中国西北に自然を求めて

ウルムチ・アルタイ・ハナス湖・カラマイ

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2004年8月7日〜14日



昨年は中国国内を中心に蔓延したSARS(重症急性呼吸器症候群)騒ぎで中止に追い込まれた「中国辺境の旅」だったが、今年は事前の障害も特に無く、予定通り中国西北部の地、新彊ウイグル自治区に向けて挙行された。参加者は途中合流も含めて12名。大半は例年通りのメンバーだ。

世間一般の暦からすれば夏休み入りには少し早めの8月7日成田空港を出立、まずは一路北京へと向かった。折から中国はサッカーアジア杯の真っ最中、それも地元中国と日本が勝ち残り、まさにこの日、北京で決勝戦を迎えることになっていた。中国ファンにとっては宿敵日本が勝ち進むにつれて、国粋感情が高揚し、君が代吹奏に対するブーイングや日本人サポーターに対する罵声・嫌がらせは日中間の歴史的・政治的背景をも絡ませて最高潮、何もサッカーぐらいでそんなに興奮しなくても・・と思うが、到着した北京空港は変わった様相もなく、まずはホッとした。

北京空港でカナダから参加した若い台湾系女性が合流。約3時間の間をおいて中国南方航空に乗り換えの予定であったが、早速、運行遅延に引っかかった。もちろんこの程度のことは覚悟の上で、飛行機さえ落ちなければ何でもOK。特にこの日は観光スケジュールも無く、のんびりと搭乗開始を待つこと5時間、空港内のレストランで各自ラーメンなどで空腹を満たしながら時間つぶし、夕刻、我々は中国西域の大都市ウルムチに向かったのだった。



ウルムチも標準時間は北京時間と同じで、日本との時差は約1時間であるが、実際には北京とは2時間余の時差があり、我々が到着した午後10時過ぎでも、感覚は8時頃、ウィグル語で「美しい牧場」を意味するウルムチの街はまだ夜が更けたという感じはない。

この日はともかく泊まるだけ。早速、「これ土産にいいよ」「これ安くするよ」と日本語で愛想良く話しかけてくるロビーの土産物コーナーの店員を尻目にチェックイン。しかし、仕事休んで、せっかくウルムチくんだりまで飛んできたのに、日本語なんかで迎えるなよ。

ホールの壁にはどこかの大規模ツアーでも到着するのか「熱烈歓迎、○○会御一行様」の横断幕が掲げられ、やはり、多くの日本人客が訪れているのだろう。聞くところによると、多いときには一日に23組もの日本人ツアー客が宿泊するのだとか。日本語も上達するはずだ。
数年前に「ウルムチに地下ショッピング街ができた」と新聞に報じられていて、それなりの都会なんだなとは思っていたが、ホテルの窓から眺めたウルムチの街は高層ビルが林立し、道路は整然と走り、予想以上の大きな都市だった。

8月8日、朝5時半モーニングコール!。

ほらきた、こういう旅行は朝が早いんだよ。日本の温泉旅行みたいにノンビリ、ゆったり、露天風呂・・というわけにはいかない。
雨のそぼ降るウルムチ空港を発ちアルタイへ約1時間強のフライト。ここらから日本人観光客の姿は消え、少数の白人ツアーと大部分の中国人に埋め尽くされた狭い機内が、いよいよ辺境への旅立ちを思わせる。
しばらく飛ぶと、眼下に広がっていた緑の平原が突然にとぎれ、砂地一色の広大な砂漠が現れた。まだ砂漠なんて見たことが無い者にとっては、これは感動ものだ。

所々、川に沿う緑はあるものの、すべての命の営みや文明を拒絶するかのように延々と続く砂の大地の上を我々は飛んでいる。砂漠というとアラビアのロレンスに出てくるような細かい砂の波を想像するが、ここは荒涼とした地と山並み。

そんな砂漠の中にあるアルタイ空港から我々は車でさらに北を目指す。目的地はカザフスタン・ロシア・モンゴル国境のハナス自然保護区である。空港から目的地まで布爾津市を抜けて約200q、はじめは車窓にはひまわり畑のあざやかな黄色い世界が広がるが、やがて荒涼たる砂色の地へ。こういう場所では水は欠かせない。汗は出ないが乾燥した空気と肌刺す太陽光線は確実に体力を奪うはずだからだ。

