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2000.07.04.

BBC騒動
 

 加入しているケーブルテレビが、この4月からBBCをCNNに変えてしまって、私はちょっとしたパニックに陥る。

 勿論これまでにも好きな番組が終わるとか、なくなるという経験はあったけれど、好きなチャンネルがなくなるというのは、生まれて初めてのことである。好きなチャンネルがなくなる、つまり好きだったあの番組もこの番組も、全部一気になくなるということだ。まあ、それとてただのテレビ番組、そう大したことでもない。しかし、新聞を取っていない私にとって、唯一のかつ24時間体制の情報機関であったBBCニュースがなくなってしまったことは、かなりの(思っていた以上の)ダメージで、私はたっぷり2ヶ月禁断症状に苦しみ、急に世界から切り離され取り残されたような不安感で軽いノイローゼになる。

 今はとりあえずBBCのホームページを読みまくることで落ち着き、私の視聴時間と見たい番組が見事に一致しないCNNにも慣れてきた。その気になれば、短波ラジオでBBC放送を聞くこともできる。この短波ラジオも、学生の頃、BBCを聞くために父親に買ってもらったものだった。そう思うと、根はかなり深い。

 そう、この騒動は、かなり根深いものなのだ。今でこそイギリスへの嗜好なんて身体のどこにもない私だけど、小学生のドリトル先生、シャーロック・ホームズや指輪物語に始まって、レッド・ツェッペリンからイギリス映画狂いの二十歳すぎまで、人生のたっぷり半分は〈英国大好き少女〉として暮らしてきたのだから。

 以前友人たちと〈原風景〉についての話になったことがある。子供の頃通った映画館がそうだと言う者や、原風景なんてないわと言う者、〈原風景〉が何を指すのかよくわからないけれど、その時私の頭に浮かんだのはロンドンのナショナルシアターだった。

 初めて友人とロンドンに行ったとき、ヨーロッパを回るツアーの一環だったので、ロンドンでの滞在は3日しかなかった。当時『炎のランナー』マニアだった私たちは、着いてすぐ買った情報誌でナイジェル・ヘイヴァースの名前を見つけ、彼の芝居がナショナルシアターであり、しかもそれが私たちが出国する次の日からの公演であることを知って狂乱した。とりあえずナショナルシアターに駆けつけ、楽屋裏で訴えた。そこにいたおばあさんはすごく親切で、芝居の練習をしていないか調べ、彼が今どこにいるかあちこち電話を掛けてくれた(彼女が一体どこに電話していたのかは不明だが、どうやら本人の家にまで掛けていたようだった)。結局彼には会えなかったが、そんなこんなでナショナルシアターは、私たちにとって〈よきロンドン〉の象徴になった。

 ナショナルシアターは、フィルムシアター、ロイヤル・フェスティバル・ホールなどとともに文化的地区を構成している、テムズ川南岸いわゆるサウスバンクにある。隣接するコンクリートの素っ気ない建物で、中に大中小の劇場が3つ、それぞれに公演があり、シネマコンプレックスの演劇版みたいになっている。だから、演劇を見なくてもホールには誰でも入れて、本やグッズを買ったり、カフェでお茶を飲んだりできる。ロンドンの古い劇場では、安い桟敷席を買うとホールにも入れない(外の入り口から直接桟敷への階段を上らされる)ことを思うと、親しみやすく飾り気のない劇場だ。その後、私たちは何回かロンドンを訪れたが、用がなくても一日の最後はナショナルシアターで過ごした。公演前、ホールには人があふれ、みな柔らかい絨毯の上に座り込んでワインやお茶を飲んでいる。それが、公演が始まると全員がいなくなり、あとにはホールの絨毯一面に、空のワイング
ラスやカップが残る。それは、本当に夢のような光景だった。演劇を見ることもあったが、お金もないし英語も分からないので、私たちは何時間もそこでお茶を飲んだり、すぐ外を流れるテムズ川を眺めたりした。11時頃外に出ると、その一角は真っ暗で人気がなく、いつも地下鉄の駅まで走って行かなくてはならなかった。(そして当時の〈テーマ曲〉は、ケイト・ブッシュの「OH ENGLAND, MYLIONHEART」だった)。

 今どんなにバルセロナが好きでも、私はもう、あの時のような愛し方はしない。自分が傷ついたり苦しんだりしないやり方を、私は覚えてしまっている。(それでも『オール・アバウト・マイ・マザー』でティピタボ山からバルセロナを俯瞰するシーンでは、全身痙攣してしまったけれど)。あれはあの年頃ならではの情熱で、そしてその原風景は本当に失われてしまった。数年前最後にロンドンに行ったとき、ナショナルシアターはいつの間にか(私に断りもなく!)ナショナル・ロイヤル・シアターになってしまっていた。建物はそのままだけれど、ロゴも変わりグッズも変わった。もう私が好きだったナショナルシアターは存在しないのだ。

 好きだった事実は覚えているけれど、好きだった感触は忘れている。友人・家族を呆れさせたBBC騒動は、そんな忘れていたことを一気に思い出させた。大観覧車に2000年記念ドーム、テート・モダンと新しいものラッシュのイギリス。ナショナル・
シアターから見えるテムズ川周辺も、随分変わっただろう。


●大阪でナショナルシアターを少しだけ連想させるのは、天保山のサントリーミュージアムからホテルに抜けるコンクリートの階段のあたりである。あの辺に行くと、少し胸が痛むのは、昔デートで行ったからだけでは、決してない。

 
 

(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki