『 ニヴフ ー北の隣人ー 』から

サハリンの人たち
サンギさん

ウラジミール・ミハイロヴィッチ・サンギさんは1935年、ノグリキ近郊のナビル村の漁師の家に生まれた。サハリン出身の国際的に高い評価を受けている作家である。同時に少数民族の具体的な諸問題についてもかねてから積極的な発言をしていて、サハリン州では州政府の重要な顧問役である。とりわけ州政府内部で働くライグンさんやアチョートキナさんや先住民族問題を担当する有為の政府関係者にとってかけがえのない助言者でもある。

ニヴフの作家サンギ

 サンギさんは、20歳の時ノグリキの高等学校を出て直ぐにレニングラードのゲルツェン記念国立教育大学に進み、民族学と歴史学を学んで、6年後の58年にサハリンに帰ってきた。郷里で教職に就いて郷土史、特に北方民族の文化史を教えながら、ノグリキ地区教育監査官の役を務めた。この頃、サンギさんは精力的にサハリン先住民族の民話と伝説を集めていた。とりわけニヴフ族のさまざまな家系についてサハリン中をくまなく歩いて詳しい調査をおこなった。その最初の成果が1961年に出版された『ニヴフの伝説』(右図千葉大学図書館徳永文庫)だった。この本はサハリン内で出版されたのにもかかわらず、モスクワでも大変な評判をとった。そのために、早くも1962年にはサンギさんはソ連作家同盟に加入を許可されて、モスクワの高等連邦文学養成所に入り、そこをを終了して間もなくソ連邦公認の作家としてデビューした。そのデビュー作が1965年モスクワの<ソビエト・ロシア>出版社から出された作品集『最初の狩り』だった。ニヴフ人の生きる自然とそれに包まれて暮らす人々の知恵を描いた短編集である。この作品集のうちの一編が田原佑子さんの訳で日本語になって『サハリン・ニヴフ物語』(北海道新聞社2000年刊)に収められている。  

 作家サンギさんの次の仕事は自分のルーツを書くことだった。サンギさんは、時代を曾祖父の時代にまでさかのぼった。それはちょうどチェーホフがサハリンを訪れて、『サハリン島』(ちくま文庫版チェーホフ全集第12巻所収)で書いた世界である。長編小説「ケヴォング家の嫁取り」がその世界の断面を示している。そこでサンギさんの家ケヴォング家の息子が放浪の旅に出て、さまざまな民族のいろいろな人々に出会う。そしてアヴォング家の娘を娶るという筋である。この自伝小説は、単本でも出ているが、『サンギ作品集第一巻』(ユージノ・サハリンスク出版社2000年刊)に所収されているので、この方が手に入りやすい。「これはウチの、つまり僕の話なんだが、面白いと思うけれど」という自薦の言葉付きでサイン本をいただいたことがある。ニヴフ語だけではなく、ロシア語の達人でもあると思わせる、動きのいい小説であると見た。日本語訳を期待したい本である。ここでは、この長編を詳しく紹介する代わりに、サンギさんの詩をひとつ訳しておこう。「ケヴォングの嫁取り」のこころを思い出させるような詩である。

「                       クスとクウス

果てしないタイガと御影石の山が

はるか昔から僕たちを隔ててきた

しかし言葉という賢きものは時に

語とものの名とを、よく似た響きで一つにする

古きニヴフの言葉「クス」

幸せ、幸運をあらわすこの言葉は

優しいヤクートの言葉「クウス」の中に

鏡に映りこんだように入っている

種族は違っても気になることは同じ

種族は違っても考えることは同じ

だから望ましいものはみな似ている

娘、それはクウス

幸せ、それはクス

どんな所でも、どんな時も、

幸せと夢は僕たちを暖めてくれた

僕たちに与えられた愛をもって歌え

大切な母の教えのように

僕は信じる、僕は知ってる

ヤクート人は、恋人の心への近道を見出だし

家に灯すような暖と幸とを

「クウス」という言葉の中に灯すのだ

なのになぜ、女よ、苦々しげに意地悪に

あなたは舟に櫓を置いたの?

その冷たい瞳で僕を遠ざけようとしているの?

僕たちを分かつ遥か彼方へ

別々の世界へ、別々の運命を携えて

それが僕とあなたを永遠に引き離した…

ああ、思えばあなたは近くにいた

あれほど近くにいたのに、霧の中に漕ぎ去った

僕の泣き叫ぶのをあなたは見ようとはしない

でも切々たるこだまはボートの後を追いかけ

追いかけて霧の波にしがみつく

僕には聞こえる、霧が僕のために泣いているのが

「クス」と「クウス」、二つの愛の言葉

でもどちらにも一つの優しい心

ヤクートが何を言っても、何と呼んでも、

ニヴフはそれを理解し、それに答える

                          註:クスはニヴフ語で「幸せ」、クウスはヤクート語で「娘」の意味

                    (月刊新聞『ニヴフ語』2000年2月号から。熊野谷葉子訳)

 サンギさんには1961年以来たくさんの作品がある。どれか一つを代表作としてあげるのは憚られる。みなそれぞれに巧みで美しい。しかし長編「カヴォング家の嫁取り」と詩集『ニヴフのうた』1989の二つはどうしても見逃せない。ロシア作家同盟作家らしくどれもロシア語で書かれている。しかしサンギさんはニヴフ語の達人でもある。いつでもニヴフ語で作品を出せる。でも読み手が残念ながらもうごく少なくなってしまっているから、サンギさんはやむなくロシア語で書いている。ニヴフ語の作品は、ちょうど上の「クスをクウス」のように、月刊新聞『ニヴフ語』にときどき発表される程度である。もちろんサンギさん自身もこの母語の状況を変革する努力をしている。その努力が実って欲しいと切に願う。そして実際にその活動を必死に続けてきている。

ニヴフ語教科書の著者−サンギさん

 サンギさんはニヴフ語の教科書も作った。つい先年亡くなったニヴフの言語学者ガリーナ・アレクサンドローヴナ・オタオナさんと一緒にニヴフ語サハリン方言(ニヴフ語南東方言)の初級教科書を二冊作った。タクサミ・プフタ・ヴィングン共著のニヴフ語教科書がアムール方言(同北西方言)の教科書に見合ったサハリン方言用の教科書である。まだソ連という国があった頃の本なので、多少はソ連臭さが鼻につくけれども、この教科書が出たこと自体が画期的なできごとであった。しかも随所の作家としてのサンギさんがみずから詩を書いている。例えば初級第2巻には次のような美しいページがある:

                            チルフ

                (秋)

      
              
 チルヴァイト

               (秋がきた)

        タットゥン オズトット ニ パッハトホ トゥルドゥ

            (朝起きてぼくが窓を見ると)

        チハルフ チョムシクン ククドゥグン。

              (木の葉が落ちていた)

         クトゥリロホ プッウトゥ トッルロホ トッウルドゥ

             (外へ出て空を見上げると)

             プイガグン ユゴロホ ヴィドゥグン。

              (鳥たちが南へ飛んでいった。)

                                                                 
                                                             
V.サンギ

                               (カタカナは大略ニヴフ語の音声)

 サンギさんは他にも学習用の冊子を何冊も書いている。民話や伝承を教科書風に書いたものである。また珍しいものに、プーシキンの詩「坊さんとその阿呆の召使い」のニヴフ語訳がある。こうした仕事見ると、サンギさんが母語の保護と再生にかける熱意が並々ならぬことが分かる。そして若い頃レニングラードから帰って故郷の町で何年か教師を務めて、その後も教育行政に携わってきた長い経験が教材作成にも十分に生かされている。

 サンギさんはニヴフ語サハリン方言(南東方言)の辞書を編纂中である。オタイナさんのノートやネクラソフカ村で長いことニヴフ語の教師を務めているポレィチェヴァさんと共同で作っている。完成品は私の手元にまだないが、ちゃんと出来たら贈るからとサンギさんが言う。一日も早く手にとって、サビェレヴァ・タクサミさんたちのアムール方言(北西方言)辞典と比べてみたいと願っている。

サンギさんの自然保護活動

 いまサハリンの先住民族にとってもっとも重大な環境問題は、ノグリキ沖の石油・天然ガス開発である。ノグリキ沖の石油はつとに知られていて、第一次世界大戦後のソ連成立期に日本がその開発権を獲得していた。しかしいま問題になるのは、アメリカのエクソン・モービルが開発を進めるサハリンIとオランダのロイヤルダッチと日本の三井物産、三菱商事が開発するサハリンII、及びそれに続くサハリンIII以降の開発計画である(「サハリンの環境問題」の項参照)。そして最近ロシア政府はこれら多国籍企業がロシアの生態的環境を危機に陥れていると称して、サハリンの開発に文句をつけてきた。ことの帰趨はまだはっきりはしないが、サハリンI, IIと続いた開発が一定の段階まで進んだ頃を見計らって、ロシア政府とそれが支配するロシア企業、例えばガスプロムなどが、従来の成果を横取りしようと策謀していると見る。仮にロシア企業とロシア政府が共同でこの開発を独自にかつロシア式に続けるのであれば、サハリンの環境破壊はさらに深刻になるだろう。開発の主導権を誰がもつかに多少の違いはあるだろうが、いずれにせよ、サハリンの生態的環境は先住民族とロシア国民が主体的に監督して自分たちの生活環境を守るための活動を始めて、それを世界中の多国籍な団体が後援する形をとる他はない。その意味でサンギさんを含む先住民族の自然保護活動が少しづつでも成果を上げることを願い、それを支援・鼓舞したいと思う。

