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☆ ひかる つぶり 頭 光浮世絵師名一覧
〔宝暦4年(1754) ~ 寛政8年(1796)4月12日・43歳〕
 ☆ 天明三年(1783)    △『狂文宝合記』(もとのもく網・平秩東作・竹杖為軽校合、北尾葎斎政演・北尾政美画・天明三年六月刊)   〔天明三年(1783)四月二十五日、両国柳橋河内屋において開催された宝合会の記録。主催は竹杖為軽〕   〝望夫貝 一名魁蛤  つむりの光 家宝〟   (画の説明文)〝望夫貝〟   (狂文)〝肥前国領巾麾山松浦明神所祭佐用媛也。さよひめ夫さて彦に別れをおしみ、松浦のがんぎでこ    がれ/\こがれ死に死かたまり、たちまち五尺の望夫石と成る。其五尺の真ン名中より夫をしたひ/\、    したひと思ひ詰し一念こりとけて、一滴の雫松浦の海に落て一ッの貝となる。是望夫貝なり。其形女の    情所に似ておかし。此心をよめる     万葉 とをつ人松浦さよつまごひにひれひりしよる落る貝の名    是より日本の世俗、女の情所を貝の名に比して呼なせり。曰中肉新造の蛤、禿子の蜆貝、但鮑は吸付く、    略語すべて此類なるべし。既に此珍宝もろこしへ聞へ、朝鮮人祭礼の時ひたすら乞にまかせ見せしめけ    れば、嗚呼日本第一の上貝と台所唐人讃美せり〟    〈この狂文によれば、松浦佐用姫は、夫との別れを惜しんで、領巾(ヒレ)を振り、そのまま石と化したばかりではなかっ     た。夫を思う一念は石から溶け出して、海に落ちて蛤となったというのである。ところで、この宝合会に出品参加し     た浮世絵師は、北尾政演(身軽織輔・山東京伝)、北尾政美(麦原雄魯智)、窪俊満(一節千杖)、歌麿(筆綾麿)、     喜多川行麿。また、浮世絵師ではないが、浮世絵を画いた絵師としては、このつむりの光、そして恋川春町(酒上不     埒)、高嵩松(元の木阿弥)などが参加している〉    △『判取帳』(天明三年成る)   (浜田義一郎著「『蜀山人判取帳』補正<補正>」「大妻女子大学文学部紀要」第2号・昭和45年)   〝四方先生をとひ侍りけるとき御茶の水をすぎける時ほとゝぎすを聞きてよめる   御仏の産湯にあらでお茶の水てつぺんかけてほとゝぎす鳴 つむりの光〟    (四方赤良(大田南畝)注〝号文笑〟    〈四月八日頃の詠である〉    ◯『巴人集』〔江戸狂歌・第二巻〕四方赤良・天明三年詠   〝つふりの光におくる      夕顔のやど屋の軒におつぶりの光源氏とあやまたれぬる〟    ☆ 天明四年(1792)    ◯『狂歌すまひ草』〔江戸狂歌・第二巻〕天明四年刊   〝山家客   山々の酒にて友を呼子鳥おほつかなくは見へぬかくれ家   つむり光〟   〝上水御祓  さばへなす神田にかゝる御祓して八百よの町をきよめ玉川  つむりの光〟   〝豊島屋田楽 田楽のくしげの露は涙かもみそめてこかれくらすとしまや  つむりの光〟   〝石原菊   菊咲てあらたに垣を組やしき折へからすとかたき石原    つむり光〟   〝立役    ゑんあらばかさねて合んそれまではさらばとおしき閨を立役 つむりの光〟   〝連子窓月  身あかりの琴のしらべもすみわたる想夫れんじの窓にてる月 つむりの光〟   〝三月尽   花ちりてしまひしよし野川葛籠かたげて春の暇乞哉     つむりの光〟   〝不遇恋   いぼ結ひにむすぶの神の結てや今に一度もとけぬ下紐    つむり光〟   〝述懐    たらちねの我黒髪を烏羽玉のよる昼なでゝかくははげけん  つむり光〟   〝畳さしゝ  さしつけていはねば胸に畳やの思ひをつむやひとり寝の床  つむりの光〟    ◯『栗花集』〔江戸狂歌・第二巻〕(四方赤良編・天明四年九月十五日詠)   「神田祭 隅田中汲がもとにをくれる也」   