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☆ えいせん とみおか 富岡 永洗浮世絵師名一覧
〔元治元年(1864)3月23日 ~ 明治38年(1905)8月3日・42歳〕
 ☆ 明治十九年(1886)  ◯『東洋絵画共進会出品目録』滝川守朗編 今古堂 明治19年4月刊   (東洋絵画共進会 上野竹の台 4月1日~5月20日)    (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝第四区 四條・円山・容斎・呉春・望月派    号 永洗 四條派 張良黄石公 富岡秀太郎  四谷区塩町             蝦蟇仙人         一丁目二十九番地〟  ☆ 明治二十八年(1895)  ◯『明治大見立改正新版書画一覧表』番付 編者名なし 片田長次郎出版 明治二十八年一月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝画家之部     渡辺省亭 尾形月耕 久保田米僊 小林清親 英一蜻 橋本周延 富岡永洗〟    〈この中で江戸浮世絵界の徒弟制度を経て世に出た絵師は、歌川派の周延のみ。省亭は菊池容斎門、月耕は独学、米     僊は鈴木百年門、清親は写真・洋画から日本画に転じ、一蜻は一蝶派、永洗は鮮斎永濯門〉  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯ 第五回 日本絵画協会展(明治三十一年十月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    尾形月耕 江戸の花 銀牌    寺崎広業 後赤壁 銀牌 ・春怨 ・春暁秋暁    梶田半古 比礼婦留山 一等褒状 ・奈良朝美人    富岡永洗 今様美人  一等褒状    水野年方 夕暮 一等褒状 ・御殿女中 ・養老  ☆ 明治三十二年(1899)  ◯ 第七回 日本絵画協会展(明治三十二年三月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    梶田半古 闘雞 銀牌 ・雉子 ・牡丹    富岡永洗 秋雨  銀牌         双美春装・美人    尾形月耕 蟬丸 銅牌 ・落葉 ・昔話桃太郎 ・昔話舌切雀 ・諸侯行列    水野年方 平忠度 銅牌 ・小楠公 ・李将軍    大野静方 吉野の雪 二等褒状 ・高倉の宮     鏑木清方 かざし花 三等褒状    島田楊斎 能楽田村 ・能楽羽衣 ・能狂言靱猿〈島田延一〉  ◯『東京専門書画大家一覧表』番付 東京 市橋安吉編集・出版 明治三十二年六月刊    (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝各派画 富岡永洗 下谷根岸笹雪横〟〈「笹雪」は「笹の雪」で、下谷根岸の老舗「豆富」店〉  ☆ 明治三十三年(1900)  ◯ 第八回 日本絵画協会展(明治三十三年四月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    尾形月耕 ◎◎◎用明天皇道行 銀牌 ・三曲(三枚)・寒梅 ・船 ・菩提    水野年方 富峯 銅牌 ・         端唄・秋の夜・春暁・秦武文・落葉・寒梅・春の曙・義太夫    池田輝方 楠公訣別 三等褒状    鏑木清方 霜どけ 三等褒状 ・暮れゆく沼 ・冬の朝 ・稽古帰り    寺崎広業 后徳 ・桜見物 ・寒鴉 ・春水 ・暮色 ・清元梅の春 ・秋月    橋口五葉 野辺・鹿児島・もの見・犬    富岡永洗 新内 ・落葉 ・春暁    梶田半古 春の曙 ・寒意    大野静方 吉凶  ◯ 第九回 日本絵画協会展(明治三十三年十月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    水野年方 勾当の内侍 銀牌 ・渡舟・秋風・蓬萊    寺崎広業 秋草 銀牌 ・嫦娥    鏑木清方 紫陽花 二等褒状 ・琵琶行    尾形月耕 宮角力 ・夕暮 ・行旅 ・層巒    笠井鳳斎 松風 ・福原怪異    富岡永洗 蓬萊  ☆ 明治三十四年(1901)  ◯ 第十回 日本絵画協会展(明治三十四年三月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    富岡永洗 美人(娼妓)銀章 長野         美人(姉妹)    水野年方 少女 銀章 ・洗髪    大野静方 婚礼 一等褒状 ・霜    荒井寛方 温和 二等褒状 栃木    歌川国峯 春野 二等    鏑木清方 ちりゆく花 二等 ・雛市 ・晩夏 ・遣羽子    尾形月耕 暖和 ・絲桜 ・日本名物(桜紅葉)・宝船・美人    梶田半古 牡丹に帳  ◯ 第十一回 日本絵画協会展(明治三十四年十月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    寺崎広業 月光灯影(小督) 金牌 ・春山水 ・秋山水 ・唐美人 ・鶴(屏風一双) ・競寿    富岡永洗 加藤清正 銀章 ・嫦娥    水野年方 源為朝  銅牌    池田輝方 中将姫  一等 ・美人    荒井寛方 児島高徳 二等 ・子供遊    大野静方 木村重成 二等    尾形月耕 風神雷神・観桜  ☆ 明治三十五年(1902)  ◯ 第十三回 日本絵画協会展(明治三十五年十月開催 於谷中初音町日本美術院)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    水野年方 橘逸勢女 銀牌 ・日野阿新・旅途雨・少女摘花・美人聴雨・海浜遊鶴    鏑木清方 孤児院  銅牌    池田輝方 婚礼  一等    荒井寛方 落武者 二等    芳野尚方 空房  二等    笠井鳳斎 左遷  三等 ・愛    富岡永洗 浴後美人・雄快    尾形月耕 軒端梅・夕涼    名取春僊 秋色・霜夜    大野静方 月夜  ◯『大日本絵画著名大見立』番付 京都 仙田半助編集・出版 明治三十五年十二月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝浮世画 富岡永洗 東京下谷根岸〟  ☆ 明治三十六年(1903)  ◯ 第四回 内国勧業博覧会(明治三十六年四月開催 於大阪市天王寺今宮)   (『内国勧業博覧会美術出品目録』より)    富岡永洗 六歌仙    富岡永洗 北豊島郡日暮里村元金杉二一八    尾形月耕 徳川時代風俗 尾形月耕 京橋区桶町五    ☆ 明治年間(1868~1911)    ◯『増補 私の見た明治文壇1』「明治初期の新聞小説」1p88      (野崎左文著・原本1927年刊・底本2007年〔平凡社・東洋文庫本〕)   「(八)新聞挿画の沿革」   〝明治初年の新聞さし絵の画家といへば、前記の落合芳幾、月岡芳年、小林永濯、山崎年信、新井芳宗、    歌川国松、稲野年恒、橋本周延(ハシモトチカノブ)、歌川国峰(ウタガワクニミネ)、筒井年峰(ツツヰトシミネ)、後藤芳景    (ゴトウヨシカゲ)の諸氏に止(トド)まり、後年名を揚げた右田年英(ミギタトシヒデ)、水野年方(ミズホトシカタ)、富    岡永洗(トミオカエイセン)、武内桂舟(タケウチケイシウ)、梶田半古(カジタハンコ)の諸氏は挿画の沿革から云へば第二期に    属すべき人々で、久保田米僊(クボタベイセン)氏が国民新聞を画き始めたのも亦此の後期の時代である〟    ☆ 刊年未詳    ◯「艶本年表」(「国文研・艶本」は「艶本資料データベース」)   ◇艶本(刊年未詳)      富岡永洗画    『八雲の契』色摺 大判 十二枚    『夜桜』  色摺 間判 十二図(以上二点〔国文研・艶本〕)    ☆ 昭和年間(1926~1987)    ◯『狂歌人名辞書』p29(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝藻斎永洗、通称富岡秀太部、元と信濃松代藩士、明治十年、小林永濯の門に入り、同門の永興と共に双    壁と称ぜられ、最も美人画に長ず、明治卅七年八月三日歿す、年四十一〟    ◯『明治百話』「明治のいろ/\話」上p235(篠田鉱造著・原本昭和六年刊・底本1996年〔岩波文庫本〕)   〝 待合オタコに絵具皿     (上略)    下谷の松源がアノ頃の宴会場で、雅邦、広業、永洗の合作屏風があったものです。     (中略)     永濯一門は申すまでもない。永洗洗耳といった連中で、都新聞の挿画画家でした。永濯画伯はことに    絵馬の妙手で、堀の内に『加藤清正』と『日蓮虚空像』が献(アガ)っています。その門下の永洗君が洒    脱の人でした。市松模様が好きでした。この人は華村さんに道楽を仕込まれて、よく遊んだ人ですが、    芸妓は物を言わぬ妓(コ)という注文で、待合の女将(オカミ)もこれには閉口して、「唖の芸妓はありませ    んよ」とよく言っていました。芸妓に饒舌(シヤベ)られると、口が聞けない、世間話をしらないから、相    槌が打てない。世辞気のない、ムッツリの芸妓がいいという注文でした。性来酒を呑まない、シラフの    芸妓買い、コレには一番困るでしょう〟    〈華村は鈴木華村〉    ◯『こしかたの記』(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)   ◇「口絵華やかなりし頃(一)」p184   〝 その門(小林永濯)に出た永洗も筆癖はソックリで、きものの線に硬いところが気になったが、ご    く初期の作と思われる「風俗画報」の挿絵にも格別幼稚なものは見当らない。美人画に見る艶色は、歌    麿以来とのありふれた形容も、この人の場合には適切に思われた。永洗が急に人気を高めたのは「都新    聞」に挿絵を画くようになってからのことで、この新聞は下町、殊に花柳界、芸能関係に重心を置いて、    興味本位の読物に力を入れた。専属の画かきが、新聞社の志すところとそぐわないので、永洗に眼をつ    けたのは慧眼(ケイガン)であったと云うべく、今で云えば大衆作家の雄、村井弦斎の小説と組んで大した    評判になったのである。「小猫」「写真術」、次いで「桜の御所」と続けざまに当りを取った。以後永    洗と「都」とは切っても切れない間となり、昔「やまと新聞」に芳年と年方が並んで挿絵を画いたよう    に、一面を永洗、三面を弟子の松本洗耳が画いた〟
  ◇「口絵華やかなりし頃(一)」p191   〝 あの時分(明治二十年代)に、もし口絵の人気投票があったとしたら、その高点を得るものは、恐ら    く富岡永洗であったろう。師匠の小林永濯は好んで神話を画いた人だが、画風に少し硬いところがあっ    て、永洗も初期にはそういう嫌いも無いとは云えないが、この人の美人画の有つ艶色は、官能的ではあ    っても卑俗にならないのが、この時代の好尚に適ったのである。その頃の東京には、まだ遊郭も繁昌し、    花柳界も栄えていたので、その風俗もまた永洗画嚢中のものとなった。日本美術院と絵画協会共催の展    覧会には、広業が芸者を、永洗が遊女を、細い対幅に画いた。この会で音曲を課題にした時に、永洗は    「新内」を撰んで、燈下に朱羅宇の煙管(キセル)を突いて物思う娼婦を画いて好評だったこともある。出    品だからと云って別に態度を変えるわけでなく、調子は口絵の場合と同じに見えた〟
  ◇「口絵華やかなりし頃(一)」p186   〝 永洗の進出は桂舟よりやや後れていたが、世間では、伝統派の年方とこれら非伝統派の二人と並べて、    挿絵画家の代表的な選手として認めたのである〟     ◇「口絵華やかなりし頃(一)」p192   〝 永洗の口絵から好きなものを挙げたら限(キリ)がないが、即座に思いあたるものとして、紅葉の「心の    闇」、麗水の「月夜鴉」、弦斎の「さんざ時雨」、鏡花の「七本桜(ナナモトザクラ)」「清心庵」などは洩ら    すことが出来ない。     明治三十八年八月三日、永洗は長く煩った肺結核が重って、四十二の厄年で亡くなられた。葬儀は六    日に、青山南町の玉窓寺で行われた。     私は十代の頃から、この先生の作には思慕とも云える愛着を感じていたのだが、一、二回の面識はあ    っても、ろくに言葉を交わす折も有(モ)たずに終った〟    ◯『明治世相百話』(山本笑月著・第一書房・昭和十一年(1936)刊   ◇「絵双紙屋の繁昌記 今あってもうれしかろうもの」p128   〝〈明治初期〉両国の大平、人形町の具足屋、室町の秋山、横山町の辻文などその頃のおもなる版元、も    っばら役者絵に人気を集め、団菊左以下新狂言の似顔三枚続きの板下ろしが現われると店頭は人の山。    一鴬斎国周を筆頭に、香蝶楼豊斎、揚洲周延、歌川国重あたり。武者絵や歴史物は例の大蘇芳年、一流    の達筆は新板ごとにあっといわせ、つづいて一門の年英、年恒。風俗は月耕、年方、永洗、永興といっ    た顔触れ。新年用の福笑い、双六、十六むさしまで店一杯にかけ並ぺた風景は、なんといっても東京自    慢の一名物〟    △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序)   「赤坂区」玉窓寺(青山南町二ノ七三)曹洞宗   〝富岡永洗(画家)名秀太郎、小林永濯の門に学びて美人画に長じ、都新聞挿画にて名高し。明治三十八    年八月三日歿。年四十二。永洗院文彩秀徳居士〟    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p86(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝永洗(えいせん)    富岡秀太郎、藻斎と号した。信州の人、永濯の門人。明治二、三十年代に文芸倶楽部その他の雑誌の挿    絵と、小説本の口絵挿絵に麗筆を揮つている。元治元年生れ、明治三十八年、四十二才で歿している。    門人に谷洗馬、富田如洗、松本洗耳がある〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    収録なし
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