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2009.10.01.

エコな生活
 

  

  グァテマラ・アンティグアは、かわいらしい街だった。何があるというわけではないのだけれど、とにかくかわいいのだ。妹には、「絶対好きだと思う」と前から言われていたのだけれど、ほんとに好きだった。その風土とか文化とか住んでいる人とかは全く考えずに、とにかく外観が「タイプ」だったわけだ。

  妹がお世話になっている旅行社イツモトラベル(istmo travel)は、典型的なコロニアル様式の建物にある。中庭を囲むように、事務所に応接室、食堂と、客室が二つあって、中庭にはあふれかえる熱帯植物、取り囲む廊下に置かれた古い木材の椅子やオブジェ、小さな机とソファにグァテマラの織物、それがとにかくかわいい。かわいいというのは少し変かもしれない。要するに私が理想とするインテリアがそのまんま、そこにある。(アンティグアのカフェやお店も概ねそうだったのだけど、特にイツモトラベルは、経営者氏が、「お姉ちゃんと恐ろしいほど同じ趣味(妹談)」であることに負うところも多い。なにせ、壁には私が好きなルドンの絵まで飾られていたのだから)。  

  これは、長い間わからなかった曲のタイトルが、突然思いがけずわかった、という感じに近かった。要するに、一人暮らしを始めて10年以上経っても、絶対こんな感じ、という自分のインテリアの好みがよくわかってなかったのである。古いものは好きで、古木の鏡は一番に買ったし、植木はハイビスカスなど南国ものが多い。ルドンのポスターもある。とはいえ、ハンス・ウェグナーもバウハウスも好きだし、ミニマムにも憧れる、といういい加減な趣味である。正に自分の理想の部屋が、目の前で具体化している感動。私にとっては24時間かけて地球の裏側まで行った価値の半分は、ここにあった(なので、何が良かったですか?と聞かれてもうまく答えられない)。  というわけで、帰国した私は、早速自分の部屋の「グァテマラ化」計画を立てた。もともと好きな路線なので、布類をグァテマラのものに変え、若干工夫すれば、少なくとも部屋の一角は、なんとなくイツモトラベルに近くなった。しかし、ソファに座ってその一角を眺めていると、何かが違う。ふむ、何が違うのだろう、と考えて、気がついた。アンティグアには、プラスティックがないのだ。  植木の下に敷いたプラスティックの水受け皿を、使っていなかった安物の陶器の皿に変える。洗濯ばさみを入れていたプラスティックのかごを、紙の箱に変える。そんな調子でプラスティックを排除していくと、ぐん、とグァテマラ度が増した。  

 そもそも日本よりもはるかに物価は安いのに、ガソリンの値段は同じ、という国である。100円ショップで売っているようなプラスティック商品がない、あってもすごく高いといって、妹は日本に帰ってくると大量に買い物をしている。しかし、プラスティックを使わない生活というのは、それだけで、かなりエコな生活のような気がする。  

 もう一つ。外国ではよくあることだけれど、グァテマラのトイレの配管は細いので、使用した紙は便器の横にあるかごに捨てる。最初は嫌だな、と思うし、ついうっかり便器に入れてしまうこともしばしばだったのだけど、慣れてくると、水にとかして海に流すより、合理的な気がする。そうしていると当然、汚れが後から使う人の目に触れないよう、ちょっと気をつける。こうした、「ちょっとした配慮」が、トイレに入れば自動でふたが開き、水が流れる日本では、どんどん失われているよなあ、と思う。何もしなくても、自動的にきれいになって、その前がどうで、その後がどうだ、というようなことは、考えなくてもいい。人が入ったら自動的に電気がつくトイレがそのうちできるかもしれないが、グァテマラにはそんな技術はなくても、人がいないトイレの電気はついていない。  

 日本でも、少し前の時代は、今よりエコだったんだろうか。よくわからないけれど、そうでもなかったような気もする。これは国民性の違いか文化の違いか。最新技術でエコをめざす国と、ちょっとした配慮がエコの国。  部屋の模様替えは、いろんなことを思わせる。

(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki