玉石混淆・ふりーめも

聞いた話に、見た話。思考の断片、読んだ本。
経験したこと、させられたこと。何が出るかはわからないけど、
嘘とデタラメは書きません。……ほんとかな?



今月のお写真。冬には、こんな写真を出したくなる。雪の福知山城。
福知山は京都府の山間部にあり、古くは明智光秀の領地だった。
秀吉時代は小野木、江戸時代には有馬・松平・朽木と領主が代わり、
朽木 (くつき)藩3万2千石が13代続いて、明治維新を迎えたという。
以後、歩兵第20連隊が置かれ、いまも第7普通科連隊の駐屯地だ。
盆地だからか、近くを流れる由良川は何度も氾濫し、明治時代には
民家の二階が床上浸水したこともあるそうだ。それにしても、ここを
歩いたとき本当に寒かったのだが、昔の侍たちは雪の日の登城時、
どんな防寒対策をしていたのだろう。まさか、袴の下に股引など、
穿いてはいなかっただろうし、まあ、冷えたでござろうなあ。

2019年2月

◎2月19日にメール送信された方へ。

当方のホームページからの分ですが、
本文不着です。念のためお知らせまで。

◎準備1年、執筆にも1年かかりそうな話。
先日、明治時代から昭和戦前の、大阪の街や
生活に関する資料をチェックするため、大阪
市立中央図書館へ行ってきた。三階に広い
「大阪関係」フロアがあり、古い地図なども閲
覧できるのだ。だからまず確認したのは、大正
時代に刊行された大阪市のパノラマ地図で、
その写真版復刻地図は天神橋の 「大阪くらし
の今昔館」で売られているらしい。「中央図書
館でも売っているのではないか」と思い、あれ
ば買うつもりで行っていたのである。

そしてそれは売られていなかったが、現物は
確認できた。「なるほど。こういう物か」と
得心し、構想中の伝記長編執筆時に 「ぜひ
購入を」と思っていた。そしてそのあと、
ずらりと並んだ大阪関係の書架を、1時間半
ほどかけて全部チェックし、役立ちそうな書籍
がどの書架にあるかをメモしてきた。具体的
な構成段階、あるいは執筆開始後、必要が
生じたらコピーを取らせてもらうためであり、
まあ、大体の見当はつけられたのだ。

そしてその間、「和歌山へも行かなければなら
んな」と思っていた。明治初年生まれの主人公
がそちらの出身で、二十歳のとき大阪へ出て
くるまで、和歌浦(わかのうら)の鮮魚問屋で
働いていたからだ。よって、「ゆかりの地を訪ね
て写真を撮り、図書館へ行って郷土本コーナ
ーで関連資料をチェックする。そのあと市内で
古書店を探し、資料として使えそうな本を買っ
てくればいいな」と、その日の行動手順もうか
んできた。静寂の図書館内で、いかにも作家
らしい(?)有意義な時間を過ごせたのだ。


◎昔覚えた歌が、今使えるという便利さよ。

早朝のラジオ番組に健康アドバイスのコーナー
があり、高齢者の誤嚥(ごえん)について言って
いた。誤嚥は肺炎をもたらし、高齢者の死因に
もなる。それは知っていたから、半分寝ながら
とはいえ意識を向けて聞いたところ、要するに
喉をよく使うことが誤嚥防止の根本だという。
リタイアしたり、一人住まいになったり、高齢者
は人と話す機会が減って、あまり声を出さなく
なる。それはつまり喉の筋肉を使わないという
ことだから、機能の劣化が進むのだそうだ。

よって対策の第一は、声をよく出しなさいとい
うことで、その場合、裏声を出すのが有効との
こと。なぜなら裏声を出すときには喉仏が上下
しており、それが機能訓練になるかららしい。
当方、「なるほどなあ」と納得し、「としたら、
ヨーデルを唄えばいいのか」と思ったのだが、
覚えていて唄える曲はない。しかし次の瞬間、
「カントリーでもいいのだ」と気付いていた。

というのが、ハンク・ウイリアムスのレパート
リーに、「 ロングゴーン ロンサムブルース」
というヒット曲があり、これはリフレイン部分を、
「♪ シィイズ ロ〜オオ〜〜ング ゴオ〜〜オ
オン ナア〜〜アウ ロオ〜〜ンサム ブル〜
〜ス」と、言葉をひっぱりつつ、そのひっぱる
部分を裏声で唄っていく。歌詞全部は覚えて
ないが、そこは記憶しているから、それを反復
すれば良い機能訓練になるはずなのだ。
街なかで歩きながら唄えば、怪しまれるだろう
から、部屋のなかで唄っていくことにしようか。


◎まあ、別の酒席はありますけどね。

第一から第四まである大阪駅前ビルの、地下
二階は大半が飲食店街になっている。グリル、
割烹店、カウンター食堂などもあるが、広い
スペースにずらりとテーブルの並ぶ店も多い。
そこは昼食時間帯には定食を出し、午後から
夕方まで休んで、それ以降は飲み屋となる。
平日ならサラリーマン連中、土曜や日曜の夕
方には、たとえば山歩きの帰りらしい中高年の
男女集団が、騒がしく飲み食いしているのだ。

そして当方、そういう店で「あほな話」をし
ながら飲むのが、気兼ねがいらず好きなの
だが、いつのまにかその機会が減って、現在
では皆無に近くなっている。その理由は歴然
としていて、そんな飲み方しゃべり方のできる、
気の合った友人が一人また一人と亡くなり、
いまでは極少数になっているからである。
亡くなったのはサラリーマン時代の同僚や
落語家が大半で、中学高校時代の友人は
元気でいるものの、酒の飲めない男だったり、
転勤で東京に居着いてしまったりなのだ。

大学のクラブの仲間はほぼ健在で、ときどき
同期会をひらいて飲んでいるが、その場の
話題は当方の思う「あほな話」とは若干異な
っている。無論、そうやって外で飲まなくても
かまわんのだけれど、店内がよく見える店
の前を通過するとき、上記した山歩き集団の
盛り上がりぶりなどが眼と耳に入ると、
うらやましく思ったりもするのである。


◎山岳県下ではこんなのザラなのかな。

突然思い出したことだが、普通の郊外都市で、
「へええっ。こんな地形があるのか。これは
隆起なのか陥没なのか、どっちだろうな」と
驚かされた経験がある。オーバーな言い方を
すれば、住宅街に断崖絶壁があるという例で、
ひとつは豊中市、もうひとつは西宮市で遭遇
した。前地は正確な地名町名は覚えてないが、
市の東端、吹田市に近い場所にあり、西方向
から一度長い坂道を下り、低い住宅地を進ん
で行ったら、前方にそびえていた。

すなわち低い土地との標高差は、西側では
ゆるやかな坂道(斜面)になっていたが、東
側では、高さが二、三十メートルもありそうな
断崖になっていたのだ。その上も住宅街で、
そこは吹田市だったのかもしれないが、上が
って確かめたわけではなく、長らく行ってない
ので確言はできない。後地は西宮の上ヶ原、
関学大がある地区の西方向にあり、高台の
そこを歩いて行ったら、突然、こちらは絶壁
上から下の住宅街を見下ろす場所に出た。

ほとんど垂直と思える崖であり、これも標高差
は二、三十メートルもありそうだった。両地とも
驚嘆ゆえに実際より高く思えたのかもしれない
が、とにかく 「台風のときなど、下から上へと
強風が吹き上がるのか。それとも上から吹き
下りて下で渦巻くのか。何にしても暴風になる
んだろうなあ」と思ったほどだったのだ。一度、
ネットで3D地形図を探して、確認してみようか。


◎無論、必要あるときには熟読するが。

読書は長年の趣味だが、中学時代にはまだ、
その域には達していなかった。学習雑誌の
付録についていた名作ダイジェスト文庫を、
適当に読んでいた程度だったのだ。そして
そのとき、外国名作に出てくる人名や地名に
は馴染みがなく、いちいち覚えて読んでいく
のが面倒だったから、その種の作品は苦手
だった。高校時代、あるいは大学に入って
本格的に読み出してからも、その傾向は残っ
ており、だから小説にしろエッセイにしろ、
日本人作家のものが多かったのだ。

それなら現在はどうかというと、そんなことは
まったく気にせず読んでいる。数多く読んでき
て、外国の人名や地名に慣れたこともあるが、
別の理由もある。すなわち、多読の結果ある
種の「勘」ができ、読み進めるために覚えて
おかなければならないものか、読み流しても
先で支障は出ないものか、その区別に見当
がつくようになったからなのだ。

だから後者の人名地名はどんどん飛ばして
読み、その結果読了後には、「まんなかあた
りで、ちょっと出てきた人物」とか 「主人公が
訪れたけど、特に重要ではない場所」とか、
そんな記憶しか残っていなかったりする。
けれども仕事柄、ストーリーやプロットの骨格
は、頭に残っているである。欧米の作品同様、
陳舜臣氏の中国小説も、その一例ですね。


◎あれこれ買い置き品が増えていく(笑)。

先日、少し不自然な姿勢で物を取ろうとして、
軽い「ぎっくり腰」状態になった。ときどきやる
ことなので、買い置きしてある鍼付きの絆創膏
を数カ所に貼り、しばらく安静にしていたら、
とりあえず歩行はできるようになった。そこで
近くのドラッグストアへ行き、棚をチェックして、
「トウガラシエキス」配合という温感湿布薬を
買ってきた。その刺激を脳が熱いと錯覚して
いるのか、皮膚が本当に熱くなっているのか。
それは不明だが、まずは結構なものである。

ちなみにこのぎっくり腰、若かった広告マン
時代、重い荷物を持ち上げようとしてやられ
たのが最初で、このときは腰を大きく曲げて
しか歩けなかった。それが会社近くの鍼灸
院へ行き、鍼を打ってもらったら、帰りは
普通に歩けたので驚嘆した。鍼の効果を、
このとき当方、初めて知っていたのだ。

で、それ以降は長らく無縁だったが、作家に
なってからは机に向かいっぱなし、パソコンを
使いつづけという年月だから、何度も経験させ
られることになった。鍼付きの絆創膏を常備し
ているのは、肩凝り対策とともに、ぎっくり腰の
対処用でもあるのだ。まして年齢が上がって、
筋肉も劣化してきているはずだから欠かせ
ない。以後は、トウガラシ湿布薬も買い置き
しておこうかと思っているのだ。


◎別の古書店 「天牛書店」は健在だが。

先般、大阪では著名な古書店 「天牛堺書店」
が自己破産し、複数ある店舗も営業停止した。
堺筋本町の店には、ときどき資料を探しに行っ
ていたので、「不便になるなあ」と憮然としてい
たのだ。読書人口の減少による赤字が膨らん
だためだそうで、小さい古書店など、もうとう
から廃業が増えている。従来型の古書店は、
大量の書籍を常備しておくためのスペース
(店舗)が必要だったが、その賃貸料と売り上
げが釣り合わなくなったのだろう。

別の業界で言えば家具店も同様で、箪笥だの
ベッドだの大きな家具類を、常設展示しておか
なけれはならない。往年、大阪市の西区堀江
にはそんな大型店舗がずらりと並んでいたの
だが、現在はほとんど残っていない。輸入家具
や大型家具チェーンに押され、これもまた売り
上げと賃貸料が釣り合わなくなったのだろう。
だから家具店のなかには小さい店のみ市内に
残し、常設展示は郊外に広いショールームを
設けてというところもあるそうだ。

しかし古書店は、商品単価から考えて、そんな
こともできないだろう。 だから現在、ネット販売
のみという無店舗型の古書店が増えている。
時代の変化と言ってしまえばそれまでだが、
ぶらりと入って端から端まで書棚をチェックする
という、その有益な楽しみの場が減りつづけて
いるのだ。神田の古書店街はどうなのかな。


◎先ではFMとネット配信のみになる?

朝日放送ラジオは、馴染み(?)のタレント、
特に女性タレントを長く使う局である。当方が
若い時代に愛聴した 「ABCヤングリクエスト」、
通称 「ヤンリク」で日替わりアシスタントを務め
ていた面々が、いまでも明け方の番組を担当
していたりする。月〜金ベルトの番組が終了
しても、それをメインでやっていた女性を、バッ
サリとは切ってしまわず、週一の別番組を持た
せてフォローもしている。と、現在形で書いて
きたのだが、その事情が変わったようだ。

というのが、昨年同局は持ち株会社を作り、
テレビとラジオは分社化されて別々の会社に
なった。持ち株会社の資本金は53億円弱で
あるが、朝日放送テレビのそれは1億円。
ラジオは1千万円で、その限りにおいては、某
関係者の言葉を借りるなら 「小さなラジオ局
になった」のだ。だから経費節減のため、上記
したヤンリク時代からの女性タレントたちが担
当する、明け方の番組は終了となり、全員クビ
になったという。当方その長期起用実績に、
「人選が内輪(うちわ)指向だな」と感じる一方、
「親切な局だな」とも思ってきたのだが、背に
腹は替えられぬ状況になったのだろう。

明け方の新番組はギャラの安い若い女性タレ
ントたちに替わり、別の時間帯でも局アナ起用
の番組が増えている。先年来、AM局は難聴
地域対策のためFMでも流しており、ネットに
よる聴取も可能になっている。しかしそれは
それとして、AMあるいは民放ラジオというもの
は、ある意味 「ガラパゴス」化しているから、
この先さらに状況が厳しくなっていくだろう。
朝日のラジオを聞いていると、著名企業や
意外な法人団体のCMがよく流れ、「さすが
だな」と、営業力やブランドイメージの力に、
感心させられるのだけれど。


◎個人の印象で全体を決めてはいかんが。
明治維新後、薩摩と長州が権力を握って「閥」を
作り、それが明治大正昭和戦前の日本社会に、
数々の弊害をもたらした。政財官から陸海軍に
至るまで、その実例が多いのは事実なのだ。
その代表者は長州の山縣有朋で、権謀術数を
駆使する陰性の人物だったと言われている。
実際には、薩摩の山本権兵衛もそれに劣らぬ
策士だったらしいが、功罪の功の方が大きかっ
たのと、長州人=陰性に対する、薩摩人=陽性
というイメージで得もしていたのだろう。

そして当方、長州人=陰性というイメージについ
ては、面識のある某人物にそれを感じてきた。
人当たりは良く、むしろ良過ぎる感もあるのだが、
内心では何を考えているのかわからないという、
そんな雰囲気を持つ人間なのだ。だからこちらは
長らく、「なるほど。やはり長州(山口県)の人間
は……」と思ってきた。ところがよく考えてみると、
もう一人面識のある山口県出身者は、明るくて
気のいい、親切な人である。言動に裏表がなさ
そうで、上記の人物と彼と、どちらを信用するかと
聞かれれば、百パーセントこちらなのだ。

「そうか。山口県と言っても広いから、いろんな
人間がいるわけだな」などと、あたりまえのことを
再認識したのだが、しかしこうも思う。「ひとくち
に山口県と言っても、昔の長門と周防、二カ国を
含んでるからな。そのどちらかに、陰性人間の
育つ風土があったのかもな」 それだけ当方、
上記の前者に対する警戒の念が強いのである。


◎実感がない上に、疑いも出てくるわけだ。

景気回復の持続期間が戦後最長を記録したと
いうのだが、テレビや新聞の報道では、「そんな
実感はない」という意見や評論が目立つ。しかし
一方、ラジオのある生番組で実感報告を募集し、
「デパ地下が平日の昼間から混雑してる」とか、
「コンビニでパートをしてるけど、近くにスーパー
もあるのに、確かに来店客が増えている」とか、
肯定のメールも複数紹介していた。

ただし思うに、回復と言っても往年バブル景気の
破綻で一度日本経済がどん底に落ち、立ち直り
かけたらリーマンショックでまた落ちて、そこから
の(底からの?)回復である。おまけにV字回復
するだけの力はなく、ちびちび、ようよう回復して
きたのだから、その期間が長くなるのは、いわば
当然だとも言える。別の言い方をすれば近年の
日本は、戦後最長の期間をかけてしか、景気を
回復できないのだ。また高度成長期を知る年代
にとって、景気回復というのはもっとダイナミック
なものだから、「実感がない」という印象を受け
るのは、これもまた当然のことだろう。

そして何よりも、格差社会の進行は事実であり、
「回復して収入が増えた」という層と、「回復した
と言うけど、収入は減ってるぞ」という層の乖離
がある。さらに厚労省のでたらめ統計問題から
推測すれば、「最長を記録したというその調査
やデータは本当なのか。ごまかしてるんじゃな
いのか?」という疑いも出てくる。世の中全体が
もっと湧き返らないと、過半数が回復を実感
することなどないと思うのだ。無論、当方も
実感していない。まあ、出版はもちろん、既存
のマスコミ業界が低迷続きなのは、景気とは
別の、社会のネット化によるものだけれど。


1月
◎大学の仲間は合宿を経験してるからね。
高校時代の仲良しグループ、先日その女性4人が
集まり、「ランチしながらしゃべる」とて、当方にも
誘いがかかった。しかし、その日はすでに予定が
入っていたからパスさせてもらったのであるが、
「ランチしながらしゃべる」というのが、いかにも
女性の集まりだなと思った。こちらとしては、「しゃ
べるなら、飲みながらだろう」と言いたくなるわけで、
実際、メールの返信にもそう書いておいた。

しかし、そこで思ったのだが、仮に女性陣の都合
がついて夕方からでも集まれるとして、それは
どんな場で、どんな飲食をしながらということにな
るのだろう。彼女たちの雰囲気からして、イタリア
料理の店とか、静かで上品な割烹店とか、そんな
ところを選びそうだ。「ランチしながら」の場所も、
某高層ホテルのレストラン街だったから、イタリア
料理も割烹店も、ホテル内の店になるかもしれな
い。「それだと、あんまり盛り上がれんなあ」なの
であるが、もうひとつ頭にうかんだことがある。

割烹店なら割烹店として、そこで季節柄、鍋を囲む
のもいいなと思ったけれど、「女性陣が男の当方と
一緒の鍋をつつくということに、抵抗感を持つか持
たないか。さあ、どうだろうなあ」ということで、
大学のクラブ仲間なら、男女混合で鍋を囲んでも、
そんなの誰も気にしないことはわかっている。しかし
こちらの4人とは、そういう集まりはしたことがない
から、ちょっと推測がつかないのだ。無論当方、
気にせず一緒に食べてくれる方が、嬉しいのだが。

◎アメリカも「韓国疲れ」してるというけれど。

韓国海軍と海上自衛隊とのトラブルであるが、「本当
はどうだったか」ということがわからないので、もどか
しい気がする。最初の迎撃用レーダー照射について、
双方の主張や公表記録を対比して考えれば、当方、
韓国海軍の現場の人間が、反日感情もあって照射
してしまったのではないかと思う。しかしそれを上にも
報告したけれど、公表すれば日本に謝罪しなければ
ならなくなるので、国防省も否定をつづけているのか。
それとも現場がそれを隠して報告しなかったため、
本当に照射はなかったと思って否定しているのか。
そこが判然としないし、そもそも 「照射してしまったの
ではないか」というのも、当方の推測に過ぎないのだ。

先般の「また低空接近して威圧飛行した」という主張も、
同じように現場からの報告にどれだけの信憑性がある
のか、それがわからないから判断のしようがない。
相手が示した写真で距離と角度を計算すれば、低空
だったか否かの高度も判明するはずだが、海自が
詳細を発表しないのも、解せないと言えば解せない。
そしてまた上記の二例は、「実は最初の照射はなかっ
たのに、海自がデータや音声を捏造して、あったと主張
している」「韓国側に照射もしくは再照射させるべく、
内密の命令か指示によって、海自哨戒機が本当に再
威圧飛行した」という可能性も(そんなことする必要が
日本にあるのかとは思うが)、理屈としては成り立つ。

けれども、これらの推理のどれが当たっているのかは、
新聞やテレビのニュースによって絞っていくしかないの
だが、これも海自、防衛省、総理官邸の情報操作が
ないとは言い切れない。下手をすると、戦前の 「暴戻
なる支那と隠忍自重する帝国」という官製報道と同様、
「許せん。やってしまえ!」という世論になりかねない。
そこが怖いと思うのだが、マスコミ各社はその点をどう
考えているのだろう。無論、まったく同じことが韓国の
マスコミについても言えるし、現在の文政権の対日
姿勢から考えれば、情報操作の度合いも高かろうと
思う。それゆえかどうか、当方の印象として、「いまの
韓国は、北朝鮮が主張するような内容や姿勢で、
日本に当たってきてるなあ」と感じるのであるが。


◎その力は星さんにも小松さんにもあった。

昔の話だが、桂米朝師匠の若い弟子の一人が、
大阪から伊勢まで、自転車で往復したことがあっ
たそうだ。そしてその弟子が帰阪後、それを師匠
に報告したら、「やりよったなって、言うてくれ
はりました」とのことだった。それを実に嬉しそう
に教えてくれたので、「なるほどなあ」と、一遍で
覚えてしまったのであるが、同様の経験は後日、
当方もさせてもらうことになった。

米朝師匠が酒席の雑談で、ある人物について
教えてくださり、その男は某集団内でナンバー
2か3か、そんな位置にいるのだけれど、ライバ
ルを蹴落とすため、ナンバー1である人物に、
あることないこと吹き込んでいるという話だった。
当方思わず、「やっぱり、君側の
というのは
おるんですねえ」と言ったところ、師匠がうなず
いて 「君側の奸やなあ」。そして当方、この
会話と師匠の反応をいまだに覚えており、
それこそ 「君側の奸やなあって、言うてくれ
はりました」と、人に言いたい気持ちを持ち
つづけている。実際、人に伝えたこともある。

しかし考えてみれば、「やりよったな」にしても
君側の奸やなあ」にしても、何の気なしの一言、
または単純反復に過ぎなかったのかもしれない。
だとしたら、それをその弟子や当方が過剰感受
していたわけで、当方など、「あの瞬間、師匠と
自分との間に、確かに情の交流があったな」
などと思ったりしている。そう思わせるところが、
大物の「人間力」というものなのだろう。


◎司馬氏の「自在の境地」を盗めればと。

司馬遼太郎氏の歴史小説は、「坂の上の雲」でも
「翔ぶが如く」でも、文庫本で何冊もあるのに、
するする、どんどん、いくらでも読める。当方 「この
読みやすさと、おもしろさの秘密は何だろう」と思い、
以前あれこれ分析したのであるが、やはりその大
きな要素のひとつは「史実のおもしろさ」であり、
こちらの「史実に対する興味」だろうと思った。そこ
にディテールとしてのフィクションが加わり、さらに
作者が随所に顔を出して、「余談だが」「余談つづ
く」とやるので、ますますおもしろくなってくるのだ。

また、作者が顔を出す云々は別として、吉村昭氏
の「海の史劇」や「天狗騒乱」なども、やはり史実の
おもしろさが重要な魅力要素になっている。そして
両氏に共通するのは、徹底した取材と資料調査で
あり、それゆえこちらは安心して、自分にとっての
新知識を吸収できるのだ。で、そうやって考えて
いる過程で、「こういった書き方は、史実とは無関
係の完全なフィクション、たとえばSFで応用できる
か否か」という、そんな設問が頭にうかんできた。
失礼な言い方だと解釈されたら困るのだが、「より
かかる」史実なしで、それができるかどうかという
ことだ。そしてその考察のためには、上記した
「天狗騒乱」と、半村良氏の 「太陽の世界」の何
巻目だったかが、対比事例として使えると思った。

というのが 「天狗騒乱」は、幕末期、水戸の天狗党
(作品中では天狗勢)一行が、常陸の国から中山道
を経由して越前の敦賀まで、山越え谷越え難所を
越えて、延々ひたすら歩きつづける話である。一方、
「太陽の世界」の何巻目だったかは、ムー大陸の
どこかを支族だったか部族だったかが、これもひた
すら延々、移動していく話だったと覚えている。この
共通要素をモノサシにして分析していけば、双方の
構成や描写が読者に与える印象の違い、読者の
受け止め方の差異なども追究できるのではないかと、
そう思ったのだ。「太陽の世界」、手元に現物がない
ので、いまだにそれができてないのだけれど。


◎毎年、超暖冬だったのか。まさかね。

入学から4年の終わりまで通った新潟の小学校
では、冬になると各教室で石炭ストーブを焚いて
いた。豪雪地帯だし木造校舎だったから、カッカ
と燃やさなければ、子供たちは凍えてしまうのだ。
一方、転校してきた豊中の小学校では、同じく
木造校舎だったけれど、各教室の暖房は大きな
火鉢だった。それで済んでいたのだから、やはり
新潟と比べれば暖かかったのだ。実際当方、
転校してきた年の冬、雪が降らず、グラウンドが
白くならないことに驚愕していたのである。

ところが、ここまではちゃんと覚えているのに、
中学や高校の暖房がどんなものだったのか、
記憶を探ってもうかんでこない。どちらも木造
校舎だったが、ストーブはなかったと思うし、
「ひょっとして。中学の教室には火鉢があった
かもしれない」とは思うものの、確かな関連
記憶がない。しかし無論、ヒートポンプなどの
ある時代ではなく、夏だって扇風機さえなかっ
たのだから、冬も何もなかったのか。それだと、
「よく辛抱できたなあ」ということになる。

