Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ はんこ かじた 梶田 半古浮世絵師名一覧
〔明治3年(1870)6月25日~大正6年(1917)4月23日・48歳〕
 ☆ 明治十七年(1884)  ◯ 第二回 内国絵画共進会(明治十七年四月開催・於上野公園)    (『第二回内国絵画共進会/出品人略譜』農商務省博覧会掛編・国文社・五月刊)    梶田半古    梶田鼎太郎英洲ト号ス。東京府神田区佐久間町三丁目ニ住ス。梶田政晴(号呉山)ノ男ニシテ、明治    三年六月生ナリ。初メ洋画ヲ学ビ後鍋田吉資(号玉英)ニ随フ   ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『明治廿一年美術展覧会出品目録』1-5号 松井忠兵衛・志村政則編 明治21年4~6月刊   (日本美術協会美術展覧会 上野公園列品館 4月10日~5月31日)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   「新製品 第五号」   〝梶田半古 新緑鯉魚図 一幀〟  ☆ 明治二十二年(1889)  ◯『明治廿二年美術展覧会出品目録』1-6号 追加 松井忠兵衛編 明治22年4・5月刊   (日本美術協会美術展覧会 上野公園桜ヶ岡 4月1日~5月15日)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   「新製品 第四・五号」   〝梶田半古  本会課題 智 文殊施智図 一枚〟  ◯『東京大画家派分一覧表』東京 児玉友三郎編輯・出版 明治二十二年十二月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝歌川派     橋本周延 天神丁三   一松斎芳宗 日吉丁   勝川椿年 木挽町一     安藤広近 根岸金杉   村田良和  馬道八   梅堂国貞 薬研ボリ丁     正木芳盛 下谷坂丁   泰近清   飯倉片丁  落合芳幾 京バシ滝山丁     豊原国周 東京     応斎年方  紺屋丁   歌川国久 カメ井戸     安藤広重 下平右ヱ門  鍋田玉英  西鳥越丁  河守芳豊 ◎◎◎丁     柴田延子 佐クマ丁三   梶田半湖  下谷徒丁〟  ☆ 明治二十三年(1890)  〇『新撰東京独案内図会』斯文館ほか 明治23年4月刊    (国立国会図書館デジタルコレクション)   (詩人書画名家)   〝松本楓湖 浅草区栄久町   尾形月耕 京橋区桶町     歌川国松 京橋区銀座二丁目裏通    梶田半古 本所亀沢町    英一晴  浅草新平右衛門町  月岡芳年 根岸宮永町    柴田是真 浅草新平右衛門町〟  ☆ 明治二十四年(1891)  ◯ 日本青年絵画協会 臨時研究会(明治二十四年十一月開催 上野公園桜ヶ岡日本美術協会列品館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 火闌降命到海宮 三等褒状  ☆ 明治二十五年(1892)  ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪 鳥井正之助編 中島徳兵衛出版 明治二十五年二月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)    ※( )は同一グループ内で字の大きな別格絵師    〝各派席位混淆     (東京 橋本周延)西京 歌川国峰  西京 三谷貞広 西京 赤井恒茂 宮城 恩田文舟     大坂 田口年恒 堺  中井芳滝  大坂 鈴木雷斎 大坂 林基春  大坂 藤原信一      東京 歌川豊宣 東京 蜂須賀国明 東京 鍋田玉英 東京 梶田英洲(東京 大蘇芳年)〟    〈英洲は半古の初号〉    ◯ 第一回 日本青年絵画協会(明治二十五年十月開催 於東京美術学校校友会倶楽部)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 卒塔婆小町 東京  ☆ 明治二十六年(1893)  ◯ 第二回 日本青年絵画協会(明治二十六年四月開催 於上野公園旧博覧会跡五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 頼朝朽樹隠の図 一等褒賞         石橋山の図   一等褒賞 東京  ◯『明治廿六年秋季美術展覧会出品目録』上下 志村政則編 明治26年10月刊   (日本美術協会美術展覧会 上野公園桜ヶ岡 