空からは一面の砂漠に見えていたのだが、地上を走ってみると、そこは荒れ地と草原が混在した大地であることが分かる。つまり起伏の向きによって砂漠化が進んでいるところと、草原として人や動物を育んでいるところがあるのだ。草原にはパオがあり、羊や馬が群れている。我々はそのうちの一つ、道路脇にあったパオに立ち寄った。





「どうぞ、中に入って!」
とスカーフを頭に巻いた女性が我々をパオの中に誘い入れる。地味な外見とは異なり、内部は色鮮やかな絨毯を敷き詰め、テレビや冷蔵庫が備え付けられていて、文化住宅だ。パオとは移動式住居なのだからこういった備品は似合わないように感じるのだが、アルタイ市は10年程前から遊牧民の定住政策を進め、遊牧民一戸あたりに約400アールの土地と5000元を補助、今では82%の遊牧民が定住生活をしているという。

パオの前では男たちが、動物に似た石を見せびらかしている。「どうよ、この石パンダににているだろう」「ワハハ、これは龍の形だ」。ひとつ一つを手にとって自慢げに見せびらかす。アルタイとはモンゴル語で「金山」を意味するぐらい、このあたりは金の埋蔵量が多い土地だが、彼らの興味は石の形だ。





しばらくの休憩のあと再び車は平原を走る。車内に差し込む日差しはますます強くなってきている。うつらうつらしていると
「ラクダがいますよ。写真とりますか」
とガイドさんの声。見ると草原に10頭余りのラクダがいる。ラクダなんて動物園か絵本でしか見たことがないのだから、車道の脇に車を停めての撮影会。「変なのがきたなぁ」とばかり草をはみながら我々を見つめるラクダたち。そのとき、少年が馬に乗ってパオから飛び出してきて「チーマ!チーマ!」と叫ぶ。「えっ?なに?ラクダに乗せてくれるの?」と思いきや、「馬に乗らない?」だと。こんな田舎でも観光地化はかなり進んでいて、客と見れば営業をする子供たちなのであった。それも、時が経つにつれてあちこちから駆けつけてくるガキども。どうやって我々のことを知るんだろう。まさか烽火(のろし)でもあげてるんじゃないだろうな?




   


北上を続けるにつれ、日差しはますます強く、荒野は延々と続く。山越えの道路もいつの間にか瓦礫を敷き詰めたような道に変わり、両脇の崖からは今にも石が降ってきそうだ。そして幾つ目かの山越えをしたところから、周辺の様相は深い緑に覆われてくる。山一つで自然環境が180度変わる。標高約1400bのハナスの自然保護区域に近づいたようだ。
我々はここで車を乗り換える。自然を守るために排ガス車は乗り入れできない区域に入ったのだ。

ハナス湖は湖幅3q、長さ15qの三日月型をした湖で、20万年前に出現したそうな。周辺はシベリア落葉松、朝鮮松、唐檜などの植物800種、野生動物40種、鳥類120種など貴重な生命が生きる自然の宝庫であり、かつては「人類未踏の浄土」と呼ばれた秘境であって、中国当局も自然環境に特別の配慮をしているようだ。緑の森、清流が下り降りる川を越えると本日の目的地、ハナス湖が目に入ってくる。アルタイ山の雪解け水が流れ込む湖面は乳白色と淡いブルーを混ぜたような色で、いかにも中央アジアのオアシスを想定させる。
この湖、深いところでは177bの水深があるそうで、その穏やかさ故に魚たちが産卵をするに適していて、珍しい魚も多いという。湖にはネッシー伝説にも見られるように、怪魚、恐竜の話がつきもので、ここにも体長10b、口の大きさ2bの巨大魚が水辺にいた馬やラクダを湖に引きずり込んで食った!という話が伝わっているとか。




  



そのレイクサイドにある草原にたたずむ山小屋が我々の宿泊地である。中央に水草を豊富に蓄えたわき水池、周辺はアザミ、ワレモコウ、花ニラなど日本でもお馴染みの野の花が群生するこの地で我々は二泊し、大自然をゆったりと満喫するはずである。

高地とあって気温はさすがに低め、しかし、高原特有のさわやかな大気に包まれ、周辺の山々と湖と咲き乱れる花々が相まって、予想を超えた居心地の良さではあったが、訪れる旅行者の数が意外に多いことにまず驚いた。それもほとんどが中国国内旅行者である。我々が過ごした2日間の間ついに同胞の声を聞くことはなかった。





宿泊部屋はバンガロー風の質素なもので、ツインベットが置かれている一室とトイレ・シャワー・洗面のスペースがあるだけ。(否、これだけあれば充分か)
事前の旅行案内では、ここでの宿泊は環湖山荘又はパオとあり、山荘には共同トイレしかない、との情報も入手していたので、それなりの覚悟をしていたのだから、水洗の様式トイレが鎮座していたのには、感動ものだ。

しかし、これが思わぬ落とし穴だった。水洗トイレが流れないのである。水は確かに出る。
ところが用足しした逸物は身の置き場がないかのように、ただ浮いたまま消え去るこことはない。
「オイ、オイ、キミは役目を半端に果たしてないかい?ちゃんとすべてを流して水洗トイレと呼ばれるべきではないのかな?」
と言っても聞く耳もなし。
そこで我々は考えた。3年前に内モンゴルのパオでの経験から平原にトイレを掘るために用意した小型シャベルを利用して、残された物をすくい上げ、横のゴミ箱に移動させようというのである。格闘は始まった。よりによって健康そのものの逸物を大事に大事にすくい上げ、シャベルに残った水は捨て、トイレットペーパーに大事に大事に包みこんで、ゴミ箱にポイ!。

なんでここまで来て、「金魚すくい」のまねごとをしなけりゃならんのか。まったく情けない!




文句ついでにもう一つ。
高原とあって夜から朝にかけての気温の低下は相当なものである。特に北側に面した部屋は昼間陽が入らないから寝具が湿っている。部屋には掛け布団一枚と外出用のオーバーが用意してあるが、それら全てを身にかけてもまだ体を温めるには及ばない。洗面所の排水は部屋に染み出し、籠もる臭いはきつい、おまけに深夜には電気は切られるから、暖をとるに役立つものはなにもない。そこで、教訓。山小屋では北向きの部屋には泊まらないこと。やむを得ない場合は、暖かそうなパートナーと一緒に泊まること。

翌朝、5時過ぎから空は白み初め、管理棟が幸いにも隣の建物であったから、熱いお湯でももらってこようと外にでると、静寂に包まれた池から霧が立ちこめ、幻想的な光景が眠気を覚ました。
昼間の日射によって暖められた水面に冷たい空気が流れ込み蒸発する移流霧。高原ならではの自然の演出である。世界遺産登録(申請中だとか)も間近いと思う。
霜で濡れた階段を下って湖畔に降りてみると、湖面は静かに山々を写し、静寂に包まれた湖面はひっそりと朝を迎えていた。








こうして三日目を迎えた我々は、朝食後、バスでハナス湖を見下ろす観魚亭へ。
海抜2030bのこの頂上に登るとハナス湖の全景と、遠くにはロシア国境にそびえ立つ4347bの友誼山が臨まれるという。麓までバスで行き、そこから約1000段の階段を徒歩で登り下りするのであるが、朝のラッシュか、人の列が続き、中国語の甲高い声が飛び交ってとてもゆっくり自然を楽しむ様相ではない。結局、我々夫婦は途中棄権し引き返すことを選択した。

ところで、このコースはバス2台を乗り継いで行くのであったが、その乗降が一苦労であった。
何せ我々乗客がまだ一人も降りていないにもかかわらず、ドアが開くと同時に中国人観光客が血相変えて殺到し、ドア前を埋め尽くす騒ぎなのである。「あんたら整列乗車ということを知らんのか」「日中友好国際親善という時代の流れを知らんのか」なんて中国語が話せる訳もなく、否、例え叫んでも聞く耳を持つ相手ではなさそうで、ここは実力行使で突破するしかない。乗るときは人間バリケードを築き、降りるときには突き飛ばしながら突進する力の世界だ。

保護区域全体が禁煙地帯とされ、環境保護に力を注いでいるのは理解できるが、愛煙家としては、禁煙区域作るなら、中国人観光客の唾吐き歩行を禁止せよ、二階から洗面器の水を歩道にぶちまけるのを禁止せよ、バスの整列乗車を徹底せよ、つまりは奴らにモラルを教えよ!と声を大にして叫びたい。

午後からは周辺に集落をつくる「図瓦(トワ)人」の家を訪れる。
図瓦人?何、それ??瓦に絵でも描く職人か?。いえいえ、彼らはラマ教を信ずるモンゴル族であって、狩猟と放牧を生活の糧にしているという。もとは唐努鳥梁海に住んでいたのだが、帝政ロシア時代に追われてこの地に住み着いたのだと言われている人たちだ。

相乗りバスを途中下車して草原の中腹にある集落を訪れた。通りの両側に点在する木造の家、その周辺にたむろす馬や牛。そこが図瓦人の集落である。もちろん、そこは彼らの生活の場ではあるのだが、今では椅子やパラソルが用意されているなど観光客相手の「山の喫茶店」風でもある。







我々は2件の居住地を訪ねたのであったが、一件には猫が、もう一件には犬が飼われていて、それが揃って人なつこい。逆に言えば、それだけ可愛がられているということだろう。
猫はゴロニャンと足下に懐き、犬は眠ったまま決して起きようとしない。この犬、声をかけるとお愛想で尾は振って見せるものの、体に椅子を載せても、足で蹴っても、目をつぶったまま起きようとしない。「おまえ、かなりの大物だな」。
飼い主が「ポス!ポス!」と声をかけるので、てっきり犬の名前が「ポス」なのかと思いきや、「ポス」とは「起きろ!」との意味だとか、犬はそれからは我々に「ポス!」と呼ばれるはめになる。

ここでも少年たちは「チーマ、チーマ」と馬で乗り付け、営業に勤しんでいる。我々が乗馬で時間を費やしている間に山の天気は変わり、雨がポツリ。
「あっ、そうだ!。山小屋のベランダに布団を干してきたんだっけ!」。
湿った布団を少しでも暖めようとしたのに、雨に濡れたら、今夜こそ凍え死ぬで!とヤキモキしていると、ガイドさんが携帯で管理人に電話連絡してくれて、なんとか滑り込みセーフ。帰ってみると我が布団はきちんと畳まれていて、温もりもあり、それに、何よりも溜まるトイレが流れるトイレになっていたのであった。今夜は金魚すくいをしなくて済むぞ。

ハナス湖最後の夜は民族舞踊の見物だ。夜も更けた午後10時に薪に火がつけられて歌と踊りのショーは始まった。
しかし、野外なのだから、ともかく寒い。おまけに正直言って出し物がつまらん。こんなところまで来てヘソだしスタイルの踊り子なんか見ても興ざめなだけだ。




開始早々にすっかり飽きて手持ち無沙汰で空を見上げると、なんとそこには満天の星。2年前、内モンゴルの草原で見たあの星に包まれた夜、あのときに勝るとも劣らない美しさに目を奪われた。横切る人工衛星、天空を何億もの星くずで白く分ける天の川。そうだ!私はこれを見に来たのかも知れない、と首が痛むのも忘れる夜であった。

四日目、草原の二日間を過ごしたハナス湖に別れを告げて、アルタイへ。アルタイからハナス湖への道は一本しかないため、来たときと同じ道を帰ることになる。来るときには平原も砂漠もラクダもパオも羊の群れも、何もかもが目新しかった風景も、当たり前の景色となって目に入ってくるのだから、環境に慣れるというのは恐ろしい。
「ラクダがいますよ」といわれても「はい、はい、そうでしょうね」という感じである。
アルタイまでは車で約200q、厳しい気候にさらされたためか岩肌をさらし、砕けた瓦礫が崩れ落ちそうになる山間を縫うように車は下る。






ところで、これまで中国人は世界でも有数のタバコ好きの国民であると思っていたが、今回の旅では意外にタバコの人気が薄かった。
我々の車を運転してくれた青年もタバコは吸わないということで、出発前の免税店で購入した2カートンのマイルドセブンはまったくはけない。

そういえばこの運転手くん、アメリカ大リーグマリナーズの「イチロー」に顔が似ているとメンバーの認識が一致。愛称は「イチロー」となって人気者になったのだが、平原のど真ん中を走行中にスピード違反でネズミ取りに引っかかり罰金200元、さらにシリンダーが破損して走行不能に陥り、あえなく三振。アルタイで選手交代の羽目となった。




