ピースボート66 世界一周の旅 同時進行レポート

             PEACEBOAT66            

            


2009.4.23出航  8月12日帰航 ピースボート112日間世界周遊航海の旅 




2009年4月23日、12時30分にようやく大勢の見送りの中出港しました。
船内は広く場所の確認が大変です。
船室は思ったよりも広く海の見えるバルコニーもついて意外と快適です。
インターネット環境はまだ整わずこのメールも何時送れるか解りませんがとりあえず。
(23日)
昨日は船が大揺れで1日船酔いに悩まされ大変でした。
今日は穏やかでインターネット環境も整いつながると言うことで
カードを買っていざ接続と思ったらつながらずこのメールを書いてます。
明日は8時廈門入港美しい町らしいので今から楽しみです
(26日1623分)

インターネットの接続状態が悪くパソコンをする人は苦労してます
遅い、途中切断等光通信でやってるようなわけにはいかないようです。
先行き良くなるか未定ですが写真など添付しようかと思ってます
乗船から5日目で廈門に入港し自由行動で市内と鼓浪嶼島(コロンス島)を観光してきました。
島内は車自転車の乗り入れが禁止され租界時代の洋館が建ち並ぶきれいな小島です。
廈門市内は今建設ラッシュで船着き場の周りの空き地にはクレーンが動き回り活気にあふれてます
 
乗船から今までの船内生活は朝昼の食事はバイキング形式で夜食は二回に分け一回目は1730〜1800二回目は1930分〜2000までに入場で食事します
あとは食事まで碁、将棋、麻雀、読書、昼寝等自由に使ってます
ピースボートの特徴としては水先人という人が乗り込み1時間30分位の講演とかをします
この3日間はピースボート創設者の吉岡達也さん放送大学教授の高橋和夫さんの講義がありました
今日からは九寨溝を観光するオプションがあるかと思えばカンボジア地雷問題検証ツアーに参加する若者とかさすがピースボートいう感がします。
これから廈門を後にします。


シンガポール入港前に船内の様子を紹介します6階にあるセブンコンチネンツレストラン内部です
3食ここで食べます。
朝、昼はバイキングで梅干し、レタス、トマト、チーズ、ハム、ヨーグルト、豆類、肉類の煮物ご飯、味噌汁は定番で朝は乾燥のり、のりの佃煮(最初は納豆)シリアルがつき昼はパン飲み物は薄くてぬるいコーヒーか日本茶、紅茶です
夕食は2回に分け1730〜と1930となりフルコース?です
ウエイターのサービスは慣れてないそうでいまいちです。
味噌汁を手にかけられたときにナプキンで最初に拭いたのがかけられた手ではなくテーブルを拭いたのにはびっくり!!!


全天候プールです雨が降ると屋根が移動します明日はプール開きを行いますちなみに水は海水です


ラウンジデッキフリースペース
ラウンジデッキの八階にあり自主企画と言って特技を持った人たちが教えたり話したり、社交ダンスのレッスン場所にもなります。
ちなみに朝6時頃から太極拳、気功、ラジオ体操から始まって社交ダンスDVDによる落語鑑賞、平和の歌を口ずさもう等々いろいろな講座が目白押しです
今日は手相講座があり80名ぐらいの人が集まり盛況でした。
ここで無線ランができます

5月2日シンガポールに到着予定です
それまで海の上でいろいろな催し物に参加して時間をつぶしております。
碁、スケッチ、落語鑑賞、世界史クイズ、日本史クイズ等々。
写真をたくさん添付したいのですがなにせ時間がかかり二枚の写真を送るのに10分もかかり100分のカードがあっという間になくなります。
何せトラブル続きのピースボートだそうで未だに洗濯機、乾燥機はは使えず今日は隣の部屋の洋服を入れる鏡のついた扉がはずれ倒れ危うく足が潰されそうになったそうです
今日はエアコンが不調でクーラーがあまり効かず大汗かいてます
受付フロントには苦情の紙が束になっていたという話も聞きました。

30日プール開きをしました
プールと言っても5かきぐらいしたら向こうに届くくらい短いプールが2つあるだけですがバンド演奏で盛大に行いました
いよいよ明日はシンガポールです
0800入港して21時が帰船リミットとなっているのでゆっくり市内観光が出来そうで今から楽しみです。

0800予定通りシンガポールに入港しました
十数年前修理中で見られなかった水をはき出しているマーライオンを念願かなって間近に見ることができました。
 
マーライオンまでは地下鉄で行きましたがそこからは徒歩でチャイナタウンを見物し、有名なオーチャード通りとも思いましたが昼食でおいしい餃子と生ビールを食したら疲れが出てバスの乗り方も判らないので暑かった市内をチャイナタウンで買った重いマンゴーを持って約一時間半ひたすら歩き帰船(。_+)
地下鉄はスイカみたいなカードを行き先プラス1ドルで購入し後で払い戻すデポジット方式です。
購入する機械は4ドル以上は入れられず別の場所で両替する不便さがあります。
ホームは扉でふさがれていて電車がきて初めてここで乗るのかと判る感じです。
 
  

残念ながらモルジブはキャンセルとなり次の寄港地ヨルダンのアカバに向けて航海しています。
次の寄港地には17日の予定ですので長い船内生活になります。
そのため13日に4個チームに分けての大運動会を催す準備をしてます。
キャンセルの理由はソマリアで海上自衛隊に護衛をしてもらうために決められた時間と、集合場所行くことになったためのようです。
ピースボート側は何で自衛隊に守ってもらわなくてはいけないのかと憤慨してましたが船長がそうすると言ったため守ってもらうことになったようです
最初の説明では海賊船は速度が遅く17ノット以上出せれば大丈夫でこの船は最高速度が、27ノットもでるので安全で何の心配もありませんと言っていたのにと、何人かは別の変更は出来ないかと質問しましたが個人的に伺うと言うことで全員の前での回答がなく不満を持つ人が多くいました。
ある夫婦は旦那がモルジブによるからと奥さんを誘って来たのにキャンセルされ説明会の後雲隠れしたそうです。
3日は憲法記念日で9条論争をあちこちでしていました。

南京虫騒動
同じフロアーの人があちこちぶつぶつができているので聞いてみたら南京虫にかまれたと言っていて、そのうち私らもかまれエアコンもあまり効かなかった事もからめ「エアコンで冷やさないからダニとかが出るじゃないの」と苦情を言ったら、次の日にマットレスの交換と部屋の消毒をしてくれて何とか収まりました。
三ヶ月以上も虫に食われたらどうしようと思いましたが意外と早く処置をしてくれて一安心と感謝です。


扉脱落事件
隣の船室の人が鏡のついたローッカーの扉を開けたら約20キロはあろうかと思われる扉が足下にドカ!!と落ちて危うく足を潰されそうになったそうです。
2人がかりで1日修理してました。
チャイナタウンで買ったマンゴーでとても美味しかったです。

ここのところ船の揺れも少なく快適な船旅を楽しんでます
昨日は0940頃イルカが十数匹泳いているのが見えました。
他の人は鯨の潮吹きが見えたと言ってましたが残念ながらそれは確認できませんでした。
夜はシンガポールから乗船した柳田昌宏さんの星座の講義と甲板に出て実際の星を見ながら説明を受けましたが月が明るすぎてあまり星が見えずがっかりです。

今日はいったん消毒した部屋でまた虫に食われ手、足、顔にひどい腫れができ
船医に看てもらったため徹底的に消毒することになりワンランクアップの部屋に1週間の予定で移動しました。
聞くところによると建造から46年の廃船寸前の船でしばらく使ってなかったため多くのトラブルがあるようで船内は白い作業服を着て工具箱を持った船員がいつもうろうろしてます。
今朝も8階のフリースペースで水漏れがあり修理してました。
悪口ばかり書くようですがトラブル満載船のようで今後が楽しみです。
 
話題は変わり船内で聞いたピースボートならではの小話
ピースボートで旅行した人が豪華客船飛鳥で旅行中の品の良い夫婦に会ってこう聞かれたそうです。
「お宅様たちは何で来たのですか」
「はい、ピースボートで来ました」
と返事をしたら
「あなた、この人たちボートピープルで来たそうよ」
お粗末!!!

