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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ えいこう こばやし 小林 永興
浮世絵師名一覧
〔明治元年(1868)9月 ~ 昭和8年(1933)2月13日・66歳〕
※「近代書誌・近代画像データベース」国文学研究資料館
☆ 明治二十四年(1891)
◯「近代書誌・近代画像データベース」
(明治二十四年刊)
永興画
『辻占売』 口絵のみ 永興 忍月居士 春陽堂(6月) 『新葉末集』 口絵・挿絵 永興 蝸牛露伴 春陽堂(10月) 『藤花繋春日錦瀾』挿絵 桂舟 楓湖 永興 蜃気楼主人 金港堂(11月) ☆ 明治二十五年(1892)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」
(明治二十五年刊)
永興画
『天竺徳兵衛』口絵のみ 永興 桜痴居士 春陽堂(12月)
〈画像上の落款は読めず。画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による〉
☆ 明治二十六年(1893)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」
(明治二十六年刊)
永興画
『狂言百種』口絵のみ 永興 河竹黙阿弥 春陽堂(2月 8号)
〈2ページ大の折込口絵〉
演目「水天宮利生深川」 ◯『明治廿六年秋季美術展覧会出品目録』上下(志村政則編 明治26年10月刊) (日本美術協会美術展覧会 上野公園桜ヶ岡 10月1日~10月31日)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝新画部
小林永興
須賀宮図〟 ☆ 明治二十七年(1894)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」
(明治二十七年刊)
永興画
『珍書百種』1 口絵のみ 永興 宮崎三昧 春陽堂 (8月)
〈2ページ大折込口絵〉
◯「百人一首年表」
(本HP・Top)(明治二十七年刊)
永興画
『明治英名百首』二版(変態百人一首 第26冊)口絵・肖像
〔目録DB〕
口絵「永興再筆」谷俊三編 博文館 明治二十七年刊 ◯『明治期美術展覧会出品目録』 (第三回 日本青年絵画協会 明治二十七年四月開催 於上野公園旧博覧会跡五号館)
小林永興
諾尊擲桃図
三等褒状
東京 ☆ 明治二十八年(1895)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(明治二十八年刊)
小林永興画
『神部名勝誌』六巻 米僊・広業・鮮斎永興・半古画 東吉貞著 吉川弘文館版
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」
(明治二十八年刊)
小林永興画
『雪おろし』 口絵・挿絵・表紙 鮮斎永興 高橋太華 大川屋(3月) 『会津戦争夢日誌』口絵・挿絵 小林永興 川尻宝岑 春陽堂(4月)
〈2ページ大折込口絵・挿絵〉
〈画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による〉
◯「近代書誌・近代画像データベース」
(明治二十八年刊)
永興画
『衣笠城』口絵 永興 弦斎居士 春陽堂(4月)
〈画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による〉
◯『明治期美術展覧会出品目録』 (第四回 日本青年絵画協会 明治二十八年四月開催 於上野公園旧博覧会跡五号館)
小林永興
雷公
三等褒状
☆ 明治二十九年(1896)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」
(明治二十九年刊)
永興画
『浄瑠璃坂』口絵 永興 渋柿園主人 春陽堂(1月)
〈画工名は明治29年刊『小説家』下の巻末広告による〉
『名家画譜』中巻 小林永興「在五公宿旅亭」金港堂(12月) ☆ 明治三十年(1897)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」
(明治三十年刊)
永興画
『侠客両面藤三郎』口絵 蕉亭・表紙 永興 神田伯山 朗月堂(1月) 『新太郎少将』 口絵 蕉亭・表紙 永興 松林伯知 朗月堂(1月) ☆ 明治三十一年(1898) ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(93/103コマ)
