落語・演芸・笑いのノート、71〜80

80 形見分けの話など

聞いた話であるが、そのときその現場にいた人から直接にではなく、
別の人から間接的に聞いた話なので、
どこまで本当なのかは保証の限りではない。
なぜなら、現場にいた人も、ぼくに教えてくれた人も落語家なので、
「ネタ」として誇張してしゃべっていた可能性もあるからだ。

六代目松鶴師匠が亡くなられたあと、一門の皆に形見分けがあった。
クジで順番を決め、一番の者から順に好きな品を取っていく。
ある弟子、なかなか順番がまわってこず、いい品がどんどん取られていく。
すると横の者が入れ知恵して、「そこにある袴は、紫綬褒章受賞のときに
はきはった袴やから、値打ち物やぞ」とささやいた。
そこで彼、その袴をそっと引き寄せ、自分の座布団の下に隠しておき、
クジの順番が来るなり「これにします!」と出した。
当時(昭和61年=1986)で百万円くらいした品だったので、
皆が驚いたりあきれたりしたという。
ちなみに、その当時袴は二十万円くらいからあり、
その上は四十万から五十万円。さらに上が百万円というランクだった由。
年に二着しか作らない名人がいて、それは二百万円。
歌舞伎の誰それ丈とか、落語の誰それ師匠とか、
予約が何年も先まで詰まっていたという話である。
無論、現在はもっと高くなっているのだろう。

なお、「形見分け」ということについては、
部外者に過ぎないぼくも頂戴したことがある。
桂枝雀師匠が亡くなられてのち、奥様が故人の記念にと専門家に頼み、
師匠の高座着をほどいて小銭入れを沢山作られた。
それをわざわざひとつ送ってくださったのだ。
小豆色の地に細い縞の入った、上品なものである。
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79 外れたのか、変わったのか

(これはフリーメモ欄に書いたものだが、
興味深い内容なので、当欄でも公開する)
先般、ラジオの仕事で桂米朝師匠にお話をうかがう機会があり、
まことに得難くありがたい時間を過ごさせていただいた。
師匠御自身や上方落語に関してはもちろん、大阪の遊びや商売など、
さまざまな分野について語っていただいたわけだが、
そのなかには、初めて聞いたエピソードもあった。

師匠は中年期頃だったか、「わしは五十五で死ぬ」と公言しておられ、
これは「そうなってもかまわんように、やるべきことを早くやっておく」
という、決意のための言葉だったそうなのだが、
どうも、半分以上本気でその寿命を信じておられた雰囲気もあった。
その背後には、実の父親も落語の師匠も五十五で亡くなったという事実が
あったのだけれど、そしてぼくはそれらのことを聞き知っていたのだけれど、
「それだけで、そこまで思い決めるものかなあ」
という疑問はぬぐいきれなかった。
ところが今回うかがった話のなかに、こういうエピソードがあった。

戦争中、陸軍病院に入院していたとき、患者仲間に手相を見る男がおり、
それがよく当たるというので、皆があれこれ聞いていたのだという。
そして師匠(当時だから、十九歳の中川二等兵)には、
「五十五歳のとき、自分が死ぬか子供を亡くすか、
とにかく命にかかわるようなことがある」と言ったという。当方、
「なるほど。そういうことがあっての話か」と、膝を叩く気になったのだ。
無論、現実には師匠にも御子息たちにも何事もなく、
したがって素人占いはまるまる外れたということになるのだが、
さてこれは、単に外れたのか、そう決まっていた運命に
変更が加えられた結果なのか、どっちだろう。
高島嘉右衛門、水野南北などの伝記を読むと、
積善によって運命が変わることはあるという。
大勢の弟子を育て、上方落語を復活させ、研究成果を残して、
滅んでいたネタの復活も成し遂げた。
これが巨大な積善であることに、異論を唱える人はいないと思うのだが。
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78 天王寺村の話

以前、「53 講談師とその子息」で、
東京の某出版社の部長(後に重役)氏の父親が
講談の神田山陽師であったことを書き、貧乏生活の苦労談を紹介した。
そこでは、その話を聞いていた北新地のカウンターバーに、偶然、
浪曲の広澤駒蔵師が入ってこられ、初対面のおふたりが共通の話題で
盛り上がったことも追記しておいた。今回はそのつづきで、
そのとき当方が、駒蔵師から聞かせてもらった話である。

駒蔵師は昭和24年(1949)の入門で、
長らく「天王寺村」に住んでおられた。天王寺村とは、
難波利三さんの直木賞受賞作品「てんのじ村」で有名になった、
大阪市西成区山王一帯の通称。芸人さんが多く住んでいたので、
こう呼ばれていた地区である。
つまり師匠の家に内弟子として住み込んでいたわけで、
そこは二階建ての長屋。二階には屋根に張り出す形の物干し台があり、
稽古はそこへ上がってする。そのときにはタオルを三枚ほど水で濡らして
口をおさえ、口を湿すとともに、近所迷惑にならないようにしてうなった由。
しかしとなりの家の人の機嫌が悪いときには、
「ちょっと。いま御飯食べてんねん。やめといて!」とかどなられたという。

当時、天王寺村の住人は皆貧乏だったので、
タクアンを一切れいくらで売っていた。芸人だけではなく、
あやしげな人間も住んでおり、向かいの家がスリ、その横が故買屋、
となりはパンパンだった。スリは二三日寝間着姿でごろごろしてるかと思う
と、突然パリッとした背広姿で出かけて一週間ほど帰ってこなかったり、
職人のこしらえで出かけたりしていた由。近所に飛田の遊郭があり、
そのなかを抜けて仕事に出かけたりするのだが、
女が「ぼんさん(子供さんくらいの意味)、今日はどこ行きや」などと
声をかけてくる。「大和郡山や」とかこたえながら、
重い道具類を抱えて歩いたそうである。

当時、都蝶々さんやラッパ日佐丸コンビも住人仲間だった。
しかし現在(この話をうかがった昭和62年)は
芸人は皆無といっていいほどであり、
それは息子や娘が就職したり結婚したりで郊外の団地などに入り、
老後をそこで過ごす人が増えたからとのこと。
以上、うかがったままを記したのであるが、
ぼくも一度そのあたりをうろついてみて、
芸能社の看板がなかなか見あたらないので、意外に思ったことがある。
とはいえ、まだ住んでいる芸人さんもいることは確からしいのだが。
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77 こういう「技」もある

電車に乗っていると、車掌がマイクで、次の停車駅や
乗り換えの案内をする。大抵は無意識のうちに聞き流しているのだが、
ときに、変にかぼそい声やキンキラ声でやられると、
頭のなかにとどまって渦を巻いてしまう。そこで周囲に眼をやると、
にやにや笑って天井を見上げている乗客がいたりする。
別にその声が悪いというわけではないが、車内アナウンスとしては
どこかおかしいと、感じているに違いない顔なのである。

ならば、おかしくない声とはどんな声であるのか。
大阪の地下鉄の駅や車内で流されている自動案内、
あれがそのお手本たる声であり、プロのしゃべり方なのだそうである。
「まもなく2番線に、我孫子行きが参ります。危険ですから、
白線の内側まで、お下がりください」
そしてぼくは以前、これを吹き込んでいたタレント
故中村健治氏から、話を聞いたことがある。
「つまりね、走行音とか警笛とか乗客の話し声とか、
ホームや車内は雑音が多いでしょう。その雑音をかいくぐって、
隅から隅にまで届く声でなければならない。同時に、耳障りではなく、
いくらでも聞き流せるしゃべり方であることも、必要なわけです」
この要求を満たせる技能の持ち主として、オーディションの結果、
選ばれたとのこと。かくして我々は、低めで丸味があり、
しかもよく伸びる声が、淡々と伝えるメッセージを聞くことになっている。
聞きながら、自分には関係のない内容だと判断するや、
そのまま右から左へと流しているのである。
(故人のことなのに、現在形で書いたのは、一部の路線で、
氏の声がいまでも使われているからである。)

