「カイエ」表紙に戻る
2000.02.15.

永遠と一日
 

 テオ・アンゲロプロスの映画が、余り好きではない。確かに映像はきれいだし、高い水準だと思うけれど、なんだか大層で、まあ気持ちは分かるけど…と乗り切れない気分になってしまう。

 『永遠と一日』も、だから、そんな調子で見ていた。この映画は病気で死が近づいている年老いた詩人が、入院する前の一日の出来事を描いている。過去の思い出と現実が入り交じり、難民の少年とのひとときの交流が印象的だ。いい映画には違いないが、不安を故意に煽られるようなところ、例えば少年を故郷に戻そうとたどり着いた国境線で、鉄条門に無数の人がぶら下がっている、ぞっとするような描写、確かにぞっとさせる効果で導入されているのだろうけど、何ともそういうところがやりすぎだよなあ、と思ってしまう。

 ところがもう最後近くになって、この映画の中で一番美しいシーン、別れる前の少年と詩人が、深夜のバスで街を一周するシーンで、私は突然気がづく。そのバスには、赤旗を持った運動家やけんかをする恋人たち、唐突に演奏を始める楽団などが乗り込んでは降りていくのだが、そこに主人公が尊敬し、その評論を書こうとしている、19世紀の詩人本人が不意に現れる。時代がかった衣装の詩人に質問を投げかける詩人。これって、「レクイエム」じゃないの。

 「レクイエム」はこの一年で私が読んだ中で、一番美しかったタブッキの小説だ。これは、イタリアの詩人が死者や生者と出会いながらポルトガルの街を徘徊する話である。『永遠と一日』との共通点は、一日の出来事であること、主人公が詩人であること、そして様々な死者と、なかでも尊敬する(実在の)国民的詩人と出会うことだ。「レクイエム」ではポルトガルの紙幣にもなっているフェルナンド・ペソア。『永遠と一日』の方はギリシア国歌の作者でもあるディオニシオス・ソレモスである。そして小説の「レクイエム」はアラン・タネール監督で映画化が決まっており、アラン・タネール/ポルトガルとくればすぐに連想される映画『白い町で』の主人公は、この『永遠と一日』と同じブルーノ・ガンツなのだった。

 勿論これはただの偶然だろう。死者との邂逅や詩人という設定もアンゲロプロスにはよくある話のような気がするし、映画自体は、完全にアンゲロプロスならではのものである。雰囲気も話も、何より〈言いたいこと〉の表し方が、「レクイエム」とは全く違う。映画のパンフレットを読んだって、勿論「レクイエム」など出てこない。いや、一言だけある、作曲家がこの映画のために父親が亡くなったときに書いた音楽を持ってきた、しかし監督は、〈レクイエムを思わせるものはいっさい使いたくなかった〉。

 でも「レクイエム」の映画化を聞いたアンゲロプロスが奮起して(?)自分なりの「レクイエム」を作り上げたと考えるのは、少し楽しい。

 偶然にしろ何にしろ、ほんとに好きなものは、形を変えていろんなところに現れる。そんな偶然は楽しいし、神秘的ですらある。


 

●永遠と一日
監督/テオ・アンゲロプロス
出演/ブルーノ・ガンツ アケレアス・スケヴィス イザベル・ルノー
1998年ギリシア・フランス・イタリア合作/134分
配給: フランス映画社

●「レクイエム」
アントニオ・タブッキ著 (鈴木昭裕訳) 白水Uブックス

(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki