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2004.10.01.

できればはしごはしたくない
 

     日曜日しか映画を見る時間がないので、はしごをすることが多くなるのだが、続けて見た映画はいつもどこか共通点があり、それは、自分がそういうふうに見ているからなのか、それがいいのか悪いのかよくわからないのだけれど、とにかくまあ、相互に影響し合ってしまう。

    『キル・ビル』と『アララトの聖母』を続けて見る、というのはそれにしても、自分でも滅茶苦茶やなあ、と思うのだけど、続けてしまったのだから仕方ない。自然、比べられることとなった。(不幸にも?)  『キル・ビル』はとにかく、内容がないことと言ったらここまで内容のない映画も凄い、というほど中身のない映画である。ただただキッチュな映像をつないだだけの二時間。映像はスタイリッシュ、だけど、スタイリッシュという言葉が持つ胡散臭さと時代遅れを正しく表現したスタイリッシュである。この馬鹿馬鹿しさは、そうそうできるものではないので、やっぱりこの監督はただものではないと思う。

    で、問題は『アララトの聖母』の方なのだ。こちらは、トルコのアルメニア人大虐殺という、重いことこの上ないテーマを、現代のカナダに住むアルメニアの若者やカナダ生まれのトルコ人、この虐殺を映画にする監督、虐殺を生き延びた画家の人生など、重層的に描いている。とはいえ、そう難解でもなく、バランス良く、上手にできた映画だと思う。じゃあ、何の問題もないいい映画だと思うのだけど、なんというか、映像が、きれいすぎるのだ。

   映像がきれいで文句を言われる筋合いはない、のだけれど、この監督の作品は、前の『スイート・ヒア・アフター』でも思ったのだが、とにかく映像がきれいすぎる。凝っている訳ではないし、特殊な効果を使っているわけでもない、ただ、一シーン一シーンが、有名カメラマンが撮った写真のように完璧で、なんだかそっちにばかり感心してしまい、結果、ものすごく重大なテーマが、すとんと身体に入ってこない。映画が、流れとして感じられない、のかもしれない。

    そんなわけで、一回でいいから『キル・ビル』ぐらい内容のない映画を、撮ってみてくれないかなあ、と思う。ただただ、きれいな絵を感じるだけの映画。あるいは、ゴダールぐらい、内容が分からない映画、でもいい。ものすごい傑作になるか、愚作になるかはわからないけど、そうすればこの監督、もっとレベルアップできるような気がする。  いい映画なんだけど、挿入歌の出来が良すぎて損しちゃった映画、というのは時々あるけれど、映像が良すぎて損しちゃう映画というのは珍しいかも知れない。映画作るのって難しい。


●キル・ビル
製作・監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:ユマ・サーマン、ルーシー・リュー、ダリル・ハンナ、デヴィッド・キャラダイン
2003年/アメリカ/配給 : ギャガ=ヒューマックス

●アララトの聖母
監督:アトム・エゴヤン
2002年/カナダ/115分/ビスタサイズ/ドルビーデジタル
配給:ギャガ・コミュニケーションズ Gシネマグループ

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