕子来〟    〈談洲楼焉馬の咄会。賑やかな顔ぶれである。蘭斎北嵩、式亭三馬、山東京伝・京山兄弟、初代歌川豊国、「月まろ」     は喜多川月麿か、落語家は初代夢楽、初代立川談笑、漢学者柏菴玉豕〉     ◇正月廿八日 p140   〝今日ハ月まろの会なれど雨ゆへゆかず、浅草東岳寺無尽、かれこれ一日休 夜ル亭へ来ル人、こりう子、北嵩子、玉豕子、晴山子〟    〈喜多川月麿の画会か。こりうは『勢多橋龍女本地』北斎画(文化八年刊)の校合を担当した酔月壺龍か〉     ◇正月廿九日 p140   〝種彦蔵宿へ行、気ふんよろしからず一日休、北嵩子より手紙きたる〟     ◇二月朔日 p140   〝廻状来ル、石井氏ぇ順達、昼前北嵩子の家へ行、北斎子へゆきおらんだの十露盤けいこなす、夜こりう    子とひ留守、玉豕子とふるす、晴山子これもるす、ついに縄人許ニ而晴山子ニあふ〟   〈石井氏は未詳。「おらんだの十露盤けいこ」とは如何なるものか〉     ◇二月二日 p141   〝口絵かき、北嵩子へわたす    大平とかいへる人の発会へゆき、貝をさぐりてかな詩をつくる。    漢員 寒 和(ヤマト)員 イキシチノ横行         花をたつぬる七言    咲きしと告し山守かふミ笠ならてかさす扇    ゆたけきミのに替たる此うす羽おり花の    ふゝきをミされは寒し         かな員文字ニなをせは寒ノ員トナル    ヲキヤカレコボシへ意見の歌         横にねるもいきでござるぞ不斜(ママ)翁花のあきたる雪の呉竹    いずれも当座、夜壺竜子ノ家ニゆき北嵩ニあひ、絵わりわたす、百廿人女郎仏こせん門左エ門作、物ノ    本二冊かりる〟    〈「青砥」は合巻『鱸庖丁青砥切味』(種彦作・北嵩画・文化八年刊行)。大平は未詳。近松門左衛門の「百廿人女郎     仏こせん」は未詳〉     ◇二月五日 p141   〝青砥一ノ巻五丁目北嵩方へ遣ス、石原ぇ行    種彦一駒人桃川北嵩壺竜右四君子許へいたる。夜四ッ過かへる。桃川子より句草子かへる、順次文次来    ル〟    〈石原は筆耕石原知道か。駒人、順次、文次は未詳〉     ◇二月八日 p142   〝四ノ巻あがり、政吉来ル、針文来ル、北嵩子ト伊勢加へゆき谷峨子ニあふ、夜ル眼病ニてさく休、玉豕    子来ル、石原より手紙到来、信順子来ル〟    〈政吉、針文、信順未詳〉     ◇二月十五日 p143   〝蔵宿へ行、玉豕子無尽より、養眼子・吉兵衛子・北嵩子・玉豕など共に花苞にあそぶ、茶亭長崎屋妓楼角玉屋    対妓松浦といふ〟    〈養眼、吉兵衛は未詳。花苞は吉原の意味か〉     ◇二月十七日 p143   〝半右エ門様御出、種彦半右エ門様より北嵩子壺龍子をとふ。曾我とらか磨酒呑童子枕言葉近松か    偽太夫本かり来ル〟    〈近松門左衛門作の義太夫本『曽我虎が磨』(宝永七年(1710))・『酒呑童子枕言葉』(宝永四年(1707)〉       ◇二月十八日 p143   〝北嵩子壺龍子をとふ、晴山もともに行(右傍記「石原へ行」)〟     ◇二月廿四日 p144   〝昨夜北嵩許へゆく、今日青砥さくなす〟     ◇二月廿五日 p144   〝夜北嵩子来ル〟     ◇二月廿九日 p145   〝本政きたる、夜壺龍子北嵩子青砥之口絵出来をもちくる    四ッ頃より蔵宿へ行、知道子の許へゆき、梅屋敷亀井主人漫行なす〟    〈臥竜梅で知られる梅の名所であった梅屋敷は亀戸にあった。亀井主人は未詳〉     ◇三月三日 p145   〝北嵩子談州楼吉兵衛子晴山子、ともに上野へ行〟     ◇三月十一日 p146   〝谷峨子北嵩子晴山子と墨水の花を見、道に梭江子ニあふ、今年ハ花おそくやうやう満開なり〟     ◇三月十九日 p147   〝聖堂歌城ぬしにあふ    帰路北嵩子へよる、山崎にて谷峨子にあふ    青砥出来上ル     青本のあがりたるに      くさざうしわれもめでたきしまひかな〟    〈歌城は幕臣で国学者の小林歌城。この山崎は板元の山崎屋平八か〉     ◇三月廿二日 p147   〝京山子壺龍子北嵩子来ル、晴山子来ル〟
  ◇三月廿四日 p148   〝二ノ巻はぢめ、壺龍子来リ、俵藤太のきだゆふ本西与にてほるべしといひつるよしかたらるゝ、    北嵩子晴山子もミゆる〟
  ◇三月廿九日 p148   〝聖堂出席、浅草へ北嵩子北岱子と行〟    〈湯島の聖堂出席後、北嵩、北岱等と浅草行き〉      ◇四月五日 p149   〝田原藤太読本浄瑠璃にしよ(山形に巴の紋・西村屋与八の紋)にて不読、中道子 壺龍子北嵩子〟    〈「田原藤太読本浄瑠璃」は未詳。また文意不明〉     ◇四月七日 p149   〝北嵩子壺龍子とふ     蠶かへる    北嵩子吉原京町壱丁目鶴屋にて買たる遊君の似顔を画壁にはりおく    北嵩かけことばに南京古渡り鶴の水いれと生写とかきたり    是に種彦讃をなすの狂歌     いたしめの蒲団の上のすこもりになきやしつらん鶴の水いれ〟    ☆ 文化八年(1811)    ◯「合巻年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化八年刊)※角書は省略    蘭斎北嵩画    『鱸庖丁青砥切味』蘭斎北嵩画 柳亭種彦作〔目録DB〕    『極彩色額小三』 蘭斎北嵩画 山東京伝作〔目録DB〕    ☆ 文化九年(1812)    ◯「読本年表」〔江戸読本〕は「江戸読本書目年表稿(文化期)」   ◇読本(文化九年刊)    蘭斎北嵩画『逢州執着譚』蘭齋北嵩画 柳亭種彦作〔江戸読本〕    ☆ 文化十年(1813)    ◯『狂歌関東百題集』〔江戸狂歌・第八巻〕鈍々亭和樽編・文化十年(1813)序    挿絵署名「北嵩台?」     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化十年刊)    辰光画『狂歌関東百題集』二冊 芍薬亭長根編 竹窓亭蔵板〔漆山年表〕     画工 辰斎老人画・柳斎画・十返舎一九画・卓嵩画・辰光画・文鼎画・辰潮画・三馬画        辰一・蜂房秋艃画・均郷・京伝筆・北嵩毫・北馬・辰暁画・北寿画・尚左堂    ◯「合巻年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)    ◇合巻(文化十年刊)※角書は省略    蘭斎北嵩画『女達島於勘』蘭斎北嵩画 梅暮里谷峨作〔目録DB〕    ◯「読本年表」(〔江戸読本〕は「江戸読本書目年表稿(文化期))   ◇読本(文化十年刊)    蘭斎北嵩画『美濃舊衣八丈綺談』蘭齋北嵩画 曲亭馬琴作〔江戸読本〕    ◯『馬琴書翰集成』⑥323 文化十年(1813)「文化十年刊作者画工番付断片」(第六巻・書翰番号-来133)
    「文化十年刊作者画工番付断片」〈書き入れによると、三馬がこの番付を入手したのは文化十年如月(二月)のこと〉    ☆ 文化十一年(1814)    ◯「読本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇読本(文化十一年刊)    蘭斎北嵩画『美濃旧衣八丈綺談』北嵩蘭斎画 曲亭馬琴作〔目録DB〕    ☆ 文化十二年(1815)    ◯「艶本年表」(〔白倉〕は『絵入春画艶本目録』)   ◇艶本(文化十二年刊)    葛飾北嵩画『金精霊夢伝』色摺 半紙本 四冊(合本一冊) 文化十二年〔白倉〕     (白倉注「志導軒作、小松屋百亀画の『風流六女競』前後編十冊の挿絵を春画に替えての改題再板本」)  ☆ 文化十四年(1817)    ◯「艶本年表」(「国文研・艶本」は「艶本資料データベース」)   ◇艶本(文化十四年刊)    葛飾北嵩『すゑ都無花』色摺 大判組物 十二図 文化十四年〔国文研・艶本〕    ☆ 文政元年(文化十五年・1818)    ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)   (「神田」合い印「画家」)   〝北嵩 島 明神前         伊勢屋左兵衛内〟    ☆ 文政五年(1822)    ◯「人情本年表」(〔事典〕は『人情本事典』)   ◇人情本(文政五年刊)    葛飾北嵩画『貞操小笹の雪』初編 葛飾北嵩画 梅暮里谷峨作〔事典〕    〈〔目録DB〕には「東居北嵩画」とあり〉  ◯「艶本年表」(〔白倉〕は『絵入春画艶本目録』)   ◇艶本(文政五年刊)    葛飾北嵩画    『合鏡』大錦十二枚組物 外題「艶本松葉かがみ」葛飾北嵩画 文政五年〔白倉〕     (白倉注「長らく画者名の定まらなかった作品だが、林説による北嵩画で間違いあるまい。ほとんど内題」      でしか知られていないので、表示を逆転した)    ☆ 文政十二年(1829)    ◯『道聴塗説』〔鼠璞〕中p334(大郷信斎著)   〝白雨滑稽    此程途中俄に白雨(ゆふだち)に遇ければ、爰こそ古歌の場所よと、急ぎ路傍なる陋店に立入て、し    ばし茶煙(ちゃたばこ)を喫しける内に、青天なりぬ。其床に掛たる一幅を見れば、北嵩といふ画士    が、英一蝶の図を模写せし雨やどりの上に「いそがずばぬれまじ物を夕立の跡より晴るゝ堪忍の虹、    東都滑稽作者六十五翁立川談洲楼焉馬」と題せり。余が今日の心境と符号せし事、一奇といふべし、    堪忍の虹、滑稽賞すべし〟    〈余とは大郷信斎。焉馬の六十五歳は文化四年(1807)〉    ☆ 没後資料(下出『浮世絵師便覧』等の作画期を参考にして、以下の資料を没後とした)    ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③312(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   (「葛飾為一」の項、北斎門人)
    「葛飾為一系譜」     〝北斎と号しての門人 蘭斎 北嵩【本郷ニ住ス、ヨミ本、草双紙多シ、後唐画師トナル】〟    ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (「葛飾為一」の項、北斎門人)
    「葛飾北斎系譜」     〝北斎と号しての門人      蘭斎 北嵩 本郷に住す 閑々楼と号す 島氏 重宣           よみ本草そうし多し 後唐画となり 東居と号す           読本には 梅暮里谷峨作の金花夕映 種彦作の浅間嶽面影草紙 同後篇逢州執着譚〟    ☆ 弘化二年(1845)    △『戯作者考補遺』p447(木村黙老編・弘化二年序)   〝画工 北嵩 明神下 伊勢や左兵衛内 某〟    ☆ 嘉永三年(1850)    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1411(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   〝閑々楼北嵩 後柳居、享和中〟    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   ◇「宮川氏系譜」の項 ⑪188
    「宮川長春系譜」     〝(葛飾北斎門人)北嵩    島氏、本郷ニ住ス、蘭斎、閑々楼ト号ス。読本双紙多シ。後唐画トナリ、東居ト号ス。名重宣〟     ◇(京寺町通松原下ル町菊屋喜兵衛板)「絵手本并読本附録」の項 ⑪237   〝浅間嶽面影草紙  種彦作、北嵩画   美濃旧着八丈綺談 六冊 馬琴作、北嵩画〟    〈「国書基本DB」は『浅間嶽面影草紙』を文化六年刊、また「美濃旧着八丈綺談」は『美濃旧衣八丈綺談』とあり、     北嵩蘭斎画、文化十一年刊とする〉    ☆ 明治年間(1868~1911)    ◯『葛飾北斎伝』p323(飯島半十郞(虚心)著・蓬枢閣・明治二十六年(1893)刊)   〝葛飾北嵩 北嵩は、島氏、名は、重宣。酔酲斎、又閑々楼又蘭斎と号す。『合巻絵草紙名目集』に、    「北嵩後に漢画をかき、東居と号す。神田明神下伊勢屋佐兵衛の家に同居せり」と。種彦作の読本『浅    間ケ嶽面影草紙』、および谷峨作『斯波遠説七長職』、馬琴作『八丈奇談』を画き、又草双紙を画く多    し。小枝繁作の『高野薙髪刀』【文化五年板、二冊】、関亭伝笑作の『勧善近江八景』【同七年板】、    京山作の『極彩色額の小三』【同八年板、三冊】、一九作『鱸包丁青砥の切味』【同年板、七冊】、谷峨    作の『女達島の於勘』【同十年板、六冊】の類なり〟    〈岩波文庫本『葛飾北斎伝』の校注者・鈴木重三氏によると「酔酲斎」は「酔醒斎」が正しい由。『合巻絵草紙名目集』     と引用文との関係も不明。『八丈奇談』は『八丈綺談』、一九作『鱸包丁青砥の切味』は柳亭種彦作で、種彦合巻の     処女作の由である。