★顧問ごあいさつ

1990年代

第50回
1990年

 金沢大学フィルハーモニー管弦楽団の創立40周年とあわせ、第50回の記念定期演奏会の開催にあたり、昭和25年の創団以来当団を支え、また今回は例年以上にご援助下さった地域の方々、OBの方々、指導者の方々、並びに本日この会場におはこび下さった全ての方々に厚く御礼を申し上げます。当団が、創立当初の小さな学生団体としてスタートして以来、実に40年という歳月を経て本日のような発展的な姿で皆様の前で演奏することがかないますのは、一重に皆様方の御支援のお蔭と、唯々感謝の気持ちで一杯であります。
 一口で40年と言いますが、40歳と言いますと人間では不惑の年、心身共に落ち着きを持って円熟期への導入となるべき年齢でありますが、当拭は毎年メンバーの入れ替わる学生オーケストラであり、一概に40年の実演の裏付けを彼等に求めるのは、いささか酷と言えましょうが、それでも本日の50回記念演奏会のため、今迄にない大曲である、マーラーの交響曲第5番に挑みました。指揮者には堤俊作氏を迎え、氏の厳格かつ壮大な音楽作りのもと、幾度も強化練習を重ねてまいりました。その成果を本日の演奏会でお聴きいただければこの上ない喜びと存ずる次第であります。
 最後に、どうか今後も、皆様のご支援をいただき、第60回、第70回の定期演奏会が今回以上に発展した形態で開催できます様、切にお願い申し上げ、御挨拶といたします。


 金沢大学フィルハーモニー管弦楽団顧問
 教育学部助教授                 松中久義


第51回
1991年

 本日はお寒い中、金沢大学フィルハーモニー管弦楽団第51回定期演奏会にご来聴いただきありがとうございます。
 今回はワーグナーとブラームスという重みのある充実したプログラムになりました。いずれもオーケストラの醍醐味が満喫される曲目です。プログラムに相応しい演奏になるよう練習を積んで来ましたが、なにか皆様の心に残る演奏になりますればと願っております。
今日、学生オーケストラ、アマチュアオーケストラの演奏レベルは全国的に向上し、演奏技術によって選曲が限定されることがなくなって来ているように思います。これはメソードもさることながら、なによりも音楽に参加する人々の層が厚くなってきたからでしょう。また種々演奏会やレコードを鑑賞するに留まっていたクラシック愛好家が自ら音楽することに価値感を求める傾向にあることを意味しているとも考えられます。
 そのジャンルはオーケストラ、ブラスバンド、ストリングアンサンブル、重奏、合唱、重唱と多種多彩であります。仲間は仲間を呼びこの輪は益々大きくなっていくでしょう。そしてこのようなアマチュアの好楽家が実は音楽文化を支えているといっても過言ではないのではないでしょうか。当フィルハーモニーでは入団してはじめて楽器を持った団員も何人かいるでしょう。しかし彼らもこのようにブラームスやワーグナーの世界に入っていけるのです。いやもしかしたら彼らは今、ブラームスに夢中になっているかもしれません。確かにクラシックは奥が深いのですが入り口は広く、以外と入りやすいのです。ご来聴くださった皆様の中にも鑑賞だけでなくご自身、なにかやってみたいと思っている方がきっといらっしゃると思います。いかがでしょう、本日のステージの学生達のようにこれからなにかアンサンブルをおはじめになってみませんか。皆様のクラシック愛好心がさらに深まり歓びは倍加するに違いありません。
 本日はようこそおいで下さいました。重ねてお礼申し上げます。    敬 具

  金沢大学 教育学部助教授        松永久儀



第52回
1992年

 今宵はお忙しい中、ご来聴いたださ有り難うございます。
 昨年の秋、当団顧問の山下成太郎先生が私の教官室にお見えになり、私に団の顧問になるよう要請がありました。その任にはふさわしくないと固くご辞退申し上げたのですが、余りに強い説得に、1年間だけの期限つきで承諾することとなりました。顧問は普通1人で充分だと思うのですが3人も必要なのは何故なのかいまだに釈然としません。
 私事になって恐縮ですが私と金大フィルとの関係は私が金大に赴任した昭和44年に遡ります。当時は先の山下先生が指揮をされていましたが、私も47年まで定期演奏会に出させてもらいました。その後もオケ活動には大きな共感をもって今日に到っています。それは私自身のかつての経験と若い学生諸君の演奏をオーバラップして見ることが出来るからです。
 今日はWagnerの「ローエングリン」前奏曲と同歌劇からエルサの大聖堂への行進、そしてメインの曲としてA.Brucknerのシンフォニー第7番をご披露いたします。Wagnerをほとんど偶像のように崇拝したBrucknerはオルガンの名手で、よくオルガンやピアノに向かって単純な三和音を連打して心を爽やかにしたと、トーマス・マンがその小説の中で書いていたように思います。第7番シンフオニーのAdagio楽章は尊敏するWaggner、への葬送の歌と一般に言われています。まだまだ演奏は未熟でしょうが、最後までごゆっくり演奏をお楽しみ下さい。


  金沢大学 教養部教授         稲垣大陸



第53回
1992年
 今宵は年末のお忙しい時期に、貴重な時間をさいて私たちの演奏会にご来場くださいまして、まことに有難うございます。
 のっけから私事にわたって恐縮ですが、本年はわたしにとって悪夢のような年になりました。大雪となった2月のある日、前日まで元気だった妻が心不全で急死したのです。わたしにとって肺腑を抉るような恐ろしい事件でした。わたしはわたしの人生ではじめて号泣しました。夫が言うのも変なことですが、家族おもいで家庭的で、屈託のない明るい性格であり、青春時代をともに歌い、わたしの人生を美しく豊かなものにしてくれた人間だっただけになおさら悲しいです。2カ月間ほど食事も喉を通らないほどでした。雨が降っても、夜星々を眺めても故人のことが思い出されて、自然と眼に涙が溢れてくる辛い日々でした・・・・・。そんな時、苦境に自己を見失うことなく、私を元気づけてくれたのは音楽でした。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、モーツアルトのピアノ協奏曲、シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」、リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」など、そめ悲しさ、美しさが以前にもまして心に染み入るようでした。
 絶望の淵から希望に燃える明日を生きる勇気を与えてくれる音楽はまさしく神からの貴重な贈り物と言えるでしょう。それにしても今宵のようなコンサートに妻と一緒に来る幸福を持つことが出来ないと思うと残念でなりません。いまあらためて悲しみの情がこみあげてまいります。
 金大フィルは年間を通して精力的に演奏活動を行なっておりますが、今宵が最大のメインイベントです。若々しい学生諸君の音楽への情熱をお汲みになって、今後とも暖かいご支援のほど心よりお願い申し上げます。

  金沢大学 教養部教授         稲垣大陸



第54回
1994年
 ご来場の皆様、今宵も冷寒の折り私たちの演奏会にお越しくださいまして、心より感謝申し上げます。
 私は昨年、ゼミの学生さんたちとフェーリックス・メンデルスゾーン・バルトルデイーを扱ったテキストを読みました。音楽を限りなく愛する者にはとても楽しい読物でした。テキストの中でもっとも印象に残ったのは天才音楽少年フェーリックスが12歳のときにワイマルに文豪ゲーテを訪ねる場面です。これは実際あった話なのです。少年は当時72歳のゲーテの前でピアノを弾き、とても気に入られます。
ゲーテが所有するモーツァルトの手書きの楽譜もメンデルスゾーンがいともたやすく、初見演奏するのでゲーテはこの少年の腕前に驚嘆し、殆んど時の経つのも忘れる程です。この少年が後にあの有名なホ短調バイオリン協奏曲、珠玉のピアノ曲集『無言歌』、詩的情緒豊かな交響曲『スコットランド』を作曲し、バッハ復活にも功績をあげることとなります。後世に残るような名曲を作曲出来る人はごく少数の人に限られていますが、私たちも先人の残した名曲を追体験しながら演奏したり、鑑賞したりするだけでもとても幸せなことと思います今宵も金管の華やかな音色、木管の憂愁を帯びたメロディー、弦の奏でる減七の和音、絢爛たる半音階的パッセージ、嵐のようなリズムなどオーケストラ音楽の持つ精神的魅力を存分に堪能していただければと願っております。
 昨年は教養部の角間キャンパスヘの移転にともない、城内に残る練習場まで遠くなるなど、厳しい条件のもとで半年間真剣に練習に取り組んできました。今夜は晴れのステージです。日頃の練習の成果が充分に発揮できて、団員ひとりひとりが納得のいく演奏会になることを期待してやみません。今後とも暖かく、ご支援のほど心よりお願い申し上げます。
         
  金沢大学教授            稲垣大陸(ドイツ文学)



第55回
1995年
 本日は、金沢大学フィルハーモニー管弦楽団第55回定期演奏会にご来場賜り、厚くお礼申し上げます。
 気鋭の指揮者・岡田司氏をお迎えして、金大フィルは今回、ついにブルックナーの最高傑作ともいうべき大曲、交響曲第8番ハ短調に挑戦することになりました。聖フローリアンやリンツ大聖堂のオルガニストも務めたブルックナーは、オーケストラの音をオルガンの響きに見立て、無限の宇宙と悠久の自然を思い起こさせるような悠揚迫らぬ音楽を人類至高の財産として残してくれました。なかでもこの交響曲第8番は、神に生涯を捧げた作曲家の人生に織り込まれた苦悩と慰め、喜悦と哀しみをきわめて純粋な音楽的抽象に高めた稀有の傑作といえます。孤独な呟きの彼方で奏でられるブルックナー独特のあの弦の長いトレモロに耳をそばだてたり、ワ一グナーから学んだ分厚い響きの総奏のあとに唐突に訪れる総休止に空気の震えを感じることは、忙しくたちふるまっている現代人の不得手とするところかもしれません。この曲と向かい合うことは、時代と、その中に生きている自分を問い直すことでもありまず。若い団員がこの巨大な構築物と向かい合い、そこから新しい響きを引き出すことには、はかりしれない意義があるように思われます。
 折しも、この演奏会は、昨年5月金大フィルが角間に移った後の初めての定期となりまず。旧きよき時間が流れていた城内キャンパスから、システマティクで無機質な時間の流れる角間に移った初めての定演でブルックナーか選ばれたことに、なにか因縁めいたものを感じずにはいられません。
 冬の長い夜の一時、あの有名な第3楽章アダージョの魂の響きにしばし身をゆだねてみてはいかがでしょうか。ゆだねすぎても大丈夫。まもなく訪れるクライマックスによってきっと新たな覚醒に導かれるでしょうから。

  金沢大学教育学部助教授        松下良平



第56回
1995年

 シベリウスの七つの交響曲(第八番は未発表)のうち、第二番と第四番は特に歴史的に評価されていますが、本日、メイン曲として選曲した第一番はシベリウスの個性が十分発揮されておらず、チャイコフスキーの影響、すなわち国民楽派、あるいは後期ロマン派の特色を出すにとどまっているとされています。しかし私はこの第一番のスラブ的、北欧的色彩に魅力を感じています。また、シベリウスの個性を感じています。選曲に当たっては種々議論をしたことと思いますが、”以前第二番を演奏したから第一番にした。"だけの理由が優先されたのではなく、どうしても第一番にしたかった理由が本日の演奏内容に表現されることを期待しています。
 プロの指揮者、プロの独奏者との協演は、アマチュアオーケストラの活動には欠くことの出来ない要素となって来ています。アマチュアだから云々という妥協が心のどこかで起こっていると、人々を感動させることは出来ないと思っています。技術のことを言っているのではありません。しかし、技術は軽視できません。恐らく彼らはこのテーマに真正面から向かって、本日に至っているものと思います。
 本日は、お忙しい中ご来聴くださりありがとうございます。金大フィルの活動に対し、皆様からのご支援の程をお願い申し上げます。

  金沢大学教育学部音楽科教授        松中久儀



第57回
1997年

 今回の定演プログラムの三曲はアマチュアオーケストラにとって高度な技術を必要とするものである。しかし選曲として妥当であり、また意欲に満ちたものと言える。三曲に共通するものとして抒情を奉げたい。それについて、リエンツイはごく初期の作であること。他の2曲は共に作曲家の円熟期の代表作であるが、交響曲はその第二楽章に代表されている通り叙情豊かな作品であり、またヒンデミットの曲は彼が第二次世界大戦を避けてアメリカへ移住した後に作曲され、抒情と郷愁を漂わせている。
 さて金大フィルの演奏史をひもとくと、プラームスの交響曲第一番は、昭和46年第32回定演の折、またリエンツイは、昭和56年第6回サマーコンサートの折に初演を行っているが、ヒンデミットの、「ウエーバーの主題による交響的変容」は今宵が初演となる作品である。アマチュアオケにとって、演奏技術と表現内容という問題が常に横たわっている。本日のワーグナーでは金管楽器と他の楽器群の対峙と協調、そして単純なリズム型における美しさの追求、ヒンデミットは楽器間の「からみ」の難しさ、そしてプラームスでは第一楽章の序奏を氷河とたとえるならは、それは終業章に向かって流れとなり、山野を下り、大河となって海へ到達するという壮大な趣を有している。この表現は難事である。金大フィルの皆さんにはその若さと日夜の研鑚で、それらの大きな課題を乗り越えて素晴らしい演奏を披露してくれるくれる事を期待し願ってやみません。
 ご来場を深く感謝し今後とも暖かいご声援を願う次第です。
 
  金沢大学教育学部音楽科教授        山下成太郎



第58回
1998年

 本日は、金沢大学フィルハーモニー管弦楽団の第58回定期演奏会に御来場いただき、まことにありがとうございます。
 俊英、金洪才氏と四人の独唱者をお迎えして、金大フィルはいよいよ交響曲史上の一大革命にして不滅の金字塔でもあるベートーヴェンの交響曲第9番に挑みます。ご存知のように、今では「第九」と言うだけで、通じる名曲中の名曲です。
 21世紀を目前にした今日、19世紀のはじめの頃に書かれたこの曲を演奏するのは、決して容易ではありません。合唱つきの大曲ですから技術的なむずかしさもありますが、人類の平和に向けて「すべての人が兄弟となる」ことを訴えたベー卜一ヴェンの願いをどのように理解すればいいのか、という問題もあるからです。来世紀へ引き継ぐべき人類の課題(夢や理想)なのか、未曾有の殺戮の世紀であった20世紀への鎮魂と慰謝なのか、それとも啓蒙的なロマン主義のひとつの歴史的証言にすぎないのか、この曲をめぐってはいろいろな解釈が可能だということです。演奏する団員一人ひとりの思いが共鳴と対立をくりかえすことから生まれる響きを、「第九」の喧嘩が過ぎ去った年の初めにあらためてゆっくりと味わってしいただけるならば、うれしく思います。
 最後に、合唱をに御協カいただいた方々、ならびに本日の公演に御尽力賜りました関係者の皆様にこの場を借りて心よりお礼申し上げます。


  金沢大学教育学部教授        松下良平



第59回
1999年
 本日はお寒い中、当管弦楽団の定期演奏会にご来聴くださいましてありがとうございます。
メインとして選曲しましたブラームスの4番は4曲の交響曲の中では最も古風な作風をもっております。教会旋法やシャコンヌ、バロック的な旋律等、時代を遡るような手法がみられます。ブルッフのヴァイオリン協奏曲は3曲残されていますが、なんといってもポピュラーなのはこの第1番です。ヴィルトーゾのヨアヒムとの親交が作曲の動機であるといわれています。ヴァイオリンの技術、音色をあますところなく表出した作品で、メンデルスゾーンやヴィニアウスキーのヴァイオリン協奏曲と並んで多くの好楽家に親しまれています。光栄にも本日はN響の篠崎史紀氏をソリストとしてお迎えし、共演出来ることになりました。オーケストレーションも華がでて、とくに第1楽章の独奏ヴァイオリンとオーケストラのアンサンブルは魅力的な構成になっています。
 各大学の学生オーケストラは年々その活動内容が向上しております。プログラムにおいてはプロとなんら変わらない曲目が選曲されるようになりました。しかしプロのように数多くのステージを経験することは出来ません。演奏したい曲が沢山あるのですがその曲は次回の曲目として後輩に残されていきます。私達の時はベートーベンをやった、私達の時はチャイコフスキ一をやった・・・というように先輩達が作ってきた演奏史が大変貴重な財産となっています。本日ご来場の方々の中には元団員であった先輩達が多くいらっしゃると思います。後輩がどんな演奏をしてくれるのか、先番がどう評価してくれるのか、プロの団体の演奏会にはないステージと客席との交信があります。 ご来聴の各位に感謝申し上げ、またこの活動が更に発展していきますようにご支援の程をお願い申し上げる次第です。


  金沢大学教育学部教授         松中久儀




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