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☆ ひゃっき こまつや 小松屋 百亀浮世絵師名一覧
〔享保5年(1720)~ 寛政5年(1793)12月9日・享年未詳〕
(小松軒〈しょうしょうけん〉)
  ※ 画業に関する記事と大田南畝との交渉記事のみ    ☆ 明和四年(1767)    ◯『活花百瓶図』二巻 千葉龍朴撰 東雲堂板(漆山又四郎著『絵本年表』より)    上巻 英一蜓・鄰枩・小松軒・寒葉斎・龍水・魚彦・柳文朝・英一川等画    下巻 保国・宮川春水・宋紫石等画    ☆ 明和五年(1768)     ◯「艶本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」〔国文研・艶本〕は「艶本資料データベース」)   ◇艶本(明和五年刊)    小松屋百亀画『風流六女競』前編五冊 小松屋百亀作・画〔目録DB〕〈後編は安永元年刊〉      (注記「肉蒲団の翻案、改題改竄本に「金勢霊夢伝」あり、日本艶本目録(未定稿)による」)  ☆ 明和六年(1769)    ◯「艶本年表」(〔白倉〕は『絵入春画艶本目録』)   ◇艶本(明和六年刊)    小松屋百亀画・作    『活花二人契子』墨摺 半紙本 明和六年〔白倉〕    ☆ 明和年間(1764~1771)     ◯「艶本年表」(〔国文研・艶本〕は「艶本資料データベース」〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇艶本(明和年間刊)    小松屋百亀画    『風流艶色華結』三冊 小松百亀画・作   〔目録DB〕(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『古今枕大全』 墨摺 中本 一冊 明和年間〔国文研・艶本〕    ☆ 安永元年(明和九年・1772)    ◯「艶本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇艶本(安永元年刊)    小松屋百亀画『風流六女競』後編五冊 小松屋百亀作・画〔目録DB〕〈前編は明和五年刊〉    ☆ 安永二年(1773)    ◯『噺本体系』第九巻(武藤禎夫編・昭和五四年刊)   ◇咄本(安永二年刊)    小松百亀画     『聞上手』初編 自作       遠州屋板    『聞上手』二編 不知足山人作・画 遠州屋板〈不知足山人は小松屋百亀〉    『聞上手』三編 奇山序     ◯「識語集」〔南畝〕⑲690(安永二年十二月十二日明記)  (細井広沢の和歌書「広沢和歌」を書写した時の南畝の識語)  〝飯田町に薬ひさぐ小松やの翁のもとより借りもとめて写し置もの也。安永二年季冬十二日〟    〈南畝との交渉は安永二年から始まったか。この年の春、小松百亀は「鹿の子餅」(木室卯雲作、明和九年刊)と並ん     で江戸咄本の祖ともされる『聞上手』を出版し、評判を得ていた〉    ☆ 安永三年(1774)    △『大田南畝全集』第一巻解説〔南畝〕①525(安永三年二月四日)     〈浜田義一郎氏の解説によると、安永三年二月日、牛込恵光寺にて開催された滑稽版「宝合」の会に、南畝や塙保己一等    とともに、小松百亀も和気春画(ワケノハルエ)の狂名で参加の由〉    ☆ 安永四年(1775)    ◯『噺本大系』巻十「所収書目解題」(武藤禎夫編・昭和五四刊)   ◇咄本(安永四年刊)    小松百亀画『聞童子』署名「不知足画」(不知足作)遠州屋板    ☆ 安永八年(1779)    ◯『四方の留粕』〔南畝〕①203(安永八年一月四日明記)     〈狂文「春の遊びの記」によると、正月四日、絵師・吉田蘭香宅にて「写絵(うつしゑ)の書ぞめ」会あり。絵師の隣松、    蟷車、狂歌の赤良、橘洲、菅江等とともに小松軒も参加。この会で小松軒は〝小松はみどりの亀のを、泥中にひきしり    ぞき〟とある。小松の苗字そのものが正月にふさわしくそもそも目出たいのだが、なおそのうえに名前百亀にちなんで    亀の絵を即席で画き、新年を言祝いだのである〉    ☆ 安永九年(1780)    ◯『洒落本大成』第九巻   ◇洒落本(安永九年刊)    小松屋百亀画?『【当世】真似山気登里』上戸庵酔人(小松屋百亀)著    ☆ 安永年間(1772~1780)    ◯「艶本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇艶本(安永年間刊)    小松屋百亀画『花の宴』三冊 小松屋百亀画? 嬉契子作〔目録DB〕(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)     ☆ 天明三年(1783)    △『判取帳』(天明三年四月七日明記)   (浜田義一郎著「『蜀山人判取帳』補正<補正>」「大妻女子大学文学部紀要」第2号・昭和45年)   〝天明三卯月七ツの日 予が大草のかくれ家を小草庵と名付たまはりしはかぎりなきよろこびなりけらし    小松百亀六十四才書 (小松百亀の自画像) 〟    (四方赤良(大田南畝)注)〝小松屋三右衛門飯田町中坂薬舗住大草屋舗〟   ◯『巴人集』〔南畝〕②399(天明三年四月詠)  〝小松軒が大草のかくれ家をとひて  山中にひきこもりたる小松やと思ひの外に大草の庵〟    〈これは前項「判取帳」の四月七日と同じ日か〉    ☆ 天明四年(1784)    ◯『檀那山人藝舎集』〔南畝〕①461(天明四年三月序成)  〝七月二十六日夜過小松軒遇雨    飯田町上小松軒 新話枝栄葉亦繁 風雨闇雲廿六夜 不知何処拝三尊〟    〈月の出を賞して阿弥陀以下三尊を拝むこの小松軒での「六夜待ち」は天明三年のこと。あいにく「風雨闇雲」の空模     様であったが〉    ☆ 刊年未詳    ◯「艶本年表」(〔国文研・艶本〕)   ◇艶本(刊年未詳)    小松屋百亀画    『枕入秘曲活花二人契子』半紙本 三冊〔国文研・艶本〕    『ぬくめ夜着』  一冊 小松百亀画〔目録DB〕(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    「欠題艶本」   墨摺 中本 一冊〔国文研・艶本〕    ☆ 没後資料    ☆ 寛政九年(1797)    ◯「会計私記」〔南畝〕⑰52(寛政九年一月十日明記)     〈南畝は年始の挨拶に小松屋三右衛門宅を訪問。ただし百亀は寛政五年十二月九日没であるから、この三右衛門は次代で    ある〉    ☆ 寛政十二年(1800)   ◯『浮世絵考証』〔南畝〕⑱443(寛政十二年五月以前記)  〝小松屋 俗名三右衛門 後百亀と云    明和の頃大小のすり物の画、多く小松屋のかけるなり。西川氏の筆意を学びて春画をかけり。元飯田町 薬舗なり。肉蒲団、ぬくめ夜着等の本あり〟    〈西川氏とは祐信の事〉    ☆ 文化五年(1808)    ◯『一話一言 巻二十九』〔南畝〕⑭123(文化五年頃記)  (「牛込七軒寺町弁天社の相撲取り肖像絵馬の事」)  〝飯田町小松軒 小松屋三右衛門薬店 これを模写して世継稲荷社の絵馬に上しが、其後の回禄にうせて今 はなし〟    〈焼失して文化五年当時は既になしという〉  ◯『浮世絵師之考』(石川雅望編・文化五年(1808)補記)   〔「浮世絵類考論究10」北小路健著『萌春』207号所収〕   〝小松屋百亀【三右衛門、飯田町薬舗】    明和の頃の大小のすりものの画、多く小松屋のかけるなり。西川氏の筆意を学びて枕絵を多くかけり。    肉蒲団ぬくめ夜着などの本あり    〈大田南畝の『浮世絵考証』に同じ〉    ☆ 文化六年(1809)  ◯『金曾木』〔南畝〕⑩309(文化六年十二月記)     〈旗本の大久保(巨川)と摺物の大小会こと。巨川の項参照〉    ☆ 文政元年(文化十五年・1818)    ◯『奴凧』〔南畝〕⑩480(文化十五年成)   〝元飯田町中坂にすめる薬店、剃髪して百亀といふ。若き時より春画をこのみて、西川祐信のかける画本、 春画ともにことごとくおさめけり。  その自ら絵がける春画、板行になりしは、肉蒲団、ぬくめ夜着、此外にも猶あるべし。落とし咄しの本 も多し。小本に書しは、卯雲の鹿の子餅をはじめとして、百亀が聞上手という本、大に行れたり。其後 小本おびただしく出し也〟
 〝文武丸といへる丸薬は小松屋が秘方也。老人など大便秘結するによろし。委くは予が板下をかける効能 書にみゆ〟    〈明和期、江戸における西川祐信画の受容には小松百亀の存在も大きいようだ。一方百亀は木室卯雲とともに江戸小咄     の創始者でもあった。卯雲の「鹿の子餅」(春章画)は明和九年刊、『聞上手』(挿絵も百亀か)は翌安永二年の出     版と、あい次いでいる。また南畝と百亀の交渉は、薬の効能を書いてあげるくらいであるから相当親密であった〉    ☆ 文政七年(1824)以前    ◯『仮名世説』〔南畝〕⑩633(文政七年刊)  〝百亀は八十余歳にて寛政の比終れり。此人落し咄の上手にて、聞上手といひしはなしの小冊大きに行れ たり。これ落し咄小本のはじめなるべし〟    ◯『あやめ草』〔南畝〕②81(年月未詳)  〝名にしおふ文武丸をも用ひずによく通じたる小松教訓  これは飯田町小松屋といふ薬屋にある文武丸といへる通薬を年比用ひたればなり〟    〈文武丸の効能を書したばかりでなく、南畝は自らも服用した〉   ◯「南畝文庫蔵書目」〔南畝〕⑲415(日付なし)  〝画部  女容婦美硯 一巻 不知足堂〟    ◯「杏園稗史目録」〔南畝〕⑲467(日付なし)   〝春画并好色本   女容婦美硯 一巻 不知足堂選 娯楽堂蔵   艶堂散人画 〟    〈この不知足堂は百亀か。安永二年刊「聞上手二編」の自序に〝不知足散人〟の名が見え、これは百亀である。「娯楽     堂」「艶堂散人」も百亀の仮名だろう。百亀と南畝との交渉は安永二年頃から寛政五年、百亀の死まで約二十年にわ     たったようだ。南畝の印象では、百亀は木室卯雲と並ぶ江戸咄本の創始者であり、また祐信を信奉する春画の百亀と     いうことになろうか〉    ☆ 天保四年(1833)   ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③298(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   〝小松屋【俗名三右衛門、後百亀といふ】    明和の頃、大小の摺ものヽ画、多く小松屋のかけるなり、西川氏の筆意を学びて、春画をもかけり、肉    ぶとん、ぬくめ夜具等の本あり、元飯田町の薬舗なり     活東子云、此二人、本編にもれたれば、類考より抄出して書加へつ〟    〈「国書基本DB」は『肉蒲団』を石川豊信画か?とする。百亀画としてあがるのは、『風流六女競』(前編明和五年・     後編安永元年)・『風流艶色華結』『古今枕大全』(ともに明和頃)・『花の宴』(安永頃)・『ぬくめ夜着』(成立年     未詳)、いずれも艶本である。また、鈴木春信画の艶本『風流艶色真似ゑもん』の作者としても知られている。ただ、     不知足散人の浮世草子『魂胆遊嬋窟』を鈴木春信画としている。京都大学附属図書館所蔵本目録を見ると春信画とな     っているが、挿絵画像に署名はない。活東子は岩本氏、達磨屋五一と共に『燕石十種』の編者。小松百亀の記事は天     保四年(1833)成立の『無名翁随筆』には収録されていなかったのである。それを岩本活東子が安政五年(1858)『燕     石十種』として校正したとき、『浮世絵類考』から加筆したのある。此二人のもう一人は勝川春章であった〉    ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち)     〝小松屋百亀 明和中の人     俗称 三右衛門(薬種屋なり)居住 元飯田町    明和の頃、略暦の大小摺物多し。小松屋の筆也、西川祐信の筆意を学びて、春画をもかけり〟    〈天保四年成立時『無名翁随筆』には小松百亀の記事はなかったから、この記事は『浮世絵考証』から引いたのであろ     う。ただその際、春画本の書名を削除した〉    ☆ 嘉永三年(1850)    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1391(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   〝小松屋三右衛門 後称百亀、元飯田町薬舗なり    明和の比、大小の摺物、多く小松屋のかけるなり、西川氏の筆意を学びて、春画をかけり、肉蒲団、ぬ    くめ鷹等の本あり、浮世絵類考〟    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪201(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   〝明和中の人、俗称三右衛門、元飯田町に住、薬種屋なり。略暦の大小摺物多し。西川祐信の筆意を学び て春画をかけり。鹿子餅落咄し本大に行わたる〟    〈「国書基本DB」咄本『鹿の子餅』(勝川春章画)は明和九年刊〉    ☆ 明治年間(1868~1911)    ◯『扶桑画人伝』巻之四 古筆了仲編 阪昌員・明治十七年(1884)八月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝白(ママ)亀    小松屋三右衛門白亀ト号ス、江戸ノ人、元飯田町ニ住ス、薬店ナリ。西川氏ノ画法ニ倣ヒテ多ク秘戯ノ    図ヲ画ケリ。又板下ノ絵ヲモ画ク、殊ニ新年大小摺物ノ板下ハ此ノ人ノ画ケルモノ多シ、明和年中ノ人。    明治十六年迄凡百十八年〟  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝明和 小松屋百亀    西川祐信の法に倣ひ、多く秘戯の図を画く〟    ◯『日本美術画家人名詳伝』下p366(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)   〝小松屋白(ママ)亀    薬店ノ主人ナリ、兼テ浮世絵ヲ能クス、三右衛門ト称ス、江戸ノ人飯田町ニ住ス、西川祐信ノ画法ニ傚    ヒテ多ク秘戯ノ図ヲ画ケリ、又板下ノ絵ヲモ画ク、特ニ新年略暦搨画ノ板下ハ此ノ人ノ手ニ成ルモノ多    シ、明和年中ノ人〟    ◯『浮世絵師便覧』p238(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝百亀(ヒヤクキ)    小松屋といふ、楽種屋なり、俗称三右衛門、略暦摺物多し、◯天明〟    ☆ 昭和年間(1926~1987)    ◯『狂歌人名辞書』p184(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝小松百亀、別号和気春風、通称三右衛門、東都飯田町の薬種商、姓滑稽を好み、春画を描き、又落語    「聞上手」等を発行す、寛政五年十二月九日歿す、年七十四、小石川大雄寺に葬る〟    ◯「日本小説作家人名辞書」(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   ◇「小松屋百亀」p745   〝小松屋百亀    通称三右衛門、小松屋百亀、小松百亀、和気春風、不知足散人の号がある。江戸飯田町の薬種商、戯作    の外に、西川祐信の画に巧である。寛政五年十二月九日歿、年七十四、小石川大雄寺に葬る。「聞上手」    (安永元年(1772)刊)の作者〟     ◇「百亀」p818   〝百亀    俗称小松屋三右衛門。江戸の人、元飯田町中坂の薬商。剃髪して百亀と云ふ。画を西川祐信に学んだ〟     ◇「奇山」p724   〝奇山    小松屋百亀の別号、小松屋百亀を見よ。「聞上手三編」(安永三年(1774)刊)及び「甲越勇士鑑」    (弘化四年刊)の作者〟    〈「日本古典籍総合目録」『聞上手』三編・咄本・不知足散人(小松屋百亀)作・安永三年(1774)刊。『甲越勇士鑑』     合巻・石亭奇山作・一猛斎芳虎画・弘化四年(1847)刊。前者は奇山作ではない、また後者は時代が違い過ぎる。し     たがって、このデータから奇山を小松屋百亀の別号とすることはできない〉     ◇「不知足散人」p823   〝不知足散人    小松屋百亀の別号、小松屋百亀を見よ。「聞上手二編」(安永二年(1773)刊)の作者〟    ◯『浮世絵師伝』p156(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝百亀    【生】           【歿】寛政四年(1792)-八十余    【画系】          【作画期】明和~天明    小松屋と称する薬種商なり、俗称三右衛門、別号を小松軒といふ、西川祐信の画風を慕ひ、よく春画本    を描けり、又、略暦の摺物など数多あり、飯田町中坂に住す。墓所、小石川大雄寺〟    ◯『浮世絵年表』p127(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   「明和年間」(1764~1772)   〝此頃、浮世絵師小松屋百亀(麹町飯田町の薬種屋にて、西川祐信を私淑し、専ら春画を画けり。通称三    右衛門。寛政四年、八十余歳にて歿せしといふ)〟    ◯『浮世絵年表』p154(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「寛政四年 壬子」(1792) p154   〝小松屋百亀歿す。行年八十余歳。(江戸飯田町の薬種屋の主人にして、俗称三右衛門、剃髪して    小松軒百亀と号せり。性絵画を好み、殊に京都の西川祐信の絵を私淑し、春画に工みなり)〟    △『増訂浮世絵』p79(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝小松屋百亀    俗称は三右衛門、江戸の人で、元飯田町に住んだ薬種屋の主人である。小松軒とも号し、剃髪して百亀    といふた。この人は落語の上手であつたといふ。略暦の大小の摺物を作つえ居る。明和二年の絵暦で小    松軒と署名したものがある。この人は春信に私淑した人で、祐信の絵本や春画の類を集め、自分も春画    を画き出版したものがある。その画風はよく祐信に似て居るが、また春信などにも似た所がある。要す    にその人は祐信の直門ではなく、祐信の絵が江戸にまで影響したことを考へるには、面白い材料である。    寛政四年に八十余歳で没し小石川の大雄寺に葬つた〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔小松百亀画版本〕     作品数:13点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:小松・素松・不知足散人・不知足山人・小松百亀・小松屋百亀    分 類:艶本7・咄本4・浮世草子1・風俗1    成立年:明和5・7~8年(3点)(明和年間合計5点)        安永1~2・4年(5点)(安永年間合計6点)  
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