※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』
☆ 明和七年(1770)
◯『生花百枝折』後編〔漆山年表〕(明和七年刊)
江漢司馬峻写 岳々斎春暁図画 月沙画 藤雪仙画 好文堂画 燕鳥画 燕十画 蘭谷画
〈「日本古典籍総合目録」は『瓶花百々枝折』岳々斎春暁画・清水宗兵衛板。但し刊年不記載。なお『生花百枝折』は
鳥山石燕等画・安永四年刊とする〉
☆ 安永三年(1774)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安永三年刊)
『俳諧午のいさみ』一巻 石燕社中書画
久英筆 石燕叟筆 亀白画 田川画 石寿画 子興画 萬亀画 祇徳画 其鳳画 草志画 月沙画
燕鳥画 紫◎ 燕二画 燕川舎石鳥 鳥燕十画 華藍(重政也)梅窓耕雨自画 春◎画 春◎
吾山画 石賀画 風雲亭東光自画 山里庵而◎ 英時画 ◎喬写 川教画(燕二同人歟)
羽石改北艸塘露谷 以上石燕門人社中の寄合書き也
☆ 安永九年(1780)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安永九年刊)
鳥山石燕画
『俳諧はつね』一巻
〝久英書始 行年六拾七歳石燕画 十二才石柳女 行年六拾八歳石燕筆 十三才筆子
少年石室 十二才石◎ 十四才座之介 東林画 石子画 其鳳画 燕雨筆 あそを画
子興画 胡燕 若水胡燕画 川教画 燕二書 両節吟 志水燕十画 麻根房漁柳自画
石賀画 燕寿画 石仲女画 東梧画 喜久也書 黙然斎有桑画
安永九是やはつねの初細工〟
☆ 天明三年(1783)
◯「序跋等拾遺」〔南畝〕⑱528(天明三年一月刊)
〈燕十作洒落本「滸都洒美選」(蔦屋板)に〝四方山人〟の署名で南畝の序あり〉
◯「杏園稗史目録」〔南畝〕⑲463(天明三年一月刊)
〈「滸都洒美選」南畝所蔵〉
△『判取帳』(天明三年六月十九日明記)
〝入置申判取帳 (中略)
天明三年卯年六月十九日 志水燕十〟〈赤良の注として「鈴木庄之助住根津」とあり〉
☆ 没後資料
☆ 天保五年(1834)
◯『近世物之本江戸作者部類』p98(曲亭馬琴著・天保四~五年(1833~4)成稿)
(「洒落本作者之部」)
〝志水燕十
燕十も才子にて洒落本の作幾種かあり。書名ハ今ひとつもおぼえず。三和と親友にて、合作の小本を出
たり。只洒落本のみならず画図勢勇談の小引も燕十の文なりき。大約燕十か作の冊子ハ耕書堂蔦重か板
ならぬはなし。しかるにこの燕十ハ他事により罪を蒙りて終処をしらずなりぬ〟
☆ 昭和年間(1926~1987)
◯「日本小説作家人名辞書」p755(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)
〝志水燕十
通称鈴木庄之助、根津清水町に住む。清水燕十、志水つばくら、志水ゑん十、志水裡町斎馬乎人、子津
奈蒔野馬乎人、台閣西の隠士等の号がある。大田蜀山、朱楽菅江の友人で狂歌師、恐らく幕臣であつた
らしいが、亡命したと云ふ説である。「山下珍作」(天明三年(1783)刊)、「滸都洒美選」(天明三
年刊)等の作者〟
〈二作とも洒落本。『洒落本大成』第十一巻所収『山下珍作』の解題によると、後序の署名「忍岡 芳奈野点合書」に
「忍岡歌麿」の印章がある由で、この挿絵も歌麿が担当したのではあるまいかとする。因みに同年の燕十の黄表紙
『啌多雁取帳』(戯作名・奈蒔野馬乎人)の画工も歌麿であった〉
◯『浮世絵師伝』p23(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝燕十
【生】 【没】 【画系】石燕門人 【作画期】明和~天明
藤原姓、鈴木氏、字は貴林、俗称庄之助、幕府の小吏にして根岸清水町に住す、其の町名に因みて志水
(シミズ或はシスヰと呼びし例もあり)の仮姓を用ひたり。燕十は画号にしえ併せて俳号たり。別号を
裡町斎といひ、戯号を奈蒔野馬乎人(ナマケノバカンド)と云ふ。彼れ俳諧、狂歌をよくするの外戯作を巧み
にしたりき。其他算法に精通し『利得算法記』(天明四年版)の著あり。彼の画は石燕門下の俳句集
(明和七年版の俳諧歳旦集に挿画並びに句あり)などに挿画を見受くるの外、あまり多くの作品無し。
因みに、彼と初代歌麿とを同一人の如く伝へたる書あれど、其の誤謬なること勿論なり〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:9
画号他:清水・貴林・奈蒔野馬乎人・志水貴林・清水えんしう・志水ゑん十・志水燕十
分 類:洒落本3・黄表紙3・絵本1・滑稽本1・和算(塵劫記)1
成立年:安永9年 (1点)
天明1~4年(8点)
〈九点とも著作。画工としての作品は見あたらない。天明四年(1784)の絵本『通俗画図勢勇談』は志水燕十作・鳥山石
燕画。黄表紙は三点中二点、喜多川歌麿が画工を担当している〉