『理屈は理屈 神は神』 続考篇

このページは、講談社より刊行された上記書籍に関して、
さらに思考を継続していくための、備忘録である。

未読の方には、理解しにくい文言や考察が多出するので、
あらかじめ、御承知おきを願いたい。

◎また、この分野を否定している人びとにとっては、
タワゴトとしか思えない内容もまじるだろうが、
当方、それらについて論争する気はない。
その点、あしからず、御了承を願っておく。

◎各断片は、思考を進めるための仮「素材」であるから、
このページ全体にも、「決定稿」的な性格はない。
必要に応じ、内容の訂正、削除、追加、統合などを、
予告や注記なく行う場合もあるから、念のため。


◎なお、「片足を多数派世界に残している」者として、
内容には極力一般性を持たせたいので、
各種名称や人名などの表記については、当方の判断により、
適宜、上記書籍と同様の扱いをさせていただく。

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◎道案内もセットで教えなければ
理屈のための理屈ではなく、勘違いしやすい事項を
考えるための理屈として書くのだが、
「理想」は、「現実」にはいますぐ実行も実現もできないものだからこそ
「理想」なのである。すなわち、掲げられたビジョンや伝えられた教えを
ただちに実現実行できるのなら、それは「理想」ではなく、
すでに「現実」レベルのビジョンや教えなのだ。
そして宗教で掲げられるビジョンや教えは、まさにこの意味においての
「理想」であるがゆえに、絶対多数の人間すなわち普通の生活者にとって、
本来、そう簡単には実現実行できるわけがないものなのである。

にもかかわらず各宗教は、日常からあまりにも遠すぎる、高すぎる、
難しすぎる教えや戒めを、注釈なしで説いている感がある。
「これは理想ですよ。あくまでも、遠くにある目的地、高いところにある
到達点なんだから、聞いてすぐ現実のこととして実行できなくても、
何の不思議もないんですよ」
まずはこういう注釈を与え、しかるのち、それでは現実生活内でできる
最初の一歩は何か、その次にできるのは何か、その順序や道筋を示して
いったほうが、はるかに理解されやすいに違いない。
「現実」という地面を歩いている人々に、ただひたすら「理想」という山頂へ
登れ登れと説くのは無茶であって、標高差は巨大であるけれど、
登り口はどこにあり、そこからどんな山道がつづいているかなど、
道案内もセットにして教えなければ、人は説教者を横目で見、
鼻を鳴らして通り過ぎるだけだと思うのだ。

◎個別運命と共通運命
世の中には多種多様な占いがあるが、
それらに対して否定論者が突きつける問いに、こういうものがある。
「飛行機の墜落事故で、同日同時刻に何百人もが亡くなったりする。
それらの乗客は、生年月日も人相手相もすべて異なった人々だけれど、
易や占いは、その異なった全員が同じ日時に一斉に死ぬと
判断できるのか。そうできるだけの理論的根拠があるのか?」
言われてみればその通りで、易や占いで扱う運命が、
「個別」であることにこそ存在価値があるのなら、その体系を保持しつつ
集団死をも予知するためには、その数百人の個別運命を同時全体的に
無化してしまうだけの、共通運命というものがなければならないことになる。
そしてそれが、各人の鑑定結果にも出ていなければならない理屈になる。
あるいはそれでなければ、同じく同時全体的に無化してしまう、
特異日的な別要素があると考えるかだ。

無論当方、そんな共通運命や特異日があるのかどうかは知らないが、
反射的に思い出す話が二つある。ひとつは前に紹介した
藤平光一氏の書籍に出てきたエピソードで、戦争中、陸軍将校として
中国を転戦していた氏は、あるとき良い意味の「ひらきなおり」ができ、
生死は「天地」にまかせてまったく気にしなくなった。
すると以後、死地に至っても不思議なほどそこを突破でき、
「必ず全員を日本へ連れて帰るから、安心してついてこい」と宣言していた
とおり、数十名の部下とともに無事帰還できたのだという。
もうひとつは、「理屈は理屈」で扱った宗教の三代教主の言葉であって、
ある船員の信者が出航時刻に遅れたので、次の寄港地に
列車で先回りしたところ、その船が播磨灘で遭難して
多数の犠牲者が出たことを知らされた。そこで、救難活動に参加するべく
現地に向かう途中、教団本部にその報告と加護を願いに行ったところ、
「あなたが遅れず乗船しておれば、船は沈まなかったかもしれない」
と言われたという。

そして藤平氏の話もこの話も、
神によって生命を守られている者が一人でもいれば、周囲の者も
無自覚のままその余録(?)を受けられるという意味なのだと思う。
最初に書いた飛行機事故の問題と直接の関係はないかもしれないが、
個別の運命を超えた共通運命というものを考えるとき、
ひとつの思考材料になりそうに感じるので、
とりあえずここに記しておくのである。

◎伝える言葉の問題
「中村天風と植芝盛平、気の確立」という本の著者、藤平光一氏は、
長年合気道の神髄を求め続け、遂にそれは「天地との一致」だと
会得した人である。そしてこの本には、戦前戦後に師事した二人のことが
書かれているのだが、そのなかでは言葉の問題も扱われている。
合気道の始祖植芝師の教えをアメリカで広めるについて、
現地の新聞記者の質問にどうこたえるか。
植芝師は「光」とか「愛」とかいう言葉を多用しているのだが、
合気道の原理を説明するのに、それをそのまま英訳しても
正確に伝わるとは思えない。そこで藤平氏が意訳し、
プラスやマイナスという言葉を使ったところ、大筋がよく伝わった。
植芝師自身も、なるほど、そう説明すればいいのかと
納得してくれたというのである。

そして同様のことは中村天風師も言っており、自身の講演において、
釈迦やキリストのことを概略こう言っている。
「あの人たちは自分ではよくわかってたんだが、
それを人にうまく正確に伝える言葉を持ってなかった。それで宗教というも
のが、わかったようなわからんような曖昧なものになってしまったのだ」
そこで天風先生は、自己の哲学体系を極力科学的に説明するべく、
各種用語の採用と意味規定を行っているのだけれど、
これはどうしても複雑かつ煩瑣になる。
植芝、中村、藤平の各氏は最終的には同じことを言っており、
それはぼくが「理屈は理屈」で扱った宗教、さらには他のまっとうな
諸宗教についても言えることだと感じる。
だから、それらを統一的に説明できる言語や体系があれば(構築すれば)
どんなに有用であることかと、そう思うわけである。

◎マラソンと千日回峰
いまやらせてもらっているラジオ番組で、フォークシンガーであり
マラソンランナーでもある高石ともや氏に、こんな話を聞かせてもらった。
ロスアンジェルスからニューヨークまで、アメリカ大陸を横断する
「トランスアメリカ、フットレース」というものがあり、1993年、
52歳のとき参加した。4700qを64日間かけて走り、これは大体、
毎日70〜80qを2ヶ月間走りつづける見当になる。もちろん、
途中で休んだり遊んだりしながらだったが、16人中5位という成績だった。

このとき、スタート前にコーチが言ってくれたのは「怒るな」ということで、
「怒ると心身の調子が乱れて走れなくなる。とにかく、(心ではなく)魂で
目的地を思いうかべ、自分は走れる、到着できると信じて行け」とのこと。
高石氏、そのとおりやって何があっても怒らず、ハッピーハッピー、
着ける着けると思いながら走った。そしたら、途中で足をぐねって腫れて
痛かったこともあったのだが、痛みが消え、腫れも引いていったという。
だからそれ以降、日常生活においても、とにかく怒らないようにしている。
いまでは朝眼が覚めて天気が良かったら、「おお。今日も走れる!」と
嬉しくて仕方がないというのである。

で、そのとき当方、「コーチはそのアドバイスを、マラソンの秘訣としてのみ
教えてくれたんですか。それとも、人生哲学としてですか」
と聞いたところ、ランニングの秘訣としてだったとのこと。
しかし、「魂で目的地を思いうかべ」云々の部分は
願望達成法全般の秘訣といっていいポイントだし、
「怒るな」に関しての高石氏の経験や後日談は、
大きな「行」を済ませた人の話だともいえる。感嘆したぼくは、
「それ、比叡山の千日回峰をマラソンで果たしはったようなものですね!」と
言っていたのだが、これ、身心霊ともに、そのとおりなのではなかろうか?

◎簡単と困難との距離
教典のなかに、「信心は別にむつかしいことはない」という
教祖の言葉が載っている。親にものを言うように、(神棚に向かってなり、
心のなかでなり)朝起きたら礼を言い、出かけるときには挨拶し、
帰ってきたら無事にもどりましたと報告して、
寝るときにはその日の御礼を言って寝るようにすれば、
それで信心になっているというのである。

一方信話集には、「どうなったら信心ができたと言えて、
どうなってなければそうは言えないのか」という区分に関して、
「神に頼んでまかせることができたら、信心ができたと言っていいだろう。
頼んでもまかせることができなかったら、まだできてないのだ」
という意味の言葉が載っている。それは、修業生の問いに
古い信者であるお医者さんがこたえた言葉だそうで、
安太郎先生も、「これは当を得た言葉だ。ちょっとわかってないと、
こうは言えん」と追認している。

そこで思うに、前の言葉と後の言葉、その両者間にある距離なり格差は、
どれほどのものかということだ。無論、前者も形だけなら簡単だが、
そこに内心の想い、真実、誠というものをこめようと思ったら、
よほど難しくなってくるだろう。しかし後者の難しさは、
そこからさらに隔絶したものだと感じる。
親兄弟でも友人知人でも、とにかく自分が信用している人間に
ものごとを頼んでまかせるのは、つまり頼んだあと大丈夫だろうかとか、
忘れてはいないかとか、ずるいことをするのではないかとか、
そういった心配や疑念を抱かずに結果を待つということは、
まあ、大抵の者が日常生活のなかで経験しているだろう。
けれども、それとまったく同じ心の状態で無形の神に頼んで、
まかせられるものかどうか。ぼくの経験によれば、まかせられるのは、
「結果が出なくても、生死や生活に直接かかわることではないのだが」
というレベルの、いわば「贅沢な」願いや頼みであるときだけなのだ。
嘘だと思ったら、一度試してごらんなさい。
結果が出ないと本当に困る願いについては、
なかなかまかせられず、うろたえて、心を千々に乱しますよ。

◎単純素朴の清々しさ
(日経新聞、大阪本社版の夕刊に書いたものを転載しておく)
『漱石の思い出』(文春文庫)という本は、未亡人の談話を
昭和三年に筆録した書籍。文豪の素顔や日常がわかり、
情味豊かな逸話なども味わえる、気持ちのいい本である。
ぼくはこれを学生時代に初読したのだが、先般必要があって、
ひさしぶりに読み返してみた。そのとき
「通読する前に、まずあのエピソードから」と思ってページを繰ったのは、
神戸の禅寺で修業中だった、若い雲水二人の話だった。

彼らは漱石ファンで、作品の読後感を手紙で知らせてきたりし、
漱石も返事を出していた。そして、念願の東京見物をしたいのだが
金がないので泊めてもらえないかという頼みがあり、
漱石宅を足場に、あちこち見歩くことになった。
その結果、漱石は大いに彼らを気に入ることになるのだが、
それは「その偽りのない、あけすけとした、しかも単純のうちに礼儀と感謝
の念のこもってるのが、いたく漱石を感心させた様子」だったからで、
「こうした単純生活には前々から憧憬をもっていたのでしょうし」
「まのあたり見て、いよいよ好きになった」
「何かこう、尊いといった感じさえ起こさせた」ようだったからだという。
嘘、ごまかし、追従、小刀細工。漱石はこういう言動が
極端に嫌いだった人間で、なぜそれほど嫌悪したかについては、
複雑な幼児期体験もからんでいるというのが定説になっている。
しかしとにかく、その病的な部分を持った神経過敏な漱石が、
二人の雲水に接することで、のびのびとして晴れやかな、
心嬉しい気持ちになれたのだ。
そしてぼくの経験から言っても、そういう僧侶は確かにいる。

もう十年近く前だが、公私ともに問題山積で
精神的に参っていた時期があり、人の勧めで京都の某寺院を、
月に一度見当で訪れていた。禅寺ではないから座禅をしたわけではなく、
法話を聞いたり、相談をもちかけたりしたのでもない。
ただ行って、出入り自由の本堂内で勝手に座り、
ぼんやりとした時間を過ごしていたのだ。そんなあるとき背後から、
参拝者を案内しているらしい僧侶の、さわやかな声が聞こえてきた。
「私は別に寺の息子でも何でもないし、兄弟だってサラリーマンなんです。
だけど私だけは子供の頃から、坊さんになりたいって思いつづけてきたん
ですよ。こういうことって、あるんですねえ」
そして、その言葉に思わずふりむいたぼくは、驚愕していた。
最初から何かを「捨てて」いるのか、または「つきぬけた」結果なのか。
若くて青々とした坊主頭の彼の顔が、明るさ晴れやかさで
輝いていたからで、うじうじしている自分を恥じるとともに、
相手の立場や日常に、うらやましさと敬意も感じていたのである。

だから、漱石が接した雲水二人も、そんな雰囲気を持っていたのだろうと
推測が立ったのだが、同時にぼくは初めて気づいていた。
学生時代に初読したこの分厚い本のなかで、自分はなぜ雲水の話を
一番記憶に残していたのか。当時は大学紛争の最盛期であり、
答えの出ない問題を考えつづけて、ノイローゼ状態になっていた。
その錯乱した心に、清々しさが染み渡ったからなのだ。

◎皆、わかっているのだ
上方落語「兵庫船」は、讃岐の金比羅さんに参った男二人が、
帰路あちこち見物したのち、兵庫の港から大阪まで船で帰る噺であるが、
その船中で神頼みをする場面がある。
悪い鱶に「魅入られ」て船が動かなくなり、乗り合い客のうちの誰が
その魅入られた当人なのか、各自持ち物を海に投げて調べることになる。
投げた物が浮かんで流れればよし。スーッと海中に引き込まれたら、
その持ち主は人身御供にならなければならない。そこで各自、
順に試していくのだが、ある男、扇子を投げるについて金比羅さんに願う。
「讃岐の国は金比羅大権現様、このたびお参りいたしました功により、
この扇子を無事に流していただきますように。無事に流れましたら、
御礼のしるしといたしまして、金の灯籠、千灯籠。銀の灯籠、千灯籠。
銅の灯籠、千灯籠……」、連れの男が驚いて
「おい。そんな大きなこと言うて大丈夫かいな」、
くだんの男 「しいっ。いま、神さん騙してんねん」
ここで客席にどっと爆笑が起きるのだが、さて、
これはどこがおかしいのかを考えてみると。

第一に、男が殊勝に真剣に祈願していると思わせておいて、
突然内心をばらすことによる、意外性の笑いがある。
客たちは、その落差にびっくりして笑うのだ。
第二に、「そんなアホな。神さんを騙したりできるかいな」という、
男の愚行を笑うという心理もあるだろう。
ということは客たちの思いの大前提として、
「騙そうとしたって、神さんはその心をも見通しはるんやから」という、
神という存在に関する共通認識があるのだと言えるかもしれない。
そして第三に、「そうそう。われわれの神頼みなんて、まあ、
その程度のもんやわなあ」という、共感の笑いもあるはずだ。
それら複数の心理が渾然一体となって、
爆笑反応を取らせると思うのであるが、これをまとめて言うとどうなるか。

神と人という存在や関係について、皆、重要ポイントは「わかって」いるので
ある。必要がないためか、しんどいと思ってか、信心領域に足を踏み入れよ
うとはしないけれど、ちゃ〜んと、わかっているのである。
なお、「理屈は理屈〜」で扱った宗教には、
「これこれの物や金を供えますからという願いは、受け付けてはいけない」
という意味の教えがあるので、念のため。

◎何となく嬉しい話
「漱石の思い出」(夏目鏡子述・松岡譲筆録、文春文庫)
という本のなかに、漱石が京都へ旅行したときの話が載っていて、
祇園で芸妓に来てもらって、愉快に遊んでいる。
そこへその芸妓の朋輩である別の芸妓二人がやってきて、
ぜひ自分たちも高名な先生に御挨拶させてほしい、部屋に入れないのなら
、ふすま越しにお声だけでも聞かせていただきたいと願う。
漱石の快諾があって二人も一座に加わるのだが、
そのうちの一人は座持ちのうまい陽気な女。
もう一人のお君さんという芸妓は、そのまた反対で、
「まったく貴婦人タイプの無口な人でしたが」と書いてある。
「○○教の大の信者で、その信心から医者も手放した危ない一命を救われ
たというほどの人だけあって、どっかリンとしたところがありました」

とはいえ堅苦しい感じはなかったのだろう、
「いずれもみんな東京とは違った京都女のそれぞれのタイプなので、時々
宿へ遊びに来てもらっては気楽にくつろいで興じていたそうです」とのこと。
そして、上記文中でぼくがとりあえず○○教と書いておいたそれは、
当方が「理屈は理屈〜」で題材にさせてもらった宗教だった。
この「漱石の思い出」、初読したのは学生時代だが、そのときには
こんな部分、まったく注意が向かなかった。
先般ひさしぶりに読み返して、これはこれはと一驚したのである。

明治時代、高徳の先生が出たため、京都が信心隆盛地のひとつだったこと
は、参考書籍にもあれこれ出てくる。
また安太郎先生の信話集には、大阪の北新地や新町の芸妓、
お茶屋の女将なども信者として登場する。
東京では歌舞伎界にも信者が多いそうで、これは現在もつづいているらし
い。自分では何もできないが芸事の話が好きなぼくにとって、
その世界にも信者が多いという事実は、何となく嬉しい話である。
貴婦人タイプで無口。どこかリンとしたところがある。
けれども人を気楽にくつろがせ、興じさせることもできる。
「なるほど、なるほど」なのである。

◎読み返しはまだ苦しい
教典、信話集、関連書籍。これらを最初にダーッと読んだのは、
とにかくおもしろかったからだし、あれこれ解せないことを
何とか理解したかったからでもあった。
仕事のためにせよ、趣味や娯楽のためにせよ、
ぼくが特定ジャンルの書籍を次から次へと読み進めるのは、
すべてこれが原動力になっている。
一方、「理屈は理屈〜」を書くときには、
どの本のどこに何が書いてあるか、メモを作りながら読み返した。
初心者だから理解レベルが浅薄であっても仕方はないが、
作家としてスカタンは書きたくないから、このときはまあ、
勉強するという姿勢で根を詰めて読んだのだ。

その結果、これはどんな作品においても、
資料として使った書籍すべてについて起きることなのだが、
書き上げたのち、それら資料書籍群を、
以前と同じようには読めなくなってしまった。
信話集なら信話集の、どの巻どのページを開いても、
執筆中の意識状態がまだ消えてないらしく、
文章の流れそのままには視線が進まない。
直接引用した部分、長い話なのでダイジェストして紹介した部分、
問題の本質には関係がなく多分聞き手の注意を
ひきつけなおすために挟まれたのであろう余談部分。
各ページの活字行列がそれら複数要素に分解され、
エッセンス部分のみ眼に迫ってくるため、
読むのが苦しくなってくるのである。

そんなわけで、もとのように流れのままに楽しんで読むためには、
執筆中の意識状態が記憶から消えてしまうのを待つしかない。
ときどき、「もう大丈夫かな」と思ってページをひらき、
「あっ、まだ迫ってくる」と知って、それを閉じるという、
そんな状態がつづいているのだ。
安太郎先生の教えによるなら、これは日々少しずつでも
信心を進めてない証拠ということになるのだけれど。

◎皆で注釈を加えたら
教典や信話集、あるいは関連書籍をあれこれ読んでいると、
教えとは直接関係のない部分で、非常に興味深いエピソードの出てくること
がある。読書本来の楽しみが味わえるわけで、一時期、次から次へと
教内出版物を読んでいたのは、そのおもしろさもあってのことだったのだ。

たとえば信話集には、安太郎先生が新型駆逐艦の試運転に
招待された話が出てくる。それに対する御礼をどうしようかと考え、
品物などを贈るよりは、その会社の発展を祈念するのが
本当の御礼であろうと思って実行したというのが、教話の本筋である。
しかし元プラモデル少年、戦記雑誌「丸」少年だったぼくの興味は、
駆逐艦のほうに向く。これは大阪市内での話だろうと思うのだが、
としたらその会社は十中八九、大阪湾の木津川口にあった藤永田造船所
である。そして招待された年月日がわかれば、何という型の、
何と命名された駆逐艦だったかくらいは、すぐにでも調べられる。
信心には直接関係ないことなので、玉水でその年月日を
質問したりはしなかったけれど、実におもしろく感じたのだ。

また、教話のなかに
「人間もとうとう空を飛ぶようになりましたな」という言葉も出てくる。
「しかし、ライト兄弟の初飛行時には、先生はまだ教会を開いてないから、
これは多分、日本国内での初飛行、徳川大尉のことだろう」
などと推理するのも、ぼくにとっては非常におもしろい作業なのである。
そうかと思うと、同じく教話のなかに、「アインスタインという人が出て、
ニュートンの理屈が壊されたそうだ」という話も出てくる。
SF作家としては、ここで思わず、手を挙げたくなってくる。
「先生。それ、簡略化したお話としてはそれでいいんですけど、
厳密にはちょっと違うんですよ。ニュートンの理屈が壊されたわけではなく、
その原理はいまでも通用してるんです。しかし、条件によっては
その原理通りにはならない場合もあるという事実を、アインシュタインが
発見した。つまり、ニュートンの理屈を含む、さらに大きな一般法則を、
アインシュタインが打ち立てたということなんですよ」
などと言いたくなってくる。無論この場合、そう言ったからといって、
「そんなむつかしいことは、知らんでもええことです」などという叱責は、
返ってはこないだろうと思いつつである。

何にせよ、いろんな分野で勉強や仕事をしている信者さんが、
その知識や経験を生かして、「信話集の、あの部分はこうです」
「この部分の背景には、こんな事実があるんです」と注釈を加えていったら
、さぞおもしろく興味深い注解本ができるだろうと思うのだが、どうだろう。

◎科学と非科学の領域比
宗教世界では、非「常識」的な事象がよく扱われる。
特定の宗教を信じることによって、医者の見放した病気が短期間で
快癒したとか、一家心中を決意したほどの経済苦境が、
次から次へと助けてくれる人が現れてたちまち好転したとか、
まあ、そんな話である。
ただしこれらのエピソード、インチキ宗教のでっちあげもあり、
当人の自己暗示や錯覚、伝搬過程における誇大化、あるいは
別に信仰などしてなくても発生した可能性の高い偶然などもあって、
そのまま受け取るのは危険だと思われる。
また、それが非科学的だということで、拒絶反応を示す人も多いだろう。

そしてぼくは、インチキや錯覚以下の可能性については
大いにあることだと思い、大半ないし九割方は
嘘や間違いだと思っておいたほうが、過誤がなくて安全だと考えている。
ただし非科学的ということに関しては、否定証明がなされているもの以外に
ついては、判断保留にすべきだと思っている。
否定論者の「そんな馬鹿なことはない!」という断定は、
否定証明がなされていない限り主観的判断に過ぎず、その意味では、
「いや。ありうるのだ!」という断定と同等の説得力しか有していない。
どちらも「自分はそう思う」の域を出てないわけで、科学を持ち出す以上、
正否判定は客観的証明によってなされるべきなのだ。そして、
科学と非科学の関係については、こんな領域比イメージを持っている。

すなわち、密林に覆われた人跡未踏の巨大な島があり、上陸した人間たち
が、とりあえず数百メーター四方を切り開いて、そこに住みだしたとする。
当然、その範囲内の見通しはきくし、気温、土壌、水など環境条件に関する
知識も増えていくだろう。しかし、それは切り開いた土地に限ってのことであ
って、広大な密林内がどうなっているのかは、まだ誰にもわからない。
にもかかわらず、狭い土地で通用している知識をそちらに当てはめ、
ここと同じであるはずだ、同じでないことは認めないと主張するのは、
やはり間違った姿勢だろう。同じかどうかは、密林にさらに分け入り、
見通しのきく土地を広げていく過程で、
ひとつひとつ確認していくべきことなのである……
実際、島は途方もなく大きく、切り開けているのは猫のひたい程度なのだ。

◎手段と姿勢
中村天風先生の講演録によると、ヨガも禅も要するに
「精神統一」「身心統一」を最終目的にしているのだという。
それが実現して、はっきり、くっきりとした意識状態になったときには、
霊感なども、ふっ、ふっと自然に湧いてくるというのだ。
そしてそれは、先生の言葉によれば「神人瞑合」できているためであって、
当方の解釈では、遍満存在する宇宙意思と自己の本体たる
分霊的意思とが接触交流できる状態になっているからだと思われる。
で、その意識状態に至るために、ヨガでは瞑想、禅では座禅という
「手段」を取っているわけだが、一方、たとえば感謝の気持ちであるとか、
優しい心であるとか、そういったものを日常持ち続け、示しつづけることでも
、その境地に到達できるという教えもある。

「理屈は理屈〜」で扱ったこの宗教も、大きく分ければその側に立っており
、ことさら無理な修業はしなくても、日々の生活のなかでそういった心の
「姿勢」を養っていけば、時間はかかるけれども、おのずとその領域に入れ
ると教えている。つまり、同じ地点に到達するについて、
「手段」によって進むか「姿勢」によって近づくかということなのだが、
世間一般の人々からは、前者は「しんどい」ので敬遠されやすく、
後者は倫理や道徳の臭いがするだけに、反感や忌避感を抱かれやすいと
感じる。いきなり感謝の心や人への思いやりを持てと言われたら、
「善人ぶりやがって。ほっといてくれ!」と、反射的な拒否の言葉が返ってき
そうなのだ。といって、仮に反感をやわらげるために、
その「姿勢」も到達のためのひとつの「手段」なのだと説くと、
実行面で功利という雑念がまじってニセモノになりそうな気もする。
それとも、功利でもいいから「手段」であるとドライにわりきってやっていけ
ば、そのうちホンモノの「姿勢」に変化していくのだろうか。
このあたり、当方にはまだ良くわからないのである。

そうかと思うと第三の方法もあって、これは精神統一を脳波の問題として
とらえ、特定の脳波が継続発生するようにさえしてやれば
それですむのだという考え方である。
ただし、これだとしんどくもなさそうだし、倫理道徳の臭いもしないので、
世間の人々にも受け入れられやすそうなのだが、
そのかわり別の危険性が発生する。
オウム真理教のヘッドギアや幻覚剤のごとく、機器や薬物、
すなわち物理的、即物的な「手段」によって一挙にその領域に入ろうという
、短絡思考を生みやすいのだ。それとも、脳科学の進歩によって
ホンモノの機器や薬物ができれば、誰でも、いとも簡単に
同じ境地に到達できるのだろうか。

◎道歌に対する反応
お寺の門の横に掲示板が作られており、そこに道歌というのか、
釈迦の教えや、人としての生き方を説く歌が貼られていることがある。
通りすがりにちらっと見て、なるほどと思ったりするわけだが、
ぼくの経験では、自分の心理反応には大きく分けて三つの種類がある。

まず第一は、『家内中、仲の良いのが宝船、心やすやす世を渡るなり』
などという歌を読んだときの、シラケ反応。
言っていることはそのとおりで、どこも間違っておらず、
そうできればまことに結構でございましょうなのだが、
いかんせん、表現があまりに平坦かつ通俗的で、値打ちが無く、
心に食い込んでくるところもない。
木魚を叩きつつ阿呆陀羅経のリズムに乗せて唱えれば似合いそうだし、
正月の神社の露店で売っている、けばけばしい宝船の
額に書かれている文句のような気もしてくるのだ。

第二が、『咲いた花見て楽しむならば、咲かせた根本の恩を知れ』という
たぐいのもので、これを読んだとき、当方思わず「ほっとけ!」と
つぶやいていたのだが、なぜそうつぶやいたかを考えてみたら、
末尾が命令形になっているからだった。
「それはそうなんですよ。根がなければ花も咲かない。
間違ってないんですよ。けど、そやからと言うて、せっかく花見て楽しもうと
いう人に、いきなり命令することはないでしょうが」
そう言いたくなるわけで、故藤山寛美さんの
松竹新喜劇に漂っていたような、「臭さ」も感じさせられるのだ。

そして第三が、『世の中に、命あるものみな仏、犬もそのうち猫もそのうち』
という種類のものであって、これを読んだときには、
内心で「ふ〜む」とうなって考えていた。
上の句で命題を述べており、下の句でその具体例を示している。
展開に意外性があり、「としたら、鳥も虫もウイルスも……」と、
連想がいくらでもひろがっていく。そしてその連想は正しいはずで、
そこから考え出すと、自然のなかの人間の営みなどという方面にまで、
思考が進んでいきそうでもある。
仮にこの下の句を、「そのさま知りて拝め犬猫」などと
命令形にしていたら「ほっとけ」反応が起きたはずで、
その点こちらは、押しつけがましさがなくて結構なのだ。
事実を淡々と述べて、人に何かを感じさせる。
難しいけれど、コミュニケーションの効果ということを考えれば、
それでいくべきなのだろう。

◎裏付けを求めたがる
分厚い教典の大部分が、多様な「エピソード」集であることは
書籍に書いておいたが、そのひとつに概略こういうものがある。
あるとき色の黒い娘が参ってきて、
「お嫁に行けません。色を白くしてください」と願い出た。
(単なる色黒だったのか、それとも何かの病気による
異様な黒さだったのかは書かれていない)
教祖は「おかげが受けられます」とこたえ、するとそのうち
娘の頭に瘡ができて頭中に広がり、胸や肩まできた。
それに対しては教祖は、「まあ、何かの都合であろう。神に任せておけ。
喜ぶことがある」と教えていた。しまいにかさぶたができ、
瘡が乾いて落ちだして、そのあとが真っ赤になり、
頭髪もどんどん生えて、肌は真っ白い色になった。
そのとき教祖がいわくは、「神様のおかげは、どうしてかわからないが、
一時は悪くなっても、しまいにおかげが受けられる。
しかし、氏子の中には辛抱できない者もある」

これを初めて読んだとき、ぼくはこの肌の色の変化システムを、
どう考えればいいのか見当がつかなかった。
何かの病気による色黒だとすれば、その病気が治れば
(治してもらえれば)、肌の色も自然にもとにもどるだろう。
瘡や、(文脈から推測すれば、これも起きていたと思われる)脱毛なども、
病気の治癒過程で、漢方などでいう「好転反応」、
まず悪くなって、それから治りだすという、
そんな現象が起きたものだと解釈すれば、話は通るのだ。
しかし単なる色黒だとすれば、これはどう考えれば、
起こりうる話として説明ができるのか。そう思って長らく首をひねっていたと
ころ、先般(06年5月)、『芸能界・ちょいウラ話』(綾野まさる著、桃園書房)
というムックを読んでいたら、森光子氏の項目にこんな話が載っていた。

森氏の肌の白さは有名だそうだが、実はそれは病気のせいだという。
15年ほど前、首にポツンと白い斑点ができ、それがだんだん広がって、
十年たったら全身がすっかり白くなっていた。
メラニン色素が正常につくられなくなって起こる、
尋常性白斑という病気なのだという。尋常性というからには悪性のもので
はないのだろうが、そのかわり、「太陽を浴びるのがダメと言われ、
ロケはみんなお断りして苦労しました」と書いてある。
「でもね、若い女優さんが、羨ましい、私も白くなりたいって言われて、
この頃は、このヘンな病気に感謝してるんです」とのこと。
「苦労してます」ではなく「しました」だから、ひょっとして太陽光も、
いまはもう大丈夫なのかもしれない。

無論この事例と上記の娘さんの事例は、途中経過や症状が異なっている
から、推理や解釈の材料としてそのまま使うわけにはいかないだろう。
「だけど、単なる色黒や色白は要するにメラニン色素の多寡によるもので、
こうやって、実際に全身が白くなった人もいるのだという事実は、なるほど、
この娘さんの話だってありうる話なんだなと思ってもらえるための
説明の背景として、使えるかもしれないな……」 
ぼくはそう思いつつ、故半村良さんの『石の血脈』に関する
創作秘話を思い出していた。人体が石化していく話を考えたのだが、
稀少中の稀少例としてでも、そんなことが起こりうるか否か。
半村さん、同等もしくはそれに近い病気や症例を探して、
医学書を多数チェックし、みごとに発見したという。
むこうは創作のため、こちらは解釈や説明のため。目的は違うが、
SF作家は思考の癖として、こんな具合に「裏付け」を求めたがるのである。

◎豆は本当に変わったのか
前回紹介した「雑嚢」で少しふれておいた、「うずら豆が小豆に変わった」
エピソードというのは、概略、次のような話である。
明治時代か大正時代か、甘党の先生が小豆の煮たのを食べたいと思い、
夫人にそう言って外出した。しかし帰ってみると、忙しかったので
煮られなかったという。短気な先生、思わずカッとなりかけたが、
ぐっとこらえて、それでは明日頼むと言っておいた。
ところが翌日も夫人は忘れていた。「無事では済まされまじきところなれど」
、腹を立てないということを修業項目のひとつにしていたその先生、
ここが辛抱のしどころと我慢し、明日こそと念をおした。
そして翌日帰宅すると、台所で豆がぐつぐつ煮えている。
願いがかない、これで怒らずにすむという嬉しさもあったので、
「やあ。今日は小豆を煮てくれたね」と声をかけた。
しかるにそれは小豆ではなく、夕食のおかず用のうずら豆で、
おまけに夫人は「小豆はおかずになりませんから」などと言った。

仏の顔も三度どころか、生来癇癪持ちの先生、怒り心頭に発したのだが、
いやいやこれこそ我慢の場だと思い、それにしても修業とはつらいものだと
「心中にむしろ泣きつつ」辛抱しながら、神前に座って祈念した。
するとそのうち、台所で大騒ぎが発生した。確かにうずら豆を煮ていたのに
、煮上がったそれが、味はもちろん形までも小豆に変わっていたのだ。
しかし自分たちだけにそう見えるのかもしれないと思い、
近所の人にも見てもらい、食べてもらったのだが、
うずら豆だという人は誰一人いなかった。著者福田先生の文章によるなら、
「腹を立てないということだけでも、信心の上から徹底的にやれば、
これ程の御比礼を見せて頂けるのは、恐れ入ったことではないか」
という話なのである。御非礼とはこの場合、あらたかな効験といった意味。
さて、そこでこのエピソードから、
どんな可能性が想定できるかであるが……

第一に、これは当人の作り話であるという可能性が考えられる。
夫人の態度や近所の人の反応云々もふくめて、何から何まで
この先生の創作であり、だからたとえば夫人に確認するだけで、
「え。そんな話、知りませんよ」と、たちまち虚偽が明るみに出たのだろうが
、「信じる」者たちはそれをせず、そのまま流布してしまったのだと。
ただし、ぼくは他の関連書籍で御当人たるこの先生の経歴や逸話を読んで
いるので、その内容から判断して、この可能性はないと思っているのだが、
神や宗教を否定する人なら、まずこう思うだろう。

第二に、周囲の尊敬の念による、期待のこもった雑談や噂話が
伝搬過程でエスカレートし、遂にこういう奇跡談になったのだという可能性
も考えられる。それがそのまま福田先生に伝わってしまったのであり、
福田先生も教祖教主や高徳の先生たちのそういったエピソードを
多々知っているだけに、「それくらいのこと、神さまなら簡単になされる」と、
嬉しくありがたく受け入れたのではないかと。
ぼくとしては、雑嚢や関連書籍の内容から判断して、これも違うだろうと思
っているのだが、以前書いた安太郎先生の空襲伝説の例もあるだけに、
「ひょっとして」と思う部分は残しているのだ。

第三に考えられるのは、豆は本当はうずら豆のままなのだが、
当人夫婦や近所の人たち全員が小豆だと思い込むよう、
視覚や味覚をはじめとする五感が、
神さまによって「操作された」という可能性である。しかしこれには、
「何のために、わざわざそんなことを?」という疑問が付随してくる。
当人の辛抱に対する御褒美、夫人へのいましめ、
近所の人にも「御比礼」を示すため等々、理由は想定できるけれども、
どうも何か浅薄な解釈だと感じてしまう。
また否定論者なら、神はそんな操作ができるのだという考え方自体を、
噴飯物であるとして断固受け入れ拒否するだろう。
しかしまあ可能性としては考えられるわけで、当方、人間の五感や意識は、
実に錯覚しやすい「いいかげん」なものだと実感しているから、
案外これが正解かもしれないなと考えたりもするのである。

そして第四に、本当に豆の味も形も変わっていたという可能性であるが、
これについては、「創造者」と「被創造者」や「被創造物」、
その関係から考えを進めれば、何かつかめそうに感じているのだけれど、
まだ思考が整ってないので、またの機会に書くことにする。

◎「雑嚢」
「理屈は理屈」のなかでも、またこの続考篇でも、
「関連書籍」という言い方をよく使っているが、これは勉強の過程で読んで
きた、教内出版物や宗教一般に関する参考書のことである。
そしてそのなかの一冊に、神奈川教会発行の「雑嚢」という本がある。
以前そこの教会長だった故福田源三郎という先生の著書で、
もともとは教内刊行物に連載された短文集。巻頭の「再版の序」に
「肩の凝らない読み物で、しかも信心の大切なところがよく示されている」と
あるとおり、随筆集や回想記として読んでも、無茶苦茶におもしろい本である。

なにしろ明治二十年生まれで、帰幽が昭和四十三年。
その間、明治後期の早稲田大学文学部に学んだり、
軍隊に入って赤羽工兵隊の軍曹になったり、
明治・大正・昭和、各時代の様相を示すエピソードが満載されている。
ユーモア精神も豊かな先生だったらしく、文章が軽くて、
取り澄ましてないところもありがたい。銀座生まれだそうで、別の本、
教話の速記録を読むと、「ナニナニでござんすね」などという言葉遣いも記録
されているから、ちゃきちゃきの江戸っ子だったのだろう。

で、とにかくおもしろい本だから、ぼくは何度も読み返しているのだが、
そのおもしろさには、非「常識」的なエピソードも数多く出てくるがゆえの、
興味深さも含まれている。たとえば、「ある人がうずら豆を煮ていたら、
それが小豆に変わった」という話がある。いやまあ、宗教や神を否定する人
はもちろんのこと、ぼくにしたって最初読んだときには、
「こんなもん、ほんまに起きてたら物質変換やないか。
どういうこっちゃ〜っ!」と叫びたくなったほどの、
とんでもないエピソードである。
そしてもちろん、いかに理屈屋の当方でも、
こんな現象が起こりうる可能性や筋道については、
いまだに仮説すら立てられていない。今後、断続的になるだろうが、
そんな話も、この「雑嚢」を出典として考えていこうと思っているのである。

◎ついつい考えてしまう
この宗教が他の事項同様、金銭に関しても何の「強制」もなく、
すべて自由意思にまかされているのは、著書に書いたとおりである。
そしてこれも少し書いておいたことだが、そうやってまったく自由ですと言わ
れると、逆に自分があれこれ考えてしまうのがおもしろい。
賽銭はまあ、他の神社仏閣に参拝したときと同じく、
小銭を入れておけばいいのだと思えるから、特に問題はない。
しかしお供えについては、やはりいまでも考えてしまう。
ぼくは普段のお供えは、月の初めに「今月も、どうぞよろしく、お願いいたし
ます」という気持ちで、自分で決めた額を封筒に入れて差し出している。
だが、仮に思いがけない臨時収入があったとか、
届け出ておいた願い事項がうまく進んだとか、そんなときにはふっと、
いつもの額以上を入れようかという気になる。
幸運が重なったときなど、倍額にしようかと思うこともある。
ところが、その気になったのならそうしておけばいいのに、
次の瞬間には考えてしまっている。

「自分で額面を決めてるのなら、それを守っておればいいのではないか。
都合が良かったから増やすというのなら、悪かったり、
収入が下がったときには減らしてもいいという理屈になる。
そんなことをあれこれ考えること自体がいやらしいと思えばこそ、
お前は額面を決めたわけなんだからな」
→「いや。それはそうなんだけど、悪いときでも減らさず、かつ、
良いときに増やせば一番いいのではないかとも思うわけで。
それはまた自分にとって、ひとつの稽古になるのではないかとも感じるし。
目先のちっぽけな欲を放して、そんなことにはとらわれない
心の姿勢を固めるという稽古にな」
→「そう思うなら、そうすればいいじゃないか。にもかかわらず
こんなことを考えてること自体、全然放せてない証拠だろうが」
→「でもまあ、そこに気がつくんだから、まだましじゃないかとも思うわけで」
→「まだましだろうと思うこと自体が、いやらしいぜ」
→「それはそうなんだけど、いやらしいとわかるのも、
まだましな証拠じゃないかと思うわけで」
→「うわあ、いやらしい。おまえ、要するに小物だな」
→「でもまあ……」などと、どこまでいってもきりがなくなる。

そしてそうやって堂々巡りをやっている自身の思考を、
「人間の考えることって、おもしろいもんだなあ」と、
第三者的に見ている自分もいるわけなのだ。
で、結局どうしているのかといえば、そのときどきで結論が変わっている。
堂々巡りで定額派が勝つときと、随時増額派の勝つときとがあるからだ。
そしてもちろん、これらはすべてぼくの内心の動きであって、
教会側は、出そうが出すまいが、増やそうが減らそうが、
そんなことには何ら関係なく、いつもどおりの対応姿勢を取る。
「それは、出させるための高等戦術ではないのか」、などとは言うなかれ。
まったく出さなくても、本当に何も言われない。
教義上、言うような先生は、大した先生ではないのである。

◎申し訳ないし、面はゆい
SF作家仲間の森下一仁氏が、毎年そのホームページで、
前年度のベストSF(海外・国内)を選定する公開投票をやっている。
そして、もっか2005年度版が発表されているのだが、
何と国内の部がこういう結果になっている。

1 『ストリンガーの沈黙』       林 譲治 (7.5点)
2 『理屈は理屈 神は神』      かんべ むさし  (5点)
3 『ある日、爆弾がおちてきて』   古橋 秀之  (4.5点)

ただしぼくの2位は、ある一人の推薦者が一挙に5点をつけた結果であって
、他の作品は複数の推薦者の1点とか2点を合計したものだから、
どうも申し訳ない気がする。推薦者の多さということでいえば、
下位の作品に複数票を獲得したものがいくらもあり、
そのほうが「ベストSF」の主旨にかなった作品であろうと思うからだ。
また、当方の作品に対する推薦理由は、こういうことになっている。
『SFの根源たる宇宙的絶対存在について暗に言及しつつ、
個のインナースペースの変質を語った日本SF大賞受賞作家の問題作!』
そう言っていただけるのは嬉しいし、確かに作品の視点や内容などに、
SF作家だからこそ、こう見られた、ああ書けたという部分もあるのだが、
う〜ん、面はゆいですな。

◎女は神に近い
教典のなかに「女は神に近い」という教えがあって、
これは「心」や「想い」の特性において、男性よりは女性のほうが、
神と称される存在の特性に近いという意味だと思われる。
別の言い方をすれば、「母性というものは神の想いに近い」ということかも
しれない。ただし当方、慈母と同じく慈父という言葉もあるのだから、
男性だって同等だろうと思ったのだが、いまふっと思いついて、
厳父と同じくゲンボという言葉はあるかと入力変換してみたら、
原簿しか出てこなかった。厳しい母親はいくらもいるだろうが、
一般名詞にはなっていないのだ。なぜだろう。
その厳しさは母性に裏打ちされたものだからということか。しかし鬼のような
母親は、今の世の中に限らず、昔から大勢いたはずだがなあ……

で、それはともかく、関連書籍には概略次のような話も載っている。
すなわち、宗教者になるため心の修業を進めていくと、その途中、
男性でも性格が女性化するのか、嫉妬心が強くなるといったマイナス反応
も出てくる。これを、宗教人としての我という意味か、
それとも性格や気質のなかの宗教面における我という意味なのか、
「宗我」と称するそうだが、その段階を乗り越えると、清濁併せのむ、
広くて深い慈愛の心が固まってくるというのである。
何にせよこの意味での「女性」問題、興味深いので、
また考えることにしよう。

◎むつかしいなあ
三島由起夫対談集『源泉の感情』(河出文庫)のなかに、
僧侶であり作家でもあった武田泰淳氏と、『豊壌の海』第三巻、
「暁の寺」について議論している部分がある。
三島 「だけれども僕の中では、空(くう)を支える情熱なんて
ないのですよね。信仰者じゃないから。もし僕が信仰者なら、
そこでつまり転換して、こんどは空を支える情熱のほうにいくでしょうね。
ところが、空を支える情熱というのは、信仰以外なんにもないでしょう。
おそらくね」(〜中略)

三島 「僕は遠藤(周作)君の『白い人』『黄色い人』という小説を
書評したことがあるんですけども、やっぱり信仰が介在してくると、
小説の形象を破壊しちゃうしね。それから、描写は無意味になるしね」
武田 「そう。信仰を対象にして成功する唯一の途は、
信仰が破壊していく過程を書くということですよ。いままで全部そうです」
三島 「そうですね。『沈黙』がそうですね」
武田 「アナトール・フランスでも、遠藤さんでもそうですよね。
そうしないと信仰そのものでは、絶対に小説にはならない。
信仰そのものだったら書かないわけだ、ほんとうは。
書くということは、すでに裏切ったことなんだからね」

この議論中、「空を支える情熱」は、漠然とながらわかる気がするのだが、
正確に説明しろと言われたら、ぼくにはまだできない。
「小説の形象を破壊しちゃう」は、一応わかる。「描写は無意味」というのも
、多分、こういうことだろうなという解釈はできそうに感じる。
「信仰そのものでは、絶対に小説にはならない」は、
片足を多数派世界に残そうと思っている者として、よくわかる(気がする)。
「書くということは、すでに裏切ったこと」については、
裏切ったという言葉の、意味の規定によるのではないかと思う。
しかし、何にしてもむつかしい。それはあたりまえのことで、
この議論の背景になっているのは、難解の極致とされ、
「暁の寺」のベースにもなっている、唯識説なのだ。

◎多分、それが正解でしょうね
偉い人、立派な人、皆が尊敬している人には、
死後当然のごとく、「伝説」が生まれる。
安太郎先生にもそれはあるのだが、玉水の三代教会長は、
逆にそういう傾向をたしなめる人だった。たとえば、
「現在の会堂を新築するとき、安太郎先生が山で選んできた檜は、
製材して梁や柱にしてみるとフシがひとつもなかった」という話について、
教話のなかでいわく。
「信者さんがそう言ってくださるのはありがたいけど、そんなことありません。
表側から見えないだけで、裏側にはいくらでもフシがありますよ」
宮大工がそういう具合に材木を使ったということで、
聞いていた一同、どっと笑っていたのだ。

また、安太郎先生が亡くなったのは昭和19年だが、
翌20年3月の大阪空襲時、中之島一帯も丸焼けになり
対岸の西区にも火が迫ってきた。そのとき
「安太郎先生が教会の大屋根に立って、大幣を振っておられる姿を見た。
あれで、教会もその周囲も焼けずにすんだのだ」という伝説もある。
これは信者だけではなく、近くに住む人たちにも目撃者がおり、
いまでもそれを言う老人がいるのだという。
しかし三代教会長いわくは、
「そう言っていただけるのはありがたいことだし、
いまだにそう言ってもらえるというところからも、
安太郎先生の徳の高さを思うのだけれど、
そんな馬鹿なことはないのであります」

で、例によって当方、この伝説についてあれこれ可能性を推理した。
たとえば、人々が「期待の幻影を見た」のか。
あるいは、「焼け残ったのは、高徳の霊になった安太郎先生が
防いでくれたからだろう。そうに違いない」といった会話が、
いつしか映像化され、遂にはこの眼で見たという話になったのか。
それとも、本当に霊が働いている姿が見えたのかといった具合にである。
しかし、現在の玉水教会の先生から、次のような話を聞いてアッと思い、
これが正解だろうと感じた。すなわち、当時の玉水には、
安太郎先生の係累者で、その若い頃とよく似た顔かたちの
先生がいたという。その先生が大屋根に上がり、
「防火用の火叩きで焼夷弾の火の粉を払ったりしておられた、
その姿を見間違えたんと違いますかね。暗いなかで見上げたら、
火叩きが大幣に見えても不思議はないでしょう」
火叩きというのは、竹や棒の先に細長い布きれをたくさんつけ、
それを水に漬けて使うものなのだが、戦後生まれの限界で、
ぼくは推理材料としてそれを思いつけなかった。
なるほどなあと得心し、実は安太郎先生の孫にあたる、責任役員の
先生からそんな推理が出たことに、安心もしていたのである。

◎うろたえ反応と信用度
以前、玉水教会の門を出たところ、むこうから数人の人が来たことがあり、
その先頭の人物は温和な顔で眼鏡、ぱりっとしたスーツ姿で太り気味とい
う人だった。頭頂はひかっており、頭側に残っている髪も白髪気味である。
そしてぼくは、一瞬の視認で相手は知っている人だと感じたのだが、
どういう知り合いだったのかが思い出せない。
姿形や雰囲気からどこかの会社の部長か重役だと思い、
広告マン時代の仕事関係者が年月を経てそうなったのか、
それとも中之島の朝日新聞社ビルも近いので、学芸部の偉いさんだったっ
けと、ほんの数秒ながら、人物特定ができなくて頭を混乱させていたのだ。

だが次の瞬間、それは銀座教会の教会長、湯川信直先生だとわかって、
うろたえていた。ただし、知っている人だと思ったのは、
祭典のとき列席され、そのあとの教話を受け持ったりもしておられたから、
その姿や顔が記憶に残っていたためで、
御面識をいただいているということではない。
そして人物特定ができなかったのは、記憶にあるのが装束または
黒紋付きの羽織袴姿のみで、スーツ姿は初めて見たからだったのだ。
それで、どうなったか。わかった瞬間、うろたえたぼくは、
直立不動に近い姿勢になって、ぺこんとお辞儀をしていたのである。
その姿がおかしかったのか、先生は笑いながら「こんにちわ」と言ってくださ
ったのだが、あとで考えたところ、自分が前にも、
それと同じような経験をしていたことを思い出した。

梅田の北、茶屋町の東急ホテルの前を歩いていたとき、
すぐ近くの毎日放送からの帰りなのか、桂米朝師匠が
落語作家の小佐田定雄氏と二人だけで、歩いてこられた。
こちらは顔なじみの小佐田氏が来たことはすぐわかったのだけれど、
そのとなりの人物が米朝師匠だとは、これまた数秒ながら、
気がつかなかった。長年の見聞で師匠の移動は車だと思い込んでおり、
高座が終わればすぐ洋服に着替えられることも知っていた。
そのときは着物の上に和装コートという、初めて見る姿だったので、
日舞か小唄か歌舞伎か、そんな分野の人かと思ったのかもしれない。
また移動はほとんど、事務所の社長と一緒だという先入観もあったのだ。
だから師匠だと気づいてうろたえたぼくは、直立不動に近い姿勢になって
ぺこんとお辞儀をし、米朝師匠は笑いながら挨拶を返してくださったのだ。

そしてその経験を思い出したぼくは、こう思っていた。
「なるほど。うろたえたとき同じ反応を示したという意味において、
おれは銀座の湯川先生に、米朝師匠と同じくらいの
敬意を抱いているというわけだな」
自分が教えや教会やそこの先生を、
どの程度「信用」するようになっているかがわかって、興味深かったのだ。

◎本当に「悟った」のか。それとも?
五味川純平氏の大作、『戦争と人間』。その「髑髏の舞踏・第五部」では
2・26事件が扱われており、文中には、叛乱軍に参加して銃殺刑に処せら
れた、竹島継夫という中尉の遺稿も一部引用されている。
少し長くなるが、最後に紹介するものとの
落差を知ってもらうためであるから、まずは一読を願いたい。
仮名遣いは、現代式にあらためさせていただく。

『六月二十八日。青空が仰ぎたい。太陽の光を全身に浴びて、
大地を心ゆく迄踏みしめたい。すがすがしい新緑の木の葉の匂いを
肺臓一杯吸いたい、そうして精一杯働いて働き抜きたい。
人はすべてを失ったとき此の心が湧く』
『(同日)死ぬ気で飛び出して、ぱちぱちやった時は平気で死ねた。
又戦場でも同じだ。然しお前が悪かったと言われて、死刑となるときは
未練が出る、然も自分は悪いとは思わぬのに。ぴんぴん躍動している私の
目前に、死刑を控えた時、その死は厳然として巨人の様に思えた。
少しでもその前でふらふらした行動を許されぬ。
逃れんとしても嫌だと言っても、死という巨人は私をつかんで離さぬ』
『(同日)女々しいと笑わば笑え、今の私は死にたくないというのが本音だ。
最後まで生きて親孝行がしたい。名も官位も何もいらぬ、
親の傍で暮らすこと、これぞ現世至上の幸福だ』
『六月二十九日。死の直前!前途は真暗だ。
此の一身が崩れたら後は燈の消えた様に、ふっと無くなるのであろうか、
或いは肉体が滅しても、魂というものが残るのかしら、
或いは又生まれ代わって他の生を受けるのかしら、一切判らぬ』

『七月四日。今日は久しぶりで太陽の光がさす。七月の陽光、
そよそよと吹く風に房内は気持がいい程だ。そよ風を吸うた。
監房の格子に顔を押しつけ鼻を出して胸一杯に吸うた。
なつかしい匂いがする。海の匂いがする。山の樹々の匂いがする。
雀が二、三羽、陽ざしの芝生で嬉しそうに遊んでいる。
雀になりたいなあ!!』
そしてその翌日、一審制控訴なしの特設軍法会議で、
彼は死刑の判決を受ける。
『七月五日。之を書き乍ら母を思い、最早此の世でなつかしい母や弟達と
愉快に談笑する事が出来ぬと思うと、不覚にも涙が出て止まらない』
ところが、ここからが読んだ当方の愕然とした部分であるのだが、
そのあと日記はがらりと変わる。五味川氏の文章を借りれば、
「夕刻に至って、彼は突然解脱するのである」
『七月五日午後五時半、突如天の啓示あり。吾れ信仰に入る。歓喜す』
『昭和十一年七月五日午後五時半、無限の苦痛より脱し、
無限の幸福感に入る。今まで実際苦しかった、が、すべてを解脱した。
最早何の障りもない、円融無碍、このままぢゃ、このまま仏になった、
何と慶ばしきかな』

で、これをどう解釈するかであるが、初読時まず思ったのは、
この中尉には「武」だけではなく、「文」の感性も
そなわっていたのではないか、あるいはひっょとして、
本当は「文」の人が道を誤ったのではないかということだった。
なぜなら、七月四日までの文章、正直であり、迷妄や苦悩と格闘しつづけ
ており、かつ獄外の「生」の世界に関する観察や描写には、
鮮烈さとオリジナリティがあるからだ。
だが、七月五日の文章は何としたことだろう。
それまでの「青年」が、突如として「老僧」になっている。
「魂というものが残るのかしら」という疑問や、心からの叫びだと思われる
「雀になりたいなあ!!」の素直さ、正直さと比べて、
ここだけは旧仮名使いを残させてもらったのだが、
「このままぢゃ、このまま仏になった」という表現はいったい何なのか。
「残るのかしら」「なりたいなあ」と言っていた青年が、
解脱したからといって「ナニナニぢゃ」とは……

そこで例によって理屈で可能性を考えれば、
とりあえず次の三つの場合が考えられる。
1)方言や時代の風潮などで、彼はもともと「ナニナニぢゃ」という言い方を
しており、それまでの文章では出なかったそれが、
ぎりぎり最後になって、ナマで出たのだ。
2)本当に悟って解脱すると、年齢や立場に関係なく、
頭のなかにはこういう言葉が自然に出てくるのであり、
解脱者にとって、これは何ら不自然ではない文章なのだ。
3)迫り来る死の、恐怖と重圧が精神面での耐性を越えたため、
「脱出路」を求めつづけていた彼の無意識層が、
遂に一種の飛躍跳躍をして、この世界へと逃避した。
したがってその文章は、彼が意識せぬままの、
正真正銘真実の吐露であると信じ切ったままの、
「かくあるべき」像にのっとった定型文章なのだ。

このうちの、どれが当たっているのかはわからず、
他にも可能性はあるかもしれない。
また、五味川氏はこのあと、『竹島はこの前後に解脱の心境を書いている
が、「雀になりたいなあ!!」の一句には及ばないようである』と書き、
しかし哀切の念からか、『確実に死の手に握られた者を
常人の立場から想像するのは、自ずから限度があるせいかもしれない』と、
フォローしている。そしてぼくもまさに、「雀になりたいなあ!!」こそが、
彼の本音の叫び、真情の吐露だと思う。
だから、自分では3)を採用しているのだが、2)である可能性も
残しておかなければとは思っているのである。
なお、3)であったからといって、それは恥ずべきことでも何でもない。
まことに人間的な、ある意味では、感動すべき心理反応である。
もしそれを恥ずべきこととし、故人に対する侮辱であるなどといきりたって、
正解は絶対に2)なのだと叫べば、「文」の側から見て、
それこそが恥ずべきことになる。そして本当の「武」は、
そうは叫ばない立場にたっているはずなのである。

◎枝雀理論と信心
書籍のなかで、ぼくはこういうことも書いておいた。
「どんな異世界、特殊領域に入っていようと、片足一本、
たとえ爪先だけでも、外の多数派世界に残しておくのが、
作家と称する者の立場だと思っている」
実は、このたとえには原典があるのであって、
それは桂枝雀師匠の「座布団」理論である。

破天荒な芸で知られた枝雀師匠は、大変な理論家であり、
実験精神も旺盛な人だった。あるときには、
高座の座布団が持つ限定性に着目し、こういう説を立てた。
「落語は、演者が座って動かないという制約があればこそ、
無限の広がりを出せる世界である。だから、仮に座布団から離れて
舞台上を移動したら、自分の思う落語ではなくなってしまう。
立ちあがるとか、後を向くとか、どんな無茶をやるにせよ、
最低限の制約として、座布団から離れてはいけない。
足の指一本だけでも、それにかけておくべきなのだ」
実際には、たとえば「紙屑屋」のように、演者が座布団から離れ、
中腰で舞台上を小さくまわるという、そんな演出をとっているネタも
あるのだが、枝雀師匠が思うところの落語は、上記のようなものだった。
そして、その説の効果効用を確認するためか、噺の途中で立ちあがり、
本当に片足の爪先だけ座布団にかけて、しゃべったりした。
扱う分野や内容は違うものの、この論を裏返せば、自分の考えていること
がわかりやすく表現できると思い、拝借したのである。

師匠には、「変わってこそ、変わらず」という理論もあり、
それは古典落語の持つおもしろさ、すなわち、おかしさや情や豊さを
現在の客に伝えようと思えば、骨格や本質は踏襲しつつも、
随所を変えていくべきなのだという説。
いわば方程式における変数であって、「おもしろさ」という答を一定に保つた
めには、時代や社会状況や客の意識という変数部分をつかみ、
伝達内容や方法を随時それに対応させていかなければならない。
そうやって変えてこそ、そのネタ本来の魅力が、そのまま伝えられるという
考え方なのである。そしてこれは、教義の伝達効率や内部用語問題など、
信心世界にもあてはまることがらだと思うのだが、どうだろうか。

◎まことの恋
教典のなかに、教祖のこういう言葉が載っている。
「たとえて言えば、女でも、いよいよ一心を打ちこむ男は一人しかいない。
この男こそと思うたら、心の底から一心を出して、
身も心も打ちこんでしまうのでなけりゃ、まことの恋ではない。
他の男を見下げるのでも、嫌うのでもないけれど、わが身も心も打ちこんで
いきたいのはこの男であるというのでなけりゃならぬ」
だから信心についても同じようにと教えは進むのだが、これは決して、
自分が説き聞かせている神をその対象にせよと言っているのではない。
多々ある神仏、そのどれをもくさすことはなく、
どこでも自分の好きなところに信心すればそれでいいのだけれど、
する以上は、こういう心持ちにならなければ
「思い」は通じませんよと言っているのである。

で、それはそれとして、初めて読んだとき、
「恋」という言葉が使われていることに驚いた。
もちろん、古語辞典をひけば「こひ」として用例がたくさん載っているから、
古くから使われていた言葉であることは間違いない。
しかし、上記のたとえで言われている恋には、
近代的もしくは現代的なニュアンスを感じて驚いたのだ。
それとも、江戸末期から明治初期にかけての女性のほうが、
熱い恋をしていたのだろうか。信心には直接関係のないことではあるが、
おもしろいなあと思ったのでちょっと。
なお、「多々ある神仏」については、当方の書籍中で、
遍在意思たる究極の「神」と、それに認めてもらえた「準神」という、
仮説的分類をしておいたので、念のため。

◎なぜ、「いかん」のか?
信話集のなかに、たとえば信者が献金したり作業奉仕したりしていても、
それに対して先生や教会長が、「礼を言うたらいかんのだ」
という部分がある。また、修業生が一生懸命に励んでいても、
「ほめたらいかんのだ」という部分もある。どちらも、
内心ではそうしてやりたくて、つい口から出そうになってもというニュアンス
が含まれていると感じたのだが、では、これはなぜ「いかん」のだろう。

まず考えられるのは、献金や奉仕は教義上、
神さまに対してなされている行為であるのに、それに礼を言えば、
先生や教会長が自分に対する行為だと思っていることになってしまい、
筋が違うし、慢心にもつながるからだということではなかろうか。
無論、神さまに対してという思いを本当に持てる人は少ないだろうが、
たとえ信者が先生や教会長のためにと考えていても、
あるいはその行為で誉めてもらおうとか、印象を良くしようとか
打算的な思いを持っていても、こちらは厳として、
それを神さまに対する行為だと見て、筋を通さなければならないのだと。
だから、この場合どうしても礼を言うとすれば、神さまに代わって、
その代理として言うという姿勢が必要になると思うのだ。
修業生を誉めるのも同様で、自分が誉めたら、
自分が神さまの立場にたつことになってしまうからではないか。

そしてもうひとつ考えられるのは、信者や修業生のそれらの行為を、
仮に「善因を作った」もしくは「作りつつある」行為だとみなせば、
それが礼や誉め言葉という「善果」によって、
完結してしまうからではなかろうか。完結すればチャラになり、
プラスマイナスがゼロになり、蓄積ということにつながらない。
善因を作りつづけていても知らん顔で放っておけば、
それが神さま世界において少しずつでも蓄積され、
この宗教で言うところの「徳」になっていく。そしてそれが一定の量か質か
に達したとき、どかんと大きな善果になって帰ってくる。
そのほうが信者や修業生にとって「得」なのだから……
 というような構造を考えたのだが、いかがなものか。

ちなみに、この思考のヒントになったのは次のような事実である。
すなわち、人に何かをおごってもらったとき、われわれは
「ありがとうございました」とか「ごちそうさまでした」と礼を言う。
そしてその一言でもって、おごったおごられたという
その場の両者関係は完結するのであり、
そこに金額やメニュー内容による差異は関係してこない。
つまり、恩に着せようとか商売に利用しようとか、別の意図を秘めたおごり
でない限り、「ありがとう」とか「ごちそうさま」という礼の一言は、
コーヒー一杯に対しても牛丼に対しても、さらには高級クラブや一流料亭に
対してでも、それぞれの恩義に匹敵する「お返し」価値を持って働き、
そのことがらについての関係を完結させてしまう。
現実のおごりおごられ関係はそれでいいのだが、上記の善因善果関係に
ついては、それで完結させてしまったらもったいないし、気の毒でもある。
だから、大きな善因を作りつつあればあるほど、
礼を言わずに放っておいたほうがいいのではないか、
いやむしろ放っておくべきなのではないか。とまあ、そう考えたのだ。

◎唱えることの意義とは?
書籍中でぼくは、大勢で何かを唱えるという行為が、
あまり好きではないと書いた。その理由として、それによる思考停止や
一律全体規制を、警戒する人間だからだとも書いた。
そこに追加しておくなら、黙読と比べて、内容理解に関する「うわすべり」
すなわち、唱えることで「わかった」ような気になってしまうという問題も、
発生しやすいからだと思っているのだ。
また、前々からこういう疑問や不審の念も持っている。

「たとえば仏教のお経だけど、あれ、意味もわからんまま暗記したり唱えた
りすることに、どんな意義があるんだ。どんな効果効用があるんだ?」
もちろん、「如是我聞」式のお経なら、意味はわかる。
「私はこのように聞きました」であって、そのあとの文章も、
漢字を順に解読していけば、おおよその内容はつかめそうなのだ。
だが、「ぎゃあていぎぁていはらぎゃあてい」とか「あびらうんけんそわか」と
かは、いくら漢字を凝視しても意味のわかるわけがない。
なぜならそれらは、古代インドのパーリ語だかサンスクリット語だか、
それによる音声を中国語で類似発音されていた文字で表記し、
それをまた日本語の発音で読み下しているだけだからだ。

つまりこの場合、善男善女が経文を見ながらそれを唱えているとしても、
文字面からも発音面からも、内容は絶対につかめない。
つかもうと思えば、日本語訳を読むか、上記の古代語を学習するかしなけ
ればならないのだ。だからその、「わからんことをひたすら唱えている」とい
う行為に意義を見いだそうとするなら、それは、
「何だかわからんままであるにもかかわらず、それをありがたい言葉なのだ
と思い、唱えれば助かるのだと信じきっている、その心に安心安堵が生ま
れるのかもしれないなあ」、というあたりにあるのかもしれない。
けれども、そこまで信じきれている人はごく少数であるはずで、まず内容や
意味を理解してから唱えるほうが、はるかに有効有益だと思うのだ。

ただし、もうひとつ意義を見いだせるのは、当方の書籍中に書いておいた
「うなり音」による幸福感であって、それが唱えること本来の目的であり効
果効用であるのなら、それはもう、内容にも意味にもこだわる必要はない。
むしろ、そんなものわからんまま唱えるほうが、
脳が良い意味での「思考停止」状態になって、
奥底からのひらめきが生まれやすくなるかもしれないのだ。
もっとも、そうなると宗教である必要はなくなり、皆でハミングしたり、
未知の外国語の歌を唄いつづけたって同じことになるはずだけれど。

さて。というところで、この宗教の拝詞であるが。
神道の祝詞同様、文語体とはいえ日本語で書かれているから、
読めば意味はわかる。だからぼくにおいては、その意味を考えていくことで
用は足り、唱える必要性は感じないのだが、どんなものだろう。
それとも、「うなり音」を経験できる貴重な場ととらえばいいのか。
以上、ちょっと論旨未整理なれども、とりあえず。

◎教義の解釈と分派分裂について
教祖の時代以来、高徳者となった先生が、自己の個性や人生経験、
そしてまた修業体験を土台に、教えを伝え広めてきた。
そのため関連書籍によれば、教会(当方の書籍中の言葉で言えば、一門)
によって、他とは正反対や、それに近い解釈を生みだしている事項もある。
その代表例が「霊」に関することで、教祖は明らかにその存在を認めている
のだけれど、現在否定している一門もあるし、教団本部発行による教義解
説書にも以前、否定的な見解が記載されていた。
だが、ぼくがそれを読んだ印象によれば、何かこじつけ的な雰囲気があっ
て不自然だった(その後、改訂版が発行され、そこでは認められている)
安太郎先生は認める側で、ぼくは信話集に記録されたそれを、
自然で受け入れやすい説明だと思っているのである。

何にせよ、同じ教内で正反対のことが説かれている例があるわけだが、
それが分派や分裂につながらなかったのは、「祈念の三要素」に関する
力点の違いと同様、そこにも基礎は同じだという認識があったためか。
それとも、その面でもこの宗教が寛容で、教義の敷衍や展開を
広い枠で認めるためか。あるいは、神と人とをつなぐ立場における、
教祖教主と自分との関係構造上、分派はありえないことになるからか。
このあたりも、じっくり考えていけば、何か発見がありそうなのだ。

なお厳密に言えば、分派分裂が皆無だったわけではなく、
本部で権威権限をめぐる内紛があった戦前、トラブルを起こした当事者が、
後日教団から離れ、類似の名称で別の宗教を興したという。
その後、そこがどうなったのかは知らないが、教団本体としては、
まだ大分裂はないのである。
ちなみに、これらのことを世間一般の人が聞いたら、「たわごとをめぐって、
コップのなかの争いをやっておるわい」と冷笑するだろう。
ぼくは、上記の問題内容をたわごととは思わないが、
コップのなかの争いだという部分には同意する者である。

◎作家の能力、要注意
安太郎先生の言葉。
「理屈がいかんとは言わん。言いたかったら言いなはれ。しかし、
そのためには夜も寝んと考えて、血の小便を出すくらいのことしてますか。
してると言うなら、それを修業のはしくれやと思うてもええが、半分遊んでる
ようなことしておって、家業の行やなんて生意気なこと言うたらいかん」

と、こう書くと、信話集の熱心な読者は、「はて。この言葉は第何集に載って
たっけ」と首をひねりつつ、あらためてページを繰るかもしれない。
しかし申し訳ない、じつはこれは、ぼくの大脳がこしらえた言葉。
「理屈は理屈〜」の末尾で、「当方、SF作家と称して世渡りしておりますの
で、理屈を言うのは、家業の行としてお認めいただきたく」と書いたとき、
それに対して安太郎先生からは、
こんな言葉が帰ってくるのではないかなと思ったのだ。
というのが作家の常として、特定人物の言動を記録した本を
何度も読み返していると、その言葉や視点が頭に残って整理され、
法則性なども見えてきて、「この人は、こういう場合には、
多分こう言うだろうな」と見当がつくようになってくる。
それが当たっているかどうかは別であるが、しゃべり癖などもそなわった
言葉として、頭のなかで相手と会話ができるようになったりもする。
作家が小説のなかで、複数の登場人物に自由に会話させることができる
のは、この訓練を積んでいるからなのだ。

しかしこれは、信心分野においては要注意、もしくは道を誤りやすい危険な
能力だと思う。故人たる高徳の先師の声を頭のなかで聞き、会話などもし、
それをもって自分に何か特殊な力がそなわった、あるいは、そんな力がそ
なわるだけの高いレベルに達したのだと思ってしまいやすいからである。
まして、神や仏を相手にそういうことをした場合には、危険性はさらに増す。
作家でなくても、この種の会話を組み立てられる人間はいくらもいるわけで
、怪しい宗教、危ない教団の「教祖」のなかには、
そういう人間が少なからずまじっているのではないかと思うのだ。
だからぼくは、実は「ひょっとしてあれは」と思う声を
頭のなかで聞いたことが何度かあり、まさに「ひょっとして」と
思ってもいるのだけれど、自分における客観的判定としては、
自身の大脳が勝手に作った言葉だと考えている。
「間違いなくあれは」と思えるのは、たとえば誰にも絶対に予知できない
未来事項を聞き、それが後日そのとおりになったとき。
そしてそれを、何度も何度も体験してからなのだ。

◎同類異種の意識状態
教会へ行って座り、自分で祈ったり願ったりする。そのとき
次から次へと雑念がわいてきて、意識の集中ということがなかなかできな
いのであるが、書籍中にも書いたごとく、ぼくは過去の願望達成体験時、
および作家になってからの執筆時には、それを経験している。
そしてその意識状態は、概略こういうものだと言うことができる。

特定の事項が頭にとりつき、四六時中、思いつづけている。
夢の中でも考えており、ほかのことに意識を移しても、
気がつくと思考がそちらにもどっている。
別の問題を考えるのは苦痛であるが、
その事項に関してなら五時間でも十時間でも取り組めて、
何もしないより、このほうが楽だと感じてしまう……

つまり、普通の意識状態なら、放っておくと頭はあれこれ多様なことを考え
だすのだけれど、こちらは、放っておくと特定のことを考えだす状態。
潜在意識がその問題に固定され全力稼働しているからであって、
作家になってからは、作品を書くたびにこの意識状態を経験しており、
長編を書いている最中など、人相まで変わってしまうのだ。
そこであるとき、ある先生に「執筆中はこうなるんですが」と言ったところ、
先生いわくは 「そんな状態を知ってるのなら、御祈念のときにもそれを使
えばいいのに」 う〜ん。それはそうなんでしょうけどねえ、なのだ。

ところで、上記は祈念時と執筆時における
「望ましい」意識状態であるのだが、それとは別で、同じ意識状態になると
いう症候、あるいは、常にそうなっているという人もいる。
統合性失調症(旧称、精神分裂病)の妄想保持者であって、
これが上記と同様の意識状態であることは、ぼくが身をもって経験している
。架空論理を徹底的に追及していく思考実験的なSF小説を書いていたとき
、日常的には明らかにおかしいと判断されるに違いない、
まさに妄想保持者と同等の思考や感情反応が起きていたのだ。
そして、ぼくはそれをおかしいと判断できる部分を意識内に残しており、
書き上げると同時にそれらの妄想反応も消えたのだけれど、
疾病としての保持者はそうではないと思われる。
その彼が、神や宗教、世界の終末や救済を説きだすこともあるので、
話がややこしくなり、社会に迷惑や混乱をもたらす場合も出てくるのだ。

ならば、その妄想型宗教家と本当の宗教家とを、
どこで見分ければいいのか。キリストだって釈迦だって、
前者だったと言えば言えるのではないのか。
ぼくの場合は、「常識」と「良識」および、その教義が「時間」というものに
長くさらされても生き残っているかどうかでチェックしたわけだが、
原理原則としての判断基準は何なのか。それが確定できれば、社会に対し
て有効有益なモノサシを提供できることになると思うのであるが……

◎「笑い」生産者の礼儀感覚
笑いの小説を書いている者として、ぼくは宗教をその材料にしたって
少しもかまわないと考えており、こういう冷笑的な思いも持っている。
「ちょっとネタにされたり、茶化されたりしたくらいで、価値が崩壊したり、
権威に傷がついたりしますか? するというのなら、そんなもん、
もともと大した宗教ではなかった証拠でっせ」
しかし一方、教会へ行ったとき、他の参拝者の態度に
眉をひそめるという感覚もある。

たとえば、長椅子に座って正面の拝殿を眺めながら、
片足をもう一方の脚に乗せている人を見ると、
「何もわざわざ、こんなところで脚を組まなくてもいいのにな」と思う。
背後で賽銭を乱暴に投げ込む音がすると、「おいおい、邪魔くさそうに投げ
るなよ。嫌やったら、出さなくてもええねんから」と言いたくなる。
会堂内で帽子をかぶったままという人には、通常のエチケット面とともに、
やはり何か、失礼無礼なのではないかと感じたりするのだ。

無論、それらは人の自由であり、教会の先生がいちいちとがめたり
注意したりするわけでもない。ぼくも内心でそう思うだけで、
口に出したりはしないのだ。けれども、感覚として、どうも割り切れない。
手前味噌を承知で書くなら、宗教を笑いのネタにするとしたら、
本気で取り組んだ先の表現手法としてであるが、
これらには、その「本気」姿勢が感じられないからかもしれない。
湯川誠一先生の本に、伊勢の宮大工が普請をしている最中の白木の床に
、土足で上がった信者がいたという話が載っている。
これなど、ぼくの感覚では到底理解できないことなのである。
織田信長的な人物が上がるのならわかるけど、信者がとなるとね。

◎九雀さんとの対談、その2
桂九雀さんとのラジオ対談では、こんな会話もあった。
か「自然科学というものは、実験にしろ観察にしろ、
再現性がなければならんのよね」
九「ああ、わかります。はい」
か「誰が試したって、水を熱したら、通常、百度で蒸気になります。
誰が観察したって、土星のまわりには輪があります。
そんな具合に、同じ条件下においては、
常に同じ結果が出るものを扱うのが自然科学なんです」
九「はいはい」
か「ところが、いわゆる超能力問題なんかで、たとえば、
疑う人が横にいたら超能力を発揮できないとか言うでしょ。そしたらこんな
の、科学的な実験も観察も成り立たなくなる。自称超能力者が実験に失敗
したとき、おまえが疑ってたからだなんて担当者に言ったら、喧嘩になって
しまう(笑)。だから普通、そういうものは科学では扱わないのよ」

九「なるほどね。けど、疑う者が横におったら発揮できんというのは、
実はその能力がないからだとは思わないんですか」
か「それは考え方が、可能性としていくつかある。つまり、まず第一に、
その人が嘘ついてるということね(笑)」
九「能力がないということですね」
か「で、二番目が、能力が弱くて、ちょっと横に人がおる程度で
気が散ってしまって、精神集中できないということ。そして三番目が、
超能力というものは本当に、疑う人がいたら発揮できないものかもしれんな
という、少なくともみっつの可能性がありますわね」
九「じゃあ、かんべむさしとしては、
そのうちの、どれやと思うてはるわけですか」
か「いや。これは、そのうちのどれだと決める問題ではなくて、
たくさんの事例を調べなくちゃいかんのです。
たくさんの事例を調べていくなかで、この人の場合は、嘘だった。
この人の場合は、能力が弱かったらしい。しかしなかには、
どんな妨害があろうが、みごとに能力を示した人もおるとか。
そんな具合に、ひとつひとつ押さえていかないとね」
九「ああ、そうか。なにもかもを、ひとくくりにしちゃいかんわけですね」
か「そうそう。そういうことです」
左様。そういうことなのであります。

◎受け勝ち、受け得とはいうものの
やさしく、おだやかで、「何でも遠慮なく願えばよろしい」と教えるここは、
書籍中にも書いたとおり、ぼくにとっては非常に「都合のいい」宗教なのだが
、奥へ進めばどんどん難しくなっていくように思える。
たとえば「神徳」という言葉は、昔は「神と交流できる力」という
狭い意味で使われていたこともあったそうだが、
本来はもっと広い範囲をカバーしている。
人が生きていく上で物心ともに恵まれ、死後には霊としても働かせてもらえ
、そのまままるごと、子孫にも譲り伝えていけるほどの「力」だというのだ。
「神徳を受ければ、人徳は勝手についてくる。
神徳は、どれだけ大勢の人間が得ても、なくなることがない」
こんな意味の教えもあって、だから教祖の言葉によれば、
「おかげは受け勝ち、受け得」 安太郎先生のそれを引用するなら、
「信心は、せなんだら損だ」ということになる。

そして当方、これを嘘とは思わない。本当のことだろうと思うし、
そうなれれば万々歳に違いないとも考えるのだが、実は、
そこに至るまでが大変なのである。なぜならこの神徳は、
人間が常に神さまと同等の「心」や「想い」を持ち、それを行住坐臥、日常生
活すべての面で実行しつづけて、初めて得られるものであるらしいからだ。
信話集にも、教えや戒めに関して
「ようもまあ、こないにできんことばっかり集めなされたことや」という一節が
あるとおり、一万人どころか、十万人に一人、ひょっとしたら
百万人に一人くらいしか、できないことではないか。
普通の人間なら、聞いた途端にあきらめるか、仮にやりだしても、
とっかかりで根を上げてしまうに違いないと思うのだ。
それでも安太郎先生は、なにくそっと思って修業をつづけ、
途中何度もへたばりかけつつ、遂にその域に達したわけなのだが、
ううむ、それにしてもなあ……
当方、こうやって書いただけで、その難しさに圧倒され、ぐったりしている。
要するに、「目先のおかげにばかりあこがれてる」、
大欲を持たない、功利的信者なんですね。

◎九雀さんとの対談
書籍中では、桂九雀さんとのラジオ対談を随所に引用させてもらっている。
しかし、枚数制限がなければ紹介したい部分はもっとあったわけで、
たとえばこういう会話もその一例なのだ。

かんべ「そう言えば、願う願わんで、こういう話もある。
戦前のことですけども、刑事さんが参ってきた。殺人か強盗か、
とにかく事件があって捜査してるんやけど、手がかりがないのでわからんと。
それで、その刑事さんも信者やから、安太郎先生の能力は知ってますから、
犯人を教えてくださいと言うてきたんやね」
九雀「はい」
か「ところが先生が、そういうことはいかんと。犯人を早く捕まえさせてくださ
いという願いやったら、私もそのまま、神さんにお願いする。しかし、
一足飛びに犯人を教えてくれは、いかんと。そしたらこれ、
どうしてかということは書いてありませんでしたので、本当の理由はわからん
まま、私の推理推測なんですけどね。いきなり犯人を教えるというのは、
眼に見えない世界の秩序を、崩すことになるのと違うかと思うんやけどな」
九「ああっ、なるほど。はいはい。言うてはること、わかります」
か「動きというものをね。犯人が罪を犯した、刑事はそれを追う。
あの動きがあり、この動きがあって、捕まる。その一連の動きを、
少し早くするということくらいなら、かまわんかもしらんけど、
その手続きを抜いて、いきなり犯人をわからせるというのは、
眼に見えない秩序を崩すことになるのと違うかなあ」
九「そら、そうですわ。だって、それ言い出したら、
商売繁盛を願わずに、お金が降ってくるようにしてくださいと願っても、
オーケーになってしまいますものね」

ちなみに、書籍に引用した対談のなかでは九雀さん、
安太郎先生のことを、「ただの商売人と違うんですか」などと言っているが、
あとで聞いて驚いたことに、実は間接的には、
この宗教に深いつながりを持っている人なのだった。
ということは九雀さん、対談においては、わかってて、
わざとあんな具合に聞いてたんでしょうかね。

◎人徳と神徳
普通使われている「人徳」という言葉には、周囲の人間に、
おのずと影響や感化を及ぼす力というニュアンスがある。
それは当人の善良な言動、無私の姿勢、公正な判断など、日頃からの積み
重ねがもたらすものであり、蓄積が信用を生み、信頼を勝ち取るのだろう。
そして、この宗教で使われている「徳」という概念には、人はもちろん、
神からも信用信頼してもらえるだけの積み重ねと、
それによって与えられる力という意味が含まれていると思われる。
何の積み重ねかというと、上に書いた人徳の裏付けとなる生き方に加えて
だろうが、信心面での修業の積み重ねだ。
神と人との関係を知り、御礼によってその恩愛に感謝する。
おわびによって代々の先祖ならびに自己の罪を消していってもらい、
あらたまりによって、少しずつでも神さまの領域に近づいていこうと努力する
。その毎日の積み重ねが、神からの信用信頼を得る材料となり、
「神徳」という力を与えられる裏付けになるというのである。
しかしこれ、いきなり大阪弁に変えて恐縮だが、本気本心でやらんと意味の
ないことでしょうけど、普通の人間にできますかえ?

◎運命の良い人、悪い人
ぼくが自分のことを、「大筋ではラッキーな人間」だと思っていることは、
書籍中に書いたとおりである。実際、これまでの人生の道筋で、友達から
「おまえ、ほんまに運がええなあ!」と言われたことが、何度もあるのだ。
しかし、これまた書籍中でふれておいた「厄災」経験には参った。
複数のそれが重なり、かつ七年ほどつづいたのだから、「頼るものがなけれ
ば、錯乱していたに違いない」という思いに、嘘はないのである。
だから信話集のこんな言葉には、「おれもその一例なのか」と思って愕然と
する一方、「そうかもしれんなあ」という思いも、強く抱かされた。

[運命のわるい人ほど、神さまの一番かわいい氏子なんですからね。
その点で、ここへ参ってこられるようになったら、
「私はもっと運命がええと思っていたのに、こんなところへほり込まれたとこ
ろを思うと、よほど運命が悪いのじゃなあ」と、気がついてほしい。
だが、心配はせんでよろしい。
そんな運命から、おかげを受けていくんですからなあ]

本当に運命が悪いのか。としたら、それは何が原因になってのことなのか?
そのあたりがまだ明確につかめてないので、ぼくの自己判定、
実はいまだに、「かもしれんなあ」の段階にとどまっているのだが。
そして、末尾の「心配せんでもよろしい」以下の言葉については、
「本当にそうなのか。大丈夫なのか」と心配しつづけ、
「どうやら、本当のことであるらしいなあ」と思えるようになったのは、
十年たってからなのだけれど。

◎無理に手は引かない
友人知人には必要がない限り宗教の話はせず、
日常の言動にその基準を持ち出すこともない。
だから彼らの眼から見た当方、特に変化した点はないだろうと思う。
あるとき、午前中マスコミ関係の会議に出席し、
午後は玉水で祭典後の椅子の撤去作業を手伝って、
夜には落語家のパーティーに出たという一日があった。
「おれは何者や。早変わりの役者か?」
思わず自分に突っ込んでいたのだが、そのおかしさも、
人には関係のないことなのだ。

ただしもちろん、聞かれたら説明はする。生活面や精神面で
「追いつめられ」ていそうなら、参考までにと体験を教えもする。
しかしその先は、当人まかせにしている。これまでの経験では、
まだ「近くの教会を教えてくれ」とか「連れて行ってくれ」と言った者はいない。
それに近いことを言った人が一人いたが、こちらの受けた感じでは
「本気」ではなく、案の定そのままになった。
「いや。たとえ相手が本気でなくても、
無理にでも連れて行くのが本当の親切なのだ」
そういう意見もあるだろうが、それをやると、うるさい宗教のうるさい勧誘者
になってしまう。それは嫌なのである。もちろん、「これこれこういう友人が、
こんな問題で困っておりますのでよろしく」と、届け出はしているが。

◎検証に耐えうる説明とは
書籍中でも書いたとおり、もともと好きだったし、仕事上の必要もあって、
超常現象などに関するレポートや解説書は大量に読んできた。
と同時に、これまた書籍中で触れたように、バランスを取るため、
それらの嘘や誤解を解明する本も多読してきている。
『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(カール・セーガン著。新潮社)、
『科学と非科学の間』(安齋育郎著。筑摩書房)、〈だまされやすさの研究〉と
副題のついた『奇妙な論理』(マーチン・ガードナー著。社会思想社)など、
参考書としても重宝しているのだ。

また、『トンデモ本の世界』、『トンデモ超常現象99の真相』
(と学会編。洋泉社)という本も、折に触れて読み返している。
UFOや宇宙人、宗教とオカルト。予言や奇跡。前書では、
これらの問題に関する珍書愚書を紹介し、それを通して、
いかに世の中には、無知で非科学的で思いこみの強い、
売名的な人間が多いかを伝えている。
後書は、同様の分野における具体例を取り上げ、それらのほとんどが
嘘、誤解、誇大に語り継がれた伝説に過ぎないのだということを、
海外の文献にも当たって論証している。
「ルルドの泉」の奇跡に関する検証例など、一読呆然とする。
その意味で、この二冊は本当に「良書」だと思うのであって、宗教世界の
超常事例を、こういうクールかつロジカルな検証に耐えうるように説明する
にはどうすればいいのかと、まあ、そう考えたりするわけである。

◎願望達成について
書籍のなかで、「願望達成」に関する大きな経験を、
これまでの人生で三度したという話を書いておいたのだが、
天風先生の本を読んでいた時期、ふっと思ったことがあった。
「おかしいな。それ以降、つまり三回目の願望達成で作家になってから今日
まで、四回目、五回目という経験がないではないか。
小さなことはあったけど、あの三回に匹敵するほどの、寝ても覚めても思い
つめてというやつがないのだが、これはどうしてだろうな」
そして考えた結果、気づいていた。

作家になってのち、スランプという意味では、書くのが嫌になったことは何度
もあるけれど、本当に嫌になって廃業や転職を考えたことはない。
学生時代からラジオが好きで、一度番組をやってみたいという夢を持ってい
たが、これは先方から話があって、(現在やらせてもらっている番組以前に)
長期のものを二回、短期なら数回、経験させてもらえた。
住宅も一応順調に購入できたし、もともと物欲はあまり強くなく、
まして往年のバブル紳士的な欲望など、まったくない。
つまり、過去の三体験に匹敵するような大きな願望がなかったわけで、
あっても幸運によってかなえられたわけで、「寝ても覚めても思いつめる」と
いう持続集中力は、すべて仕事に投入してきていた。
ショートショートから長篇まで、思いつめる深さや長さは違っていても、
書籍中にも書いたごとく、ぼくは「願望達成法をそのまま使って」、
数々の作品を書いてきていたのである。

ただし玉水に通いだしてからなら、「祈念」や「取次」という方法で、
願望を達成した(させてもらえた)ことは何度かある。
たとえば、『フタゴサウルスの襲来』という書籍は、婦人雑誌からの原稿依頼
が話の始まりだった。むこうは単発のつもりだったらしいのだが、
それをこちらが、何気なく「連載ですか」と聞き返していた。
それがいわば企画の提案になったわけで、前々からぜひ書きたいと思って
いた題材だけに、このときには本気で祈念した。
玉水へはまだ勝手に行っていた時期で、だから先生に届け出はしなかった
のだが、何度も真剣に、長い時間、連載の実現を願った。
すると、これは宗教の教えに限らず、願望達成法の本にもよく書いてあるこ
とだけれど、あるとき「確信の瞬間」がきた。
「あ、大丈夫だ。もう決まった」
信用してもらえないかもしれないが、本当にそう感じていたのである。
そして、もっかやらせてもらっているラジオ番組についてなら、これはもう、
まさに「届け出」と「取次」の結果であると、自分では確信している。
詳細はまだ書く時期ではないと思うので省略するが、
「意味のある偶然」によって決定に至るまでに、「時節を待つ」とか「おかげ
のないのがおかげ」ということなどが、明らかに関係していたのだ。

◎抑揚の浸透力
神道における祝詞(のりと)にあたるものを、この宗教では
拝詞(はいし)と称している。厳密には拝詞、賛詞、賛仰詞などの
名称があって、その違いは読んで字の如しである。
で、それらに関するこちらの印象が、当初
「かなわんな」から始まったことは書籍中に書いたとおりだが、
実はその時期から、「おや。これは……」と感じさせられたものはあった。
祖先の遺徳を賛える内容なのだが、和音階なのか何なのか、
要所要所に独特のイントネーションをつけて奏上されるので、
聞いていると「幽明」の幽、この世ならぬ雰囲気を感じて、
哀しさのようなものを覚えたりする。内容ではなく、まずは、
その抑揚に耳を傾けさせられたのだ。ちなみに後年、
知り合いに誘われて初めてきたらしい中年女性がそれを聞き、
思わずのように、「これ、他のとは違いますねえ」と言っている光景に接した
こともある。だからその抑揚が持つ、「情動」面への訴求力浸透力の
原理と構造を解明してみたいと思うのだが、そのためには、
和洋の音楽理論を駆使しなければならないに違いない。残念ながら、
その方面の素養がまったくない当方には、手も足も出ないのである。

◎街角から宇宙へ
SFを書きだした当初、ぼくは「街角から宇宙へ」という言葉を考え、
自分の仕事のスローガンにしていた。というのが、自分には本格宇宙SFは
書けないけれど、地上の現実とその世界とをつなぐことはできる。
無理なくつなげば、双方が決して無関係の世界ではなく、連続したそれなの
だという事実を、実感させることができるはずだと思っていたからだった。
だからまさに、街角から出発して宇宙へ至る作品を書いたこともある。
そして後年この宗教を知り、関連書籍を読んでいく過程で、
教えの内容には、このスローガンをそのまま適用できそうだと思った。
『理屈は理屈〜』のなかで、「日常教であると同時に根源教である」という意
味のことを書いたが、別の表現をすれば、宇宙教だとも感じていた。
親和感を覚えたのは、自分が進めてきた思考の延長線上にあり、
内心において格別の無理なく矛盾なく、
脚を踏み入れられそうな世界だったからでもあるのだ。

◎潜在意識について
書籍中で潜在意識という言葉を何度も使っているが、
これは、いまひとつ明確ではない概念である。
だが、範囲を本文中で扱った領域に限定するなら、
「当人の自覚なしに働いている、脳の意思機能」だと思ってもらえばいい。
そして、その存在や働きに首をかしげる読者には、ぼくの確認体験を披露し
ておこう。長編などを書きだし、その世界への没入状態がつづくようになると
、ほんの数行のメモだけで十枚ほどのシーンが書けたり、
思ってもいなかった言葉や文章が出てきたりする。
その仕組みがどうなっているのか、自分でもわからなかったのだが、
三歳児の下に双子が生まれ、育児に翻弄されていた過去の期間中、
偶然、その秘密を知ることができた。
拙著『フタゴサウルスの襲来』という育児記録書から、
当時のメモを再紹介する。

[夜中、双子の世話で起きたり起こされたりするとき、
眼が覚めた瞬間にはほとんど長編のことを考えている。
というより、睡眠中は脳の別領域でシーンやせりふを考えているらしく、
起こされた瞬間のみ、露出しているそれを自覚できるのだ。
照明をすべて消した、深夜の暗黒ビル。しかし地下フロアに降りてみると、
そこではこうこうと明かりが輝き、多くの人々が巨大な機械にとりついて全力
稼働させている。そんなイメージなのだ]
そしてぼくは、その瞬間の自覚中、それが必死に働き、言葉を選んだり、
文章を、まさに「練って」いることを認知していた。
まるで無作為強制断眠実験のような育児体験によって、潜在意識が夜中も
働いていることを確認でき、大いに得心していたのである。