また『斯波遠説七長職』は不明だが、『斯波遠説七長臣』の誤記だとしたら、その画工は英泉で     文政三年の刊行とする〉    ◯『浮世絵師便覧』p205(飯島虚心著・明治二十六年刊)   〝北嵩(ホクスウ) 島氏、名は重宣、酔酲斎、又閑々楼と号す、北斎門人、葛飾を称す、◯文化、文政〟    ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(55/103コマ)   〝葛飾北嵩【文化元~十四年 1804-1817】    島氏、名は重宣、酔醒斎、蘭斎、閑々楼の号あり、為一の門弟にて、神田明神下に住めり、後に専ら唐    画を描きて、別号を東居と呼びたりと云ふ〟  ◯『浮世画人伝』p121(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)   (「葛飾北斎系譜」より)   〝北嵩(北斎門人)閑々楼闌(ママ)斎、本郷ニ住ス〟
      「葛飾北斎系譜」    ☆ 昭和年間(1926~1987)    ◯『狂歌人名辞書』p204(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝葛飾北嵩、姓島氏、各は重宜、蘭斎、又、酔醍斎と号す、東都の人、北斎門人、後ち浮世絵を廃して漢    画に移り、東居と号せり、文化頃の人〟    ◯『浮世絵師伝』p180(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝北嵩    【生】           【歿】    【画系】北斎門人      【作画期】文化~文政    葛飾を称す、島氏、名は重宣、蘭斎・酔醒斎・閑々楼・柳居・蕣亭等の号あり、晩年に漢画を描きて東    居と号せしとぞ。神田明神下に住す〟          ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文化八年 辛未」(1811)p181   〝種彦処女作は此年春出版の青本蘭亭北嵩の挿画にて『鱸包丁青砥の切味』、読本には北斎の挿画にて    『勢田橋龍女本地』なり〟     ◇「文化一〇年 癸酉」(1813)p184    〝五月、辰斎・一九・柳斎・辰湖・京伝・三馬・北嵩・北馬・北寿・俊満・辰光・辰一・辰暁・秋艃の     挿画に成れる『狂歌関東百題集』出版〟    △『増訂浮世絵』p240(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝北嵩    名は重宣、氏を島といふ。醉醒斎、閑々楼、蘭亭、蘭斎などの号がある。読本草双紙に多く挿絵を画い    たが、後に漢画を作り、東居と号して神田明神下伊勢屋左兵衛の家に同居してゐたといふ。文化六年に    は梅暮里谷峨の敵討道中二筋道に挿絵を施し、同七年に関亭伝笑の勧善近江八景に、同八年には山東京    山の極彩色額小三と、柳亭種彦の鱸包丁青砥切味等に画いて居る。これ等はその数例である〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔蘭斎北嵩画版本〕    作品数:14点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:蘭斎・蘭斎北嵩・酔醒楼・酔醒楼北嵩・北嵩蘭斎・葛飾北嵩・東居・東居北嵩・閑閑楼北嵩    分 類:読本5・合巻5・滑稽本2・人情本1・絵画1    成立年:文化5~11年(12点)        文政5年   (1点)   (蘭斎名の作品)    作品数:7    画号他:蘭斎北嵩・北嵩蘭斎    分 類:読本4・合巻3    成立年:文化6・8~11年(7点)    〈北嵩蘭斎の署名は、文化十一年(1814)刊、曲亭馬琴の読本『美濃旧衣八丈綺談』のみ〉   (酔醒楼名の作品)    作品数:1    画号他:酔醒楼北嵩    分 類:滑稽本1    成立年:文化7年    『伊吾物語』滑稽本・梅暮里谷峨作・酔醒楼北嵩画・文化七年(1810)刊〉   (東居名の作品)    作品数:1    画号他:東居北嵩    分 類:人情本1    成立年:文政5年    『貞操小笹雪』梅暮里谷峨作 東居北嵩画 文政五年(1822)刊〉  〈「閑閑楼北嵩」名の作品は収録していない。成立年の記載がない、絵画の「都名所百景」は歌川芳豊との合作である〉
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