「カイエ」表紙に戻る
2000.07.04.

言葉
 

 私が旅行にあたって覚えたイタリア語は、挨拶の他に、ペル・ファボーレ(プリーズの意)、ビリエット(チケット)、イル・コント(お勘定)、ボッレイ(〜欲しい)、ドヴェ(どこ)、クアント(いくら)。スペイン語の語学力も大体このくらいだが、三つ子の魂なんとかで、私は小学生の時に「セサミストリート」で覚えたスペイン語の1から10までを、今でも忘れていない(ただ1から10までひとつながりで覚えているので、実質役に立たない)。

 食いしん坊の私と妹はフランス語でもスペイン語でもイタリア語でも自分が食べたいものの名前ぐらいは知っているので、どこに行くにしても、大体これくらい覚えておけば旅行はできる。そのうちに、ボン・ジョルノ(こんにちは)はランチを食べるまでの挨拶で、長いお昼休みが終わった三時ぐらいから、ボナセラ(こんばんわ)に変わることがわかってくる。で、私たちは、ちょっと通の顔をして、ボナセラと言いながら店に入る。

 ペル・ファボーレはスペイン語のポル・ファボールと似ているのでつい混じる。イタリア語にやっと慣れたと思ったら、今度はスペインで「ペル・ファボール」と言ってしまう。似ている言葉というのは、油断がならない。フィレンツェの地酒ヴィン・サントが、何度言ってもヴァン・サンテになる。フランス語でワインがヴァンなので、これは仕方ないにしても、サンテは何なの?と妹がなじる。いずれにせよ元はラテン語なのだ、困った時はとりあえず何かしゃべろうと言って、私たちはいい加減に旅行している。

  フィレンツェに旅行に来ている様々な国の人たちは、しかし、その国の言葉でしゃべろうなんて気がさらさらないので、町中、いろんな言葉が飛び交っている。美術館のチケット売り場に並んでいるフランス人が「ドゥ(二枚)」と言って、売り場のお兄さんに「ドゥエ!」と大声で言い返されている。店員以外の人に話しかけるのに、一体何が正しいのかなんて、全くわからない。全然しゃべれないけれどフランス語を少し習っていた私は、前を歩いていた紳士が帽子を落としたのを見て、つい「ムッシュー!」と叫んでしまう。彼は私の顔をしげしげと見ながら、言葉を選んで「メルシー」と答えた。逃げるようにその場を離れながら妹は、「ベトナム人のふりするしかないなあ」と言った。

(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki