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2000.07.04.

愛を弾く女
 

 『美しき諍い女』を除けば、『愛を弾く女』はまぎれもなくベアールの代表作だと思う。彼女はヴァイオリニストで、恋人とともに充実した生活を送っている。しかし、恋人の友人で、調律師の男が彼女をじっと見つめる視線を、彼女は〈読み〉間違えてしまう。彼が見つめていてくれるといい演奏ができる。彼は私を愛している。そして彼女は恋人を捨てて彼の元に走る。しかし、彼は彼女を拒絶する。僕は、ただ見ていただけだ、と。原題は〈氷の心〉である。

 男にふられて、ものすごく濃い化粧をして彼を詰る時のベアールがとても素敵だ。芸術家が時々起こす勘違い、ある(大抵はつまらない)人間をミューズだと思い込んでしまう間違いもよくわかる。男は友人のために身を引いたのか、というようなコピーもついていたけど、私はそうは思わない。彼は最初から彼女と別の世界にいて、外から彼女を見つめていただけなのだ。彼女には、それが神の視線のように感じられた。

 彼女が弾く音楽はラヴェルのピアノ三重奏曲。ラヴェルの曲は人を不安にさせる。決して調和や平穏にたどり着かない。人を狂気に誘う音楽。彼女はその曲を延々と繰り返す。

 結局彼女は元の恋人のところに戻り、演奏を続ける。演奏旅行でパリに戻って、彼女は調律師と再会する。何事もなかったかのように二人は会話し、別れる。誰もが傷つき、そして誰も救われない。何の示唆も教訓もなく、映画は終わる。クロード・ソーテ監督の、映画と自分自身との距離の置き方、その冷淡さは絶妙である。きっと、一番の〈氷の心〉は監督自身に違いない。


 

(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki