玉石混淆・ふりーめも

聞いた話に、見た話。思考の断片、読んだ本。
経験したこと、させられたこと。何が出るかはわからないけど、
嘘とデタラメは書きません。……ほんとかな?



今月のお写真。歳末セールらしい花飾りがあり、画面中央には、
改札口もない低いプラットホームがあって、その右は線路である。
どこの地方都市だと思われそうだが、実はこれは東京都内の光景。
都電荒川線の、町屋駅前停留所なのだ。大阪の阪堺電車にも、
改札口なし、低いホームを下りたら商店街という場所はある。
しかし、ここまで密着している光景はないから、その下町ぶりに
驚嘆し、終点(三ノ輪橋)まで行くつもりを、途中下車したのだ。
札幌・岡山・広島・高知・鹿児島と、路面電車は各地で乗ったが、
町の生活と溶け合っていて、それぞれ、いい雰囲気だったな。
まあ、この町屋の光景、いまは少しは変わってるだろうし、次の
東京オリンピックのときには、さらに変わってるのかもしれないが。


2018年12月

いまどうなってるかは、知らないが。

ネットで阪神間の古い写真や記録を検索
していたら、突然、当方の作品を複数紹介
しているサイトに行き当たった。舞台やスト
ーリーに阪神間が出てくる作品だからだが、
そこから派生して、通った西宮の大学の、
当方が入学したときの大学新聞、その新
入生名簿欄まで出しているのには驚いた。
そもそも、大学新聞にそんな名簿が載って
いたということ自体、初めて知ったことで、
どうやら全新入生を学部別で出身校別に、
何ページにもわたって掲載していたらしい。

サイトで紹介されているのはそのごく一部で、
そこに当方の氏名も載っており、サイト主催
者の 「確かに名前が載ってます」という注記
が加えられている。「確かにって、おれが学
歴詐称でもしてると思ってたのか!」と言い
たくなる注記だが、それはともかくその名簿
には、ずらずらっと同じ高校だった女の子の
氏名が並んだあと、最後に一人だけ男子
学生として、当方が出ている。

「ああ。そう言えば、同じ高校だった友人は
法学部に入ったから、社会学部に入った男
はおれ一人だったんだよな」「それどころか、
あの年あの高校から入った同学年の男は、
非常に少なかったんだ」 そう思って記憶を
探り、あと一人、商学部に入った男を思い出
せただけだったから、多分、男は三人だった
のだろう。女子は文学部にも社会学部にも
ぞろぞろ入っており、戦前は高等女学校だっ
た伝統で、当時も歴然として、女子生徒の
方が偉い高校だったのだ。まあ、その分、
男たちには気楽な3年間でしたけどね。


◎菅笠様。メール拝見。
「総合防除」の考え方、勉強になります。
なるほどなあと、納得しました。

塞翁が馬と一緒に縄をあざなってる?

10月中旬に、高校時代の仲良しメンバー、
その女性の一人が、フラワーアレンジメント
とコンサートの、コラボ公演を成功させたこ
とを書いた。あとから聞いたところでは、1
年間かけて準備し、公演後の後始末も
無事すませて、スタッフたちとともに、
「さあ。それでは、新たな出発を!」と言っ
ていたそうだ。ところが、それから1カ月
余りのち、その彼女がビルのエレベーター
とフロアとの隙間にハイヒールの踵をはさ
み、転倒して救急車で運ばれたという。

脊柱一箇所を圧迫骨折しており、もっか
入院中で、リハビリがまだ何カ月もかかる
らしい。聞いた当方、「それはいったい、
どういうことだ。明のあとに暗が来るという、
そこに何か運命の法則でもあるのか?」
と、ついつい小説的な思考をしてしまった。
もちろん現象のみで言えば、公演の成功
は成功、骨折は骨折であって、そこに
関連性や法則性を見いだそうとするなど、
恣意的な考え過ぎになるだろう。

しかし一方、人生のなかで起きるどんな
ことにも、必ず意味があるという考え方も
ある。そして「偶然」を論じた本には、本当
は「単なる偶然」というものはなく、すべて
「意味のある偶然」なのだと書かれている。
上記彼女の事例、明と暗との落差があまり
に画然としているので、そこに何かの意味
があるのか否かと、考え出したのだ。


◎殺鼠剤や超音波による駆除よりも。

ネット記事によると、青森県の果樹園では
冬が近くなると、リンゴの木をハタネズミに
齧られて、被害が大きいという。畑にいる
鼠でハタネズミだろうと思うが、そこで弘前
大学の研究者が肉食鳥であるフクロウに
着目し、リンゴ園に巣箱を設置してみた。
そしたらそこに棲みついたフクロウが、ひな
鳥を育てるためハタネズミをどんどん獲って
くれるので、その周囲では棲息数が激減し、
リンゴの被害も減ったそうだ。だから、リン
ゴ園の各所に巣箱を設置して、多数のフク
ロウに棲んでもらえばいいという話である。

当方、「なるほどなあ!」と感嘆したのだが、
これを一般化、抽象化すれば、AがBに
もたらすマイナスは、Cが軽減または防止
するという関係になり、こういう無自覚的な
システムは、地球全体、自然界全体のなか
では、他にも無数にあるのだろう。そして
それら無数の無自覚システムが重なり合い、
長い時間で言えば原始時代以来、ああなり
こうなりそうなって均衡状態に達した結果、
森や林や山や平原などを、現在、かくある
ごとく「あらしめている」のだろう。

南米の大規模伐採やアジアアフリカの焼き
畑農業から、先進工業国の二酸化炭素
問題に至るまで、人類はその均衡状態を
しきりに崩しかけているわけだが、「いいか
げんにしておかんと、無数無限の無自覚
システムが、本当に壊れてしまうなあ」と、
このニュースで実感させられたのだ。


普段の町にも、わからんことがある。

某町内に割りに大きな住宅があり、ただし
玄関は道路に面しているから、その前は
ごく狭いスペースになっている。ところが
そこに何カ月も前から、粗大ゴミなのか
何なのか、大きな汚れた箱だの袋だのが
山ほど積み上げられるようになり、いまも
そのままになっている。上記したように
狭いスペースだから、ドアをまともに開け
られず、人ひとりがかろうじて横になって
出入りできるくらいの余裕しかない。

どんな人が、どんな家族構成で住んで
いるのかは知らないが、別にゴミ屋敷では
なさそうだし、箱や袋の大きさを考えれば、
痴呆化した高齢者のできることとも思え
ない。一方、その近くには、空き地にアス
ファルトを敷いて白線で区切っただけの、
小さな月極駐車場がある。その道路側の
端っこには、何カ月どころか、もっと前から
軽四輪が停められたままになっている。

ルーフもボンネットもウインドーもほこりだら
けで、しかも前輪の片方がパンクしている。
駐車場の持ち主のものなのか、誰か借りて
る人間の車なのか。それは不明だが、後者
だとしたら延々と料金だけ払っていることに
なる。二例とも、「いったい何なのだ」であり、
「どうするつもりだ」と、通るたびに気になり、
どんな人間の所業か、確認したくなるのだ。


長年のツケを一挙に払わされた? 
先日、神戸市の事務職員が、学歴詐称で
懲戒免職されたというニュースがあった。
1980年に採用され、ずっと勤務してきて、
現在63歳だという。ところがこの学歴詐称、
普通の事例とは逆で、大卒なのに高卒だ
と称していたのだそうだ。

当方、「へ。それもそんな重い処分の対象
になるのか。仮に神戸市の人事規定で、
給与や昇進に大卒と高卒の歴然とした差
があるとしても、本人がその不利益を受け
てもかまわんと思ってのことだろうから、
神戸市には何の損害も与えてないのに」
そう思ったのだが、実はこの人物、高卒
採用枠の試験を受けて入ったのだという。

ということは、本当の高卒受験者を一人
不採用にさせたわけで、その機会を奪った
ことに問題があると判定されたのか。まあ
確かに、不況で就職難のときにそれをやら
れたら、高卒者は怒るだろう。その意味
では今回の処分は、金銭的な利益不利益
ではなく、社会正義の観点で下されたの
かもしれない。しかしそれにしても、懲戒
免職は退職金も出ないはずだから、本人、
えらいことになったと思ってるでしょうな。


11月。
◎西村様。メール拝見。
おーっ。これはこれは。お元気でしたか。
そして、あいかわらず走ってはりますか。
確かあのあと、棺桶製造会社に勤めたと
いう話でしたけど、間違ってたら失礼。
どうぞ、これからも、元気に快走を。


◎菅笠様。メール拝見。
私も高校の同級生に、在日の男がおり、
普段は何とも思わなかったけど、あるとき、
ドキッとさせられる言動があって、以降、
複雑な心理になりました。難しいものです。


◎小さな発見、大きな満足ですなあ。

寒くなってきたので、腰に貼っておくべく、
使い捨てカイロを買った。ところが勘違い
して、「貼るタイプ」「貼らないタイプ」 二
種類あるうちの、貼らないタイプを買って
しまった。帰宅後、箱をあけて初めて気付
いたので、いまさら商品交換にも行けない。
どうしたものかと考え、一案を思いついた。

当方、防寒の一助として幅広の「健康ベル
ト」も使っており、これは腹巻きなどという
もっさりしたやつは嫌なので、腰痛防止用
の製品を流用しているのだ。だから例年
なら厳寒時に使い出すそれを使い、貼らな
いカイロは、セロテープを幅広ベルトの上
縁で折り曲げて、ぶらさげるようにセット
すればいいと思ったのだ。そして、そうしよ
うとしたところ、驚いたことに、カイロがピチ
ッと小さく音を立てて、ベルトにくっついた。

ベルトには腰に当たる部分に強力な磁石
が何個も取り付けられており、ピップエレキ
バン同様、血流を良くするという触れ込み
である。でもって、使い捨てカイロの主材料
は鉄粉だから、セロテープを使うまでもなく、
自分で貼りついてくれたのだ。試しに腰に
装着してみても、ずれたり落ちたりはしない。
箱で買った貼らないカイロ多数がそのまま
使えるわけで、「こういう手があったか!」と、
ひとつ発見した気になっていたのだ。


嫌韓ではないけど、敬遠韓ですな。
韓国旅行は、大阪からなら北海道や九州へ
行くより安く行けるようだが、当方、行きたい
とは思わない。ひとつには韓国料理が苦手
だからで、中華料理なら仮に旅行中三食
それでもかまわないが、煮物にしろ汁物に
しろ、色も味も濃くてしつこい感があり、敬遠
したいからだ。これは純粋に「好み」の問題
だから、仕方がない。そしてもうひとつは、
やはり反日感情の強い国だからである。

漫画家の高信太郎が韓国好きで、よく行っ
ていたそうだが、あるとき屋台で飲み食いし
てたら、「日本人がいるぞ!」と、もちろん
韓国語の、それも蔑称で言われた。コーシン
は韓国語ペラペラだから、ふりむいて 「私の
ことですか」と聞いたら、さすがに相手は顔を
赤くしたらしいが、当方わざわざ旅行に行って、
そんなこと言われのは嫌である。韓国語が
わからなくても、雰囲気でわかるだろうし、
その蔑称の背景も一応は知っているから、
気持ちがどっと重くなるに違いないのだ。

まして、英語なり日本語なりで、その種の
議論でもふっかけられたら、本気で対応すれ
ば際限がなくなり、これも旅行中にやること
ではない。そして当方が 「それなら、こちら
からも聞くが」と、「なぜ歴代の大統領が罪人
にされるのか」「どうして犯罪国家であると
わかっている北朝鮮と、融和したがる国民が
多いのか」「なにゆえ条約や協定を無視して、
補償問題を蒸し返すのか」等々、問いを
重ねれば喧嘩になることは必定だろう。
まあ、そんなわけで、いまのところまったく、
行きたいとは思わんのであります。


焼き直しを創作だと思うわけかな。

こないだ電車に乗ったら、車輌番号が8336
だった。特に意味のない番号だが、これはどう
読めるかなと思って考えると、「闇三郎」という
名前がうかんだ。途端に仕事柄、頭のなかで
ぱらぱらっと連想が働いて、それらしい時代物
の話ができていた。しかしそんなもの、実際に
は使えない。なぜならそれは、過去に 「必殺
仕事人」とか「仕掛け人」とか、あの手のテレビ
ドラマシリーズを視聴した結果、ストーリーや
登場人物や全体の印象が記憶に残っており、
それらをそのまま使った話であるからだ。

だから、本当にこの「闇三郎」という人物を登
場させる作品を書こうと思うなら、上記した
いかにもそれらしいストーリーは、「そう書いて
はいけない」見本として使うべきなのである。
それで思い出したのが、あるブログで知った
実話であって、某小説コンテストの応募作品、
その大半がいかにもそれらしい、類型的で薄
っぺらい、しかも別々の人間が書いた作品な
のに、どれもよく似たものだったという。

審査員の作家がうんざりしたそうだが、それら
はコンテストの名称 (どこかの地名だったか駅
名だったか?)から、各人がぱらぱらっと連想
を働かせ、過去の小説、漫画、ドラマなどの
記憶から、いかにもそれらしいストーリーを
作ったからかもしれない。そして当方は、上記
を 「そう書いてはいけない」サンプルとして使
うが、応募者たちは 「これだ。これでいい!」
と思い、喜々として書いたのかもしれない。
そこが、プロとアマとの違いなんですな。


小さな発見、大きな驚きですなあ。

エビオスという錠剤がある。ビールを製造した
あとに残る原料を活用した酵母製剤である。
そして当方、以前これを飲んでいたのだが、
その時期、「大便が香ばしくなる」という経験
をした。無論、臭気がまったくなくなるという
ことではないが、そのなかに香ばしさがまじっ
ており、「酵母の働きというのは、大したもの
だな」と思っていたのだ。

ところが最近、それが誤解だったらしいこと
がわかった。というのが、仕事場での昼食や
泊まる日の夕食を自分で適当に作るため、
生鮮三品は週一回買い出しに行き、米や
スパゲティなどは買い置きしてある。先般来、
そこに大麦(押し麦)も加えているのだが、
これを断続的ながら食べていたら、大便が
同じ香ばしさを漂わせだした。

桂米朝師匠の落語から台詞を借りれば、
「わしゃもう、感心も得心もしたな!」であり、
星新一さんなら、「いやまあ、大変なもので」
とおっしゃるだろう。すなわち、香ばしさは
酵母ではなく大麦の摂取効果だったのだ。
嘘だと思ったら、お試しあれ。


◎マクラネコ大佐様。
御教示、ありがとうございました。

冒頭の挨拶から、元気に始めるのだ。

「7分ほどの短い朗読を、4回分やってもらえ
ませんか。収録で流すのですが、オンエア
するのはニッポン放送、東海ラジオ、朝日放送、
RKB毎日の4局です」 ある法人団体からこん
な依頼を受け、それは週一回の短いレギュラー
枠で、これまで大勢の人が起用されてきたミニ
番組である。そこで、その内容に関するうちあ
わせをし、先般来、その原稿を書いてきた。

当方の体験談的なものをと言われたので、
それなら朗読は棒読み式ではなく、トークに
近いものでと当方の希望も出し、昔取った杵柄
で「話し言葉」のコメントを書いたのだ。先方の
口ぶりでは、4回は「試しに」ということらしく、
好評なら回数が増える可能性もありそうに
思われた。ただし団体組織のことだから、放送
に至るまでには、何度かの会議を経なければ
ならない。そしてそのときには、第一回目を
仮収録して、委員諸氏に試聴してもらうという。

となるとこちらも、放送用の大きな声、よく
通る声を出さなければならない。だから
ラジオの生ワイド番組を担当していたときの
ように、ここしばらくは発声練習も続けている
のだ。さあて、どうなりますか。先の長い話で、
オンエアは来年の春だそうだが、4回だけで
終わるのか。発声とコメントの相乗効果が
現れて、回数増加につながるのか。ラジオが
好きだから、楽しく練習をしているのだが。


消極的で、ど〜も、すいません。

「山に囲まれた不便な土地に住んでいるとき、
生活を便利にするため、西洋人はそれを越え
ようと考えて、道路やトンネルを造る。しかし
日本人は、越えなくても困らない生活をすれば
いいと考える」 確か 「我が輩は猫である」だっ
たと思うが、登場人物(迷亭氏?)が、概略
こんな意味の論を述べていたと記憶する。そこ
からの連想だが、日本は人口が減り、高齢化し、
このままでは未来は先細りだと言われている。

けれどもそれは、産業や生活のレベルをこれ
まで同様に維持しよう、あるいは、さらに発展
させていこうという前提で考えるから、そういう
危機感が出てくるのだとも言える。「先細りに
なったって、それに合わせて生きていけば、
別に困らないんじゃないですか」という対処
姿勢もありうるのだ。世界の歴史をざっと見て、
古代から現代まで、栄枯盛衰を示した国々は
いくらもある。しかし繁栄した国が衰退したか
らと言って、その国の人々が滅亡したかと
いうと、いまでもちゃんと生きて暮らしている。

エジプト人が死に絶えたか。ギリシャやローマ
の市民が地上から消えてしまったか。時代は
飛ぶが、ポルトガル、スペイン、オランダは
どうだ。それぞれ、その子孫たちがそれなりに
生活しているではないか。「だから日本も、
それでいいんじゃないんですか」と、生来の
低血圧でじっとしている方が楽な当方、ふっと
そう思ったりするのだ。そしてまた本当にそう
なって、皆が「こんなの嫌だ!」と本気で思っ
たら、何とかしだすだろうしとも。


◎数学の「ゼロ」が約束事であるようにかな。

以前、創作講座の講師を務めたとき、ある受講生
から「三人称の小説」に関する質問が出た。具体
的にどんな内容だったかは覚えておらず、当方が
どう答えたのかも忘れてしまった。ただし印象記憶
として頭に残っていることがあって、その受講生は
若干「危ない」顔をしていた。どう危ないかというと、
思い詰め考え詰め、焦燥感に駆られていらいらし
ており、眼に怒気を漂わせているという、旧称で言
う 「妄想型の分裂症状」に近い顔である。これは
物を書く人間にとってはおなじみの精神状態で、
当方自身も執筆中はそうなる。だからそのときの
彼も、そういう状態だったのかもしれない。

そしてそのためもあってか、これも漠然とした印象
記憶だが、三人称の小説に関する「約束事」にこだ
わって、その約束事が納得できないらしい質問だっ
た。俗に言う「神の視点」についてであって、たとえ
ば 「作家がなぜ、そんなことができるのだ。しても
かまわないのだ?」と追及されたら、「いや。それ
はそういう約束事で、いわば便法なんですから」
とこたえるしかない。分裂症状的に狭くこだわった
論理で問い詰められたら、そんなもの、対象世界
把握と再現に関する、人間の意識構造から論じて
いかなければならないのだ。

そして当方、そこまではいかないが一応の説明は
したのだけれど、相手は納得したようには見えなか
った。「何だ。プロの作家が、この程度のことしか
言えないのか」とでも思ったのか、憮然とした顔を
していた。先日、たまたまそれを思い出したのだが、
いまならもっと有効な回答ができる。「三人称という
形式に疑問があり、納得ができないのなら、ショート
ショートでも短編でも長編でも、すべてを一人称で
書いていけばよろしい。そしたらそのうち、このスト
ーリーや人物群像を表現するためには、一人称で
は無理だとか、矛盾が出るとか、そういう事例に
行き当たるでしょう。そしたらそのとき、なるほど、
それでこういう書き方があるのかと、三人称の
意味や有効性がわかるはずです」 

とまあ、そういう回答であって、そのあと、「どんな
小説もずうっと一人称で書きつづけられて、普通
なら三人称でなければ表現できない世界も作品に
できたとしたら、それは逆に大変な手法なのかも
しれませんしね」 そう付け加えればどうかとも思っ
たのだが、これは別の危険性を含む言葉なので、
言わない方がいいかもしれない。無理も矛盾も
お構いなしの「でたらめ」を書いていながら、
「新手法を発見した!」と思うようになったら、
それこそ分裂症的な意識破綻になるからだ。


人体実験とまではいきませんが。

ここしばらく、どうも身体がだるくて肩が凝り、
疲れのたまっている感がある。そこで大型
ドラッグストアへ行き、滋養強壮、疲労回復
薬品の棚をチェックした。当方、エナジーが
どうの、アルギニンがこうのというドリンク剤
などは、要するにカフェインとアルコールに
よる、一時的な「元気錯覚」効果しかないと
思っている。一方、補中益気湯や八味地黄丸
の効用は大いに認めるが、それを実感する
には時間がかかる。その中間で、短い
日数で、本当に効くものを求めたのだ。

そして買ってきたのは、エゾウコギ乾燥エキス・
オウギ乾燥エキス・オキソアミチン末を主成分
とする、某社の滋養強壮薬。他にビタミンや
カルシウムも配合されているが、とにかく、
生薬系の錠剤なのだ。調べてみると、エゾウ
コギやオウギは昔から強壮用に使われてきた
植物で、オキソアミチンは生姜の成分だそうだ。
一回一錠で、一日一回から二回という指定が
あるから、割りにきつく、過剰摂取すれば副
作用が出やすい成分なのかもしれない。

で、それを守って服用しだしたら、二日目に肩
凝り部分が痛くなってきた。悪化と言えば悪化
だが、漢方や生薬系の薬には「好転反応」と
いって、良くなる前に一旦悪くなるという症状が
出るものもある。これもそうであろうと判断して、
本日、三日目に入っている。当方、薬物成分と
それに対する身体反応を見るという意味で、
割りにこういう薬が好きなのだ。


◎菅笠様。メール拝見。
大阪のおばはんの、やかましい会話は、
あれはディベートですか。なるほどねえ。
しかし、韓国のオモニとやりあったら、
負けるのと違いますかな(笑)。

豚ならゲーリングの方が似てるけど。

古書店の目録に、書籍でなく「伝単」という
小見出しで、「折ると四匹の豚がヒトラーに」
というものが出ていた。それ以外の説明は
なく、現物の写真も載ってないが、価格は
4万円。伝単は飛行機から撒いたりする
宣伝ビラのことだから、これは第二次大戦
中にアメリカかイギリスが、ドイツあるいは
その占領国で撒いたものではなかろうか。

そして、日本の折り紙のように立体になる
のではなく、折ると平面上にヒトラーの顔が
現れるものだろう。つまり、「ヒトラーは豚と
同じレベルだ」と絵で示すわけで、ナチス
礼賛のドイツ人を激怒させ、占領され弾圧
されている国の市民たちには、秘かに快哉
を叫ばせる狙いだろう。「こんなもの、誰が
考えたのかな」と思ったのだが、どうもアメリ
カ人ではなく、イギリス人の仕業のようだ。

こういう、笑いと毒気を含んだ、しかもシン
プルな仕掛けは、英国紳士がうっすらと笑
って作りそうなのである。その真似をして
アメリカが、東條英機ならまだいいが、天皇
をモデルにしたやつを撒いてたら、それこそ
一億激怒の総決起で、本土決戦を断行して
いたかもしれませんな。


まさしく、近いけど遠い国ですなあ。

韓国の「徴用工賠償」問題について、ネット
記事を読んでいたら、そもそも日韓両国民
には、物事の主張姿勢に違いがあるのだ
という説が出てきた。つまり、日本人は人に
100伝えよう主張しようと思うときには、50
言えばそれで済むと思っている。対して韓国
人は、100主張するためには200言うし、
200言わなければ伝わらないとも考えて
いる。その違いが根底にあるのだから、
慰安婦問題にしても徴用工問題にしても、
議論するためには、日本側も200言わな
ければならないというのだ。

この説にどれだけの根拠や信憑性があるの
かは知らないが、「なるほどなあ」とは思った。
目は口ほどにものを言いとか、以心伝心とか、
忖度とか、非言語的なコミュニケーションが、
日本人の得意技(?)のひとつになっている
からだ。また当方も 「いらち」であるだけに、
「そんなの、言うまでもないことやろ」とか、
「一々言わんとわかりまへんか」とか、50どこ
ろか、10か20で済ませたくなることが多い。
200など、言う前からうんざりしてしまう。

しかも、上記の問題について日本が200言っ
たとして、相手が納得するだろうかと考えれば、
多分、なおさら怒って300,400の反論をして
くるのではないか。そうなったら、条約論だけ
ではなく、相手の国民感情も踏まえた上で
600でも800でも言える論者に、御登場を
願わなければならなくなるのだ。当方自身は
「そんなしんどいこと、ようしまへん」であり、
そんな日本人、いるのかなとも思うのだが。


◎驚嘆を通り越して、尊敬いたしますね。

「イタリア軍入門」(イカロス出版・ミリタリー選書)
という本があり、ムソリーニがエチオピアを侵略
した時代あたりから第二次大戦の終末まで、陸
海空は無論のこと、ファシスト国民軍も含めた
イタリア軍の、戦歴、戦車飛行機艦艇、大小の
武器や制服など、豊富な写真とイラストを駆使
して解説している。詳細を究めた内容であり、
著者は吉川和篤という人で、自身で収集した
当時の写真なども多数掲載している。

つまり、イタリアへは何度も出かけて資料を集め、
それどころか 「デチマ・マス戦友協会」の会員
にもなっているという、超々マニアなのだ。
デチマ・マスというのは、第二次大戦末期、ナチ
スドイツの傀儡政権だったイタリア社会共和国に
あった海兵師団で、当方、「激動ヨーロッパ戦線」
というDVD映画を見たとき、襟無し型の上着に
大きな赤の階級章という、ユニークな制服姿を
初めて見て、一遍で覚えてしまった。

実は 「イタリア軍入門」を買ったのも、その制服
のイラストと戦歴紹介が載っていたからなのだ。
そして吉川氏は、この書籍の著者紹介欄では、
広告会社でアートディレクターを勤めていると
書かれている。当方の職歴から類推して、非常
によくわかる気がし、「こういう人生も、楽しいだ
ろうなあ!」と、うらやましく思っていた。とにかく、
驚嘆すべき知識とコレクションなのである。


功利的な計算すら、しなかったのかね。

先般、東京電力が福島原発の写真に 「萌え〜」
などというタグをつけて投稿し、猛烈な批判を
浴びて削除と謝罪をした。投稿した社員だか
担当者だかは、「工場萌え」ブームに乗るつもり
だったのかもしれないが、「いったい、何人の人
が(福島原発事故で)人生を狂わされたと思っ
てるのだ」と追及されて初めて、「あっ」とか
「しまった」とか思ったのだろうか。

だとしたら、工場萌えについての「受け」狙い
だけを考え、「こうすれば、こんな反応が返って
くるのでは」という予測など、まったく頭にうか
ばなかった「アホ」だということになる。
理屈を言えば、「事故は事故、萌えは萌えで、
別物ではないか」と言えるかもしれず、実は
それが本当なのだという価値観もあるだろう。
しかし企業名を背負って動くサラリーマンとして、
優先すべきは個人の理屈や価値観ではなく、
取引先や社会の反応だということになる。

これは月給をもらって雇われている者の鉄則で
あり、宿命でもある。その公私の区別がつかず、
反応予測もしなかった(できなかった)という
意味において、「アホかいな」と思うのだ。
東電側の説明では、タグは他の写真につける
つもりだったのを間違えたというのだが、
そんなこと信用してもらえるわけがない。
本当にそうだったのなら、もっと単純なアホだ。


地図で見ても、確かに広大ですなあ。

娘の一人が幼稚園の先生をしており、今年は
その教員免許更新の年とかで、講習と試験を
受けた。会場は吹田市の関西大学で、娘自身
は幼児教育学科主体の小さな大学卒だから、
「関大は広いよ。大きいよお!」と驚嘆していた。
聞いた当方、関大には一度も行ったことがない
ので、「どんなキャンパスなのか、見に行って
みようか」と思っていたのだ。

なぜ一度も行ったことがないかというと、まず
受験をしなかった。大学に入ってからも、関西
学院大学と関西大学とには 「関々戦」と称さ
れる対抗試合があったけれど、体育会方面
にはまったく無縁だったから、あちらへ応援に
行ったこともなければ、こちらで観戦したこと
もない。所属していた広告研究会は、関西
学生広告連盟という組織に参加しており、
その総会で同志社には何度か出かけたが、
当時、関大で開かれたことはなかった。

広告マン時代以降、作家になってからも、
なぜか訪問する必要も機会もないままだった
のだ。阪急電鉄千里線には 「関大前」という
駅があり、そこから正門までが、学生向けの
商店街になっているらしい。おもしろそうだ
から、気が向いたら、ぶらっと出かけようかと
思っているのだ。あ、それから、娘は無事
更新試験に通っておりますので、念のため。


改めるにはばかることなかれ。う〜ん。

先般、ネットニュースに、南極の氷山の特異な
写真が載っていた。巨大な台形のプレート状
に分離したもので、しかもその角のうちの二つ
は直角で、水平垂直方向ともみごとな直線で
構成されている。すっぱりと切ったような形状
だから、第一印象としては、人工的なものに
見えるのだ。しかしもちろん自然のなせる技で、
こういう事例は間々あるのだという。

そこで思い出したのが琉球列島の海底に
存在する巨石構造物で、これもまた直角かつ
水平垂直方向とも直線で構成されており、
古代遺跡ではないかと言われている。しかし
地質学だか地球物理学だか、学術方面から
は、自然に出来たものだとされているらしい。

南山宏さんの 「海底のオーパーツ」(二見
書房)でその写真を見た当方、「ええ〜っ。
これが自然にできたものかあ?」と思ってい
たのだが、上記した氷山写真を見た結果、
「そしたら、あの海底の巨石構造物も」と、
認識を改める気にならされた。氷と岩とを
一緒にしてはいかんのかもしれないが、
「方解石なんてのもあるしなあ」なのだ。

かくして、ロマンは壊されていくのです。

10月
◎案外、バイトやパートが多いのかな?

先日、買い物があって、梅田のヨドバシカメラへ
行ってきた。あいかわらずの混雑で、各フロア
の各売り場では大勢の若い店員たちが、忙しく
接客している。それにしても、もう何年前になる
のか、オープン直後に行ったとき思い、先日も
あらためて思ったのだが、あれだけの人数の
従業員を、どこからひっぱってきたのだろう。

現在なら退社や新規採用による「入れ替わり」
も適宜の推移だろうが、オープン時には多人数
を、「一挙採用」しなければならなかったはずだ。
としたら、その多人数の若い男女は、それまで、
どこで何をしていたのか。新卒、フリーター、
別業種あるいは同業他社からの転職等々、
人材ソースはいろいろだろうが、総人数として
はゴソッと移動したことになり、抜けられた会社
や店舗は困ったのではないか。

先日当方が見た限りでは、コンビニのような
東南アジア系の店員はいなかったようだが、
中国人や韓国人はいるのかもしれない。とは
いえ日本人従業員が圧倒的多数であるはずで、
少子化による人手不足など、どこの話かと思
えてくる。「ということは、若い連中にとって
こういう店は人気業種のひとつで、希望者
殺到の買い手市場になってるのかな」
などと、考えさせられたのだ。


◎犯行動機は忠誠心なのか報酬なのか。

トルコ国内のサウジアラビア総領事館で、同国
のジャーナリストが殺害された事件。あれはその
ジャーナリストが、サウジの現皇太子に対する
批判姿勢を強めたため、皇太子の意向によって
殺されたのだという説がある。そして、なぜ批判
姿勢を強めたかというと、同国には王子が数多
くいるのだが、そのなかから選ばれた現皇太子
が、他の王子たちを弾圧しだしたからだという。

イスラム圏各国の政治状況は、基礎知識がない
からよくわからないが、つまりはまあ、権力争い
なのだろう。しかし、それがわかっていながら、
ジャーナリストは結婚の手続きをするのに、なぜ
トルコ国内の総領事館を選んだのだろう。英米
独仏など、非イスラム圏の民主主義国へ出かけ
て手続きすれば、サウジ側も手を出しにくかった
だろうにと思うのだ。また彼は、恋人を外の車の
なかでスマホを持たせて待たせ、自分は腕時計
型の端末をつけて入ったそうだ。

それで、館内での音声がすべてキャッチされて
発信され、記録もされて、事件が明るみに出た
のだという。しかしこれ、「そんな手がある」と
全世界に公表されたわけだから、以後、監禁し
たり殺害したりする側は、拘束したらまず、そん
な端末をつけてないかチェックして、取り上げて
しまうだろう。これもまた、報道というものが抱え
る功罪、その罪の面が出そうな一例なのだ。


◎それで、鳩は本当に飛ばしたのか?

先般書き終えた宗教家の伝記は、太平洋戦争
中の、大阪の状況も下敷きにする必要があった。
そこであれこれ資料をチェックしたのだが、その
なかに 「これではなあ」という事実があり、原稿
には使わなかったので、ここで紹介しておく。B
29による空襲が予想されだした昭和19年末、
大阪の警察には 「警備鳩報国隊」というものが
できていた。電話網が焼失し、道路なども各所
で寸断されたとき、警察局本部と各警察署間の
連絡を伝書鳩で行おうというもので、各署に配
置する鳩の数だの、飼育責任者の任命だの、
細かい事項が定められている。

それ自体、「アメリカは無線電話を駆使していた
時代に、こっちは鳩か!」と情けなくなる話だが、
さらに情けなくなる事項も記録されている。「警
備鳩報国隊結成式の食糧特別配給申請」という
もので、資料書籍には昭和19年12月16日付
けの申請書類が、そのまま載っている。「結成式
並運営協議懇談会ヲ警防会館ニ於テ実施」する
ので、「左記食糧特別配給方御高配相成度及
申請候也」という文面で、末尾部分は 「御高配
あいなりたく申請に及びそうろうなり」と読むの
だろう。そしてその申請品目と量は、それぞれ
百二十三人分として、醤油一升二合、野菜三貫
六百匁、生魚一貫二百匁、米一斗二升である。

警備課長から食糧第一課長に宛てたものだが、
この書類から何が連想されるか。食糧不足で皆
が空き腹を抱えていた頃だから、参加者は 「運
営協議」など適当に済ませ、このときとばかりに、
それらで作らせた料理をがつがつと食ったので
はないか。米一斗二升を百二十三で割ると、一
人分の量が一合を切って少ないように思うが、
実は参加者はもっと少なく、人数の水増しをして
いたのではないか。それより、酒はどうなってい
たのだ。それはまた別途で申請していたのか。
などと、セコい記録だけに、こちらもセコい推理や
連想が広がっていく。当時の日本の状況や、警
察関係の「おっさん」たちの顔が眼にうかぶような、
情けない事実なのである。以上、「太平洋戦争下
の防空資料」(大阪市史編纂所)より。


海賊キッドの財宝なんて話もあるし。

日露戦争の日本海海戦で撃沈されたロシア
の軍艦に、莫大な額の金貨だか金塊だかが
眠っているので、それを引き揚げる。先般、
韓国でこんな儲け話に出資を募った企業が、
根拠のない計画だと検挙されていた。昔、
笹川良一が同じくロシア軍艦の探査をやり、
このときには実際にインゴットを示して、記者
会見もした。ただしそれは金ではなく、艦底
に積んだ鉛のバラストだったらしい。

こんな「財宝」回収談はいろいろあり、豊臣
秀吉が多田の山中に隠したという金銀、幕末
に小栗上野介が赤城山に隠した幕府の大判
小判、はては太平洋戦争末期に山下奉文が
フィリピン山中に隠した財宝など、いまでも
トレジャーハンターが本気で探しているそうだ。
当方、「そんなの、大方は単なる噂や虚報だ
と思うけどなあ」、「仮に発見できたとしても、
発見者がそのまま全部貰えるわけではない
だろうに」と、何か解せない思いになる。

夢のない人間だと言われるかもしれないが、
こちらは逆に、それで一生を棒に振った者も
いるという話には、それは精神医学の研究
対象になる人物ではないかと考える。「欲に
かられて」という原動力だけでは、おさまら
ない価値観や意識状態だろうと思うからだ。
まあ、いろんな人間がいるものです。


若さと活気のもとは仕事だな。やはり。

こないだの日曜日、フラワーアレンジメントと
コンサートのコラボ発表会に行ってきた。高校
時代の仲良しグループ、その一人である女性
が主催したもので、招待券を送ってくれたのだ。
芦屋のルナホールという大きな会場で開かれ、
プログラムも大型のイベントとして構成されて
いる。当方、その分野には門外漢だが、自分
の仕事 (小説を書くための構想、書くときの
意識状態等々)に照らし合わせて、興味深く
見せてもらった。フラワーアレンジメントの作品
ができるまでの、発想から具体化に至る手順、
ステージ上でライブでやる「活込み」のときの、
全体のバランスを考えての部分決定作業
(たとえば、長さに見当をつけて茎を切るとか、
そこに四つ付いてる花をひとつちぎって捨てる
とか)が、非常によくわかる気になれ、その
意味で良い勉強をさせてもらえたのだ。

また、広告マン時代、イベントの裏方なども
多数経験したから、プログラム全体の構成や
裏方の人数と作業、その打ち合わせ等々、
「これは大変だっただろうなあ」と、実感を持
って推測できた。主催者の彼女は、会社組織
でアレンジメント教室をやっており、弟子の
数も非常に多いらしい。舞台挨拶も立派に
こなしていて、「これはまあ、洋風の家元で
あり、事業家であり、良い意味の女傑だな」
と感服していたのだ。といっても猛烈型や
権高タイプではなく、普段は普通の人なのだ。

同じ仲良しグループだった女性三人も見にき
ており、並んで座っているので思わず手を振っ
たら、三人揃って振り返してきた。「高齢男女
のやることと違うな」とおかしかったのだが、
心理的には、どちらも高校生にもどっていたの
だろう。終了後、主催者は多忙だから加われ
なかったが、横の喫茶室で当方は生ビール、
彼女たちはゆず茶を飲んで雑談した。そんな
場では、こっちは当時と同じく旧姓や愛称で
呼び、相手は当方の本名で 「ジュンちゃん」
などと言う。これもまた「高齢男女の会話では
ないな」と、おかしかったのだ。ただし、年齢
相応に介護や寿命の話も出ましたが。


イトマン事件が起きた時代でもあった。

往年、仕事場を北区の一画、いまの毎日放送
のすぐ近くに置いていた時期があった。ただし、
毎日放送のそばだから決めたのではなく、そ
こで何年か仕事をしていたら、北梅田の再開
発で毎日放送が大阪郊外の千里丘から移転
してきたのである。で、朝は阪神梅田駅から
地下街伝いに三番街を抜けたり、地上ならば
新御堂筋に沿った道を歩いたり、15分ほど
歩いて通っていた。そしてそのときというか、
その時代というか、なぜか頭のなかで、やた
らに「怒って」いたことを思い出す。

あんなやつに、こんなやつ。サラリーマン時代
以来、折々遭遇してきた嫌な男女のムカつく
言動が頭にうかび、「くそったれめ。こてんぱ
んにやっつけたろか!」などと、内心本気で
怒っていた。いま思うに、これは彼らの顔を
思い出したので怒り始めていたのではなく、
とにかく「怒気」というものが心に発生し、それ
が彼らを想起させていたのであるらしい。なら
ば、なぜその怒気が頻繁に発生していたのか。
それは、当時はバブル時代のまっただなかで、
著名銀行や不動産会社が地上げ屋を使い、
買収に応じない家や建物には、放火させたり、
ダンプカーを突っ込ませたりしていた。

天下のナニナニ銀行、どこそこ不動産が、そん
なことをやらせているのは公然の秘密にもなっ
ていた。当方が仕事場まで歩く道筋でも、茶屋
町という古くからの下町的な長屋街が、軒なみ
地上げされてブリキ塀で囲われていたりする。
遂には広大な区域全体が、ブリキ塀の街になっ
た。それを見ながら歩くのだから、上記した大
企業の悪辣さに義憤の念が湧き、それが怒気
の元になっていたのだと思う。
現在、若い連中
で賑わっている茶屋町は、いわば札束と暴力
で造られた街なのである。

大阪弁は、大人でも幼児語を使える。

先日、あるパーティーに出て、昼間からビール
を飲んだ。それでトイレに行ったところ、当方
より年長の二人が用を足しており、片方が立
ったまま言うことには、「気持ちを集中せんと、
出えへんねん」。するともう一人がこたえて、
「難儀なチンチンやな」。聞いた当方、思わず
ブーッと吹き出しかけて、ぐっとこらえていた。

前者は多分、年齢ゆえの前立腺肥大気味な
のだろうが、それを「難儀なチンチン」とは、
「実に大阪弁の会話であるなあ!」と、感心
していたのだ。そして仕事柄、「このやりとりを
標準語でやったら、どうなるだろう」とも考えて
いた。というのが、そもそも標準語の会話で、
大の大人が「チンチン」という言葉を使うか
どうか。といってペニスでは生々しいし、
チン
などは下品過ぎる。となると、話をイチ
モツには飛躍させず、前立腺肥大自体で
受けざるをえなくなるのではないか。

としたら、「気持ちを集中しないと、出ないん
だよ」「困った症状だねえ」などという、「おも
ろいことも何ともない」応答になるだろうと
思ったのだ。対して、鹿児島弁や熊本弁、
あるいは秋田弁や山形弁なら、「難儀な
チンチンやな」に匹敵する、すばらしい応答
があるのではなかろうか。とにかく、あほな
話は、方言に限るのである。ちなみに、
大阪弁で大人でも使える幼児語としては、
飴ちゃん、うんこちゃん、などというのもある。

欧米商品の旭日にも抗議するとは

韓国が海上自衛隊の旭日旗を「戦犯旗」と
称して、韓国領内での掲揚に反対している。
旭日旗は旧陸軍の連隊旗としても使われて
いたから、韓国国民が嫌悪感を覚える根源
は、厳密にはそちらではないかと思うのだが、
海軍も鎮海に要港部、元山に航空隊基地を
置いていたから、当時の軍艦旗も同等の嫌
悪を招くのかもしれない。しかしそこで思うに、
戦犯旗と称するなら、韓国国民にとっての
それは、旭日旗よりは日章旗、「日の丸」の
国旗の方が、はるかに重罪戦犯(?)なの
ではないか。なのに日の丸に対して、韓国
内で使うなと言わないのは、なぜだろう。

国旗を否定や拒否すると、問題が大きくなり
過ぎるからなのか。というのが、もし過去の
所業を理由に国旗を否定するとしたら、イギ
リスのユニオンジャック旗など、アジアやアフ
リカ諸国から総スカンをくらうべき国旗だが、
「下ろせ」と言われたら、イギリスは断交も
辞さないのではないか。それくらい大きくな
る問題ゆえ、韓国国民も自制しているのか、
このあたり、よくわからないのである。また
韓国の旭日旗拒否論には、ナチスのハーケ
ンクロイツ旗に匹敵するものだからという意
見もあるという。しかし、あれは党のマーク
であり、国旗や軍艦旗の一部に入れても
いたが、それは私人私党が国家や軍を乗っ
取ったからで、問題の由縁が違うように思う。

またベトナム戦争時、派遣された韓国軍の
一部が残虐行為をしたり、現地女性との間
に私生児を大勢つくって放置したという話は、
まあ、本当のことだろう。そこで、もしベトナ
ム国民が、それを理由に韓国軍の軍旗や
軍艦旗を拒否したら、韓国側はそれに従う
のか否か。多分、従わないだろうと思うの
だが、このあたりもよくわからない。さらには、
もし韓国に大災害が起き、海上自衛隊の
補給艦が援助物資を積んで急行するとして、
そのときも旭日旗を下ろせと言うのかどうか。
とにかく、わからんことが多い問題なのだ。


◎昼書いて夜訂正、朝に再読などと。

こつこつ書いてきた宗教家の伝記が、
一応ラストまで書けた。まだ全体の再読、
訂正、追加や削除が必要だが、何はともあ
れ一安心である。そしてそのラスト部分で
あるが、その前の節で臨終場面を書いたの
で、内容としてはそこで終わったことになる。
しかし、それで伝記も終了にすると、ぶった
切ったようなラストになってしまう。だからそ
のあと、短い回想談やエピソードをいくつか
並べ、フェイドアウト的な終わり方にした。

ただし、そのいくつかの短い要素を、どんな
順序で並べればいいのかについては、ちょ
っと難しかった。無作為に並べれば読者が
混乱するし、時系列に沿って並べると、それ
とは別の、読者を最後に得心させる論理
系列が乱されてしまう。箇条書きにした
メモを睨みつつ、「これは一種のジグソー
パズルだな」と思っていたのだ。

そして、そう思ったことで配置のおもしろさ
を感じだし、何度か試考したあと、複数の
ピースをぴたりと 「はめ込む」ことができた。
前節の臨終場面から通して読み返してみ
ても、違和感や唐突感はない。「よ〜し。
これで結構!」と、まずは一件落着にした
のである。原稿枚数は380枚の予定で、
完成は375枚。これもまた結構でした。


双方、悪事だとは思ってないのだ。

中学校に、本職なのか召集されてなのか
は知らないが、戦争中は陸軍少尉だった
という、社会科の教師がいた。中国にいた
ということで、授業中にその当時の話をし
ていわく。村に入って行くと、すでに皆避難
して誰もいないので、残っていた鶏だか
豚だかを捕まえて食料にした。笑って言う
ことには、「カネを払おうと思っても、誰も
おらんから払われへん。それでタダでもろ
たんや」 聞かされた生徒たち、当時は
当方も含めて笑っていたけど、考えてみれ
ば、これは公立学校の教師が、往年の
略奪行為を披露していたことになる。

社会人になってから、ある酒の席で、元
騎兵将校だったという人の話を聞かされ
たこともある。同じく中国におり、行軍して
村に入っていくと、まず食料の調達をする。
騎兵だから長時間乗馬してきており、足
腰は疲労していないから、すばやく逃げる
豚でも走って追いかけて捕まえられる。
反対に歩兵部隊の連中は、長時間の行
軍でふらふらになっているので、遁走する
豚には追いつけず、のたのたと走ってでも
捕まえられる鶏を狙う。だから、村に入っ
て行ったとき、どんな家畜が残っているか
によって、先にそこを通過した部隊の兵
種がわかるというのだった。

聞かされた当方、「へええ。なるほど」と得
心していたが、これもまた、徴発とは称して
いても略奪行為である。こんな事例が何千
何万とあったはずで、それは中国に限らず、
東南アジアから南洋諸島に至るまで、全戦
域で実行されていたことだろう。しかも、こ
れは食料徴発のほんの一例であり、米や
麦や芋、野菜だの魚だの塩だのと、事例
はいくらでも広がるはずだ。加えて、作戦
の必要上という理由によって、家屋、橋、
城壁等々を破壊し、焼却し、人員を徴発し
て荷物を運ばせ、言うことを聞かなければ
……と、類推できる個人の行為、部隊の
行動はどんどん拡大していく。そして多分、
それらは実際に行われていたのである。


◎芸能もレベルが上がると芸術になる。
以前、歌舞伎の女形(名前は失念)の踊りと
対談、それから昔の名優の踊りの記録映画
を見る会があった。ぼくは歌舞伎については
ズブの素人だが、人にチケットをもらったので、
鑑賞させてもらい、非常におもしろかった。
どういう点がかというと、まず女形の役者の
踊りを見ていると、「色っぽさ」を出すために
だろうが、眼の焦点をずっとぼやけさせて踊
っていた。そして当方、セックス中の女性が
そうなるので、歌舞伎の女形はそれを芸に
取り入れたのだという話を読んだことがある。
断片知識そのままの姿に、「なるほど。これ
かあ」と得心していたのだ。

また対談では、司会者が歌舞伎界のことなど
もあれこれ質問した。それに対する回答や
説明を聞いていると、「あれは誰それの伯父
さんに教えていただいたことで、私などが
その芸をお見せするのはまだ早過ぎるので
すが」とか、「私ごときが申すのもおこがまし
いのですが」とか、名の知れた役者なのに、
とにかくへりくだる。ときにはそれが過剰だと
感じることもあり、これもまた、別の意味で
「なるほどなあ」だったのだ。また、伯父さん
というのは実際の親戚ではなく、名前の系列
上、伯父に当たる役者という意味である。

そして、昔の女形の名優が踊る記録映画は、
大方1時間ほどの長さを、こちらをダレさせる
ことなく、一気にラストまで見せてくれた。ズブ
の素人も惹きつけて放さない流麗さと迫力で、
「芸の力というものは、恐ろしいものだな」と、
心底感服していたのだ。記憶に間違いがなけ
れば、六代目・中村歌右衛門の 「娘道成寺」
だったと思う。映写が終わるや、期せずして
場内から拍手が起きて広がっていた。映画に
対する観客の拍手など、昭和30年代だった
子供時代以来の経験だったのだ。


酒は呑むべし。呑まれるべからず。

若い頃、東京で一度会ったことのある、週刊
誌のフリー記者がいた。体格も良く、言動に
エネルギッシュな雰囲気があって、「なるほ
ど。週刊誌のフリー記者というのは、こういう
タイプの人間なのか」と、納得していたのだ。
ところが後年、同じく彼を知る人物から聞い
た話では、あるときその男が何年ぶりかで
彼を訪ねてきたのだが、「尾羽打ち枯らした」
様子だったという。アイロンのかかってない
よれよれのワイシャツを着ており、精気の
ない顔で、手が細かくふるえている。

話を聞くと、離婚して、アパートに一人で住
んでいるという。仕事もないらしく、どうやら
酒浸りになっていて、手のふるえはそのた
めらしかったのだ。そして彼は、「これから
人と会う約束になってるんだけど、財布を
忘れてきてしまったんですよ。悪いけど一
万円貸してもらえませんか」と言った。聞か
された人物、それは口実で、本当はカネが
なく、しかし貸しても、すぐ酒を飲みに行くに
違いないと思ったので、「いやあ。そういう
話は勘弁してくださいよ」とか何とか、言を
左右にして断った。それでも相手は粘り、
遂には「千円でもいいです」と言ったそうだ。

オソロシイ話であって、千円札一枚持って
出ていくとなると、行く先は、酒の自動販売
機となるのだろう。酒浸りになったので、
仕事がなくなり、離婚もしたのか。それとも、
離婚して酒浸りになったので、仕事もなく
なったのか。その順序はわからないが、
そこまで困窮していたのなら、その後、アパ
ートも出ざるをえなかったのではないか。
「酒浸りにだけは、なってはいかんな」と、
心底思っていたのだ。肝臓も壊すだろうし。


時空を超えた座談会。聞きたいね!

寺田寅彦は戦前の物理学者で、夏目漱石
門下の一人でもあった。だから文筆の才も
優れていて、独特の視点によるエッセイを
数多く残している。先日、仕事上の必要が
あってそのなかのひとつ、「電車の混雑に
ついて」書かれた文章を再読したのだが、
読みながら思わず笑ってしまった。この場
合の電車は戦前の東京の路面電車であり、
それが乗客ぎゅう詰めでやってきたりする。

とても乗れないので次を待つと、それも同
じく満員だったりするが、そのまた次は
がらがらで、楽に座れるということがある。
それはなぜか。なぜどの電車も均等の混
み具合にならないのか。その理由を探るた
め実地観察し、時系列化と数表化を施して、
考察を進めている。本人は「受けよう」とか
「笑わせよう」と思ってではなく、大まじめに
やっており、そこに巧まざるユーモアの、
「おかしみ」が表れているのだ。そして当方、
読後には、時間を越えた想像をしていた。

「この寺田寅彦が往年のSF作家クラブに
入っていて、星さんや小松さんと話をしてい
たら、おもしろかっただろうなあ」。旅行先
の旅館かどこかで、食べながら飲みながら、
何の遠慮もない馬鹿話をして大笑いする。
往年のその雰囲気を思い、聞かせてもらう
側としては、特に星さんとのそれが、抱腹
絶倒の会話になっただろうと思ったのだ。
うん。漱石と星さんなら、もっとおかしくな
るだろうな。森鴎外では、駄目だろうが。


9月
候補案は、もう出てるのではないか。

先日の産経新聞サイトに、次の元号の予想
アンケート記事が載っていた。ソニー生命が
全国規模で行ったもので、1位「平和」、2位
「和平」、3位「安久」などの回答が示されて
いる。以下、未来・自由・新生・大成・羽生・
希望・安泰・安寧・大平とつづくのだけれど、
回答者は「本当の」予想をしたのか、それと
も 「こんなのどうだろう」「こんな元号だった
らいいな」と、自分の思いをこたえたのか、
どっちだろう。というのが、本当の予想をする
としたら、羽生など論外としても、平和、自由、
希望などは、まず採用されるはずがない。

なぜなら、平成は「内平外成」「地平天成」
から取っており、昭和は「百姓昭明、協和
万邦」、大正が「大亨以正」という具合に、
中国の古典の文章や成句を原典にしている。
次の元号もそうなる可能性が高く、平和や
自由や希望という言葉自体に同様の原典
があるなら別だが、良い言葉、かくありたい
単語だからといって、そのまま使われること
はないと思うのだ。また、新生、大成、大平
は企業名にあるから、後追いで元号には
しないだろう。したら依怙贔屓(?)になる。

安久、安泰、安寧は、江戸時代の安政以来、
頭文字がAの元号はないので、狙い目では
ないかという推理によるものだという。しかし
当方が思うに、上記の予想は、十中八九、
全部はずれると思う。中国の古典を研究する
学者たちの思考は、もっともっと保守的で、
選定法も前例踏襲でやるに違いないからだ。
よって、その分野に何の素養もない当方、
予想を聞かれても、「わっかりましぇ〜ん!」
としか、言いようがないのである。


写真を撮っておけばよかったなあ。

自宅近くの住宅街に古い木造の家があり、
その庭には茶室が設けられている。ごく
狭い庭だから、それだけでぎりぎりという
余裕のなさで、歩行者がそこを通過する、
そのすぐ横に位置しているのだ。しかし
その小さな茶室は、実にいい雰囲気であ
る。家屋と同じく築後何十年らしいから、
古びており枯れており、通過する一瞬に、
長い静寂を感じさせてくれる。

当方、茶道については門外漢もいいとこ
ろだが、「わび」「さび」というのはこんな
枯淡の雰囲気を言うのかと、感嘆してき
たのだ。ところが先日、その茶室が家屋
もろとも取り壊された。最初は家屋だけ
だったので、茶室は残すのかと思ったの
だが、翌日通ると、それも折れた古木材
と崩れた壁土の集積になっていた。

住人が亡くなって、誰かが相続したのか。
更地にして、売るのか貸すのか、それと
も新しい家屋を建てるのか。それはまっ
たくわからないが、「もったいないことした
なあ」と思い、大阪弁で言うなら 「ざんな
いなあ」とも感じていた。無論これは、
その家の事情も何も知らない、第三者の
勝手な思いであるのだが、「それにして
もなあ」なのだ。京都とか、地方の城下町
では、よくある話なのかもしれないが。

◎スマホ全盛で、これも売り上げ減?

前に、「もう来年のカレンダーが売られてる。
せわしない!」という話を書いたが、同じく
手帳も並び出しているので、
それで思い出
したことを書く。中学高校の生徒手帳は別と
して、学生時代に手帳を買ったことはなく、
社会人になってようやく持ち出した。しかし、
これも買ったものではない。広告代理店に
勤めていたから、年末になるとテレビ局の
翌年の手帳が手に入るのだ。当時、関西
テレビの手帳が使いやすいと人気があり、
緑色だったかの表紙に、KTVという金箔文
字が押されていたことを覚えている。ただし、
社内で取り合いになっていたのか、もらえ
たのは一度だけだったように思う。

TBSの手帳をもらったこともあり、とはいえ
当方、仕事予定だの何だのをいちいちメモ
するのは面倒臭いから、ほとんど使わなか
った。これは作家になってからも同様で、
日本文藝家協会の手帳が毎年送られて
くるが、まったく使わない年がほとんどだ。
公私の予定は、書き込みのできる大判の
カレンダーとデスクカレンダーで処理してい
るからで、文藝家協会の手帳は、広告マン
時代の同僚に進呈したことも何度もある。

巻末に新聞、出版、放送各社のアドレスや
電話番号が掲載されているから、相手にとっ
ても便利なのである。ただし、作家やエッセ
イスト諸氏のそれも載っているので、嬉しが
って電話しそうな調子者には渡せない。その
あたりは、こちらも考えて進呈してきたのだ。
何にせよ、手帳は当方にとって無用の長物
ということになる。「おれはほんまに、面倒
臭がりなんやなあ」と再認識。


◎わからん者には、どう言ってもか?

先般、東洋経済オンラインで読んだ記事
だが、近年、大学が世界レベルで崩壊して
いるそうだ。いわゆる「新自由主義」が
グローバル化し、何でもすぐに直接の成果
を求める傾向が強まった。その結果、大学
は理系とビジネス系だけあればよく、人文
系など不要だということになってきたという
のだ。そして確かに、日本でもそんな論が
出てきている。しかし当方思うに、これは
「専門学校」「実業学校」の思想であり、
大学がその機能を含むのはかまわないが、
それのみというのはまずいのではないか。

歴史や哲学などを、大学生全員に必修で
課す必要はないにせよ、その分野が好きだ、
知りたい、研究したいという学生から、その
機会を奪うのは間違っていると思う。第一、
それでは学術世界の裾野が広がらず、衰退
を招いてしまう。「そんなものを研究して、
何の役に立つのか」というのは、ものごとを
経済効率でしか見てない者の論であって、
「豊かさ」ということを狭く薄くしか捉えて
ない証拠であり、往年の日本人が批判された、
エコノミック・アニマルと変わらなくなる。

直接の(それも経済面での)成果がすぐに
出ないことを批判する人間は、学術がもたら
す間接的な成果の大きさや価値を、推測も
想像もできないのではないか。上記東洋
経済の記事には、そういう大学が増えると、
「秀才は育っても天才は生まれない」という
意味の記述があった。なるほどと思うし、
さらには叡知というモノサシにおける、
「ノブレス・オブリージュ」も育たないと思う。
「無用の用」は、実は「重要な用」なのだ。


夜の夢こそまこと(乱歩)ならばね。

睡眠中に見る夢には、友人知人、仕事で
関係した人間などの出てくるものがある。
それで思ったのだが、いつ・どんな夢に・
誰が出てきたか、その個別例を逐一メモ
しておいたら、そこに何か傾向や法則性
が出てくるのだろうか。たとえば当方なら、
夏の夜の夢に大学時代のクラブの仲間
が出てきたら、それは多分、潜在意識で
当時の合宿を思い出していたからだろう。

3年5年とチェックして、毎年の夏そんな
夢をよく見るとわかったら、「自分は暑気
や季節感が生む夢をよく見る」と、ひとつ
の結論が下せるのだ。他の季節や年中
行事、折々の精神状態、仕事の調子、
公私のトラブルの有無等々。これらのこ
とも夢の登場人物を決定づけているかも
しれず、そうやってデータを揃えていけば、
当方個人に関する、まだ意識できてなか
った何かが認識できるかもしれない。

そしてさらに、その作業を老若男女多数
について実行したら、そのビッグデータ
から、現代とか日本の社会とか日本人
とか、そんなテーマに関する何かが把握
できるかもしれない。しかもそれは昼間
の意識調査ではなく、夜の意識下調査
だから、愕然もしくは呆然とさせられる、
傾向や法則が出てくるかもしれない。
どこかの大学で、そんな調査をやってる
のなら、ぜひともレポートを読みたいと
思うが、ありやなしや? なのである。

ブラック企業も体質は同じである。

日大アメフト事件以降、ボクシング連盟が
どうの体操協会がこうの、日体大の駅伝や
重量挙げ協会まで、ニュースになってきた。
まとめて言うなら、要するに「体育会」体質の
問題だ。服従関係、暴力容認、成績絶対等々、
こういった体質は、昭和の高度成長期、いわ
ゆる猛烈社員全盛期には、企業から重宝さ
れてきた。命じられたことを文句も言わずに、
法律を無視してでも実行するからだ。そんな
連中が出世して経営陣に名を連ね、企業
犯罪を犯したりもしてきたのである。

そしてその当時、スポーツは好きだがその
体質が嫌いだとか、ついていけないと思う
学生は、体育会の部ではなく同好会やサー
クルに入っていた。当方の感覚では、その
方がスポーツ本来の目的にかない、楽しめ
る度合いも高いだろうと思う。しかし体育会
側に言わせれば、「楽しむなどとは何たる
甘さ。そんな根性で敵に勝てるかっ!」と
いうことなのだろう。そこで思ったのだが、
外国のスポーツ界にも、そんな体育会的な、
根性第一の体質はあるのだろうか。

軍隊なら、下級者いじめをするのは大抵の
国に共通することらしく、刑務所内の人間
関係となると、これも各国共通で、さらに
陰湿かつ暴力的になるらしい。けれども
それらは、強制された閉鎖環境における、
特殊な上下関係ゆえだと推測できる。
そう考えると、もっか問題になっている
体育会体質は、疑似「軍隊」的とも言えそ
うなのだが、それもまた各国共通なのか、
それとも日本独特の「いびつさ」なのか。
まあ、当方には生涯無縁の世界であるが。


◎おのずと本性がバレてくるわけだ。
すでに消えてしまったが、局アナ出身の某
男性タレントに関して、別の放送局の知人
から聞いた話である。その知人はプロデュ
ーサーを勤めていた番組で彼を起用し、
ゴルフなどにも一緒に出かけた仲だったと
いう。そしていわくは、「あいつ、わがまま
なんや。自分の思う通りにならなんだら、
ADとかアシスタントの女性タレントをどなり
つけたりしよるねん」とのことだった。

当方、意外な話に 「へえっ」と驚き、「おれ
も面識はあるけど、そんな面は感じなかっ
たけどなあ」と言うと、「それはあいつが、
この人は作家やからと思って、遠慮してた
か、自分を押さえてたんと違うか」とのこと。
一応は明るく軽い雰囲気だけれど、良く言
えば「坊ちゃん」、悪く言えば「世間知らず」
の面を持つ男にありがちな、常に自分が
中心になりたがる人間だということだった。
だから、チームで進める番組の仕事など、
レギュラー出演者として周囲との接触頻度
が高まるにつれ、遠慮や気遣いが消えて
「地」が出てくる。それが仕事の減っていっ
た一因ではないかという推測なのだった。

別の角度から言えば、周囲がわがままは
承知の上で出演して欲しいと思うほどには、
腕やキャラクターが図抜けてはいなかった
ということだろう。いま思えば、軽さは調子
の良さでもあって、表面的な対応には卒が
なくても、じっくりと掘り下げた勉強などには
縁遠いタイプだった気もする。まあ、どこの
業界にも、そんな人間はいますけどね。


八切説は、実は「怖い」説なのだが。
先般のネットニュースによると、名古屋市が
6月に「都市ブランド・イメージ」調査を行い、
市の関係者が 「覚悟はしてましたけど」と
いう結果が出たそうだ。東京、大阪、名古屋、
札幌、福岡、横浜、京都、神戸。この8都市
を対象としてチェックしたところ、名古屋は
「遊びや買い物に行きたい」が最下位、
「魅力に欠ける」がダントツのトップだったと
いうのだ。ただし、その結果を見た名古屋
市民からは、「自分たちにとっては住みや
すい街なんだから、それでいいじゃないか」
という、覚めた意見も出たそうだ。

それはそのとおりで、市民が「来てくれ」と
望んでいるのにこの結果だったら、ぜひとも
改善策を取らなければならないだろう。しか
し 「別に来てくれなくてもいいよ」と思ってい
るのなら、痛くもかゆくもないはずだ。そして、
三遊亭円丈師の著書によれば、名古屋の住
民たちはもともと自己完結しているところが
あり、大学も企業も揃っているから、名古屋
の文化圏、経済圏から外に出る必然性がな
いし、外から来てもらう必要もないのである
らしい。としたら調査結果は、なおさら
「それでいいじゃないか」になるのだ。

また、それに関連して思い出すのは八切
止夫の説であって、名古屋は昔から、わざ
と「隔絶」されていた土地なのだという。
その証拠に、江戸時代も御三家のひとつ
が配された一大城下町だったのに、東海道
はそこを通っていない。それどころか、三河
の国の「宮」(熱田)から伊勢の国の「桑名」
までは海路で直行させており、あの東海道
が、そもそも尾張の国にさえ入っていない。
考えてみれば不自然な話で、意図的な隔
絶説が事実らしく思えてくる。その影響が
いまも残って、上記の調査結果や感想を
招いたのなら、住民に対する徳川三百年の
潜在意識形成力は、恐ろしいものだと思う。


アメリカ総領事館のすぐ近くである。

先日、北区の大江橋近辺を歩いていて、
広告マン時代の仕事相手だった、グラフィ
ックデザイナーを思いだした。その裏手に
あるマンションにオフィスがあったからで、
そこの狭いけど明るい部屋を借りていた
のだ。一人でやっていたから、それで十分
という雰囲気。デスクと参考資料を並べた
本棚があったが、応接セットがあったか否
かは記憶していない。当時のことだから、
ポスターカラーの瓶を並べた小棚があり、
デスク上には製図板を置いていたと思う。

そのころの当方、独立に憧れていたので、
「こんな部屋で、仕事ができたらいいなあ」
と思っていた。相手は少し年長で、どんな
経歴なのかは知らないままだったが、まあ、
卒なく仕事をこなす、便利な外注先だった。
一度、広告コピーのアルバイトを持ちかけ
られたことがあるが、そのときには当方、
すでに短編やショートショートの原稿を書
いていたので、御勘弁を願っていた。

そうではなくて、広告や販促の仕事だけを
していたのなら、そんなところから小遣い
稼ぎの機会や、人脈が広がっていったか
もしれない。ただし、それらの仕事には
すでに熱意を失っていたのだから、長くは
続かなかっただろうが。なお、この人は後
年デザイナーを廃業し、喫茶店を始めたと
いう。その先は知らないが、要するに当方
も彼も、広告業界には 「見切り」をつけた
わけだ。昔も今も、その種の人間が多い
業界で、まして東京では、だろうと思う。

人参ぶらさげて、馬を走らせるのだ。

OL向けの広告や記事などで、「自分にごほ
うびを」というフレーズを見ることがある。が
んばって仕事をしたから、帰りにおいしいス
イーツをとか、一年間働いたので年末年始
は海外でとか、まあ、そんなことである。
そして当方、このフレーズには 「何ちゅう甘
ったるい表現や!」と思うが、
仕事や作業
をはかどらせるための、事前の報酬設定
という意味では、その効用は認めている。
だから、以前からその手は使ってきている。

もっかも設定しており、予定枚数360枚プラ
スアルファの伝記原稿、現在280枚まで来
ていて、あと30枚ほどで第四章が終わる。
「そしたら、買い置きの特撮映画DVDを見て
もよい」であり、そのあと第五章を60枚ほど
書けば終了だから、「そのときには、まる一
日フリーにして、JRでぶらっとどこかへ出か
けてもよろしい」と決めているのだ。無論、
終了は完了ではなく、そうやってリラックスし
たあと、全編の再読訂正にかからなければ
ならない。それも無事に済ませたら、「その
ときには!」なのである。

そのときには、どうするというのか。実はこ
れは 「どうする」ではなく、「どうなるだろ
うな。ああか、こうか」という、完了後の展開
に対する期待的想定であって、これも作業
促進には有効なのだ。過去、「獲らぬ狸の」
に終わった例も多かったが、「天」から
予想外の「ごほうび」をもらって、飛び上が
ったことも何度かありましたからね。


◎拳拳服膺。
文芸も文章の芸だからね。

センスがないとナンセンスにならない。その
ためには、自身のセンスの蓄積が必要で
ある/「せりふ」は「競り符」であり、競り合わ
なければならない。競り合ってなかったら、
それは単なる「会話」である/アドリブは、
思いついてすぐに言うのがアドリブではない。
思いついたら記憶し、最適のTPOを考えて
練っておく。そして、それに遭遇したとき出す
と大受けするのだ/役者の基本は「ように」
とか「らしく」である。茶碗に本物の飯が入っ
てなくても、あるように見せて食べる。その
腕がなく、「リアリティを出すため」とか言って
本物を要求するのは、学芸会である云々。

これらは平成11年に死去した名喜劇俳優、
三木のり平の言葉だが、その時代すでに上
記のようなことを守らない、蓄積の努力をし
ない、俳優やコメディアンが増えていたのだ
ろう。まして現在、若手の漫才コンビだの、
お笑いタレントには、当方の基準で見れば、
学芸会にもなってない者が多い。しかし一方、
のり平氏にしろ当方にしろ、それは「芸」の
錬磨と修得を大前提にしていると言える。

けれどもその芸とは、ある意味「こってり」と
した、いまの若い客からは 「古臭いなあ!」
と言われそうなものでもある。漫才にしても
軽演劇にしても、当方はその、良い意味の
こってりさ、しつこくはないこってりさに、
「うまいなあ」と喜ぶのだが、そういう反応
や評価姿勢自体が古臭いものになっている
のなら、現在の漫才や軽演劇とは根本的に
合わないことになる。そうではなく、やはり
うまい人はその種の芸を持っているのだと
思うし、そんな人もいることは確かなのだが。


◎キャリーバッグを引いてるが何者か?

大阪弁で言うなら、「何やしらん、むかつくな」
という人間がいる。ときどき電車内で見かける
男もその一人で、当方より年長だろうと思わ
れる。しかし、その爺さんの何がむかつくのか、
見かけるたびに考えているのだが、いまだに
わからない。服は普通または割りに上等の
ものを着ているから、それが何か不快感を
与えてくるわけではない。ただし常に布製の
鞄を肩から斜めにかけており、それが洋風
の物なのに、だらんとしてズタ袋のように見え
るのが、気になると言えば気になる。

灰色に近い白髪で、これは整えておらず、
ばさばさの上からソフト帽スタイルの帽子を
かぶっている。その髪の乱れ方が見苦しい
のかもしれないが、そんなヘアスタイルの
男はいくらでもいるから、老人がそんな髪
だというのが、貧相に見えて当方の神経に
刺さるのだろうか。また、「何やしらん、むか
つく」理由のひとつとして、こちらが子供の
頃なり若い時代なりに、似た顔をした嫌な
やつがいたという可能性も考えられる。
しかし、思い出す該当者はいない。

眼の下がたるんで隈になっているが、それ
は歳だから仕方がない。唇が分厚く、特に
下唇は下へとまくれて濡れており、それが
原因ではないかとも思うのだが、それでは
なぜそんな下唇だったらむかつくのか、
思い当たる節はない。もっかのところ、それ
らの全体が「何やしらん、むかつく」としか、
言いようがないのである。無論、第三者が
当方を見てそう思う可能性もあるから、
極力、目立たぬ恰好で動いているのだが。


せめて、何か取りどころでもないとね。

先日、ナチスドイツのミサイル「V2号」の開
発物語、といった内容の本を読んだのだが、
ネタ元の大半が、開発責任者の一人だった
ワルター・ドルンベルガーの戦後の著書、
「宇宙空間をめざして」(岩波書店)であるこ
とがまるわかりで、興醒めした。著者(日本
人)が作家なのか軍事専門家なのか、その
本に何も表記されてないのでわからないが、
ドルンベルガーの本に出てくるエピソードを
次から次へと使っており、なのに巻末には
原典も参考書籍も明記されていない。

「まるで、安物ライターのやっつけ仕事みた
いな本だな」と、憮然としていたのだ。ただ
し、ひとつだけ 「おっ」と思った点があり、
それは構成に関してである。プロローグで、
V2号の原型であるA4ロケットの、初の発
射実験成功シーンが紹介される。そして本
編では時間が過去に飛んで、第一次大戦
後の彼らのロケット開発の経緯が、一から
語られていく。それはまあ、よくある構成な
のだが、その記述が何章か進んでいく。

そして、いよいよV2号が実用化され、イギ
リスに向けて発射される段階に達したとき、
章が変わって、その情報をイギリスがどう
把握していたかの説明になる。流れが一瞬
で切り替わり、反対側からの視点でV2号
を語る部分に入ったわけで、インサートカッ
トならぬ、有効なインサート章という感があ
った。憮然とした本だから書名と著者名は
書かずにおくが、「この手は使えるな」と、
そこは収穫だったのである。


8月
◎もちろん来年モノに元号は入ってない。

文具店やスーパーの文具売り場に、もう来年
のカレンダーが出ている。大阪弁で言えば
「せわしない」話だが、そこからの連想で記憶
を探ってみた。それによると、子供の頃から
大学卒業まで、カレンダーは家にある物を見
ていただけで、自分で買って、自分用に使っ
たことはない。受験生時代、勉強の予定を立
てるときにも、何月何日までにこの問題集を
などと、日付まで区切ったスケジュールは組
んでなかったから、月単位のそれを、適当な
紙に一覧表にでもしていたのだろう。

サラリーマンになってからは、机に日めくり
式のデスクカレンダーを置いていたが、これ
は会社から支給されたものだった。どんな
具合に使ったのか覚えてないから、あまり
活用はしなかったのかもしれない。だから、
自分でカレンダーを買ってスケジュール管
理をしだしたのは、作家になってからで、
シンプルな白地のやつを使ってきた。写真
も何も入っておらず、各月の一枚が一日
ずつ小枠に区切られていて、そこに予定を
書き込んでいくスタイル。それに加えて
デスクカレンダーも買い、三カ月先とか
半年先とかの行事や予定は、とりあえず
そちらに、予告的に書いておくことにした。

仮に忘れてしまっていても、毎日めくってい
るうち、「今月末ナニナニあり」などと、一週
間ほど前の日付部分に出てくるので、壁の
カレンダーに記入し忘れていても大丈夫な
のだ。そんなわけで、年末にカレンダーを
複数もらっても、使ったことがない。自宅の
それは家人の趣味で選択されているから、
友人知人に進呈したこともある。とはいえ、
死蔵したままという例の方が多く、各家庭
やオフィスで、どれだけのカレンダーがそう
なっているのかと思ったりする。まして、
いまやスケジュール管理はスマホでという
人が大半だろうから、紙のカレンダーは無
用の長物化が進んでいるのかもしれない。


◎電池と言っても、いろいろありまして。
以前使っていたデジカメは、単4のアルカリ
電池2本を電源にしていた。だから旅行に
持って行って、あちこち撮りまくって消耗し
ても、コンビニやスーパーで電池を買えば
それでよかった。だが現在使っているやつ
は専用のリチウム電池で、消耗したら充電
しなければならない。出先で撮影中そうな
ったら困るから、大量に撮るとるときには、
常にフル充電して出かけてきた。

無論、専用電池をもう一個買ってそれも
充電していけば安心なのだが、カメラ本体
にカチッとはめこむ、その接続部の形状が
特殊で、そこらの店では同じ電池が見あ
たらない。ネットでチェックしても、カメラの
型番が古いのか、発見できなくなっている。
「まあ、そのうち見つけたときに」と思って
いたのである。すると先日、スーパーの関
連コーナーを見ていたら、USBチャージャ
ーという物が売られていた。小さな直方体
のボックスに単3アルカリ電池を2本入れ、
USB充電ケーブルで機器とつなげば、
それでチャージできるという。

充電ケーブルはデジカメに付属品として
ついており、いつもそれで充電しているの
だから、あらためて買う必要もない。「何と。
これと充電ケーブルをバッグに入れて出か
ければ、電池は自由に買えるんだから、
消耗問題は全面解決するではないか!」 
ボックス自体は普段は空箱だし、充電ケ
ーブルも短くてごく軽いから、持って行くの
に何の支障もない。これは便利だと、即
買っていたのだ。「こんなに安くて簡単な
解決法があったなんて。やっぱり常々、
商品チェックはするもんだなあ」なのだ。


◎まったく「枯れ」だしてませんな。
先日、人と会って軽く飲み、「一杯機嫌」と
いう感じで、帰りの電車に乗った。発車
まで少し時間があり、座った席のとなりは
空いていた。そして当方、もっか書いてい
る原稿の資料写真コピーをバッグから出し、
顔をうつむけて見だしていた。そしたら
そこへ女性がやってきて、空いている横
の席に座った。こちらは下を向いているか
ら、視野にワンピースの下部と靴が入り、
それは若い女性のものだと思われた。

そこで、男の常プラス一杯機嫌によって、
視線をあげてちらっとその顔を見たところ、
若いのはワンピースや靴だけで、本人は
30代後半から40代という雰囲気だった。
当方、「何じゃい。おばはんか」と思ってい
たのだが、そこでよく考えてみると (よく
考えなくてもだが)、こっちはその「おば
はん」より、30歳以上は年上なのである。

世間一般の基準で言えば、高齢者が
自分より格段に若い女性を、おばはんと
いう「年長者」的な呼称で規定していた
わけで、内心、思わず「ぶふっ」と笑って
いたのだった。「いまのおれの思いは、
主観的には何歳の男のものだったのか」
そう考えると、なおさらおかしくなってきて、
写真コピーを眺めつつ、にやにや笑いを
つづけていたのだ。当方の一杯機嫌には、
こういう 「アホげな」傾向があるのだが、
男なら誰でもですかね。


◎適宜、勉強もしてるのでございます。
『当方の感得した全体像として、定住せず、
資産を持たず、過去をフェイドアウトさせ、
未来を思わず、ひたすら時間と空間内を、
「現在」にこだわって漂流している民族と
いう雰囲気。定住する他民族のなかでの
異民族であり、当然差別や警戒もされるが、
彼ら自身も相手たちを確然と区別している。
そうやって、現代 (書籍では1930年代〜
第二次大戦期)のなかで、中世的な馬車
による集団移動生活をしているのである。

以下その特性断片〜(中略)〜概略以上
であるが、三角寛的な虚構の「サンカ」を
連想させ、王朝時代から中世の「傀儡師」
集団的でもある。傀儡師集団は、常に移
動し、夜は酒を飲んで唄い踊り云々だっ
たとのこと。何にせよ、「定住巨大集団の
なかの、非定住少数集団」という括りで
見れば、生活や対応や掟などが似てくる
のかもしれない。「煮え詰まって」くれば
似てくるということか。異世界小説に応用
するなら、再読して一般化すればよい』

以上は、ずっと以前に読んだ 「ジプシー」
(ヤン・ヨアーズ。早川文庫)を、先般再読
した読後メモの一部であり、「応用」すると
きのために、頭に残った特性を列記して
おいたのだ。だから上記で(中略)とした
部分が、原稿用紙で7枚分ほどある。
ひとつだけ紹介しておけば、女は一時滞
在地で占いをしたりする。客に対する
深層心理の操縦的な対応であり、内心
では小馬鹿にして笑っている。そして、
ちょっとしたトリックを使ったりもする。
客から赤ん坊が男か女かと聞かれ、仮に
男とこたえたとき、手控えの帳面には依
頼者名や日付とともに、女と書いておく。
生まれてから客が文句を言ってきたら、
それを見せて煙に巻くのだそうだ(笑)。


◎菅笠様。メール拝見。
そいうことは、確かにあったと思います。
作家になってからですが、たまたま入った
小料理屋で、出版社の社員と某県教師が
その談合をしているのを、聞きましたから。
まあ、要するに「商売」なんですね。

◎思わず声に出して言うこともある。
何年か前、ホームセンターでアロエの鉢植
えを買った。毎日パソコンに向かって座り
つづけているから、どうしても運動不足に
なり、おのずと便秘気味にもなる。そんな
ときアロエをかじれば、効果があるという
からである。そして小ぶりの鉢を仕事場の
ベランダに置き、適当に切ったりして利用
していった。その結果、どれくらいの期間
が過ぎてのちかは覚えてないが、食べ尽
くすようなことになってしまった。そこで
それはそのままにして、もう一鉢買った。

そして同じように使いだしたら、アロエは
繁殖力が旺盛だから、その間に最初の
鉢から別の芽が複数出てきて、いつしか
元のような姿になった。それどころか鉢が
小さ過ぎるような状態にもなってきた。
だからその時点で、横長で中型のプラン
ターふたつと園芸用の土を買ってきて、
二鉢とも植え替えておいた。肥料の小袋
も買い、以後、適宜それを与えて、水を
やるようになったのだ。そしたら、どうな
ったか。現在、中型プランターでも、小さ
過ぎるような状態になっている。

こっちのアロエをかじっていく間に、あっ
ちのアロエが繁殖する。食べ尽くしかけた
やつをそのままにしておいて、繁殖した方
を使っていけば、その間に放置しておいた
やつが復活再生する。その交互利用で、
いまや無限供給状態になっているのだ。
ただし、いくらでも増えるのをいいことに、
アロエを長めに切ってかじると、効き過ぎ
て下痢をする。内心、 「おまえはアホやろ」
「はい。自分でもそう思います」などと言い
ながら、パソコンから離れるのだ。


◎参考書の記憶をたどる・その2。
前回の続きであるが、高校に入ってから、
普段の勉強のために参考書を買ったの
かどうか、それも記憶にない。もちろん
学校の指示で買わされたものは別だが、
それにしたところで、果たしてそんな参
考書があったのか否かも覚えていない。
いま思うに、当方よっぽど勉強が嫌いだ
ったのだろう。いや。「だろう」ではなく、
まさしく 「嫌いだった」のだ。

それが大学受験の勉強を始めてからは、
赤尾の「豆単」 (ポケットサイズの英単
語集)を初めとして、各科目の参考書や
問題集を、やたらに買っていたように覚
えている。不安にかられ、焦っていて、
ついつい買ってしまっていたのだろう。
だから、買ったけど活用できなかったも
のも多かったはずで、書名などは全然
記憶にない。頭に残っているのは、各
科目の要点だけを列記した新書版の
シリーズを何冊か使ったことと、豆単だ
けではなく、「単総」と呼ばれていた大
型の英単語集も買ったことくらいだ。

旺文社、学研、受験研究社、駸々堂と、
出版社名は覚えているのだが、表紙も
何も、全然うかんでこない。一方、
参考書と言っていいのかどうかはわか
らないが、大学卒業後の広告マン時代
には、かなりの解説書や専門書を買っ
て読んだ。作家になって以降なら、広い
意味では、どんな本も「参考書」だと言
える。別にキザなことを言っているわけ
ではなく、本当にそうなのである。


◎参考書の記憶をたどる・その1。
電車のなかで、塾の夏季講座を受けてる
らしい中学生が、参考書を読んでいた。
それで思い出してみれば、当方が参考書
や問題集を買ったのは、中学3年の高校
受験期が最初だった。小学校時代はもち
ろん、中学生になってからもまともに勉強
してなかったし、参考書らしきものは学習
雑誌の付録で十分だったのかもしれない。
そして高校受験のとき、まず何とかしなけ
ればならかったのは英語だった。英語の
キザな若造教師が嫌いで嫌いで、それが
1年から3年まで、毎年クラス替えがあっ
たにもかかわらず、ずっと担任でもあった。

その結果、英語は入門段階で落ちこぼれ
になり、本当に一からやりなおさなければ
ならなかったのだ。そこで、当時学研から
「プログラム学習」という方式で全10冊の
ドリルが出ていたので、親に頼んで買って
もらった。その成果たるや大変なもので、
それまで英語の試験は常に19点とか23
点とかだったのが、二学期初めに50点代
になり、学期末には89点だかになった。
これは、こちらの理解力が優れていたから
ではなく、まったく100パーセント、
「馬鹿でもできる」「どんどんおもしろく
なる」プログラム学習のたまものである。

だから当方、全10冊のラストは総集編だっ
たので、大学受験のときその1冊だけを
再度買って、中学英語のおさらいから始め
ていたくらいなのだ。それ以外の科目に
ついては、どんな参考書や問題集を買って
いたのか。あれこれ買ったはずなのだが、
具体的な記憶はまったくない。上記の英語
ほど 「劇的ビフォー・アフター」にはならな
かったからか。それとも参考書というものが、
その特性上「おもしろくない」ものだったか
らか。( この続きは次回といたします)


◎10円機はさすがに売り切れが多い。
缶コーヒー50円、烏龍茶30円など、安値で
売っている自動販売機がある。大阪市福島区
には、福島名物と称して10円均一自販機も
あり、ただし「何が出るかはお楽しみ」で、
商品が見えないから選択はできない。その
前を通りかかるとき、運試しにと思って何度
か買ってみたことがあり、緑茶の缶が出て
きたり、ミネラルウォーター500ミリリッ
トルのペットボトルが出てきたりした。

で、それはともかく、安いのは消費期限が
近くなっているからで、メーカーや販売会社
が格安で卸すのだそうだ。だから飲料類に
限らず、菓子や食品なども、ときどきドラッグ
ストアやスーパーで、同じような商品を
売っていたりする。期限間近と言っても2週
間先とか1カ月先だから、すぐ利用する者
にとっては何の支障もないのである。

そこで元広告マン、販促プランナーとして、
そういう商品専門の店につける、MAGICA
という店名を思いついた。消費期限間近の
間近であり、「こんな値段て、マジか!」の
マジかである。そしてまた、イタリア語で
「魔法の」という意味のMAGICAであって、
流通の魔法を表してもいる。いい店名だと
思うのだが、そんな専門店が成り立つか
どうか、それは業界事情を知らないから
見当がつかないのである。


◎第一8時間など、トイレが持たん(笑)。
就寝時はクーラーも扇風機もつけず、窓を
少し開けているだけだから、連日の猛暑
朝5時半頃には目覚めてしまう。そこで、
自宅にいるときには扇風機をつけ、ラジオ
を聞きながら再仮眠する。朝食は娘の出
勤に合わせて7時過ぎだから、それまで
1時間ほどは眠れるのだ。仕事場に泊ま
った朝も同じ頃に目覚め、この場合は一
度起きて、ネットで情報チェックをする。
そのあと寝ころんでラジオを聞くこともあり、
本を読むこともあるが、これもまた、いつ
しか1時間ほど再仮眠していたりする。

仕事場での昼食後は、短い昼寝を取る
のが長年の習慣になっており、20分から
30分ほど仮眠する。ただし疲れていると
きには、1時間以上になったりもする。
夕食後、自宅では寝ころんで本を読むの
だが、これはずっと読んでいたいのに、
途中で寝てしまうことも間々ある。ただし
そのまま朝までではなく、12時過ぎとか
にふっと目覚めるので、そのとき消灯する
のである。仕事場に泊まるときも同様で、
寝ころんで本を読んでいると、大抵途中
で1時間弱寝てしまっている。

