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☆ ほくさい かつしか 葛飾 北斎 二代浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』  ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③311(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
   「葛飾為一系譜」〝【二代目北斎ハ本所ノ産ナリシガ、後吉原仲ノ町亀屋ト云茶屋ナリ】〟    ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)    ◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
   「葛飾北斎系譜」〝(北斎為一)門人 二代目北斎〟    ☆ 安政元年(嘉永七年・1854)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(安政元年刊)    葛飾北斎二代画『雷公地震由来記』一冊 北斎二代也 文の屋蔵    ◯『真佐喜のかつら』〔未刊随筆〕⑧309(青葱堂冬圃記・安政初年(1854)成立)   〝前北斎為一老人は其名四方に高く、幼童といへどもしる程なり、師の弟子に深川高橋に住ける橋本某が    倅喜三郎といふものは、幼年の頃堀江六間町なる砂糖店の丁稚奉公につかはしけるが、客のいとまある    時は筆をとりてゑがく、されば自然主人の心に叶ず、終に家にもどる、父も心に任せ北斎門人とす、或    日浅草観音へもふで、堂内の掛額の中、雪山等林が筆をふるひし韓信市人の胯潜の図をよくみて、師の    かたへ行、等琳が筆意、眼をおどろかすばかりなれど、一の失あり、うしろのかたにたち居る衆人の足、    小指のあるべき方に大ゆびありとかたる、師すぐさま喜三郎を同道して、かの額をみるに、喜三郎がい    ふにたかはず、是まで数年多くの人こゝろ付ずありしを、若年のもの見出し候は不思議なりと語られし    が、此喜三郎二代北斎となり、終惜しいかな新吉原遊女屋の養子となり、画名発せず、末はいかゞなり    しや〟    ☆ 安政二年(1855)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安政二年刊)    葛飾北斎二代画    『利根川図志』六冊 葛飾北斎二代・素真・玉蘭亭貞秀画・湖城喜一写・立斎写・宗旦写           赤松宗旦義知著 山田屋佐助他板    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪187(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
   「宮川長春系譜」〝(北斎門人)二代目北斎〟(名前のみ)    ◯『古代浮世絵買入必携』p8(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝【二代】葛飾北斎    本名〔空欄〕  号〔空欄〕  師匠の名 北斎  年代 凡六七十年前    女絵髪の結ひ方 第九図 第十図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)    絵の種類 肉筆    備考  〔空欄〕
  (北斎の項、備考欄にある二代目北斎の記事)   〝二代北斎の肉筆にも落款は単に北斎とのみあるを以て不馴の人は間違易し。二代北斎の肉筆は画の粗な    る上落款は多く楷書体にて認めあれども、初代北斎の落款は草書又は行書多し〟    ◯『浮世絵師伝』p177(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝北斎 二代    【生】  【歿】  【画系】北斎門人  【作画期】文化~天保    二代北斎を名乗りし者二人あり、一は某寺所藏の大絵馬「武将組打之図」に文化十三・丙子・歳秋八月    吉辰、東都二世鈴木北斎辰政画、江戸南茅場町、願主、橋本市兵衛」とせるもの、二は天保十一二年版    の『広益諸家人名録』二編に「北斎、名辰政、爲一翁門人、浅草山谷、橋本庄兵衛」とあるもの即ちそ    れなり。    一の鈴木北斎は俗称詳ならざれども、北斎が大阪書物屋仲間に宛てたる手紙(『葛飾北斎伝』所載)中    に「此節(弘化三年)門人戴斗の画を北斎と(世人が)唱へ候由、是(戴斗号に非ず北斎号なり)は新    吉原亀屋喜三郎と申者へ三十年以前ゆづり遣し候」と云へる亀屋喜三郎(新吉原仲ノ町引手茶屋の主人)    と同一人にはあらざるか。二の橋本北斎に就ては、『葛飾北斎伝』に、又一説に、橋本庄兵衛、初め宗    二といひ、宗理の名を継ぎ、後に二代目北斎辰政と名のり、浅草山谷に住し、狂歌摺物に巧みなりしと」、    次に「又按ずるに、東京橋場町、真崎の石浜神社にある杉戸の牛馬の図に、安政屠維協洽之玄月、葛飾    北斎謹画とあり、印章は左の如し(略之)、何人なるを詳にせず、画風は葛飾にあらず、土佐の風に近    し、甚拙なり」と記せり、これ、橋本北斎が居所の山谷と該神社の真崎との地理的関係を考ふれば、或    は両者同一人なりしやも知れず。    若し仮りに、右の一と二とを同一人と見倣す場合には、亀屋喜三郎即ち鈴木北斎は、かの大絵馬の寄進    者橋本市兵衛と特別の縁故にてもありしと仮定して、後に其が氏名を橋本庄兵衛と改めし者と解すべき    か。而して、庄兵衛の前身が宗二なりしと云へる一説は如何にや、いづれにもせよ、尚ほ後考を俟つべ    きものなり〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「安政二年 乙卯」(1855) p235   〝三月、二代北斎、素真、貞秀、広重等の画に成れる『利根川図志』出版〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:3点    画号他:葛飾北斎    分 類:和歌1・地誌1・理学1    成立年:嘉永6年序  (1点)        安政1~2年序(2点)    『贈百人一首』  和歌 緑亭川柳編 葛飾北斎等画 嘉永六年(1853)序    『雷公地震由来記』理学 葛飾北斎画        安政元年(1854)刊    『利根川図志』  地誌 赤松宗旦著 二世葛飾北斎 橋本貞秀 安政二年(1855)序                      歌川広重 山形素真等画