右の絵は「モロッコの遺跡」と題するF20号の油彩。
この遺跡名は[Haut Atlas]と言われています。
この油彩はよくも図々しくある有名展に出品致しましたが、
当然の事として、落選してしまいました。

出品するために、美術館に持って行くと、審査の先生方が、
何人もおられ、その審査の先生方の前に、出品するF20号の油彩を据えられ、
1次審査か否か判りませんが、「額縁の幅が50mm以内と規定されているのに
100mmもあるではないか。」
言われてしまった。
審査の人曰く、「入選したら、額縁を買って取り替えて下さい。」
ということであった。
小生は入選など期待していなかったので、意外なことを言われ、空かさず、切り替えした。
「これは入選することが、あるのですか?」
「そのために持って来たのだろう。」ということを言われた。
従って、入選、落選の連絡があるまで楽しみにしていましたが、結果は上述の通りでした。
油彩のサイズが、最低の大きさで、入選作品を見に美術館へ行き、驚きました。
殆どの作品がF100号だったのです。
落選の理由が判ったような気がしました。
F20号で入選するためには、余程上手くなくてはだめだと実感致しました。

左の絵は「愛猫」を描いたF3号の油彩。
妻が可愛がっている猫なので、妻が気にいっている油彩。
愛猫は母親が血統書付のシマラヤン、父親が血統書付のアメリカンショートヘヤーから生まれた
雌猫で、種類は明確にできない。
従って、愛猫には当然、血統書がないことになっている。

次の右の絵はおしめをしている愛孫娘を描いた
F6号油彩。
小生の年になると只、図々しいの一言で言い著した方が適切なのが、これも人にもよると思うが、恥ずかしさがなくなるもののようである。
絵を描くということは人に認められて、満足するのか!
それとも、例え、人に認められなくとも、自分が満足できる絵が描ければそれで充分と考えるか!
であろうと考えます。
しかし、小生は欲張りで人にも認められたい!
自分でも満足できる絵が描きたい!
と思っているようである。
その証拠にF100号のキャンバスを買い込んできた。
小学校5年生の頃、区の展覧会に入選して以来、絵を還暦まで、描いたことはなかった。
それは中学受験、高校受験、大学受験、そして、企業戦士であったからだ。!
日本の経済成長の犠牲者になってしまていたのであろうか。
しかし、不思議なことがある。
それは絵筆を取って見ると、手が自然にというが、絵筆が自分の意思とは別に動いていることだ。
これは何なのか?