ただしこれは、個々の人間の脳のなかで行われている「独立」作業であって
、多分、自己「完結」している作業であろうとも感じる。
だから、テレパシーなど他者の脳や意識との関係において成り立つ作業は、
これとはまた別の領域で行われるのではなかろうか。
そして、「神」と称される存在との交流については、
さらにまた別の領域で……
何にせよ当方、人間の脳の働きは想像以上のものであると実感しているわ
けなのだが、「ならばその能力を、機器を使ってでもさらに一気に高めよう」
などと思えば、オウム真理教のヘッドギアの世界に至ってしまう。
その誘惑(集団からのではなく、自分自身における誘惑)の危険性も、
よく承知しておくべきだと思っているのである。

◎届け物のその後
前回、入院中の友人に「神米」を届けた話を書いたが(下記参照)、
その後日談である。
そのとき、当人は意識不明だったから夫人に手渡し、
かくかくしかじかの力があるとされていると説明した。
もちろん採否は相手にまかせ、これを機会に勧誘しようなどとは
思ってないから御安心をとも、言い添えておいた。
もう一人、これも意識不明で緊急入院した人に対し、同じく夫人に届けて
説明したことがある。こちらは夫婦ともこの宗教には無縁だが、
当方が尊敬する、社会的にも重要な人だったので、
奇跡の回復を願って届けたのだ。
しかし結局、どちらも、本人の口には入らないまま終わってしまった。
夫人が採用を拒否したわけではなく、言葉通り、口には入れられない状態に
なっていたからである。そのかわり後日、両夫人からは、
思わず眉の上がる異口同音の報告をもらった。
「あれ、主人には使えなかったけど、看病中、かわりに私がいただきました」
勧誘などはしないと約束し、意味や事例をちゃんと説明すれば、
まったくの部外者からもこんな反応が返ってくる。
状況切迫時の人の心には、やはり何か、「合理」以上のものを求める気持ち
が出てくるのかなと思って、興味深かったのである。

◎友人たちの意見や感想
本を書くについては、事前に友人知人たちの、
宗教に関する意見や感想を聞いたのだが、
大学時代のクラブの仲間には、皆でやってるホームページでこう聞いた。
「今度、ある宗教と、その神さんのことを題材にした本を書くのですが、
私がそんなものを書くと聞いたら、まず反射的に、どんなことを思うか、
教えてもらえませんか。たとえば、年がいった証拠だなとか、
大丈夫かしらとか。それを参考に、書き出しの調子を定めたいので、
よろしくお願いします」
メンバーは全員、団塊の世代。サラリーマンの管理職がおり、
自営業者がおり、主婦がいて、キャリアウーマンもいる。
その彼らから、遠慮のない生の印象を教えてもらえば、
何かつかめそうに思ったのだ。
そこで、それに対する回答メールから、ふたつ紹介。

「神さまではなく、神さん。それであなたが何か書くとなると、
やっぱり、落語的な人情話を連想してしまうね」(ある主婦メンバー)
質問のなかで「神さん」と書いたのは、これを大阪弁で発音するときの、
軽さと親しみやすさが好きだからだが、まさにその語感とぼくの趣味から、
そう思ったらしいのだ。
「なるほど、なるほど。いかに長年の仲間でも、まさかおれが、
そんな分野の体験記を書くとは思わなかったわけか。いや、無理もない。
おれは教会へ通いだしたぞなんて、皆に宣言したわけではないものな」
とはいえ、実はこの回答は的を射ている。なぜなら書籍の冒頭でもふれて
おいたごとく、そういうおもしろそうな雰囲気があったからこそ、
ぼくは関係した本を読みだすことになった。
特定宗教と個人との間にも「相性」があるとすれば、ぼくの場合その雰囲気
が、相性を感じる最初の要素になっていたからである。

対して、主婦兼キャリアウーマンという立場のメンバーからは、
こんな回答があった。
「反射的に感じるとしたら、私の場合どうしても、
パパが入院中に持ってきてくれたもののことを、思い出します。
その宗教のことは親戚からも聞いてたので、特に違和感はなかったよ。
在学中から、本質的にはマジメな人だと思ってたし、性格的に押しつけがま
しいことはできないけど、何とかパパのためにと思ってくれたんだなって、
感謝しました。宗教みたいな聖域を茶化して書くことはありえないから、
どんな本になるのかしらね」
文中、パパというのは彼女の夫のことで、彼も同じクラブの仲間だった。
積極的な性格で体格も良く、一番元気な男だったのだが、先年、
クモ膜下出血で倒れ、仲間のうちで一番早く亡くなってしまったのだ。
その彼が、以前、仕事上のトラブルで追いつめられていたことがあり、
ぼくは、もし何だったらという調子で、言ってみた。
「おれいま、これこれこういう宗教に興味を持ってるんやけど、
その特長はな……」
すると驚いたことに、彼はこたえた。
「お祖父さんがそこの信者で、おれも子供のころ、
家の近くの教会へ通ってたよ」
この会話があったからこそ、入院中に届け物をし、夫人も感謝してくれたわ
けなのだが、このとき届けたのは、書籍中に紹介してある「神米」である。

ついでに書いておくと、ぼくは他の友人知人に対しても、
相手がよほど困っているときには、もし何ならと声をかけているが、
無理強いや、いわゆる「勧誘」はしないことにしている。
ぼく自身が、そういうことをされるのは大嫌いだからで、
自分が嫌いなことを人にするのは、世の中のルールに反するのだ。
それにしても、最初の回答者と同じく、若い時代からの仲間の観察眼には、
驚かされる。当方の性格や気質はまさにそのとおりであり、
人やものごとをすぐに茶化すという悪癖(?)まで、しっかり把握されている。
もちろんぼくは、「笑い」を題材にしてきた作家として、必然性があれば、
宗教を茶化したって少しもかまわないと思っており、その意味では、
それを聖域とは考えていない。しかし例の本については、無論、
聖域視よりは作家としての責任を優先させるつもりだったが、
茶化す目的で書くわけでもなかった。
「となると、どう進めればいいのか……」
そのあたりの困惑ぶりが、すべて見抜かれているようで、
感心も得心もしていたのだ。
なお、前者の主婦メンバー、読後の感想は、
「意外だったけど、興味深く読ませてもらいました」とのことだった。

◎夜空を飛ぶもの
ごく短い距離だけれど青白い光を放つ何かが空中を飛び、
それゆえの錯覚なのか、尾を引いているように見えたり、
シューッと音を立てていたようにも感じたという、そういう目撃例を、
ぼくは三度経験している。ただしそのうちの一回は、雨の夜、
変電所の屋根の上を飛んだものだったので、これはまあ、
科学で説明できる何らかの電気現象だろうと思う。
二回目はこれも夜に、ある大きな神社の森の上を飛んだものだったが、
すぐそばを私鉄が走っており、高架の高速道路ものびているという場所なの
で、電車か車か、いずれかのヘッドライトの光が、
雲に映って動いていたのかもしれない。しかし三度目は、かなり違う。

玉水教会の三代教会長が亡くなられた夜、
八時頃に教会の前を通りかかった。これは参拝のためではなく、
出先から仕事場へ帰る途中の道筋として、たまたま通りかかったのだ。
そして記念館側、つまり道路の反対側を歩きながら、何の気なしにだったか
、それとも視野の片隅に何かが映ったからだったか、
そのあたりは判然としないのだが、ふっと教会の大屋根を見上げたとき、
そのすぐ上あたりを、青白い光を放つ何かがスーッと飛んで消えたのだ。
シューッと音を立てているようにも感じたのだが、
これは上に書いたとおり、錯覚だったかもしれない。
大きさは、夜空で比較する物がなかったから正確には言えないものの、
野球のボールよりは大きく、ソフトボールくらいに見えたことを覚えている。
飛んだ距離は、大屋根の大棟の長さとほぼ同じくらいだった。

無論そのときは、思わず足を止めてそれが消えた夜空を見上げていたのだ
けれど、急いでいたので、とりあえずそのまま帰った。
そして翌日参拝したとき、他にも目撃した人がいるかと思って、
ある先生にその話をしたのだが、誰からも聞いてないということだった。
これが、いわゆる人魂や霊魂と呼ばれているものなのか、それとも何かの
電気現象が空中で偶然発生したものなのかは、ぼくにはわからない。
しかし教内出版物のなかには、同様の目撃談が載っている書籍もあり、
それは当然「ミタマ」として記述されているので、
先々の思考材料として、ここに書いておくのである。

◎心配する心で信心せよ
書籍中でも紹介したように、上記の言葉の、
取り組み姿勢としての意味は、こういうことらしい。
「心配しているときほど、人が真剣にものごとを思うときはない。だから、
何かの問題で心配している、まさにそのときの心の状態で神に向かい、
祈りや願いをつづけていけばいい。そうすれば、その思いは神に伝わる」
で、当方、「しかしそれは、具体的にどうすることなのか?」
とも書いておいたのだが、こう考えてみれば、
ひとつの手がかりになるのではないかと気がついた。
すなわち、心配しているということは、思い詰めているということである。
その「思い詰める」のかわりに、そんな言葉はないけれど、
「願い詰める」ということをすればいいのではないかと。
願って願って、願い詰めていけば、ある瞬間、伝わるのではないかと……
単なる言い換えに過ぎないのかもしれないが、
「思い詰める」はエネルギーが自分の内にのみ向かい、
こもってしまいそうに思う。「願い詰める」は、前へ、外へと向きそうなのだ。

◎敬語敬称について
サトウサンペイさんの『ドタンバの神頼み』は、教祖、教主、
教会長などについて記述する部分では、きちんと敬語が使われている。
それを読んでいながら、なぜぼくが自分の書籍では必要最小限、
あるいは、場合によってはそれ以下に抑えたのか。
その理由は、双方のスタート年齢の違いと、
それを読者がどう判断するかという点にある。

[私は五、六歳のころ、母に連れられてよくT教会に行った。(中略)
当時は、非常に神徳の高いY教会長がご在世のころで、いつも朝から夜ま
で大勢の信者が、お願いしようとお参りに詰めかけていた]
『ドタンバの神頼み』の、冒頭のこの文章だけで、
信者のみならず一般読者も、内心で言語化するか否かは別として、
こういうニュアンスの了解を成立させるだろう。
「へええ。サトウさんて、戦前のそんな小さいころから、
教会に通ってた人なのか。自分はいまから、その体験談を読むわけだな」
また、上記の「ご在世」以下、同書には、教祖さま、教主さま、
神さまが何々「してくださった」、先生が信者にこう「おしえられた」、
などという語法が数多く出てくるのだが、幼児期から通っていたという事実
が前提になって、それらもごく自然に受容されそうに感じる。
そればかりか、「子供時代に、そういう世界に触れておくのも、いいものだな
」と、敬語の丁寧さゆえに、好意的に受けとめる読者もいそうに感じるのだ。

しかし、四十代後半に達してからスタートしたぼくがそう書けば、
一般読者は思うに違いない。
「このおっさん、ええ年して、はまってしもとるんと違うか。
騙されんように、警戒しながら読んでいった方がよさそうやな」
仮に、ぼくがSFの大先輩、星新一さんの伝記を書くとして、
そこに通常レベル、またはそれよりもう少し丁寧なレベルの敬語を使っても
、読者は特に不自然には思わず、まして妙な警戒などもしないだろう。
星さんが、それだけの敬意を払われてしかるべき人であり作家だったと、
少なくともSFの読者は知っており、ぼくも星さんのことを、
自分が本当に尊敬していた、ジェントルマンだったと書くだろうからだ。
「けれど、この分野では」であって、一般読者には何の予備知識もなく、
おまけに、警戒心や眉つば反応を起こしやすい記述もまじってくる。
内容そのものを、そのまま読んでもらおうと思えば、
そのあたりにも気を配ることが必要だと思ったのだ。

そしてもうひとつ、他の信者さんが普段使っている敬語敬称、
あるいは教内出版物のなかで使われているそれらに、ぼくが当初はもちろ
ん、いまだに若干の違和感を抱いていることも理由になっている。
御本人にとっては、それが自然当然の敬意の表れなのだろうから、
否定する気はなく、逆に、そこに違和感を抱き続けること自体、
当方がわかっておらず、我の強い証拠になるのかもしれない。
しかし、「片足を外に残している」者の感覚で言えば、
「こういう敬語敬称の多用だけで、世間一般の人は警戒して、
引いてしまうんだけどなあ……」なのだ。

◎ある朝の思い
用事で、午前十時にある駅前へ行ったとき、こういう光景を見たことがある。
パチンコ店のシャッターが上がりだし、それを待ちかねてたむろしていた
若い連中や中年男女、それに朝からさぼっている営業マンらしい面々が、
先を争ってしゃがみ、まだ1メーターも上がってないシャッターを、
必死にくぐって、店内へ殺到していた。
朝からパチンコへ行くのは自由だし(営業マンは自由ではないはずだが)、
シャッターをくぐるのも勝手ではあるが、その姿はやはり、
「あさましい」という言葉があてはまる雰囲気だった。
そしてその前を偶然、坊さんの一行が、おーっ、おーっと声をあげて通過して
いった。駅の近くには禅寺もあり、毎日かどうかは知らないが、
早朝の行で市内を大きくまわり、ちょうどもどってきたところだったのだ。
当方、その対比にしみじみ思っていた。
「おれも大学時代にはパチンコ中毒にかかっていたから、
偉そうなことは言えないが、もし絶対に、
どちらかのグループに入れと言われたら、坊さんの方を選びたいなあ」
といって、そんな集団に簡単には入れないし、入る気もない。
「自分はまあ、両グループの中間で、
こんなことを思っている人間なのです」、としか言えないのである。

◎霊感対理屈
親しいSF作家、堀晃さんは、長らく会社勤めしながら小説を書いていた。
あるとき、酒の場に同じ会社のOLも同席し、
この人は霊感を持ってるらしいよと紹介されたので、
試しにジャンケンをしてみたところ、五回連続で負けてしまった。
これはまあ、偶然に過ぎないと解釈できる回数だが、
ぼくは探求癖を出して質問した。
「こっちが何を出そうとしてるかを、先に感じ取ってるわけですか」
そうだというので、ようしとばかりに、作戦を練って再挑戦した。
つまり、まずグーならグーを出そうと強く思い、出す瞬間、
ならば相手はパーを出すのだからそれに勝つのはチョキであると、
一瞬で考えて出すことにしたのだ。
そして今度は五回連続で勝ったのだが、この合計十回の結果が、
偶然の域を越えているのかどうかは、ぼくにはわからない。
ただ、強く思っておいて一瞬で再考する作業には、
ものすごく頭が疲れ、思っていた。
「相手はごく自然に勝ち、おれは必死にやって、ようやく勝った感がある。
頭の働き方、働かせ方が違うことは確かだな。
そして当然、働かせている部位も」

◎金を取らない方針の実践例
玉水の会堂、その左手まんなかあたりには、
大きな円形のテーブルが置かれており、そこにも在籍の先生が
交代で座って、話をしたり、信者からの質問にこたえたりしている。
高齢の信者のなかには、そのテーブルのことを
「お火鉢」と呼ぶ人もいるそうで、それには次のような由来があるという。
戦前、安太郎先生が右前方の席についていると、願いを届け出る信者が、
次々にお供えをさしだす。ところが、当時は副教会長だった二代教会長、
茂先生の着座時には、その数が格段にへる。
つまり、神さまではなく安太郎先生に持ってきているわけで、
それは考え違いであるし、彼らに気を遣わせるのが気の毒でもある。
そこで、右前方の正規の席には茂先生を座らせ、安太郎先生は、
当時畳敷きだった会堂に置いてある火鉢を前に座って、
信心を教え、願いも聞くことにしたところ、その問題がうまく解決した。
なぜなら、お供えは正規の席で差し出すことになっているためであって、
以後、安太郎先生は「差し出されない」場所で勤めをすることが多くなり、
火鉢にちなんで、いまも丸テーブルが置かれているというのである。

◎インチキ宗教の見分け方
『立花隆秘書日記』(佐々木千賀子著。ポプラ社)という本には、
インチキ宗教を見極めるポイントとして、
立花氏があげた五項目が紹介されている。原文を引用するなら、

一、お金をやたらに要求する宗教。
   金額によって救われ方が違う宗教は怪しい。
二、オウムに典型的に現れたが、教祖が自己神格化を起こしている宗教。
   「われこそは神である」「私は救世主である」という宗教は疑わしい。
   大成した宗教では、教祖は自分は神聖なる神と民衆の
   媒介者であるという立場に立っている。
三、入ったら抜けられない。脱会する自由が剥奪されている宗教は危ない。
四、情報を遮断して閉鎖的な空間にしてしまう。狂ったことが起きやすい。
五、終末思想(ハルマゲドン)。いついつ終末が来ると
   年代付きで予告する宗教はインチキくさい。

『立花隆「嘘八百」の研究』(別冊宝島編集部・宝島社文庫)、
『立花先生、かなりヘンですよ』(谷田和一郎・同文庫)によれば、
立花氏、いろいろスカタンを書いたりしているようなのだが、
少なくともこの五項目は、きわめて有効な「判別」基準だと思う。
一、三、四は、常識で考えても「おかしい」「やばい」「危ない」条項。
五は、当方その問題を勉強したことがないので、
そういうものは絶対に来ないと断言はできないけれど、
カルト教団の事例で考えれば、期限付きで予告した者の大半が、
妄想の持ち主だったと言ってもいいのではないか。
そして、二は、宗教というものの根幹にかかわる事項であって、
この媒介構造の共通性からも、ぼくは諸宗教を、「同じ究極の存在を、
別の呼び名で崇敬している」ものだと考えているのである。

◎読者の感想
あるSFファンが、自分のやっているホームページで、
以下のような感想を書いてくれていた。
当方が、「こんな具合に読んでもらえればいいのだが」と思っていた、
まさに、そのとおりの読み方をしてくれているので、引用させていただく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かんべむさし『理屈は理屈 神は神』(講談社、05)
著者がひょんなことで、というよりも、ある運命的なものにひきづられて、
宗教世界に足を踏み入れたその体験記。
宗教によって人が過重な精神的負担の一端を引き受けてもらい
安心を得るのは、宗教の社会的存在理由のひとつであり、
私もその効用を否定するものではありません。幸いにして私自身は、
現在のところ「頼る」必要を感じておりませんが、今後そのような状況が、
いつ私の身に起らないとも限りません。
ただ著者はSF作家らしく、なぜ自分が信心しようとしているのか、その状況
を常に客観的に見ようとし、考えに考えて「了解」して行こうとします。
普通の、善男善女の信仰は、おそらくそのような「WHY」をすっ飛ばしたもの
ではないでしょうか。それがタイトルの「理屈は理屈」に表現されています。
で結局、そのような過程を経て、著者は「神は神」といった境地に向かって
行きつつあるわけですが、それでも「片足一本、たとえ爪先だけでも、外の
多数派世界に残しておくのが、作家と称するものの立場だ」と考えます。
そのような現実感覚が、以下のような文章を書かせます。

だが、科学は万能でも絶対でもなく、試行錯誤を重ねながら少しずつ進歩し
、扱う範囲を広げていくものである。(…)/ そして、その未知の世界、
非合理世界の構造や原理を解明していくのは、基本的には、やはり科学者
の仕事だろうと思う。/ とはいえ科学者なら誰でもいいかというと、そうで
はない。(…)非科学的な科学者、アンフェアな科学者はいるからだ。
/ 最初に否定ありきで、判断留保にしておくべき非「合理」事例を、
「合理」の枠内に押し込むべく牽強付会をしている例がある。(261p)

この一文に、私は全く同意するものです。
上文はまさに、先日河本さんが引用された福島正実の、
「SFが、生理的嫌悪感さえ持つ、科学的常識主義、
科学的事大主義について人々に疑問を起こさせ、
それに対するアンチテーゼになればよい」(ヘリコニア談話室)
と照応するものであり、かんべむさしが疑いなく「SFの人」であることの証左
であると共に、ここから私信にわたりますが、SFが「生理的嫌悪感」を抱くの
は、「科学」それ自体ではなく、かかる「非科学的科学者」であり、
その彼らが取る態度こそ「科学的事大主義」なのであるわけで、決して福島
正実が「科学の人ではない」ことの証明にはならないのです。>河本さん

閑話休題、上文のようなスタンスを持つ著者が記した宗教体験記だからこ
そ、私は一定の信頼をおいて読ませてもらいました(少なくとも必要に迫ら
れた場合は、まずここを訪ねようという気になりました(汗))。
とはいえ、その記述すべてについて納得できたわけではなく、信者ゆえの
合理化がそこに働いている場合もあるように感じたのも事実なんですが、
結局著者は、その世界を受け入れたことで安心を得たのだから、
それはそれでええんとちゃうかな、という感想を持ちました。
私自身は、超常現象(予知やテレパシー)は存在するとしても、
それは神とは関係なく物理的現象であろうと思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
かんべ付記。最後の2行、私も将来、それらが物理現象として、
解明されるだろうと思っており、さらに、はるか遠い未来には、
「神」という名で呼ばれている「遍在意思」が、どんなものであるかも
解明されるのではないかと考えているわけです(←書籍中に記述あり)。
したがって、上記筆者と当方の考えとは、対立しているのではなく、
呼称や暫定区分の差異に過ぎないと思うのですが、いかがでしよう。
ともあれ、大熊さん、ありがとうございました。

◎天地と宇宙
湯川誠一先生は大変な読書家だったということで、
教話集のなかに通例とは違う表現の出てくる部分があったため、
気になって玉水で聞いてみると、こんなこたえが返ってきた。
「あ。それは戦後のその当時、歴史家のトインビーの本を読んではったから
ですわ。そこから、引用してはるんやね」
通例とは違うというのは、他ではすべて「天地」と称しているのに、
一箇所だけ、「この宇宙の背後にある神秘の力」と、
「宇宙」という言葉を使っている部分。当方、読んだ瞬間、
「あれえ。ここだけ、妙に近代的だな」と感じたのだ。

◎変更報告と御礼
書籍中、玉水と京都の寺、そのどちらを選ぶか考えた話を書いておいたが、
それが確定したあと、ぼくはあらためてむこうの寺へ行き、
遅ればせながら、その報告と、これまでの御礼を言ってきた。
といっても、言葉をかわした僧侶がいるわけではないから、
黙想と祈念でそれをし、寄進させてもらってきたのだ。
これは、ちょうどそのころ刊行された、こちらの宗教の本で、
次のようなエピソードを知ったからである。すなわち明治時代、
縁あってこの宗教に入信した人が、それまで別の神社の氏子だったので、
そちらに参拝先変更の報告と、それまでの加護の御礼に参ったという。
「なるほどなあ。昔の人のこういう律儀な姿勢は、感じのいいもんだな」
そう思ったので、まねさせてもらったのだ。
ちなみに、京都の寺というのは、知恩院である。

◎安太郎先生との関係
サラリーマンから作家になったことによって、SFや上方落語をはじめ、
学術、音楽、漫画、放送など、各分野で堂々たる実績をあげ、同時に人間
的にも尊敬できるという、超一流の方々と話をさせてもらえるようになった。
そのことをぼくは、実に嬉しくありがたい、自己の人生の一大幸福事項だと
思っている。けれどもその尊敬の念は、相手が生身の人間であり、仕事の
場や酒席で、じかにその言説に接する過程で生まれてきたものである。

しかし、安太郎先生は故人だから、その人間像については、
歴史上の人物を小説のモデルにするときと同様、
参考書籍や、聞いた話などから推理推測しているのみ。
「縁がなかったから全然知らなかったけど、ものすごい人がいたんだなあ!」
そう思っていることは確かであるが、それは上に書いた尊敬とは
若干ニュアンスが異なる。驚嘆によって感心を持たされ、
何とか全体像をつかみたいと欲しているのに、まだつかめない。
そのもどかしさによる傾注が、もっかは一番近いように感じているのだ。

ちなみに、ぼくは一度だけ夢でその姿を見たことがあるのだが、
そのときこちらを凝視していた眼は爛々としていて、
「形相」という言葉を使ったほうがいいような、ものすごい顔だった。
そしてその周囲にはSF用語で言うところのバリアー、「緊迫」の気が濃く強く
形成されており、ぼくはその雰囲気に驚きつつ、夢のなかで考えていた。
「これは、『尊師に侍して』に載ってた写真の記憶をもとに、
自分の潜在意識が作った映像なのか。それとも、
ほんまの先生が夢に出てきてくれてはるのかな」。
後者だと思いたいほど、異様でリアルな光景だったのだ。

◎まだ連絡はない
家族はもちろん、ぼくの老母も、当方がこの分野に
興味を持ちだしたことは知っていた。ただしその大きな契機や理由が、
書籍中に書いた「トラブル問題」なのだということは、
告げていなかったのだが、生前、こんなやりとりをしたこともある。
「どうも、あの世とか霊とかいうことがわからんので、おかあさん、
もし死んでからそれがわかったら、夢に出てくるなり何なりで、
その状態を教えてくれへんかな」
「うん、わかった。そやけど、そういうものが本当にあるのかしらね」
冗談めかしてではなく普通に言い、母親も縁起でもないと怒ることなく、
普通にこたえた。その意味で、老いた親と人生後半に入っている息子の、
なかなかいい会話だったと思うのだけれど、
残念ながらいまだに現場レポートは入ってこない。
多分あの世で、まだ熟睡(?)しているのだろう。

◎これも、そのひとつだ
教典には数多くの教示が載っており、そのなかで
「いいなあ」と思った言葉をいくつか、書籍中に紹介しておいたのだが、
補足すれば、これもそのひとつだ。
[生きておる間は修行中じゃ。ちょうど、
学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ]
高校時代、読書家の先生がいて、次のような言葉には感銘を受けた。
「君ら、頭が良くなりたかったら、本を読んだらいい」
「人間、死ぬ日まで本を読んでたらええねん」
それを思い出したし、眼鏡をかけてというところがリアルで、
嬉しく感じたのだ。無論、眼目は前段の言葉であって、
そっちにこそ、感銘を受けなければならんのだろうが。

◎事実は小説より奇なり
『理屈は理屈、神は神』の77ページ、「小説でこんな結末をつけたら、
読者は怒りまっせ」の件。なぜ怒るか、おわかりだろうか。
その理由は、あらまし以下のごとし。
すなわち、「事実は小説より奇なり」という言葉は、普通、
「現実の世界では、小説以上に奇怪な、作家なんぞが
考えも及ばないような出来事が起きる」という意味で使われている。
だが実は、作家に言わせれば、そんなことは当たり前なのだ。

なぜなら、現実の事件や出来事は、伏線や整合性を欠いても成立するが、
小説でそれがなかったら、愚作か欠陥作になってしまう。
仮に殺人に限って考えてみても、現実の社会では行きずり殺人はいくらで
も起きているが、たとえば推理小説という虚構世界のなかでは、
それは許されない。あいつが怪しい、こいつも臭いと思わせ、
延々数百ページの長篇を読ませておいてから、最後の最後に、
「実はあれは、全然関係ない男の行きずり殺人でした」などと書いたら、
読者はそれまでのハラハラどきどき体験がすべて無駄だったことを知り、
そこにルール違反と徒労を感じて裏切られた思いになる。

つまり、行きずり殺人なら行きずり殺人でも、その可能性を
前もって振っておくのが約束事だから、扱えるケースが限られてくる。
現実社会にはそんな約束事はないのだから、
「小説より奇なり」の事件が起きても、何ら不思議はないのである。
また、ドタバタ小説や実験小説で無茶苦茶を書くとしても、
本当に無茶苦茶を書いたら、そもそも小説として成り立たなくなってしまう。
現実社会では、そんなことだっていくらでも起きているが、
小説のなかの無茶苦茶は、コントロールされた無茶苦茶なのだから、
これも当然、事実の方に「奇」の例が多くなるのだ。

ただし、これはあくまで、われわれが普通の意識や五感でとらえている
日常世界と、小説世界とを対比した話であって、
上記の「読者は怒りまっせ」という結末も、
高徳者が接触できるという非「日常」世界においては、
伏線や整合性が、すべて完備しているのかもしれない。
いや。どうやら、きちんと整っているらしい。
だがそれを、「かくかくしかじか、御覧の通り」と、明示も証明もすることはで
きない。そこに、それを「信じる」か否かという判断基準が生まれるのだし、
同時に、大方の人の疑念、否定、受け入れ拒否も生じてくるのである。

◎もとはタダだ
同じく上記書籍の196ページ以降。安太郎先生と中村天風先生の教えは、
こういう面でも、あらまし一致している。
「人間は、衣食住をはじめとする一切の物資を、すべて無料で消費している
。金を払っているのは、それらを入手、加工、輸送、販売してくれる人に対す
る手間賃であって、原材料を生み出す自然には払ってないのだ」
あたりまえと言えば、あたりまえ。そんなもの、
自然や地球にどうやって金を払いますかと言いたくなり、
「だから、せめてその恵みに感謝しなさい」と説かれたら、
大多数の人が、ほっといてくれと叫ぶことだろう。
ぼくもその口だが、ただ、最初、天風先生の本でこれを読んだとき、
「ああ、ほんまやな。米も魚も石油も、もとはタダやなあ」と、
妙に得心したことは覚えている。地球環境のなかで人間の営為を考える、
いわゆるエコロジーの視点が、初読時にはまだ普及しておらず、
育ってきたのは消費拡大を良しとする高度成長期だったため、
何か盲点をつかれた気になったのだ。

◎ダイレクトに伝えたのか、バリアーで止めたのか?
教典に出てくる、非「常識」的なエピソードのひとつ。
「苗代にひきがえるが入って、卵を産んで困ります」と願い出た者に対して、
教祖はこうこたえている。「よそには封じると言うが、うちでは封じない。
かえるに、あぜで遊んでもらうようにすればよい。
うちの田に入らないようにすれば、よその田に入るから」
そして多分、これは教祖が神に願って、そのとおりにしてもらったのだろう。

一方、信話集のなかには、大阪近郊でビワ畑を作っている人が、
野ウサギに食い荒らされるので、何とかしていただきたいと願ってきた話も
載っている。それに対して安太郎先生は、あらましこう言った。
「たくさんあるうちの、何本か分は野ウサギの食べ代としてやりますから、
他の木は荒らさないようにと願いなさい。私もそうお願いをするから」
結果、そのとおりになったというのである。
しかしこれ、カエルや野ウサギたちに、神さまが直接、
非言語的伝達手段で、「入るなよ」「食べるなよ」と告げたのだろうか。
それとも、SF用語で言うところのバリアー、
つまり何かのエネルギーによる遮断膜を張って防いでくれたのだろうか。

そういえば、教典にはこういう言葉も載っている。
「ここに畑に菜が作ってある、そばが作ってある。上の町(田畑の区画)にも
虫がたくさんにおる、下の町にもたくさんにおる。中の町は、
神様にお願い申してお水を振りかけたならば、ひとつもおりません。
また、一町の中でも、溝を境に神様へお願い申した方には、
虫がひとつもおりません。神様というものは、
よう境を知っておいでなされますものでありますのう」
それにしても、これがバリアーの効果だとしたら、
その場合のエネルギーは、どんな種類のそれだったのだろう。
意思はバリアーを形成するほどのエネルギーになりうるのか。
なりうるのだろうな。だって人間でさえ、殺気や威厳で他者に接近を躊躇
させることができる。ましてその無限倍の存在となればね……