ちなみに、これはパーティーの司会者にも要求される資質ならびに
技能であり、関西ではこれまた故人、タレント、パーソナリティーとして
大活躍した安達治彦氏がピカ一だったという。
実際、ぼくは氏が司会する大人数のパーティーに出たことがあるのだが、
確かにおみごとだった。やわらかい声が、出しゃばることなくよく伸びていて
、酒とざわめきのなか、耳に心地良かったのである。
「私です。私がここにおります。その私が、
ただいま皆さんに話しかけております!」
こう言いたい気持ちを殺し、かつ、必要なことはきちんと伝える。
これもまた、プロの技なのだ。
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76 意思と感性

前々回、ラジオ大阪のロビー、その早朝の光景を紹介し、
そこには「いくよ・くるよ」さんも登場したのであるが、
実はこの御両人に、ぼくはずっとずっと以前、新井素子氏と一緒に、
インタビューをさせてもらったことがある。
毎日放送のラジオで、毎回いろんなゲストにお越しいただく番組を
やらせてもらっていたときのことで、お二人の話のなかには、
膝を叩きたい気持ちになった部分が何箇所もあった。

御両人は京都の商業高校出身で、ソフトボール部の仲間。何年かのOL生
活を送ったのち、今喜多代(改名して、今日規汰代)師匠に入門したという。
そんな経歴をお聞きしていて、たとえばソフトボール部のきつい練習や
先輩後輩関係に話が及んだとき、くるよさんがいわく。
「練習に気が入ってなかったりしたら、グラウンド十周せえとか、
兎跳びで何周とか言われますねん。私、それは言われたとおりやりましたけ
ど、三遍まわってワン言えとか言う先輩もおる。それは絶対にしませんでし
た。何でそんなことせないかんねんと思うて、睨みつけてましたわ」
罰なら罰でいいが、それが技術の向上や精神の鍛錬に
なにがしかでも寄与するものでなければ意味はないし、納得もできない。
三遍まわってワンは、単に人を侮辱するためのみの行為である。
そう判定してその意思を通したわけで、ぼく、こういう考え方が
大好きであり、いまだに「新兵いじめ」がなくならぬ社会に、
腹立ちを覚えている人間なのである。

また、弟子入り後、なかなか売れなかった時代の話をしていて、
いくよさんはいわく。
「そら、年頃やから結婚にも憧れるし、これでエエねやろかって
悩みましたよ。おかねがないから、おいしいものも食べられへんし、
いっつも同じ服着てないかんし……」
と、ここまで言ってあわてて追加。
「いや、もちろんちゃんと洗濯はしてましたよ。
汚れたものは着てませんでしたよ」
アカじみた汚い服。そこからの連想で、当時の自分自身をも
汚れたイメージでとらえられるのではないか。
一瞬でそう危惧しての注釈であったらしく、
かわいらしいと言っては失礼にあたるかもしれないが、
このときぼく、いくよさんに、まさに「若い」「年頃」の女性を感じた。
実際の年齢は当時でも(失礼!)もう少し上だったが、
感性としてのそれを見たのである。堂々たる三枚目ぶりと、
それをフォローするかわいらしさ。おふたりの漫才には、
この意思や感性が反映されていると思うのだが、どうだろうか。
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75 してその正体は?

以前、地下鉄四つ橋線の車内で、
変に目立つ二人連れを見かけたことがある。
難波から西梅田行きに乗り、混雑していたのでドアの横に立って、
ふっとそばの座席に眼を移したら、男女二人が座っていた。
一瞥した瞬間、「えらい派手な恰好やな」と思ったのは、
中年に見える男がけばけばしい緑色のスーツ姿で、
ネクタイも太くて派手な柄物をつけていたからだった。
同年代に見える女はワンピース姿だったが、
これもまたけばけばしい色柄だった。
また、男は髪を茶色っぽく染めており、それをきちんと整えている。
整い過ぎているようにも見えたので、カツラだったのかもしれない。
女のヘアスタイルは覚えてないが、男と同様の整えぶりだったと思う。

そこで当方、まずは「漫才の夫婦コンビかしら」と思ったのだが、
舞台衣装のまま地下鉄に乗るなどということは、あまりないだろう。
それに、ちらちらと顔を見直しても、テレビはもちろん、
演芸会社の名鑑などで見た顔でもない。
「しかしまあ、小さな事務所で余興専門とか、
こっちが知らないコンビはいくらでもいるわけだから」などと思いつつ、
なおもちらちらと観察してみると、男も女も指輪を複数はめており、
男がはめているうちのひとつは、本物なのかイミテーションなのか、
大きなルビー風の宝石付きである。
そしてそのあたりで、ぼくは新たな疑問も感じだし、
さらに観察したのち驚愕していた。

中年だと感じた男は、どうやらもっと歳がいっているらしく、
それを化粧で隠しているように見える。かつ、その顔がどういうわけか、
妙にはっきりくっきりしていたのであるが、何とそれは、
両の眉毛が入れ墨になっているからだった。
自分の眉毛も残っていたとは思うけれど、はっきりくっきりの原因は、
時代劇映画における正義の剣士のごとく、カッ、キッと「まなじり決した」
入れ墨眉毛だったからなのである。
そんなわけでぼくはこの二人を、
大衆演劇の座長とその夫人と判定したのだが、どんなものだろう。
それとも、コワモテ方面の初老幹部とその古手情婦だったのか。
そんな幹部が、移動に地下鉄を利用したりはしないだろうと思うのだが。
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74 中間ゾーンの雰囲気

ぼくが現在やらせてもらっている番組、『むさし、ふみ子の朝はミラクル』は、
月曜から金曜まで、午前6時15分に始まって8時53分前に終わる。
そのあと短い宗教番組が入って、9時から始まるのは、
『ラジオよしもと、むっちゃ元気』。これまた月曜から金曜までであるが、
出演者は日替わりになっている。スタジオは別で、こちらの放送が始まって
のち、各曜日の出演者たちが玄関ロビー横のスペースに集まり、
うちあわせ前の雑談を始めている。

当方、自分の番組にはさまる録音コーナー、
「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」のオンエア時には、
休憩タイムとしてそこへ行って煙草を吸ったりするのだが、
プロデューサー以下の全員にむけて、「おはようございます」と
挨拶はするけれど、特に出演者の誰彼に声をかけたりはしない。
相手は別の番組チームのメンバーとしゃべっているのだし、
正式に紹介してもらっているわけでもないから、
そういうことは遠慮しておくのがエチケットだと思うからだ。
ただ、そうやってすぐ横で煙草を吸っていると、
各曜日出演者の個々の雰囲気が感じられておもしろい。

たとえば月曜日は、オール阪神さんと若井みどりさん。
このおふたりは、阪神さんが何か体験談や人物評をしゃべり、
みどりさんが相槌を打ったり、感想をはさんだりしていることが多い。
芸人さんの雑談だから、くすぐりが入ったり、落ちがついたり、
笑い声がはじけることも少なくない。
火曜日は桂きん枝さんと西川かの子さん。かの子さんがスタッフと
しゃべっていることが多く、きん枝さんは大抵、黙って朝刊を読んでいる。
野球帽をかぶって顔を伏せていると、誰だかわからないくらい目立たない。
ADが「師匠、飲み物は何にしましょう」と聞くと、
「何でもええ」とか「まかせます」というこたえが定番になっている。
水曜日は磯部公彦さんと未知やすえさんであるが、
こちらは火曜日と逆で、磯部さんがスタッフとよくしゃべっており、
やすえさんはごく静かに進行表を読んだりしている。
舞台の雰囲気と違って、あまり目立ちたくない人らしいなあと感じたりする。
木曜が、いくよ・くるよさんと和泉修さん。三人とも元気によくしゃべるので、
月〜金の中で一番騒がしい朝である。
金曜は大木こだまさんと非常階段のシルクさん。
こだまさんは訥々淡々としゃべり、シルクさんは、
人なつっこいタレントという雰囲気の、明るいしゃべりかたをしている。

以上、ごく表面的な印象スケッチに過ぎないが、これらはいわば、
ナマの「自分自身」から、仕事中の「キャラクター」へと移る、
その「中間」ゾーンの雰囲気。各自、テンションを高めたり、
番組中でしゃべる話題を考えたり、頭のなかで
進行のシミュレーションをしたりしているのだろう。
騒がしさも沈黙も、仕事態勢に入るためのウオーミングアップなのだ。
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73 大丈夫ですか?