〝山本永興 富田秋香【明治元年~三十年 1868-1898】 以上二人、鮮斎永濯の門弟〟 ☆ 明治三十二年(1899) ◯『東京専門書画大家一覧表』番付 東京 市橋安吉編集・出版 明治三十二年六月刊
(東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)
〝南北画
小林永興
下谷区根岸御行ノ松〟 ☆ 明治三十三年(1900)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」
(明治三十三
永興画
『佐野鹿十郎後日物語』口絵 秋香 勝月 永興・表紙 未詳 一心斎明竜 日吉堂(3月) ☆ 明治三十六年(1903)
◯「近代書誌・近代画像データベース」
(明治三十六年刊)
永興画
『恋のなやみ』口絵・表紙 永興 幸田露伴等 金港堂(1月)
〈2ページ大色摺折込口絵〉
☆ 明治四十四年(1911) ◯『現代全国画家録』平田三兎編 丹青書房 明治四十四年(1911)四月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝李
小林永興
東京 浮世派 風俗〟 〝潤筆価格標準
(価格 原文は漢数字)
類別 区分 価格 区分 価格 李之部 精 10円以上 疎 6円以上 右潤筆価格ハ絹本尺五(幅壹尺五寸/丈四尺)ヲ度トシ精疎二様ノ概価ヲ表示シタ ルモノニシテ、額面屏風其他極彩色ノ密画ハ此ノ限リニアラズ〟
〈本HP「浮世絵事典」【う】「浮世絵師人名録 明治編」参照〉
☆ 明治年間 ◯『明治世相百話』(山本笑月著・第一書房・昭和十一年(1936)刊 ◇「絵双紙屋の繁昌記 今あってもうれしかろうもの」p128 〝〈明治初期〉両国の大平、人形町の具足屋、室町の秋山、横山町の辻文などその頃のおもなる版元、も っばら役者絵に人気を集め、団菊左以下新狂言の似顔三枚続きの板下ろしが現われると店頭は人の山。 一鴬斎国周を筆頭に、香蝶楼豊斎、揚洲周延、歌川国重あたり。武者絵や歴史物は例の大蘇芳年、一流 の達筆は新板ごとにあっといわせ、つづいて一門の年英、年恒。風俗は月耕、年方、永洗、
永興
といっ た顔触れ。新年用の福笑い、双六、十六むさしまで店一杯にかけ並ぺた風景は、なんといっても東京自 慢の一名物〟 ◯「浮世絵商の今と昔」竹田泰次郎談・昭和九年 (『紙魚の昔がたり明治大正編』反町茂雄編・八木書店・1990年刊より) (竹田泰次郎談) 〝(明治二十二・三年頃、浮世絵商の草分けの一人とされる元禄堂吉田金兵衛が、板市で求めた古板を使 って増し摺りした模造版画を売り出したところ好評だったので)新規に歌麿の「蚕手業草」という錦絵 の図によって、小林永濯(えいたく)の息子--
小林永興
(えいこう)という画家、その永興さんに願って、 原版を写して版下を作ってもらった。今なら写真かなんかにとるが、その時分はそんな事を知らない。 スキ写しです。そうして写した版下から彫師へかけて、安く彫ってもらって再版をおこしました。今日 では再版などというものはありません。模造版画、複製版画と申します。昔はすべて再版--初版とか 二版とか昔はそういう事を錦絵にはいわなかったようです。初摺(しょずり)とか後摺(のちずり)とかが あっただけで、二版とか、三版とか、ハッキリした事をいわない。そうして一枚から十二枚まである-- 歌麿の蚕の複製版画を一枚から三枚までこさえるとか、四枚から六枚までこさえるとかいう風にして、 ちやんと十二枚出来上がったのです。漸く板木が出来る。印刷が上がる。--煤水をつけて時代を付け る。神田の柳原あたりに古着屋がその当時沢山ありましたから、古い帯を買って来て、それを切って表 紙をくッっける。折本にする。「これ大変よろしい。これいくら」「六貰宛(パ)、いくつでもあります」 と六十銭に売る。その時分原価は表紙をくッっけて漸く二十二、三銭位で出来たそうです。そうして見 本で売って置いて、あとからずいぶん沢山売ったそうです〟 (一心堂) 〝それは模造品とか又は再版という事を承知で売買しておったのですか〟 (竹田) 〝無論模造を承知です。今のべンケイさんが買っておった日本の特殊な美術品を、そのあとフェノノロサ とか、ビゲローとかが来て「これは日本の特殊な風俗の研究資料で、しかも立派な芸術品だ」といって 非常に愛好し、鑑賞して、且つ海外に宣伝した。今日では美術品と申しまして、日本人まで自覚して騒 ぐよーうになったのは、ドンドン外国人が勝手に買い拡めてくれたからなので、決して日本人の我々ど もが、また叔父どもがそうさせたわけでもなんでもないのです〟 ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p86(樋口弘著・昭和37年改訂増補版) 〝永興(えいこう) 小林貞吉、象斎と号した。永濯の養子となり、鮮斎の号を襲う。その作画期は明治二、三十年代である〟