日本からの時差も4時間となりました昨日今日と、何で「自衛隊」がソマリア沖にいるのかと講義を受けています
今日は100人くらい参加して簡単なアンケート形式で討論がおこなわれましたが半数は自衛隊に守ってもらいたいでしたし以外と自衛隊に好意的な人もいて担当者が困ったような様子でしたが中には自衛隊に守ってもらうくらいなら日本に帰ってくれとか、泳いで帰れるなら帰りたいと言った人もいました。
ゴールデンウィークあけで国会の事前承認なしで海外に出て行ける海賊対処法が国会審議がされているそうですが進んでますか?
 
500人強(ピースボート側はなぜかハッキリと人数はいいません)もいますと前にも書いたかもしれませんが色々な人がいまして面白いです
今日の呼びかけは気功、太極拳、柳田さんと将棋、ベリーダンス、社交ダンス、瞑想入門、フランス語講座フラダンス、インドのヘナアート、男装女装したい方集まれ、初心者囲碁、初心者麻雀、洋上シネマ24時過ぎまであります。
 
毎日毎日、周りは海ばかりを見てると本当に地球は水の惑星と感じます

朝にまた時計を1時間戻し日本からの時差は5時間になりました。
現在アラビア海を航行中です
緯度:11°26.9’N  経度:063°30.2’E  水深:4300m 速度:16.7ノット海水温:29°C
天気も良く暑い中運動会のため綱引きと応援のピンクレディのUFOの振り付け練習をしました

10日の1400全員が集められギリシャ人のアントネロス船長の海賊対策に関しての説明がありました。
11日の1700の予定で護衛艦と合流する予定です。
守るのがギリシャと同じ、最強の海上自衛隊なので何も心配する必要はありません(ここで通訳のピースボートスタッフが苦笑い)
今から乗組員による警備体制も実施しますので安心していてくださいとのことで終わりました。
補足のスタッフの説明では守られる船団は6隻で、観光船はピースボートだけでほかは貨物船のようです。
この船の唯一の武器は何カ所かに設置された掃除用の放水器で、朝に水を出しているで何でだろうと思っていたので納得しました。    
結構強い水が出ていたので効果はあるかも!
乗客の何人かは本当に心配してますがほとんどの人は自衛艦が見られるのか?写真は撮れるのか?
そっちの心配をしてるように感じました。(11日0600)
 
1715分エジプトの観光説明を聞いてすぐ甲板に出たらピースボートを真ん中に左右6隻で前後に自衛艦のコンボイ体制ができていました。早くから見ていた人は体制を組むときに横を通った自衛艦の写真を撮ったそうです。


5月17日0600長い洋上生活の後、9人くらいの歓迎ダンスの中、予定通りヨルダンのアカバ港に入港しました
0830港に出迎えのバスに乗車して死海とペトラ遺跡ツアーに出発です。
ペトラ遺跡は遠くは砂の風でかすんだ砂漠の高速道路を走り約3時間ペトラ遺跡の入り口に到着。
そこからは岩の割れ目を1時間20分くらい歩いて視界が開けたら岩を掘った神殿が目の前に現れる。
テレビで見た光景そのものであまり感動はありませんでした
帰りも高速道路で3時間半首都アンマンのホテルで一泊しましたが思っていたより設備が良く皆、感激です。
大きなホテルは小型戦闘車に機関銃を装備した軍の兵隊に守られ、またバスにはツーリストポリスが拳銃装備で乗っていて紛争地域の国だと感じました。
死海は海抜ー408mで世界で一番低い所だそうです
周りはリゾート地のように設備が完備し、湖を見下ろす傾斜地で上に更衣室とプールがあり、一段下がると2つ目のプール、さらに下に降りていくとシャワーが完備していて大勢の観光客で賑わっていました
泳ぐところは横幅150メートルくらいで岸辺に塩の結晶があり遠浅で水に体を預け両手、両足を上げても楽に浮き、雑誌か何かの写真で見た通り本を読むことができるのを体験しました。
強い塩分の浸透圧で体の水分がなくなるので10分以上は入らないようにと注意がありましたので早めにあがり、もっぱら水虫治療??で足だけ浸かりました。
ヨルダンは70パーセントが砂漠の国で1730で外気温は43度・・暑かった!!!!
20日はスエズ運河を通過し23時エジプトのポートサイドに入港予定です。


朝の4時頃にスエズ運河に入り軍が警備する砂だけの両岸とか日本が作った橋などを飽きるほど見ながら約170km、予定の23時よりも早く17時頃にエジプトのポートサイドに到着しました。
接岸した港には土産屋が「1ドル、1ドル」と声をかけてきます。
民芸品のほかに電気製品、釣り道具などが売っていて看護師が使う血圧計もありました。
 
今朝は0840港からすぐの頻繁に往復している無料のフェリーで約10分の対岸の島に行きました。
ガイドブックにはきれいな町と書いてありましたが、ゴミがあちこちに放置され野良猫がうろつき早々に引き上げてきました。
ポートサイドの町は船を下りたらすぐ前に土産物屋、税関が済んだら馬車の客引きが数台あるだけで商店や市場は地元の生活品を売っていて観光産業ではなく港の仕事とかほかの収入があるように感じました。
暑い中タクシーと馬車に「乗らないか」の声をかけられながら半日歩き、観光する西洋人の姿もなく町で出会うのはピースボートの乗客だけでした。

22時エジプト出港予定
23日(土)昼にギリシャのピレウス入港予定です。   

ギリシャ第一の港ピレウスに入港しました
さすが地中海でも5指に入る国際港だけあって、近くには大きな客船が停泊してました
1240船内で昼食を済ませゼア湾から湾内を見渡せるカステラの丘にあがりカルフールに寄ってサービスのコカコーラを飲みピスタチオのアイスを食べ帰ってきました。
エジプトとは違いこぎれいなカフェテラスやレストランなどたくさんあり昼時のせいか賑わっていました。
ゼア湾は豪華なクルーザーや漁船、小型ボートなど隙間なく停泊してます。
町を歩いて目についたのが路上駐車の車の多いことで歩行者の事などは二の次、止まれればどこでも止めろという感じです。
帰船リミットは2400ですが暑い中、毎度の事ながら歩いての観光で疲れ1600には帰りました。
次のイタリアもまた歩いての自由行動なので体力温存です。
エジプトでアラブ商人に品物をすり替えられと言う話を聞きましがヨーロッパではそんなことはないでしょう。
    


     


  
  

  

今日も快晴です
5月25日0900にイタリアのシチリア島東海岸、標高3323メートルの富士山に似たエトナ山の裾野に広がる港町カタニアに入港しました。
出口でイタリア語の地図にイタリア語でマーカーをつけながらの説明を受け(たぶんここが見所と言ってるんでしょう)出かけました。
港から歩いて2,3キロの所に教会が集中していて教会の建物は古く何度もエトナ山の噴火で薄汚れたらしいです。
噴火していた2002年末には街角に火山灰がうずたかく積もり町ゆく人は昼間でも傘をさして歩いていたそうです。
ギリシャと同じで狭い路地に車があふれ、渋滞も起きていてツアーで行った何台かは1600の帰船リミットに遅れ出発から1ヶ月の記念の出港式が大幅に遅れてしまいました。
出港式には汽笛と銅鑼をオークションで競り落とした人が船長と記念写真を取り、銅鑼は叩きながら甲板を半周してその後、汽笛は何秒かに分けて4回ならしました。
ちなみに銅鑼は16000円 汽笛は10000円です。
短い滞在時間でしたが美味しいシーフードのスパゲチィも食べられ満足しました
27日はスペインマラガでアルハンブラ宮殿観光です。

  
  出港時の汽笛を競り落とした乗客              出港時の銅鑼を競り落とした乗客


  
目の前には豪華客船が停泊                   船から望むエトナ山


  
 コーヒーです。決して呑んだ後ではありません!      レストランにあった楊枝が入っていた箱


  
  市場                             カタニア市内


  
イタリアらしいいたずら書き                 道路も石畳が多かった



 カタニア公園

5月25日、予定通りの時間にスペインマラガ港に入港しました。
マラガはパブロピカソの生誕地でも知られています。
今日はグラナダのアルハンブラ宮殿のオプションツアー観光です。
アルハンブラ宮殿はグラナダ市南東部にある総面積1万4000uのイベリア半島最後のイスラム王朝ナルス朝の宮殿、ムハンマド1世が1238年に建設を命じたもので、その後約170年間に渡り建築が重ねられたそうです。
眼下に見えるアルバイシン地区は世界遺産に登録されています。
天気に恵まれ、暑い中2時間は歩き往復約5時間のバスの旅でした。

    


    



ここ2日ばかり船が揺れ久々の船酔いに悩まされています。
現在フランス沖BAY of biscayを揺れながら航行して横浜から10594.4海里進んできました。
    
10F居酒屋波平、0200まで開いてます                8F中央にあるバー
 
    
    8F後方にあるバーで現在閉店中           8F後方のスターライトラウンジ、映画、講義が行われます
 

    
    コインランドリー、アイロン台                  ブロードウエイショールルーム
                                    ここに全員が集められ寄港地説明会など
                                    大きな催しをします


    
       カードルーム                               11Fにあるジム



  5Fレセプション 

モネが5歳から20歳まで育ったルアーブルからバスで約3時間のノルマンディー海岸モンサンミシェル湾近くの島にあるモンサンミシェル修道院に行って来ました
この地方は天気が変わりやすいので、雨具の用意と言われ途中曇ってきたりして心配したのでしたが、着いてみたら上天気で心がけの良さを実感しました
この日(6月1日)は三連休の最終日だと言うことでたくさんの観光客でごった返し、出口近くの2カ所しかない40セント(約60円)取る有料トイレは長蛇の列で大変でした
ガイドの話では今日はまだ良い方で、上まであがるのに1時間30分もかかる時もあるそうです。
このトイレ、フランスでも有名な観光名所になっているようです
    
           駐車場                       塔の先端の天使ミカエル 


    
        塔のの先端                       途中の土産屋


    
  途中の土産屋       なぜか有名なオムレツ、泡を食べてるようでした


    
 レストラン前から見たモンサンミシェル                ルアーブル港


6月5日ストックホルム

     
益川さんが大量に買い込んだメダルのチョコレート       ノーベル賞をもらった人が泊まるグランドホテル



     
     こんな車も公道を走ってます                 今日は卒業生式が終わりで町中でトラック
                                        とかトレーラーを借り酒を飲みながら騒いで
                                        いる高校生が大勢見られました。
                                        この国の学費は無料で学校では自立心と
                                        批判的な考え方を持つように教育していて
                                        先生や親の言うことにただ従うのではなく自
                                        分で考え行動し、もがいている。大学も無料で
                                        すが進学率は30%なので彼らの半分以上は
                                        社会に出てそれぞれの道を探すそうです




     
   なぜかぎょっとする狐のホームレスの置物           北欧の「ベニス」といわれる水の都



     
   北欧の守り神              町の起源となったスタットホルメンの水飲み場
                          3世紀には湖水の水位が高かったため現在の
                          3/1ほどの面積しかなかったといわれる。


下記写真(中)市内を案内していただいた横山夫妻
(左)スエーデンの彫刻家ミネスの作品が展示されている庭の彫刻 作品の中には箱根の彫刻の森美術館にもあるそうです
(右)ドロットニングホルム宮殿は北欧のベルサイユ宮殿と呼ばれ大小14の島からなる「水の都」ストックホルム近郊の湖に浮かぶローベン島に建ってます

         


6月7日、ロシアのサンクトペテルブルグに入港しました。
とても大きな港でこの船のほかに同じような客船が前と後ろに停泊してます
サンクトペテルブルグでは自由行動が認められずどれかのツアーに参加しなくてはならず、昨年観光した私たちは午後からの買い物ツアーに行くことにしました。写真はあまりありませんので去年8月に行った夏の宮殿とオーロラ号を添付しました。
明日はフィンランドのヘルシンキを自由行動で観光します。
     
      エルミタージュ美術館入場口               ピョートル夏の宮殿 ピヨートル大帝がフィンランド
                                  湾に面して建てたベルサイユ宮殿がモデルの離宮


     
   広大な敷地には150もの噴水が点在している         巡洋艦オーロラ号 1917年この船から発した空砲を
                                 合図にロシア10月革命が始まった。日露戦争でも参戦し、
                                 現存する2隻のうちの一つ


        
        サンクトペテル港                 血の上の教会 1881年、アレクサンドル
                                 2世が暗殺された地に建つためこう呼ばれる
 

     
        カザン大聖堂                          エルミタージュ美術館正面


そちらは真夜中ですね(^_^)/
時差が毎日変わるので時計を進めたり戻したりと大変です
6月8日、ヘルシンキ(フィンランド)
9時入港予定が遅れ、町に出るのが10時頃になりました。
船の入港が混雑してますので接岸に時間がかかります」と遅れた理由を船内放送しましたが、ピースボートの船はタグボート2隻で岸壁に着けるのに、遅く来た豪華客船はバックでも自力で簡単に岸壁に着けてしまいました。
結局ピースボートの接岸に時間が取られたということですそれも端っこにぽつんと!!
サンクトペテルグルブでもそうでしたが港には豪華客船がいつも2,3隻は停泊してます。
本当に世界的な不況なんですか?
中心地に出るのに約45分歩きました町はきれいで、歩いて観光するのには最適です
昼食は中華料理にしました。相変わらず量は多かったですが、なぜか中国旅行で食べたにおいがしました。
前に来たのに大聖堂とマーケット広場くらいしか思い出しませんでした。

白夜  午前3時の状況 

    
スエーデン語広場で古着、骨董品、などが売られていた                デパート 


      
    商店街の通りになぜかたっていた             マーケット広場 ここも食品、お土産物などを売っている
 

       
          大聖堂                              マーケット広場近くの食品街の寿司屋
 
 
      
        日本大使館のプレート                            中央駅前広場 



 中央駅 

6月10日、0900入港予定が大幅に遅れ1330分にデンマークのノードハーベン港に着岸しました。
電車の駅が10分くらいの所にあったので電車で行くことにしましたが、ホームで切符を買うのが一苦労
大勢が押しかけ、クレジットカードで買うのですが操作が判らず20分位かかってしまいました。
なんとか買って乗ろうとしたら、後ろに待っていた人がいなくなっていて何のことはないほとんど買わないで乗ったようです。
びっくりしたのはクレジットカードが駅の切符からセブンイレブンのお菓子とか、何でも使えることでした。
ただ、以外と暗証番号が知らない人がいたことです。
それとなぜかJCBカードだけは使えないところがあります
雨が降ったりやんだりした天気でしたが濡れずに、こちらも判らないのにおばさん二人に頼られて一緒に市内観光をしてきました。
一日おいて次はノルウエーのベルゲンです
     
相変わらず豪華客船が停泊している港 
やはりピースボートは端っこに!


港近くにある電車路線4っ目で中央駅 電車は5,6分おきぐらい頻繁にきますが
切符を買うのに手間取り20分位かかってしまった。 
駅には改札がなく切符を買わなくても乗り降りできるが不定期に行う
検札の時に持ってないと罰金額が大きいとか。

        
チボリ公園 1843年にゲオー・カーステンセンが諸外国を旅して得た
発想をもとに建設した総面積8万5000uのアミューズメントパークで
ウオルトディズニーも参考にしたと言われてます。


中央駅前

     
チボリ公園内入園しなかったので柵ごしに撮影        市庁舎前の銅像たぶんアンデルセンだと思います



     
     市庁舎全景                          市庁舎 中央の金色の像は創設者アブサロン司教の像

     
        中心街                        1296年に建築された修道院の
                                      一部聖霊教会

     
 やはりありました。笑笑だと思いますが?            100メートルくらいある長屋のような住宅が
                                       5列ぐらいありました


デンマークのいたずらがきはすごい!!
駅、線路沿いは至る所こんな感じです

6月12日、ベルゲン(ノルウェー)
デンマークと違い朝7時過ぎには上陸可能になり早々と出かけました
前に行ったときと変わらぬ町並みと魚市場があり、開店の準備をしていました。
早すぎたので遠くに見えたテレビ塔まで行ってみようと約5kmほど歩き、ロープウェイには乗らずに600m登ってしまいました。
曇っていましたがベルゲン市内が一望できて、疲れも帳消しです。
帰りはロープウェイで5分ほど、アイスも食べきらないうちに着いてしまいました。
世界遺産に登録された町は人気があるのか、お昼には観光客で賑わってました。
22時が帰船リミットでしたが3時には我が家に到着です(1ヶ月以上も乗ると我が家感覚です)。
明日午前三時にはソグネフィヨルドの入り口に着きフィヨルド遊覧の始まりです。
海の色は気づきませんでしたそう言われればきれいな青色の時がありました今は黒っぽいです。
深さか、海流の関係ですかね?

船を下りて約10分の所にノルウエー最大の港町ブリッゲン地区があります 
港に面して赤や白、黄で彩られた世界遺産に登録された木造家屋が建ち並んでます
     
                                  
  世界遺産に登録された木造家屋


     
    墓地になぜか片方のハイヒールと靴下                601メートルのテレビ塔
                                  ロープウェイが設置されていたが着いたときに
                                  上がってしまい時刻表を見たら1時間に一本のようなの
                                  でとりあえず上がって景色の良いところで写真を撮って
                                  帰ろうとしたが半分くらいまで来てしまいもう戻れずに
                                  上ってしまいました所要時間1時間40分疲れた!!


      
世界遺産の認定プレートが張られている建物              世界遺産の木造住宅なので修理している 



ホーコン王の館

6月15日午前8時過ぎに北極圏ヴァイキング島を通過しました。
灯台と地球儀をかたどったモニュメントがある小さな島です。
この後北極圏66度33分を
通過するときに汽笛を鳴らしました
雨と風、寒さの中での体験です
今朝は波も穏やで、デッキに出て冷たい風に当たりカモメを眺め北極圏の空気を嗅いでます。

         
     北極圏近くの人家                               ヴァイキング島

        
       ヴァイキング島                              16日0215、北極圏の白夜

フィヨルド遊覧
6月13日午前三時にソグネフィヨルドの入り口ボーに着き、1200に最奥のフラムで回りながら暫く停泊してまた同じ経路で遊覧してきました。

6月14日の今日は出港から53日でちょうど折り返し日になりますが遊んでいるせいか早く日々が過ぎた感があります
18日はレイキャビックです
     
アルハベットのHを意味し、この旗を掲げていると水先案内人が乗船しているという事だそうです



 ソグネフィヨルドから枝別れしたアウランフィヨルドの最奥に位置している村 フロム


ソグネフィヨルドは全長200km最深部1300mに及ぶノルウェー最大のフィヨルドです 

今日は午前中のみのレイキャビックツアーをしてきました。
30万人くらいの国で三大銀行が破綻して大変だそうですが、町は道路も整備されきれいでそんな風には見えませんでした。
寒さのため大きな木は育たないそうですが滝、間欠泉、地球の割れ目などを見てきたツアーの人は自然のすばらしさに感激してました。  
 
  1986年にレーガン、ゴルバチョフが握手をして、東西冷戦が終わる
 きっかけをつくった建物で、現在は国家元首を迎える迎賓館として使われています。


   今は老朽化のため修理中のプロテスタントのハットクリム教会
 1937年に建設が始まり1986年に完成したそうです


  教会とは関係ない銅像でレイブルエリクソンといい、
西暦1000年にコロンブスよりも早くアメリカのニューファンドランドあたりに上陸した人物

       
 

1944年に独立愛国運動を進めデンマークから独立させたヨンシーブンソンの銅像 
 彼の誕生日が6月17日で独立記念日としている


 国会議事堂 30万人の人口で63議席30代、40代の議員が多いそうです


レイキャビックの町に温水を供給している施設で温水タンクが展望台を支えています

     
展望台から見たレイキャビック

朝起きて、やけに静かに航行してるなと思ったらまだレイキャビックの港でした。
サブエンジンの修理に手間取って、19日の1600が帰船リミットになりました。
急遽9時頃になったら、港からバスで45分の世界最大の温泉地に100人先着で行ける、と言うことで慌ただしく支度をして出かけました。
目的地近くになったら、富士の裾野のような一面火山岩大地が広がり湯煙が立つ地熱発電所が見えその隣に温泉施設がありました
温泉水の色は乳白色で温度は一定ではなく深さは首ぐらいです。
料金は20ユーロでしたがシニア割引の7ユーロで入れ体も温まり最高のエンジントラブルでした

  
  ブルーラグーンの温泉



6月16日は一日アースデイとしてエネルギー、環境問題について考えるということで不用品交換とか、どうしたら無駄をなくせるか?など話し合ったりしてました。
海洋法では船内から出たゴミは焼却して海に投棄する事が出来るそうで、この船も500人以上が乗船してますしクーラーも寒くていられないほど効かして発電用の燃料とかを多量に消費して、船の燃料消費量もリッター何キロではなくキロ何リッターも消耗して106日間も航行して良いのかなと思いました。
    
         アースデイ船内催し

    
                                               煙突

21日に30分間、操舵室の見学がありました
    
        ブリッジ内                          機関室にエンジン出力を知らせる

    
  レーダーとコンピューター現在自動操縦            停電でも使える電話機 今は各人がハンドレ
                                       シーバーを使用している


     
非常の場合に右の木槌でガラスを割り
中のレバーを操作するそうです


飛行機のブラックボックスと同じで48時間音声を
録音保存するそうで沈没した場合には一定気圧で
浮上するようになっています。
待避時間に余裕があればランでパソコンに保存す
ることも出来ます

    
     操舵から見た正面                       守り神 聖人ニコライ 
                                           下の三つの装置は伝声管

北欧写真コンテストがあり55名、144点の作品が張り出されました



日本との時差がー13時間になりました
6月22日の午後に氷山が現れたと船内放送があり、伊藤千尋さんの講義の最中でしたが、一斉にデッキに上がったところ遠くの方に2,3個の氷山が見えましたが驚くほどの大きさではなくなーんだって感じでした。この時船首の方に鯨が二頭出てきて潮を吹き大騒ぎでした。
船も進み鯨はひともぐりで百メートルくらい後ろに行き、残念ながら写真は撮れませんでしたがはじめて見た鯨に感激しました。
 
夜はビンゴゲームで盛り上がりました。
景品
は「ニューヨークペアヘリコプター遊覧」、「ペアでニューヨーク一泊」が目玉で
あとは「船のスイートルーム一泊」、「船の居酒屋1万円券」などがあり、一枚300円で5枚買うと1枚おまけのカードが結構売れてました
ルールは3列ができてビンゴなのでなかなか出来ないかと思ったのですが結構早く二人の若者にビンゴがきて目玉の景品をさらっていきました
演出のため場内を暗くしたり、番号の表示をすぐに消したりしてたのでビンゴゲームになれていない年寄りは気がつくのが遅かったのでは?とあとで言ってる人がいましたがそういえば最初は若いのが多かったような気がします。
 
明日はニューヨークに入港します アイスランドの遅れを取り戻そうとしてますがやはり遅れそうです。
アメリカでの入港中、居酒屋は閉店、アメリカの炊飯器でなくては米を炊いてはいけないらしくご飯はパンに、今までレストランでもらえたお湯、冷水はもらえなくなるなど不自由しだしました。

氷山

  
                              ビンゴゲーム


                                        

ニューヨークにはレイキャビックでの遅れのため6月25日1400頃につきました。
1600時頃から市内観光とブルーノートというジャズバーでジャズを聴きながら食事をしたあとに、エンパイアーステートビルで夜景を見て2400頃帰ってきました。
翌日は自由行動でJCBカードのサービス事務所に行って情報収集と折角ニューヨークに来たのでホテルを予約して、J&Rの店でフォトペーパーを買うことが出来ました
ニューヨークはストリートとアベニューと碁盤の目のように道路が出来ていてとても判りやすく、翌日はセントラルパークを散歩して11時の帰船リミットにあわせ徒歩で帰りました。
 
出港時間がきてもパスポート返却案内がないのでどうしたのかと思ったら、船内放送で「大切なお知らせがある」と全員が集合をかけられました。
船長の話によると「船体に2〜3ミリの
穴が見つかりその修理に3日かかる」と言うことでした。
「安全面には万全の注意を払ってきてこのくらいの事で出港が出来ない、とは残念ですが沿岸警備隊の要請に従うことにしました」と説明した後、旅行会社側が今後の対処について説明しました。
当然遅れの賠償はとか次の寄港地のツアーはどうするかとか質問が出まして、もめましたが最後は追求する側が少数で擁護側は「会社は良くやってる、任せる」と席を立ち追求側の質問は尻切れトンボに終わりました。
前回も同じように足止めがかかりベネゼイラには行けなかったようで、どうやら話によるとアメリカからピースボートは要注意船に見られているようです。
何回もこのような扱いを受けピースボート側も警戒し、アメリカに入る前からあちこち整備したりしてたのに2ミリの穴が見つかるなんて見つける方もやるな!という感じです。
そのおかげで今日はバス8台に便乗してニューヨークから約3時間ニュージャージー州アトランチックという町に3泊4日の滞在となりました。
カジノもあるリゾート地で後ほど報告します。

    
  2,3日遅れでニュースを張り出します                  カジポン・マルコ・残月さんという水先案内人が
                                           乗り込み、このような多種多様な情報を精力的に
                                           映像等で見せてくれ毎日楽しみました

     
      船から見た自由の女神                     同じく船から見たニューヨークの町 


    
             なぜか停泊した場所が昔の空母イントレピットを記念館にした場所でした          


      
   国連前銃を曲げたオブジェ                     ジャズバーブルーノート 日本のあるそうで日本
                                       人の歌手の名前もありました。狭い場所はピース
                                       ボートのツアー客で満席でしたがジャズに興味がな
                                       い人も多く寝てる年寄りもいました。


      
 エンパイヤーステートビルから眺めた夜景 
  前の日が大雨で見られなかった外国のツアー客         入り口を入って正面 
  で一杯でした


      
    メトロポリタン美術館正面                      セントラルパークから見たビル群



セントラルパークのコロンブスの銅像 そのほかベー
トーベンなどいくつもありました


ブルックリン橋 渡るところは板張りでした


インターネットが24時間13ドルで繋がり、そして早くストレス解消です。
やっと銀行口座とかJCBとかの確認を取ることが出来ました。
こちらは夜の11時前でメールを書いてます。
宿泊ホテルは豪華で43階から見る夜景はエンパイヤーステートビルとはまた違った美しさです
たぶんインド系かと思うタージマーハールというこのホテルはあとタージマハール・プラザとタージマハール・マリーナとありそれぞれに分かれて宿泊してます
短時間のうちにバスの手配から宿泊の手配など、またそのあとの相談受けなど旅行会社とピースボートのスタッフの配慮にこちらは感謝です。
それからまだテレビはマイケルジャクソンのニュースを流してます
さーこれからカジノで一儲け!
     
        遊園地                               ホテルそばの遊園地

     
        ホテル内                               ホテル中側

     
       ホテル内                               夜景

アトランチックシティー滞在の第2弾です
6月29日は午後から「The Links」というゴルフコースがあると聞き靴、クラブがないけどとりあえず見に行ってこようと午後からタクシーで約15分かけて行って来ました。
着くと先にプレイしていたピースボートの人が「クラブを貸します」ということで、靴は?」と聞くと「何でも良い」となりプレーしてきました。
これに味を占め今日も食事の後に1ラウンド遊んできました。
ゴルフ場までのタクシーですが、最初の日はホテルに待機しているタクシーで行き35ドル、帰りはゴルフ場で呼んで貰い15ドル。知らないとはいえだいぶぼられました。
今日は交渉して20ドルでゴルフ場まで行き、帰りはやはり15ドルでした。
ホテルで待機しているドライバーはバングラデッシュからの出稼ぎばかりで2回ともゴルフ場の場所が判らず、よくタクシードライバーが出来るなと感心しました。
 
明日はこのホテルとはお別れと思ったら1900に集合がかかりもう一泊となりました。
ますます今後の予定が狂いそうです。

    
滞在ホテルの正面                          ホテル内 

    
海岸線  海水浴も出来ます                      板張りの道

    
(左)海岸沿いに約8キロの板張りの道があり両脇に土産物屋とかブティックがあります
(右)手押し車

    
    手押し車の値段表                        クラブハウス内は受付と売店、食堂があり
                                        こぢんまりとしてます 


    
(左)コースは池ありブッシュありで難しくなっていて特にブッシュは深く打ち込んだら見つけるのに大変で
見つけても出すのに一苦労です。  
(右)コースにはカモメがたくさんいます日本ではカラスというところですか?   

    
亀がバンカーにいましたほかに野ウサギもいました         周りはすぐ家ですがあまり気にせず打てるのは
                                        コースレイアウトが考えられているせいかもしれません


7月2日2210分ニューヨークの夜景を見ながら船は無事出航しました。
美味しかったホテルの料理(特にステーキ)を思い出しながら、船のまずい食事を楽しみます。
クルーとか旅行会社の係は電気もつかない、蒸し暑い、食事もひどい船内生活だったようで、それに比べれば天国生活でした。
船内の講座もカジポンさんと伊藤千尋さんが下船してしまいレイキャビックから乗る予定のマジックの柳田さんも乗船されず寂しい思いです。
今日の1400から今後の日程について説明会があり今回のお詫びと今後の日程でしたが、ベネズエラまでは5日遅れで寄港し後の日程については予定が立たなく後日説明するということで終わりました。
船の修理は2〜3ミリの穴で1時間に2リットル浸水と説明がありましたが、沿岸警備隊のホームページには亀裂と書いてあったといってる人がいました。

ペニズエラ
前日の説明ではインフルエンザの影響なのか熱、咳等の健康診断を全員に行い、入国が遅れるかもしれないとありましたが、問題なく手続きが終わりました。
5時からの夕食を済ませシャトルバスで10分くらいのメモリアル・フェスティバル会場に到着
会場では帽子とTシャツが配られ歓迎ムード一色でした。
お茶、書道、折り紙の日本文化の紹介ブースも設けられていました

       
                  港からすぐに傾斜地で家が建ってます

      
       歓迎会場の看板                       港のゲートを出てすぐに渋滞になったので
                                        何かあったのかと思ったら歓迎会場でした

          
      笹竹                                書道の準備中



        
                                                折り紙コーナー 




ベネズエラ2日目
今朝は予定がないのでゆっくりしてましたらツアーの集合案内の後にチャベス大統領が9時半頃訪問するからと放送され、私達は明日のツアーで良かったと言っていたら暫くして大統領府からの連絡でチャベス大統領は来られなくなったと放送され、やっぱりそんな簡単に来るはずないなと後になって思いました。
ツアーを明日に変更した人も50人以上いたようで、昼食のレストランでもピースボートの責任者が「80%以上で来るといっていた」のにと不満を口に出す人もいました
 
港から出たらすぐに車と人で賑わっていて町の商店は雑貨屋が多くそれに市場、洋服、靴屋、電気製品、道具屋など結構なんでも売っていましたがなぜか酒類は一カ所でしか売ってなく昨夜もビールはなく何か規制があるのかもしれません。
以前石油大国ベネレイザは石油の富は一部の国民にしか届かず貧富の差が激しい国だったが99年チャベス政権になって変わり良くなった、と聞きましたが
町に走っているバスなどはクーラーもなくおんぼろでぶらぶらしてる人も多く石油産出国に見られる裕福さは感じられませんでした。
朝方に昨夜貰ったピースボートのTシャツを着て町を歩いていたら繁華街の少し外れた所で現地の白人の女性に「この先には行かない方が良い」と注意された人もいて治安の悪さも感じました。
今晩、ベネゼイラでは知らない人がいないくらい超有名なグループ「GRUPO MADERA」の演奏が船内であり楽しみです
      
           雑貨屋                         乗り合いバスのようで中にはラテン音楽を
                                        ガンガン流している車もあります

      
         国旗を揚げていて自動小銃を持って警戒している軍か警察の建物 

      
           アイスクリーム屋                         港からすぐの町 

7月8日夜の太鼓の演奏は乗りが良く聞く、と言うより一緒に踊り楽しむもので動きの鈍くなったこちらには向きませんでした。
カラカス市内もラグアイラと同じ車と人が多く決してきれいな町とはいえません。
車は300万円位するそうですがガソリンは20リットルが1ドルでジュースなどの飲み物よりも安く買えるため車が増え市内は排気ガスで大気汚染も進んでいるようです
また道路上でオートバイの整備をしていて廃油などはそのまま垂れ流し酷いものです
入港間近に海上から見た景色がガスっていたのはこのためだと判りました
夕方にベネゼイラの貧困地域の子供達にクラシック音楽の練習、演奏を通じて教育する財団「FESNOJV」所属のバルガス支部で活動しているメンバーとその家族22人が乗船してきまして今晩演奏します。
コスタリカまで乗船して練習の様子とか演奏をしてくれるそうです
 
渋滞している車の間を縫ってハンドルカバーや日用品を首を左右に動かしながら売っているのでフクロウ人間と言われているそうです

      
傾斜地に建つ庶民の住宅                        昼食に出たトウモロコシの粉で作ったパン「アレパス」



「パビリオン」塩味が濃い料理でしたがポテトチップスみたいな料理バナナが美味しかったです



市内の繁華街 日中に「危険なので移動は個人行動をしないでかたまっていてください」と言われたのは初めてでした。
実際にビデオカメラを持って降りたら知らない地元の人にしっかり持ちなさいと注意されました



高級住宅街 ここに住む人は税金を多く取られ高速道路、家のメンテナンス、ゴミの処理とかに使われているそうです 右の白い建物はアメリカ大使館


7月12日午前クリストバル港(パナマ)に入港しました。
前日の寄港地説明会の時にベネレイザよりもまだ治安が悪く、港のゲートからはなるべくはでないで着岸地点前にあるターミナル内の売店を利用してくださいとお達しがありました。
「どうしても、どうしても、どうしても出たい人は金目のものはもちろんできれば眼鏡も外し出かけてください」
と言われましたが
、怖いもの見たさも加わって徒歩約10分の町にグループを作り観光して来ました。
出かけてみると観光地でない町を歩いている雰囲気でなんてことはない感じです
ゲートの前を300mほど歩くと中央を緑地帯のようにして銅像とか胸像が建ててある広い道路につき当たり交差点の周りには市場、衣料品店、食堂などがありここが町の中心のようです。
大きな店は2軒ほどで衣料品、靴、雑貨品が置かれスポーツシャツなどは2ドルから7ドルの値段で売られ、派手な色のシャツなど船なら着られると買っていく人もいました。
市場の中は小口に区切られ肉、野菜果物を売っていました。二カ所ほどを残し2時近くというのに店じまいの掃除で通路に水がまかれ早々に引き上げました
市場の近くに屋台のように果物が売られてましたが20本くらいのバナナ1ドル、パイナップル一個が1ドルで安いので買ってしまいました。
それなのにターミナルで売っていた切手が一枚45セントなのにポストに入れてやるから1ドルとはなぜだ!!!!。
コンビニらしき店は間口が狭く中は暗く飲み物、日用雑貨、食料品が売られていましたがなぜかビールを売っている店はなく飲み物はコーラ、ジュース類でした
その道路から少し外れると薄汚れあちこち壊れた建物があり、脅かされたせいもあり近寄りがたい雰囲気です
少し歩いたら自転車に乗った警官が付かず離れず警戒しているのに気がつき、港入り口のゲートに着いたときには3人に増えていて、やはり危険なんだと認識しまして、無事にクリストバルの町の探検を終わりました。
明日は早朝にパナマ運河を通過します。

     
青少年オーケストラ達                             クリストバルの町

     
                                            交差点付近 茶色い建物が市場

     


     
         市場の内部                               警官


     
      ターミナル内の出店                            ターミナル内のバー


7時45分から10時30分まで延々と先頭ブリッジでカメラを構えてました。
パナマ運河についての詳しい事は百科事典などを見れば判りますので通行料のことを書きますと、最高額は2008年に20万3000トンのジェイト号という船で31万ドル約3130万円で最少額は1928年アメリカのハリバーさんという人が36セントを払い泳いで渡ったとされます。
この船の通行料は判りませんが1600万とか1800万とか言ってる人がいましたが定かではありません。
ここは湿気の多い暑さで立ってるだけで汗だくになり正直疲れまして昼の生ビールを飲んで午後はダウンです。
全長38キロを約8時間で通過しました
ちなみに開閉するところを閘門(コウモン)と読むそうです、みんながこうもんが開いた、閉じた、進入したとか言うもんで変な連想をしてしまいます
それは肛門違いだ!!!!!
明後日はコスタリカのお偉いさんを呼んで憲法9条、憲法12条会議をするそうです。

      
進入前に左の電気自動車6台で引っ張ります。三菱製          ワニが悠々と泳いでいました


      
    待機中に隣に貨物船が進入                          第1閘門に進入します


      
    人、車を通していた橋も閉じます               後ろの閘門を閉じ前の閘門を開き水位を上げます


     
   1番目の閘門が開くところ                          2番目の閘門通過


     
      横幅の隙間                              カリブ海側最後の閘門でガトウィン湖に通じます


     
   昼はプールデッキで演奏を聴きながら昼食          周りはジャングルでナマケモノ、吠え猿また
                                        コバルトブルーの蝶などがいるそうです


     
    運河の狭いところ                       ペンシニアブリッジ2004年建設し北アラスカ(右手側)
                                      からアルゼンチンまで繋がっているそうです


     
    太平洋側の閘門に行く前にこの落差10mの
    ペドロミゲール閘門を通過します                       隣の閘門


     
     太平洋側に抜けるミラフローレス閘門                 アメリカ橋



            太平洋


パナマはお昼です。
と、言うことは一晩過ぎたのにパナマ沖に停泊してます。
昼食での情報によると最後の閘門を出るときに「ゴアン」と音がしたとかしないとか・・・
1300にコスタリカ入国カードをもらい1400に寄港地説明会がありますが予定は未定で決定ではないですね。
       
朝デッキに出たら遠くにかすむパナマ市内が見えました      機材を積んだ船が忙しく行き来してました


ペリカンが優雅に群れで飛んでました

第66回ピースボート「地球一周の船旅」お客様 ご家族のみなさまへ
帰航日変更のご案内

本クルーズは当初、8/6(木)の帰航を予定しておりましたが、本船航行スケジュールの変更に伴い、8月12日(水)午前7時へと変更になりました。帰着地は変わらず大さん橋客船ターミナルです。乗船者ご家族ご友人の皆様におかれましては、ご迷惑をおかけしますこと深くお詫び申し上げます。
 なお、着岸後、下船の手続きが終了いたしましたら現地にて解散となります。
下船開始時刻は午前8時頃の予定です。全員のお客様が下船されるのに通常4〜5時間程度かかりますので、予めご了承ください。

※着岸時刻は天候その他の事情によりやむを得ず変更となる場合があります。帰航日が近くなりましたら、弊社まで最新スケジュールをご確認くださいますようお願い申し上げます。

(株)ジャパングレイス


コスタリカ
7月16日朝の6時頃には港沖に停泊していたのに、潮の影響でプンタレナスの防波堤のような港に着岸したのは9時でした。
11時近くに出発した首都サンホセ一日ツアーは17時頃に昼食を食べ、町の自由行動もなくなり慌ただしい観光となってしまいました。
軍隊をなくし教育に力を入れ中南米では裕福な国と言われるようですが短い時間で見た限りでは感じられませんでした。
      
   着岸したプンタレナス港                           ピンぼけですが植物園です

     
       パイナップル                       どこにでもいそうですが貴重なインコだそうです

     
                                          孟宗竹よりも大きい竹です

      
(左)根を四方に伸ばさずに親竹のすぐ所からタケノコを出して増えていくそうです
(右)国立劇場前で1ドルで売られている5コロン紙幣で現在は使われていません ちなみに1米ドルは約582コロンだそうです

      
     サンホセ国立劇場                            劇場内

      
   オペラの練習をしてました                  劇場内の壁にある絵画で5コロン札にも描かれています

      
                                          国立博物館入り口

      
(左)博物館内部丸い石は何のために作られたかは不明でコスタリカの南部にあったそうです
(右)治安が悪くなり若者が薬物などを使用して集団で襲うため鉄格子で自衛している家が多くなったそうです

      
昔は刑務所で1970年から子供博物館として使われています

      
   農園に行く途中に虹が出てました                       コーヒー農園の通路

      
 豆がコーヒーになるまでを説明してます          オーガニックと言われる豆はこのように天日干しにするそうです

メキシコ。
海岸と目の前にはサンディエゴ要塞が見えるアカプルコの港に珍しく予定時間に入港です
日曜日で海岸は大勢の海水浴客で賑わって、観光客よりもメキシコ人が多かったような気がします。
前日の説明で予報は雨との事でしたが晴れて湿度の高い暑さには皆さん閉口してました
メキシコで人気のあるルチャリブレというプロレスは善悪に別れ最後は善が勝つというショーの要素が強く観客と一体になって楽しむようです。
前宣伝でメキシコの伝統文化に直に触れ楽しんで下さいということで応援の仕方とかを教わって観戦に行ったのですが結局、ピースボートの貸しきりで現地の人の興奮状態とかは判らずに終わってしまいました。
23時過ぎに100発の花火を打ち上げる出港式が盛大に行われアカプルコともお別れです。
花火はあっという間に終わってしまい本当に100発?

      
     初めて日の出を撮りました                            アカプルコの海岸

        
                         船から見たサンディエゴ要塞

        
          アカプルコ港                               市内の道路

        
(左)バスから撮ったのでぼけてますが製造中止になったフォルクスワーゲンのタクシーが多く走ってます
(右)飛び込みショーの会場

       
(左)右側の祠は飛び込む前に安全を祈ります 波の高さを見ていてタイミングを計るのか演技なのか判りませんがなかなか飛び込みません
(右)高いところで35mあるそうですがその少し下から飛び込んだところです

       
(左)飛び込みが終わり上がってきたところです 収入は観光客の人数に応じた歩合と観客に貰うチップで保険は当然入れないそうです。
(右)飛び込む瞬間を見ようとすると観客が多く水しぶきしか見えませんのでレストラン側から見た着水地点です

       
    高台から見たアカプルコ                      海岸線道路にある支倉常長像

       
     会場前で売られていた覆面                              会場

       
(左)悪が優勢ならブーイング善が優勢ならもっとやれというスペイン語を教わっていったがどのレスラーが善か悪たか判らず応援していた レスラーも戸惑っていたようです。
(右)パホーマンスをするレスラー。場外に飛び出しカメラ向ける観客にポーズを取ったりもする。

          
  日本人レスラーウルチモドラゴン                   出港式の花火


カナダに向かい順調に航海を続けてます
寄港地も残すところカナダ、アラスカとなり昨日の船内では次のクルーズの案内をしてましたが今回よりも割高でこの旅行は価格面では良かったと思ってます
しかし南京虫に始まりこの船室ではないのですが配管が壊れ床が水浸し、天井の水漏れ、エレベーターの扉が開かず閉じ込められ2ミリ?の穴で出港遅れ毎日のように白いつなぎを着たエンジニアが工具箱を持ってうろうろしてました
レスストランのウエイターに至ってはこれで接客の教育を受けてきたのかと思うくらいだめでした
たとえば水を注ぐのにテーブル、床に平気でこぼす、ご飯と味噌汁とかをよそってくれるのですが椀のふちにこぼす、ひとテーブルに一人は料理を忘れ呼ぶと「ビジービジー」といって来ない。
この間はコーヒーとお茶の入れ物を持って蓋をぱたぱた耳元でさせてどっちにするか注文を取っていたのには
あきれました。
「客に対して失礼だろ」と怒ってみても日本語が分からずこっちは余計いらいら・・・・・。
若い客と話していてなかなか来ないので「良くない」と言ったら俺はカナダで降りてフィリピンに帰るんだと平気でした。
枚挙にいとまがないほど気になるのは当方だけなのかもしれませんが、それでとんとんですかね?
今日はいやなことばかり書いてしまいました。
ちなみにアカプルコ出港時100発、100発と打ち上げ前に言っていた花火は実際は70発だったそうでしっかり数えている人がいるものですね。
    
       マッサージ室
                          マッサージ室の入り口

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7月27日早朝、予定通りバンクーバーの港につきましてフリータイムでバンクーバーの市内を観光してきました
帰船リミットが22時でしたがアメリカと同じカナダの沿岸警備隊の検査で船の欠陥が見つかり翌日まで出港が延びまして15時に船籍の社長による詳しい説明があり、結論はアメリカの沿岸警備隊がピースボートのアラスカ入港を些細な欠陥でも見つけ認めないと言うことで30日に横浜に向かうと決心しました。
なぜか判りませんが、アメリカとしてみれば「お前らニューヨークで懲りたのにまだアラスカに行くのか」と言うことで、どうしても入国させたくないのかもしれませんね
そのため別料金を払いアラスカクルーズをするか、ただでカナダのウイスーラーに行くかの選択で、30日の出発まで暇を潰すことになりました。
当方はここまで来てアラスカを見ない訳にはいかず、いまアンカレッジのシェラトンホテルでこのメールを書いてます。
ロビーでは無料のインターネットの接続で快適です

         
        バンクーバー                            入港地の国旗を掲げます

      
    この橋をくぐりすぐに波止場です                         キャピラノ吊り橋

      
 すごく揺れるため写真を撮るのに大変です            木と木の間をつなぎ渡れるようにしてある

                      
蒸気時計15分おきに蒸気を噴き出し音を出す                    ギャスタウンの開拓者

      
(左)チャイナタウンの入り口
(右)港からすぐ近くのシーバス乗り場から出ているシーバスでこれで対岸に渡りキャピラノ吊り橋に行ける

      


アラスカの大自然の一部を満喫してきました
クルーズ船に乗る前まで降っていた雨もクルーズ中は降らなく氷河も近くまで寄って見せてくれましたが崩落が見られなかったのが残念でした。
ピースボートのような大きな船ではここまで近くには来られないようなので良かったと思っています。

       
↑アラスカアンカレッジ空港大きな白熊の剥製が出迎えます
→空港近くには小型機が多く駐機してました 車と同じようにに利用してるのでしょう→

       
     宿泊ホテル周辺                            クルーズに向かう途中の景勝地


       
↑鉄道のトンネルを利用して通行するため時間がきめられています。乗用車が前に待っていたのですがなぜかバスが優先で通りました。
→アントン・アンダーソン記念トンネルで第2次世界大戦中に作られました 長さ4kmで2000年6月に新規開通しました→


       
↑プリンスウイリアム湾を巡るクロンダイク・エクスプレス号 3階だての高速双胴船で最高速度は73.6km
→操舵室 絶えず流氷を監視してます


       
↑ラッコの生息地 イタチの仲間のラッコはこの湾に一万頭以上生息しているようです
→崩落しそうでなかなかしません


       
       タイドウオーター氷河                          帰りのスピード


       
↑白い点のようなものがミツユビカモメだそうです 船のアナウンスでこの近くに次の写真にある白頭鷲の巣があり二羽いると言ってますが全然見えませんでした
→本を写した白頭鷲



   順不同になりましたがトンネル入り口


アラスカから夜中の帰船、リミットオーバーの一時頃に帰船しましてすぐに出港するのかと思ったら、何かとイチャモンを付けられ船から出られずに1日止められてしまいました。
午後には排水貯蔵タンクが満杯になり予告なしに水がでなくなり、シャワーが途中の人とか洗濯のすすぎができなくなり洗剤が付着したりとか大変でした。
これは港に排水ができないためで大洋に出て汚物を捨てるためのようで、さんざん広い海を見てきたからたいしたことがないようですが貨物船とかもそうしてるかと思うと海洋汚染の方は大丈夫なのでしょうか?と思います
今日は3日で横浜まであと少しとなりましたこの船も帰りの馬のように快調に進んでます
       
        船の近くを浮遊する油                    救命ボートの点検を命ぜられ海に出したらエンジンから煙が出たため整備してます


       
シャンパンなどが振る舞われ最後の寄港地での出港式が行われました  バンクーバーともお別れです

寄ったも港に停泊していた豪華客船の写真を送ります入港してくるときはまるでビルが動いてくるようでした

    

    

    

    

    

    

    

    
 

昨日の8月6日24時になったら7日の23時に時計を合わせ1時間で8日になりました
そろそろ宅急便の用紙も購入して荷造り準備しなくては思ってます
カナダを出てから自主企画としてその道の得意な人が教えたりしたことの集大成として発表会をしたり英語、スペイン語を習った人はスピーチコンテストをしたりして皆さん忙しく動いてます
今日は各種ダンスの発表会です
帰ったら忙しい日々が待ってると思ったら憂鬱ですがそんなに遊んでばかりいられませんね
船内で募集した12月出発の第68回南回りの船旅も十数人が申し込んだそうです
南回り、北回り、真ん中と行きたい人はそれで打ち止めとか言ってましてトラブル続きの船でもやめられないんで、またそこが良かったりして!!

8月12日、台風の影響もなく無事に横浜港に入港しました。
5時頃には大勢の人がデッキに出て懐かしい横浜港の景色を眺めてました
そのうちシャンペンなどが振る舞われ、旅で親しくなった人たちとの別れを惜しんだり、静かに旅の終わりを感じたりして着岸を待ちました。
出迎えは少なく出港時のような賑やかさはなく、9時頃には下船ができ税関もスムースに通過してお昼には自宅に到着しました


       
    ダンス発表会8月8日                            GET卒業式

      
     船長の挨拶とスタッフ紹介                      日本の国旗が掲げられました