9時過ぎなど早めに目覚めたら、もう一度
パソコンに向かい、昼間書いた原稿の
再読訂正をしたりするのだ。そして、以上
を概観すると、とにかく小刻みに睡眠を
補っていることになり、それで一日の必要
睡眠量を確保しているのだろう。もっかの
早朝覚醒は猛暑ゆえだが、根本傾向とし
ては、若い時代のように一気に8時間とか
は、眠れなくなっているからだ。「寝るにも
体力がいる」というのは、本当ですな。


◎実行させる者、させられる者がいる。

中近東をはじめ、アジアの回教国でも、あい
かわず「イスラム国」関係らしい自爆テロが
断続的に起きている。男ばかりか女子供も
その実行者になり、一家で自爆した例も
あるという。西欧世界の常識では考えられ
ないことだが、彼らにとっては、それが神の
意思に添うことになるのだろう。しかしこの
自爆テロ、「テロ」と規定しているのは被害
を受ける側であって、加害側は正義の戦争
における「攻撃」だと考えているだろう。

としたらそれは、「大義のための捨身」と
いう意味において、太平洋戦争における
日本の特攻隊と同種のものなのだろうか。
それとも、まったく異質のものなのだろうか。
無論、前者の大義は神や宗教の世界にお
けるものであり、後者のそれは皇国史観を
バックにした軍国社会におけるものである。
皇国史観も一種の宗教と言えるかもしれな
いが、言わば「疑似」宗教であって、天皇も
神道も本来はそれとは別の物である。また、
もちろん特攻隊に女子供は参加させられて
おらず、若い男性のみである。

ただしその隊員は、志願に寄って選ばれて
いたことになっていて、それが事実であった
例も確かにあったようだ。しかし同時に、
「志願しろ」と命令されて志願者として扱わ
れた例や、最初からその要員として部隊を
編成され、もろに命令されていた例もあった。
幸い終戦になって出撃せずにすんだ者が
多かったわけだが、人数から言えば後者
二例によるものの方が多数であったことは、
種々の回想談や記録で点検できるという。

前途ある青年たちに死を強制した、その
命令者や責任者が戦後も生き残り、知らぬ
顔をしていた事実は、陸海軍ともに少なか
らずある。これも、その回想談や記録が残
っている。そういったことは、イスラム国に
おいても同じなのか、違うのか。何にせよ、
どちらも恐ろしい話であり、同種なのか
異質なのか、浅薄な結論など出せるはず
がないとも思わされるのであるが。


◎「
金鳥の夏、日本の夏」も今年は。

8月3日の産経新聞サイトに、猛暑で蚊の
活動が鈍くなっているという記事が載って
いた。だからKINCHOもアースも、去年
に比べて殺虫剤の売り上げが減っているそ
うだ。蚊は気温が25度から30度だと活
発に動くが、それ以上になると飛びまわる
ことが少なくなるという。30度以上の日が
つづくと、普通は10日ほどの寿命が短く
なり、死亡率が高くなるとも書いてある。

「人間と同様、蚊も猛暑でへたばる」との
ことで、当方、「ああ。やっぱりか!」と、
膝を叩く気持ちになっていた。というのが
この夏、蚊に刺されたのは、樹木や草む
らの多い公園内を歩いていたときだけで、
自宅でも仕事場でも、まだ一度も刺され
ていない。夜、窓を開けて寝ていても何と
もないから、せっかく買ったスプレー式の
殺虫剤にも出番がないのである。

定期的に墓参りに行っており、アレルギー
症の当方、夏場には虫除けスプレーと抗
ヒスタミン軟膏を持っていくのだが、この夏
にはそこでも刺されていない。墓地と言え
ば数多い墓の花生けに水がたまって、
ボウフラの浮沈場所と決まっているような
ものだが、今年はその花生けも干からび
て、蚊の発生を抑えているらしい。「危険な
暑さ」も、その点では良い暑さなんですな。


◎ゲルは、ゾルとゲルのゲルだろうな。
机の引き出しのなかに、ボールペンが何
本も入っている。万年筆型のちゃんとした
やつもあれば、鉛筆型の使い捨て用もあ
る。前者は人からもらった物だし、後者は
何かのおまけ(?)についていた物などだ。
勝手に本数が増えて、以前には10本近
く貯まっていた。だから、いつも肩からか
けているバッグの中に1本、別のバッグに
も1本、自転車の小物入れに1本、自宅
でベッドサイドにメモ用紙とともに1本とい
う具合に、あちこちに分散配置した。
何かメモする必要が生じたとき、いつでも
どこでも可能なようにである。

一方、自分で普段買って使うボールペンは、
ゲルインクの鉛筆型で、机の上に黒と赤を
常備している。ゲルインクは滑りが良くて、
ほとんど抵抗なくすらすらと書ける。当方、
小説の構想などを立てるとき、まずは肉筆
でダーッとメモしていく。その思考速度と
一致させて書けるのが、このゲルインクの
ボールペンで、使い出したらやめられなく
なった。上記した「勝手に本数が増えた」
のは、普通のインクのボールペンを使わな
くなったからでもあるのだ。

原稿も肉筆だった若い時代、筆圧が強い
ので万年筆で連日書いていると腕が疲れ、
遂には頸肩腕症候群になってしまった。星
新一さんが、滑りがいいからと、「証券用ボ
ールペン」を使っておられると聞き、それも
試してみたのだが、当方には効果はなかっ
た。あの時代にゲルインクのボールペンが
あったら、もっと楽に書けていたなと思う。


◎こうろえん方面様。メール拝見。
「奇想天外」とは、懐かしい誌名ですね。
書籍名も懐かしい。いろいろ、お読み
いただきまして、ありがとうございます。


◎「信じようと信じまいと」の世界だ。

物事の成就や達成を常に思いつづけ、願い
つづけていると、あるとき思いがけない幸
運が訪れて、それが実現する。第三者から
は 「それは偶然だろう」と言われるような
ことが起きて、バタバタッと良い結果に至っ
たりする。願望達成法の「型」であり、それ
は当方もこれまでの人生で、何度か経験
してきているのだ。ただし、長い年月のなか
でだから、そういった幸運は当方の場合、
「たまに」起きていたということになる。

しかし、その頻度が上がればどうなるか。
「たまに」が「ときどき」になり、「ときどき」
が「よく」に変化して、それが「しきりに」
へと、接近していくと表現できるだろう。
そして、「たまに」や「ときどき」くらいなら、
それらは本当に単なる偶然の幸運かも
しれないが、「よく」から「しきりに」の域に
近づくにつれ、第三者も 「単なる偶然だ」
とは言いにくくなってくるのではないか。

まして、「しきりに」から「常に」となると、
これは必然と変わらなくなる。「願えば、人
からは偶然だろうと言われるような幸運が、
常に起きる」のだから、それは必然の法則
なのだ。だが、現実の世の中で、実際に
そんなことがあるのか。あるんですねえ。
高徳の人物が強烈な祈念力で願えば、
100パーセントは無理としても、80パー
セントくらいは「常に」と言える結果が出て
いたという、そういう世界がね。もっか、
その人物の本を書いているのだが、理屈
と常識を超えてるので大変でございます。

7月

◎7月27日(金)にメールされた方。
当ホームページのメール欄からですが、
エラー送信になっていて、送信者も内容
も不明です。念のため、お知らせまで。


◎ビル街はまるで無料のサウナだ。

二社に勤めた広告マン時代、最初の会社
と移籍した会社とでは、服装のルールに
違いがあった。前社はスーツにネクタイが
当然の定めだったので、製作の現場仕事
をしていた当方も、その姿で催事の展示
商品を詰めた重い段ボール箱を運んだり、
撮影用の照明機材を担いだりしていた。
夏場も、上着は脱いでもネクタイは外せず、
足元も靴下をはいて靴を履いているので、
首筋や足首に汗がたまって往生した。

後社は営業マンはスーツにネクタイだった
が、企画製作の人間は割りに自由で、夏
には半袖のサファリジャケットにジーンズ
とか、カジュアルシャツだけで上着なしとか、
少なくとも首筋に汗のたまることはなくなっ
た。靴下も綿の白いやつで、靴だって
いまでいうスニーカーで一向にかまわない
から、こちらの汗も軽減した。そして当方、
脱サラしてからはさらに自由になり、夏場
はポロシャツやTシャツにジーンズ、足元
は素足にサンダルという姿が多くなった。
ホテルで人と会うとか、新幹線で上京する
とか、そんなときにはさすがに靴下と靴に
なるが、近畿一円の移動くらいなら、サン
ダル履きで平気で電車に乗る。

だから真夏の午後、酷暑のなかスーツに
ネクタイで歩いているサラリーマンを見ると、
気の毒になってくる。近年の日本、特に
今年の夏は、亜熱帯もしくは熱帯と言って
いい気候なのだから、クールビズにとどま
らず、サラリーマンにもマレー、フィリピン、
インドネシア、さらにはポリネシア風の服装
を認めてやればいいのにと思うのだ。戦争
中の陸海軍だって、南方の部隊は半袖
半ズボンの略装を制定してたんだからね。


◎危険な暑さで、頭も危険領域に?

先日、「わしのドタマ」という、お笑い小説を
思いついた。
ドタマというのは、頭にドの字
をつけた、ドアタマがなまった言い方だ。ド
は強調の接頭語で、大阪弁では 「うだうだ
言うてたら、ドタマかち割るぞ」とか、「こん
なこともわからんのか。ごっついドタマして
やがって」とか、喧嘩や叱責で相手の立場
や能力を下に見て使う。だから普通、自分
の頭をドタマとは言わないのである。

しかし、「私の頭」や「ぼくの頭」というタイ
トルにすると、何か「自分の才能を自慢する
小説なのか」と思われそうで、「決してそん
なつもりはないのです」という気持ちを示し、
同時に 「これはお笑い系の小説ですよ」
という示唆もしておくため、「わしのドタマ」
とつけたのだ。けれども、そんな考慮もわし
のドタマがしたわけだが、その気の弱さや
ニタニタ笑いが、ドタマのどのあたりに収め
られているのかは、自分でもわからない。

で、それはともかく、その 「わしのドタマ」
の案を展開すると、これは創作法公開に
なり、自身の意識解剖になり、脳の機能紹
介になり、さらには、人間は要するに「脳」
だという視点になり、その脳は異世界との
接触交流もできるのだという話になり、
宇宙や時間のなかでの存在意味を探る
ものにも、なるのかもしれないと、見当が
ついた。そしてそれを目指すのなら、舞台
やストーリーや人物は、逆にシンプルで
理解しやすく、あほらしく、アチャラカ的な、
そんなものの方がいいかもしれない。
などと考える、わしのドタマなのだった。


◎アパート街は、いまもあると思う。

広告マン時代、1年間だけアパートに住ん
だことがあり、トイレは共用で風呂もなかっ
たから、銭湯へ行っていた。豊中の、空港
に近い場所で、町名が箕輪(みのわ)だっ
たから、銭湯も「箕輪温泉」だったと思う。
夜遅くまで残業したり、同僚と飲んで深夜
に帰ったりもしていたから、ここへ通ったの
は毎晩ではなく、二日または三日に一度
くらいだった。日曜の夕方に行くとき、家賃
の安そうな木造アパートが建ち並ぶ町内
に強い西日が差し、空港からはジェットエ
ンジンの整備稼働らしい轟音が響いてくる。

そこを夏なら綿パンに綿シャツという姿で、
石鹸をくるんだタオルだけを持って、25歳
か6歳の当方が歩いていた。安月給で、
「この先、どうなるのか」と、常に不安や焦
燥に狩られていたこともあって、「場末の
光景だなあ」とそのときも思い、いまも何と
も言えない気持ちになるのである。同じく
夏の夜、雨が降っていたので傘をさして銭
湯に行き、帰りかけると、女湯から出てき
た若い女性が、傘を持っておらず、濡れ
ながら歩き出した。OLなのかどうかはわ
からないが、近くの安アパートに入ってい
る様子だったので、「入れたげましょか」と
声をかけ、一緒に歩いたことがある。

そして数区画先で礼を言われて別れたと
いう、それだけの話であり、無論アパート
の名前や場所など聞きもしなかった。後年、
半村良氏の「新宿馬鹿物語」を読んだとき、
「あの人なら、それがきっかけで、なんて
こともできたかもしれんな」と思った。その
あたり、うまいですからね。漏れ聞いてい
た現実の生活面でも、作品面でも。当方、
まったくそういうタイプではなかったから、
「箕輪阿呆物語」は生まれなかったのだ。
以上、夏の銭湯の思い出でした。


◎まあ、坊さんは着物姿で歩いてるが。

何で読んだか忘れたが、大阪でも自由民権
運動が盛んだった明治時代前期、「いつも
角袖巡査に尾行されていた」という、民権家
の経験談があった。いまで言えば私服刑事
だが、その私服は着物だったのだ。大正11
年の3月、大阪毎日新聞社が、記者に洋服
を着せることにしたという記録がある。それ
までは着物姿で取材に走っていたことに
なり、この頃から洋服が一般化してきてい
たのだろう。しかしミナミの花月だったか、
昭和戦前の大きな寄席の客席写真では、
ほぼ全員が着物姿で写っている。

ソフト帽をかぶった男性や日本髪の女性、
鳥打ち帽をかぶった丁稚風の少年など、
「なるほど。こういう人たちが客だったのか」
と納得させられるのだ。また戦後の昭和30
年代でも、超人気テレビ番組 「番頭はんと
丁稚どん」を提供していた便秘薬会社
「七ふく」の専務は、着物に前垂れという、
まさに番頭スタイルで仕事をしていたと、
花登筐氏の 「私の裏切り裏切られ史」に
書いてある。当方が広告マンだった昭和
45年から50年頃、繊維の街「丼池」(どぶ
いけ)で、着物に下駄という姿で大きな風呂
敷包みをかたげて歩く年輩者を見かけ、
感動して立ち止まって、見送ったこともある。

しかし現在、女性は別として、男性の着物姿
を見かけることは皆無に近い。たまに地下街
や駅で見ることがあるが、それは踊りか長唄
か、明らかに芸事の師匠だとわかる人くらい
である。落語家など、ジーンズ姿で、衣装は
キャリーケースに入れてひっぱっている。
逆に外国人観光客が男女とも、着付けサー
ビスで着物姿になって喜んでいるようだが、
日常の衣服としては、とうに過去のものなの
だ。今週は天神祭があり、そのときには
若い男女の浴衣姿が目立つのだけれど。


◎中国も内心あきれてると思うがねえ。

先日、ネットの新聞社サイトに、「金正恩氏
激怒」という記事が載っていた。発電所の
建設現場を視察したところ、堤防が着工
から17年たっても完成していなかった。鞄
工場へ行くと 「陳列室がみすぼらしく放置
されて」おり、温泉保養施設では 「湿って
不快な臭いが」して、浴槽は「魚の水槽に
も劣る」貧弱さだったという。「意を決して
直接来てみたが、言葉が出ない」と、「心
から激怒」したのだそうだ。読んだ当方、
「よく言うよなあ」とあきれ、「これでまた、
関係者が処刑されたり収容所へ送られた
りするんだろうな」と、気の毒になっていた。

なぜなら、そんな事態になったのは社会や
経済が根底から破綻しているからで、建設
機械がない、建設資材が足りない。道路は
ガタガタで、鉄道も老朽化で輸送力が低下
しており、電力だって不足している。第一、
食う物すら満足には配給されてない。もっ
かの制裁以前から、国全体がすっからかん
になっているのだ。おまけに縦割り組織は
硬直化し、人々は責任追及を恐れて、ひた
すらその場をごまかすだけらしいから、それ
で成果が上がったら、これひとつの不思議。
そして誰がそこまで破綻させたかといえば、
金日成であり金正日であり、三代目を継い
だ自分自身なのである。

そこで思うに、日本でもこのパターンはあっ
て、ワンマン社長やそのあとを継いだ馬鹿
息子、保身第一の狡猾な上司、無理難題
を押しつけてくる発注者、などという連中が
似たことをやっている。「おまえは言うだけ
やから、なんぼでも立派なことは言える
わい!」であって、自分の無能や失敗の
責任を弱者に転化するという、その実例は
当方、直接間接に山ほど知っている。しか
し日本と北朝鮮が違うのは、こちらでは、
そんな環境から逃げようと思えば逃げられ
るし、クビや左遷を覚悟の上でなら、ケツ
をまくって直言もできる。あちらは組織から
も社会からも逃げられないし、直言したら
殺される可能性が大なのである。

となると疑問がふたつ浮かび、ひとつは金
正恩は国全体の現状を実は知らんのか、
それとも知ってて好き勝手なことを言って
るのかというもの。もうひとつは、そんな
指導者や国家と、なぜ韓国が融和したがっ
ているのかというものだ。将来統一でもした
ら、「ここまでひどいとは思わなかった!」
になることは、わかりきっていると思うのだ
が、何をそんなに憧れてるんですかねえ。


◎もちろん蝶々、蛾、蚊も多かった。

小学生時代、夏には普通の住宅街にも、
昆虫はいくらでもいた。カナブンなど、それ
こそぶんぶん飛んでいたし、ちょっとした
草むらにはバッタやカマキリがあちこちに
いた。体長10センチ以上で、胴の太さが
1センチ以上ある大きなバッタを見つけて、
驚いたこともある。樹木にはカブトムシ、
カミキリムシ、クワガタなどが取り付いて
おり、蝉の抜け殻もよく眼に付いた。ツノ
を立てた牡のカブトムシをつかまえ、その
ツノに糸を結びつけて、グリコのおまけの
自動車を引かせたりもしたっけな。

トンボではオニヤンマだかギンヤンマだか、
大きなやつをつかまえたら指先をかまれ、
それが意外に強い噛み方で痛かったので、
これもまた驚いていた。シオカラトンボなど、
つかまえようとも思わないほど、多く飛んで
いたように覚えている。昭和30年代の前
半で高度成長期以前だから、低学年期に
住んでいた新潟、高学年期にいた豊中にも、
「自然」は豊富に残っていたのだ。ずっと後
年、作家になってから、たまたま通りかか
った住宅街で、脱皮しかけている蝉が木
から落ちているを見つけ、そっとつまんで、
家まで持って帰ったことがある。

そして室内の観葉植物にとまらせておいた
ところ、みごとに脱皮したのであるが、その
直後の蝉というのは、色といい柔らかさと
いい、まるで握り寿司の海老みたいだと
知り、これは驚くよりは感動していた。一瞬、
「わさび醤油で食べたらうまいかな」と思っ
たのだが、そんなかわいそうなことはせず、
翌日だったか、海老が蝉になったので放し
てやったのである。仕事場の近くに大きな
公園があり、数多い木々は蝉の抜け殻
だらけである。周辺の複数の保育所から
幼児たちがやってきて、それを集めたり
しているので、連鎖的に思い出しまして。


◎天孫降臨は宇宙人の来着だとか?

異説、怪説、珍説、妄説。日本の歴史にも
そんなのが山ほどあって、キリストは遠路
はるばる日本まで来て戸来村で亡くなり、
聖徳太子は架空の人物で、鎮西八郎
為朝は八丈島から琉球に渡って、その
子孫が琉球王朝を立てたという。源義経
は蝦夷からシベリア経由、モンゴルに行っ
てジンギスカンとなり、百地三太夫と藤林
長門守は同一人物なのだった。上杉謙信
は女であり、明智光秀は天海僧正となり、
徳川家康は願人坊主が化けた偽者だった。
天一坊は本当に吉宗の子だったし、大塩
平八郎は何とロンドンに逃れたという。

幕末から明治となると、皇女和宮は江戸
へ下る途中で入れ替わったし、孝明天皇
は岩倉具視に毒殺されたし、明治天皇も
別人によるすり替わりであって、西郷隆盛
は城山で死なずロシアに逃れたのだ。
そこで思うに、これらがすべて事実だった
としたら、それらを排除し、押さえ込み、
一笑に付して構築してきた、公式・正統・
正調の日本史そのものが、虚構の説と
いうことになる。誰が構築したかというと、
そのときどきの勝者、権力者、お上、政
府であり、自己の立場の正当化のために
大変なエネルギーを費やしたわけだ。

そして一方、異説怪説珍説妄説をその
まま組み込んだ日本史を構成すると、
そこにはしぶとく、したたかで、文字通り
「殺しても死なん」人間がぞろぞろ登場
するという、猥雑にしてエネルギッシュな
民族史が現れてくることになる。世界各
国の歴史でもそれをやったら、有史以来
の地球が一大ドタバタ惑星になる。学校
で教える歴史としては、そっちの方が
おもしろかろうと思うのだが、教える方も
習う方もくたびれ果てるかもしれない。
ついでに書けば、幕末から明治維新、
戊辰戦争から西南戦争に至る公式史は、
薩摩と長州の勝ち組連中が自分たちに
都合良く作らせた、なかば虚構の歴史
なのだという説もある。それについては、
どうもそうらしいなあと、当方も思う。


◎菅笠様。メール拝見。
いやあ。ごっついジョッキがありますから
ねえ。しかも当方、いまや大瓶もようよう
で、普段はレギュラー缶ですし(笑)。


◎7名執行はやはり驚きだったのか。

先日、半村良さんの夢を見た。御自身の
広告マン時代を思い出してなのか、新製
品の特性を語っている夢で、業務用の
大型コピー機に関するものである。そして
その内容には、いかにも夢らしく込み入っ
た理屈が含まれていた。例として半村さん
は古典の和歌をいくつかあげ、そのなか
のひとつには、「奥の意味があるんだよ」
と言う。そこで、その表面上は隠された
奥の意味もコピー機に読み取らせる。
そしてその新製品は、メモリー部分に深い
意味を隠して貯えておけるのだという。
「イラストや写真でも、ニュアンスを読み
取って、貯えておけるのよ」とのこと。

すると、以後は文書でも画像でも普通に
コピーをしていけば、それらのコピーにも、
貯えられた深い意味やニュアンスが反映
されるので、他社のコピー機よりリアルで
質感の良いコピーが取れるというのだ。
しかし起きてから考えてみるに、当方ここ
しばらく半村さんの本は読み返してないし、
思い出してもいなかった。また、もっか書
いている原稿とも何ら関係はない。だから
「出所不明の夢だな」と思っていたのだが、
ひとつだけ可能性を思いついた。オウム
真理教の教祖が死刑を執行されたので、
自分は潜在意識で長編 「岬一郎の抵抗」
を思い出していたのではなかろうか。

というのが、あの教祖が上九一色村で
逮捕されて都内に護送されたとき、テレビ
カメラがずっとその移動を空撮で追って
いた。当方その生中継を見たとき、「岬
一郎の抵抗」のラストシーンだったか、
護送車で都内を「ひきまわし」にされる
シーンを思い出し、「この生中継は、あれ
と同じだな」と思っていた。それを先日の
睡眠中、潜在意識が想起していたのか
もしれんなと思っていたのだ。ただし、
業務用コピー機との関連は不明だが。


◎しかし、もう大ジョッキは飲めんなあ。

若い時代のある年、秋になってから、何か
胃が痛いような感じのつづいたことがある。
そこで医者へ行ってそのことを告げたら、
「夏の間、ビールを飲み過ぎたのと違います
か」と言われた。夏場に胃を冷やしていると、
秋になってからその報い(?)が出てくると
いうのだ。作家になってから、そう無茶にビ
ールを飲んだことはないはずだから、これは
広告マン時代の経験だったのだろう。企画
部や制作部のプランナーとかデザイナーとか、
気のあった連中とビアガーデンへもよく行き、
気楽な話をしながら飲んでいたのだ。

妙に覚えているのは、「大阪支社のメンバー
で内閣をつくるとしたら、総理大臣は誰が適
任か」という仮定の話題で、あるプランナーが
某営業マンの名前をあげた。そして当方も同
じ人物を思いうかべており、それは鹿児島の
生まれ育ちで、出身大学も鹿児島大学という
係長だった。大柄で頭も大きく赤ら顔。西郷
隆盛とまではいかないが、まあ、「ボッケモン
というのはこういう男を言うのか」と思わせる
タイプだった。仕事上の問題や人間関係を、
大きく把握する能力があったようで、それで
総理大臣候補の一人になったのだと思う。

ただし後年、彼が東京本社で部長になった
と聞いた覚えはあるが、その先は知らない。
何にせよ、ビアガーデンというとこの話を思い
出すのだ。大阪の堂島、サントリー本社ビル
の屋上では、いまも毎年、夏になるとビアガ
ーデンが開かれている。若いサラリーマン
諸君も同じような話題で盛り上がっている
のか、それともI Tの話でもしているのか。
一度その横のテーブルに座って、さりげなく
飲みながら、聞いてみたいと思ったりする。


◎洗脳説で片づけられれば簡単だが。

先日、オウム真理教の教祖以下、元幹部
6名の死刑が執行された。一日に7人も処
刑するというのは恐ろしい話だが、同事件
の死刑囚はあとまだ6人残っており、合計
13人を散発的に処刑していくのも、逆に
残酷感を高めるような感じがする。といって、
そんなことはありえんだろうが、もし新天皇
即位の恩赦で無期懲役に減刑でもしたら、
多数の被害者だけではなく国民が納得し
ないだろう。死刑制度の是否論も難しい
問題だが、オウム真理教事件の場合は、
それがさらに難しくなってくるのだ。

で、それはともかく、彼らが起こした一連の
事件については、「つまり何だったんだ?」
という点において、当方いまだに見当が
ついていない。地下鉄サリン事件直後から、
週刊誌の臨時特集号が出て、新聞社の
緊急出版本が出て、評論家や宗教学者の
書籍が出た。当方、それらを次から次へと
読んでいったのであるが、その原動力は
「つまり何なのだ?」という疑問に対する、
明確な答を得たいという思いだった。

たとえば反体制・反国家・武装蜂起といっ
た面について、往年の全共闘や左翼過激
派の主張なら、何を根拠に、どう現実を
把握し、いかにそれを打破すべきだと言っ
ているのか、少なくともその理解はできる。
それらは根本面で間違っていると思うが、
だから賛成はしないが、とりあえずその
主張の読解はできるのだ。ところがオウム
真理教事件については、ヤクザがからみ
政治家がからみ、ロシアがからみ北朝鮮も
からむと言われ、ボアがどうのコスモクリー
ナーがこうのと、問題が複雑と言えば複雑、
無秩序な拡散と言えば拡散状態になって
いたから、本質や核心がつかみにくい。

「実は本質も核心も何もない、あの教祖の
自我肥大による、妄想世界の膨張と混乱と
破綻なのか」とも思うが、とすると、それに
追随した医師や科学者たちの、思考・認識
・判断レベルは、いったいどんなものだった
のかと、さらに疑問が増えていく。上記の
週刊誌や書籍は段ボール箱に詰め込んで
あるので、ひさしぶりに読み返してみようと
思っているけれど、「さあて。それで膝が
叩けるかなあ」なのである。


◎サッカーのニュースから思い出した。

高校のとき、体育の教師たちは職員室では
なく、別の部屋に机を置いていた。体育館
のそばだから、授業の利便をはかっての
ことかもしれないが、本人たちは何か、格下
扱いをされているように感じていたかもしれ
ない。で、こちらがその部屋の前を通るとき、
窓やドアが開いていたら内部が見えるのだ
が、ある年輩の体育教師が、よく魚獲りの
網をいじっていた。ちらっと見えただけの
記憶によれば、机の上に目の細かい網を
広げ、その底辺部分には小さな鉛の錘が
たくさんついていた。その錘をつけ替えてい
たのか、網の破れを補修していたのか。

そして小柄で赤黒い顔をしていたその教師
は、口数が少なく、授業でもどなったりはし
ない人物だった。グラウンドで2クラスがサッ
カーをやっていたとき、ちょっとしたトラブル
で、こちらのクラスの生徒があちらのクラスの
担当教師と口論になったことがあった。その
教師は、いかにも体育教師的な粗暴さを見
せる若い男だったが、そのときにもこちらの
担当だった上記の教師は、相手がぐっと年下
なのに、何も口をはさまず黙っていたのだ。

しかし一方、噂によれば彼は酒癖が悪いそう
で、梅田で酔っぱらってふらふら歩きながら
クダを巻いている姿を、目撃した生徒が複数
いた。なかには、一緒に飲もうと強要され、
逃げた生徒もいたという。だから当方、「おと
なしい教師が、何かの事情で網の補修の
内職でもしており、あれやこれやの鬱屈を
酒で晴らしているのかな」と、いま思えば
実に通俗的な想像をしていた。伊丹市か
尼崎市か、武庫川の近くに住んでいると
聞いた覚えがあるから、単に趣味の川魚
獲りの網を、補修していただけなのだろうが。


◎店、炊事当番、交通整理の夏だった。

大学時代、所属していた広告研究会では
毎年の夏、「広告の実践研究」を旗印に、
福井県敦賀市の海水浴場で浜辺の喫茶店
を開いていた。7月15日の海開きから一カ
月間の営業で、その前後には準備や撤収
の期間もある。その「サマーストア」に、一
年のときは交替で1週間、二年で2週間、3
年のときには全期間参加する規則になって
おり、近くのお寺で合宿生活をしていた。

自炊の食費やお寺への謝礼が必要だから、
合宿費を払わなければならず、一年二年の
ときには、7月1日からの夏休みに入るや、
一カ月ほどアルバイトをして稼いでいた。
1年のとき、1週間の参加期間を終えたあと
敦賀から富山へ行き、富山地方鉄道と
関西電力のトロッコ電車に乗って、黒部へ
行った。それから富山にもどり、確か新潟発
だったと思うが、夜中の12時過ぎに富山を
出る鈍行列車に乗って、翌朝6時過ぎだった
かに大阪に帰ってきた。宿泊費の余裕が
なかったからだが、合宿費を払ったあと、
その程度の貧乏旅行なら、できるくらいの
カネは稼いでいたことになる。

しかし3年のときには、どうしていたのだろう。
オープン前に敦賀へ行き、撤収期間を終え
るまで40日余り滞在したから、その前も後も
長期のバイトはできなかったはずなのだ。
それとも、春頃から断続的にバイトをして貯め
ていたのだろうか。女子会員も同様だったが、
ずっと後年、お嬢さん育ちの会員が 「親に
出してもらってたよ」と言ったので、憮然とした
ことがある。まあ、さまざまな青春だったのだ。


◎もっか、連日そうしているのです。

肉筆で書いていた時代、白紙の原稿用紙に
向かうときのプレッシャーは、大変なものだ
た。息を詰める感じで用紙を睨み、書き出
しの文章を脳内で検討する。冒頭のセンテ
ンスだけではなく、それに続ける台詞や
センテンスも決まらなければ、書き始めても
文章が流れ出さない。いわば、1ブロックを
形成できて、初めて冒頭が書けるのだ。
よって、それがなかなか決まらないときには、
胸が悪くなり、吐きそうにもなっていた。

だから後年、ワープロを採用したときには、
書き出しプレッシャーの軽さに、「こんな結構
な機械があるか!」と歓喜していた。なぜ
そう軽くなったかというと、試しに書いて
ぴったりこなければいくらでも消せるからで、
そこから考えると肉筆時代のプレッシャーは、
「うまく進まなくて訂正や削除を重ねたら、
原稿が汚くなる」 「あまり汚くなったら清書
しなければならず、それだと二度手間だし、
用紙の無駄遣いにもなる」という、そんな
思いがあってのことだったのかもしれない。
いま考えてみれば、それなら冒頭の1ブロッ
クを、ザラ紙なり何なり、他の用紙に好きな
だけ試し書きしておけばよかったのだ。

しかしとにかく、現在使っているパソコンの
ワープロソフトも、いくらでも追加、訂正、
削除ができるから、往年と比べたらプレッシ
ャーは無いに等しい。ただしそれは、リラッ
クスして書き出せるけれども、気を弛めて
書いているということではない。やはり緊張
はしており、その感が強いときには、「これ
は下書きの、また下書きなんだから」と思っ
て始めたりする。そうやって自己暗示をかけ
つつ、放送用語で言うなら、「テスト本番」を
開始するのである。


6月
◎前世でそんなめにでも遭ったのかね。

先日、悪夢を見た。現実の仕事場ではなく、
もっと広いマンション(その一階の部屋)を
仕事場にしており、夜なのであるが、ドアの
外でどなりあう声がする。ドアをあけて見る
と、中年らしい男二人がもめており、そいつ
らはダイバーか何かであるようだった。
明神岬だか舞神岬だか、そんな名前の観光地、
ダイビングスポットをめぐるトラブルらしい。
ところがそこで気がつくと、ドアの蝶番
(ちょうつがい)がはずされており、ドア自体
もはずれている (それをどうやって開けたの
かは不明)。「何をするんや。おれはトラブル
に関係ないやないか」と言うと、二人は当方
に対して攻撃的になり、しかもその仲間
らしい男たちがどんどん集まってくる。

ヤクザではないけれど、カタギでもない雰囲
気の連中で、スーツを着ているので、たとえ
ばフロント企業の社員という雰囲気。彼らは
勝手に部屋に入ってきて、机や何かの引き
出しをあけてなかみをぶちまけたり、パソコ
ンを開いて内容を見たりする。怒って文句を
言うと、そのなかの二人がこちらにつかみ
かかり、右手の指を刃物で切ろうとするのだ
ったか、ライターで焼こうとするのだったか。
当方、恐怖感がつのり、「やめろ。やめてく
れーっ!」と叫び、もがきながら、切られる
か焼かれるかの寸前、「これは夢だから、
覚めれば逃げられるのだ」と思って、
そこで覚醒していたのだった。

時計を見たら夜中の2時過ぎで、それから
しばらく眠れず、悪夢の由来を考えていた
のだが、出所不明だった。ここしばらくの
ニュースでは、「和歌山のドンファン」なる
資産家の覚醒剤殺人、堺市の姉が弟を
偽装自殺スタイルで殺人容疑、などが頭
に残っているが、悪夢との関連はなさそう
なのだ。右手を切るだか焼くだか、これも
自分の体験記憶にある要素ではない。
深層意識に伏在している何かが変形した
のかどうか、それも判然としないのである。


◎画期的を、カキテキと読むアナもいる。
ネットでもテレビニュースを流しているので、
ときどき見ることがある。しかし、地上デジタ
ル局のネット配信ではなく、ネット内テレビ局
のそれには、耳に「ひっかかる」ものがある。
たとえば、伝達の区切りごとに語尾を上げる
女性アナウンサーがおり、地震被害の報道
や殺人事件のニュースなどでは、それと内容
とがそぐわない感じがする。「捜査本部の
発表によりますと」の「と」を上げて「とぉ」、
「容疑者は否認しているとことですが」の「が」
で、また上げて「がぁ」。「目撃者の証言に
よりましてもぉ、凶器に使われたサバイバル
ナイフはぁ」と、のべつ上げている。

そしてその上げ方は、そこらの姉ちゃんの
「ナニナニだからあ〜」的なものではなく、
ソフトと言っていいプロ的な上げ方なので、
「通販番組の商品説明か何かなら、これで
いいのかもしれないが」と思ったりする。
そこで推理するに、ネット内テレビ局では
地デジ局のように、アナウンサーを新卒採用
して一から育成などしておらず、タレントや
フリーアナウンサーと契約しているのだろう。
だから上記した女性アナも報道番組の訓練
は受けておらず、普段の非「報道」仕事で
しゃべりなれた、もしくは癖になってしまった
話法でやっているのではなかろうか。

また、製作陣も手薄で、それを矯正しないの
か、できないのか。当方、若い時代にラジオ
CMやテレビの生コマを数多く作り、作家に
なって以降、ラジオ番組も何度か経験して
きた。よって耳の敏感さは現在も保持して
いるだけに、気になるのだ。「この上げ方を
もっと臭くしたら、変に馴れてしまったバス
ガイドになるなあ」とも思ったのだが、まさか
バスガイドをひっぱってきて、ニュースを
読ませてることはなかろうしなどと。


◎「へ。またですか」と思うんですよね。

2020年に東京でオリンピックが開催され、
2025年には大阪で万国博を開こうという
計画が進んでいる。1970年の日本万国博
は空前の大盛況で、内外からの入場者数
が概算6千万人だった。そしてそれ以降、
沖縄、神戸、筑波、大阪、愛知など、各地で
あれこれの博覧会が開催されてきたのは、
どれも一応の経済波及効果を示したから
だろう。しかし70年万博ほどの大成功例が
ないのは、やはり時代が違うからだと思う。

1970年は高度成長期のまっただなかで、
日本全体が「押せ押せ」の上げ潮ムードに
なっていた。そこへ国内では初めてとなる
国際博覧会で、テーマが「人類の進歩と
調和」であり、明るい将来、輝く未来の姿を
見せてくれるというのだから、「それはまあ、
全国各地から団体客が殺到しただろうな」
と得心できるのだ。政財官以下、国をあげ
て動員策を実行したわけで、早い話がケイ
ンズの「イベントオリエンテッドポリシー」が
まるまる成功したのだ。しかし当方、これを
大学で習ったとき「お祭り資本主義」と解釈
していたのであるが、お祭りが大賑わい
するには、まず大勢の人の気持ちが賑わ
っていることが必要となるだろう。

そして70年万博のときには、まさに国民の
多数派たる「大衆」レベルで、皆、賑わいだ
していた。当方もその一人であって、広告
マンを志望したことにも、その賑わいが大き
く影響していたのである。けれども、次の
東京オリンピックは別格としても、2025年
に大阪で万博をやって、どれだけの賑わい
が生まれるだろう。上意下達の動員策で
一定以上の観客が来ることは確かだろうが、
国内の経済動向や格差社会の進行によっ
て、しらける人数も多いのではなかろうか。
おまけにその万博計画は、会場予定地に
カジノを常設する案もセットになっているら
しく、「何かどうもなあ」と思う。いまの気持ち
としては、「招待券をもらったら行くだろうが、
チケットを買ってまではなあ」なのだ。


◎疲れだしてるけど、良い状況である。

広告マン当時は、週休二日制など欧米の
話という時代だった。おまけに土曜も夕方
までとか、スタジオ撮影でもあれば夜の
十時過ぎまでとか、残業をしていた。それ
が習い性になり、作家になってからもずっ
と、休養日は日曜だけというスケジュール
でやってきた。逆に多忙なときでも、日曜
だけは休んだ。そうしないと身が持たない
からで、だからその日曜は午前も午後も
夜も、ひたすら横になって本を読んだり、
とろとろと仮眠したりする。いくらでも寝ら
れる感があって、頭も身体もよほど疲れ
ていることがわかるのだ。

そしてそんな状態で読む本は、内容や
文章について、同業者として「ついつい」
考え出さずに済むよう、そのとき書いてい
る作品とは無関係のジャンルを選ぶ。
経験上、エッセイやルポ、時代小説や歴
史小説が適しているとわかり、なかでも
司馬遼太郎さんの作品が結構だと実感
してきた。もっか長編伝記を書いており、
同様の日曜を過ごすことになって、先日
からは、もう何度目になるのか、 「坂の
上の雲」を、読み返し始めている。

これに限らず司馬さんの作品は、「翔ぶ
が如く」にせよ「龍馬がゆく」にせよ、文庫
本で八巻だ十巻だという大長編が、断続
的にとはいえいくらでも読める。「この読み
やすさや、たちまち引き込んでしまう力の
秘密は何なのだろう」 とまあ、それくらい
のことは考えつつ読んでいるのである。
ただし、それを分析しだすと大仕事になる
から、そこはするっとパスしてだが。そして
また、読んでるとその影響で、ついつい、
原稿に「余談ながら」と書きかけるのだが。


◎あいかわず地震の多い国であります。

先日 (6/18)朝8時前の地震であるが、
そのとき当方、出勤する娘と一緒に阪神の
特急に乗っていた。そしたら野田駅にかか
る直前、突然車内で「ウインウインウイン!」
という耳慣れない音響が発生した。空間全
体が鳴ってる感じで、とっさには何だかわか
らず、周囲の乗客たちもふりむいたり、天井
を見上げたりしている。そこで判明したのは、
通勤時間帯だから、「多分」ではなく「まさに
乗客全員」のスマホやガラケーが地震速報
を受信した音なのだった。珍しい経験であり、
「なるほど。同時一斉に受信すると、あんな
反響音になるわけか」と得心もしていたのだ。

しかし、電車は別に揺れもしなかったけれど、
そのあと全線で運転見合わせとなった。梅田
は次の次の駅だから無理としても、せめて
次の福島まで移動してくれたら、そこから
15分ほど歩けば仕事場に行ける。対して
停車している野田からは、30分以上かかり
そうだ。そこでしばらく待ったのであるが、
少なくとも午前中は見合わせがつづくらしか
った。「いらち」の当方、結局娘と別れて、
野田から徒歩出勤していたのである。そして
着いてみると、本棚の本が何カ所かで落下
散乱し、床に積んだそれも崩れたりしていた。

野田からの移動中、特に異変の目撃もなか
ったし、「阪神淡路大震災と比べれば、何とい
うこともないな」と思っていたのだが、震度6
だったそうで、死者や火災も発生したというの
だった。メールの往復で知ったところによると、
JRも各社私鉄もストップしたので娘は自宅
待機となり、梅田まで歩いたという。そこから
タクシーで帰るつもりが延々たる人の列で、
結局帰宅したのは午後1時過ぎだったらしい。
地震雷火事親爺。怖くなくなったのは親爺
だけという、そういう国なのですね、やはり。

◎各位様。地震お見舞いメール御礼。
ありがとうございます。無事ですので御安心を。
本棚の本が、大分落下散乱しましたが(タハッ)。

◎雨降るふるさとは裸足で歩く(山頭火)
以前から、「雨の日は心が落ち着いて気持ち
がいい」と感じることが多く、その一例として
明確に覚えているのは、鞍馬山へ行ったとき
のことだ。寺の境内に古い木造のお堂があり、
そこには縁側がついていた。屋根が張り出し
ていたのだったか、その縁側は乾いた木肌
のままで濡れてなかったので、「この雨のな
か、あそこにあぐらでもかいて座って、じっと
してたら気持ちいいだろうなあ」と、実感の
こもった思い方をしていたのだ。そして自分
がそんなことを思う根本には、子供の頃、
何かそれに類した経験があるからではない
かとも考えてきた。昔のことで、お寺だの神
社だの木造家屋だの、縁側のついた建物は
いくらもあった。小学校低学年時代、雨の日
には友達とそんな場所に座って、話をしたり
遊んだりしたことがありそうに思えるからだ。

そしたら先般、アンドルー・ワイルというアメ
リカの医師が書いた「癒す心、治る力」という
本を読んでいたところ、ハタと膝を打ちたく
なるようなことが書いてあった。効果的な
休息や安眠のためには、「ホワイトノイズ」
発生器を使うのも有効だそうで、なぜなら
「白色光に可視光線のすべての周波数が
ふくまれているように、ホワイトノイズには
異なった多くの波長の音波がふくまれて」
おり、その音には「騒音を遮断し、こころを
静める効果がある」からだという。そして
その発生器から出る音は、シャワーヘッド
から水が流れているような音が基本になっ
ていて、豪雨の音や海の波の音なども
選択できるというのだった。

