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2000.03.15.

猫1
 

 昔、まだ私が生まれる前、家には黒い雌猫がいた。黒猫が大抵そうであるように、名前をくろといった。くろは頭が良かったが、大変わがままな猫だった。飼い主が外出する素振りを見せただけで、もう拗ねてどこかへ隠れてしまう。彼らが帰ってきてみると、家中のゴミというゴミが散らばり、紙片は全てびりびりに破かれている。気性が激しく、気に入らない客を箪笥の上から威嚇する。すぐ爪を立てるので、母の手はボロボロだ。近所の野良犬と一緒に近所一円番を張り、我が者顔で道を練り歩く。しかし、一緒にドライブする時は機嫌良く窓に手を掛け、外を眺めながらいい子にしている。そのわがままさ、きままさは特上で、彼女はなかなか子供のできない家庭で、独特の地位を獲得している。

 しかし、そのうち母が何度目かの妊娠をし、今度はうまく安定期を迎えて子供が生まれることがはっきりしてきた頃、くろの傍若無人は彼女の心配の種になってくる。くろのことだから、赤ちゃんが生まれたらきっと嫉妬するだろう。まさか噛みつきはしないだろうが、赤ん坊の顔を引っ掻くくらいは朝飯前だ。箪笥の上からベッドに寝ている赤ちゃんの上へ、飛び下りることだってできる。彼女はなにせ、あらゆるわがままを今まで許されてきたのだ。母は心配し、くろのことを気に病むようになる。

 しかし不思議なことに、母のお腹が膨らむにつれ、くろのお腹も膨らんでくる。母と同じように苦しそうに吐き、丸まって膨れたお腹を触る。熱を持っているのか、風呂場に行っては水を張った洗面器に覆い被さって、お腹を水に浸す。元気もなくなり、以前のようなわがままもしなくなった。

 恐らく母は、そんな彼女のことを心配しながらも、どこかでほっとしていたのだろう。私はその様子を想像する。とても愛していたはずの、わがままな猫の存在が、赤ん坊のために少しずつすり減っていく様子を想像する。

 母が赤ちゃんを、つまり私を産む三日前に猫は死んだ。産まれてきた子供は、彼女そっくりに、毛深く黒かった。赤ちゃんの私は、猫のように箪笥を引っ掻き、猫が大好きだったビニールの鯛の玩具で無心に遊んだ。結局勝ったのは、猫の方だったのだ。

 この話を仏教徒の友だちにした時彼女は、それはとてもいい猫だったのだ、だから人間に生まれ変われたのだと言った。私はうん、そうだ、と思っていたのだけれど、哲学徒たちは勿論そんなことに同意しない。そいつはとても悪い猫だったから、人間なんかに生まれ変わったのさと彼らは笑った。確かにその方が、説得力はある。私は昔、性悪猫で、今は性悪女だ。

(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki