『朝ミラ』日記・立ち上げ篇


その7

3月29日(火)
6時、ホテル阪神裏手の、古くからの民家を改装した割烹店、
奥の和室で出陣式なり。季節の野菜、魚などの、煮物、和え物、焼き物。
そのあと、鍋もあり。まずはビールで乾杯し、
あとは焼酎のお湯割りを飲みつつ、雑談ならびに秘話大会。
竹内氏、四国出身で大学は早稲田。早慶戦の盛り上がりの話。
その日は高田馬場や新宿などで、早稲田の学生が無茶な騒ぎをしても、
「天下御免」になるのだと。それに関連して本村氏いわくは、
若い時代にスポーツ中継の研修か何かで早慶戦を見に行かされた。
そのとき実況中継をしている学生がおり、それは早稲田や慶応の放送部の
連中なのだが、「むちゃくちゃうまいんや」とて、ショックを受けたとのこと。

竹内氏、局の近くに住んでるので、早朝、徒歩でも出社できる。
なのに一度、改編期前に準備で超多忙がつづき、
疲労がたまってたからか、生ワイドをとちったことがある。
局からは携帯に連絡が入ったのだが、まったく気づかず眠っていた。
まさに現代の若者で、固定電話は引いてない。「いりませんからね」と。
そして7時半だかに眼が覚め、「窓の外の明るさがいつもと違う」ので、
一瞬、何がどうなってるのかわからなかった。それで起きあがり、
ぼんやりした頭で、なぜか部屋のなかをぐるっと一周した。
そして携帯を見ると、受信履歴が1や2ではなく、5になっていた。
そこで初めて寝過ごしたとわかり、局に電話すると、アシスタントの女性が、
「竹中さんにタクシーで来てもらいましたから、ごゆっくり」と言った。
とにかく出ていくと、プロデューサーは、
改編準備で疲れてることは知ってたので、別に怒りはしなかったと。

新川氏、陸上が趣味で400メートルをやってる。短距離の人は長距離も走
れるんですかと聞くと、やはり筋肉の鍛え方が違うので駄目だと。
白身の魚と赤身の魚がいるが、あれは移動距離の違いで、鯛とかの白身
の魚は短距離用の肉、マグロなど赤身の魚は長距離を泳ぐので、
その肉が発達している。人間の筋肉もそれと同じなのだと。
竹中氏、某コミュニティ局で仕事をしてた時期、社員数が少ないので何から
何までやらされた。毎朝、始発で出勤して夜11時頃までの勤務とか。
ディレクターもやり営業もやり、出演してしゃべったりもする。
大阪市内から通ってたというので、近くに移れば楽だったのにと言うと、
それをやるとますます仕事時間が増える(増やされる)ので、
職住分離を通したのだと。ただし一度寝過ごして遅れかけたことがあり、
タクシーを飛ばしたら8千円かかった。
しかしそれは、請求できなかったらしき口ぶりなり。

中西氏の伊勢湾台風の話。中学時代、父親の転勤で三重県にいた。
猛烈な大暴風雨で、父親の指揮のもと、一家総がかりで内側から
各窓を押さえていたのだが、押される圧力に抗するときもすごかったけど、
風の方向が変わり、逆に引かれるというか、
窓が吸い取られそうになるときの力もすごかった。そのとき暗闇のなか、
背後のラジオから速報がずっと聞こえてきており、それがラジオや
アナウンサーという仕事に関する原体験になっているのだと。
「まあ、公式的にはね」との注釈あれど、非公式的原体験までには話が至らず。

本村氏、社内の某氏と飲んで肝胆相照らしたのはいいが、
そのあと相手が泥酔して、えらい騒ぎになったという話。
当方も、若い時代、「勧め上手」の某著名人に一升飲まされ、
翌日、子供の七五三に出かけた神社の境内で吐いて、
一週間ほどは胃が焼けたようになり、
まともに食事もできなかった話を披露して、馬鹿にされつつ受ける。
おひらきは、本村氏の音頭で一本締めなり。
(註。酒席では業界裏話なども多く出たのだが、それは省略。ぬはははは)

3月30日(水)
若干二日酔い気味なれども、焼酎のお湯割りで通したので、頭痛はなし。
10時、ラジオ大阪。「昨日はどうも、ありがとうございました」
「お疲れさまでした」の挨拶のみで、アホな話のつづきなどまったくなく、
サッとランスルーの打ち合わせに入る。
10時半より開始。声は前より出るようになったと思うのだが、
3分とか5分とか、長さの把握がやはりまだむつかしい。
3分が意外に長く、日産ナビは10分ほどの話題を紹介したのだが、
本番ではもう2分か3分ほど必要なので、話題を広げていくことが必要。

中西氏いわくは、「話が直線的に進んでるようなので、
もう少し寄り道したり、小返ししたりするほうが、リスナーは聞きやすい」と。
脳内言語が話し言葉に変わっても、思考の組み立て方はやはり、
エッセイや身辺雑記の文章的なんだなと思う。雑記雑文といえども、
無駄や冗長をはぶくのが文章作法の基本なのだから。
しかし耳から入る話としてなら、それでは素っ気なさ過ぎて、
内容も逆につかみにくくなる。やはりそこには、「無駄」や「冗長」が
まじってないといかんわけである。これにてランスルーは終了なるが、
これで来週の月曜には本番スタートかと思うと、危うさの感覚がつのる。
ふっと、こういうランスルーばっかりつづけば楽なんだけどなと、
逃避的な思考がうかんだりする。

昼食後、会議室にもどって、来週一週間のテーマや準備の段取りを確認。
中西氏「そしたらこれでいきますけど、かんべさん、
何かほかに確認したいことありますか」。当方「いや。具体的には特にない
んですけど……」。途端に本村氏がにやっと笑って、
「不安が大きくなってきてると?」。そのとおりだったので、明察に驚く。

4月1日(金)
朝、8時前にラジオ大阪。原田アナの生放送を、副調から見学させてもらう。
原田氏、ラジオからの声は淡々としゃべってるように聞こえてたのだが、
実際に見ると上体を動かし、乗り出し、両手をふり、
力一杯しゃっべっているのだった。見習うべきポイントだなと思う。
この番組は本日終了なので、銭谷氏、本村氏なども早出で見守る。
8時45分過ぎ、中西氏とスタジオに入り、原田氏から
リスナーへの紹介をしてもらって、引き継ぎの挨拶。会話のなかで、
「人と会って飲むのは、金曜の夜だけにしようと決めてます」と言うと、
原田氏、「それ、すぐくずれますよ」。
くずせるくらいの余裕が、いつ持てるかなと思う。

あと、銭谷氏、中西氏とコーヒー。中西氏、自分も朝は苦手なのだが、
会社へ来たら「職場だから」はっきりするとのこと。
このあたり、さすがにプロだなと思う。
両氏いわくは、社内の雰囲気、当方起用に関して好意的だし、
注文があれば遠慮なく出してもらえばいいので、
「何もかも自分で抱え込もうとせず」「余裕をもって進めましょう」とのこと。
(そういうアドバイスが出たところをみると、ここしばらく、
緊張とプレッシャーで、思い詰めたような顔になっていたのだろう。
無論、なめてかかってるよりは、ましだと思うのだけれど)

4月2日(土)
3時、京橋のニューオータニへ。石毛先生のお花見会。
3階のグリルで、ビュッフェスタイルのパーティーなり。
ただし、そこから眺望できる大阪城公園、まだ桜は開花しておらず。
石毛先生夫妻、日経の細川氏、吹田市立博物館の小山館長など、
「いよいよですね」と、むこうから番組の話をしてくれる。
小松さん、秘書の乙部さん、樋口さんなども同様なり。
タコヤキスト、熊谷真菜さんも、当方のホームページで知ってるとのこと。
会場は5時までにて、別室でさらにということなるが、
こちらはそこで失礼する。仕事場にもどり、
来週の放送内容について、資料の確認と再チェックをしておく。
(上記は、民族学博物館・前館長の石毛直道先生を囲む、お花見の会。
館長時代は万博公園内の日本庭園で、
満開の桜の下でひらかれていたものなのだ)

4月3日(日)
日曜だからゆっくり寝るつもりが、やはり早朝に目覚めてしまう。
7時過ぎに出て、月例の墓参りをし、ラジオの件を両親に報告。加護を願う。
そのまま大阪に出て、所用をすませる。そこでも、「いよいよですね」と
声をかけてもらう。昼前仕事場に入り、あと夕方まで、雑件処理しながら
心を落ち着かせる。かい枝さんは、今日はどうしてるのか。いま現在も
落語会か余興か、何かの仕事中なのかなと思ったりする。
(顔見知りの落語家、桂かい枝さんも、毎日放送ラジオで、同じく4日から、
当方の番組と半分ダブる時間帯で、生番組にレギュラー出演する。
「起きられるかどうか、ほんま心配ですわ」とのことだったのである)
こちらも今夜からは、練習ではなく、本番として早寝をするんだなと思う。

                            『朝ミラ日記』立ち上げ編(了)
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その6

3月25日(金)
4時半起床。5時過ぎに出て、仕事場着は6時過ぎ。ラジオ聞きながら、
ネットチェックとメール返信。原田アナの番組、月末の金曜日なので、
太田知事の電話インタビューも確認する。
あと、準備事項をひとつずつかたづけていくのだが、肝心の、
自分用の話題発想「虎の巻」作成までには、なかなか至らない。
昼前、コピー機のトナーを買いに出たところ、機種が古いためか在庫なし。
帰着後、サービスセンターに問い合わせ、まだ販売されてることを確認。
資料作成など、コピーの使用頻度がぐっと高まりそうなのである。
また、ネット資料のプリントアウトも増えそうなので、
インクもまとめ買いをしておくべきなり。

昼食後、12時半から仮眠したら、目覚めたのが1時半、
自然に起きられたのが2時となる。先日来このパターンなので、
その程度の「補充」睡眠が必要らしき様子。
スタート後の予定表を作成。毎日考えなくてもいいよう、ホームページの
更新曜日や、ラジオの準備作業、ブックレビュー用書籍の購入曜日なども
組み込んで、行動パターンを半自動化しておく。
あと、ランスルーの注意点整理など。帰宅時、4月から朝はタクシーで、
阪神に乗るのは帰路だけなので、定期券を買う必要がないことに気づく。
ラジオ大阪から仕事場へは地下鉄ゆえ、
以後は共通カードを買っていくことにする。
(註。太田房江大阪府知事への電話インタビューは、4月以降も継続。
自宅から仕事場へは、サラリーマン式に「通勤」しているので、
これまで、定期券も購入してきたのである)

3月26日(土)
午後2時。4月下旬に出る書籍の件で、某旬刊紙のインタビューを受ける。
1時間半ほど話をし、写真を撮影。掲載は4月最終号か、5月最初の号かと
いう見当だと。プロフィール紹介欄に、一行でもいいから、
ラジオの番組名と局名を入れてくれるよう頼む。あれこれ準備の疲労が蓄
積されているらしく、帰着後はぐったりして雑件処理のみ。
(正式発表後は、ホームページ、メール、FAXなどを駆使して、
個人的「番宣」すなわち番組宣伝や、協力依頼に努めている。
このあたり、代理店の販促マン思考をやってるわけで、
頭が今度の仕事全体を、「企画」ととらえているのだ。反応は上々で、
いろんな方から、快諾のお返事をいただいている。よろしく、お願いいたします)

3月28日(月)
本日から4時起床。昨夜10時に寝たからか、案外さっと起きられた。
始発の時間待ちをし、4時53分に乗る。各駅で少しずつ乗客が増え、
梅田に着いたときには立ってる人もいるほどなり。仕事場着は5時半過ぎ。
ネットチェックし、ホームページのフリーメモを更新。
ついでのことにと、朝ミラ日記も追加分を作成して更新する。
10時前までかかったので、仮眠はなしとし、スーツに着替えて
デジタルラジオ番組審議委員会へ。新任委員、谷本氏と名刺交換。
関西外大の助教授にて、専門は文化人類学とのこと。

デジタルラジオの広報活動、体感視聴会など、
東京より大阪のほうが盛んだという話あり。その理由を聞くと、
そもそも東京の各局は、「ラジオ祭り」みたいなイベントをやってないのだと。
意外な話に驚く。終了後の昼食時、生ワイドの件を伝えようかと思ったが、
協会側役員が毎日放送の上層部や、FM大阪などからの出向者なので、
やはり言いにくい。番審委員諸氏には後日、
個別に協力をお願いすることにする。

(デジタルラジオ推進協会は各局参加の組織で、もっか東阪で試験放送を
やっている。「視聴」と書いているのは、「聴取」の間違いではない。
データや画像も送られ、表示されるのである。ラジオ祭りの件、
広い野外会場で、人気番組の出演者が仮設ステージに登場したり、それを
特番で中継したり、グッズを売ったり、スポンサーの物品販売があったり、
賑やかなそれは、ハイキングや、パーソナリティーと行くツアーなどとともに、
在阪AM局の定番的なイベントなので、
当然、東京の各局もやっていると思っていたのだ)
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その5


3月16日(水)
12時、ラジオ大阪。もう今日の記者会見でオープンになるのだからと、
中西氏、いろんな人に紹介してくれる。
午後の生ベルトをやってる里見まさと氏、さすがにああいうオフィスで見ると
、周囲から際だつ存在感あり。服装はやはり「芸人」式に、派手な色柄のジ
ャケットなり。「漫才の」とか「ザ・ぼんちの」ではなく、
「吉本の里見まさとです」という挨拶だったので、「松下の」とか「伊藤忠の」
などと同じ感覚かなと興味深し。帰属意識は、もっと強いのかもしれない。

あと、会議室でうちあわせし、本番で使うスタジオに移ってランスルー。
2回目だし、今度はテーブルが広くて原稿や資料を使う順に置けるし、
全体の流れやコーナーの順序など、何とか呑み込んだので、
前よりは余裕をもってしゃべれる感じ。ただし、冒頭の挨拶にしろ何にしろ、
中西氏から「ゆっくり」、「もっとゆっくり」と注意あり。いわくは、ラジオ大阪は
総体に早口の番組が多いので、朝からそれではうるさがられる。
中西氏にも周囲から、「朝の番組やるんやてな。ゆっくりしゃべりや」と
アドバイスが入っているのだと。こちらも、極力ゆっくりしゃべるのだが、
途中でまた早口になっていく。

ニュース紹介的なコーナー。文枝師匠死去の話は、新聞記事からどんどん
離れていったけど、それはそうなってもかまわん内容だったから、あれでい
いとのこと。インドネシアの煙草の話は、しゃべってる最中、自分でも、
これはもひとつフィットしてないなと思い、終わってすぐ中西さんに言うと、
中西さんもそう思うと。記事を「なぞって」いくか、そこから「離れて」もいいか
は内容次第。スタート後は、その事前相談をやることにする。
とにかく、記事は「ひらかな」言葉で、わかりやすく、米国と書いてあったら
アメリカに変更するとか、リライトして読むことが必要。そのリライトとコメント
の稽古をとのこと。2時間は長かったのだが(途中、コーナーのなかみは抜
いたりしてるのだから、実際は1時間半くらいだが)、何とか終了。
「やっと、副調を見る余裕ができました」と言ったら、新川氏がにやり。
本村氏、「こないだと、全然違いますよ」と言ってくれる。ただしこれは、
前のがひどすぎたからで、今回だって欠陥部分は多々あるのである。

終わって休憩。記者会見のため、5階に上がって応接室で待機。
原田氏の新番組の日替わりアシスタント、本日の出席者は河島あみる氏。
シンガーソングライター、故河島英五氏の娘さんなり。
あみるという名前は、アフガニスタンだったかの湖の名前で、父親が放浪旅
行中に訪れ、その美しさに感動したので、子供の名前にと思ったのだと。
ただし、これは本来は男性の名前で、女性名ならアミラになる由。
ジャミラ、ライラなど、イスラム圏の女性名を思い出して合点する。
4時、会議室で記者会見。朝、毎、読、産経、そしてスポーツ紙、夕刊紙など
。取り組み姿勢を話し、兼田氏が説明役で質問などを受けつける。
あと写真撮影あり、朝日の若い記者、当方の番組を追加取材してくれる。
中西氏と二人で抱負を語る。スタート後は毎朝4時起床と言ったら驚いた顔
なり。終了5時過ぎ。

3月18日(金)
本日、愛知万博のマスコミ向け事前公開日。番組取材の稽古にと、中西、
高橋氏に同行させてもらう。原田アナたちは後発。本村氏は後日とのこと。
7時11分の「のぞみ」。高橋氏は一昨日名刺交換したベテランアナで、
声はいいし、やわらかい顔というか、「甘み」走った男前なので、
タレントの女の子や、新地方面でもてるだろうなと思う。
(ただし、昼食時、会場内レストランでデザートにプリンを選んだので、
甘党ですかと聞いたら、酒は全然駄目なのだということだったが)
名古屋着後、バスセンター4階からシャトル便に乗る。
プレス用が用意されていて満員なり。高速を走って会場へ。
報道用のIDカードをもらい、首から下げる。
(以下、取材メモ等あれこれあるが、ここでは省略)

帰路は中西氏とシャトルバスで名古屋にもどり、
チケットを変更して7時10分の「のぞみ」に乗る。
車中、今度の番組のことや留意事項など、あれこれ聞く。
いわくは、近藤さんとか都築さんとか、野武士タイプの人が引退していき、
往年のラジオ大阪、桜橋時代の雰囲気や仕事ぶりが途切れかけている。
次に中西氏たちの年代が退社していくと、それが伝えられないままになって
しまう恐れがあるので、民放の仕事の本当のおもしろさを、
若い社員たちに何とか伝えたいと思っているのだと。それで中西氏、
いまやってる『きょうも元気に』が最後の番組だと自分で思い、
残った有給休暇を消化しつつ、ソフトランディングしようと思っていたのだが、
番組改編の話を聞いたとき、よおしと思って案を出す気になったのだと。
だから、決定情報が流れたとき佃氏から電話が入り、早朝の生ベルトなん
て、「何を考えてるの。年齢を考えなさい」と言われたとのこと。

決定までには社内で、「作家が、ちゃんとやってくれるのか」という雰囲気も
あったというので、「だけど、小松さんや阿部さんも番組やってはったわけで
、ラジオ大阪は、作家を起用する本家本元みたいな局でしょう」と言うと、
それを直接的には知らない年代の社員が、大半になってるからねとのこと。
ああ、そうか、なるほどと思う。
(註。近藤さんや都築さんは、名物プロデューサーだった実力派の人。
都築さんは女性。佃さんもすでにリタイアした女性アナウンサー。
往年、小松さんが米朝師匠や菊池美智子アナと一緒にやっておられたのは
、『題名のない番組』という、いかにもラジオ大阪らしい、「おもろい」番組。
岩波の「米朝集成」第三巻に、その回顧座談会が収録されている。
阿部牧郎さんも以前、『阿部牧郎とその一味』という、
午後のベルト番組を持っておられたのだ)

3月21日(月)
2時、ラジオ大阪。3時からランスルー3回目。
風邪をひいたらしく、頭がぼんやりして、身体もだるい感じ。
それで注意力散漫になるし、しんどくもあるのだが、
「そんなことが理由になるか!」と自分を叱って、元気な声を出す。
しかし、コーナー、コーナーへの意識集中がしにくく、入りなどのタイミングも
、何度か外しそうになった。これは、やりながら次の資料や中西さんの反応
など、他のことに注意を向けていたからなり。
ひとつひとつへの集中を重ねていくべきだなと思う。また、体調万全を心が
けることが第一と実感なり。終わったら中西氏が、「流れてきましたね」と言
ってくれたのだが、こちらは上記のことなどあって、2回目よりレベルが下が
ったと思っていたので、「いやあ。まだまだ駄目です」とこたえる。

本村氏、新聞記事からの紹介は、大ネタでなくても、小ネタでも
「かんべ」の感想、解釈、本音のコメントが加えられるものをと。
「リスナーが、ああ、かんべさんて、そういう人のなのか、
こういう考え方をしはるのかとわかってくれるような」ということにて、
これは上岡さんの、海原小浜師匠へのアドバイスと一緒だなと思う。
ランスルー中、資料や原稿を読むとき下を向いてしまうので、マイクを通した
声がのびない。そういうときは原稿を二つ折りにでもして立てて持ち、
顔を上げて読むようにすればいいとのこと。
中西氏、番組中の会話は標準語なのだが、「大阪弁で受け応えしたほうが
いいですか」と。当方、「その方が、こっちはしゃべりやすいです。怒ってはる
のかなと思ったりしますから」とこたえる。中西氏、笑いなり。

本村氏、「出陣式をせないかんな」とて日時を調整、29日の夜と決まる。
こちらもチームの面々に「仁義を切る」意味で、一席持とうと思っていたので
相談し、それは出陣式とは別に、スタート後にということになる。
竹中氏、スタートまでに、自分用のマグカップを持ってきてくださいとのこと。
毎朝通いだすということに関して、ぐっとリアリティを感じた注文なり。
(上岡さんのアドバイス云々は、小浜師匠が漫才とラジオの生番組との違い
にとまどい、大先輩なのに「教えを乞いに」来られたというエピソード。
詳細は筑摩書房の『上岡竜太郎かく語りき』を御参照あれ)

3月24日(木)
1時、ラジオ大阪。うちあわせ中の雑談で出た話。
竹内氏、早稲田で「歌留多同好会」だかに入っていて、五段とのこと。
彼や新川氏の彼女(?)の話も出て、皆がその居住地や名前まで知ってる
らしく、いかにも放送局の制作チームの感じなり。
本村氏いわくは、「そのへんのことは、出陣式でたっぷりと」。
2時、ランスルー4回目。途中、やはり緊張と、あれこれ準備作業の疲労が
蓄積されてるからか、喉が詰まって咳き込んでしまう。
本番中にこうなったらどうしましょうと聞くと中西氏、
隅っこで口を押さえてしてもらえばいい、そのように言うからと。

何とか終わったのだが、あいかわらず下手だなと自分で思い、
要するにそれは、しゃべってる途中の間違いや詰まりは、訂正や言い直しで
すむけど、コーナーに入るときの「どなり」のタイミング、きっかけ、間などが
危ういのと、コーナーや新聞ネタ紹介に入るときの言葉
(えーっとかではなく、ずばっと入るほうがくっきりする)、そして3分とか5分
とかの長さを、どうコントロールするかというあたりが駄目なのだと感じる。
あと、本村氏から早朝の社内への入り方、裏のドアやエレベーターの場所、
オートロックの解除法などを教えてもらう。
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その4

3月11日
昨日のランスルーで、自分の不細工さに落ち込んだので、何はともあれ
大きな声を出す稽古にと、暗唱できる文章やせりふをセレクトする。
正式な発音発声練習、滑舌訓練などのテキストは、まずそれを一から頭に
入れなければならんので、手間がかかる。すでに頭に入っているもののな
かから、使えそうなやつを選ぶわけなり。
宮沢賢治の七五調の童話の冒頭部分、講談「難波戦記」の一節、
憲法第九条、香具師の「万年筆売り」、大阪弁で「東の旅」の冒頭、
英語でハーレーだったかの一節など。大きな声で何度もやったところ、
やはり腹筋を使ってるのか腹がカチカチになってきた。
難波戦記は息継ぎが少ないので、吐ききる訓練になりそうなり。えらいもの
で、それを二三度繰り返したら、声が「のびる」ような気がしてきた。
夜、自分の部屋でもやっていると○○がドアをあけ、にやにや笑いながら、
「お父さん、不気味やわ」
(註。難波戦記は、落語「くっしゃみ講釈」のなかに出てくる冒頭部分。
人名列挙などが調子よく進むので、二度、三度と繰り返したくなるのだ)

3月14日
身体をならすため、今週から5時起床の稽古をする。
4時起床は来週からのつもりだったのだが、本日4時半過ぎに眼が覚めた
ので、5時過ぎに出る。外はまだ夜で、電車も各駅停車しか走っておらず、
案外乗客の多いそれが、そのまま梅田まで先着。仕事場着は6時前なり。
とりあえずラジオを聞きながら、本棚の書籍の入れ替えを続行。
話題ヒントや発想チェックに使えそうなものを、まとめて並べていく。
7時前から原田アナの番組。ニュースや天気予報、
コーナーへのからみ具合など、チェック用に録音しながら聞く。
午後、ラジオ関係の資料整理続行。夕方、携帯の学習、やっと本格的にで
きた。メールアドレス登録まで進行なり。

3月15日
11時前、中西、本村、竹中、営業の初田、各氏と新金岡で待ち合わせ。
「新鮮活け活け情報」の提供スポンサー、大起水産を表敬訪問なり。
堺市の中央卸売市場内に、漁港の直売センター風の、広い小売り店舗あり
。鍋用、刺身用、その他魚介類種々豊富にて、業務用のマグロフィレなども
ある。2階のオフィスに上がり、佐伯社長、酒井取締役に挨拶。
以下、順不同で社長の話。

魚の商売は、そう儲かるものではないし、生鮮三品(肉、魚、野菜)では
一番鮮度が落ちやすくもあるしで、好きでないとやれない。
しかし、多様な種類の魚の顔を見てるだけでおもしろい。
アラスカあたりで獲れたカニを加工するとき、現地では、
靴を自動で磨く機械のような、そんなやつの回転部分に甲羅を当てて、
ガーッ、バリバリッと割っていくのだと。これをブッチャリングという。
語源と、そのニュアンスに見当がついて、おもしろし。
鍋のカニは、さっと湯につけるくらいで食べるのがよろしい。
フグの肝は、やっぱり毒がきつく、以前ほんのちょっと口に入れただけで唇
がしびれたので、これは危ないと思って、それ以上は食べるのをやめた。
だから、肝は大起では売らない。加工過程の廃棄物処理でも、
フグの肝だけは別扱いで回収してもらってるとのこと。

ラジオの速報性と反応の確かさの話。
「活け活け情報」はずっと前から提供してもらってる由だが、あるときOBC
の営業マンに、「あれ、あんまり反応ないやないか。誰も聞いてへんのと違
うか」と言ったら、営業マンは「それは、値段の問題ですよ。聞いてくれてる
ことは確かなんですから」とこたえた。
ほんまかいなと思い、一度、フグ一匹千円で出したら、開店前にダーッと列
ができ、先着200名様なのに、その倍ほど来た。
整理券を配って並んでもらうと、出勤途中のサラリーマンが車で来てて、
かなり遅刻してるはずなのに、調理してもらうのを待って持っていった。
社長、「なるほど。聞いてもろてるな」と納得したとのこと。
当方、「そしたら社長、番組スタートの日は、景気づけに、その200人並ぶ
やつをお願いしますよ」と頼む。あとで中西氏いわくは、(作家が、それとも
中西さんが思ってる「かんべ」が、そんなことを言ったからか?)
「びっくりした」とのこと。「代理店出身だけに、スポンサーと話をしてると、
三つ子の魂が出るんですよ」と笑う。

社長は創業者で、30歳で会社をつくった。今年で30周年、かつ還暦。
30周年記念に、いまは卸売り市場内にある小さな直営回転寿司の店を、
道路側に面した大きい店として新規開店する。
それは観光バスも寄ってもらえるくらいの規模なのであると。
あと、その回転寿司店でごちそうになる。トロ、名前通りトロける。
うに、クリームのごとし。数の子、きゅっと締まっていて噛みごたえあり。
それぞれ、自慢の上等品なのだと。だから、もちろん百円台、二百円台の皿
も多種類あるが、それらは少し高めの価格設定とのこと。
赤ダシではなく、アサリの味噌汁が大椀で出る。当方の好みの味にて、
二日酔いに効きそうなり。普段の昼食の2倍ほど食べた感じ。
ともあれ、どんな分野でも、プロの話はおもしろいことを再実感。
(おもしろい話、もっと多く聞いてメモしてあるのだが、ここには抜粋のみ)
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その3

3月1日
講談社吉田氏より、再校ゲラ数カ所、最終確認のFAXあり。
特殊用語の読み方など、再チェックしてメール返信する。
これにて、この本に関する当方の作業はすべて終了。以後、
ラジオが始まり、時間と精神エネルギーと体力消費量の見当がつくまでは、
原稿方面はストップにしても可と決める。
次に考えていたものの、メモ作りも一旦中断なり。
ホームページのフリーメモで、不在が増えることを告知しておく。
あいかわらず頭のなかでは、ラジオの「しゃべり」言葉が継続している。
(註。上記書籍は4月下旬に出る書き下ろしエッセイで、
宗教を扱った少々特殊な内容。しかし、御心配なく。
私は「バランス」感覚で生きてる人間ですから)

3月4日
午後、ジュンクへ。ラジオのネタの発想用に、ヒント集やチェックリストとして
使えそうな書籍を、どさっと買い込む。ただしネットでチェックできそうな、
もしくはそのほうが鮮度の高い分野のものは除外。
ネットを利用してなければ、もっと大量に買うに違いないので、
書籍販売の数字が低下するはずだなと思う。
作家が、書籍とネットを比較して、ネットに軍配を上げているんだから。
もどって、言われてた記者会見用のプロフィール原稿を作成。
あと、ホームページの番組予告用サブページを作成にかかる。
携帯電話のマニュアルも読まなければならんのだが、
やはり面倒くさいという気があるからか、本日もかかれず、かからず。
要するに、サブページを作ってるほうが、おもしろいからだ。
(別に主義主張があってではなく、差し迫った必要を感じず、学習が面倒くさ
くもあったので、これまで携帯は持ってなかった。しかし、月〜金の生ワイド
をやるとなると、やはりそれではまずいと思い、すぐさま購入したのだ)

3月10日
1時、ラジオ大阪。本村、中西、竹内、竹中氏とうちあわせ。
ステブレ、PT、サスなどの用語、当然、注釈なしに使われているのだが、
それが何のことか、一から説明してもらわなくても、ちゃんとわかるのが
代理店出身者の強み(?)だなと思う。2時からランスルー1回目。
まだ全体の流れが頭にちゃんと入っておらず、かつ、本日は話題やニュース
、リスナーからのメッセージなど、とりあえずの間に合わせ、寄せ集めでやっ
たので、進行についていくのに精一杯。
横のデジタル表示時間を見る余裕もなく、副調のディレクター(竹内氏がや
り、竹中氏も立ち会い、新川氏も入る)のほうも、こちらの「どなり」や「しゃべ
り」で入るときのハンドキューしか見る余裕なし。原稿や資料を見るのに必
死で、むかいの中西さんの顔も、なかなか見られなかったのだった。

あと、予告PR用のスポットを3種類録音。中西さんとの掛け合いであるが、
本村氏より、「もう少し声を張って」という注文、二度三度とつく。
張ってるつもりだったのだが、それは抑揚を強調してただけで、声量は小さ
かったらしい。それで、思い切って大きくしたら、そのとき初めて、横隔膜
が動いたのだった。なるほど、大きな声を出せば勝手に腹でしゃべることに
なるな。いつもの自分は、喉から上だけでしゃべってるんだなと納得する。
「代理店時代は、CM録音のタレントに、そこ、もう少し張ってとか、注文つけ
てたんですがねえ。言うのは簡単やけどということですね」と笑う。