〝笛の音もふけて日和もよい桟敷星もかん/\かんだ祭礼〟    ☆ 天明五年(1785)    ◯『狂言鶯蛙集』〔江戸狂歌・第二巻〕(朱楽漢江編・天明五年刊)   〝三月尽  花ちりてしまひし吉野かはつゝらかたけて春のいとまこひ哉 つむりのひかる〟   〝不逢恋  いほ結ひにむすぶの神のむすびてや今に一度もとけぬ下帯  つむりのひかる〟   〝早乙女恋 早乙女のさみだれ髪をとりあげてせめて一夜はなびき玉苗  ひかる〟    ◯『徳和哥後万載集』〔江戸狂歌・第二巻〕(四方山人編・天明五年刊)   〝郭公   一日に八千八声うけあふて山ほとゝぎすあはぬとぞなく     つむりの光〟   〝旅宿郭公 夏の夜のみじかき夜着に足引の山ほとゝぎすきく旅の宿     つむりの光〟   〝歳暮   年波のよするひたゐのしはみよりくるゝはいたくおしまれにけり つむりの光〟    ◯『俳優風』〔江戸狂歌・第三巻〕(唐衣橘洲・朱楽菅江・四方赤良編・天明五年八月成稿)    挿絵・署名「つむり光画」「光画」   〝馬役 身のをもき役者をもちに月影やあはれ栗毛のもゝ引のこま つむりの光 四方〟    〈蔦屋重三郎板〉    ◯『夷歌百鬼夜狂』〔江戸狂歌・第三巻〕(蔦唐丸主催「百物語」会・天明五年十月十四日詠)   〝長髪    長髪の女の姿は川柳どろ/\/\に裾や引ずる      つふり光〟   〝殺生石   ばけのかはの玉藻を狐いたゝいて櫛笄となすの原かも   ひかる〟   〝肉吸    傘のあばら骨のみ残けりあらにくすひの夜の嵐や     光〟   〝猪熊    草摺をくはへて空へいかのぼりいと目もすごくみゆる猪熊 光〟   〝一つ目小僧 雨ふりてふり出したる一つ目の小僧はろくろ首のうら目歟 ひかる〟   〝大入道   すむ穴も大広袖の入道が名にはおはざるなまくさき風   ひかる〟   〝越中立山  魂返す薬の出る国なればなき人にあふ越のたて山     ひかる〟   〝皿屋敷   ひと二つ三つよもふけて七つ八つ九つわつとよぶ皿の数  光〟   〝あやかし  ぬいてかすそこきみわるきひしやくさへあぶなき玉か舟のあやかし 光〟   〝大座頭   身のたけも高き利足の座頭坊金のたゝりのおそろしき台  ひかる〟    ◯『下里巴人巻』〔江戸狂歌・第三巻〕(四方赤良・天明五年詠)   「十一月十九日 顔見世霜」(四方赤良の狂歌会)   〝つむり光 木々の葉の色の手際に顔みせの隈筆染る明ほのゝ霜〟    ☆ 天明六年(1786)    ◯『新玉狂歌集』〔江戸狂歌・第三巻〕(四方赤良編・天明六年刊)   〝伯楽連 つふり光 死にたくもありし去年にはひきかへて命ながくと思ふ春かな〟   〝ひかる 銭金はたまらで過る月日にもことしののびのみゆる子のたけ〟    ☆ 天明七年(1787)    ◯『狂歌才蔵集』〔江戸狂歌・第三巻〕(四方赤良編・天明七年刊)   〝春歌 上  ちよろ/\とひきあけ方白鼠ちいさな宿も春は来にけり   つふり光〟   〝春歌 下  花の山色短冊酒さかな入相のかねにしめて何程       つふり光〟   〝夏歌 氷室 とけさせはつかまつらしと氷室守をのれもかたくゐてついている つふり光〟   〝恋の歌とて みすもあらすみもせぬ人の恋しきは枕草子のとがにぞ有ける つふり光〟   〝述懐    母のちゝ父のすねこそ恋しけれひとりてくらふ事のならねば つふり光〟   〝芝居のかほみせの日 花道つらねに幕をおくりける人々とをなしくよみてつかはしける          我等代々団十郎をひいきにて生国は花の江戸のまん中    つふり光〟   〝不殺生戒  をのが身のあかとはしらであさましや虱くすりをはたにふるゝは つふり光〟   〝伊勢に詣て侍りける時            天てらす神の教の道すくに日本橋より百二十余里 つふり光〟    ◯『狂歌千里同風』〔江戸狂歌・第三巻〕(四方山人序・天明七年刊)   〝伯楽の人々と俳優の心もてよみ侍りける  つふり光      春霞たちやあがれへはみんなうそおたちあそばせ四季の座かしら〟    ☆ 天明八年(1787)    ◯『鸚鵡盃』〔江戸狂歌・第三巻〕(朱楽菅江編・天明八年刊)   〝立春   梅にしる山家の春に引かへて暦て覚ふ里のさるどし     つふり光〟   〝年内立春 かざり藁茸あはせすの年のうちしきりに春の来るぞせはしき つふり光〟    ◯『狂歌数寄屋風呂』〔江戸狂歌・第三巻〕(鹿津部真顔編・天明八年十月序)   〝とこ山は我名もらすなとみかどのよませ給ひけんいとおかし      花くさの明ほのさむきとこのやまわがなもらすな俎板の上  つふりの光〟   〝(長文の詞書 全略)      仏には遣はれまいと歯かためをすればめでたき今のゆづり葉〟    ☆ 寛政三年(1792)    ◯『狂歌部領使』〔江戸狂歌・第三巻〕(つふり光序・寛政三年序)   〝恋   難波江の風にもまるゝ汐なれや忍戸口にあしのふるふは  つふり光〟   〝恋   待ちかねて気ををとしたる小夜中に君のお出は拾ひもの也 つふり光〟   〝恋   千巻の経にもまさる御返事にうれし涙ぞ先うかみぬる   つふり光〟   〝恋   一つ家の鬼ともならで石よりはおもき枕にふせる恋やみ  つふり光〟   〝納涼  ゆあみして払ふ衣のちりひちやつもりて涼し庭のつき山  つふり光〟   〝荒和祓 飼にあさる鴨の川瀬の夕めしのおはち払ひの水の白ゆふ  つふり光〟   〝恋   つふり光           君まてば尻もすはらで一夜さへさらにもゝ夜のこゝ地するかな〟        楊貴妃にたとへし故か呉国ほど君のことばの違ふ約束〟        くどけどもとかくに君はかた法華我に思ひの数珠をきれとや〟   〝萩   庭もせの萩に臥猪のなきものを鉄砲垣はきつい用心    つふり光〟   〝野分  元日の御用心より野分の夜我をねさせぬ杖も大徳     つふり光        すみふるす家はゆがめど杖つきののわきの風にかくは崩れき〟   〝恋   鐘の声此あかつきはひゞくなと閨にたてたき禁制の札   つふり光〟   〝雁   光陰の矢根なるかも春のまゝかりまた見ゆる中秋の空   つふり光〟   〝九月尽 をしめども脚半の色の白露をしもに結びてけふかへる秋  つふり光〟   〝恋   しのび逢ふ身には守もうの時にかへれとつくる七ツ目の鶏 つふり光〟   〝初冬  池水に氷の敷居はしりよくなじむ鴨居の冬の入口     つふり光〟   〝雪   いたづらに作れる雪の大達磨とけてさて/\尻くさらかし つふり光〟   〝歳暮  塩鮭のはらにはりたる竹弓に矢をいるごとく年はくれにき つふり光〟   〝更衣  ぬきかふる衣び帯はあまれども春の日数はたらで過ぎけり つふり光〟      ◇「狂歌とこりつかひ 附録」   〝立春  節料理相かはらずにけさ春のたつくり鱠うちかすみけり  つふり光〟   〝恋   逢ざればとかく八卦をおきふしに人の心を唯うらみぬる  つふり光〟   〝恋   夏痩と人には隠すくるしさよ我むねの火のあつさまけをも つふり光〟   〝漸傾月 照まさる時も子の時うしの角さすや八月十五夜の影    頭光〟   〝落葉  寝てきけば落るはおとのしさまじや頃は鼠のかみな月とて つふり光〟   〝恋   蜘の糸くるにきはめて来ぬ人の心はねからよめぬからうた つふり光〟    ☆ 寛政四年(1792)    ◯『狂歌四本柱』〔江戸狂歌・第三巻〕(桑楊庵(つふり光)序・寛政四年刊)   〝立春  春たつと女子供にしれ安くこほりを風のときをしへたり   つふり光〟   〝梅   邯鄲の枕とあちらこち風にさめて万花の梅のあけぼの    つふり光〟   〝恋   あだ人はとかく氷のうはすべりひるはとけるも夜はとけぬ也 つふり光〟   〝五月雨 五月雨のふるは卞和か泪かもいたく玉江にあしをかられて  つふり光〟   〝七夕  一夜でもから付たらみにならん此夕顔のつるのたなばた   つふり光〟   〝恋   くどけどもととかくに君はかた法華我に思ひの数珠を切とや つふり光〟   〝歳暮  書出しのたまれば年の芥川るすとこたへてきえなまし物   つふり光〟    ◯『狂歌桑之弓』〔江戸狂歌・第三巻〕(桑楊庵光編・寛政四年刊)   〝きのふよりけふはかくべつ青柳に見ほれてふかき春の色哉  桑楊庵光〟    ☆ 寛政五年(1793)    ◯『太郎殿犬百首』〔江戸狂歌・第三巻〕(桑楊庵光編・寛政五年刊)   (序) 〝寛政五丑のとし 桑楊庵主人いふ〟   (刊記)〝寛政五癸丑歳正月吉日      馬喰町三丁目 若林清兵衛                   江都書肆 浅草諏訪町  山中要助板〟    ◯『狂歌上段集』〔江戸狂歌・第四巻〕(桑楊庵頭光・尚左堂俊満等編・寛政五年)   〝梅   冬あれし手のひらほどの我庭もきめこまかにぞ梅の咲ぬる 桑楊庵〟   〝鶯   身をかろく木伝ふために鶯のやがて酢になる梅を好む歟  桑楊庵〟   〝万歳  万歳の素襖の鶴もたちしほにやつといふたる徳若の浦   桑楊庵〟   〝西行忌 上人をとへる泪歟しろかねの猫の耳こすけふの春雨    桑楊庵光〟    ◯『四方の巴流』〔江戸狂歌・第四巻〕(狂歌堂真顔編・寛政五年刊(推定)   〝交張にはるは屏風の絵の如し松の日の出に梅に夕月  桑楊庵光〟    ☆ 寛政七年(1795)    ◯『四方の巴流』〔江戸狂歌・第四巻〕(鹿津部真顔編・寛政七年刊)   (四方赤良(後の蜀山人)が狂歌堂鹿津部真顔に古今伝授めかして判者をゆずるを寿ぐ狂歌集の詠)   〝いさ折ていひわけにせん我妻のとがむばかりの梅のうつり香  桑楊庵光〟    ◯『二妙集』〔江戸狂歌・第四巻〕(唐衣橘洲序・寛政七年刊)   〝時鳥 一声も丸てはきかぬほとゝぎす半分ゆめのあかつきのころ 桑楊庵光〟    ☆ 寛政八年(1796)(四月十二日没・四十三歳)  ◯『東京掃苔録』(藤波和子著・昭和十五年(1840)四月序 八木書店 昭和48年版)   〝本郷区 瑞泰寺(蓬莱町四八)浄土宗    桑楊庵光(狂歌)本名岸誠文、通称宇右衛門、蜀山人に狂歌を学び 巴人亭・つぶり光ともいふ。寛政    八年四月十二日没 年四十三。恕真斎徳誉素光居士。    (七周忌の歌碑)ひと声も丸ではきかぬほととぎす半分夢の暁のころ〟  ◯『狂歌晴天闘歌集』〔江戸狂歌・第四巻〕(後巴人亭つむりの光編・寛政八年刊)   〝春月   大空に霞の底やいれぬらん軒端をもらぬ春の夜の月      桑楊庵〟   〝寄能恋  つゝめども能の面の名に立て痩男とや人のうたはん      桑楊庵〟   〝更衣   脱かへていかにかゝるもはづかしや釣する海士のはりめ衣は  桑楊庵〟   〝寄相撲恋 思ひ川床の海とは角力にもいまだ名乗ぬ我涙かな       桑楊庵〟   〝蚊火   けぶしてもまたうたかひの蚊の声に二のあし火たく難波人哉  桑楊庵〟   〝蓮    御仏の器の蓮のまろき葉に随ふ水も友によるなり       桑楊庵〟   〝稲    穂波うつ稲負をのこかりしほにかたもみへねばあしもかくるゝ 桑楊庵〟   〝神楽   明ちかき夜の神楽のにはつ鳥をとりもをどれめんもきて舞へ  桑楊庵〟   〝寄魚恋  片おもひ鯛の骨なる鍬鎌よほれてもくれすかりねをもせぬ   桑楊庵〟    ◯『増訂武江年表』2p13(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)      〝(寛政八年)四月十二日、狂歌師桑楊庵光(ヒカル)卒す(称岸右衛門、駒込瑞泰寺に葬す)〟    ☆ 没後資料    ◯『浮世絵考証』〔南畝〕⑱444(寛政十二年五月以前記)   