| VISION No.78より |
VISIONは金沢のローカルのタウン誌(隔週発売)のように思う。
現在、存続しているかは不明。1990.2.1発行のものから。
第50回定演−40周年記念演奏会を採り上げたられた。
| 定期演奏会 50回 |
金沢大学フィルハーモニー 管弦楽団 |
| 大学と共に誕生して 市民に愛された40年 |
今までの総決算なんだと しみじみ感じました |
1月27日夜、金沢市観光会館。金沢大学フィルハーモニー管弦楽団の第50回記念定期演奏会。今、金沢では、オーケストラ・アンサンブル金沢の誕生で、クラシック音楽への関心が高まっていますが、この日会場で金大フィルに送られた拍手には、アマチュア・オーケストラながら、すでに40年前にこの地に生まれ、長く北陸の音楽文化を担ってきた同フィルの足跡をたたえる意味が込められている、と感じた古いクラシックファンも多かったといいます。 国立大学設置法によって金沢大学が正式に発足したのは昭和24年5月。それから日を置かずに、学生の中からの強い要望と音楽を愛好する教授陣の理解もあって、団員16人から成る管弦楽団が結成されました。名称は、団員らの話し合いで「金沢大学フィルハーモニー管弦楽団」に。以後40年、「金大フィル」の略称で親しまれてきたこの管弦楽団の創生には、一足早く同好の市民らで結成された金沢交響楽団と並んで、金沢でも生のクラシックが聴けるようになったと市民の熱い期待が寄せられました。 ![]() 第50回定演を前に堤俊作氏を 迎えて練習 |
現部員は約150人。50回定演ではマーラーの交響曲5番などの難曲を見事こなした金大フィルも、結成当初は楽器不足、練習場難に苦労する日々でした。結成翌年の昭和25年10月、金大理学部講堂で開かれた第1回定演の当時を、第1期生で現在金沢市湯涌小学校校長の川崎直由さん(59)は「ステージが小さく、理学部の教室からリアカーで教壇を運び、まずステージ作りから始めたものです」と、隔世の思いで振り返ります。 川崎さんは在学中の第1回から4回まではもちろん、卒業後も途中第28回を除いて33回まで、オーボエ奏者として定期演奏会に参加しました。出場回数32回はOBでは最多記録です‥川崎さんはそれを「今は小、・中学校の吹奏楽のレベルも上がりましたが、当時は大学に入って楽器を始める人がほとんどで、なかなか人が育たなかったから」と言います。 第3回で初めてシンフォニー、シューベルトの「未完成」交響曲を演奏した同フィルは、その後次々と大曲を手がけ、定期演奏会も23回までは年2回のペースで開きました。 部員の少なさに加え、毎年メンバーが入れ替わるため、技術レベルを維持することの難しさは、学生オーケストラが抱える共通の悩みです。にもかかわらず、地方にあって金大フィルが着実に実力を養ってこられたのは、多くのOBのバックアップ‥そして各方面からの客演に負うところも大きかったといえるでしょう。 その後、学生の間からOBの賛助出演や客演に頼って大曲に取り組むことへの疑問の声も上がり、昭和48年からはプロの指揮者を迎えることでハンディキャップを克服しながら学生自前の定演を目標に再出発したのが今日の姿になっています。
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OB会長で、石川県音楽文化協会理事長なども務める医師の川北篤さん(59)は、現在の金大フィルを「地方のアマチュアとしては最高のレベルにあると思う」と評価します。同時にまた、昭和55年に結成した金沢チェロソサエティで現役部員とふれ合う機会も多い立場から「あくまでも学生であることを忘れず、北陸の音楽界をリードしていって欲しい」と注文もつけます。 今回の第50回定演指揮者で、東京シティフィルハーモニック管弦楽団常任指揮者の堤俊作さんは「金大フィルには、今後コミュニティオーケストラ的な性格を持ち、室内楽はアンサンブル金沢、オーケストラは金大フィルと言われるようになって欲しいですね」と市民の中のオーケストラとしての成長を期待します。 こうした周囲の期待の声に、当の部員達は「自分達の演奏でお客様に満足していただけたら」と、いたって控え目ですが、50回記念の大イベントを終えた実行委員長の遠藤浩二さん(21)は「オーケストラ、部活動という両面で、今までの総決算なんだなあと、つくづく感じました」と言い「大きなイベントの後こそが大事。これを機に態勢を立て直し、新たな目標に備えたい」と気を引き締めます。近くは5月のサマーコンサート。楽しい内容にと張り切っています。 |