終わってから、注意事項やアドバイスをいろいろ聞く。本村氏いわくは、
マイクに乗りやすい声というのがあって、それはたとえば、マイクにむかって
しゃべるのではなく、マイクのずっとむこう、スタジオの隅に人がいると思っ
て、その人に話すつもりで声を出すといいとのこと。
中西氏いわくは、本番前に発声練習すればいいと。事前に大きな声を出し
ておくと、しゃべりやすいし、通る声が出るからとのこと。
一方、これは本番中の注意としてだが、中西さんにしゃべるのではなく、
聞いているリスナーにしゃべることが大事。それは、頭のなかで、
そういう具体的なイメージを描いてやればいいのだと。
実際にしゃべる相手はむかいに座った中西さんなのだが、
聞かせるのはリスナーにという、その「使いわけ」が難しそうなり。
会話や語りの「目的」、あるいは伝達「対象」の明確化ということかな。

とにかく、本日のランスルーは下手も下手もド下手で、
なんぼアマチュアとはいえ、自分で自分が情けなくなる。
ゲスト出演で気楽にしゃべってたのは、あれはお膳立てをしてくれてるとこ
ろへ入って、気楽にしゃべっても、それで通るように、してくれてたんだなと
再認識。ゲストはそれでいいわけだが、今度はメインで、ゲストが入るとき
には、そのお膳立てをしながら、切り盛りしていかねばならんのである。
なんにしても、こんなガタガタ状態でスタートしたら、間違えたり、タイミングを
外したり、うろたえたり、聞き苦しいことおびただしくなるに違いなく、
怖くなったので、ランスルー3回の予定を、頼んで5回にしてもらう。

終了後、下のコーヒーショップでもあれこれアドバイスを聞き、
本村氏いわくは、とにかくラジオは、作ったってすぐばれる、
嘘のキャラクター、タテマエの言葉など、リスナーはすぐ見破るので、
本人そのままの自然体でいくのが一番なのだと。
中西氏、ランスルー中もそのあとも、注文やアドバイスなどなかなか厳しく、
プロとして当然なのだが、むこうから見たら、さぞ不細工でいらいらしてるの
かなと思ったりする。仕事場帰着5時半。どっと疲れた感じにて、
これは身体の疲労よりも気分の疲労。緊張が心地よい緊張ではなく、
不慣れやとまどいつづきの緊張で、終わっても発散されないための疲労な
のだと思う。同録テープを作ってもらったのだが、とても聞き返す気にはなれ
ず、アドバイスなどのメモ整理も明日として、缶ビールへ逃避する。
(とほほ。タハハ。え〜ん、え〜ん。なのでありました)
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その2

2月○日
午後、ラジオ大阪でうちあわせ。中西、兼田、本村、銭谷の各氏。
タイトルやコーナー企画、進行の雰囲気などをディスカッションする。
友好的に盛り上がり、2時間半ほどぶっつづけでやって、
やっぱりこういう、「現場」の雰囲気はいいなあと思う。
あと中西、本村、銭谷氏とコーヒー。中西氏いわくは、
番組企画の社内エントリー、提出したのは締め切り日だった由。
そして、当方起用の案は、これまで2度「没」になってるので、
今回もどうかなと思ってたとのこと。有力候補として2案残り、
「団塊の世代」の二人でやるというのが、ポイントのひとつになって、
こちらに決まったとのこと。なるほどなあと、得心する。

2月○日
ここしばらく、朝は同じ時間帯の、朝日放送と毎日放送をモニターなり。
在阪AM局、朝の激戦時間帯なのだが、道上さんも浜村さんも、
話術といいキャラクターといい、あるいは固定ファンの多さといい、
どちらも「神様」ランクの人なので、
「蟷螂の斧」などという言葉がうかんできたりする。
中西さんは年期の入ったプロだから、互角の勝負ができるだろうけど、
おれはこの分野では、所詮はアマチュアだからなあと。
それにしても、桜井さんがこれを知ったら、驚くだろうなと思う。「えーっ。か
んべさんと、おふみさんがやるのおっ!」などと、声まで聞こえてきそうなり。

(註。朝日と毎日。どちらも、生ワイドでは屈指の長寿番組を放送している。
道上洋三氏は超ベテランのアナウンサーで、朝日放送の取締役でもある。
その番組は、何と29年目に入っているのだ。
浜村淳氏は、説明の必要すらない実力派の人気パーソナリティ。
相方として出演中の桜井一枝さんは、これまたベテランのタレント。
ぼくが広告代理店に就職したとき、まず週一回やらされたのが、ラジオの公
開録音の立ち会いで、そのときその番組でアシスタントをしていたのが、
同じく駆け出し時代の桜井さんだった。CM録音もよく頼んだもので、
早い話が放送や広告の世界における同期生。中西・桜井の両氏どうしも、
古くからの顔なじみなのだ。え。どこの局も、中高年者ばっかりじゃないかっ
て? それは、そういう時間帯だからですよ。
ただし、朝日の番組のアシスタント、秋吉英美嬢は若いけど)

2月○日
本日、道を歩いていて、ふっと気がついたのだが、
頭のなかでものを考える言葉が、いつのまにか変わっている。
無論、「昼飯、何を食おうかな」くらいは普段のままだが、たとえばイラク問
題について考えだすと、これまではエッセイの文章で考えていたのが、
ラジオでしゃべるような、ですます調の口語体で進めているのだ。
潜在意識がすでにその態勢に入っているらしく、結構なことだが、同時に、
かなり緊張もしているのだなと思う。
過去、民放連の審査で偉そうな批評をしてきたので、
「ね。自分でやってみたら、そうはいかんことがわかったでしょう」
などと言われたら、ええ恥さらしやなと思ってか?
(内言語として、文章で考えるのは作家の癖で、別に大したことではない。
民放連云々は、毎年、近畿地区番組コンテストの審査員をやらせてもらい、
まさに「生ワイド」部門を担当したことも何度もあるので、
どうしても、「言うは易く」を思ってしまうわけである)

2月○日
午後、ラジオ大阪の広告代理店会議で、2時半過ぎにクラブ関西へ。
そのあと、あらためて写真撮影があるので、スーツ着用なり。
今回、朝、午後、夜と目玉的な番組改編があるので、そのお披露目と
セールス促進のお願いにて、業界内に対しては本日公表だが、
一般公表は、当方のホームページ内でも、
3月中旬の記者会見以降にしてもらいたいとのこと。
3時より開始。一番広い会議室が各社媒体部員で満員。
当方と中西氏はトップで、取り組み姿勢などを話す。
相手が代理店の人間だけに、出身者としてはあれこれ考えること多く、
変に緊張してしまう。

終了後、ラジオ大阪へ。写真撮影の時間待ちで、
原田さんの新番組の、日替わり出演者の一人、宮村優子氏と話す。
声優、女優であり、スタントウーマンもやってるというので、
その訓練や仕事の話を聞く。もっかゼロ歳児の母親であるが、妊娠がまだ
わかってないとき、なぜか高いところから飛び降りる仕事が怖くなった。
体調が悪かったこともあるが、それで医者へ行ったら妊娠がわかった。
怖くならず、飛び降りていたら大変だったという話。
御主人もスタントマンで、これまで一家は東京在住だったが、今度御主人が
USJと契約したので、もうすぐこっちへ引っ越してくるとのこと。

写真撮影し、あと会議室でうちあわせ。担当ディレクターの竹内氏と竹中氏
(女性)、アシスタントディレクターの新川氏を紹介してもらう。
番組進行手順、コーナーの内容、コメンテーターの人選、
こちらの用意する話題などについて相談する。当方、まだ番組の全体像が
明確にはつかめてないため、もひとつピタッとした把握がしにくい感じ。
あとスタジオで、テーマミュージックの選択。タイトルの「どなり」はなしとし、
挨拶でスッと入っていくことになったので、それに合わせて決定する。
3月に入ってから、ランスルーを3回ほどやることになる。
あれこれ準備作業をしなければならんが、その優先順位などが整理できて
ないので、頭が少々混乱気味なり。なお、クラブ関西で原田アナいわくは、
「目覚まし時計を、新しく買いはったほうがいいですよ」。まさに!と思う。
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その1

○月○日

ラジオ大阪、中西氏よりメール入り、新番組の件、
昨夕、ゴーサインが出たとのこと。「わーっ。やったー!」のコーフンがあると
同時に、決まるときは、こうもするする決まるものかという驚きもある。
過去にぽしゃった2回は、結論が出るまでにもっと時間がかかったように覚
えているのだが、今回は打診から、実質一週間で決まっているのである。
山羊座の今年の運勢、「異例の大抜擢」「社会的な立場で活動」が的中した
わけで、やはり何か、そういう「時期」があるのかなと思ったりする。
とにかく、いよいよにて、やはり頭脳はコーフン状態なり。
(註。中西さんは、今度一緒にやってもらえるベテラン・アナウンサー。
若い時代に一度、同じコンビで番組をやらせてもらったので、よく知った間柄)

○月○日
ラジオ大阪、銭谷氏より電話。月曜の夕方6時半から、うちあわせ、
声のテスト取り、広報用の写真撮影などをするとのこと。
あと、中西氏からも参考用にとFAXで、現在オンエア中の番組の
進行表着。次第に具体化してきている感じなり。
(銭谷さんは制作報道局長。これまた以前から面識があり、
一緒に特番の仕事をしたこともある)

○月○日
朝、原田アナの番組を聞きつつ、進行表と対比して、あれこれ考える。
午後、ラジオ関係の思考断片メモを作成。本日の打ち合わせ用の資料も
まとめる。6時半、ラジオ大阪。本村氏とあらためて名刺交換。
今度の番組、本村氏がプロデューサーで、営業面の企画や広報などは
編成企画の兼田氏が担当するとのこと。兼田氏、東京支社勤務が長く、
アニメ方面に関してのプロでもある由。なるほど確かに、
そういう雰囲気と体形なり。ガイナックスの武田氏とも親しいというので驚く。
写真撮影し、会議室でうちあわせ。番組タイトルや雰囲気、二人の対話関
係などを相談する。あと、下のスタジオで、おしゃべりのサンプルを録音。

なお、原田アナはもっか、スタジオ5時入りとのこと。
早朝だから、ぼくの場合タクシーで、15〜20分で着くでしょうとのこと。
それにしても、4時前起床の、4時半出発ということになりそうなり。
となると、月曜から木曜まで、アルコールはうがい程度。
人と飲むのは、金曜の夜だけにしたほうが安全だなと思う。
(原田さんは今度の4月改編で、午後のベルト番組、
『ほんまもん!原田年晴です』に移り、朝の同じ時間帯に、
こちらが入ることになったわけである。
本村さんも、顔見知りの制作報道部長。
編成企画グループチーフの兼田さんは初対面。
「新世紀エヴァンゲリオン」で有名な武田康廣氏は、
現在、SF作家クラブの事務局長なのだ)