Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ひろしげ うたがわ 歌川 広重 二代浮世絵師名一覧
〔文政9年(1826)~ 明治2年(1869)・44歳〕
(歌川重宣〈しげのぶ〉参照)
   ☆ 嘉永四年(1851)    ◯「浄瑠璃年表」〔義太夫年表〕   ◇義太夫番付(嘉永四年刊)    歌川重宣画    「亥の三月九日より幸町五丁目◎ニて      竹本鶴太夫・竹沢熊吉・豊沢亀吉・竹本豆熊太夫・竹本小熊太夫」(襲名披露用引札)     署名「重宣画」    ☆ 安政五年(1858)以降    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (「歌川豊広」の項、豊広門人)
    「歌川豊広系譜」     (「一立斎広重」の項)   〝欄外 門人(空白)二世の広重となる 後に立祥と号す〟    〈この記事は、初代広重が没した安政五年(1858)以降のもの〉    ☆ 安政六年(1859)    ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(安政六年刊)    歌川広重(二世)画『富士山十二景』一冊 歌川広重画 安政六序〔目録DB〕    ◯「【十目視所/十指々所】花王競十種咲分」(番付・安政五~六年春刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝浮世画十個(※年齢は番付を安政六年刊とした場合)    蘭画         五雲亭貞秀〈この年53歳〉    豪傑         一英斎芳艶〈初代、38歳〉    細密         歌川国綱 〈二代目、30歳〉    武者 花に風     一寿斎芳員〈年齢未詳〉    図取 かろく来てふけ 一光斎芳盛〈初代、30歳〉    真写 酒の泡     一恵斎芳幾〈27歳〉    彩色         一松斎芳宗〈初代、43歳〉    似㒵         歌川国明 〈初代、年齢未詳〉    艶絵         一麗斎国盛〈二代目、年齢未詳〉    景色         一立斎重宣〈後の二代目広重、この年34歳〉    〈彼等が、三代豊国・国芳・二代国貞に続く浮世絵の担い手を目されていたのであろう。「蘭画」以下の肩書は、絵     師ごとの特長であろう。引用句は服部嵐雪の句だが、これも浮世絵師との関係が今ひとつわからない。一立斎重宣     はこの安政六年、二代目広重を襲名する。その番付はそれ以前の発行〉     〈この番付には安政六年三月逝去の、寿海老人(七世市川団十郎)の名が見える。また、常磐津三味線の五世岸沢式佐    が実子に六世を襲名させ、代わりに五世古式部を名乗ったのがこの安政六年である。すると、この番付は安政六年春    の出版とみてよいのだろう。番付から一立斎広重の名が消えて、浮世絵界の大物は三代豊国(国貞)と一勇斎国芳を    残すのみ。その他の絵師では、二代目国貞が頭一つリードしているようだが、それに続くのがこの「浮世画十個」の    の絵師たちという見立てだ。本HP「浮世絵事典」【う】「浮世絵師番付」の項参照のこと〉    ☆ 万延元年(安政七年・1860)     <七月 豹の見世物 西両国広小路>  ◯「見世物興行年表」(ブログ)    歌川広重画「(豹の体長)」錦絵 二代広重画 丸屋九四郎板(申八月)    ◯『吉原細見年表』   ◇吉原細見(安政七年刊)   『東都新吉原一覧』万延元年秋 三枚続 金鱗堂(尾張屋清七)板      署名「応需 廣重」(錦絵三枚続)    ☆ 万延元年(安政七年・1860)    ◯「絵入狂歌本年表」(〔狂歌書目〕は『狂歌書目集成』)   ◇狂歌(万延元年刊)    歌川広重二世画    『狂歌檜林集』三冊 応翠(広重)画 四方滝水・面堂安久楽編 檜垣連版〔狂歌書目〕    ☆ 文久元年(万延二年・1861)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文久元年刊)    歌川広重(二世)画『江戸名勝図絵』一帖 歌川広重画〔漆山年表〕    ◯「合巻年表」(『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』)   ◇合巻(万延二年刊)※角書は省略    歌川広重(二世)画(袋の画工担当)    『明鴉墨画廼裲襠』初編 梅蝶楼国貞画 表紙 豊国 袋 一立斎広重  三亭春馬作             二編 梅蝶楼国貞画 表紙 豊国 袋 広重筆    三亭春馬作              三編 梅蝶楼国貞画 表紙 豊国 袋 一立斎広重写 三亭春馬作    ◯「【芸園通家】三是相流行合性(さんぜそうときにあいしやう)」    (番付・文久元年春刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝狂句 ほめそこないが 六代目川柳    夷曲 おほいもの   花廼屋香寿〈夷曲は狂歌〉    景画         二代目広重    〈三者とも過剰に評価されているという意味か〉    ◯「東都自慢華競(えどじまんはなくらべ)」(番付・文久元年八月刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝景色 師道を  立斎広重〈この広重は二代目〉    大書 そつくり 正木龍塘〟    〈先代一立斎広重そっくりとの評である〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇川柳(文久元年刊)    歌川広重(二世)画『新調絵入柳多留』一冊 広重画 川柳編 朧月夜有人校〔目録DB〕    ☆ 文久二年(1862)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文久二年刊)    歌川広重(二世)画    『広重画譜』一帖 広重筆二代 三亭春馬序 遠州屋彦兵衛 錦鶴堂〔漆山年表〕    『三都集』 一冊 画一立斎広重 天の川都竜ほか撰〔漆山年表〕    ☆ 文久三年・亥(1863)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(文久三年刊)    歌川広重(二世)画    『将軍上洛東海道行列図』一帖 歌川広重等画〔目録DB〕    『東海道御上洛絵』   一帖 歌川豊国三世 歌川広重等画 〔目録DB〕    『東海道絵画』     一帖 歌川広重画 〔目録DB〕    『諸職画通』初二編 広重画二代 藤岡屋慶次郎板〔漆山年表〕    ◯「合巻年表」(『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』)   ◇合巻(文久三年刊)※角書は省略    歌川広重(二世)画(袋の画工担当)    『釈迦八相倭文庫』五十一編 歌川国貞画 袋 立斎画 万亭応賀作              見返し上冊 紫水筆 下冊 名尾/紫水/あづまや筆 袋 立斎画     <三月 象の見世物 西両国広小路>  ◯『武江観場画譜』五十六(朝倉無声収集見世物画譜『日本庶民文化史料集成』第八巻所収)   「大象正写之図」錦絵 署名「広重画」丸屋鉄次郎板〈二代目広重〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇狂歌(文久三年刊)    歌川広重(二世)画    『今様六帖題詠集』三冊 広重画 面堂安久楽 春友亭  ひかき連〔目録DB〕    『今朝六帖題詠集』一冊 一立斎広重画 春友亭梅秀等編 ひかき連〔目録DB〕     ☆ 元治元年(文久四年・1864)    ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(文久四年刊)    歌川広重(二世)画『一字題詠集』三冊 広重画 春友亭梅秀等編〔目録DB〕    ◯「合巻年表」(『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』)   ◇合巻(元治元年刊)※角書は省略    歌川広重(二世)画(表紙の画工担当)    『曽我綉侠御所染』初三編 梅蝶楼国貞画 竹柴言彦・竹柴桃寿合綴             初編表紙 国貞画の扇面図(役者似顔)の背景画に「立斎(広重印)」の松図              二編表紙 同背景画に「立斎(広重印)」の竹図             三編表紙 同背景画に「立斎(広重印)」の梅図    ☆ 文久~慶応頃    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇絵画(文久~慶応年刊)    歌川広重二世画    『一立斎広重絵手本』一帖30面 署名「一立斎」「広重一立斎」〔目録DB〕              所蔵印「一蝶斎国秀蔵(印)」    ☆ 慶応元年(元治二年・1865)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(慶応元年刊)    歌川広重二世画    『四季のながめ』一冊 是真・広重等画〔漆山年表〕    『末広五十三次』一帖 広重等画   〔目録DB〕    ◯『歳成記』風鈴山人著 玉家如山蔵板 乙丑仲秋(慶応元年八月)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)◎は難読文字( )は本HPの注記   〈当時人気のあった浮世絵師や戯作者などを吉原細見に擬えて格付けしたもの〉   〝浮世屋絵四郎 〈浮世絵師〉     (不明)  清満  下や    芳藤  国時     おふなぐら 貞秀  中はし   芳年  芳富     京ばし   芳虎  おふなぐら 国輝  重次     ほん丁   芳艶  (不明)  房種  重清     ほんじよ  国貞  ◎大き◎丁 芳豊  芳延     中はし   広重  あさくさ  芳春  芳滝     すは丁   芳幾  下や    芳盛  艶豊     ひもの丁  国周  やなぎ原  国久  艶政               同     国孝  幾丸                         幾年     やくしや/にがほ/むしや/めい/しよ/けしき/女ゑ/合くはん     かはりゑ/ゑでほん/かき入/きはもの/かんばん/あふぎ     (役者 似顔 武者 名所 景色 女絵 合巻 変わり絵 絵手本 かき入? 際物 看板 扇)     やりて せり(遣手 ?)〟    〈この広重二代か三代かよく分からない。因みに広重二代が安藤家から離縁されたのはこの年である。ただ、明治元     年の『歳成記』に載る広重三代の格付けが、この慶応元年のものより下であることを考えると、この広重は二代のよう     な気がする。本HP浮世絵事典の「う」の「浮世絵師の番付」か広重三代の項参照〉  ☆ 慶応二年(1866)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(慶応二年刊)    歌川広重画    『江戸方角名所杖』初二編 画工立祥画 立斎広重画 又玄斎南可撰 大和屋喜兵衛板〔漆山年表〕    『道しるべ』三冊 画工二代目広重改喜斎立祥 大和屋孝助他板〔漆山年表〕    〈版本における喜斎立祥の署名はこの慶応二年からか。改名は慶応元年。なお国立国会図書館デジタルコレクションの書     誌は書名を『御府内八十八ケ所道しるべ』とする〉    ◯「合巻年表」(『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』)   ◇合巻(慶応二年刊)※角書は省略    歌川広重(二世)画(袋の画工担当)    『七不思議葛飾譚』五編 歌川国貞画 袋「立斎画」柳亭種彦作    『新局九尾伝』  四編 歌川国貞画 袋「立祥画」為永春水作  ☆ 明治二年(1869)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治年二刊)    喜斎立祥    『御府内八十八ケ所道しるべ』天地人三冊 口絵1 鮮斎永濯・挿絵「二代目広重改 喜斎立祥」大和屋孝助等     (天に慶応元年の序、明治二年の跋)  ☆ 刊年未詳    ◯「絵入狂歌本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録)   ◇狂歌(刊年未詳)    歌川広重二世画『狂歌くばり物張交帖』一帖 広重二世等画 文久~慶応頃〔目録DB〕    ☆ 没後資料    ☆ 明治四年(1871)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(明治四年刊)    歌川広重二代画『絶景一覧図』一帖 応需広重筆二代 ◎万屋辰五郎板〔漆山年表〕    ◯『こしかたの記』(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)   「発端」p15   〝(鉄砲洲稲荷神社)祖母がまだ生家にいた頃の神社は、今より北へ寄った稲荷橋の南袂、大川の河口    に近く、諸国の廻船が出入する船着場の河岸に在ったと云う。現地に移った時期はまだ訊いていないが、    三代目豊国と、二代目広重の合作「江戸自慢三十六興」という組物の錦絵には、旧地の風景と、境内の    富士祭での土産と見える麦藁の蛇を提げた町娘が画いてある。豊国の落款に喜翁とあるので、それが文    久二年の作と解る〟
    〈「江戸自慢三十六興」は「子二」の改印があり、元治元年の刊行〉
    「鉄砲図稲荷」「江戸自慢三十六興」 喜翁豊国筆・広重筆     (東京都立図書館・TOKYOアーカイブ)    ◯『古代浮世絵買入必携』p12(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝【二代】歌川広重    本名〔空欄〕   号 一立斎   師匠の名 初代広重  年代 凡三十年前より五十年迄    女絵髪の結ひ方 第十三図 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)    絵の種類 並判、中判、小判、細絵、絵本、肉筆    備考   景色及花鳥の図、割合に高価なり〟    ◯『浮世絵師便覧』p238(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝広重(シゲ)    一世広重門人、後養子となり、師名を継き、二世広重と称せしが、故あり、家を出づ、横浜にて二代目    広近と号せしは此人なり、◯慶応〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川広重伝」p182(飯島虚心著・明治二十七年、新聞「小日本」に寄稿)   〝広重の先妻の名詳ならず。早く死す。後妻其の名また詳ならず。一女を設く。広重の没するや、門人重    宣をこの女にあわせて家を継がしむ。これを二世広重とす。立祥といい、喜斎と号す。山水花鳥を画く    おなし。よく一世の筆意を守りて失わず。その落款一世と異なることなし。ゆえに人おおくは一世二世    を弁ずる能わざるなり。落合氏(芳幾)いわく、二世広重は好人物なり。予は屢(シバシバ)彼に出逢いし    が、性正直にして事に処する甚だ謹慎なりし。或は世事にうとき所なきにあらざれども、画道におきて    は頗る妙所あるがごとし。惜しむべしと。後に故あり家を出で横浜に赴き、再び重宣と号し、絵画を業    とせしが、幾ならずして没せしという。二世の家を出ずるや、同門重政代りて家を継ぐ。これを三世広    重とす〟    △『絵本江戸風俗往来』p285(菊池貴一郎著・明治三十八年刊)   〔平凡社 東洋文庫版・鈴木棠三解説〕   〝安政五年九月六日、初代広重が死んだあとに、後妻と養女が残った。若い養女のお辰が門人の重宣と結    婚し、ここに二代広重が出現したが、どうもあまり行かず、慶応元年に離婚し、重宣は安藤家を離れて    以後は筆名を喜斎立祥と改める(明治二年没。四十四歳)。ついでお辰は初代の門人重政と再婚し、三    たび広重が出現する。この人は事実上は三代広重だが、二代と称し、墓石にも一世顕巧隆院機外立斎居    士としるされた(明治二十七年没、五十三歳)〟     〝付記〈以下、五世広重・菊池寅三翁からの聞き書き〉    重宣は本当に江戸ッ子らしい人で、或る朝「じゃァお辰さん、これで」と絵道具をまとめて、ぷいと安    藤家を出て行った。その後三代がお辰と夫婦になった。重宣の最期はよく分からない〟    ◯『狂歌人名辞書』p188(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝歌川広重(二代)、初代広重門人、初号重宣、通称鈴木鎮平、初代広重の家を襲ぎしも故ありて離緑せ    られ、喜斎立祥と号す、晩年横浜に住し、明治二年四十四歳にて歿す〟    ◯『浮世絵師伝』p160(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝広重 二代    【生】文政九年(1826)   【歿】明治二年(1869)-四十四    【画系】初代広重門人    【作画期】弘化~慶応     鈴木氏、歌川を称す、俗称鎮平、初め画名を重宣といひ、一幽斎と号す、後ち師の女婿となり、又師     の歿後(安政六年)二代一立斎広重の名を継ぎしが、慶応元年故ありて安藤家を去り、画名を改めて     喜斎立祥といふ、曾て横浜在住の頃、彼地より海外へ輸出する茶箱に貼付用の木版画を描きし事あり、     彼の作品は風景及花鳥を題材とせるもの多く、かの『名所江戸百景』中に於ける「赤坂桐畑」及び文     久元年版の「隅田川八景」(大判竪絵)の如きは、彼の傑作として見るべきものなり。彼れ師家を去     りて後、新橋滝山町に住す、姓を森田(一に盛田)と改めしは其頃か〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「安政六年 己未」(1856)p238   〝此年、広重の門人重宣、師家の養子となりて二代広重と名乗る。時に歳三十四〟
  ◇「文久元年(二月二十八日改元)辛酉」(1861)p240   〝正月、二代広重の『絵本江戸土産』八編出版〟
  ◇「文久二年 壬戌」(1862)p240   〝六月、二代広重の『広重画譜』出版〟
  ◇「文久三年 癸亥」(1863)p241   〝正月、二代広重の画ける『諸職画通』二冊出版〟
  ◇「元治元年(三月朔日改元)甲子」(1864)p241   〝正月、立祥広重の『絵本江戸土産』九・十編出版〟
  ◇「慶応二年 丙寅」(1866)p243   〝四月、立祥広重の画ける『江戸方角名所杖』二冊〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)   〝歌川広重門人 重宣(二世広重)〟
    「歌川系図」    △『増訂浮世絵』p270(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝二代広重    二代広重は初代広重門人で、俗称を森田鎮平といひ、号を初め重宣といふた。初代の養女お辰に配して    二世広重となり、一立斎又立斎といつた。此の襲名は安政六年頃で、お辰が十五六歳の時であつた。初    代の作風を継いで、江戸の名所その他の風景画に相当の作例もあつたが、お辰の二十二歳の時、慶応元    年に、夫妻の不和が因となつて、安藤家から離縁された。その後は屡々横浜に往復して、当時外国貿易    の漸次盛んになりつゝありし頃とて、西洋向きの絵に筆を取り、殊に輸出向きの茶箱に版画を作り、茶    箱広重の名で、外人間に重宝がられたといふ。又、後には喜斎立祥の画号を用ひて製作したが、その中、    三十六花撰といふのは種々の花を主題とした一種の景色画である。もと絹地へ画いたものであるが、そ    の出来栄えがよかつたので、板元の需めに応じて、大錦判の竪絵に作つたのである〟    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p91(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝広重 二代(ひろしげ)    始め鈴木鎮平、初代広重門人、一幽斎重宣といつたが、師の養女の婿となり、師の歿後は二代一立斎広    重の名を継いだ。慶応元年、故あつて師を去り、名を喜斎立祥と改めて、森田と称している。師家を去    つたのちは、一時横浜に移り、海外に輸出する茶箱に貼付ける版画を描いた。風景、花鳥の他に、横浜    絵を得意とした。文政九年生れ、明治二年、四十四才で歿した〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔歌川広重二代画版本〕    作品数:38点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:安藤・重宣・一立斎・喜斎立祥・立斎・一立斎・立斎広重・広重二世・一立斎広重二世・        歌川広重・安藤広重二世・広重・歌川重宣     分 類:絵画(名勝図会等)13・狂歌6・遊戯(双六・判じ物)4・絵本4・地誌2・川柳1・        歌謡1・寺院1・往来物1・風俗1・教訓1・百人一首1    成立年:嘉永2序・4年(2点)        安政6年   (2点)        万延1年   (1点)        文久1~3年 (9点)        元治1年   (2点)        慶応1~3年 (7点)     (重宣名の作品)    作品数:6点    分 類:遊戯(判じ物、双六)3・教訓1・風俗1    成立年:嘉永2序・4年(2点)
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