10月1日~10月31日)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝新画部 梶田半古 大慈菩薩図〟  ☆ 明治二十七年(1894)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(明治二十七年刊)    梶田半古画『したり柳』一冊 梶田半古画 賀川弥二郎版〔漆山年表〕  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十七年刊)    半古画『虫の軍』挿絵・表紙 半古 三宅青軒 学齢館(7月)    ◯ 第三回 日本青年絵画協会(明治二十七年四月開催 於上野公園旧博覧会跡五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 源氏夕顔巻 一等褒賞 東京    ◯『新撰年中重宝記』大阪 千葉胤矩編集・出版 明治二十七年一月(1894)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝現今各派画家(21/98コマ)    東京 大蘇芳年  橋本周延 渡辺幽香  歌川豊宣  蜂須賀国明 鍋田玉英       伊藤芳邦  安藤為橘 梶田英洲  五姓田義松 平井柳静  服部香甫       小林清親〟    〈なぜ半古の旧名英洲で収録したのであろうか〉  ☆ 明治二十八年(1895)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(明治二十八年刊)    梶田半古画『神部名勝誌』六巻 米僊・広業・鮮斎永興・半古画 東吉貞著 吉川弘文館版〔漆山年表〕  ◯ 第四回 内国勧業博覧会(明治二十八年四月開催 於京都市岡崎公園)   (『内国勧業博覧会美術出品目録』より)    梶田半古 上宮太子堂登山図 梶田鼎太郎 号半古  ◯『第四回内国勧業博覧会出品部類目録』第2部 美術之部   (第四回内国勧業博覧会事務局 六月刊・国立国会図書館デジタルコレクション画像)    梶田鼎太郎 号半古   上宮太子堂登山 下谷区御徒士町一丁目  ◯ 第四回 日本青年絵画協会(明治二十八年四月開催 於上野公園旧博覧会跡五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 晴夜猛鷹  一等褒賞  ☆ 明治三十年(1897)  ◯ 第三回 日本絵画協会展(明治三十年十月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 阿呼詠詩 一等褒状  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯ 第四回 日本絵画協会展(明治三十一年三月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    尾形月耕 江戸時代の日本橋    梶田半古 ひれふるやま  ◯ 第五回 日本絵画協会展(明治三十一年十月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    尾形月耕 江戸の花 銀牌    寺崎広業 後赤壁 銀牌 ・春怨 ・春暁秋暁    梶田半古 比礼婦留山 一等褒状         奈良朝美人  ☆ 明治三十二年(1899)  ◯ 第七回 日本絵画協会展(明治三十二年三月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 闘雞  銀牌         雉子・牡丹  ◯『東京専門書画大家一覧表』番付 東京 市橋安吉編集・出版 明治三十二年六月刊    (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝南北画 梶田半古 根岸安楽寺丁〟  ☆ 明治三十三年(1900)  ◯ 第八回 日本絵画協会展(明治三十三年四月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 春の曙・寒意  ☆ 明治三十四年(1901)  ◯ 第十回 日本絵画協会展(明治三十四年三月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 牡丹に帳  ☆ 明治三十五年(1902)  ◯ 第十二回 日本絵画協会展(明治三十五年三月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 春宵怨 銀牌  ◯『大日本絵画著名大見立』番付 京都 仙田半助編集・出版 明治三十五年十二月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝浮世画 梶田半古 東京中根岸〟  ☆ 明治四十一年(1908)  ◯『日本書画名覧』番付 東京 樋口傳編集 書画骨董雑誌社出版 明治四十一年三月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)    〈「古人浮世絵各派」以外は主な画家のみ収録。都県名は省略〉   〝近代国画各派名家   (一段目)竹内栖鳳 川端玉泉 渡辺省亭 鈴木華邨 梶田半古 松本楓湖 尾形月耕   (二段目)荒木寛畝 鈴木松年 佐竹永湖    (三段目)熊谷直彦 今尾景年 野村文挙 三島蕉窓 竹(ママ)内桂舟   (四段目)寺崎広業 望月玉泉 村瀬玉田 荒井寛方   (五~十段目)鏑木清方 阪巻耕漁 竹田敬方 歌川若菜〟   (欄外)〝水野年方 高橋玉淵〟  ☆ 大正二年(1913)  ◯『大日本絵画著名大見立』番付 名古屋 仙田半助編集・出版 大正二年十一月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝有功大家席不順     梶田半古 東京市牛込区天神町〟  ☆ 大正六年(1917)  ◯『早稲田文学』第2次 139号p105(大正6年(1917)6月1日刊)    ※ 読点を補った   〝梶田半古氏逝く    肺病にて屡々危篤が伝へられてゐた梶田半古氏は、府下大井出石の自邸で四月廿三日夜、遂に白玉楼上    の主となつた。危篤に陥りしは廿三日夜で、門生の小林、前田、田代、島田諸氏から枕頭に囲繞せられ    ながら瞑目した。享年四十八歳であつた。    氏の父は幕府の鷹匠を勤め後彫金を業としてゐた。幼より氏は画才あつて、初め画家鍋田玉英氏の門に    入り、それから南画土佐を学び、特に菊池容斎に師事して容斎の影響を尤も多く受けた。随つて歴史画    に尤も精通してゐた、又挿画に優秀の才を持つてゐたことは誰知らぬものもないが、特に「読売新聞」    に掲載された紅葉山人の「金色夜叉」天外氏の「魔風恋風」露伴氏の「天うつ波」の挿画は天下の青年    を呻らし、彼を評するに名人の名を惜しまなかつた。    又一方に於て図按に一生面を開き、植物の科学的研究に到つては多くの人の追随を赦さんかつた。    代表作は「秋」「乳母」「豊年」「青春怨」等であらう。又氏は日本画家として稀に見る学者であつて、    洋画を取り入れ、古土佐を取り入れ一新機軸を開いたるは偉とすべきである。    何れかと云へば頭進み過ぎて腕之に供はぬ感なきにあらずであつた。氏の筆致は何れかと云へば、柔か    にして静かに一点の覇気なくよく整つてゐた、故に画品卑しからずして寧ろ上品にして温籍な風があつ    た。この画風は晩年に到つて益々薄弱となつて、気魄にとぼしく力がなく遂に暢達を欠くの恨みとなつ    た。けれど何所にか彼の頭は働いてゐた。例へば文殊をかくにしてからが、古土佐仏画の様式を殆ど用    ゐずに自らの工夫と構図とを以てし、半古ならざればなし能はざる取扱をしてゐた。氏の晩年の振はな    くなつたのは東北の工芸学校の教授となり、盛んに旅絵をかくに到つてからである。そして時代にそむ    くに到つた。時代も又氏を捨て、顧みなかつた。氏が晩年の不遇は時代の罪かも知れぬが、半古その人    の人の罪もあつかつて大なるものがある。    人としての半古氏は実に立派な紳士であつた。人に厚く門下を愛し導いた。氏の門下に秀才の出たるを    見ても知ることが出来やう。氏は何ちかと云へば、ちやんと、極りきつた藤原式の男であつて温雅な所    があつたが、晩年何所となく生気がなくなつてゐた。けれど画学上の議論に於ては侃々として人に下ら    なかつた。その時の彼は自らの博学を傾けつくして論じ立てた。忽ち北宋に入るかと思ふと南宋に入り、    土佐に入り四條に入り、狩野に入ると云ふ風で端睨に閑がない程であつた。    記者が初めて半古氏に会つた時は「菱川師宣論」をやつたと憶へてゐる。記者は師宣の画は歌舞伎から    来たものだと云つた時、氏は能楽から来たものだと云つて盛んに論じあつたことを憶へてゐる。それか    ら晩年に会つたのは、氏が相州の片瀬の風琴閣の離れに病を療つてゐた時であつた。何人も鎌倉彫刻論    から古土佐論が初まつて、氏は厳島神社の古写経を以て天下の一品とした。これが抑々記者と半古氏と    の永い別れとなつたのだ。(F生)〟     ☆ 没後資料    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    上掲『鴬』一点のみ