 これらの石油・天然ガス開発がサハリンの生態的な環境に対して与える影響は主に次の点に集約されるようである:

1)ノグリキ北方に住むオオワシやコクジラなど絶滅が危惧されている動植物及び、またニシンの産卵地域と考えられている沿岸地域に対する壊滅的な影響。

2)石油採掘現場からの油流出の可能性及び石油・天然ガス採掘現場の汚染。

3)パイプライン敷設に伴う生態系破壊及び土壌汚染。土砂流出、水質汚濁の懸念。サケが産卵する河川への分断などの深刻な影響など。

4)漁業資源への被害。原油ターミナル建設に伴って海底浚渫作業及び土砂投棄が行われているので、オホーツク海のような繊細な自然環境に対する否定的影響は深刻だと思われる。特にこの地域の水中・海底は未調査である。

5)先住民族や地元の住民の生活環境に対する深刻な影響がすでに見られる。ノグリキ沖に砂州状に連なる半島では、とりわけ外洋側で、漁業被害がでている。特にサケ・カラフトマスなどの遡上・産卵が脅かされている。またヌイヴォ湾内部の海獣の生態に異常が見られると報告されている。

こうした事態にたいして地元の先住諸民族はすでに何度も関係会社や機関に対してアセスメントを徹底して、十分な対策を立てることを要求してきた。最近では2005年1月にニヴフ、エベンキ、ナナイ、ウイルタなどサハリン北部の先住民族が「建設道路封鎖などの抗議行動」を行なう決定をして、サハリン・エナジーなど石油会社に対し、開発が先住民族の環境と伝統的な生活に与える影響を判断する「民族学的アセスメント(文化影響調査)」の実施を求めた。また、これに先立って先住民族の代表は、国際協力銀行(JBIC)など関係四銀行に対して、石油会社との問題解決を行なう「調停役」としての役割をはたすことを要請するレターを提出した(レター全文はFoE Japan<開発金融と環境プログラムの公式サイトに掲示されている)。この要請レターの発起人の一人がサンギさん自身であった。その書簡にサインした時のサンギさんの肩書きは「ノグリキ地域ニヴフ長老議会議長、国連経済社会フォーラム組織人権国際連盟部族長」というものだった。この「ニヴフ長老議会」とは長く休眠状態であった組織だが、民族的アセスメント要求を行っていくためにサンギさんの努力によって復活されたものだという。また「国連経済社会フォーラム組織人権国際連盟部」とはジュネーブに作業部会が置かれている人権委員会に所属する機関である。そこで日本から来たアイヌ民族の代表や委員にしばしば出会ったとサンギさんは語っていた。

 サンギさんの活動は、自然環境保護運動のなかで抗議する側だけに限られていない。それだけでなく、サハリン州政府の内部にも活動の基盤をもっている。州政府の固定した役職には就いてはいないが、さまざまな委員会や協議会の委員として活動しているし、だけではなく、州政府から先住民族の重鎮として遇され、ロシア作家同盟の正規会員として尊敬を受けている。更に同族のライグンさん、ナチョートキナさんのような仲間が政府内部にいる。そのようなサンギさんの活動は重い価値をもって政策に反映される。サンギさんはサハリンの環境保護にとっても貴重な働き手なのである。

 

ニヴフのテリトリア

 2003年の夏のある朝、同僚のガリーナ・ロクさんの家で原稿の校正をしていたとき、サンギさんが訪ねてきた。ニヴフの習慣で、お茶と二皿ほどのご馳走をつまみながら、小一時間ほどゆっくりとお話を聞くことができた。いろいろな話が出たが、とりわけニヴフ民族自治地域を創設したいというサンギさんの将来計画について記しておこう。

 話はニヴフ語とニヴフ文化の継承の問題から始まった。伝統的文化を引き継いできているひとが一人一人歯の欠けるように亡くなっているので、集中的で総合的な教育計画を立てることが是非とも必要だという話である。ニヴフ人の有力者は長いことすでにこの問題を論議してきたが、多くの問題で州政府の教育行政の基本的な路線と衝突してきた。かつてのブレジニエフ時代のように画一的なソ連人育成というような強制はもはや無い。しかしロシア人主導の教育行政は決してなくなってはいない。とりわけ地方政府が民族教育に理解を示さないし、そもそも理解する能力におそらく問題があるようだ。ことごとに衝突が繰り返されてきた。サンギさんらはすでに総合的民族教育計画を州政府に提出しているが、それは未だに行政の机上に眠ったままだという。しかしこのような状況を抜本的に解決する道は一つ在る。それはより根源的な問題を提起することだ。ではそれは何か?

それは総合的民族教育計画を独り立ちさせるのではなく、大きな衣に包んで、民族の相互扶助体制を創造することだ。こうしなければ、結局は元の黙阿弥になってしまう。つまり、ニヴフのテリトリアを作ることが肝腎だ。ニヴフの生活そのもの、植物的・動物的生態系、海・河川の水系、自然系、利用可能な海洋資源の系、精神文化、それにもちろん言語を一切取り込んだ生活空間を作ることが出発点になるはずだ。さしあたり大きな土地はいらない。まずは30キロメータ平方ほどの広がりと、32キロの海岸域、サケ・マスが遡上産卵する川が二筋。そこを根拠地にして民族の伝統的な生活空間を創造することから始めたいとサンギさんは語る。

 この計画は最初いたるところから反対された。サハリン州政は反対、自然保護審議会もダメ、エコロジー問題最高委員会も取り上げない。ノグリキの所属するオハ区域議会は怒り出すという有様だった。私は戦いつづけた。何と言われようと主張し続けた。もう何年も喧嘩し続けている。何処へ行っても「ニヴフのエトノス的生態的な自治地域の創設」について語り続けている。州政府にも何度もその計画書を書き送った。そしてやっと最近になって州政府は私の立場を自然保護国家委員会(Goskomprirod)に送った。そして委員会が私達から直接に面会して話を聞きたいと言ってきた。委員会は基本的に計画に同意すると私は見ている。今のところ委員会独自の案を持っているようだが、私の計画を基本的に承認しているようでもある。明日か明後日にもユージノ・サハリンスクへ出かけて、状況を説明してきたいと思っている。うまくいくと、世界で始めて先住民族のエトノス的・生態的な自治区域ができることになる。私のアイディアは1988年からのものだが、やっとここまで来たんだと思う。私の感じではうまくいくと思う。あとは州が嫌がるところをどう調整するかが問題になる。

 民族生態自治区域ができたら、そこの公用語はもちろんニヴフ語になる。学校でも幼稚園・保育園でもニヴフに伝統的な文化を学べるようにしたい。四年ほど前になるが、州に行って、今の教育制度はまずい、これでは民族性なしの国民を作っていくばかりだ。ニヴフという自覚がただの地方人というだけになってしまっていると言ったことがある。その状況を改善できる場がこの自治区域だと思うとサンギさんは言う。先住少数民族が自分で独自の道を切り開く必要を何度も訴えて、そのために自治区域の創立がどうしても必要だと主張する。私はちょっと心配になったので、お金は?ロシア人達は本当に援助する用意があるのだろうかと聞いてみた。政府は財政援助の用意があるとサンギさんは言う。第一にロシア連邦全体として、先住少数民族を保護する法律がある。第二に北方諸民族の社会組織を育成するという法がある。第三に地域の自然生態保護に関する法がすでにある。こうした全国的な法規に従って、サハリンでも2003年5月に法律が二つ通った。それに基づいて援助が行われることになったという。このことは別にきちんと調べて北海道に役立てようと私は思ったのだった。

サンギさんと日本

 サンギさんはよく日本に来る。最近では、1997の秋に北海道大学のスラブ研究センターに招聘されて、「サハリンの搾取と生態的危機」という講演を行った。また2005年には東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所の招聘で三ヶ月ほどを日本で過ごした。このときはサンギさんが昔からもっているニヴフ語の音声資料を一部ディジタル化するという仕事を引き受けてくれたのだったが、サンギさんの生活は決して快適ではなく、さほど気のはいる仕事ではなかったらしいのだが、よく働いていただいた。それもニヴフ語を残し伝えようと言う強い意志があって出来たことだと、感謝している。サンギさんだけでなくニヴフの人達は北海道が好きなようだ。網走や北見の土地の様子が故郷とそっくりだと言って喜んでいるので、あの人達はやはりオホーツク文化人の末裔かと思ってしまうほどである。サンギさんにもゆっくりと好きなところを旅して歩いて欲しいと思っている。

「企画」ー「ニヴフー北の隣人」