テレビの演芸番組で新人や若手を見ていて、「大丈夫かいな」とか
「この芸、このネタでやっていこうとしたら、
先々しんどいやろなあ」とか思う事例が、東阪を問わず少なくない。
名前や得意ネタを出すわけにはいかないので、ぼかした書き方をするが、
ピン(一人)の芸では、一手(ひとて)しか型を持ってない段階で、
それが目新しい型だというので注目されてしまい、出る番組出る番組、
内容は変われども同じ型を繰り返すばかりという、
そんなタイプの人に危うさを感じる。

まだ若いから芸が粗雑で「こなれて」おらず、それが同じ型を反復するので
、何度か見ただけでうんざりとし、殺伐とした気持ちになったりもする。
同情的に見れば、テレビによって少ない貯えを急速消耗させられているわ
けで、補完と備蓄が追いつけばいいのだが、それができず、ダムにおける
「危険水域」を越えてしまったら、あとは干上がるばかりなのだ。
一手の型が偉大なるマンネリになった事例は、
「あ〜あ、やんなっちゃた」の牧真司や、「レッドスネーク、カモン」のショパン
猪狩など先達が何人もいるけれど、それは寄席やキャバレーで長年しごか
れ、悪戦苦闘をしてきた結果のこと。
テレビにはそんな育成効果は期待できないのである。

また漫才やコントの例としては、ボケとツッコミがどちらも中途半端とか、
メンバーのキャラクターに特長がないとか、そもそもそんな段階で
人気を得られているはずのないコンビに、危惧を覚える。
興業会社の売り出し政策によってだろうか、そんな段階で
テレビの登場回数だけが多くなり、公開放送であれば
「箸が転げても笑う」女子高生などが詰めかけているから、
何を言っても笑ってもらえるし、熱狂的な歓声を受けたりもする。
しかし、その彼女たちはあきるのも早いため、次から次へと
新しい歓声相手を捜して、あとはふりむきもしない。
「ひょっとしてこのコンビ、芸が未熟な、実はおもしろくも何ともないこの段階
で、すでに人気の頂点を経験させられてるんじゃあるまいか」
そう思えば、他人事ながら背筋がゾーッとしてきそうになる。
無論それらのピンにしろコンビにしろ、起死回生の芸やネタによって
本当の実力芸人、人気芸人になる道はある。
けれども、若い時代に別種の売れ方をしてしまった者には、
それは非常に入りにくく、進みにくい道であると思うからだ。
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72 突如わかったうまさ

レコードやテープで聞く初代ならびに二代目春団冶。
初代は無茶苦茶なギャグと快調のテンポで八方破れの派手さがあり、
二代目も「からから、からから」と聞こえる上機嫌な笑い方が、
陽気な印象を与えてくれる。一方、現春団冶、
三代目の春団冶師匠は、派手よりは地味、陽よりは陰の感がある。
その印象対比も関係してだろうか、落語を多く聞き始めた高校大学時代、
春団冶師匠の良さというものが、なかなかわからなかった。

「鋳掛屋」「宇治の柴船」「お玉牛」「代書屋」「親子茶屋」。
それぞれ、ふんふんなるほどと聞き、笑うべきところでは笑うのだが、
さて聞き終えてから、何か合点のいかぬ気も残ったりした。
ところがあるとき、弟子にあたる若い演者の落語を聞いて、
突然気がつき驚嘆した。「これ、こないに無味乾燥なネタやったかな。
あっ、違う違う。春団冶師匠のやってはったんが、すごかったんや!」
同じネタをやって弟子より師匠のほうがうまいのは当然としても、
その差をはるかに越えて、そもそも別種のネタに聞こえる。
品とか艶とかいうものが隔絶している。
「そうか。三代目のうまさというのは、若手の落語家の
同じネタを聞いた途端に、突如さかのぼってくっきりとわかるという、
そんな種類のうまさやったのか」