〝一筆斎文調 (以下朱筆)門人岸文笑(以下二行割書き)【絵冊子ニ此名アリ/狂歌士頭光】    男女風俗、歌舞伎役者画ともにつたなき方なり〟    〈文笑は文調の門人で絵本にその名が見え、つむりの光はその狂歌師名だという記事である〉    ◯『新撰狂歌百人一首』〔江戸狂歌・第七巻〕(六樹園宿屋飯盛編・文化六年(1809)刊)   〝北むきはいづれも毒としりながら堪忍ならむ河豚と吉原  光〟     ◯『万代狂歌集』〔江戸狂歌・第八巻〕(宿屋飯盛編・文化九年(1812)刊)   〝春歌      ちよろ/\とひきあけかたの白鼠ちひさな宿も春はきにけり つふり光〟   〝屠蘇の酒くみて おほかりし酒屋のかけのこりずまにけさとりあくるとその盃 つふり光〟   〝題しらず    まぜはりにはるは屏風の画のごとし松の日の出に梅の夕月  つふり光〟   〝七草の日に   なゝくさのあけほのさむき床の山わかなもらすな俎のうへ  つふり光〟   〝霞をよめる   一筋の霞や春のひたち帯冬とはそらもうらかへりたり    つふり光〟   〝題しらず    春のたつ東山より諺のかすみの衣きたふれの京       つふり光〟   〝鶯をよめる   身をかろく木つたふために鶯のやがて酢になる梅をこのむか 光〟   〝柳の枝に鶯のなきければ            はゝきゝをさかさにしたる青柳にほつたて尻の鶯ぞなく   つふり光〟   〝山間鶯を    をちかたの親類よりも山すみはちかくのたにの鶯ぞよき   光〟   〝若菜を     葛飾の春の川辺に初荷舟江戸をさしてやわかなつむらん   光            春の野の御製の若菜冥加なや手もぬらさずに一把三文〟   〝余寒を     槌やすむ鉄たくみほと春さむみとけんともせぬ雪の下水   つふり光〟   〝雪のこるりるを 岩かげの雫となりてはぬるなり兎をみえしこぞのしら雪   つふり光〟   〝柳を      五もとの冬かれ柳春くれば枝も若葉にかへんなんいざ    つふり光〟   〝柳靡風をいふを 青柳の糸より引て系図ほど千筋に枝のわかる春風      つふり光〟   〝山蕨を     よし野山谷間をのぞくさわらびはおのれかあくのざんけするかも つふり光〟   〝帰雁を     よみやすき文かも雁のかへり点句をきり星のみゆる暁    つふり光〟   〝花を      田楽の味噌をば人にまかせつゝ花にこゝろをつくる頃かな  つふり光〟   〝志賀山越を   ちりかゝる花の衣を狼のきてはたまらぬ志賀の山越     つふり光〟   〝雛を      雛棚の花を見すてゝあたゝかな風に砂糖のかへる落雁    つふり光〟   〝汐干にいきて  尋ればこゝにあり/\汐干潟(ママ)まりのつまみの紫の貝〟   〝桃の花のさきけるを ねかはくは三千とせをへて春死なん王母か桃の花のもとにて 光〟   〝藤の花のさきけるを 松の木の股もさけぬとみゆるなり夏へまたきし藤の花房   つふり光〟   〝春の日菅神の御社にまうでゝ 菅原の北の方にて南より紅梅とのゝ花はひらけり  つむり光〟   〝郭公を     ほとゝきす自由自在にきく里は酒屋へ三里豆腐やへ二里     つむり光            きゝし事尻へぬくればほとゝきすいつも初音のこゝちこそすれ〟   〝酢を      早漬のおしにおくのゝ大石をとるや真田の与一夜のすし     つむり光〟   〝月前網を    てる月に魚のみえすくよつ手網かゝらぬ物は雲ばかりなり    つむり光〟   〝題しらず    虫の音のたえたる霜のさむき夜になく物とてはこれきり/\す  つむり光   〝鴛鴦を     つるき羽のをるゝばかりの冬風にみけんじゃくほどめくるをし鳥 つむり光〟   〝霙を      酒の名のみそれふる日はたへかねて下戸も雪解雫ほどのむ    つむり光〟   〝懐旧を     元結をくひきりたるもむかしにて歯にいとたのむ口をしの世や  つむり光〟   〝釈教歌 高野にまうでゝ            鳥ひとつとらせぬ山をたかのとは仮名でかいたる筆のあやまり〟    ◯『十方庵遊歴雑記』二編(釈敬順著・文化十一年(1814)記)   〝駒込瑞泰寺中頭ひかるが墳墓    東武駒込四軒町桂芳山瑞泰寺 浄土 に、近年杏花園六樹園の俊哲取たて、ざれ歌行はれてより是も世に    名高かりし狂歌よび、頭(ツムリ)の光(ヒカル)といへるものゝ墳墓あり、此大人の苗跡は今亀井町にて、家ぬ    し宇右衛門とかやいふ、当寺の本堂の脇に、左の図するごとき墓をたてゝ自詠を刻し、同じく碑の裏に    は同人の行状素性を鍛付置たる事、左の如し、    (墓及び自詠の碑の図あり)      寛政八丙辰年四月十三日      恕真斎徳誉素光居士      巴人亭つぶりの光       ひとこえも丸ではきかぬほとゝぎす半分ゆめのあかつきのころ    (碑の裏面)      翁、名識之、姓岸氏、俗称宇右衛門、其父仕豊岡侯、生翁于亀井街之寓居、翁至中年好狂歌称頭光、      又号桑揚(*ママ)菴、牛門先生以其巴人亭之号与之、自是門徒益進声震海内、嗚呼名玉易砕宝器難全、      寛政八年丙辰四月十二日暁病卒、葬于駒込瑞泰寺後山、今茲壬戌七年之追遠、翁友人尚左堂俊満与      其社中諸子謀、立翁之墓碑、董堂井敬義為之記、併書        伯楽 尚左堂 俊満  鶴辺菴 左保丸  不断  匕持  白鶴亭 羽風           一巻亭 長文  唐橋  和足   青陽亭 万歳        愛樹 露頂軒 芳貫           庭訓舎 綾人〟    〈この碑は享和二(壬戌)年の七回忌に建立されたもの。「董堂井敬義」は中井董堂、狂歌名は腹唐秋人。「愛樹」と     は頭光と格別ゆかりのある人という意味か〉    △『近世物之本江戸作者部類』(曲亭馬琴著・天保五年(1834)成立)   ◇「読本作者部第一」p121   〝桑楊庵光【狂歌師にして偶々読本の作有る者。狂歌堂六樹園の如き、皆之に傚ふ】〟     ◇「読本作者部第一」p166   〝桑楊庵光    光は亀井町の町代岸卯右衛門なり。天明の季の比、四方山人(本HP注、赤良=後の蜀山人)狂哥を擯斥    してより、狂歌堂真顏と倶に、狂歌を唱へて、随一の判者と称せらる。性酒を嗜むの故に、壮年より月    額の跡皆兀て赫うして且光れり、よりてつぶりの光と称す。当時浅草市人・三陀羅法師・浅草千則等、    皆その社中なり。戯作はせざりけれども、寛政三四年の比、貸本屋の需に応じて、兎道(ウヂノ)園五卷を    綴りて印行せらる。こは宇治拾遺に倣ひて、一段限りの物語をかきつめたり。板下の淨書も、光が自筆    也。当時は、かゝる物の本いまだ流行せざれは、巧拙の世評を聞くこともなかりき。寛政八年丙辰夏四    月十二日に没しぬ。駒込瑞泰寺に葬る。或はいふ。名は識之【識一/作誠】〟    △『戯作者考補遺』p6(木村黙老編・弘化二年序)   〝桑楊庵光(ヒカル) 名は識之    亀井町の町代。岸卯右衛門なり。天明の季の比、四方山人、狂歌を擯斥してより、狂歌堂真顔と倶に狂    歌を倡えて随一の判者と称せらる。性、酒を嗜むの故に壮年より月額の跡みな◯て赭うして且光れり。    よりてつふりの光を称す。当時浅草庵市人、三陀羅法師、浅草干則等、皆その社中なり。戯作はせざり    けれども、寛政三四年の比、貸本屋の需(モトメ)に応じて、兎道園(ウチノソノ)五巻を綴りて印行す。こは宇    治拾遺に做(ナラ)ひて一段限りの物語なり。板下の浄書も光が自筆也。当時はかゝる物の本いまだ流行せ    ざれば巧拙の世評を聞くこともなかりき。寛政八年丙辰夏四月十二日に没しぬ。駒込瑞泰寺に葬る〟  ☆ 明治以降(1868~)  ◯『名人忌辰録』下巻p22(関根只誠著・明治二十七(1894)年刊)   〝桑揚(*ママ)庵光 識之    通称岸宇右衛門、又光甫、狂名つぶりの光。寛政八辰年四月十二日歿す、歳七十(*ママ)。駒込瑞泰寺に    葬る。     辞世 一声はまるでは聞かぬほとゝぎす半分夢の暁の空〟  ◯『見ぬ世の友』巻十五(東都掃墓会 明治三十四年十一月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(巻14-21 14/76コマ)   〝廃墓録(其四)兼子伴雨     頭ノ光之墓    郭公(ママ)自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里 の狂歌を遺せし牛門狂歌四天王の一人頭の光は    姓岸氏、名誠之、通称宇右衛門【一に卯に作る】光甫、桑揚尾(ママ)、巴人亭の別号あり、東都亀井町に    住し町代を勤む、壮年より酒を好みしため頭赤く禿げて光りける故に、頭の光と戯名せり、寛政八丙辰    年四月十二日病んで歿す、享年七十、駒込蓬莱町(旧名四軒寺町)浄土宗桂芳山瑞泰寺に葬り、法号恕    真斎徳誉素光居士と云ふ、明治三十の春、予駒込に赴きし際、同寺を隈なく捜索せしも、遂に求め得ず、    寺僧に就きて之を問へば、何頃にや廃墓せりと答ふ、口惜しき限りなり、東都古墳誌【写本】に頭の光    の墳墓を図せり、兜巾形棹石共三段にて、棹石正面丸に抱柏の定紋ありて、左側に法名歿年月を刻し、    台石正面に地紙形の中に三ッ巴を鐫たり、之れ牛門より得たる処の紋なり、古墳誌は文化二年の著述な    れば其以後の廃墓たるは論なし、其の辞世の碑のみ本堂前に遺りあるは切てもも心遣りなり〟    〈郭公の読みは「ほとゝぎす」。牛門狂歌とは当時牛込に住んでいた天明狂歌の総帥・四方赤良(大田南畝)の狂歌連。四天王と     は天明狂歌四天王で、宿屋飯盛・鹿津部真顔・銭屋金埒と頭光をいう。「桑揚尾」は桑楊庵の誤記〉    ◯『狂歌人名辞書』p185(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝つむり光、桑楊庵、又、二世巴人亭と号す、通称岸宇右衛門、名は誠之、東都亀井町に住し町代を勤む、    画を一筆斎文調に学びて文笑と号す、所謂狂歌四天王の随一にして伯楽側の棟梁たり、後ち桑楊庵の号    を浅草干則に、巴人亭の号を浅草庵市人に譲る、寛政八年四月十二日歿す、年四十三、駒込追分瑞泰寺    に葬る〟    ◯「日本小説作家人名辞書」p747(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   〝桑楊庵光    岸誠之、通称卯右衛門、江戸の狂歌師、亀井町に住む。狂名をつぶりの光と云ふ。蜀山人の門下で、巴    人亭の号を貰ひ、鹿津部真顔と並称せられ、斯道第一流の判者となった。画を一筆斎文調に学び文笑と    号す。寛政八年四月十二日歿、享年四十三。駒込瑞泰寺に葬る。「菟道園」(寛政四年(1792)刊)の    作者〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「天明五年 乙巳」(1785) p141   〝此年、つむり光『俳優風』に画けるあり〟     ◇「寛政八年 丙辰」(1796) p159   〝四月十二日、狂歌師桑楊庵光歿す〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:1点    画号他:つむり光    分 類:狂歌1    成立年:天明5年    〈『狂歌評判俳優風』唐衣橘洲、朱楽菅江、四方赤良評・つむり光画・天明五年(1785)刊。署名の表記は所蔵者「大妻     女大浜田」の「書誌詳細」に従った〉