
ブルックナー 巡礼の旅
ウィーン・・リンツ・・ザンクトフローリアン
79年入学 ヴァイオリン 山口泰志氏
念願の・・というのはあまりに陳腐な書き出しですが、思いがけず今年6月ハイデルベルグでの学会出席の一環として、中部ヨーロッパを一週間ほど旅することができました。自分にとっては初めてのヨーロッパだったのですが、今回の旅行で、なにをおいても、他はぜーんぶ外したとしてもどうしても行きたかった、どうしてもはずせなかった訪問地が2箇所ありました。 その1つがザンクトフローリアン。 ブルックナーが作曲家として歩み始めた、そして音楽家-オルガニストとして本格的なスタートを切ったゆかりの地。そして今もその大聖堂の大オルガンの地下に安置された棺に眠る聖地(そしてもう一カ所はヴィースバーデン・・おわかりですか?)。旅行計画のすべてはそこから始まりました。旅行日程を詰めて行く内、
最終的にはウィーンとザルツブルグにも立ち寄ることができましたが、でも目的はあくまでブルックナー。そんな気持ちでワールドカップの喧噪の中、成田を出発。

まずはヴィーン。今回はスケジュールが直前まで決められなかったこともあり、音を聴くことは最初から諦めて、ひたすら歩き回ることにしました。夜遅くにホテルに到着。翌朝ハム、チーズ、フルーツたっぷりの朝食の後「ウィーンのブルックナー」巡り開始。
まずはホテルから歩いて数分のベルデヴェーレ宮殿(←)。ここにはブルックナーがその生涯を閉じるまで居住し、
8番、9番などの傑作を生んだ最後の家がある。それは色とりどりの花が咲き乱れた宮殿の広大な庭園の一角に小さな東屋風の建物がある・・ はずだったのですが、どうやら修復工事中だったようで発見できず残念。しかし、その壮麗な宮殿の内部は、クリムトやシーレなどウィーン世紀末の画家たちの傑作が集められた美術館になっていて、その壮観さには度肝を抜かれました。ここでは、展示場の入り口にさりげなく飾られていたロダン作のマーラーの胸像(ショルティを始め数々のCDジャケットに登場する)が、いきなり目に飛び込んできて、小品なのにもかかわらず、その実在感、迫力に思わず立ちつくしてしまったことのみを記しておきましょう。

ウィーンの中心街「リング」はそこからまた徒歩数分で到達。シュターツオーパーでは、「Karajan platz」に今夜小沢・VPOの「オーストリアコンサート」を告げるポスターが掲示されている(→)のを横目にムジークフェラインへ。正面玄関前が巨大な地下工事の真最中で、感慨に耽ることもできず残念でしたが、玄関脇の壁に飾られたウィーンを代表する作曲家を顕彰するポスターの中にありました。ブラームスとシューベルトに囲まれての"Anton Bruckner"、これがウィーン最初のブルックナー。

ランチ

モーツァルト立像

ブラームス石像
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ブラームスの大きな石像のあるカールスプラッツ公園内のカフェで昼食。すりこぎ棒ほどの巨大な「ウィンナーソーセージ」2本とサラダ、パンとビール(←)で1200円ほど。
モーツァルトの有名な立像があるマルクス公園を過ぎ、ついで美術史博物館に。これまたブリューゲルやレンブラント、ルーベンスなどの膨大なコレクションで腰を抜かす程圧倒された数時間を過ごし、館内のカフェでの贅沢なコーヒーブレイクの後、リング沿いに歩いて観光客の姿もほとんど見られなくなったあたりでたどり着いたのがヴィーン大学。14世紀以来の伝統を誇る構内の、中庭に面した回廊沿いには、ドップラーやシュレジンガー、ビルロート他歴代の有名教授の胸像がずらりと並んで壮観でしたが、そこで見つけたのが、”Anton
Bruckner” 記念碑(↓)。