大学については、ストーブや火鉢がなかった
のは確かで、多分、鉄筋校舎の全館暖房だった
のだろうと思うけれど、これも鮮明な記憶はない。
中学高校大学と、若い時代だから暖房なしでも
平気だったのかもしれないが、といって、「何も
なかった」と断定できる記憶もないというのが、
自分ながらどうも解せないのである。


◎ほんと、寝られなくなっちゃうんですよ。

ベッドに入って明かりを消し、往年の上方漫才を
聞きながら寝ることがある。しかしときには、つい
つい理屈で考えだし、眼が冴えてしまったりする。
たとえば「ダブルヤング」のあるネタに、伊丹から
飛行機で羽田へ向かう場面があり、「飛行機は
速いからなあ」という導入で、以下、相方の相槌
をはさみつつ、「うわあ。さっき伊丹立ったと思う
たら、もう梅田やで。〜もう中津やで。〜もう十三
(じゅうそお)やで。〜もう三国やで」「阪急電車に
乗ってるんと違うで。それも各駅停車やないか」
とつづく。何でまた阪急宝塚線を選んだのか。
コンビのどちらかが、その沿線に住んでいたの
かもしれないが、とにかく客は大笑いしている。

しかしこれ、飛行機は伊丹から飛び立ったのだ
から、所定の航空路は別にせよ、梅田から中津、
十三と進むのは逆方向になる。羽田へ向かい、
かつ阪急電車を見下ろしたいのなら、京都線を
例にしないと進行方向が一致しないのだ。海原
千里・万里(せんり・まり)には、千里が歌手何人
かのヒット曲を声帯模写で唄うネタがあり、その
一人はオウヤンフイーフィーである。司会役の
万里が 「それでは唄っていただきましょう。餃子
の歌」と振ると、千里が「♪ 眠眠餃子はおいしい
な。こんがり焼いて食べましょう〜」と唄って一転
「そんな歌あるか!」。「ボケ突っ込み」が決まっ
て客は大爆笑し、そのあと、「よう勝手に作って
唄うなあ」「人をベートーベンみたいに言うな」
「そんなええもんと違うわ」とつづく。

けれどこれも、理屈で考えたらおかしいわけで、
「作って唄う」のなら作曲家ではなく、「ボブ・
ディランみたいに」とか「吉田拓郎みたいに」
とか、シンガーソングライターを例にしなければ
ならないだろう。ただしそれだと、その名前や
立場を知らない客がいるかもしれず、あほらしさ
という点では、ベートーベンが圧勝する。
だから、それでかまわんのだとは思うものの、
やはり気になり考えてしまうのだ。


◎中国の軍需工業にその力があればだが。

海上自衛隊の大型護衛艦「いずも」を、何年か先
に空母化するそうだ。現在も実質はヘリ空母だし、
アメリカの強襲揚陸艦と相似してるから、改造
次第ではその用途にも使えるのだろう。とにかく
海自に限らず陸自も空自も、次々に装備を強化し、
部隊組織を改編している。これは言うまでもなく、
中国に対する防衛戦略のためである。冷戦時代
の主敵はソ連だったから、陸自は北海道に主力を
重点配備していたが、現在は尖閣、沖縄など南西
諸島を優先しており、水陸機動団(海兵隊の日本
版)は、占領された離島の奪還が主任務だという。

往年、ソ連軍が北海道に上陸してくる可能性など、
米ソの直接戦争でも起きない限り、無きに等しい
ものだったはずだ。しかし尖閣以下、東シナ海の
離島に関しては、「地域紛争」レベルでの上陸や
占領も、ありうると判断されているのだろう。実際、
南シナ海で人工島に基地を造ったり、ベトナム、
フィリピン、インドネシアと対立もしているように、
いまの中国には、自国の利益のためには 「何を
するかわからんな」というイメージがある。だから
自衛隊の装備強化も、「相手がこう出てきたから、
こちらはそれに備えざるをえない」という、
その対応順序については理解できるのだ。

とはいえ陸海空とも、有事運用には装備も人員も、
3倍の単位で用意する必要があるとされている。
部隊にしろ艦や飛行機にしろ、前線→休養・整備
→訓練(→再度前線へ)というローテーションで
動かしていくためで、旧日本軍のような前線への
張り付け配備はありえないのだ。しかし、上記の
空母型護衛艦以下、それを実行すれば中国との
軍拡競争になってしまい、どこかで歯止めをかけ
ないと際限がなくなる。だから現実的には、中国
に対抗する陸海空の直接装備面は、やはり
「アメリカ頼み」にならざるをえないと思うのだが。


◎菅笠様。メール拝見。
拙作をお読みいただき、ありがとうございます。
前に青森の果樹園の話で推測してましたが、
やはり農学部のご出身でしたか。なるほど。

◎大阪府庁が「江之子島」にあった時代。

大正時代前期の大阪市街地図を見ると、当時
の大阪駅はまだ面積が小さく、その北側に新駅
の建設用地として、広い区画が取られている。
それが現在の大阪駅だとすれば、まだ小さかっ
た駅は、いまの阪神百貨店寄りにあったことに
なる。一方、阪神阪急とも梅田の駅はあるが、
双方まだ百貨店はない。そして、いまの阪神
百貨店の東端あたりに、曽根崎警察署がある。
だからこの警察署は、後年、梅田新道を東に
渡って新築されたことになる。

