・・サザエさんちの相続税・・

     磯野家擾乱
   


平成17年度版(法律の改正に注意して下さい)



税金の勉強の仕方は人様々です。所得税法や法人税法といった法律を読んで学ぶ人、解説書を見る人、講習会などに参加して理解しようとする人・・・。そのいずれもがとても役立つ学び方だとは思います。
しかし、正直言って税法の解釈は難しいし、自分に係わる部分はそう広いものではありません。税の専門家になろう!と言う人は別として多くの人は自分自身が税金を納める場合に、税の仕組みや計算の仕方はどうなっているのか?に興味や関心があるはずです。
そういう人は、自分自身を主人公(納税者)として、自分自身に関係する部分を理解していけばいいのですが、それでも解説書は網羅的であるし、事例は堅苦しいし、全体像を把握するには大変なエネルギーを要します。

そこで、税金の全体像を知る試みとして、誰でもが知っている標準的な家族に登場してもらい、相続税という税金の物語を創ってみようと考えました。
その登場家族が「サザエさん」一家、つまり「磯野家」です。

この試みのために、久しぶりにマンガ「サザエさん」を読みました。
と言っても、全巻を初めから全て読んだのは初めてです。
ターミナル駅の本屋で手にした定価500円の文庫「サザエさん」は全部で四十五巻。瞬く間に机の上はマンガの山となってしまいました。
読み始めてみると、やはり面白さに引き込まれ、昼休みや、ともすれば仕事中もケラケラ笑って読みふけることとなりました。
しかし、そう楽しんでばかりもいかないわけで、この試みに役立ちそうなところを抜き出しつつ作業に取りかかったのでした。
もちろん話しの対象がマンガの世界のこと。 相続税という生臭くかつ現実的な税金制度にリンクさせるなどという無粋な作業には当然馴染むべくもないのですから相当な苦労を強いられることになりました。

作業に先立って解明しておかねばならない課題がいくつかありました。
まず、財産がなければ相続税なんてかかるはずがありませんから、これは絶対条件として把握しておかなければなりません。
では、磯野家にはどんな財産があるのでしょうか?。
場面、場面に出てくる磯野家の土地は借地なのか自己所有なのでしょうか?。
サザエさんたちの住まいの場所は?、
土地や家の広さは???・・。
難問は山積みです。
雨の日も雪の日も「サザエさん」を恋人とも心の妻とも慕い、お父さんの波平さんを実の父とも仰ぎながら作業を重ねたのでありました。


「サザエさん」は戦後史の証人
マンガ「サザエさん」が新聞に掲載されたのは昭和21年のことです。
昭和21年と言えば終戦直後、以来昭和49年2月21日まで、サザエさん一家はまさに戦後日本社会の変遷と発展を背景に、時代とともに歩んできたのです。
言葉を代えて言えば、マンガ 「サザエさん」は戦後日本を大衆的視野から表現した証言集でもあると言えるでしょう。
世には多くの「サザエさん」分析本が出回っています。
あるものは磯野家の秘密を追求し、あるものは磯野家の人たちの人間分析を行い、またあるものは戦後史の語り部としてマンガ「サザエさん」の場面を引用するといった具合です。

もちろん、私は「サザエさん研究家」でもなけれは戦後日本史の専門家でもありませんから、読みの浅さはいかんともしがたいのですが、マンガ「サザエさん」の 社会背景が私の生きた時代と一致することもあって、読んでいるうちに、私自身が生きてきたこれまでの時代を振り返ることにも大いに役立ちました。

福岡暮らしは「戦争疎開」ではない
さて、前置きはともかくとして、取りあえず磯野家の紹介から入りたいと思います。
サザエさん一家の生活が世に出たのは昭和21年4月22日、ところは九州の福岡の地でした。
サザエさんは福岡に住んでいた理由を、「戦争疎開だ」と言っています。
普通、戦争疎開と言えば子供たちが親元を離れ山深い田舎で集団生活を強いられた話を想像します。
しかし、磯野家は一家そろっての福岡暮らし、それも町なかでの疎開生活であったようです。
太平洋戦争末期、沖縄に上陸した連合軍は日本軍の反攻を警戒して九州各地を猛爆し、福岡もその例外ではなかったはずです。実際、昭和20年6月19日、福岡はB29の大空襲を受けています。
それなのに、どうしてわざわざ福岡に疎開したのでしょうか?。
実はどうやら疎開とは名ばかりで、実はサザエさんの父親、波平さんの仕事の関係で 福岡に行っていたのが真実のようです。
波平さんはすでに兵役を終え、民間人として働いていたのですが、波平さんの会社での地位は相当高いものだったようです。
磯野家を訪れた青年が「しゅうしょくのほうはなにぶんよろしく」と汗をかきながら深々と頭を下げます。卓袱台を挟んで波平さんは半身に正座しながら応対します。つり上がった眉、きりりと結んだ唇、両膝に置いた手は毅然とした態度を表しています。このことは、青年に対する波平さんの地位の高さを示すものです。
そして、それを裏付けるように、磯野家の生活ぶりは余裕ありげなのです。    

ドレスアップのサザエさん
戦争が終わり、外地から引揚者が続々と帰還しはじめます。軍人や軍属、一般の人たちなどの引き揚げ者は舞鶴や福岡の港に船で帰還するのですが、サザエさんは一生懸命、引揚者援護活動に走り回ります。困った人を放っておけないサザエさんの人柄が出ています。
この一方で彼女、新しいものには本能的に飛びつく性格のようで、モンペや割烹着を脱ぎ捨ててドレスアップに余念がありません。
まんが「サザエさん」にはサザエさんが街を闊歩している場面が描かれていますが、その姿は社会が終戦直後の飢餓貧困状態にあるとは思えない派手さです。
この場面で一緒に歩いているのが友人のイカコさん。
ハイヒールにワンピース、飾りの付いた帽子にハンドバッグ・・。
まるでファッションショーに出てくるモデルのようでもあります。
もちろん、このよ うなドレスアップができるのも経済的裏付けあっての話でしょう。

また、その頃の磯野家の住まいが描かれています。
その家は二階建の立派な家なのですが、洋間(当時まだ洋間は一般的ではなかったんでしょう?)には立派なソファーがあり、クロスのかかった円テーブルの上には蓄音機が鎮座しているといった豪華さです。

ここでちょっと気になるのは、どうも友人のイカコさんが登場すると途端に場面が派手・豪華になるということです。ドレスアップの場面、豪華応接間の場面、いずれもイカコさんが描かれています。
女性の見栄がチロリと顔を覗かせているのでしょうか。

波平失脚?
そんな優雅な日々を送っていた磯野家の生活は、ある日カツオ君によって伝えられた至急報によって転機を迎えます。
ワカメちゃんを背負って紙芝居を見ていたサザエさんにカツオ君が告げます。
「ぼくたちとうきょうにゆくよ お父さんてんきんになったの」
波平に対する 突然の転勤命令です。
転勤(最近はリストラも含めて)はサラリーマンの宿命。
なんの不自然さもないのですが、実はこの転勤が問題となります。
何が問題かと言いますと、サザエさん一家の生活振りの大きな変化で す。
確かに福岡での生活ぶりと比較して、磯野家一家が東京に戻ったあとの質素な生活ぶりにはギャツプがあります。
このことが、波平の身に何かあったのではないかという憶測を呼ぶのです。
ここに登場するのが「波平失脚説」です。
つまり、「波平が軍需物資の横流しに荷担し、これが表沙汰になって左遷されたのではないか」というのです。

波平が駐留軍兵士を自宅に招いた場面があります。
その場面はなにやら記録に残る天皇陛下とマッカーサー元帥との会見写真を思い起こさせるものでもあります。
それはともかくとして、この事は、波平が駐留軍と何らかのつながりがあった、それもプライベートな交際をするほどの深い付き合いがあったということを想像させます。
そうすると福岡での豪華な洋間がある家も、もしかしたら米軍幹部住宅を融通してもらっていたのでは?との推測が生じます。
するとイカコさんは波平と親しい米軍兵士の愛人で、そこから物資の横流しのおこぼれを受けていたのでは?・・・・ とこれはかなり穿った見方です。
ともあれ、転勤命令を受けた波平一家は、慌ただしく引っ越しの手続きを済ませ、身近な友人・隣人に別れを告げて東京へと上るのです。

