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2010.05.30

低レベル安定社会
 

    映画『矢島美容室』を、監督目当てで見に行ってから、中島信也氏について少し調べ、彼が作った「低レベル安定社会」という言葉に心惹かれる。
 彼は言う。「欲望をちょっと抑えることで、みんなの幸せを拡大しようっていうのが“低レベル安定”社会です。…(中略)地球に優しくするために 大量生産をやめると、僕たちの経済の維持ができなくなって、不幸な人が出る。だからすごい拡大戦略は採らずに幸せになる術はないのだろうか…(中略) で、その時に天から受けた言葉が、“低レベル安定”です」

 低レベル、という表現が、賛否の分かれるところかもしれないが、「エコ」とか「ロハス(死語?)」とか耳障りのいい言葉よりも、ぐっと現実味がある。 今よりちょっと低レベル、という自覚を促される感じだ。そして、私の生活は、正に「低レベル不安定」で、これが、「低レベル安定」になったら、 ものすごく幸せになれる予感がする。それがきっと、この言葉に心惹かれた理由だろう。

 中島氏の言う「低レベル」というのは、勿論「低収入」ではないのだけれど、低収入であることは、低レベルに近いところにある。 無駄なものは買わないというより買えないし、何でも、できるだけ長持ちするよう心がけるし、一人暮らしなんだからトイレの水を流すのは 二回に一回でいいか、とか、アクリルたわしを使えば洗剤は入らないとか、まあ、ちょっとした(涙ぐましい)倹約がエコと言えばエコである。 あとは、それが安定すればいいのだ!

 安定した社会。考えてみると、私にとって安定した生活というのは、実にシンプルだ。生きるのに必要な場所と食べ物が、息絶えるまである、 という保証があればいい。なんだ、それだけか、と私は少し感動した。そして、そういう保証が見えないところに今の社会の不安定さがあるなら、 それが見える仕組みを作っていけばいいわけだ。勿論、それくらいの保証、「できない人には手助けしますよー」と国が言ってくれたら、 とっても楽なんだけれど。

 でも、世の中にはきっと、高レベル不安定な人もいる。そういう人は、ただ物質的にしんどい低レベル不安定な人より、精神的に辛いだろう。 だって、貯蓄もお金もいっぱいあって、無駄なことも一杯できて何でも好きなものが買えるのに、不安定なんだから。ひとつは、低レベル不安定と 同じ保証のなさが原因であろうし(いくら貯金があってもいつ価値がなくなるかわからない)、何かよくわからない、もっと内面的な飢餓感があるのかも しれない。今の日本はひょっとすると、高レベル不安定社会で、それは相当きつい社会だし、そういう人たちが安定を感じるためにどうすればいいのか、 私にはよくわからない。
 ただ、そこには〈高レベルで安定すべき〉という神話があるように思える。人間や経済は成長するべき(はず)だという神話。 高レベル安定社会はもうどう考えても無理なのだから、高レベル不安定社会がその神話から抜け出し、一方で低レベル不安定社会が、 〈しかたないから低レベル〉という負け犬意識から抜け出したら、日本は少し、低レベル安定社会に近づけるだろうか。

 その他に私に必要なのは、紙と鉛筆と海と音楽ぐらいかなあ、と思うと、人生は悩むほど複雑ではない。そして、このような下世話な話ばかりが 「低レベル安定社会」の意味ではないだろうから、これぞ正しく低レベル安定社会なのではないかと思える、とても美しい表現を引用する。

「美しい魂が宿る顔の持ち主は、別のものへ向き、別のものを欲している。求めているのは恐らく、この世界にはないものだろう。あるいは、素早くて手に触れることのできない、光に似た何かだ。彼らが美しいのは、自己を節制し、望むよりも望まない方に力を注いでいるからだ。僕には拒む人の美しさがすぐわかる。克己と自己抑制がその表情を石に似たものにしていて、解き放たれた光がまなざしにあふれているのだ。」(J・M・G・ル・クレジオ「地上の見知らぬ少年」)

●低レベル安定社会…2008年に東京のGallery5610で開催された、パッケージデザインの展覧会のために中島信也氏が作ったコンセプト。 「パッケージ幸福論 〜低レベル安定社会へのデザイン〜」というタイトルの展覧会だった。総合プロデュースは鹿目尚志、 ディレクション中島信也、参加デザイナーは赤井尚子・石浦弘幸・石田清志・大上一重・小野太士・木村雅彦・近藤真弓・田中健一・松田澄子・山崎茂

●矢島美容室 THE MOVIE  夢をつかまネバダ
監督/中島信也 出演者/矢島美容室 音楽/武部聡志
2010年日本 98分
配給 松竹

●地上の見知らぬ少年…J・M・G・ル・クレジオ著 河出書房新社


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