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☆ ほくじゅ しょうてい 昇亭 北寿浮世絵師名一覧
〔宝暦13年(1763)? ~ 文政7年(1824)以後・60余歳〕
 ☆ 享和年間(1801~1803)    ◯『増訂武江年表』2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「享和年間記事」)   〝江戸浮世絵師は、葛飾北斎辰政(始め春朗、宗理、群馬亭、後北斎戴斗、又為一と改む)、歌川豊国、    同豊広、蹄斎北馬、雷洲(蘭画をよくす)、盈斎北岱、閑閑楼北嵩(後柳居)、北寿(浮絵上手)、葵    岡北渓〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(文化二年刊)    昇亭北寿画『白痴聞集』一冊 北寿・桃舎画 感和亭鬼武作〔目録DB〕      ☆ 文化五年(1808)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇読本(文化五年刊)    昇亭北寿画『孝子嫩物語』抱亭北鵞・昇亭北寿・蹄亭北馬画 高井蘭山    ☆ 文化七年(1810)    ◯「合巻年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化七年刊)※角書は省略    昇亭北寿画    『其昔矢口仇浪』 昇亭北寿画 十返舎一九作〔目録DB〕    ◯『柳亭種彦日記』p145 文化七年(1810)二月廿八日   〝碁盤太平記天智天皇二冊よむ、近松門さく、本政来ル、北寿会使遣ス    夜青砥のさく〟    〈近松作義太夫本『天智天皇』(元禄二年(1689)初演)・『碁盤太平記』(宝永三年初演)。北寿は昇亭北寿か。書画会     であろう。直接出席せず、使いを遣ったようだ〉    ☆ 文化八年(1811)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化八年刊)    昇亭北寿画    『自讃狂歌集』初編 柳々居辰斎 俊満 素羅◎瓢天馬 広昌画 北渓画 抱亭五清画               額輔写 北寿画 蹄斎北馬画 蜂房秋艃画 菅川亭画               宿屋飯盛撰〔漆山年表〕    ◯「絵入狂歌本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇狂歌(文化八年刊)    昇亭北寿画『瀬川仙女追善集』一冊 遠桜山人(蜀山人)序・四方歌垣跋〔目録DB画像〕     (菊図) 豊国・鳥居清長・栄之・辰斎・北馬・秋艃・曻亭北寿・五清・春亭・春英・北斎等画     (追善詠)三馬・飯盛・馬琴・京伝・京山・焉馬等     〈〔目録DB〕は成立年を文化七年とするが、三代目瀬川菊之丞は文化七年十二月五日没、この追善集は一周忌のも      のである。すると刊年は文化八年ではなかろうか〉    ☆ 文化十年(1813)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化十年刊)    昇亭北寿画    『狂歌道中記』一冊 昇亭北寿画 六樹園飯盛編〔漆山年表〕     『狂歌関東百題集』二冊 芍薬亭長根編 竹窓亭蔵板〔漆山年表〕     画工 辰斎老人画・柳斎画・十返舎一九画・卓嵩画・辰光画・文鼎画・辰潮画・三馬画        辰一・蜂房秋艃画・均郷・京伝筆・北嵩毫・北馬・辰暁画・北寿画・尚左堂    ◯「絵入狂歌本年表」(〔狂歌書目〕は『狂歌書目集成』・〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇狂歌(文化十刊)    昇亭北寿画『狂歌道中記』一冊 昇亭北寿画 六樹園飯盛編〔目録DB〕〈〔狂歌書目〕は蹄斎北馬画とする〉     ◯『狂歌関東百題集』〔江戸狂歌・第八巻〕鈍々亭和樽編・文化十年(1813)序    挿絵署名「北寿画」     ◯『馬琴書翰集成』⑥323 文化十年(1813)「文化十年刊作者画工番付断片」(第六巻・書翰番号-来133)
    「文化十年刊作者画工番付断片」      〈書き入れによると、三馬がこの番付を入手したのは文化十年如月(二月)のこと〉    ☆ 文化十四年(1817)    ◯「絵入狂歌本年表」(〔狂歌書目〕は『狂歌書目集成』)   ◇狂歌(文化十四刊)    昇亭北寿画『狂歌玉笹集』一冊 北寿画 天広丸撰 酔亀亭板〔狂歌書目〕    ☆ 文政元年(文化十五年・1818)    ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)   (「日本橋」合い印「浮世画」)   〝北寿  号昇字〔寿〕   浮世小路 槙屋ノ裏   源蔵〟    ☆ 天保年間(1830~1843)    ◯「絵入狂歌本年表」(〔狂歌書目〕は『狂歌書目集成』)   ◇狂歌(天保年間刊)    昇亭北寿画『閑都之可布理』一冊 北渓・北寿画 臥竜園編 葛飾連〔狂歌書目〕     ☆ 没後資料(下出『浮世絵師伝』等の作画期を参考にして、以下の資料を没後とした)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③312(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   (「葛飾為一」の項、北斎門人)
    「葛飾為一系譜」    〝北斎と号しての門人 昇亭 北寿【両国ヤゲンボリニ住ス、錦絵、山水ノ遠景多シ】〟    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (「葛飾為一」の項、北斎門人)
    「葛飾北斎系譜」     〝北斎と号しての門人      昇亭 北寿 両国薬研堀住 にしき画、山水の遠景多し〟     ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1411(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   〝北寿 浮世画、上手、享和中〟    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪188(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   (「宮川氏系譜」の項)
    「宮川長春系譜」     〝(葛飾北斎門人)北寿    昇亭ト号ス。両国薬研堀ニ住ス。錦絵山水ノ遠景アリ〟    ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝浮画師 享和 北寿    西洋画によつて山水遠景等の図を作り、専ら世に行ふ、是に浮画と称す。当時の画師競て之を画く、北    寿は其冠たり。北斎門人〟    ◯『古代浮世絵買入必携』p18(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝昇亭北寿    本名〔空欄〕   号〔空欄〕   師匠の名 葛飾北斎  年代 凡六七十年前    女絵髪の結ひ方 第九図 第十図(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)    絵の種類 並判、中判、小判、摺物、絵本、肉筆    備考   油絵風の景絵及浮絵多し〟    ◯『葛飾北斎伝』p324(飯島半十郞(虚心)著・蓬枢閣・明治二十六年(1893)刊)   〝北寿 北寿は、姓氏詳ならず。名は、一政。昇亭と号し、両国薬研堀に住す。北門の高弟にして、最    (モツトモ)浮画(ウキエ)に長じ、名手と称せらる。名所絵を画く多し。中に就き江戸名所、最行はれしと    ぞ。文化八年、一九作の草紙、『今昔矢口の仇浪』を画き、又高井蘭山作の『敦盛外伝青葉笛』を画く〟    〈岩波文庫本『葛飾北斎伝』の校注者・鈴木重三氏によると、文化八年の『今昔矢口の仇浪』は『其昔矢口の仇浪』     が正しく、刊年も文化七年かとする〉    ◯『浮世絵師便覧』p206(飯島虚心著・明治二十六年刊)   〝北寿(ホクジュ) 葛飾 ◯北斎門人、名は一政、昇堂と号す、最浮画に長し、名所画多し、◯文化、文政〟  ◯ 明治美術会展(創立十年記念・明治三十一年三月開催・於上野公園旧博覧会跡五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』所収)    葛飾北斎  橋下ノ図     木版    有阪北馬  富士山      水彩画    池田英泉  不忍ノ景     木版    歌川豊春  山水       木版    歌川国長  山水       銅鐫    北寿    三股川ノ景    木版    一立斎広重 雪景       墨画    一勇斎国芳 唐土二十四孝ノ内 木版          唐土二十四孝画帳 木版    鮮斎永濯  弁慶       水彩画    小林清親  人物山水(十三面)木版    ◯『浮世画人伝』p121(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)   (「葛飾北斎系譜」より)   〝北寿(北斎門人)薬研堀ニ住ス〟
      「葛飾北斎系譜」    ◯『狂歌人名辞書』p204(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝葛飾北寿、名は一政、昇亭、形工亭の号あり、江戸薬研堀に住す、北斎門人、文政頃〟    ◯『浮世絵師伝』p179(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝北寿    【生】宝暦十三年(1763)? 【歿】文政七年(1824)以後-六十余    【画系】北斎門人      【作画期】寛政末~文政    名は一政、昇亭と号す、両国薬研堀に住せり。彼の初女作としては、寛政の末頃の「浅金龍山観世音境    内の図」・「新版東都名図上野花景図」等、雑踏したる人物に背景を附し、天には紅雲を配したるもの    あり、『武江年表』の享和年間の事を記す條に「北寿浮絵上手」とあるを以て、彼は既に浮絵を描きて    画名を挙げしこと明かなり。文化年間に描写したる風景画は、水と空、就中雲を最も巧妙に現はせり、    東都佃島之景(口絵第六十図参照)・下総銚子浦鰹釣舟之図・隅田川の景・不忍弁天・江の島・六郷の    渡等、すべて色彩簡易にして白天の図多し。木版画を利用して遠近法、陰影等、風景画に興味を加へた    るは彼の努力なり。版元は初め〈山型+三つ巴の版元印〉永寿堂が主なりしも、文政に至りては東海道    大井川・甲州猿橋写真之図・淡路島風景等、外に江戸の分は〈違い山型+久〉栄久堂出版の分多し。尚    ほ永寿堂で出版したるものも文政の後摺には〈違い山型+久〉(栄久堂)と替へたるもあり。彼の版画    は狂歌の挿絵以外には風景画のみにして、北斎の如き縦横の奇才は無けれども、白天を主としてよく清    新の気分を現はせしなりき。彼の歿年は不明なるが、文政七年に画きしと思はるゝ肉筆画の掛物「清正    公之像」に行年六十二歳-昇亭北寿写とあり、また一老人会誦坐像の掛物にも行年六十二歳、昇亭北寿    と落款せり。そを逆算すれば宝暦十三年に生れ、享和元年には三十九歳、文化には四十歳以上にして、    浮世絵画家としては盛時の年輩なり〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文化八年 辛未」(1811)p181   〝十月、俊満・辰斎・北馬・北渓・北寿等の挿画に成れる『自讃狂歌集』出版〟     ◇「文化一〇年 癸酉」(1813)p184   〝五月、辰斎・一九・柳斎・辰湖・京伝・三馬・北嵩・北馬・北寿・俊満・辰光・辰一・辰暁・秋艃の挿    画に成れる『狂歌関東百題集』出版〟    △『増訂浮世絵』p236(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝昇亭北寿    北寿は諱を一政と云ひ、昇亭又は昇亭と号した。葛飾北斎の門人中屈指の一人である。北寿は北斎の可    なり若い時代から師事したのであつて、北斎門人中では、よほど師風を離れて、割合著しい特色を見せ    て居る。北寿は浮世絵の名手と称せられてゐるが、夙に西洋画の手法を参酌して、巧みに遠近法を応用    し、北斎とは又多少趣を異にした写実的の風景版画を、可なり多種類作つた。色彩は北斎よりも一層明    るい感じがあつて、草色、黄、岱赭などで巧妙なる色調を作り、自然の色を快く示してゐる。就中、上    総九十九里浜大漁図の如きは、遠山の描法に、キユビズムに類した手法が加へられて、特に吾人の興味    を惹く。甲斐猿橋、鉄砲洲など観るべき版画の作例が多い。肉筆美人絵の遺作も存在してゐる〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔昇亭北寿画版本〕     作品数:7点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:北寿・昇亭・昇亭北寿・葛飾北寿    分 類:狂歌3・絵画1・読本1・合巻1・滑稽本1    成立年:文化2・5・7・10・14年(5点)        天保年間(1点)
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