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Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ はるます 春升浮世絵師名一覧
(胡蝶園春升〈しゅんしょう〉・歌川国盛初代〈くにもり〉参照)
 ☆ 弘化二年(1845)  ◯「国書データベース」(弘化二年刊)   ◇合巻    春升画『江戸名所古跡物語』巻末「俗名仙太郎春舛画」「蝴蝶園作」越前屋平三郞 天保十六年序    ◯『噺本大系』巻十九「所収書目解題」(弘化二年刊)   ◇咄本    歌川国盛画『縁取ばなし』表紙「春升改国盛画」見返「国盛画」巻末「胡蝶園春升戯画」          鼻山人作 吉田屋板    〈東京大学図書館・霞亭文庫本、鼻山人の序は「乙巳正月(弘化二年)」となっているから、胡蝶園春升から国盛への     改名は弘化元年か二年のいずれかであろう〉    ◯『寐ものがたり』〔続大成〕⑪33(鼠渓著・安政三年(1856)序)   〝歌川国盛といへる絵師、其頃は【蓬莱春升といふ】青山辺より出火して高輪迄焼シ時、麻布日ヶ窪・永    坂辺にて人多く死す。春升、永坂の裏屋に住ける。彼が親は中風の気昧にて、行歩ちと不叶ひなり。四    ツ谷戒行寺と云寺に居たりしが、ちんばひき/\駈来り見れば、永坂辺は真ッ風下にて、既に危き時分    也。早々春升が宅へ来り見れば、春升二階にて自若として絵をかき居たり。親父あきれて、イヤ早とん    だ人哉、早く迯ぬか、焼死ぬぞといわれ、春升、先に表へ出て人に聞し時、気遣ィなしと申たりしがと    言ながら、筆をもつた侭下へおりると、最早五六軒脇まで焼来る。父子連立、ヤツト高稲荷の山へ迯て    命ばかかりは助りける〟    〈『武江年表』によると、青山から出火して高輪辺まで焼失したのは弘化二年(1845)正月の火事〉  ◯「見世物興行年表」(ブログ)<秋 見世物 菊細工 巣鴨・染井等>   「流行菊の花揃 巣鴨植木屋亀蔵(細工)(汐汲み)」錦絵 署名「胡蝶園春升画」巣鴨岡万板  ☆ 明治以降(1868~)  ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(79/103コマ)   〝胡蝶庵春升【天保元~十四年 1830-1843】一に蓬莱と号す、錦絵を画けり〟  ◯『浮世絵師伝』p152(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝春升    【生】  【歿】  【画系】歌川派  【作画期】嘉永    胡蝶園春升、或は蓬莱春升といふ、美人画あり〟