松尾鉱山残影
栄華と代償 松尾鉱山は明治末期から昭和40年代まで東洋一の硫黄鉱山として栄え八幡平の山間に1万3600人の町を築き上げた.八幡平の山間に1万3600人の町を築き上げた。 標高900mの山元には、この時代にあって水洗トイレ・セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリート集合住宅や小・中学校、病院など、当時の日本における最先端の施設を備えた近代的な都市が形成され、「雲上の楽園」とも呼ばれた。しかし、その栄華は長くは続かず、高度経済成長に伴い輸入硫黄の増加や脱硫装置から生成される硫黄に圧され、硫黄鉱石の需要が減少し昭和47年閉山に追い込まれた。そこに残されたのは、廃墟と坑道から流れ出る砒素を含む強酸性の鉱毒水。毎分17〜24立方メートルに及ぶ大量の鉱毒水で北上川は魚も住めない川「死の川」と化していた。 事の重大さに国と県は巨額の税を投じて中和施設などを建設、現在も24時間体勢で中和処理を続けているが、その費用は毎年5億数千万円に及び,鉱毒水の流出が止まらない限り永遠に続けなければならない。北上川の清流は、今もなおこの行為により支えられているのだ。落盤の危うさを抱えながら。 人の手に負えないもの、将来に残した負の遺産の性格は何処か原発問題にも重なる。遠い昔に聞いた上北鉱山(青森)の処理場長の言葉が脳裏に甦った。『無期懲役と同じこと。』 Photo by I.Nakamura
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