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☆ ほくが まんじろう 卍楼 北鵞浮世絵師名一覧
〔 ? ~ 安政3年(1850)5月21日・享年未詳〕
   ☆ 文化十年(1813)    ◯『馬琴書翰集成』⑥323 文化十年(1813)「文化十年刊作者画工番付断片」(第六巻・書翰番号-来133)
    「文化十年刊作者画工番付断片」      〈書き入れによると、三馬がこの番付を入手したのは文化十年如月(二月)のこと。東京堂出版の『浮世絵大事典』     「抱亭五清」によると、抱亭北鵞が五清と改名したのは文化七年(1810)中のこととされるから、この番付の北     鵞は卍楼北鵞と思われる〉    ☆ 天保十一年(1840)    ◯『馬琴書翰集成』⑤228 天保十一年(1840)十月二十一日 小津桂窓宛(第五巻・書翰番号-69)   〝「弓張月の錦絵」、三枚続キニて、素人之蔵板に御座候。画工ハ北鵞ニて、為朝大蛇を退治致候処ニ御    座候。色ざし廿ぺんほどの由ニて、美を尽し候。「八犬伝之錦絵」流行故之事ニ可有之候。先頃、引受    人より三枚百文ニてかい取せ候へども、老眼ニハ何かわからず、無面目に御座候〟    ☆ 天保十二年(1841)    ◯『馬琴書翰集成』⑤255 天保十二年(1841)正月二十八日 小津桂窓宛(第五巻・書翰番号-76)   〝年玉之印斗ニ、如例家製黒丸子ニ包、并ニ「弓張月の錦絵」三枚進上之仕候。右「弓張月錦絵」は、去    年申上候とは別板ニ而、早春の新板ニ御座候。為とも琉球ぇ渡り候時、難風の図に御座候〟    〈去年の「弓張月錦絵」とは北鵞画。天保十一年八月二十一日付、小津桂窓宛(第五巻・書翰番号-69)参照のこと。     この年、正月出版の「弓張月錦絵」、画工名はないが、昨年に引き続き北鵞であろうか〉    ☆ 嘉永二年(1849)    ◯『【現存雷鳴】江戸文人寿命附』初編〔人名録〕②331(畑銀雞編・嘉永二年刊)   〝三田北鵞     師の風を其まゝ虎屋北鵞ぬし画名はさこそ千里はしりけり 極上々吉 寿七百五十 本所常盤町〟    〈三田は氏名、虎屋は屋号、本所常盤町は嘉永二年当時の住所である〉    ☆ 没後資料    ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   (名前のみ、記事なし)   〝東都     春川秀蝶・田中益信・泉守一・山本義信・古川三蝶・歌舞妓堂・【別人】勝川春章・勝川春常    勝川春山・勝川春扇・葛飾一扇・如蓮北昆・卍亭北鵞    東都    歌川国長・歌川国政・歌川国久・歌川国安・歌川国直・歌川秀丸・歌川月丸・北川菊丸、北川美丸    細田栄理・細田栄昌・細田栄亀〟    ◯『浮世画人伝』p121(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)   (「葛飾北斎系譜」より)   〝北鵞(北斎門人)名政周、号卍楼費蔭、通称岸本庄七、本所番場ニ住〟
      「葛飾北斎系譜」    ◯『浮世絵師伝』p170(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝北鵞    【生】           【歿】    【画系】北斎門人      【作画期】文化~嘉永    三田氏、俗称小三郎、家を虎屋といふ、抱亭・卍楼等の号あり、又別に東一と号す。武者絵及び美人画    あり、嘉永三年『百家人名帖』を描く。本所常盤町に住しき〟          ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔北鵞名の版本〕    作品数:3点    画号他:葛飾北鵞・抱亭・抱亭北鵞    分 類:読本1・咄本1・狂歌1    成立年:文化5年(2点)天保年間(1点)        (3点の内訳は以下の通り)    『孝子嫩物語』 読本 高井蘭山作  抱亭北鵞・昇亭北馬・蹄斎北馬画・文化五年(1808)刊    『おとしはなし』咄本 三笑亭可楽撰 葛飾北鵞画 文化五年刊     〈上記のように抱亭北鵞の五清改名は文化七年、従って、以上2点は抱亭北鵞画である〉    『狂歌古川百首』狂歌 六橋園渡編  葛飾北鵞画 天保年間刊     〈天保年間刊であるから、『狂歌古川百首』の北鵞は卍楼北鵞である〉
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