梅田新道は明治後期に造られたから、当然
この地図にも載っているが、その先の御堂筋は
拡張前ゆえ、本当に狭い道である。堂島に大阪
毎日新聞、中之島に大阪朝日新聞があり、これ
は知っていたが、同じ堂島に時事新報があるの
には一驚した。同紙は福沢諭吉が東京で創刊し、
戦前「五大新聞」のひとつになっていた。有名な
海軍記者、戦後「連合艦隊の最後」を書いた
伊藤正徳も社員(後年社長)で、当方それで
社名を覚えていたのだ。

「へえっ。その時事新報が大阪にも。しかしこれ
は、朝日や毎日のように東阪で別会社にしてた
のか、それとも支社だったのか、どっちだろう」
などと、あれこれ考えながら眺めていると時間を
忘れる。なにしろ上記だって、北区のごく一部を
チェックしただけで、北へ南へ東へ西へと、確認
したいエリアは広大なのだ。なぜならこれは、
単に遊びや時間つぶしでやってることではなく、
先の仕事として考えている長編作品の、背景
知識を得るための作業だからである。


◎夙川学院大学は廃止されたというし。
西宮に夙川学院という女子中学・高校があり、
校名は別だったものの、戦前からの学校である。
所在地は阪急の甲陽園だが、夙川沿いと言え
ば言えるから、まずは妥当な校名だろう。しかし
この夙川中学と高校、先般電車内で見た中吊り
広告では、去年からか今年の春からか、神戸の
ポートアイランドで男女共学にして新規開校
みたいなことが書いてあり、経営は須磨学園と
なっていた。夙川学院には経営上の問題がいろ
いろあり、だから救済的に「提携」してもらった
結果だろうと思われる。

けれども、ポートアイランドも須磨も、夙川から
は遠く離れていて何の関係もない。なのにその
名称を残したのは、それだけ「夙川」という名前
にイメージバリューがあるということだろうか。
何にしても、こちらは知識の修正をしなければ
ならず、ややこしい話である。同じく電車内の
経験だが、中学だか高校だかの女の子たちが、
運動部の揃いのジャージを着て乗っており、
その胸に三日月マークが付いているのを見ると、
一瞬、「えっ。どういうことだ?」と思う。

三日月は関西学院のシンボルマークであるが、
大学は別として、中学部も高等部もずっと男子
校だった。先年、別の学校を統合だか提携
だかして男女共学になったのだけれど、こちら
としては、長年のイメージが脳内に固定されて
いるので、これもまたややこしいのだ。この先
さらに少子化が進めば、こういう事例が
どんどん出てくるのでしょうな。


◎ストーリーは、マル秘でございます(笑)。

夢というものは、誰でも毎晩いくらでも見ているの
だが、起きてからそれを思い出せないだけなのだ
そうだ。だから当方も、大晦日から元旦にかけてか、
あるいは一日の夜から二日の朝にかけてか、その
どこかで初夢を見ているはずである。しかし、内容
を覚えていて起きてからも思い出せたという、そん
な条件を満たした初夢となると、六日の夜、とろ
とろと眠っていたとき見たやつだということになる。

覚えていて思い出せたどころではない、仕事柄、
その内容を分析したり発展させたりしながら見て
いた。どんな内容かというと、上方落語の超大作
「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわ
むれ)を下敷きにしたようなもので、閻魔さんと鬼
たち、そしてまだ亡者になってない、こちらの世界
で生きている人間が何人か出てくる。名前を書く
と 「ネタばれ」しそうなので書けないが、その人間
たちというのは、昔の日本や西洋の、おとぎ話や
伝説に出てくる著名人なのである。

もちろんドタバタ喜劇であって、起きてから 「これ
は、あっさりと軽く書けばショートショート、こっ
てりと書いていけば短編になるな」と思っていた。
「いや。それどころか、そのまま落語にできるや
ないか」であって、さっそくメモしておいたのだ。
これが本当に初夢なら、今年の当方、あほな
発想、おもろい仕事に恵まれるのかもしれない。


日本の発明,平頭銛なんてのも思い出す。
日本が国際捕鯨委員会から脱退し、沿岸や領海
内に限ってだが、商業捕鯨を再開することになった。
ただし思うに、それで鯨肉の入荷が増えても、消費
量はそれほど上がらないのではないか。なぜなら、
これまで調査捕鯨で獲った鯨の肉は消費にもまわ
されており、当方、鯨料理の店で刺身や鍋を食べ
たこともある。しかし正直なところ、独特の固さと
臭みがあって、そう旨いとは感じなかった。まして、
牛肉や豚肉に慣れた消費者にとって、飛びつく
ほどのものではないだろうと思うのだ。

おまけに牛でも豚でも鶏でも、安い輸入肉がどんど
ん入ってきている。鯨肉は割高になるだろうから、
その点でも競争力に劣るに違いない。しかし思い
出してみれば、小学校時代は南氷洋捕鯨の全盛期
だったし、高度成長期以前でもあったから、給食の
肉といえば大半が安い鯨肉だった。「うまい!」と
思ったわけではないが、肉とはこういうものだと思っ
て、普通に食べていたのだ。缶詰で鯨の大和煮
などもあり、子供たちはそれを遠足の弁当のおかず
にしてもらっていた。団塊世代は、動物性蛋白質を
鯨肉で摂取していた世代だとも言えるのだ。

学習雑誌の付録に、いろんな分野の豆知識を収録
した冊子があり、そこには世界や日本の大型船一覧
も載っていた。図南丸という捕鯨母船も出ており、
いま確認してみると、この2万トン近い大型母船は、
日本水産が所有していたのだ。略称「日水」であって、
ラジオの連続放送劇 「赤胴鈴の助」を提供していた
のは、この会社だった。大洋漁業もプロ野球の球団
を傘下にしており、そのチーム名は、もろにそのまま、
「大洋ホエールズ」だったのである。

町の駄菓子屋では、十円や二十円で買えるオモチャ
も売っており、そのなかに鋳物製の小さな捕鯨セット
があった。バネで微小な銛を飛ばす捕鯨砲と、標的
として指先ほどの鯨が3頭だか付いている。潮を吹い
ている姿の鯨は平面形で、机の上にでも立てられる
ようになっていた。なぜそう詳しく覚えているかと
いうと、買ったからだ。とまあ、こんな具合に、鯨は
子供の生活にも密着していたのだけれど、捕鯨が
再開されても、その再現はないだろうと思う。
生活状況も食環境も、変わりましたからねえ。


◎菅笠様。メール拝見。
本当に、何かわざわざ古い例を列挙したような、
そんな気がしてきますね。その点、昭和は新しい
ように感じますが、これも慣れた結果の印象?

◎正月早々、親子とも仕事のことを考える。

娘の一人がアパレル会社に勤めており、某大型
ビルに入っているショップで、店長を務めている。
当然、年末年始は忙しく、深夜の帰宅とか、早番
で出て帰りは遅番と変わらないとか、疲れもたま
っているらしい。そこで、「儲かって、あんたの評
価も上がるんやから、ええやないか」と言ったら、
「儲からない客が多くて、それでなお疲れるのよ」
とこたえた。どういうことかと聞くと、気に入った
商品何点かについて、スタッフにあれこれ質問し、
買ってくれるのかと思って丁寧に説明したら、
最後に 「セールはいつからですか。この商品、
セール対象品になりますか」と聞くのだという。

つまり年度末とか春先とか、定期的に催される
格安セールを待ち、そのための下見に来ている
わけで、その手の客がやたらに多いそうだ。
「セールまで取っておいてもらえますか」などと
いう客もおり、断るのも丁寧にしなければなら
ないから、ストレスがたまるばかりらしい。
もちろん買ってくれる客もいるが、その双方に
限られた人数で対応しなければならず、そこに
「堂々と」「見え見えの」万引きをする女たちも
いるので、ますます疲れるのだという。

当方、下見の客について、「会社の戦略とか
年間計画が、とっくに客に読まれてるんやな」と
言うと、「そう。本社の方針とショップ側の実態
とが、ズレてるのよ」とのことで、これは他業種
他業界でもよくあることだ。だから当方内心で、
「時代は変わっても、そのパターンは変わって
ない。だから小説でその型を使っても、まだ
間違いにはならないな」などと、既得知識の
有効性を確認したりするのである。


◎あけまして、おめでとうございます。
昨年後半は伝記を一冊書き、ラジオのミニ企画も
進めました。どちらも今年の春頃、形になる予定。
ラジオは東阪名九4局で、ミニトークを試しに
4回流し、好評ならば展開も可能という依頼です。
ありがたいことに身心健全ですので、さらに仕事の
枠を広げていこうと、いろいろ考えております。
本年も、どうぞよろしく、お願い申し上げます。


◎平成最後の年の初めに、予想を紹介。

武田恒泰という、明治天皇の曾孫か何からしい
人が、ネットで次の元号予想をしている。あれこれ
の条件から絞って、このうちのどれかになる可能
性が高いという、十一の例まであげている。列記
させてもらうなら、安延、弘栄、永明、文承、安化、
安長、永光、建和、建安、弘徳、文弘である。
しかし当方の受けた印象として、これらはどれも
これも、鎌倉時代か戦国時代の元号のようで、
「いまどきやおまへんな」と思った。

ただし、その予想に対する書き込みのなかに、
「平成も最初は何だこれはと思ったけど、慣れて
きたら元号らしくなった」という、そんな意味のもの
があり、それについては「なるほどな」と思う。
だから鎌倉時代的な古い雰囲気も、慣れてくれば
現代的になるかもしれないのだ。しかしそれは
それとして、次の元号が上記のうちのどれかに
決まることは、絶対にない、と言っていいと思う。

なぜなら、これも書き込みのなかにもあったこと
だが、規則か不文律かは知らないけれど、発表前
に公開や予想をされたものは、採用しないことに
なっているはずだからだ。なのに、そんなこと重々
承知してるはずの「お立場」の方が、なぜ予想公開
をしたのだろう。ひょっとして、内々の候補案がすで
にたくさん出ており、上記事例の賛成派と反対派が
暗闘していて、反対派たる氏がリークしたのか。
まさかとは思うが、わからんからね、あの世界は。