(十九)
彼は卒業した大学の先輩が経営している会社に副社長としての毎日が続いた。彼は人生の半ば45歳であった。彼は自分の地位は自分で勝ち取るしかないのだと改めて認識確認した。社長は彼を引立て、他の社員にも気を使い。彼は馴染むように、言いたくない事柄を言ったりしていた。前からいた社員は面白くないのは判り切っている。「面白くない者がいる。」これが、辛酸の序曲であった。彼が入社したことで辞めて行く者も居た。これからの事は「続佳境辛酸に入る。」に書くことにして、第18章までのその後の結末について、書くことで「佳境辛酸に入る。」の前半を締め括りたい。
子会社の産洋精工は彼が去った後、状況は大きな変化があった。先ず専務はそのままの地位に居り、新しく親会社で専務をしていた大木が社長として迎えられ、大木新体制が出来あがった。結局彼に、辞めると口火を切られた専務は、大木社長の発言に対し悉く反対意見を言ったと彼は聞いている。このために、系列会社の専務として移らされてしまった。彼がこの専務に会いに行くと、丁重に対応してくれた。帰りには美しい秘書が5,6人見送りをしてくれた事を今も鮮明に彼は覚えている。 この時が、最後別れとなってしまった。
しかし、会社での争いは人の寿命を短くするようである。癌で他界された。彼は迷惑を掛けたための短命かと冥福を祈らずには居られなかった。63歳の短命であった。
彼を苦しめた部長の谷口は大木体制になることで、前の社長と前の専務の後楯を失い、辞めざるを得なくなり、辞めて自分で仕事を探して、生活しているそうで、亡くなった元専務から、谷口もようやっと、1.5人前の仕事が出来るようになったと年賀状に書いてあった。これで全て良かったと書いてあったがこれが最後の手紙になってしまった。
彼の人生に花を添えてくれた芳子のことであるが、彼はその積りはなかったが、芳子のいじらしい純真な心をもて遊んだ結果になってはいないかと心配している。もう50年弱も前の事で時効にして呉れないか。感謝している。 最後にこのホームページを開くに当り、色々と教えてくれた親しい友を昨年の暮れに若くして失ってしまった。お互いに影響しあって、恩は生涯忘れない。 第1章から第16章まで、ホームページに入力してくれた。自分でやって見てその大変さがよく判った。 改めて、感謝するとともにお疲れ様と言いたい。(「佳境辛酸入る」前半完)
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