親父の権威が地に落ちた?
相続税の計算には家族構成の把握が欠かせません。そこで、これから登場する磯野家の皆さんを改めて紹介しておこうと思います。
と言っても、あまりにも有名人ですから、私なんかよりも親しい・いや詳しい方も多いと思いますので、マンガの場面の中に出てくるエピソードを交えて紹介したいと思います。
今、私たちが磯野家のメンバーとして知っているのは、主人公の長女サザエさんを中心にお父さんの波平さん、お母さんの舟さん、長男カツオ君、次女のワカメちゃん、それにサザエさんの夫フ グ田マスオさん、サザエさんとマスオの子供タラオちゃんの7人です。
これを大家族と呼ぶ人もいますが、家長を中心とした昔の大家族とは異なり、どちらかと言えば今の二世帯同居家族に近いかたちです。
さてこのメンバーに順に登場してもらいましょう。

まずマンガ「サザエさん」の最初の場面です。
マンガ「サザエさん」は律儀にも読者に対するご挨拶から始まります。
読者に対する挨拶から始まるマンガも珍しいのではないでしょうか。
その場面で畏まっているのは舟さん、両脇にカツオ君とワカメちゃん、そして舟さんに呼ばれてサザエさんが口いっぱいに焼き芋を頬ばりながら出てきます。
あれ?誰か抜けてはいませんか?
そうです。父さんの波平さんがいませんよね。
「挨拶したのが昼間だったから会社勤めの波平がいなくても当然だ」 と言われればその通りなのでしょうが、では小学生のカツオくんはなんでいるの?とか・・・・。
暇な方は考えて下さい。
とりあえずここでは事実を追って見ることにします。

波平さんはいつ登場するのでしょうか?
ページをめくると、しばらく後、パンパカパーン!と華々しく登場・・と言いたいのですが、それがそうではありません。
出勤途中メガネを忘れたことに気づいた波平さんは急いで家に戻ろうとしますが、そこで友人のイカコさんと一緒に歩いているサザエさんにぶつかります。
メガネがないとよく目の見えない波平さんは、相手 がサザエさんとは気づかず平謝り・・これが波平父さん初登場の場面です。
「あれ、だあれ?」
と聞くイカコさんに
「ウチのパパよ」
とさりげなく答えるサザエさん。
なんとも情けない登場の仕方ではありませんか。
戦後の社会変革のなかで地に落ちた父権。
「戦争を起こしたのは男ども。男のために女はどれだけ泣かされたことか」
という作者の意識の反映なのでしょうか。

話は少しそれますが、ここではサザエさんは波平父さんを「パパ」と呼んでいます。
マンガの大衆的雰囲気からするとちょっとアンバランスのように見えますが、これも戦後日本社会に流れ込んだアメリカ文化の一端だったのでしょう。
それはともかく、こうして当初のサザエさん一家のメンバー全員がそろったことになります。

サザエさん結婚・出産の秘密
次に、今やアイドル的存在のタラちゃんことタラオくんと、後に「マスオさん現象」なる流行語を世に生み出して、若き青年のあこがれの的?とも言われたサザエさんの旦那、フグ田マスオさんの登場です。
実はマンガ「サザエさん」の大きな謎の一つに、この二人の登場場面の欠落があります。
昭和24年4月2日「夕刊フクニチ」に連載されていたマンガ「サザエさん」は作者長谷川町子の東京移住のため突然中断されます。
彼女の弁によりますと
「連載なぞ画いてはいられない。そこで、サザエさんは突如結婚。めでたし、めでたしで終わりにして引っ越した」
のだそうです。
そして同じ年の12月1日、「朝日新聞」夕刊に再登場することになります。
そのときのサザエさん再登場の弁。
「・・・ところで私は、お嫁に行きました。皆様にお知らせする筈でしたが、こういう時ですから万事簡単に・・・。主人は頭のいいのと、人のいいのが珠に傷です。つい最近男の子が産まれました。可愛らしいのが珠に傷です。」

サザエさんも年頃ですから、何度かお見合いの話はありました。
しかし、せっかくのお見合い話も、持ち前のオテンバぶりがたたってまとまりません。
と言って、特定の恋人がいた、という場面は出てきません。
いったい、いつ、どこで、どうやってマスオさんと出会い、結婚に至り、どうやって子供をつくったのか(これは大きなお世話ですが)が謎なのです。
このフグ田マスオさんは全編を通して見ると大阪出身、人格温厚だが芯の強い性格のサラリーマン(もしかすると公務員?)です。
結婚当初は平社員ですが、後にめでたく係長に昇進し現在に至ります。

大家に追い出されて同居
サザエさん夫婦は、はじめは両親と別居していました。
と言っても磯野家からほど近い場所。
借家住まいでした。
今で言うスープの冷めない距離だったのでしょう。
時々カツオやワカメが甘い新婚生活のじゃまをしに来るのですけれども、まあ幸せな日々が続いていました。
しかし、この生活も大家の立ち退き要求によって変更を余儀なくされます。
大家に立ち退きを迫られサザエさんが波平さんにしおらしく泣きつく場面があります。
「女だと思って甘くみやがって」
と怒った波平さんが大家に抗議に行くと、頭に大きなこぶをつくった大家が出てきます。
もうすでにサザエさんに殴られた・・と言うことで、あまりしおらしく ないサザエさんだったのです。
こんな経緯でサザエさん夫婦と愛息タラちゃんは実家の磯野家へ同居する運びとなったのでした。

波平の兄弟は何人?
サザエさん一家を簡単に紹介してきましたが、せっかくですからもう少し範囲を広げて、磯野家の親戚関係を整理しておきましょう。
「磯野藻屑源素太皆」(イソノモクズミナモトノスタミナ)。 波平さんのご先祖様です。
源氏にゆかりの立派な家柄だったようですが、このご先祖、「おはぎを38個食べて有名を馳せた」方なんだそうです。
それはそれとして、まず波平さんに双子の兄がおりました。
双子と言えば、他人にはなかなか区別がつきにくいのもです。
ちょっと古い話ですが、ザ・ピーナツは目のほくろ、マラソンの宗兄弟は走るときの首の曲げる方向、双子といえども個性があるようです。
では波平兄弟の場合はどうでしょうか。
週刊誌の間違い探しではありませんが、二人が登場する場面をじっくり眺めますと見つかります。
ツルツル頭に貴重な毛。
そうです、その毛が一本しかなくて縮れているのが波平さん。
お兄さんは毛が二本、直毛です。
このお兄さん名前も解らなければ(実はTVでは「海平」という名で呼ばれています)住んでいるところも不明です。
登場場面も少なく、小さな謎の一つです。
ところで波平さんにはもう一人兄弟がいることは意外にも知られていません。
順を追って説明しましょう。

ある時期、磯野家にはノリスケという新聞社勤めの青年が居候します。
この青年、なかなかの豪傑で、いたずら盛りのカツオ君やワカメちゃんの良き理解者でもあります。
このノリスケさんは「甥」だということはわかっています。
では波平さんの甥なのか、舟さんの甥なのか?
磯野家に居候したノリスケさんはやがて波平さんが企てたお見合いで理想の女性に出会い結婚します。
その人の名はタイコさん。
鼻筋が通った美人さんです。
そして、二人の間にできた子供が「ハァイ、イクラちゃんでちゅ」のイクラちゃん。
そこでノリスケさんの話ですが、ノリスケさんに対する波平さんの口のきき方と舟さんの口のきき方を比較すると、舟さんの口のきき方が他人行儀であることから、ノリスケさんは波平さんの甥にまず間違いありません。
すると、ノリスケさんの両親のいずれかが波平さんの兄弟ということになります。
ところがノリスケの父親の姿はどこにも登場してきません。
ノリスケの結婚式の場面を見ても出席しているのは母親のみです。
また、結婚式に出るために上京したノリスケの母親に対す る波平さんの口のききかたと、舟さんの控えめな応対を見ると、どうやらこの母親が波平さんの妹ではないかということになります。
そう言えば、この母親は福岡から上京します。
ノリスケ一家は福岡に住んでいるのです。
すると冒頭に述べた磯野家の福岡疎開と関連があるような気がしませんか。

(資料:磯野家親族関係図



「長谷川町子美術館」に出かけませんか?
さて、波平の転勤で東京に移り住むことになったサザエさん一家は、リュックに身の回り品を詰め込んで東京の渋谷を目指します。
そして、サザエさん一家が落ち着いたところはどこ か?。
今テレビで放映されているアニメ「サザエさん」では、住まいの住所を「あさひが丘三丁目10番地」としているようです。
ん????。
そんな住所、世田谷区にあったかな?、と思われる のは当然です。
「あさひが丘」は架空の住所なのですから・・。

ちょっと話がそれますが、世田谷区に「長谷川町子美術館」があります。
長谷川町子氏が亡くなったあと、マンガ「サザエさん」の出版元「姉妹社」(この会社は作者長谷川町子さんと お姉さんとがつくった会社なのですが)の倉庫跡を改造してつくられたといわれている美術館です。
住所は世田谷区桜新町1丁目30番6号。
地下鉄「東急新玉川線桜新町駅」ホームから地上に出て大通りを少し行くと、通称「サザエさん通り」に入ります。
下町らしい雰囲気の小さな 商店が並ぶ通りを歩くと、両脇の街灯には、やたらに「サザエさん」の顔を描いた垂れ幕が目に付きます。
しばらくして三叉路にぶつかりますが、そにある交番にもサザエさんの顔付き 案内板が・・。
その三叉路を右に進路をとって歩くと左側にレンガ造りの瀟洒な建物が目に入ってきます。
一画は閑静な住宅街です。
目当ての「長谷川町子美術館」は二階建てで、中 にはマンガ「サザエさん」や「いじわるバアサン」などのバックナンバーが展示され、また長谷川町子氏が集めた美術品が並べられています。
サザエさんのバッチやハンケチはここでしか手に入らない貴重なグッズです。

うっそォ!カツオ君が溺れたって?
では、この「長谷川町子美術館」のある場所がマンガ「サザエさん」で画かれた磯野家のモデル地なのでしょうか?。
私も初めはもしかするとそうかも知れない・・と考えていました。
なにせ、そこにはサザエさんにまつわるものが全部揃っているのですから・・・。
しかし、実はそう単純な話ではなさそうだということはマンガ「サザエさん」を読むうちに明らかになってきます。
マンガ「サザエさん」には自宅の住所が出てくる場面がいくつかあります。
そこで、まずそれらの検証から入りたいと思います。

カツオ君が新聞の記事になっている場面があります。
カツオ君が友達と川へ泳ぎに行くというので不安になったサザエさんが頭の中で思い描いた想像上の新聞記事です。(こんな新聞記事を思 い浮かべるなんてサザエさんらしいじゃありませんか。普通だったら救いを求めるカツオ君の姿とか、変わり果てた姿を想像するんじゃないでしょうかね。)

小学生が水死
世田谷区新町三丁目、磯野波平氏長男カツオ君(11)
は、友だちと川に泳ぎにいって、おぼれて死亡した。

当時の川は今のように汚れていないし、護岸工事もすすんでいませんでしたから、子供達にとっては絶好の遊び場であったに違いありません。
逆に言えば、だからこそ子供達が川で事故に会う危険が高かったはずです。
弟思いのサザエさんが心配したのも無理はありません。
サザエさんはカツオ君に泳ぎに行くことを禁止します。
しかし、泳ぎに行くことを禁じられたカツオ君は逆に

「家の厳しいしつけに耐えかねて磯野カツオ君は家出した」

との空想記事で対抗します。
大人の過剰な心配と子供の理由な き反抗、いつの時代にも繰り返される話です。
それはともかく、この架空の記事に出てくる住所が「世田谷区新町3丁目」となっていることに注目しておきましょう。

「お〜っ!エライ!」
そして、この住所はほかの場面でより具体的になります。
波平さんはワカメちゃんをつれて交番に行きます。
そして何食わぬ顔で
「迷子です」
とお巡りさんに告げます。
当然お巡りさんは
「おぢょうちゃん、おうちはどこ?」
と聞きます。
すると、ワカメちゃんは元気に答えます。
「せたがや・しんまち・三の五十一ばんち」
お巡りさんと波平さんは「お〜っ!エライ!」と感心します。
そして波平さんは
「いいかい、迷子になったら、そうやって答えるん だよ」
と言い聞かせながらワカメちゃんをつれてそそくさと帰っていきます。
唖然と見送るお巡りさん・・・・。
この場面で出てきた「世田谷区新町三の五十一番地」がサザエさんちの住所です。

本当の住所はどこだ
住所が出てくるもう一場面。
サザエさんが蛇の目傘を開いています。
そこになにやら住所らしきものが・・。
この場面、花の展示会で友人から紹介された人が差し出した名刺のお返しとして、
「これが私の住所です」
とサザエさんが自分の傘を広げて挨拶する場面です。
そこに書かれている住所は、 「世田谷区新町3丁目515番地」です。
ワカメがお巡りさんの前で答えた51番地とちょっと違います。
さて、どちらが本当でしょうか。

住居表示については役所でわかるはずです。
そこで私は、世田谷区役所に電話を入れました。
以下がその全記録です。
「住居表示の件について伺いたいのですがぁ。」
と交換手さんに告げますと、
「ハイ、住居表示担当ですが。」
と男の方が出てくれました。
だいたいどこでも住居表示は一回ぐらい変わっているはずですから、まず、
「世田谷区の住居表示はいつ変わったんですか?」
と聞いて見ました。
するとすぐに、
「昭和39年2月1日から46年にかけて変更されています。」
との返事。
さすが「住居表示担当」の方です。
「実は、旧住所が世田谷区新町3丁目なんですが・・・?」
「はい、そこは昭和43年3月14日に変わりまして、現在は桜新町となっております。」
お〜っ!さすが、「住居表示担当」の方です。
続けて、「住居表示担当」の方は、
「今の住所がわかれば、ここで旧住所をお答えできますが?」
とおっしゃって下さいました。
「あのう、その逆で旧住所から今の住所を知りたいのですが?」
と聞きますと、
「その場合だと出張所の方でお答え出来ると思います。そこの住所ですと、深沢出張所になりますが・・。」
と「住居表示担当」の方は深沢出張所の電話番号を教えてくれたのでした。

私はすぐに世田谷区役所深沢出張所に電話します。
ここは交換を通さず、直接担当の方につながったようでした。
「旧住所から新住所を調べたいのですが。」
「住所はどこでしょう。」
「新町3丁目515番地ですが。」
「はい、しばらくお待ち下さい。」
電話口の向こうでペラペラとページをめくる音が聞こえます。
しばらくして
「お待たせしました。新町3丁目515番地は現在の桜新町2丁目25番になっています。」
との答え。
つまり、マンガ「サザエさん」に出てくる磯野家の住所は現実に存在する住所だったのです。

しかし、もう一つ確認しなくてはなりません。
そう、ワカメがお巡りさんの前で言った「3丁目5 1番地」はどうなのでしょうか。
「お手数ですが、もう一カ所確認したいのですが。」
「はい、どうぞ。」
「3丁目51番地も知りたいのですが」
「ここにある資料にはその番地はないですね。別の資料を見ますから、しばらくお待ち下さい。」
そして、言葉通り、本当にしばらくしてから、
「やはり(51番地という)若い番号はありませんねぇ。」
と申し訳なさそうに言ってくださいました。
ともかくも、お陰様で磯野家の所在地がついに分かったのでした。
つまりサザエさんが名刺代わりに広げた傘に書かれていた磯野家の住まいは、現在の東京都世田谷区桜新町2丁目25番地で あったのでした。

磯野家持ち家論争
また少し話しがそれますが、「磯野家持ち家論争」というのがありました。
つまり今のサザエさん一家が住んでいる家は実は借家だったのではないかということです。
大家さんが磯野家に家賃の値上げ交渉に来ている場面があります。
家賃を払っているということは借家だということです。
これが借家論者の主張の根拠です。
これだけを見ると持ち家 かどうかの疑問が生ずる余地はないように思えます。
前に述べたように福岡では裕福な生活を送っていたサザエさん一家の東京での生活は借家住まいから始まったという、いわゆる生活の落差がここにも表されています。

ところが、 しばらく後に次のような場面が出てきます。
波平さんが舟さんとサザエさんの前で部屋の図面を書いています。
老後は都会を離れて静かな田舎暮らし・・誰でもが一度は夢見る思いを波平さんも抱いたようです。
この場面は、いつも叱られて閉じこめられる押入を廃止しろと主張するカツオ君とワカメちゃんが割り込んでくることで終わりますが、それはともかくとして、その中で出てくる「ここを売って・・・」と いう波平の一言は、この家が波平の所有物であることを強く示唆するものではないでしょうか。
そうすると、磯野家は当初は借家だったが、後に持ち家になったということになりそうです。

福岡からほとんど裸同然で東京に移り住むことになった磯野家。
そしてその後の質素な暮らしぶりからすると借家住まいはなんとなく理解できます。
しかし、いつの間にか借家は持ち家 にと変わります。
一体その間に何があったのでしょう?。
この問題はいずれ解明されなくてはならない疑問です。

路線価は1u当たり44万円です (平成17年度評価)
さて、本題に戻りましょう。
私の試みは誰でもが知っているサザエさん一家を通じて相続税の計算しようということでした。
相続税で大事なのは財産の評価です。財産には土地や家屋、現金や預金、株などの有価証券など様々な種類があります。
そして、その種類によってそれぞれ評価の仕方が違うのです。
今、サザエさん一家が住んでいた住所が分かりました。ここから土地の評価を見てみます。
宅地の評価は路線価という評価額によって行います。 路線価は相続税や贈与税を計算するときに用いられるもので、公示価格や固定資産税評価額とは異なります。
この国税庁によって定められる路線価は毎年1月1日に見直しが行われ、8月1日前後に発表されます。
路線価図は税務署に備え付けられていて誰でも自由に見ることが出来ます。


税務署の中にはいろいろと税の種類によって係りが分かれていますが、路線価図は「資産税部門」という 場所に置いてあるのが普通です。
そこで、税務署に行って(今はインターネットでも見られます)平成17年度路線価図を調べると、世田谷区桜新町二丁目二五番地の路線価は44万円/u(平成17年度)だということがすぐにわかります。

磯野家の間取り図を探れ
路線価が分かれば、あとは土地の広さを調べるだけです。
では磯野家の敷地はどれくらいの広さがあったのでしょうか。
これがまた難題です。
いくらマンガ「サザエさん」のペイジをめくっても、敷地の広さを推測させる場面はないのですから。
そこで苦肉の策として考えたのが磯野家の間取り図から全体の建物面積を求め、これを基礎として敷地を推測するという方法です。
よほどの山の中ならともかく、東京都世田谷区の住宅地区のこと、建物の床面積に比較して、そう広大な敷地を有することはないとの勝手な前提つきですが・・・。
こうして磯野家の絵図面づくりが始まったのでした。

なにせ相手はマンガの世界。
長谷川町子氏はまさか床面積なんて調べられることは予想もしていなかったでしょうから、場面によっていろいろな家の背景がでてきます。
つまり、突き詰めれば矛盾だらけ。
有名な話ですが、トイレの場所は異なるは、廊下は変に曲がりくねってるは、南向きなのか東向きなのか、部屋はいくつあるか・・など全くつかみ処がありません。
それでも、大掃除の場面で半畳の畳を持ち出している場面があれば、「ほう、四畳半があるんだ!」と手をたたき、「六畳中央」と走り書きした畳が画かれている場面を見つけては密か に「バンザイ」を叫び、襖の枚数を数え、「八畳間だ!」「六畳間だ!」と心ときめく作業が続けられたのです。

磯野家床面積は33.60坪
しかし、この苦労も「長谷川町子美術館に磯野家の間取り模型があったよね」の一言で雲散霧消・・。
「なんだ、それを利用すればいいじゃんか。」
と画用紙と鉛筆持参で美術館に出かけ、模型に群がる子供たち(この模型には仕掛けがしてあって、マスオの大事にしているバイオリンのありかを捜すクイズがあるものだから、子供達が集まってくるのです)を蹴散らして、間取り図を写し取ってきたのです。
こうして、ついに赤穂浪士の吉良邸討ち入りのように大工の娘を拐かす必要もなく、間取り図ができあがったのでした。
そして、この間取り図から磯野家の住まいの広さは110・96u(33・60坪)と計算されたのでした。


             

こうしてみるとなんとなく懐かしい間取りではありませんか?。
戦後の平屋の住宅は多くがこんな間取り図であったのではないでしょうか。
洋間なんて無く、複数の畳部屋が襖一枚で 茶の間とつながっていて、床下のある台所、マキで沸かす木造のお風呂、汲み取り式のトイレ・・。
四つん這いで走り回った廊下の雑巾掛け、雨戸の節穴から差し込む朝の木漏れ日・・。

サザエさんちの土地は93.47坪だ!
そんな郷愁に浸っている場合ではありません。
次の作業は、この床面積から磯野邸の敷地面積を推計しなくてはならないのです。
その基礎資料として、磯野家の敷地を描いた場面を 検証しておかなければなりません。
場面をいくつか見てみましょう。
庭のスミに小屋があります。
物置小屋です。
物置小屋というのは子供にとっては秘密の場所です。
床板もなく、電気もなく、ワラや炭の臭いがし、昼間でも戸を閉めれば暗い空間は絶 好の身の隠し場所でした。
そしてそこは孤独を味わう場所であり、一種怪しげな場所でもあったのです。
磯野家の場合、この物置小屋は、カツオのお仕置きの場所としてしばしば登場しています。
もちろん、男の子にとっては効果的な仕置き場にはなりません。
だいたいは簡単な板囲いで 出来ているのですから、抜け出すなんてわけないことだったのです・・。
この物置小屋が磯野家の敷地内では一番大きな造作物です。
まだその他にも鶏小屋があり、池があり、物干し があります。
ただしこれらは、かなり一時的なもののようです。
特に鶏小屋は初期の場面にしか出てきません。
それよりも、場面を通して画かれているのが、庭の植木です。
波平さん は釣りが趣味ですが、植木や草花に対しても相当な思い入れがあるようで、その種類は十数種類という説もあります。
そして決定打。
磯野家の庭ではゴルフの練習もできるのです。

ということで、これら敷地利用状況を全て頭に入れて、敷地図をつくり計測してみると磯野家の敷地の広さは309・00u(93・47坪)と計算されたのでした。


             


こうして、ようやく、磯野家の宅地の相続税評価の計算にたどり着きました。
そして、その評価額は次のようになったのです。    

(路線価)44万円×(土地の広さ)309u=1億3596万円

すごい金額です。
しかし、この評価も毎年変わっています。
いわゆるバブルの影響を受けた最盛期平成3年の路線価は92万円、総額は2億8000万円となり、平成15年の路線価額の約2倍以上になっていました。

相続税の仕組み
さて、いよいよここから相続税の話に入る訳ですが、その前に相続税の仕組みを調べなければなりません。
相続は人の死亡によって発生します。この日を「相続開始日」といいます。
その死亡した人の所有している土地とか家とか預金など財産を継承する場合に相続税の問題が生ずるのです。ということは財産が全く無い場合は相続税の問題は生じま せん。

相続税は簡単に言うと次の手順で計算されます。
まず、

1.亡くなった人(「被相続人」といいます)から財産を継承した人(たいていの場合は配偶者や子供です)が取得した財産の種類を調  べます。この場合の財産とは土地や建物、現金や預金など(これらを「プラスの財産」と呼ぶ人もいます)だけではなく、被相続人  が借りていた借金や未払いの税金など(これを「マイナスの財産」という人もいます)も含まれますので注意しましょう。マイナスの  財産を引き継ぎ、負担した人がは、その人の取得した財産から差し引きます。

2.次に1.で調べた財産を評価します。ここでいう「評価」とは相続税を計算するために財産を金額に直すことです。だだ金額に直す  といっても、ものの価値というのは人それぞれです。同じ物でもある人には大変価値があるれど、他の人には全く価値がない・・と  いうようなものもあるでしょう。そこで、国税庁では相続税財産評価基準というものを作成して、財産の種類ごとに評価する方法を  定めています。すでにお話しした土地についての「路線価」などはその代表的な例です。

3.2までで計算した財産を合計します。相続開始日前3年以内に被相続人から贈与された財産がない場合はこの合計が各人の「   課税価格となり、各人の課税価格を合計した金額が「課税価格の合計額」となります。

4.「課税価格の合計額」から基礎控除を差し引きます。この金額を「課税遺産総額」といいます。
  基礎控除は

            5000万円+(1000万円×法定相続人の数)です。

  磯野家の場合はどうなるかというと法定相続人は波平さんからみて、奥さんの舟さん、長女サザエさん、長男カツオ君、次女ワカ  メちゃんの4人ですね。すると基礎控除額は
                           5000万円+(1000万円×4人)=9000万円ということになります。



さて次に相続税額の計算で入るのですが、計算が二段階に分かれていますので注意しましょう。

まず第一段階です。

1.まず先程計算した「課税遺産総額」を法定相続分で分割します。
  法定相続分は民法で決まっています。一般的には配偶者が2分の1、子供が残りの2分の1を均等に分けます。

2.1で分けた金額ごとに税率を掛けて税額を計算します。

3.各人ごとの税額を合計します。この合計した額を「相続税の総額」といいます。

次に第二段階です。

1.上記では財産を民法で定められている法定相続分で分割しました。でも、実際にはそんなにきれいに分割されることはめったに   ありません。なかには分割できない財産もあります。従って、遺言や遺産分割協議で実際に分割される額は法定相続分で分割
  した額とは食い違うのが普通です。
  そこで、「相続税の総額」を各人が実際に取得した財産の額の比率で按分します。この按分する基になる価格は、すでに計算し   た各人の「課税価格」です。つまり、評価した財産の価格から債務控除を差し引いた額となることに注意して下さい。
  これを計算式にすると

            各人の按分比率=各人の課税価格/課税価格の合計

            各人の相続税額=相続税の総額×各人の按分比率

  となります。
  もちろん比率の合計は1になりますし、各人の税額の合計は「相続税の総額」に一致するはずですね。

2.でも、まだ納める税額が確定したわけではありません。今度は財産を取得した人それぞれの事情によって「税額控除」を行う必要  があるからです。
  例えば、相続した子供が未成年であれば「未成年者控除」、配偶者であれば「配偶者の税額軽減」、障害者であれば「障害者控  除」などを税額から差し引きます。

こうして、ようやく各人が税務署に納める相続税額が計算されるのです。

こうして見てくると専門用語が並んでいて難しいようですが、手順さえ誤らなければそれほど難しいものではありません。

余談ですが、相続税で難しいところと言えば財産の評価なのです。
一般に相続税の計算は財産の評価が全体の80%を占めていると言われています。
つまり、財産の評価さえ適正に行うことができれば、後は法律通りに手続きを進めていけばいいのです。



「磯野家」の相続税を計算します
それでは具体的に波平さんの場合に当てはめてを計算してみましょう。

まずはじめに波平さんが所有していた財産を誰がどれだけ相続するのかを調べます。これを財産の分割と言います。財産の分割方法の代表的な例は「遺言書」によるものと、相続人による「遺産分割協議」によるものとがありますが、ここではその方法は問いません。取りあえず次のように分割することが決まったとしましょう。

財産の種類 取得した人
土地
家屋
立木
現預金 舟600万円・サザエ200万円
生命保険 サザエ・カツオ・ワカメがそれぞれ3分の1づつ
退職金 サザエ・カツオ・ワカメがそれぞれ3分の1づつ
家庭用財産

このように決まったとして、次に財産を取得した人ごとに「課税価格」を計算します。

【T】まず、舟さんからです。
舟さんは土地、家屋、立木、現預金、家庭用財産を相続していますから、それぞれの財産について評価します。

土地についてはすでに評価しました。路線価によって評価すると135,960,000円となりました。
これはこれでいいのですが、相続税法にはいろいろな特例が定められていて、「小規模宅地等評価の特例」というのがあります。
これは被相続人が住まいとしていたり、商売に使っていた土地は、その人の生活の基盤となるものですから、相続した人が被相続人と同じように使用する場合には路線価格によって評価した額からさらに減額しましょうという制度です。
この制度は適用規定が大変複雑ですから、詳しい説明は別稿に譲りますが、磯野家の場合は配偶者の舟さんが居住用の土地家屋にそのまま住むのですから、「特定居住用宅地」とされ、240平方メートルまでの土地については、路線価格の80%が減額となります。つまり、240平方メートルに関しては路線価の20%で評価できるということです。
計算で示しますと次の通りです。

    減額される金額
        (1平方メートル当たりの路線価440,000円×240平方メートル)×80%=84,480,000円

    土地の評価額
         路線価による評価額135,960,000円−減額される金額84,480,000円=51,480,000円

次に家屋の評価です。家屋は地方自治体が課税する際に基となる固定資産税の評価額によります。これは管轄の都税事務所や市役所にいけば証明書を発行してくれます。
磯野家の家はかなり古そうなのでここでは4,500,000円の評価としました。

磯野家の庭にはたくさんの樹木があります。木も財産のうち内ですから一応のせておきます。立木は木の種類や樹齢年数によって評価します。
ここでは立木を250,000円と評価しました。

これで舟さんが取得するプラスの財産の価格が計算されました。
プラスの財産の価格は56,230,000円となります。

しかし、まだ終わりではありません。この額から借金や葬式費用の債務等を引いた額が課税価格です。
どうやら波平さんには借金は無かったようですから葬式費用だけを対象とします。
今時の葬式費用は結構高額となるようですので、ここでは日本消費者協会がまとめた平均葬式費用350万円を採用します。
もし波平さんが負担すべき医療費や社会保険料・住民税があればここで差し引きますが、ここででは対象外とします。

舟さんには喪主として葬式費用を負担していただきます。
こうして舟さんの「課税価格」が次のように計算されます。

財産の種類 評価額
土地 51,480,000
家屋 4,500,000
家庭用財産 500,000
立木 250,000
現金預金 6,000,000
合計 62,730,000
債務控除額 △3,500,000
課税価格 59,230,000



【U】続いて、サザエさんです。
サザエさんは現預金の200万円と波平さんの死亡退職金と生命保険のうち3分の1を相続しました。
このなかで現預金は金額がハッキリしていますから特別の評価は必要ありません。現金はお札を数えればいいし、預金は銀行が残高を教えてくれます。

問題は死亡退職金と生命保険です。
相続税の対象となる財産は、被相続人(波平さん)が亡くなった日に所有している財産ですね。
すると死亡を原因とする死亡退職金や生命保険金は亡くなってから以後に支給されるのが一般的ですから、所有していた財産に含まれるのかどうかが問題となります。
そこで、相続税法ではこれらを「みなし相続財産」として、相続税の対象とすることを定めています。課税上の枠組み作りといっていいでしょう。
ただし、これらについては一定の非課税措置をとっていて、死亡退職金については相続人1人について500万円、生命保険金についても相続人1人について500万円が非課税とされています。

磯野家の場合、相続人は4人でした。
すると死亡退職金について500万円×4人で2000万円まで、生命保険金についても500万円×4人で2000万円までが非課税となります。つまり、この枠内であれば相続税の課税価格に含まれないわけです。

それでは波平さんはどれぐらいの退職金が貰え、またどれぐらいの生命保険に入っていたのでしょうか。
退職金に関しては勤めている会社に「退職金規程」が定められているのが一般的ですが、会社の営業成績をはじめ本人の勤続年数や給与の月額、会社での地位、会社に対する貢献度などさまざまな要因によって具体的な支給額が決まるようです。
では、波平さんの会社での地位はどうでしょう。
結論から言いますと、年相応にかなりの地位にあったと言えるでしょう。
例えば、波平さんが会社で仕事をしている場面では、彼は描かれている男性5人、女性2人の社員とは別に独立したスペースに彼専用の机と椅子を構えていますし、また就職の依頼を引き受けたり、新年には社長自らが波平さんの自宅に挨拶に訪れたりしています。
さらに極めつけは、戦後初めての国産旅客機の試験飛行に招待されて搭乗している場面まであります。

こう見てくると会社での地位は部長以上と判断していいでしょう。ただ、間違って他の社員のオーバーからアメを取り出して配り「あれは重役のオーバーです」とたしなめられる場面もありますから、取締役にはなっていなかったかも知れません。

次に生命保険ですが、
ある日、波平さんと舟さんが火鉢をはさんでくつろいでいると、ワカメちゃんが
「ホケン会社の人がきた」
と告げます。
「またきたの?しつこいわね〜」
と舟さん。
「お父さんも、お母さんもるすだといいなさい」
と波平さん。
再び玄関に戻ったワカメちゃんに保険会社の人は
「お父さんどこいったの?エ?」
と迫ります。
「エ〜ト、あ、あの、やまにしばかりに・・・」
とワカメちゃん。
「へ〜?じゃ、お母さんは?」
「あの・・か、かわにせんたくに」

と、このようにあまり保険加入には積極的ではありません。
では保険には入っていなかったのかと言いますと、そうでもありません。
別の場面では釣りをしている波平さんに話しかけた保険会社の人と意気投合して保険に加入しています。

ということで具体的な金額ですが、諸般の事情を考慮して、死亡退職金を3500万円、生命保険金は6000万円としました。
相続税の計算で「課税価格」とされるのは非課税額を差し引いた残りです。
この計算は次のようになります。

   その人の相続した保険金(死亡退職金)〔A〕−{(500万円×相続人の数)×〔A〕/受け取った保険金(死亡退職金)}

この式の結果がその人の「課税価格」とされるのです。
少しややこしい計算式ですから具体的に数字を入れて計算してみましょう。

サザエさんが相続した死亡退職金は3000万円のうちの3分の1ですから1000万円となります。
非課税枠は500万円×相続人の数4名で2000万円です。
この2000万円を按分します。
            2000万円×1000万円/3000万円=6,666,666円
これがサザエさんの非課税分です。
そして、1000万円円から6,666,666円を差し引いた残りの3,333,334円がサザエさんの死亡退職金についての「課税価格」となります。

生命保険金についても計算方法は同じです。
同様に計算するとサザエさんの生命保険についての「課税価格」は13,333,334円と算出されます。

以上でサザエさんの計算は終わりです。これを表にすると次のようになります。

財産の種類 評価額
現預金 2,000,000
死亡退職金 3,333,334
生命保険金 13,333,334
合計 18,666,668


【V】最後にカツオくんとワカメちゃんの課税価格を計算しましょう。
カツオくんとワカメちゃんはそれぞれ死亡退職金の3分の1、生命保険金の3分の1を相続します。
課税価格の計算はサザエさんと同じですから省略しますが、計算結果を表にすると次のようになります。

財産の種類 カツオくん ワカメちゃん
死亡退職金 3,333,334 3,333,334
生命保険金 13,333,334 13,333,334
合計 16,666,668 16,666,668


これで相続人である舟さん、サザエさん、カツオくん、ワカメちゃんのそれぞれの相続税の課税価格が計算されました。
次に行う作業は税額の計算です。

まず「課税価格の合計額」を計算します。(この場合1000円未満の端数は切り捨てとなります。)

相続人 各人の課税価格
59,230,000
サザエ 18,666,000
カツオ 16,666,000
ワカメ 16,666,000
課税価格の合計額 111,228,000

次にこの「課税価格の合計額」から基礎控除を差し引きます。
基礎控除はすでに計算しましたが

      5000万円+(1000万円×4人)=9000万円

です。
従って
      111,228,000円−90,000,000=21,228,000円 となります。

これが「課税遺産総額」です。

さてここから税額の計算ですが、税額を計算する基になる額は「課税遺産総額」を民法で定める遺産分割割合(法定相続分)で分割した額になります。実際に相続した額ではありませんから注意が必要ですね。
磯野家の場合は配偶者である舟さんは2分の1、サザエさん、カツオくん、ワカメちゃんの子供三人は残りの2分の1を均等に分けます。つまり一人6分の1になります。
いっきに税額まで計算すると次の表のようになります。(税額表はいろいろな参考書・解説書に載っています)

法定相続分 課税遺産価格 税額
2分の1 10,614,000 1,092,100
サザエ 6分の1 3,538,000 353,800
カツオ 6分の1 3,538,000 353,800
ワカメ 6分の1 3,538,000 353,800
合計 21,228,000 2,153,500

ここで算出された2,153,500円(100円未満は切り捨て)が「相続税の総額」です。

しかし、相続税の計算はこれで終わりではありません。
相続税は相続した人が、実際に取得した割合によって納めます。
従って「相続税の総額」を実際に相続した財産の価格によって按分します。
ここで按分率をつかいますが、按分率は課税価格を基にして行います。
次の表で按分率を計算してみましす。

相続人 各人の課税価格 按分率
59,230,000 0.53
サザエ 18,666,000 0.17
カツオ 16,666,000 0.15
ワカメ 16,666,000 0.15
111,228,000 1.00

ここで算出された按分率を「相続税の総額」に掛けます。
相続人 計算式 各人の相続税額
2,153,500×0.53 1,141,355
サザエ 2,153,500×0.17 366,095
カツオ 2,153,500×0.15 323,025
ワカメ 2,153,500×0.15 323,025
2,153,500

この表で計算された額が各人が負担する相続税です。
ただ、これがそのまま納付税額になるのではありません。
つぎに、それぞれの個人的な事情を考慮して行われる「配偶者の税額軽減」、「未成年者控除」、「障害者控除」などを適用します。
これらのなかで適用になるのは舟さんの「配偶者の税額軽減」とカツオくん、ワカメちゃんの「未成年者控除」です。

まず、舟さんの「配偶者の税額軽減」からみていきます。
舟さんは波平さんの妻、つまり配偶者ですからこの特例の適用ができます。
「配偶者の税額軽減」とは、次の算式によって計算します。

   
  @(課税価格の合計額×配偶者の法定相続分)と1億6千万円とのいずれか大きい金額
  A配偶者の課税価格

   相続税の総額×上記@とAのいずれか少ない金額/課税価格の合計額


結構難しい算式ですから実際の数字を入れて計算してみます。

       @111,228,000円×1/2<160,000,000円

       A59,230,000円

       2,153,500円×59,230,000円/111,228,000円=1,146,759円

算出された1,146,759円が「配偶者の税額軽減額」です。

結論としては、舟さんが負担する税額は1,114,355円ですから、この全額が軽減されることになります。

つまり、配偶者が課税価格の2分の1あるいは1億6千万円までの相続をするのであれば、配偶者の税金は原則的に掛からないということです。

つぎに、カツオくんとワカメちゃんの「未成年者控除」です。
「未成年者控除」とは相続人のなかに未成年者がいる場合には、その人が成人に達するまで1年につき6万円で計算した額を控除するものです。

ここで問題はカツオくんとワカメちゃんの年齢です。
まんが「サザエさん」では、カツオくんとワカメちゃんは時間を追って成長していきます。
特にワカメちゃんはサザエさんにおんぶしている場面から始まり七五三のお祝いを交えながら描かれています。
そして、どこで成長がとまったかといいますと、小学校の入学式場面です。
つまり年齢は7歳ということです。
また、カツオくんは小学生、それも生意気ざかりの高学年です。ここでは小学校6年生12歳としました。

すると、カツオくんの「未成年者控除」は20歳までの8年間×6万円で48万円、ワカメちゃんは13年間×6万円で78万円ということになります。
この控除額をそれぞれの税額から控除します。
二人とも税額はこの控除額を下回っていますので、結局、納税額はなくなります。

さて、この結果を次に表にします。

各人の相続税額 特例の適用 納付する税額
1,141,355 配偶者の税額軽減 0
サザエ 366,095 366,000
カツオ 323,025 未成年者控除 0
ワカメ 323,025 未成年者控除 0
合計 2,153,500 366,000


ここで終わりです。

「磯野家擾乱」で調べたサザエさんちの国に納める相続税額は336、000円、負担者はサザエさんでした!!。





「サザエさん」に出てくる税金話し
と言うわけで、サザエさんちの相続税の計算は終わりです。
そこで、付録として、マンガ「サザエさん」に出てくる税の話題を中心に話を展開して見たいと思います。

今更、念押しをするまでもなく、マンガ「サザエ」さんは、都会に住む平凡な家族の日常と彼らが生きる社会との関わり合いをテーマにしているマンガです。
とすれば、市民にとって関心 のある社会的出来事は何か。
それは「サザエさん」の世界では、娯楽としての「大相撲」であり、経済的苦痛としての「物価の値上げ」であり、政治的話題としての「選挙」であり、将来 の不安としての「地震」です。
これらは作者の主張として表現されます。
そしてその間に「お盆」「正月」「卒業・入学」「夏休み」「たき火」「七五三」「大掃除」といった季節ごとの瑣事が繰 り返し取り上げられてくるのです。
その中で税金の話題もかなりの頻度で登場してきます。
もちろん、税は欠くことのできない日常的経済行為の一つ。
つまり、税金の話題を抜きにしての市民描写はあり得ないと考えれば「サザエさん」には見事にこの日常が組み込まれてい るのです。

チクショウ、とられた!
では、早速、マンガ「サザエさん」に登場する税金にまつわる場面の幾つかを紹介しましょう。
ご存知の通り、サザエさん一家はサラリーマン世帯。
お父さんの波平さん、サザエさんの旦那さんのマスオさん、いずれもサラリーマンです。
従って、税金の話題もサラリーマンに対す る税の在り方についての場面が数多く登場します。

歳末警戒中のお巡りさんに酔ったサラリーマンが泣きつきます。
「チクショウ、2万円とられた!」
驚いたお巡りさんは、
「スワッ、強盗事件!」
とばかり犯人捜しに駆け出します。
すると、サラリーマン氏はやおらふところからボーナス袋を取り出してつぶやきます。
「税金だからシャァないけどョ、うぃ〜〜。」
サラリーマンにとって、給料から自動的に引かれてしまう税金は、いかにも「取られた」という感覚なのでしょう。

余談ですが、サラリーマンの給料から税金を天引きする源泉徴収制度は昭和15年に創設されました。
まさに、日米開戦の前夜。
戦時財源確保の手段でした。
そして、戦後、申告納 税制度が採用された後も、サラリーマンが納税者として、税金計算に直接タッチできる機会は失われたままです。

次の場面です。 「九・六・四」(クロヨン・そう言えば最近あまり聞かなくなりましたが)報道に怒りを爆発させた男が税務署に押し掛けます。
応対に出た税務署員を前に、
「サラリーマン は損だ!」
と机を叩いての訴え。
すると、税務署員も強く机を叩いて、
「そうだ、そうだ、あんまりよ!」
と同調します。
税務署員だってサラリーマン。
給料から引かれる税金は同じなのです。

波平さんも税に無関心ではありません。
「サラリーマンから税金をとりすぎる!」
と叫ぶ男の声に、退社途中の人たちが足を止めます。
みるみるうちに男の周辺には人垣ができ、
「みんな、これでいいのか!!」
との彼の檄に耳を傾けます。
しかし、やおら、男はネクタイのタタキ売りを始めて、結局熱心に聞き入っていた波平さんも買わされるという場面です。
人寄せに使えるほど税金に対する関心 は高いのです。

なぜ?波平が確定申告
ところが、この波平さんに税金上の疑問があるのです。
時代は昭和24年ですから少々古い場面ですが、波平さんが税務署で税金の申告をしている場面です。
実は、波平さんの確定申告場面はこれだけではありません。
ざっと見ただ けでも昭和25年、昭和30年、昭和39年、昭和41年、昭和43年と出てきます。
波平さんはサラリーマンです。
サラリーマンは源泉徴収と年末調整で税の確定が行われるはずです。
しかし、なぜか波平さんは税務署に足を運ぶのです。
還付申告という考え方もあります。
医療費控除の適用がその代表的なものです。
確かに波平さんはあまり健康的なお父さんではないようで、医者に通う場面がちょくちょく登場するのですが、それも腹痛を訴えたりする程度で、税金を戻してもらうほどの医療費がかか っているとは思えません。

あなた、督促が・・
こんな場面があります。
ある朝、カツオは宿題をやっていないことに気づきます。
頭をよぎるのは鬼のような教師の顔。
思いあぐねて彼は
「今日はやすんじゃおう!」
と仮病を装って床 に伏します。
そんなカツオを横目で見ながら出勤しようとする波平に、舟さんが言います。
「アナタ、今朝こそは税務署に寄っていらっしゃらなきゃ・・。督促が来てますわよ。」
「うん」
と 波平さん、ネクタイ締めながら浮かぬ顔です。
どこのお父さんもそうでしょうが、波平さんも税務署と聞くと途端に元気がなくなるのです。
すっかり落ち込んだ波平さんは、突然せき込みます。
そして、
「寒気がする。カツオのがうつっちまった・・。」
とさっさと出勤取り止め、カツオの隣に布団を敷いて寝込んでしまいます。

もう一つ見ましょう。
廊下で植木の手入れをしていた波平さんは、カツオ君に郵便物を取ってくるように頼みます。
マンガを読みふけっているカツオは渋ります。
「いいものをあげるから、 とっておいで」
と波平さん。
昔の子供は「いいもの」に弱いですから、すぐに動きます。
ところが、カツオ君が持ってきた郵便物はこともあろうに税務署からの督促状です。
そんな事はおかまいなしにカツオは、
「ネェ、お父さ〜ん、なにかってば〜」
と「いいもの」を催促します。
しかし、波平さんは不愉快極まりありません。
「うるさいッ」
と、先ほどの約束なんて吹き飛ん でしまってます。

また、こんな場面もあります。
世の中にはいろいろイタズラする人がいるもので、「不幸の手紙」というものも、その一つです。
次の人に同じ文面で手紙を回さないと自分が不幸になると いうやつです。
この不幸の手紙という一種の遊びは、社会問題にまで発展しマスコミなどで話題となったものでした。
ある日、新聞で「不幸の手紙は郵便物として受け取らなくてよい」という記事を読んだサザエさんは、
「あったりまえだワ」
と義憤に燃えます。
そこへ折良く郵便屋さんが来て、噂の「不幸の手紙」を配達してきます。
「来た!」
サザエさんは毅然として、その「不幸の手紙」を郵便屋さんに突き返します。
しかし、郵便屋さんもベテランです。
「ダメだよ、税金の督促状に 重ねちゃ」
不幸の手紙と一緒に送られてきた税金の督促状を、どさくさに紛らわせて戻そうとした企みがしっかりバレた瞬間でした。
まぁ、いずれにしてもよく督促状がくる磯野家なのです。

税務署の調査が入る
波平のところに来るのは督促状だけではありません。
税務署員が直接訪れる、いわゆる税務調査まであります。
「ごめんください」
ある日、銭湯から戻った波平さん、玄関の前に立って声色をつかいます。
「ハイ」
と内から返事する舟さん。
「税務署からまいりました」
波平さんのお茶目な場面です。
「ハハハハハ」
と上機嫌で家の中に入ると、玄関に見知らぬ男が書類を広げて座っています。
「いま、税務署からいらっしてるんです!」
と舟さん。
赤面する波平さん。
といった具合で、確定申告している波平さんですが、その申告は納税額が生ずる申告、それも税務署員の調査があり得る申告であることが明らかです。

では、波平さんはいったい何を申告していたのでしょうか?。
実は残念ながら、マンガ「サザエさん」のどの場面を見ても、その答となる場面は見つかりません。
こうなると、いろいろ頭を働かせて一定の筋書きをつくるしかありません。
そこで実際の税法の規定に照らし合わせながら推理を行うこととしました。

所得税の規定を見ますと、ご存知の通り、サラリーマンでも確定申告をしなくてはならない場合がいくつかあります。
そのなかで、ポピュラーなものを掲げると次の三項目となります。
1.給料が一定額を超えていた?。   
2.二カ所以上から給料をもらっていた?。   
3.給与以外の所得があった?。
では、波平さんはこれらのいずれかに該当したのでしょうか。

波平の月給は月7万円
まず、波平さんの給料が確定申告をしなくてはならないほど高額だったのかという検証です。
その参考となるのが波平の月給。
実は、彼が酔っているとはいえ、ポロリと月給を口にする場面があります。
忘年会でしこたま酔っぱらった波平、帰宅の電車の車内を自宅と間違えて、開いたドアから
「ただいま〜」と入ります。
そして席に正座して向かいの乗客を家族と間違えて
「いや〜おそく なってスマン。つい友達にさそわれて・・・」
と言い訳しきりです。
心配した乗客は、親切にも波平を自宅まで送ります。
すると、今度は自宅を警察と錯覚。
「いその波平、54歳。月給税込み7万円であります。ハイ」
と神妙です。
つまり波平の月給は7万円なのでした。
昭和40年のことです。
この額から推測して、恐らく彼の年収は120万円前後、確定申告が必要な給料額が年収500万円の時代です。
ど う考えても確定申告が必要なほどの給料を貰っていたとは思えません。

もう少しねばりがあれば
では給料を二カ所以上からもらっていたのでしょうか?
「サザエさん」全編を通じて、波平が複数の会社に勤めていた事実は見つかりませんし、彼の勤務姿勢、仕事に対する考え方などを総合的に見ても、恐らくこれはないでしょう。
波平さ んは皆さんよくご存知のように、どこにでもいるごくごく平凡なお父さんなのです。
それを裏付けするかのように、波平は家族の中ではあまり高い評価を受けていません。
ある日、日曜大工でイス作りに挑戦した波平は、案の定途中でギブアップ。
板きれをゴミ箱に投げ捨ててしまいます。 これを見たカツオ君の一言。
「もう少しねばりがあると、お父さんも出世したんだろうけどな」

まだあります。
子供達の草野球に割り込んで打席に立った波平さんは打って猛然と一塁ベースに滑り込み。
塁を守るはカツオ君です。
きわどいプレイに「アウトだ」「セーフだ」と二人は譲りませ ん。
口論の末、波平さんはカツオ君に
「ちっとはおおめに・・・お父さんはナ、お前をそれまでにするのに、どんなに苦労を・・・」
と涙の訴え。
「ばかばかしい」 とあきれ顔で波平さんを連れ戻す舟さん。
古いタイプのお父さんですが、お茶目で、単純で、大人になりきってなくて・・・間違いなく血液型はB型の波平さんです。
従って、ちょっと飛躍ですが、何カ所もの会社にタッチするほど の仕事人間とは思えないのです。

家賃を貯めて家を買った?
最後の条件は給与以外の所得があったのか?ということです。
給与以外の所得の種類が山ほどあることは、ご存知のとおりですが、一つだけ勝手に推理すると、こんなことも考えられ ます。

前に「福岡からほとんど裸同然で東京に移り住むことになった磯野家。
そしてその後の質素な暮らしぶりからすると借家住まいはなんとなく理解できます。
しかし、すでに検証したように、いつの間にか借家は 持ち家にと変わります。
一体その間に何があったのでしょう?。

この問題はいずれ解明されなくてはならない疑問です。」と書きました。
その疑問の解明が波平さんの確定申告と関連があるのではないか、ということです。 まず私たちは波平さんの福岡での生活が裕福であったことを思い出さなくてはいけません。
そして一家が東京に転勤になったのが昭和22年、初めて税務署から督促状がきたのは東京に移り住んだ後の昭和24年のことです。
前述のとおり、その後25、30、39、41、43年と波平の確定申告場面が出てきます。
時系列的に言うと、波平が「この家を売って郊外に住もう」と提案し、磯野家が持ち家だということが場面上で確認できたのが昭和46年です。
東京に引っ越してから確定申告場面が始まり、確定申告場面が画かれなくなった時には家は持ち家に変わっていた・・という奇妙な符合です。
つまり、九州の二階建ての゛豪邸゛は波平の持ち家だったという前提をつくりあげれば、突然の転勤によって家を売る余裕はなかったはずで、その家を賃貸にまわしたことは想像に難く ありません。
貸家からは当然、家賃が入ります。
東京では初めは借家住まいであったが、やがて家賃収入は貯まり、その蓄積分と福岡の家の売却代を充てて東京の借家を買い取り、持ち家にしたのではないか・・ということです。
だとすれば、波平さんが毎年のように確定申告(家賃収入の申告)していたことも理解できます。
そして、持ち家に変わった時以後、確定申告場面がなくなったことも納得できます。
も ちろんこれは、私が行った推測の一つに過ぎませんが・・・。

とっととうせろッ!
ちょっと横道に外れますが、マンガ「サザエさん」では確定申告にまつわる話題がいくつか画かれています。
マンガ「サザエさん」では、確定申告を家族との関係でとらえています。
つまり、義務を果たすことはそれなりの犠牲を伴うものだという姿勢です。

「すいませんねぇ、どうかおかまいなく・・」
サザエさん一家の夕食時にカツオ君の友人が神妙にしています。
彼は、毎年ある決まった日になるとサザエさんの家で夕食をごちそうになるのです。 そうです、その日は税の申告日。
自営業者の彼の父親は、ソロバン片手に税金の計算にヤッきです。
周辺でちょっとでも声を出そうものなら、
「どいつもこいつもやかましぃ〜〜ッ、とつととうせろッ!!」
と追い払われます。

また別の場面、ここではワカメの友達が犠牲者になっています。
長居する女の子に波平は、
「夕方だからお帰り、お帰り」
と冷たく言い放ちます。
しょんぼりと女の子が帰った後で、波平さんはワカメから事情を聞かされます。
「兄ちゃんは試験、とうちゃんは税金、かあちゃんはベビーブーム」
あわてて波平は呼び戻しに女の子を追いかけるのです。
確定申告の時期、子供達への影響も大きいのです。

マンガ「サザエさん」にはこの他にも税金にまつわる場面がいろいろと画かれています。
取引高税の話
※舟が税金を納めに行く場面
※不景気だと税務署員が嘆く場面
※みどりのおばさんと青色申告
※ホステスにも税金
※株式会社と節税の話
※税務調査はゴジラの来襲
※割引債と源泉税
※税務署とウソ発見器

それぞれが時代を反映していて、税と市民との関わり合いの歴史をかいま見る思いです。

全くの思い付きでマンガ「サザエさん」を基にし税の話を続けてきました。
その過程でこのマンガには他にも多くの研究材料が潜んでいることが解りました。
私は職業柄、税金の話題に 焦点をあててみたのですが、マンガ「サザエさん」を通じて税金が身近なものになればおもしろいのでは・・と改めて思っています。