自分の体験に照らし合わせて非常によくわ
かる機器であり 、そこから推測するに、雨
は「天然自然のホワイトノイズ発生装置」で、
さまざまな周波数の音が、周囲の雑音騒音
をうち消してくれているのだろう。ただし、
とすると、上記した「縁側」「子供時代」云々
は、雨の日に気持ちが落ち着く絶対条件で
はなかったことになる。とはいえ、それを
当方が感じたのはそういう場においてだっ
たという、そのことは、条件反射的な「落ち
着き」誘発要因になってきていたのだろう。
何にせよ、「雨音とノイズ遮断」の関係に
ついて、得心のいく解説を得ることができ、
「壺中の天地ならぬ、雨中の天地だなあ」
などと、根元的な(?)想像もしていたのだ。


◎楽して優越感を得る方法なんだな。
サラリーマン向けの「能力向上」ハウツー本
には、「自分より立場や能力が上の人とつき
あえ」というアドバイスがよく出てくる。そして
そこには、自分よりそれらが下の者、または
同じ立場でも、「不平不満や愚痴を言い合う」
ような相手とばかりつきあっている者もいる
けどという、反面教師的な事例も紹介されて
いたりする。すなわち、それをやると自己の
優越を感じたり、一種の安心感を得られたり
もするかわりに、能力やレベルが相手と同
等になってしまうというのだ。これは非常に
よくわかる教示で、なぜなら広告マン時代、
その実例をいくつも見てきたからである。

たとえばクライアントだったカーディラーの
担当者で、いかにも不平家らしい雰囲気を
示す男がいた。ぼくより年長で、顔立ちは
整っているのだが、何となく親しめない。
「にやり」くらいの笑いを見せることはあって
も、明るく陽気に笑うのを見たことがないし、
うちあわせでも素っ気なくしゃべるのだ。
あるとき、たまたま同僚と入った飲み屋で、
彼が二、三人の連れと飲んでいたことがあ
った。その連れとは、ショールームの展示
や看板などを請け負っている業者であって、
話をしたことはないが、顔ぶれは何度か見
かけて知っていた。つまり下請け業者が彼
を誘い、安い接待をしていたのだろう。

先方はこちらに気づいてないのでそのまま
飲み出していると、すでに酔っているらしい
業者の大きな声が聞こえてきて、それは彼
を持ち上げ、ほめそやすものだった。ちらち
らと担当者の様子を見ると、そんな場でも
声高にしゃべったりはしていなかったが、
これはもう完全に自己の優位的立場を楽し
み味わっているような、何とも言えないにや
にや笑いをうかべていた。「そうか。あの男
はそういう人間なのか」と得心できた気がし、
だから後年、上記のようなハウツー本を読
むたびに、その顔がうかぶようになったのだ。

ただし、「それなら、おまえはどうしてたんだ。
サラリーマン時代から、推奨されてるような
ことをしてたのか」と聞かれたら、「してません
でしたし、できる立場や仕事環境でもありま
せんでした」とこたえるしかない。しかしその
かわりに (という意識はなかったけれど)、
雑学趣味の読書をつづけていた。それによ
って、世の中には偉い人、立派な人、才能
のある人がいっぱいいるのだと知り、
「それに比べて、おれは何をしてるのだろう」
「この先、いったい自分はどうなるか」と、
不安焦燥の感にかられていたのである。


◎故・高松宮の鼻梁と人相も高貴だった。

司馬遼太郎氏の「峠」だったと思うが、幕末に
来日していた外国人が日本人の顔について、
日記だか手紙だかに書いているという話が
出ていた。武士と武士以外の人間を比べると、
武士には鼻筋の通った顔が多く、位の高い者
にそれが目立つ。町人たちには低い貧弱な鼻
が多いというのだった。そして人相学でも、鼻
筋が通った顔は高貴の相であり、そうでない
のは下賤の相だという鑑定がある。江戸時代
の大阪の観相家、水野南北の「南北相法」に、
その双方の絵が載っていたと記憶するのだ。

また、イギリスの王室や貴族にもその傾向は
あるらしく、チャールズ皇太子などみごとに鼻
筋が通っているし、第二次大戦前の外交官、
サー・ネビル・ヘンダーソンという人の横顔
写真には、鼻筋のあまりの見事さに、「くーっ
!」と唸ったことがある。ということは、鼻筋と
高貴さとの関係、人種や民族を問わず成立
することなのだろうか。しかしそうなると、もと
もと鼻の平たいアフリカ人などは、昔の王様
でも高貴ではなかったのか。

逆に北欧人種は、吸い込んだ冷たい空気を
あたためる必要性から、長い年月を経て鼻腔
が長くなったという説がある。とすると、彼らは
下々(しもじも)の者でも鼻筋が通っていること
になるが、そうではなくて、やはり短く平たい
鼻で、寒冷の空気にくしゃみを連発してきたの
だろうか。浮世絵の美人とお多福やおかめ。
コリーと狆。アリクイと豚。連想は飛躍するが、
こんなことを考えだしたのは、ひさしぶりに桂
米朝師匠の顔写真に接し、「ええ顔してはっ
たなあ!」と、感慨を新たにしたからである。


◎東京飯店は、日本の東京か中国のか?

菅笠様、メール拝見。いや、見間違いなんか、
当方しょっちゅうですよ。さて、以下は本題。
中華料理店には、北京飯店とか上海楼とか、
中国の地名をつけた店名がある。香港、天津、
四川などもよく見かけるが、四川は味なりメニ
ューなり、中華料理のなかのジャンル名から
つけたものかもしれない。一方、通りすがりに
見かけて、「へええ。こんな地名も使われて
るのか」と思った店名もある。高雄、金陵、
敦煌などで、高雄は台湾南部の都市、金陵は
南京の美称、敦煌は昔でいう西域、シルク
ロードのオアシス都市である。そこで思うに、
それらの店の経営者は華僑なのだろうか、
それとも日本人なのだろうか。

高雄は台湾から来た人が出身地を店名に
した可能性が高く、日本人は何かよほどの
曰く因縁がなければ、わざわざそんな都市
名は選ばないのではないか。金陵にしても、
南京の美称であると知っている人の割合は、
華僑の方がはるかに大きいと思うのだ。
逆に敦煌は、「そこの出身です」という華僑
の存在より、井上靖の小説を読んでとか、
シルクロードのロマンをイメージしてとか、
日本人の命名であると考えた方が得心しや
すい。そしてさらに思うに、「よほどの曰く
因縁」や「美称を知っている」という日本人を
考えてみると、これは戦前住んでいたとか、
戦争中に駐屯していたとか、そういう人が
戦後帰国して開いた店なのかもしれない。

というのが、過去に見かけた店名には、吉林、
ハルビン(哈爾濱)というものもあったからで、
どちらも中国東北部(旧・満州)の地名。
「そこ出身の華僑が」と考えるより、「戦後
引き揚げてきた日本人が」と判断する方が、
はるかに蓋然性が高いと思うのだ。ハルビン
と表記した店は大阪市内で見かけたのだが、
哈爾濱とまともに書いた店は新潟市のJR
新潟駅前にあった。となると、「引き揚げてき
て、戦後の闇市の露店みたいな店から始め、
あちらで覚えた料理を」と、想像が無理なく
広がるのだが、どんなものだろう。なお、
東京は、洛陽の古い別名でもあるのです。

◎面識ある年長者の例を紹介すれば。

日大アメフト事件で俄然注目(?)された関西
学院大学の学生は、昔から男女とも、明るい
けど少々軽いという雰囲気があった。頭は
悪くない学生が授業や試験は適当にこなし、
いわゆる「阪神間」文化、「神戸」カルチャー
の世界で、好きなことをして遊んでいたのだ。
当然、卒業後マスコミ業界に進む男女も多く、
アナウンサーやタレントも少なくない。上田彰
という人は、学年が何年上なのか知らず出身
学部も知らないが、在学中は放送部に所属
していたという。だから、卒業後は広告代理
店に勤めたものの、後年退社してフリーの
アナウンサーになった。ラジオ番組なども
いくつか持ち、パーソナリティーとして、関西
では知られるようになったのだ。

そしてさらに後年、彼はタレント事務所を設立
し、養成スクールを併設して新人タレントを育
てだした。かなりの人数を自分の事務所に
所属させ、自身は社長として局や代理店への
売り込みや折衝役にまわったのだ。失礼なが
ら、自身のタレントとしての最盛期はすでに
過ぎていたらしいから、これは非常に「頭の
いい」転身コースだったと言える。なかなか
「遣り手」だという噂もあり、とにかく適応力
に優れていたのだろう。立派なものである。

菊地美智子という人は、在学中放送部にいた
のかどうかは知らないが、卒業後ラジオ大阪
に入ってアナウンサーになった。四国の徳島
出身だそうで、南方系の明るい美人であり、
「ミッチー」と呼ばれて、リスナーからも親し
まれていた。往年のラジオ大阪の名物番組、
桂米朝師匠と小松左京さんの「題名のない
番組」でアシスタントを勤めていたし、先代・
桂春蝶さんとやっていた 「男と女でダバダバ
だ」という週一の生番組も人気があった。
頭の回転が速くて仕事の実力があり、同時
に自分を三枚目にしてぼけることなど、番組
内でも普段の会話でも、平気でやって大笑
いする人だった。上田氏と菊池さん。「どち
らも、関学タイプであるなあ!」なのだ。


◎皆さん、パンと分数のお話ですよ。

先日、電車のなかでものを考えていたら、
それがいつの間にか空想シーンに変わって
いた。自分が小学校の先生になって、子供
たちに分数を教えている光景であり、どん
どんリアルな授業になっていく。クラスの生
徒30人に、「おいしいパンが45個あるとし
ます。どんなパンが好きかな。大きなメロン
パンにしようか」などと、黒板に絵を描いて
言っている。「その45個を皆に公平に分け
るとしたら、まず一個ずつ配って30個。残っ
た15個も公平に分けるとしたら、さあ、どう
すればいいでしょう」 と問いかける。

無論こたえは、「15個をそれぞれ半分に切
ったら、半分パンが30個できるから、それを
30人にひとつずつ配ればいいわけですね」
であり、その図解で2分の1ということを教え
た。そしてそのあと、もともとのパンの個数を
あれこれ変化させ、分けにくい数なら一個を
4つに切るとか、6つに切るとかの工夫も教
えていた。さらにその流れで、「2分の1と、
4分の2と、6分の3は、同じ半分なんだよ」
と、これも図で理解させていた。「わかり
にくいときには、こうやって絵にしてみると
わかるよ」であり、「分数に慣れてくると、
頭のなかでこんな絵が描けるようになるし、
もっと慣れてくると、絵を描かなくてもわか
るようになりますよ」なのである。

それにしても、何がきっかけになってこんな
空想が始まり、下車するまで大方15分ほど
もつづいたのだろう。多分、当初ものを考え
ていたとき、そこに出てきた言葉か光景が、
意識下で「分数」とつながっていたのだろう。
けれども、それを子供たちに教えるという
設定については、どこから出てきたのか見
当もつかない。しかしこういう空想が、いつか
あるとき小説を書いていたら突然再生され、
「あっ。ここにあのシーンが使える!」と気付
くことになったりするのである。当方のでは
なく人間のという意味だが、脳は天才なのだ。


◎奴隷を使ってた国の真似したら駄目だ。

読みかじりの断片知識だが、マルクス経済学
のなかに、「絶対窮乏化論」というものがある
そうだ。資本家が労働者からの収奪を拡大し
ていくと、遂には労働者が、生活できないレ
ベルにまで追い詰められるということらしい。
それに対して後世、「しかし労働者が絶対的
に窮乏したら、工業社会で大量生産される
商品やサービスを、いったい誰が買うのだ。
マスの消費者がいなかったら経済が成り立た
ず、資本家も困るではないか」という反論が
出たという。言われてみればもっともで、いか
に悪辣な資本家と言えども、労働者に一定
以上の収入を与えなければ、そのうち自分の
会社や工場がやっていけなくなる理屈なのだ。

資本家という概念が古ければ、現代の日本
社会では、政財官が一体となった「総資本」
側と解釈してもいいだろう。そして当方、上に
「もっともで」と書いたが、格差社会の深刻化
だの、「働き方改革」だのの現状を見ると、
実はこの絶対窮乏化が進んでいるのでは
ないかと感じさせられる。非正規社員の収入
は正規に比べて不当に低くされ、働き方改革
は「改悪」であって、高度プロフェッショナル
などという美名のもと、残業料なしで長時間
働かせる手段である。若い世代の車離れが
言われているが、興味がないという理由とと
もに、第一そんな高いものは買えないという
人数も多いからではないか。結婚しない者が
増えてきたのも、経済的にできないからとい
うのが理由のひとつだし、窮乏化させておい
て、人口減をふせぐため結婚しろ子供を産め
と言ったって、誰が聞くものかと思う。

そしてこの窮乏化は、年金に頼る高齢者や、
現役で働く中年世代にも迫ってきているよう
だ。当方の思うに、これは冷戦終結後、アメ
リカで新自由主義が拡大しだしてから、見る
見る顕著になってきた傾向で、しめたとばか
りに日本も追随した結果、こういうことになっ
てきたのではないか。としたら、「もっと売れ」
「いや。いまや買えるのは極少数なんです」
に至る前に、手を打たなければならんはずだ
と思うが、「総資本」側にその気はあるのだ
ろうか。というより、それを可能にする、下に
も及ぶ経済成長などということが、日本の
未来にあるのだろうか。もっかの傾向は、
悪循環もいいところだと思うのだが。


◎ごく普通の町内にも、ドラマはある。

住宅街の最近の話を三つ。その1) 先般、
居住するマンションで管理組合の総会が
あった。そしてそのとき、管理業務を委託
している会社からのアドバイスで、「民泊
禁止」の議題が出された。外国人も宿泊
させるあの制度であるが、悪用されて
ややこしい事態になったら困るから、全会
一致で採択された。すると早くも翌日、
マンションの玄関に、「この建物は民泊で
きません」というプレートが掲示された。
日本語、英語、中国語、韓国語で記され
ており、ぐっとリアルさ(?)が増したのだ。
すでに管理会社が作っていたもので、と
いうことは他のあちこちのマンションでも、
同じ表示が増えつつあるのだろう。

その2) 道路の両側にコンクリート製の
電柱が立ち並んでおり、すぐ近くの一本の
上部に、カラスが巣を作った。木の枝を集
めたもので、粗雑な作りだが割りに大きい。
町内には以前から大きなカラスが何羽も
出没し、朝には回収前のゴミ袋を破って、
道路に生ゴミを散乱させてきた。巣に卵を
うんでそれがかえり、数が増えたら大変な
ので、自治会の役員が関西電力に連絡し
たという。関電もすぐさま対応したようで、
話を聞いた当方、翌朝マンションを出て
見上げると、すでになくなっていた。電力
会社にしても、巣の材料に針金でも混じっ
ていたら、電線がショートする恐れがある
から、スピード処理をしたのだろう。

その3) 駅まで歩く途中に、建築中の洋風
一戸建てがある。総二階で上下とも窓が
多く、ドアも両開きで、建物全体が白く塗装
されている。明らかに普通の住宅とは違う
ので、出勤する娘と一緒に通過しながら、
「クリニックかな」「私設の保育所かもしれな
いよ」などと推測しているのだが、まだ判明
しない。なぜか内装にかかる段階で工事が
ストップし、そのままになっているからだ。
「近所から反対意見が出たのかな」「予算
がオーバーしたのかも」などと、推測ばかり
がつづくのだ。何にせよ、以上を「お題」に、
住宅街の三題噺が作れそうに思う。


5月
◎ほんま。シャレになりまへんで。

当方が小学校低学年だった新潟時代、
近所の悪童たち(小学校高学年〜中学生)
が、こんなイタズラをしていた。道路に小さ
い板を置き、カンシャク玉を一個置いて、
さらにその上に板をかぶせる。歩行者が
知らずに踏んだら、カンシャク玉が破裂す
るのである。板二枚の間にはさんだのは、
昔のことで道路が未舗装で土そのままだ
ったから、そこに直接置いたら、踏んでも
めりこんで爆発しないからだ。

土の道であることを利用して、小さな落とし
穴を仕掛けるという例もあった。穴は新聞
紙でふさいで、それを土で覆い隠す。歩い
てきた大人が靴を取られて、つんのめるか
転ぶのを期待するわけである。なかには、
バス通りで待ちかまえていて、バスが通過
する寸前、大きめの石を投げ上げるやつも
いた。タイミングが合えば、石はバスの屋
根に落下して大きな音を立て、運転手や
乗客が驚くだろうという意図である。
さらにシャレにならないこともやっており、
建築中の家を破壊したやつらがいた。

当時の家は外装は板張りでもその内側は
土壁であり、細い竹を組んでそこに壁土を
塗っていく。夜になると誰もいないから、
悪童連中、まだ乾いてないその壁を丸太
で突き破って、大穴を開けていたのだ。
これはイタズラの域を越えて、犯罪だと
思う。落とし穴には当方も参加していたが、
とにかくまあ、無茶なやつらがいたのだ。
以上、川崎市で50代の男が道にロープを
張り、オートバイで通過する人を転倒させて、
殺人未遂で逮捕されたという、犯罪そのも
ののニュースで思い出しまして。


◎「気のええのもアホのうち」の世界だ。

米朝会談が突如中止になったが、これは
トランプ大統領が、「このまま進めば北朝鮮
と中国の術策にはまってしまう」と感じて、
急ブレーキをかけたからだろうか。それとも、
拘束されていたアメリカ人を取り戻したから、
この先は弱点なしの持久戦ができるという、
戦略的な判断によるものだろうか。で、
それはともかくとして、「国際政治というもの
は、勝手なものだなあ」と思う。なぜなら金
正恩なる男は権力を握って以来、義理の
伯父を処刑し異母兄を暗殺し、党や軍の少
なからぬ人間を粛清してきた。一説では20
万人以上とされる、強制収容所の被「完全
統制者」たちもそのままであり、一般人民
の生活は最低レベルがつづいている。

つまり彼は、殺人と抑圧虐待の命令者であ
る独裁者なのだ。そしてそれらの所業を、
韓国もアメリカもずっと非難してきたのだ。
なのに状況が変わって会談の運びとなると、
文大統領が金委員長を礼賛するのはまだ
わかるとしても、ついこないだまで「チビの
ロケットマン」と侮蔑していたトランプ大統領
までが、彼は聡明だとか言いだしていた。
それがまた今回の中止宣言であり、「ころこ
ろ変わるな!」と言いたくなってくる。しかし
それが国際政治というものの通例なのだ。

早い話が、スターリンは度重なる粛清で党
関係者を殺し軍人を殺し、1千万人以上とも
言われる人民を死に追いやっていた冷酷者
である。しかしヤルタ会談やポツダム会談
では、ルーズベルト、トルーマン、チャーチル
から、同盟国の指導者として鄭重に遇され
ていた。それが戦後の冷戦時代になると、
悪の権化扱いだ。毛沢東も同様で、粛清で
対立者を抹殺し、大躍進政策や文化大革命
で、これまた1千万人単位の人民を犠牲に
した暴虐者である。けれど米中国交回復時、
ニクソン大統領はそんなことにはこれっぽっ
ちも触れず、にこやかに会談していた。

話をもどせば、民主主義国の人権基準で
言うなら金委員長とその一派は、国際裁判
にかけられるべき人間たちなのだが、仮に
状況の再変化で米朝会談が実現しても、
そんなこと絶対に話題にはならないだろう。
「勝手なものだなあ」であり、抑圧されてい
る人民の側から言えば、「非情酷薄なもの
だなあ」なのである。まあ、それを別視点で
見れば、日本の政治家や外交官は、気が
良過ぎて認識が甘いのかもしれないが。


腹が立ちつつ、暗然ともさせられる。
岩波文庫「暗黒日記」は、戦前のジャーナ
リスト 清沢洌(きよし)が太平洋戦争中、
政治経済から日常の生活まで、さまざまな
事実を書きとめた記録である。知的である
べき分野でも、新聞各紙が美辞麗句を連
ねて軍部におもねっていたり、遠山満や
徳富蘇峰が愚にもつかぬことを語って、
それが仰々しく掲載されたり、東京帝大の
教授がナチスの敗色が歴然となってきて
も 「ドイツは優勢だ」と言っていたり、

本当にひどいものである。

通読すると、精神力一点張りの狂信的な
軍人はもちろんだが、時局に便乗した
それら新聞人、教育者、作家、思想家、
右翼などの、愚劣さや知的レベルの低さ
には、何度読み返しても虫酸の走る思い
がする。市井の生活者で言うなら、小人
に権力を持たせるとこうなるのだという
見本も多々ある。そして思うに、これは
戦争中だからという特殊例ではない。
状況や条件が緊迫して煮え詰まっている
ので、そんな事例も圧縮されて多数濃密
に現れているが、平時、平和時、つまり
現代でも現在でも、希釈されたかたち

でなら、いくらでもあることなのである。

その種の人間は、テレビや週刊誌を代表
とするマスコミ界に点在しており、一般人
も含めれば、ネット世界でダーッと裾野が
広がっている。したがって、それらを圧縮
すれば「暗黒日記」と同様の世界になる。
将来、万一また「戦時中」になったら、
時局全体が先祖返りして、愚劣な便乗者
がのさばりだすに違いないのである。
無論、清沢洌は自由主義者であり、経済
にせよ思想にせよ、官僚や小役人による
統制を唾棄すべきものとしている。まさに
そのとおりであると、当方も思うのだ。


◎菅笠様。メール拝見。
どうも大変な男で、実質的には、「怪我させて
こい」と、指示してたらしい。日大アメフト部、
多分、活動停止か解散処分になるでしょうね。

◎二人は東宝若手陣の看板女優だった。

先般、星由里子が74歳で亡くなり、「へえ。
あの世代の女優も亡くなりだしているのか」と、
意外な感じがした。朝丘雪路はぐっと年長だ
から、「まあ、亡くなっても不思議ではないな」
と思う。しかし星由里子は、当方の中学、高校
時代、円谷英二の特撮映画や、クレージー・
キャッツのコメディ映画に出ており、友達と一
緒に「街の映画館」へ見に行ったりした。そして
その映画のなかの彼女は、ほんのちょっと年
上の「お姉さん」タイプだったから、その印象が
記憶のなかで固定され、亡くなったと知ると、
「え。まだ若いのに?」と思ってしまうのだろう。

星由里子は三度結婚し、いまネットで調べて
みると、最初の相手は悪名高い「乗っ取り屋」
横井英樹の長男だったが、性格が合わず3カ
月弱で離婚したそうで、「何でまた、そんな人
物と」と、解せない思いになる。次の相手は
著名な作家脚本家の花登筐で、これはまあ
わかるし、こちらも知っていた。花登氏の遺作
「私の裏切り裏切られ史」に、妻として挨拶の
文を載せていたからだ。三度目は1990年代
になってからで、会社役員らしい。ただしその
結婚歴が、彼女の強靱さゆえなのか弱さゆえ
なのか、そのあたりは見当もつかない。

ちなみに、同じく街の映画館時代、こちらも
クレージー・キャッツの映画などで活躍して
いた浜美枝は健在で、星由里子と同年齢な
のだそうだ。三船敏郎の「大盗賊」というコメ
デイタッチの映画で、国籍不明(昔の東南ア
ジアらしい)の国のお姫様を演じており、その
バタ臭い雰囲気がよく合っていた。「軽さ」と
いう意味では、その時代の当方、好きだった
のだ。お姉さん年代の、前者には御冥福を、
後者には御健勝を、祈らせていただこう。


◎幾つ何十になってもチャレンジだね。

「あなたなら書けますから」と依頼を受けて、
ある宗教家の伝記を書き始めている。明治
生まれで、昭和末期に亡くなった高徳の師
であり、その生涯と事績を一冊の本にする
仕事なのだ。現在、まだ第一章の段階で、
原稿枚数も50枚余りにしかなってないが、
いやまあ、その難しさは大変なものだ。
というのが、88歳の一生だったから内部
資料がかなり多く、それらを通読して、使用
すべき事項、使えるエピソードなどを抽出し
なければならない。しかし明治時代の記録
など、年月日の定かでないものが多々ある。

年譜はあるものの、それは概略の項目記述
だから、各エピソードがそのどこに当てはま
るものなのか、別資料と照らし合わせて検討
していかなければならない。「それを大正か
ら昭和の戦前、そして戦後へと、延々やって
いかなければならんのか」と思うと、「いらち」
の当方、頭が過熱してくるのだ。また、事績
をただ紹介していくだけなら、時間さえかけ
れば何とかなるだろうが、それでは書いて
いておもしろくないし、公式的、タテマエ的な
本になってしまう。商売で引き受けたライター
ならそれでいいかもしれないが、作家として
は悪戦苦闘しつつも、対象とする人物の
全体像を把握し、本質や核心を追究してい
かなければ意味がないのだ。けれども、
たとえば高徳の宗教家が到達した境地など、
当方、本当にはわかるわけがない。

昔、唐の時代の幻術に呑馬術というものが
あり、人が馬を呑んで見せたという。どんな
仕掛けの術なのかは知らないが、こちらは
幻術ではなく現実の執筆姿勢として、しかも
馬どころか山を呑まなければならない感が
ある。そんなわけで、いつ書き終えられる
のか、もっかのところ見当もつかないのだ。
当方、小説にしろエッセイにしろ、長編の
構成力については一応の訓練成果を得て
きたつもりだったが、こういう題材は初めて
ゆえ、それが通用するか否かもこころもと
ない。まあ、内容面とともに、その面でも
勉強になることは確かなのだが。

あ。それから、全然話は違うが、日大アメフ
トの監督、しきりにカンサイ学院と言ってた
けど、カンセイ学院でっせ。もっと正確には、
ローマ字表記では、
kwansei と書く。
世間一般の人が知らんのは無理ないけど、
監督が長年対決してきた相手の大学名も、
覚えてませんのかな。それとも、ずっと
関学という略称で通してきて、正式名称は
ほんまに知らんかったのか。不思議な男や。
ヒノモト大学も、お困りでしょうな(笑)。

◎欧米なんか、もっと凄いんだろうな。
サントリーの往年の名物社長佐治敬三氏は、
創業者鳥井信治郎の息子だったが、養子に
行ったので姓が変わった。まだ社名が寿屋
だった時代だから、佐治社長はよく挨拶や
講演で 「洋酒の寿屋」をもじって、「養子の
寿屋です」と言っていたそうだ。戦後の政治
家で厚生大臣も勤めた山縣勝見という人が
おり、本来は某損保会社の社長だった。
そしてその会社は戦前からあった、酒の
白鹿系列の同業社がもとになっていた。

江戸時代から続く西宮の名家辰馬であって、
その御曹司だった勝見氏が、これまた名家
である東京の酒類問屋へ養子に行き、それ
で山縣になったのだという。とまあ、この二
例は前々から知っていたことだが、先般、
本を読んでいたら、播州龍野に永富という
旧家があり、その先祖は河内の楠正成だと
いう話が出てきた。そして戦前、そこの息子
が建設の鹿島へ養子に行き、それが政治家、
外交官、文化人としても著名だった、鹿島
守之助なのだと書いてあった。

こんな具合に、日本各地には何百年に及ぶ
名家旧家がいくらもあり、そのなかには分野
や距離を越えた養子縁組みで、閨閥を広げ
ていく事例も少なくない。もちろん娘たちの
結婚もその有力な手段で、茶道や華道、
仏教に神道、旧公家や皇族等々、それらの
世界に属する名家旧家が、政界財界高級
官僚界などと、複雑に重なり合った縁で結
ばれているのは、いわば常識。陰謀史観
ではないが、隠れたネットワークによって、
日本の社会の重要な部分が動いている、
もしくは動かされているのである。


◎変なのが多いからね。本当に。
新潟市の女児殺害事件は、JR越後線が
現場になり、昔住んでいた町からそう遠く
ない場所なので、やはり気になってニュー
スを追っていた。結局、近所に住む若い男
が逮捕されたわけだが、それで思い出し
たことがある。当方の娘3人が小学生だっ
たとき、学校へは集団登校していた。そし
たらある朝、その横をゆっくりと通過した車
のなかから男が声をかけてきて、しかも
それは我が家の娘の一人の名前を呼ぶ
ものだった。車はそのまま行ってしまったの
だが、娘は相手が誰だか知らないという。

そう聞かされると親として心配になるから、
当方万一の場合を考え、地域内の交番へ
相談に行っていたのだ。ただしこの件は
後日、声をかけてきたのがクラスの友達の
お祖父さんだったのだとわかり、笑い話で
済んだのだが、当時も現在も、やはり
「怪しい」男がいることは確かである。
だから当方、もし「児童見守り隊」か何かの
ボランティア募集があったら、参加しようか
と思ったりもする。一方、怪しい人間がいる
ために、迷惑をこうむっていることもある。

たとえば自宅の近所で、小学校低学年の
男児が空手の稽古着姿で歩いていたりする
と、仕事柄もあって、どこで習っているのか、
どんな稽古をするのかなど、聞きたくなる。
しかし下手に声をかけると怪しまれそうで、
その子が帰宅して報告したら、話がやや
こしくなりかねない。家でその話をしたら、
娘からも「やめとく方がいい」と言われた。
子供にうかつに声もかけられないという、
そんな世の中、絶対良くないのである。

◎いまならロボット活用で派手なやつも?
新潟にいた小学校低学年時代、ときどき街に
宣伝カーがやってきた。見た記憶があるのは
カバヤ、ライオン、オリエンタルカレーで、カバ
ヤはカバの形と色を模した自動車だった。
ライオンは車の形はよく覚えてないけれど、
ライオンの人形が何体か並んで立ち、顔と腕
を動かして歯を磨くという、その光景はうっす
らとした記憶として残っている。オリエンタル
カレーは確かバス型で、後尾が展望デッキ風
になっていた。そこにおじさんが立って何か
しゃべっていたのだが、ヤスダという名前が
頭に残っているのは、彼が安田か保田か、
そういう姓の司会者だったからだろう。

で、それらの記憶を確認しようと、ネットの
画像検索で「宣伝カー」と入れたところ、ある
わあるわという数の多さだったが、こちらが
思う宣伝カーとは違う車が大半だった。
つまり、現在も歌手の新曲キャンペーンなど
でよく見かける、コンテナトラックのボディが
映像画面になっているやつとか、単なる看
板カーとか走る広告枠自動車とか、そんな
のが多かったのだ。ただしもちろん、それら
のなかに当方が定義するところの宣伝カー
もまじっており、チキンラーメンや福助の
それがおもしろかった。現在も実働中なら、
ぜひとも見てみたいと思う。

また、冒頭に書いた三社の宣伝カーもモノ
クロの画像で出てきて、ライオンのそれは
大型のバスであり、その上部に確かにライ
オン人形が並んでいたことも判明した。
サンスターの宣伝カーもあったそうだが、
実物を見たことはない。そこで「宣伝カー 
昭和」と入れて再度画像検索したところ、
これこそ「おおっ。あるわあるわ」で、車全体
がハム1本の形をした徳島ハム、屋根に大
きなチューブを乗せたスモカ歯磨、巨大な箱
形の真空管ラジオを乗せたサンヨーなど、
見たこともないやつが数多く出てきた。「うう
む。子供の頃、新潟ではなく東京か大阪に
いたら、こんなのも見られたんだろうに」と、
少々悔しい気分になったのだ。

「阪急文化」の牙城だっただけに。

先般届いた日本文藝家協会の会報に、
「本の未来研究会リポート」が別刷りで入
っていた。ジュンク堂書店、田口久美子氏
のレクチャー記録である。当方と同年代で、
冒頭、「本がとても売れていた時代」の話
では、人気作家の単行本は初版10万部
が当然だったという話が出てくる。小松
左京さんの「日本沈没」も、「あまりに売
れるので、どうやって出版社から本を取
ってやろうかと、皆で知恵を絞りました」
とのこと。で、これらは「わかるわかる!」
だが、一方、「へ?」と思ったこともある。

その時代、「西武百貨店が書籍売り場を
作るという話が伝わってきた」が、「当時と
しては、これはすごい冒険でした。百貨店
は本をまともに売れないだろう」と、「取次
も出版社も相手にしなかった時代に、堤
清二さんは百貨店のなかで書店をやろう
としたんです」というのだ。しかし、梅田の
阪急百貨店にはそれ以前から広い書籍
売り場があったし、その一部はテナントと
して、キリスト教の書籍や関連品の売り
場になっていた。とにかく、落ち着いた静
かな売り場で、書籍の品揃えも堅実だっ
た。だから当方、高校時代からときどき
覗いて、本を探したりしていたのだ。
ということは、上記の「まともに売れない」
「相手にしない」の話は、東京の百貨店
に限っての話だったのだろうか。

それとも阪急百貨店が小林一三以来の
伝統で、それだけ文化的だったのか。
しかし阪神百貨店にも書籍売り場はあり、
阪急ほどではないが、一応の本は揃えて
いた。阪神の場合、すぐ横に伝説の旭屋
書店駅前店があったのに、それでも書籍
売り場を設けていたのだから、西武の話
には合点がいかなかったのだ。なお、
レクチャーの本論となると、あいかわらず
暗然たる事実が次々に出てくるので、省
略させてもらう。ただし、ひとつだけ紹介
するなら、ネット全盛の今日、本は「読む
人より、書く人の方が多い」し、そのうち
音楽と同じく、本も無料のものになって
しまうだろうとのことだ。いやはや。


◎皆々、アキレテゴスミダ(タモリ語)。

大韓航空以下を経営する韓進財閥の一家。
長女がナッツ姫で、次女は水かけ姫だが、
今度はその母親のトンデモ映像が公開され、
これまた警察が捜査に乗り出したという。
もちろん娘二人と同様、この母親もグループ
企業の経営陣に名をつらねており、そこが
建設するホテルか何かの工事現場で、社員
なのか建設会社の関係者なのか、若い女性
を叱責する様子で腕を強くひっぱる。止めよ
うとした男性たちにも悪態をつく感じで迫り、
書類の束を奪い取って放り投げ、何かを靴で
蹴り上げる。書類は散乱するわ、社員たちは
逃げかけるわ、いやまあ大変なものである。

そして当方、娘たちのニュースに接した段階
では、「傲慢な姉妹やな。父親がよっぽど甘
やかして、わがままに育てたのか」と考えてい
たのだが、今回の母親のニュースで「あっ」と
思った。「これは、母親がそういう女だったの
で、それがそのまま娘たちにも移ったのでは
ないか!」  というのが当方、これは日本の
話だが、著名企業の経営者で財界人でもあ
るという人物に関して、似た話を知っていた
からだった。そこの娘が何不自由なく育ち、
有名女子大を出て、世間知らずのまま結婚
した。しかし親の名前や立場を鼻にかける
雰囲気があり、近隣者に見下すようなことを
言ったりするので、悪評紛々だった。そも
そも母親が同じタイプの女なので、それが
そのまま移ったのだという噂だったという。

つまり、子供の頃からそんな母親の言葉や
態度を見て育ってきたら、他人や世の中に
対して、「こういうものだ」「こう接すれば
いいのだ」という見本が、多々刷り込まれて
しまったということだろう。伝聞記憶ひとつで
韓国の財閥一家を類推するのは乱暴だが、
当たらずと言えども遠からずではなかろうか。
ナッツ姫が「さらし者」のようになっていた続
報ニュースでは、いささか可哀想にも感じて
いたけれど、大韓航空の社員が後難を避け
るため仮面をかぶって退陣要求集会をし、
今回母親のトンデモ映像を見せられたら、
「どうやら、実態はもっとひどいらしいな」と
思えてくる。無論、多忙ゆえかどうか、妻や
娘たちがそんな女になっていくのに気付か
ず、放置していた夫(父親)にも、大きな責
任があるのだが。
それとも、超恐妻家か?

「何を」と「どう」も、奥が深いのです。

以前、某テレビ局の若い報道部員から、年輩
のカメラマンと議論して、喧嘩みたいになった
という話を聞いたことがある。それはニュース
に関して、彼は「何を伝えるか」が大事だと
言い、カメラマンは「どう伝えるか」が大切だと
主張したからだそうだ。しかし、これは対立さ
せる要素ではなく、「両方大事やろ」と並立さ
せるべき問題だと思う。というのが、たとえば
連休の高速道路で大渋滞が発生したら、まず
その事実を伝えることは、利用予定者や関係
者にとって、やはり大事なことだろう。そして
その映像は、料金所かどこかにカメラを据え
てそこの混雑ぶりを映しているだけよりは、
空撮で延々と連なる車列を見せた方が、
渋滞の実情がはるかに伝わりやすくなる。

すなわち「何を」が決まれば、すぐさま「どう」
の工夫が必要になるのである。ただし、その
事実をニュースとして取り上げるか否かは、
ニュース番組のディレクションという問題に
なる。他にもニュースは数多くあるのだから、
優先順位をつけて選択しなければならず、
「高速道路の大渋滞」がほぼ全局のニュース
番組で伝えられるのは、それだけ優先順位が
上だと判断されているからだろう。だからこの
場合の「何を」は、冒頭で書いた若い部員
いわくの「何を」とは、判断のレベルが違うこと
になる。同じく、ニュース番組内でそれを短く
伝えるか、たっぷり見せるか、何ならコメンテ
ーターにも意見を求めるか等々、「どう」の
判断にもレベルがあるわけである。

そしてまた、汚職だの何だの政治がからむ
ニュースでは、「何を」にも「どう」にも、さら
にレベルの違う判断が介在介入することに
なりやすい。局の上層部や経営者の姿勢に
よって、大きく扱う、小さく扱う、そもそもその
ニュースを流さないようにするなど、複雑微妙
に変化するわけで、その具体例はNHKにも
民放にもいくらでもある。新聞に関しても同様
で、同じニュースを新聞各社のサイトでチェッ
クすると、歴然とした違いがわかる事例も少
なくない。「何を」も「どう」も、現場レベル
から経営レベルまで多種多様だから、受け手
としては、特定局や特定社のニュースのみで
了解するという、そんな姿勢は取らない方が
「安全」なのである。言うまでもないことだが。


◎本気で考え出したら、滅入るしなあ。
サラリーマン時代の上司だった人で、日航機
の御巣鷹山事故で亡くなった人がいる。あれ
は東京から大阪へ向かう夕方の便だったから、
日帰り出張のビジネスマンが大勢乗っており、
だからあのあと関係する企業が社葬をしたり
合同慰霊祭をしたり、しばらくは梅田の地下
街でも喪服姿を数多く見かけたものだった。
それにしても、まさかそんなことで突然亡くな
るとは、乗客たちも、ぼくの上司だった人も、
これっぽっちも思っていなかっただろう。

だから遺言書も公私の案件に関する指示の
言葉も何もなかったはずで、遺族や周囲は
さぞ困ったことだろうと思う。一方、世話にな
った先輩社員で癌で亡くなった人もおり、大方
二年ほども入院生活を送ってのことだった。
しかし何度も見舞いに行っていたときの印象
では、それほど落ち込んでおらず、治る病気
だと思っていたようだった。とはいえ葬儀の
ときに聞いた話では、本人は手帳に日々の
思考の断片をメモしており、そのなかには、
「人間は無から来て、無に帰る」という、悟り
の境地に達したようなものがあったという。

ということは本人、いつか何かのきっかけで
覚悟をしたのかもしれず、夫人にも必要な
事項は伝えていたのかもしれない。そんな
ことを思い出していると、「やはり後のことは
書いておくべきか」と思うのだが、面倒臭さ
が先に立ってその気にはなれない。第一、
自分が死ぬのはずっと先だと思っており、
現実のこととしての実感が、まだないのだ。
明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹か
ぬものかは。親鸞上人のこの道歌だって、
単に知ってるというだけであって……


◎名前は確か、連林秋といったっけな。
アメリカが台湾政策を見直す気配があるとか、
日本の女性ダイバーが海中で紛失したカメラ
が、台湾で見つかって返してくれたとか、ここ
しばらくのニュースで思い出したことである。
往年、高校時代からの友人がうどん屋をやっ
ており、大阪市内の中心部に近い場所だった
から、ときどき覗きに行った。夕方からは一杯
飲み屋になるので、当方はビールを飲みつつ、
雑談していたのだ。そのあたりは繊維関係の
会社が多く、だからインド人や中国人も、よく
食べに来るということだった。その一人に台湾
の若者がおり、一、二度、話をしたことがある。

インド人がやってる商社に勤めており、ただし
それは貿易関係の実務を覚えるためで、将来
は台湾に帰って自分で会社を始めるつもりらし
かった。何かの特許にからんで、アメリカで
東芝の社員が逮捕された事件があった時期で、
それについては、「あれ、東芝の人は悪くない
です。愛国の行為です」と力説していた。中国
のみならず台湾でも、特許権侵害だろうと産業
スパイだろうと、「愛国無罪」的な考え方をする
ようだった。そして彼からは、「ビジネスで親し
くなっても、日本人が客を家に招待しないのは
なぜですか」と、質問されたこともある。

そう言われれば、中国や台湾の人と商売で親
しくなったら、家へ招待されて歓待されるという
話は読んだことがある。だから彼は、日本のビ
ジネスマンがそれをしないのを不思議に思った
のか、「冷たい」と感じていたのかもしれない。
そこで当方、いくつかの理由をあげて説明した
のだが、理解してもらえたか否かはわからない。
そして彼は、それからほどなくして会社を辞め、
台湾に帰ったそうだ。その後どうなったかは知
らないが、会社をつくって大きくして、客をどん
どん自宅に招待しているのかもしれない。


◎大体、教科書っておもしろくないからね。
イギリスとハンガリーの共作で2007年に公開
された、「ヒトラーの審判」という映画がある。
「アイヒマン、最期の告白」というサブタイトルが
ついているとおり、ナチスの戦犯アドルフ・アイ
ヒマンが1960年に潜伏地アルゼンチンで逮
捕され、イスラエルで取り調べを受けた、その
調書をもとにした作品である。で、それをDVD
で見たあと、段ボール箱に詰め込んだ書籍の
なかから、「捕らえた」(Q・レイノルズ)という
古い本を取り出し、その追跡ドキュメンタリ−を
読み返してみる。すると映像作品と活字作品、
双方の内容、光景、主張や論点が頭のなかで
組み合わされて、立体的な知識になる。

別の例で言えば、マイケル・ムーアの「華氏
911」というドキュメンタリー映画があり、
「9・11」事件と、そのときのブッシュ大統領の
対応、ならびにそのあとアメリカがイラク戦争へ
と進む内幕を告発している。DVDで見ていると、
アメリカ国内で兵隊を募集する様子とか、イラク
で戦死した彼らの出身階層とか、これは「ルポ・
貧困大国アメリカ」(堤未果)そのままだなと
感じさせられる。そこでその本を再読してみると、
同じく知識が立体化され、アメリカという国に関
する認識が、あらためられていく。

ひとつの事件や問題について、映像と活字の
双方から知識や情報を摂取するというこの方法、
非常に有効だから、学校教育の場でも応用
できるのではないかと思うのだ。もちろん例に
あげたのは、当方がたまたま見てそう感じた
テーマと作品であり、教育の場でというのは、
各種科目で教える内容についての話である。
つまり、各科目の教科書を、活字版と映像版、
セットで作ればどうかということだが、それ
くらい、すでに実施されているのだろうか。