五日目、朝8時半にホテル出立。約10時間かけて「黒い油」カラマイ市へ。行程400q余りの行程だ。おまけに三分の二が道路補修中とあって土煙をあげながらの南下である。
この日のメーンイベントは「魔鬼城」と呼ばれる砂漠の中の造形美見物である。
「城」といっても人造の城があるわけではなく、数億年かけて自然が作り上げた中国でも珍しい大地の造形である。厳しい熱射にさらされて、我々の前にそびえ立つ台地。そのいくつかの頂上に立って見渡すと、億年前にはここが淡水湖であり、恐竜が闊歩していた場所とはとても思えない。夜になると気温の低下により風が起き、その台地を吹き抜ける音が鬼の怒号のように町にまで響くことから「魔鬼城」の名が付いた。まだ文明の発達していない時代に人たちはその音におびえていたのだという。








「イチロー」に代わった二番手の運転手はスピード違反も恐れずに飛ばす飛ばす。おまけに助手は良くしゃべる。中国では400q以上の走行には2人の運転手が乗らなくてはならないのだが、眠気を払うためにしゃべり続けるのだろう。
ベラベラ、ワーワーやっているうちに予定より2時間も早く、車は南下を続け、やがて油田地帯に達する。

この地は1955年に中国が石油開発を行うまでは「水がない、草がない、鳥さえもとばない」と唱われたように不毛の砂漠地帯だったとか。しかし、今や石油生産量は1000万トンを超え、カラマイ市は人口33万人、新彊トップクラスの都市である。
削堀中の機械がダチョウの水飲みおもちゃを想像させてユーモラスだ。首を規則正しく上げ下げしている機械の側で、運転を中止しているものがあると「キミ、チャンと働きたまえ」と声をかけたくなるほど動物的だ。
広大(やはり中国はなんでも広大だしデカイ)な油田地帯をすぎるとカラマイ市。今夜はカラマイ市最高のホテルで宿泊だ・・とか。すでに今回の旅の峠は越えた。




六日目、カラマイからウルムチまで約400q。しかし、この日は高速道路を利用するので時間的にはそうかからない。と思ったら三番手として登場した車がエンジン不良でスピードがあがらない。高速なのに低速で走り、あげくの果てにエンコすること数回。昨日は2時間短縮の爆走だったが、今日は2時間遅れの到着となる。何事も予定通りには運ばないのが中国の旅だ。

一日目に宿泊したウルムチのホテルに到着。おみやげ屋の日本語ペラペラ店員が、我々を覚えていて「今日が最後ね、おみやげ買わないと、もう買えないね」と話しかけてくる。
この土産物屋もかなりいかがわしくて、1800元とふっかけてきたブレスレットを最後には370元にまで下げるなど、どうも信用できる品物はない。
さらに、ここではツアーの添乗員さんやガイドさんには、バックリベート代わりか破格の値段で商品を販売することが判明。つまり、土産買うなら添乗員さんやガイドさんに頼んでまとめて買ってもらうのが手かも。




七日目、朝、ウルムチ市内で一番高いといわれる「紅山公園」へ寄り、中国国内航空でウルムチから西安へ。
西安では世界遺産「兵馬庸」を見物。メンバーの大部分はすでにきたことがあるということだが、中国に限っては過去に来たことがあるというのが通じない国で、ここも数年前とだいぶ周辺が変わったようだ。内部は写真やテレビでいやと言うほど見慣れているので新鮮みはないが、野次馬としておもしろいのは入り口前に陣取った無数のみやげ屋の客へのまとわりつきと客の取り合。白人夫婦が10人ほどの売り子に取り囲まれ、さらに売り子同士がこの夫婦の取り合いでどつきあいうのを見ていると、無責任ながらおもしろい。

最後にピンチヒッターとなった車は、運転席前に赤色灯を搭載した公用車。横はいりするわ、爆走するわ、はては渋滞の市内で対向車線を突っ走るわの傍若無人ぶり。しかし、車に関しては、これでバランスシートが合ったのかも知れない。

こう振り返ってみると「辺境の地」というより避暑の保養地を訪ねたという感が強く、行程も特段の変化はなく、「普通の中国旅行」と記録したほうがいいのかも知れないが、まだ外国人旅行者には馴染みの少ない地への1週間は貴重な体験であったことは間違いないのでした。