「カイエ《表紙に戻る
2004.10.01

サヴァ・サヴィアン
 

 

 
 情報誌で偶然見つけて、突然ピエール・バルーのライブに行くことにする。内容も何も、全く知らずにいったのだけど、着いてみると看板には『映像とトークとライブの夕べ』と書かれている。映像かあ、どうしようかなあ、と思ったものの、ライブハウスの前では当のピエール・バルーがジュースの自販機をビデオに撮るのに夢中で、何となく引き返すわけにも行かずに入ってしまった。何か話しかけて握手してもらえばよかったのだけど、私の知っているフランス語はもはやボンジュールとか、コマンタレブーとかぐらいで、ああそうか、彼のヒット曲を真似して、サヴァ?というのが洒落ていたのにと、少し後悔する。

 イベントは、三部構成になっていて、最初にヴォセという日本のボサノヴァバンドのライブが行われる。いかにもボサノヴァっぽい透明感にあふれた女性ボーカルで、日本語の歌詞をつけたジョビンの歌や、三線を持って喜紊昌吉の歌をボサノヴァ風に歌ったりした。
 
その後、バルーが撮った映画の上映。プログラムには三本、記されていて、私はてっきり10分15分の短編なんだろうと思っていたのだけど、これが全部二時間近い大作で驚く。ライブハウスのパイプ椅子に座って映画三本。本当にどれも、おもしろいものだったのだけど、とにかく長い。フランスのアコーディオンフェスティバルの模様を紊めたフィルムでは、まだ少年のようなCOBAや、ピアソラがかかり、次の、カボチャ商会というちんどん屋バンドがフランスで演奏するドキュメンタリーもとてもおもしろく(後になってカボチャ商会を、私は横浜で見ていたことが判明する)、最後のブラジルを旅するものは、映画としては一番良くできていて、バーデン・パウエルの繊細なギターがとても魅力的だし、おおお、と思うブラジル音楽界の巨匠が次々と紹介され、見応えがあった。
 
つまり、先のライブも含めて、どこをとっても私が好きな音で満ちていたのだけど、いかんせん長すぎた。主催者も、適当に手足を伸ばして休憩してください、と促し、私が座っていたのはトイレのすぐ近くの席だったので、ひっきりなしに人が行き来していた。ちょうどそこには中途半端な段があって、私も最初、つまずいたのだけど、暗闇の中、そこを通る人のほとんどがつまずいた。 なので、私はいざとなったら手助けができるように、いくらか緊張しながら映画を見ていて、それが、映画の邪魔になるというよりはむしろ、居眠り防止に役立っていた。大体は若者なので、みなつまずいても大事に至ることはなく、実際に手を貸したのは、本当に倒れそうになった年配の女性だけで、ただ、人が前につんのめるを一つ一つ確認していた。(一人の女性はつまずいた後、自分がなぜつまずいたのかを検証するため後ずさりし、段の高さと幅を足先でなぞっていた。几帳面な人だ。)
 
しかし、映画も三本目にもなると皆慣れてしまって、つまずく人もいなくなり、私もぼんやりと映画に集中していた頃、ピエール・バルーが通った。若者とは言えない歳の彼はつんのめり、私の肩に倒れ込み、私は彼の胴を支えて、半ハグという状態になった。大丈夫、と彼は日本語でささやいた。私はサヴァ?と聞き、彼はサヴァ、サヴァ、大丈夫と再び小声で応えた。
 
映画が終わり、待望のライブが始まる頃には、もう5時間以上経っていた。青森のキリスト祭りの、シュールな映像が流れ、そこでご婦人たちが踊っていた婦人会音頭か、農協音頭かに、フランス語の歌詞をつけて彼は歌い(会場大爆笑)、お嬢さんと奥さん(日本人)が通訳しながら口論し、どんどんおかしな雰囲気になって、彼は、私が20年以上前に聞いていた懐かしい音楽を歌った。フランス語の『おいしい水』や三線のボサノヴァやシャンソンは、少し変なのだけど、そんなことはもう、どうでもよくなって、バルーが言う、〈すべては地球の真ん中で木の根っこのようにつながっている〉ようで、柔らかくて暖かい球体に包まれているみたいに気持ちよくなる。
 
何にせよ私は、ピエール・バルーとサヴァ?サヴァ、の会話をしたことで、とても満足していた。〈そしてすべては、限りない宇宙 回る星の上の出来事 〉と日本語の歌詞を皆で合唱するころには、頭はもう、すっかり脱力していて、この歌を大貫妙子で聴いたことがある、となんの根拠もない確信をしたり、歌われた歌が、彼のアルバムで知っているのかボサノヴァで知っているのか、さっぱりわからなくなり、家に帰って古いテープを探しても見つからず、一体自分がピエール・バルーの何を聞いていたのかもわからなくなった。それはちょうど、前に読んだと思う本の内容を全く忘れていて、読み直すにつれ、一つの文章が突然鮮明に蘇ったり、いややはり、全然知らないと思ったりする感触に似ていて、忘れてしまった記憶の根が、世界中のものとつながっているような、上安定な安心感が、座り疲れたおしりのあたりでざわざわした。    

 


●上映された映画
Nuits de Navre'91~真珠貝の夜・チュール
ca va ca vient bis
SARAVAH


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