ブルックナー記念碑
懇願の末やっと手に入れた作曲法教授としての業績を記録したものですが、なんとその数人先に、ウィーン時代のまさに仇敵、評論家にして音楽学教授であったハンスリックの胸像を見つけて思わず苦笑い。最後にシュテファン教会前のオープンカフェでこの日2杯目のビールをぐいっと飲みほし、疲れ果ててホテルに帰り、小沢・VPOコンサートの生中継を見つつ、いつの間にやら意識不明に。 |
翌日、いよいよザンクトフローリアンへの出発を前に、少し早起きをしてウィーン市立公園へ。大都会の真ん中とは思えない自然いっぱいの園内の散策路に沿ってそこここに配置されたヨハンシュトラウスやシューベルトの石像(これまたレコードジャケットに必ず登場するものたちです)の中に見つけたブルックナーの胸像(かつてジュリーニ・VSO
第2のジャケットに大写しになっていました)。最近新造されて、両脇に飾られていたヴィーナス像はなくなっていましたが、本体そのものの佇まいは以前のものとほとんど変わらず、先の人々の、特に(おそらく観光客を意識した)シュトラウスの大きく、黄金があしらわれた豪華なものに比べれば、かなり小振りで慎ましやかなものでしたが、間違いなくウィーンの人々に愛されているのが実感されるものでした。ちなみにここにマーラーは居ませんでしたが。
J.シュトラウス像
快適な特急でウィーンからリンツまでは1時間半ほど。なだらかな丘陵地帯の田園風景を眺めつつリンツに到着。ここはウィーン、グラーツ(ベームの生地です)に次ぐオーストリア第3の都市の筈ですが、駅前の風景は小松や七尾よりも寂しい、ホントの田舎町という感じで、駅前の商店街などあるはずもなく、人影もまばらでした。
ここからザンクトフローリアンまではバスで。ガイドブックでは2時間に1本ほどとのことだったのですが、実際には2-30分に1本くらいはあって、バス停内のカフェでビールを一杯飲み終わったところで(ちなみに当時は例のヨーロッパ大洪水の前だったのですが、既に異常気象は始まっていて、とにかく猛烈に暑く、連日35-6度、晴天の日が続いていて、ちょっと歩いただけで汗はだくだく、喉はカラカラ)、日本の感覚では観光バスクラスの豪華な路線バスに乗車。サングラスを掛けたブルースウィルス風情のドライバーに、ザンクトフローリアンまで、と告げて料金を払い、市内を抜け黄金色の麦畑と緑濃いなだらかな丘が交錯する田舎道を揺られること約20分。途中、ある分かれ道の道路標識に、一方はザンクトフローリアン、そしてもう一方にはブルックナーの生地、アンスフェルデンの文字が。
遠路はるばる15000kmの道のりを経て「いよいよ近づいてきた」ことが実感されて、感慨もひとしおです。しかし、困ったことが。同じ様な小さな町の度バスは止まるのですが、バス停の名前が小さくて読めない。もうぼつぼつの筈だけどと思いつつ周りを見回している内、とある停留所で例のブルースウィルスがこちらを振り向きニヤリ、張りのあるバリトンで一声。
“ Sanct Florian!”
Danke !
慌ててバスを降り立ったところは何の変哲もない田舎町のただ中。周りには案内板も何もない。ホントにザンクトフローリアンかい?と内心かなり不安になり後ろを振り向いたとたん、なんと、いきなりあの巨大な修道院が目前に迫っているではありませんか。
ついに、とうとうここまでやってきた!

バス停は修道院の裏手にあったので、日本流に言う門前町を抜けて小高い丘に登り、修道院を回り込むようにして正面に到着。建物はかつての城内キャンパスの教養+理学部のような大きな矩形の回廊状の修道院の奥に2本の塔を持つドーム(礼拝堂)が配置されており、大変壮大な建築にも関わらず、壁の色が白と明るいクリーム色に塗られているせいか、ウィーンのシュテファン教会に代表されるオーストリアバロック建築特有の、建築物というよりもまるで高い山を目前にしているような威圧感はなく、前庭に広がる芝生と色とりどりの花々も相まってむしろ開放的で清潔感があり、しかも古い建物なのに全く古ぼけた感じがなく、穏やかでほっとするような静かな佇まいでした。これはクナッパーツブッシュではなくシューリヒト。
ヨッフムになりきった気分で修道院の中庭を一巡りした後、館内のショップで銀のメダルや絵はがき、CD、書物など“ブルックナーグッズ”をいくつかget。
前庭の花々を愛でつつドームに向かうと、入り口前に昼からの定例オルガンコンサートの予告が掲示されており、ちょうど1時間ほどの余裕あり。それまで周りを散歩したり、ベンチで建物や澄み切った青空を眺めつつ鳥のさえずりに耳を傾け、しばし百数十年に思いを馳せる。聞こえてくるのは鳥のさえずりと野外学習をしている子供たちのはしゃぎ声、そして風に揺れる梢の音だけ。きっと当時からほとんど変わっていないに違いない。
このことを確かめにここまできたのだ。
意外だったのは鳥の鳴き声というかさえずりというか、日本ではかなり自然の豊かな高原でも小鳥のさえずりは早朝と決まっているのが、ここではこんな昼日中にもかかわらず、それもかなり大形の鳥を思わせる、太くて大きなアルトの鳴き声が(かといってカラスのような下品なものではないのですが、)ずっと響き渡っていることで、「ロマンティック」の中で聞こえる鳥のさえずりのイメージはこんなところからきているのかなと実感しました。もっともこれはウィーンの街の中でも聴かれましたが。自然との共存のレベルが、日本とはまるで違う。
コンサートに先立ちドーム内をのぞいてみる。内部は壮麗の一言で、一般的な教会の薄暗いイメージとはほど遠く、光がいっぱい入って明るく、外装同様内装も白を基調とし、しかも古い建物にも関わらずほこりっぽさがなく大変きれいなのに驚きました。壁を飾るラッパを吹き鳴らす天使像のすばらしい彫刻の数々と色鮮やかな天井画の見事なコントラスト。長方形の聖堂内部の正面奥に祭壇があったのは良いとして、あれ、あのブルックナーオルガンはどこだろうと探すと、それは礼拝堂の後ろ側、参拝者の背中側の高い位置に配置されていました。オルガンというと、コンサートホールの舞台奥正面にあるものしか知らない私には少々意外でしたが、ここでのオルガンは主役ではなく、祈りを捧げている中、背後から姿を意識させずに礼拝堂全体を音で満たすための配置なのだと納得した次第。ならば!と慌てて入り口に戻ると、ありました。ちょうどテラス状になったオルガンの真下、入り口のすぐ近くの床に、 Anton Brucknerの名が刻まれた墓標。気付かずに通り過ぎていました。彼はこの真下、地下に眠っている。私は日本人なので、献金してからしばし合掌。
オルガンコンサート開始。プログラムはバッハの前奏曲とフーガ、ブルックナーの弦楽5重奏曲からアダージョの編曲(今年スクロヴァがN響でも演奏していた)、最後にヤナーチェックの技巧的な小品の3曲。演奏そのものはルーティンワークといったところで、この修道院の専属オルガニスト-つまりブルックナーの遠い後輩になるはずの人でしたが、あまりこの大先輩に思い入れがないのかな、といった感じの演奏でした。でも、なんと言ってもブルックナーの体に染みついていたであろうその響きは、ドーム全体をたっぷりと満たしたのです。これを至福のひとときと言わずしてなにをか況や。その響きは、オルガンの一般的に想像されるような「ジャーン」といった鋭く空間を切り裂くような、圧倒されるような金属的な響きではなく、フルオープンでも豊かで柔らかな、ゆったりとした響きで、むしろ木質感さえ感じさせる、「ブワーン」といった感じ。
勿論、よく言われる様な、これがブルックナーの頭にあったオーケストラの響きのイメージのすべてであるとは言えないと思うけれど、敢えて言うならば、(あくまでスピーカを通した上で、の話ですが)これはワントの響きとは全く違う。最近聴いた中では、スクロヴァ-N響の「ロマンティック」での余裕のある響きが最も近いかな。ただこれは勿論作品によっても違うだろうし、また、だからこれでなくてはいけないと言うことにもならない、彼の作品はそんな限られたイメージの中に押しとどめておく必要はないとは思いますが。それでも、これがブルックナーオルガンの響きであるのは間違いないのです。
それから、ドームの音響は素晴らしい。石造りなのにも関わらず、高い天井と、適度な凹凸のある壁面構造のためか、決して響きすぎることはなく、むしろ上質なコンサートホールに近い感じで、ここでよく行われるオーケストラコンサートもおそらく大きな違和感なく聴けるのであろうと想像した次第です。そう、フルトヴェングラーも、カラヤンも、ベームも、ヨッフムもチェリも、朝比奈もここで演奏した。
演奏が終わった後、もう一度墓(↓)を目に刻みつけ、外に出た。
ブルックナー墓標
修道院の正門から街にでると、そこから丘の上に向かって住宅が点在し、道標にはBruckner Strase。その道沿いに、「Bruckner 交響曲散策の小道」と記された散策路の案内(→)があり、それに従って、のんびり歩いてみる。
目に入る民家は、どの家にも広大な庭があり、家そのものも、けして豪華ではないにしてもいずれも立派で、これが高級住宅街でないとすれば、このあたりの人たちの生活水準の高さがが偲ばれるものばかりでしたが、気付いたことは、全部ではないにしろ多くの家の壁が修道院と同じクリーム色に塗られていたことでした。このあたりの習慣なのか、意識的にそうしているかは即断できませんでしたが、まるでリゾート地のような、街全体の統一感のある佇まいはさすがだなと思わせるものがありました。
やがて丘の頂上に近づくと、上部オーストリア地方に特徴的な、なだらかな丘の連なりをバックに修道院全体が見渡せるようになる。あたりは見渡す限り、こうした丘が続く実に広々としたいわば平原となっていて、ヨーロッパアルプスの峻厳な姿は影もない。ブルックナーのCDジャケットでは(少なくともかつてのLP時代のジャケットでは)定番の、アルプスの雪を戴いた高峰をバックにした教会の尖塔、といった風景とは程度遠い風景で、少なくとも彼の心の原風景にはこうしたものはなかったようです。


振り返って、自分が思春期を過ごした自宅の勉強部屋からは、南アルプスの3000m級の峰々が見せていた四季折々の姿を見渡すことができました。特に肌がぴりぴりするくらいの冷たい風の吹く真冬の夕方、真っ白な仙丈ヶ岳や北岳が、夕日に照らされ鮮やかなピンク色から、やがてオレンジ色に染まって行くとともに、背景の空も明るいブルーから紺色へと変わってゆく姿はとても印象的で、自分の原風景と言っても良いかもしれません。
中学生の時、ワルターの「ロマンティック」を聴いて衝撃を受けて以来、ずっとそのイメージをダブらせながらブルックナーを聴き続けてきたことを思うとき、あの峻厳な響きはあくまで彼の心の中から生まれた、彼独自のものであることを実感しました。アルプスの描写では決してなく、もっと、ずっと心の深いところに根ざした響きなのだと。
約30分ほどの夢のような散策も、修道院の周囲をぐるりと一周して終わり、帰りのバス時間が近づく。
満ち足りた幸福な1日でした。本当に来た甲斐があった。
ザンクトフローリアンを知った今、自分のBruckner 観が大きく変わったことはないけれど、これから聴くBrucknerは、これまで以上に、自分の心に寄り沿ったものになるに違いないと確信したとともに、その音楽の奥深さ、豊かさを益々実感したのです。
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