練り上げられ、完成度が高いために、かえってそのすごさに気がつかない。
あるいはこちらに、その完成度を感知できるほどの下地がまだない。
合点のいかなかった理由がわかり、眼からウロコが落ちた気持ちになった
のだ。そしてその経験をしてのちは、師匠の落語を聞いているその場で、
うまいなあ、美しいなあと、魅力を味わえるようになった。
名高い「高尾」も何度も聞いてきているのだが、高尾の現れるところといい
、喜ィさんが煙にむせて団扇で払うところといい、実にどうも何ともはや。
「ああら不思議やな……。ほんまに不思議やな」
先刻承知のこの部分で、やはり、またしても、笑ってしまうのである。
それにしてもこのネタ、お弟子さんたちは、さぞやりにくいでしょうね。
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71 不思議な顔、異様な相

桂雀三郎さん、通称「雀さん」がいま、「へ」の字型の眉毛の
下半分が下がるだけ下がった、何とも不思議な顔になっている。
彼はぼくよりひとつ若いので、現在(06年5月末)57歳か、まだ56歳か。
しかし、その年齢相応のものとして現れているはずの何かが、
まったく抜けてしまったような、とぼけたと言えばとぼけた、
けれどその分、別種の存在感があって異様な印象を与えるという、
まことにけったいな顔なのだ。

サラリーマンを初めとして、世の中に職業は多々あれど、
こういう異相になる仕事や立場は、まあ「芸人」以外にはないと思われる。
その意味で、若い時代から大きな落語(大ネタという意味にあらず)をやる
大型の噺家という印象を与えていた雀さん、良い方向に進みつづけ、
いまや望ましい領域に到達したのかもしれない。
というのが、ぼくは若い時代に雀さんから、こんな言葉を聞いたことがある。
「私ら、生きていく上において、真面目に考えるてなことは
何もおまへんな。落語の稽古だけは真面目にやりますけど、
ほかのことはほんま、どうでもええんですわ」
実はこの言葉の前段階には、
「ある問題を真面目に考えて対処してきたのだけれど、
それが逆に相手には負担になったのか、望ましい結果が得られなかった」
という話があり、「落語の稽古以外、真面目に考えてきたのは
これだけやったんですけどな」という言葉があった。
だからそれもなくなったとき、それまで内心で何重にも越えてきた線を
もうひと越えしたのかもしれず、そしてそれ以後もどんどん越えつづけてきた
のかもしれず、遂に現在、かくは不思議で異様な顔になっているのである。

「ふぬけ」という言葉があって、これは通常、気力も何も無くした人や、
情けない人間などを表現するときに使われる。
しかし観相学の分野における「ふぬけ」は、人間の度量が大きくなって
突き抜けた状態を言うそうで、「腑が抜け」ると
手相からも細かい皺が消え、大筋数本が残るだけになるという。
ひょっとして雀さん、そのうちそういう手相になるかもしれないのだ。

なお、雀さんの顔は存在感と「おかしみ」を有しているので結構なのだが、
芸人以外にはないと思われる中年以降の顔や人相はもう一種あって、
それはこちらが哀しみを覚えてしまう、マイナスの意味でこってりとした
「ざんない」顔。名前をあげるわけにはいかないので、
興味をお持ちの方は、1980年に発行された『現代上方演芸人名鑑』
(相羽秋夫・少年社)で若手や中堅の芸人さんたちの顔を眺め、
そののち、たとえば『もうひとつの上方演芸』(大阪ゲラゲラ学会・たちばな
出版)の巻末についているタレント名鑑で同一人物の名前を探して、
1997年時点の顔写真を見ていただきたい。芸、人気、収入、気概。
そういったものの変化の、まざまざと現れている顔がありますから。
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